【ミリマス】幸福至上主義者達のサンドウィッチ (53)


貰ったプレゼントを試してみたいのだ、と美也が話しかけてきたのは、
お祝いムードも落ち着きを見せ始めたパーティの真っ最中であった。

柔らかく微笑む彼女の腕には、この日私が贈ったばかりの大きなクッションが抱えられて、

それは一見すると巨大なサンドイッチのような、誰がどう見てもサンドイッチのような、

むしろサンドイッチ以外の何物かに見えたのなら眼科へ行くことを勧めるレベルのサンドイッチが抱きしめられていた。

ちなみに具材はベーコンレタストマトである。

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「これは見てるとお腹が空いてしまいますな~」

十七歳の誕生日パーティ、

ハイセンスな贈り物を受け取った少女は嬉しそうに品を褒めたたえて、
その反応にはプレゼントした私も大満足だった。

その後、彼女はアイドル仲間からも祝福され、用意されていた本物のサンドイッチで腹を満たし、
劇場の一室を会場とした祝いの席は順当に盛り上がって行ったのだが。

プロデューサーさん、といつしか彼女は陽気にはしゃぐ皆の輪から離れ、
部屋の端で雰囲気を堪能していた私の傍へとやって来た。

そこには中央のスペースを確保するために追いやられたソファが並んでいて、
丁度私の座るすぐ隣に彼女が腰掛けた事になる。


「プロデューサーさん」

美也がもう一度口にした。

その視線は思い思いにパーティを楽しむ同僚達へ向けられている。

「今日はありがとうございました~。素敵な会に贈り物に……正直な話をするとですね~、
皆さんから、誕生日をお祝いして貰えることは分かってたんです。だって、いつもは私達がお祝いしてますから」

彼女はそれだけの台詞をゆっくりハッキリと喋る。

どんなに時間が無い時でも、どれ程騒がしい場所であっても。

私にはそれが、自分の伝えたい言葉を相手が聞き落としたりしないように……
と、彼女が考えて喋っているように感じられる。


実際、クッションの角を指先でふにふにしながら紡がれる声は、
宴の喧騒の中でも聞き取りやすく。私は一々相槌を返しながら。

「確かに。美也は劇場でパーティをする時に毎回手伝ってくれるものな」

「はい~。私が誰かをお祝いすれば、お祝いされた人が誰かをお祝いして、
それはつまり、皆がにこにこになれる素敵な事で……プロデューサーさんも一緒ですぞ~」

笑顔をこちらに向けて応える。が、元々私はこうした催しで自動的に責任者となる立場の人間。

三割は義務、三割は善意、そして残りの三割も幸福至上主義の為だ。


「まぁ、それも仕事であるし……」

「なんと~……お祝いはお仕事だったんですか?」

途端、美也の愛くるしい眉毛がしゅんと下がり、
巨大サンドイッチは抱きしめられて皺が増した。

悲しみと寂しさがない交ぜになったような表情。

その反応に私が驚き焦った事は言うまでもない。


結果、予想だにしなかった展開に慌てて申し開く為の言葉を探し。

「だが仕事と言っても人としての仕事、夢のハッピーライフを送るためには逃げてはならない道の事で。
決してプロデューサーであるとか何だとかの立場的責務から君たちをお祝いしてるワケじゃないぞ!」

捲し立てた後ですぐに気づく。

こちらを伺い見る彼女の口元はうっすらと笑っているではないか!

……そもそも私と美也は同じ幸福至上主義の旗のもと、
出会ってすぐの頃に義兄妹の契りを交わした仲なのだ。


「むふふ、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ~」

美也は悪戯めいた笑みを浮かべたままサンドイッチのパンに頬を預ける。

淡い栗色をした彼女の髪が体の動きに合わせて流れ、
肩に掛かっていた幾つかの束はふんわりとした溜まりとなった。


「……それで、そう、プロデューサーさん? 私、お願いがあったんです」

「お願い?」私の返事には瞬きがセットだった。視線を髪溜まりから彼女の顔へ。

「はい~。実は折角もらったこのクッションの寝心地を確かめてみたくなって……」

「寝心地というのは枕としての?」

「出来れば横になれる場所へ行きたいんです。
それから実際に眠ってみて、起きたらプロデューサーさんに感想を伝えたいんですよ~」

===

さて、こうして話は繋がった。

しかし彼女の"お願い"を聞かされた私はと言えば、たった一言「はぁ」と不明瞭な返事をした他は、
そのままたっぷり二、三分もの間見つめ合うだけで具体的な動きを見せなかった。

