【デレマス】 偶像ルネッサンス (91)
○長富蓮実・安部菜々・服部瞳子 などが登場します。
○以前書いた
長富蓮実「ザ・ラストガール」
長富蓮実「ザ・ラストガール」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1544796224/)
というSSが、このお話の前日譚に当たりますのでよろしければそちらもどうぞ
(読まなくても分かるようにしています)
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1555855004
【:独占特集: IU最注目グループ『Renaissa』結成から休止まで―――メンバーが語る真相】
――――――
2018年4月、人気アイドルグループ「Renaissa(ルネッサ)」が無期限の活動休止を宣言、
所属事務所の346プロダクションが同月公式に発表した。
7年ぶりの開催となったトーナメントオーディション大会である「Idol Ultimate(アイドル・アルティメイト、以下IU)」2017年大会の決勝戦を終えてから1週間ほどの出来事で、
当時のファン・関係者を大いに騒がせたことはあまりにも記憶に新しい。
長年アイドル業界の様々なニュースを追いかけてきた筆者も、これには衝撃を受けた。
2017年4月にデビューを果たしてからの1年間、彼女たちの大躍進は凄まじいの一言であった。
IUは2010年の開催凍結前から、きわめて特殊なオーディション方式でありながらもトップアイドルへの登竜門としてその名を馳せており、
“IU2017”として当時の形式のままで再び開催されることが決まった当時の盛り上がりは予想以上で、エントリー数は大会として歴代最多の216組を記録した。
そんな激戦にもかかわらず、Renaissaはデビューしたその年にIU2017に参加した53組の中で決勝戦まで勝ち進んだたった2組のうちの1つであり
(ちなみに、今回のIUへの参加資格についてはデビューから3年以内という規約がある)、
それまでの道のりで格上のライバルたちを次々に下していった。
まさしく彗星のごとく現れた新星であった。
圧倒的な勝負強さと、大会のダークホースとしての人気を順調にかき集め、
彼女たちはこの一年で見事、トップアイドルの仲間入りを果たしたと言えよう。
そんな彼女たちはなぜ、人気絶頂のさなか活動休止を選んだのか?
休止発表から一年、筆者はRenaissaのメンバーに独占取材を試み、グループ結成から休止までの経緯やこの騒動の真相に迫った。
【「Renaissaの一番の原動力は、リーダーの存在だったんです」――安部菜々】
――安部さんは去年の7月、346プロダクション内での「シンデレラガール総選挙」において、
見事第7回のシンデレラガールに選出されたわけですが。
安部菜々(以下、安):ありがとうございます。おかげさまで。
――やはり、それにはRenaissaでの活動が影響していると思われますか?
安:そりゃぁ、もちろんあると思います。この1年、Renaissa以外の活動も多くさせていただきましたけど……
デビューからずっと所属してて、一番活動の場をいただけたのがあのユニットでしたから。
――安部さんといえば、最近は多方面で同事務所所属の方と一緒に活動されています。
佐藤心さんとのコンビユニットは記憶に新しいですね。
安:そうですね。はぁとちゃんと組むのは本当に楽しいです(笑)。
――私も非常にエネルギーを感じます(笑)。さて、話を戻しますと、IU2017でのRenaissaの大躍進があったおかげで、
安部さんの今の人気があるという認識がおありなんですよね?
安:そのとおりです。
――単刀直入に伺いますが、他のグループとRenaissaの何が違っていたのでしょうか?
安:そうですねぇ……やっぱり、最初は誰も注目していなかった新人3人だけで組まれたユニットが、
IU2017という大きな舞台で勝ち上がっていけた意外性とかももちろんあると思うんですけど……
一番は、全員のアイドルとしての「在り方」だったんじゃないかと思っています。
――在り方ですか?