さらに付け加えて心情を述べるならば、そんな私をことさら急かす様子もなく、
責めるワケでも無い美也の視線に気まずさも覚え始めていた。

……どうすればめでたい祝いの席において、
それも自分が主役の会の最中に突然何処かで仮眠でも――という考えに至ってしまうのかと自問自答。


もしや私の頭は他人より数段デキが悪く、そのせいで動機の理解が追い付かないのだ!

なんて事も一瞬ばかり考えたが、これでも人並みの生活を送っている以上、
こんな馬鹿げた想像は速やかにゴミ箱へ入れるべきであろう。

またあり得る可能性の一つとして、彼女にからかわれているのかも
知れないとその顔色を窺ってみたりしたが、先程とは違って美也の口元は笑っていない。

むしろこちらに向けられた彼女の眼、その真剣さから言えば緊張しているようにも見える。


「美也」

「はい」

「その、今で無いとダメな事なのかな? それは」

結局、私が口にしたのは当たり障りの無い質問だった。

だが美也はこの捻りも何もない問いにただ頷き、
それから少しばかり真面目な調子の顔になって。


「プロデューサーさんは玩具を買ってもらった帰り、お家に着くまで遊ぶのを我慢出来ましたか~?」


瞬間、まるで雷に打たれたかのように私の体は硬直した!

今から語る事には多少の憶測も含まれるが、過去に偉大な発見をした数多の数学者達が恐らくそうであったように、
彼等も難攻不落の数式群、その突破口を見出した瞬間には同じシビレを感じ取っていたのではないだろうか?

そんな歴史的人物達と私が全く同じ体験!

……つまりこの時の私は有名な数学者と土俵を同じにする存在、
即ち教科書に名前が載ってもおかしくない程の品格を備えた人間になっていたと言ってもあながち言い過ぎではあるまい。


「プロデューサーさん?」

私は即座に立ち上がった。

「和室へ行こう、美也。より確実なクッションの使い心地を知りたいなら、
こんなソファより平坦な畳の方が良いに決まっている!」

さらに補足を付け加えるならば、この提案は数学的にも望ましい形であったハズだ。

何せ私は彼等と同じ体験を共有できた人間……根拠は無いが自信が沸き立つ!


だがしかし、まさにこれから行動を起こさんとする私と美也が扉の前に立った瞬間。

「ちょっとお兄ちゃん! 美也さんをドコに連れて行く気?」

それは我々の背後より発せられた。

若干の非難がましさに幼さと生意気さをミックスさせた声の主は、
私が後ろを振り返るより先に美也との間にその身を割り込ませ。

「美也さんは今日の主役なのに。居なくなったらパーティの格好がつかないの、常識だよ」

腕を組み、目線を上げ、少女は叱りつけるようにこちらを睨みつける。


桃子であった。

美也がやって来る以前の記憶が正しければ、
彼女は他の小学生組と一緒にパーティマジックに熱中していたと思っていたが……。


「まぁ待て桃子、どうやら誤解があるじゃないか」

などと私が言い訳しつつ辺りを見れば、一体これはどうした事か?
この場は既に主役など居なくてもそれぞれが盛り上がる無法の地へと変わっていた。

その様子をここでかいつまんで説明したとしても、

あちこちで弾む会話は当初より姦しさを増して、

美味しい料理に食事は進み、

ここぞとばかりに特技を披露する者もいれば、

騒々しさに巻き込まれぬよう一塊に集まっている面々や、

喧騒の中でも普段と変わらない様子で空気を楽しむ人間がおり、

その間をカメラを構えた撮影班が飛び回っているという人によっては胃が痛くなりそうなどんちゃん騒ぎの大賑わい。


「これは酷い」

思わず本音がこぼれ落ちた。
私はこの場を収めることを諦めると桃子に視線を戻し言った。

「……でも主役の意思の方が優先だろう。何も責任を捨てて逃げ出そうだなんて」

「桃子はそんなこと訊いてないよね? ただ美也さんとドコに行くのかって――」

すると今度は美也が口を挟み。

「だったら桃子ちゃんも一緒に行きませんか~? 目的地は……ちょっとそこの和室までです」

「和室?」桃子が怪訝そうな顔で尋ね返す。

「何で和室……お兄ちゃんと?」

「それはきっと、一緒に来れば分かりますよ~」

「――とにかく一旦部屋を出よう。これ以上増えると全てが台無しになりそうだ」


そうして、美也が桃子の手を引く形で私達三人は廊下へ出た。

等間隔で並ぶ窓から見える外の景色は一面夜で塗りたくられ、
扉から漏れ聞こえる声以外には目立つ物音も存在しない。

既にスタッフの大半も帰っている時間だ。

蛍光灯の冷たい輝きが足元のリノリウムを照らす。

歩くごとにカツコツと反響する足音の大きさに若干気分が引けるものの、
流石に三人もの人間がいればお化けもおいそれと現れまい。

……いや、まぁ、何であるか。オカルトの類など信じていないが念の為だ。


「和室なんかで何するんだろ……」

そんな心象は桃子も同じなのか、周囲を覆う静寂へ強がるようにポツリとこぼす。

が、私も美也もそれには応えず、ただ歩調だけを揃えて暫く廊下を進んで行き。


「じゃあ、二人ともここで待って」

辿り着いた和室には外より濃い闇が詰まっていた。心なしか空気も重たいように思う。

が! 勇敢な私は踏み込んだ先で手探りに明かりのスイッチを入れ。

「美也、桃子」

呼び掛けられた二人が手を繋いだまま和室へ入って来る。

この時、私は初めて自分が肩を強張らせていたことに気がついた。


……実に情けない話になるのだが、大人であってもお化けは怖い。
出来れば生きている間に関わり合いになどなりたくないと願うのが普通の人情で、

こんな私を臆病者と笑いたければ笑ってくれて構わないが、
今この時、諸君らの背後に何物もいないとはこの世の誰にも言えやまい――閑話休題。


「で? この部屋で何するって?」

桃子は部屋の中央までやって来た所で深呼吸し、

それから室内をぐるりと見回して――
最終的にその視線は、傍に立つ私を見据えたところで止められた。

しかし、である。

私が正直にここへ来ることになった経緯を説明したとしても、
その目的の突拍子の無さ故に気難し屋の桃子はいきなり機嫌を損ねかねない。

ビクビクと夜の劇場の雰囲気に怯え、
仄暗い廊下を歩いて来た直後だったらなおさら怒りは強いだろう。


ましてそのような流れにならずともだ、
肩をすくめ、溜息をつかれ、呆れた調子で

「はぁ? わけわかんないんだけど。帰る!」

なんて返された日には理不尽な敗北感を心に植え付けられるに決まっている。

そこで可及的速やかな判断を下した結果、
ここでは答える代わりに美也の方を向くという最善策を実行に移し……見事、桃子も私に従った。

その助けを求める視線を受け、我々をここまで連れて来た張本人は抱えていたクッションを畳に下ろす。


「今から少し、横になろうと思ってます」

桃子の口がポカンと開いた。

恐らくであるが私だって、この話を初めて聞いた時には
彼女と同じような表情をしていたのではないだろうか?

「寝るって、えっ? 何でここで!?」

「それはですね~、このクッションの寝心地を試すなら、畳の上の方が良いと~」

「お兄ちゃん!」

「間髪入れずに疑うなよ!」

だが実際に入れ知恵をしたのは事実である。責任ならば後で受けよう。


桃子に睨まれたままそんなことをついと考えていると、
美也はマイペースに畳に膝をつき、それからクッションの形を整えるやいなや「え~い」とその場に寝そべった。

巨大なサンドイッチが今や彼女の頭の下に。

仰向けで転がったままふむふむと、美也は両目を閉じたり開いたり。

「おぉ~……! これは中々良いふかふか……」


次いでくるりくるりと頭の位置を直す。

ベストポジションを探しているのだろう。

私は彼女の邪魔をしないよう気をつけてその場に腰を下ろした。

「桃子もそこに座ったらどうだ?」

「あ、うん」

言われてようやく気付いたのか、答えてから桃子も私同様畳に座る。

その際、彼女の視線が和室の入り口に一瞬だけ向けられて

「……わけわかんない」と言う声が続けて聞こえたような気もしたが、
そんなものは訊き返す必要も無く私の負い目が生み出した幻聴だ。


しかし桃子の件が落ち着いても、未だ美也の"検証"が残っているのである。

むしろそちらがメインイベントなのだ。

===

「それで、これからどうすればいい?」

美也が寝返りを打ってこちらを向いた。

その肩から広がるシルエットは、
足先まで続くふくよかな稜線を見事に描き、

畳の上に無防備に横たわる寝姿は、
世界的な芸術的価値の有る彫刻のモデルになりそうな程に徳が高い。

「そうですね~。今からほんの五分か十分、このまま目をつむっていたい気分でしょうか~」

私は視線を彼女の顔に戻した。

その瞳が悪戯っぽく細められる……。

「そ、そう。目覚まし代わりってワケだな、つまり」

思わず私が頭を掻くと、彼女はこちらの動揺をわざとらしく見逃すような、
どうとでも受け取れるフワフワした声音でこう続けた。


「ところで、寝る時に使うシーツか何かもあればいいんですが~……」

「シーツ?」

「……押し入れに仮眠用の布団があるんじゃないの?」

言いながら桃子が立ち上がった。

確かに彼女の言葉通り、ごく普通の菜園に続く縁側と床の間の他に、

なんと押し入れも完備されているこの部屋には

アイドル達が合宿を行う際に使用する布団のセットが置いてある。


私は桃子に続いて立ち上がると、押し入れの中から布団を一組取り出し広げだした。

起き上がって来た美也もそれを手伝う。

結局数分も経たぬうちに、我々の前には人ひとりが眠る為の寝床が手早く整えられた。


「では早速」

私と桃子が見守る中、完成した布団に美也がその身を滑り込ます。

後から伸ばされた両手にクッションを手渡すと、
彼女はそれを先程と同じく枕にしてから幸せそうな顔になった。

「美也さん、本気で眠っちゃダメだからね」

桃子の注意には~いと良い子の返事、

いざクッションの寝心地を確かめんと美也は静かに瞼を閉じる……それにしても、だ。


実を言うと、私の頭には事ここに至り一つの仮説が浮かび始めていた。

果たしてそれが何かと問われれば、私は重々こう答える


――この白い布団に挟まった彼女の姿こそサンドイッチのようではあるまいか?


眼下に寝そべるその姿、さながら幸せを呼ぶ宮尾サンドイッチ。

みゃおみゃ~サンド、みゃおサンド。

少々安直な発想とネーミングのような気もするが、
アイドル毎に種類を増やし、グッズにすれば意外に支持を集めるかもしれない。


「むふふ~、二枚のお布団のサンドイッチ。さながらみやみやサンドですな~」

みやみやサンド発売決定! と、私が小さなガッツポーズを作ったのと同時に桃子が美也に話しかけた。


「ねぇ美也さん、さっきから気になってる事があるんだけど」

「気になる事……ですか~? 桃子ちゃん」

「うん。その頭に敷いてるサンドイッチ、普通は抱き枕みたいに使うんじゃないの?」

言いながら桃子が指さすサンドイッチ。

これにはそう、何時だったか劇場へ持ち込まれていた巨大ハンバーガークッションを美也が見つけ、
「美味しそうですね…!」と見惚れていた事でプレゼントに選ばれたという私しか知らない裏話があった。

おまけに桃子の指摘通り、このサンドイッチはクッションであって枕では無い。

寝具のお供にするとしても、使い方は確かに人それぞれあるべき物であろう。


このもっともらしい指摘を受けて、美也はどうするのかと私が黙って眺めていると、
問題のサンドイッチは頭の下から腕の中へとその収まり所を変えていった。

そうして、美也が試行錯誤でゴソゴソ動く度に掛かっていた布団もジワジワはだけ、
気づけば私の眼前にはスカートの裾から覗くスラリとしなやかなおみ足が……。


しまった。

私は顔をしかめた。

だが意識する事とは裏腹に視線はそれとなく上に移って行く。
くるぶし辺りから膝にかけて、さらにはもっとその先へと――。


「むぅ~、むっ!」

その時である! 突如として視界に入り込んだサンドイッチが彼女の両足に挟み込まれ、
私は惜しげもなく晒された太腿を迂闊にも直視する破目になった。

また破廉恥で不届きな三角惣菜パン野郎に嫉妬の念を僅かに抱き、
だがそれも咳払いで取り繕うと伸ばした鼻の下を戻し。

「美也!」

これ以上堪えていられる程私の心は強くない。

情けなくもとうとう声張り上げ。


「とっ、突然何なのお兄ちゃん!?」

それに驚いた桃子が目を見開く。


「い、や……少しだけな、布団がズレて来てるぞって」

「お~なんと~! 確かに今ので布団がズレて……あっ!」

だが言ってからすぐさま後悔した。

これでは突然露わになった美也の生足、
その魅惑の脚線美に目を奪われた事をむざむざ自白してるようなものでは無いか!

……しかしあのまま何食わぬ顔で眺め続けていた方がずっと醜態レベルは上のような。

「ぷ、プロデューサーさん。そういうのは少し、照れちゃいますよ~?」

「す、すまん、待ち構えてたワケでも無いんだが……」

「……でも、えっと……私も女の子ですから~」


案の定、美也は恥ずかしそうに布団の中へ足を隠した。

あっという間に消え去ってしまう甘い太腿。
勿体ないと心の中の紳士が嘆く。

だが世の女性達は勘違いしないで頂きたい!

これは断じて私が少女の肉体に欲情しているワケでは無く、
男とはいついかなる時も一割以上の下心を持ち合わせて生きる生き物なのだ。

そうしてその下心こそが愛する者を守らんとする紳士の大切な心構え……
慈しみの原動力になっているのだと私はこの場を借りて主張したい!


「だけど美也、君の脚は恥ずかしがるのが勿体ないぐらい
美しい物だと俺は思う! どうだ? 今度の仕事はグラビアを一つ――」

「へ、変っ態!!」

ところがである。意外にもこの魂の叫びに応えたのは桃子の方であった。

美也が床に入ってからはすっかり大人しくなっていたが、

彼女はその勢いのままズィッと立ち上がると、
敵歩兵に睨みを利かせる重戦車のような迫力で布団の縁に沿って歩き。


「ド変態!」

私の前まで辿り着くやいなや、吐き捨てるように罵声を浴びせて美也との間に収まった。

その凄みの中に相手への嫌悪感を織り交ぜる表現力、力量の高さは流石天才子役と言った所。

「凄いぞ桃子、キレッキレだな!」

「バカじゃないの!? ホントに気持ち悪いんだから!」


ところが、彼女の悪態はこれで尽きなかった。

その後もセクハラである、犯罪である、そもそも普段から目つきはイヤらしい、
人間不信の源になる等々非難の集中雨あられ――って、た、確かに軽率過ぎたかもしれないが!

「口答えより先にもっと離れて!」

「しかし桃子!」

「しかしもかかしもお菓子も無いし、お兄ちゃんがずっと傍に居たら美也さんが安心して横になれないじゃない!」


だがどうにも様子がおかしく見える。普段と桃子の怒り方が違う――

私がそんな風に感じ始めたのはこの状態が延々五分と長々続き、
その身を押し入れの前まで追いやられてしまった時であった。

「……な、なぁ桃子、一体今日はどうしたんだ?」と確認の為に勇気を出して声かければ。

「ちょっ!? 近づいて良いって言ってないでしょ! この変態、ド変態、踏み台変態!」

叫び、桃子の目つきが鋭く尖る……が、何故だか迫力を感じられない。

既に言いたい悪口も尽きたのか、先程から同じような悪態ばかりを繰り返す。


第一私が知る限りの彼女と言えば、確かに普段から少しばかり口うるさい少女であるものの、
それは仕事に関するミスや手抜きを「しっかりして!」と叱咤するプロ意識の高さがさせる為。

そんな桃子が今はこんな、まるで誰かの注意を引くような――

例えるならそう、大人同士の会話に割り込んで興味を引きたい子供のように――

本気でない敵意をぶつけて来るというのはやはり変だ。


――しかし次の瞬間、桃子は私にだって思いもよらない奇襲によって悲鳴を上げた。

いや、正確には悲鳴を上げるだけの暇も与えられず、その小さな体は勢いよく布団へと倒れ込んだ。


またこうなった場合当然だが、彼女と相対していた私は事態の一部始終を目撃した。

つまり、実際に何が起こったのかと言うと。

「――その辺りでもう、やめにしましょう~?」

突然桃子を襲った犯人とは、何を隠そう彼女が守ろうとしていた美也であった。

桃子の注意が私に移った隙を突き、彼女は小さな動作で身を起こすと、
そのまま背後から桃子を抱きしめ一緒に布団へ戻ったのだ。

その証拠に抱えられた桃子の腰を見れば、しっかと回された二本の腕がある。

「えっ、ちょっ……美也さん何!?」

まだ理解の追いついていない桃子が目を白黒させながら問いただすが、
美也は戸惑う少女を抱きしめたまま、不敵な笑みをこぼして彼女と一緒に座り直す。

おまけに時間が経つにつれて、その腰に回された腕に
更なる力が加えられたのか、私の見ている前で桃子はビクリと肩をひくつかせ。


「本当に――何?」

二度目の質問には恐怖が混じっていた。

私もこれが美也の悪ふざけでも何でもない場合、
即ち万が一に備えて桃子を引き離せるよう無言で身構えていたのだが。

「桃子ちゃんは」

「えっ」

「桃子ちゃんはこうして抱きしめてみると、思っていた通りにとってもフカフカしていますな~」


……ポーンと弾けたようだった。

ずっと、そう、彼女はずっと……抵抗が緩む頃合いを待っていたのだろう。

「あったかくて、心地よくて、まるで桃子ちゃんが持ってる優しさを、丸ごと抱きしめてるようにも思えちゃいます」

美也の良く通る声が私達の耳へ届けられ、
名前を呼ばれた本人が萎縮したように動きを止める。

が、しかし、その声には怒りも悲しみも感じられない。

何より彼女は非常にゆっくりと、そしてハッキリと――私と会話をしたパーティ会場でもそうであったように――

腕の中の少女に話しかけながら片手を彼女の髪に添えて、

その手つきは繊細な細工の施された美術品を扱うように至極丁寧で、

もっと違った例えを用意すれば、
まるで母親が子供を寝かしつける時に見せるような、

そんな温かみを感じる触り方で桃子の緊張をみるみる解いて行く。


それは自分という人間がすぐ傍に居ることを解って貰いたいと願うように。

その知らせを告げる風が彼女の頬をくすぐるように。

そうしてそう、彼女は言った。

だから、と、小さく一度。

自分の腕の輪の中におさまった、
小さな少女に向けて穏やかな眼差しを注いだままでさらに一度。


「だから――その、桃子ちゃんの、優しい気持ちで守って貰えた瞬間、
私はとっても、とーっても嬉しくなったんです。

……でもそれで、私の代わりに桃子ちゃんが、イライラしたりムカムカしたり、
良くない気持ちになっちゃうのは――どんな理由があるにしても、ニコニコしたままでなんていられませんよ~……」


言って、美也が桃子の頭に頬を寄せる。

それに対し、腕の中の少女は遠慮するように身じろいだ。

だがそれは、拘束から抜け出そうとするようではまるでなく、
むしろその逆とも思える反応で――私はただただ黙っていた。

今は任せるのが正しいと思ったからだ。
ここは美也に、そして桃子の気持ちの有り様に。


そんな私が見守る中、美也は改めて桃子を抱きしめた。

長く、長く、今までで一番力強い抱擁を受けたらしい桃子が、
自分の身体に回った腕へ、おどおどとした両手をそっと添える。


「……桃子」

そうして私から遠慮がちに声を掛けられ、
ハッと向けられた表情には確かな後悔の悲しみと。

「何? お兄ちゃんはあっち向いてて……!」

収まるべきところに収まったような安心感。

自分以外の存在から用意されなければ手に入ることの無い居場所を得て、
ようやく落ち着きを取り戻した恥じらいのような物が見て取れた。


そして、だからこそ私だって彼女に伝えなくてはいけない。
この世には何を置いても形にしておくべき事柄というモノが確かに存在するのだから。


「ごめんな、寂しい思いさせて」

「……べっ、別に桃子は寂しくなんてなってないし。そもそも原因はお兄ちゃんが――!」

だが、不安げに私を一瞥した桃子へ促すように美也が応える。

「――おや~? 私なら脚の一つ二つ、少しぐらい見せても平気の平ですよ~。アイドルには水着のお仕事もありますしな~」

「なっ、ちょ、ちょっと美也さん!」

そうして桃子は立ち上がろうとしたが――今度は余り優しくないハグで座っていた場所へと戻される。


「でも、そうすると桃子ちゃんは? 今どんな気持ちでおりますかな~」

さらには美也がいつかのように問いただすと。

「も、桃子は、その……お兄ちゃんが……」

「プロデューサーさんが、何でしょうか~?」

「……い、一応は反省してるみたいだから!
そっ、それに美也さんも……その、怒ったりしてないみたいだから」


しどろもどろと耳まで真っ赤にした桃子は私からつぃっと顔を逸らし

「今回は桃子も許してあげる。……でもっ! 次は無いんだからね!」

言って、そのまま恥ずかしそうに口をつぐむ。


だが、その目線はしっかり私を捉えていた。

ならば私も彼女を見つめ返し、真剣な気持ちで応えなくてはいかん!

「はい! それでも目に余った時は、また厳しい指導をお願いします!」

そう言って差し出した手に手が添えられる。

相変わらず真っ直ぐ視線は合わせないが、
「……その言葉、しっかり覚えておくように!」なんて桃子も満更ではない様子。

そうして最後に私達の間を取り成した美也が素敵に笑い。

「ではこれで、無事に二人とも仲直りする事ができましたな~。
……いえ、前よりもーっと仲良くなれたと思いますよ~」

……またまた根拠は何なのか?

しかし、彼女につられて顔を見合わせた私と桃子は笑っている。

それに、だ。

雨降って地固まるという有名な言葉も昔からあるではないか。


「ん、まぁ、そうかもしれない……」

「……お日様も無くちゃ困るけどね」

私と桃子は順々に答え、それからどちらともなく笑顔を強くした。

美也も一緒に傍で笑っている。
私達もにこやかに笑っている。

こうしてこれ以上無いほどのハッピーエンド、
申し分のない結末に全てが丸く収まりかけたその時だった。

「ところで、たった今思いついたアイディアがあるんですが~」

美也が随分嬉しそうに両手を叩き、
その誰にでも届く確かな声で衝撃の一言を放ったのは。


「今度はもーっと仲良しさんになれたこの三人で、
クッションの寝心地を一緒に試してみませんか~?」

===

さて――誠に勝手な事ながらも、その後に続く小騒動の仔細は敢えて省かせて頂きたい。

……いや、別にやましいことは何もないが、これ以上はある種のオフトーク。
彼女達の尊厳を守るため、プロデューサーという役職的にも詳しく語る事が出来ない社外秘の扱いになるからだ。


とはいえ、ここまで付き合ってくれた諸君らが大人しく引き下がらない事も私は重々承知である。

何よりオチのボヤかされた物語程消化不良な代物も無いであろう。

だからこそ簡潔に結論だけを述べたい。

巨大サンドイッチクッションを枕代わりにするなんて事は
――特に三人が川の字で寄り添って使う場合――とてもオススメ出来ない発想だ。

何故なら端に居る人間の頭がはみ出るから。

特に女性に優しい紳士などは、むしろ自然な空気枕になって寝るに寝れない。


「――それでプロデューサーは畳の上に?」

「他にドコに寝ろって言うんですか? まさか二人の間に挟まれなんて――」

「言いませんわよそんな事は! ……ただ、まぁ、忠告させて頂くなら」

「何です?」

「そもそも貴方のような大の男は、同室でうたた寝するのも避けるべきですわね。……それとほっぺに畳の跡」

言って、相手は呆れたように私の頬へと指を出した。

その発言は実に正論中の正論と言え、

ぐうの音も出ない私はただただ己の押しの弱さを呪い、

頬に残った跡を罪人の証のように感じ、

また和室まで様子を見に来てくれたのが彼女であった事に不幸中の幸いを見出すと内心ほっと溜息をついた。


とはいえ――私が美也たちと会場を抜け出してから暫く。

彼女から話を訊いた限り、どうやら突如として主役の消えた宴も時間と共にお開きを迎え、
今となっては参加者達も三々五々の体で家路についてしまったと言う。

「まぁ、いつもの自然な流れですね」

「そう、貴方達を除いていつもの流れですわ。……ただお陰で苦労もしましたのよ?」

苦労だって? 私は思わず声をひそめた。

「まさか寝ている彼女らを起こさないよう、気を遣って部屋の人払いを?」

しかし、彼女はきょとんと小首を傾げると。


「いいえ、不思議とそういう苦労は何も。
ただ運転できる人間の都合上、あずさの車に乗ることになった気の毒な子達が何人か。

――それもこれも、貴方にわたくし専属の運転手である自覚が足りないせいですわ」

「でも自覚って……今日みたいな突然の都合だってあるんですから、わざわざ責められるようなことじゃありませんよ!」

「なら事前に一声掛けて下さいまし。わたくしだけでは電車に乗れないこともお知りでしょう?」

「それは貴女が勝手に決めた事じゃありませんか!」

「当然です、セレブは電車に乗りませんわ! の、乗り方だって知りませんもの!」

「だからそれは最初に忠告もした――やっぱり無理が出ますよこんな風に!」

「む、無理が出るだなんて……!? プロデューサー?
今更そんなこと仰っても、そもそもわたくしは貴方の言葉を信じたから――」


だが次の瞬間、私達の言い争う声で眠っている桃子が寝返りを打った。

それなりに騒がしくしていたのだ。

当然と言えば当然だが、突然の出来事に私達は同時に息をのんで――ジッと静かにしているうち、
また何事も無かったように寝息が聞こえてきた所でようやく安堵の息を吐く。


「……全く、分かりましたわプロデューサー。そこまで言うならこの話は、また時間を作ってゆっくりと」

「いえ、こっちこそつい、熱くなって。……すみません。なるべく早く都合をつけますから」

ところが、謝りながら頭を掻く俺を彼女はジトッとした目つきで見据え。

「……なら最後に老婆心ながら言いますけれど、
謝れば何でも許されると思うのは大間違い。わたくし、約束の守れない人は嫌いでしてよ?」

――随分な言われようである。

とはいえ、私に短い文句を言った事で腹の虫もおさめたのだろう。

彼女は未だに眠り続ける二人の方に視線を移し、
不意に優しい笑みを浮かべると布団の傍へとしゃがみ込んだ。


「ちょっと、どうかしたんですか?」

「シー……もう少しお静かに」

そうして起こさなくてはいけないのに、寝返りで捲れた布団を
掛け直してしまうのは彼女に染みついた育ちの良さだろうか?

今度は参ったな、といった気持ちでポリポリ頭を掻いたところ。

「……こうして寝顔が並んでいると、まるで仲のいい姉妹のようですわね」

同意を求める彼女の視線。

私は「そうですね」と小さく頷いて――だが、すぐに考えを少々改めると。

「いや、それよりはもう少し離れた関わり方、家族と親戚の間ぐらいじゃないですかね?」

「それはまた、どうしてそう思うんですの?」彼女が不思議そうに訊き返す。


「だって、その位が丁度良さそうじゃありませんか。
自分が思っていたよりも、相手の事を知ってるようで知らない位置……

だからこそ分かり合おうって努力をする。

お互いのテリトリーを譲ったり確かめ合ったりする。

……そうしてそういう事の積み重ねが、結束という大きな力に育っていくんじゃないかなって」


そうだ。その結果の一つとも言えるのが、今日二人が見せているこの寝顔――
不安なんて一欠けらも持っていないような、安心しきった表情になるのではないだろうか?

……そうしてそんな風に思った事を私が伝えると、
話を訊いた彼女はなるほどと頷く代わりに優しい笑顔でこう答えた。


「プロデューサー。今のポエムはいつもより良かったと思いますわ」

===
以上おしまい。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

2人ともかわいかった、乙です

>>1
宮尾美也(17) Vi/An
http://i.imgur.com/brsqSHM.png
http://i.imgur.com/J6osoky.png

>>12
周防桃子(11) Vi/Fa
http://i.imgur.com/PJz1M2r.jpg
http://i.imgur.com/TcDHeAk.jpg

>>45
二階堂千鶴(21) Vi/Fa
http://i.imgur.com/X7vuKaj.jpg
http://i.imgur.com/uyFzxTN.jpg

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