安:実は……といってもお気づきでしょうけど、「ルネッサ」は「復活」を意味する「Renaissance」から来ています。
その名の通り、私たちはそれぞれが抱える「復活」への思いを全力で活動にぶつけてきました。
あるメンバーはアイドルとしての自分自身そのものの復活、
あるメンバーは自分が持っていた理想、諦めかけていた理想の復活、といったようにです。
――なるほど。
安:その中でも、とくにスケールの大きい「復活」のイメージをずっと持ち続けていた子がいました……
――そうですよね。存じ上げております。
安:彼女が目指した「復活」は、アイドルそのものでした。古き良き時代のアイドルを心から愛して、
今の時代でもう一度そのスタイルが輝けるように、って。
今考えるととんでもない話です。そんなことちょっとやそっとでできるものじゃありません。
――ですね。
安:確かにアイドルの世界全てを変えることはできなかったし、何もかもが成功に収まったわけではありません。
でも、彼女は……長富蓮実さんは、それを本気で目指していた。
リーダーだった彼女の心意気こそが、Renaissaの一番の原動力だったんじゃないかなと。
――では、Renaissaのメンバーとしてこれまで一番近くで長富さんを見てきた安部さんにお伺いします。
彼女はどんなアイドルでしたか?
安:どんなアイドル、ですか……うーん、難しい質問ですけど……
そうですね、私に言わせれば――
蓮実ちゃんは、「どんなアイドルか」という話じゃないんだと思います。
アイドルって、今でこそ色んなキャラクターがあって、
生き方があって、
ファンの方々もそれぞれ全然違ってて、
すっごく多様で面白い世界になっていますよね。
でも、元をたどれば……たった一つの形から、時代を経て少しずつ、
アイドルの在り方というものは広がっていったんだと思います。
蓮実ちゃんは、そんな中私たちなんかよりもずっと……アイドルの過去と、未来と、現在、人一倍向き合って、
一番勇気の要る道を進んでいったんじゃないかなぁ。
ハッキリ言いますと、彼女を「どんなアイドルか」と表すことはきっとできないんです。
だから、彼女について私からいえることはこれだけ。
「彼女がアイドルなんです」
──────
“あの頃の清純派はもう死んだ?”
“いや、まだだね。 何でって……”
“まだ君がいる”
“君自身が憧れ目指す古き良き清純派アイドルの、最後の一人として――”
“君を、現代で頂点へ引っ張ってやる”
“みんなに見せてやろうぜ”
“清純派の復活ってやつをさ”
*
その昔、
アイドルとは孤高であり、
不可侵であり、
届かぬ憧れであった。
昭和50年代、それは大衆メディアが大発達を遂げた絶頂の時代であり、その波に乗るようにアイドル文化も隆盛を誇った。
「清純派」と呼ばれる当時の伝説たちは、人類の長い歴史から見ればまだまだ始まったばかりの大衆アイドルという世界の中で、
初めてスタンダードを確立した一種の完成形となった。
彼女たちは日本中がTVを通じて見守る中、大きなステージの真ん中で、真っ暗な空間の中たった一人スポットライトを浴び、
時に静かに時に優しく、一曲を歌い上げる。
後奏が鳴り止んだ瞬間、一斉に沸き上がる歓声を一身に浴び、次の日には日本中がその瞬間について語り合い、讃えた。
彼女たちの一挙手一投足を真似するいたいけな少女も、友人の手前ファンだと大っぴらに言えない恥ずかしがりな青年も、
自室に埋め尽くされたポスターに囲まれながら擦り切れるまでレコードを聞き入る大人も、
ただ娘や孫を見守るように静かに静かに応援している老人も、
みな一様に、アイドルを愛していた。
アイドルはその特殊な世界でもって、見事に世間を魅了していた。
だが、時代は変わった。
現代の人々にとって、アイドルとは百人いれば百通り存在する。
個々の知名度の差こそあれ、それがアイドルとしての全てではなくなった。
個性を重視し、オリジナリティを売りにして「狭く深く」独自の方向性で人気を得ていくようになった。
人々はそれぞれが信じる対象を崇拝し、支え、成功をともに喜び、失敗を悔やみ、進退に一喜一憂する。
それはアイドルへの人々の目が変わり、万人に人気を得ることが難しくなったから。
そしてTVからインターネットへとメディアの主流が移り変わり、「狭く深く」の戦略で生き残れる世界に変化したから。
そうして平成のアイドルはひっそりと栄えていった。
そこにはかつてほどの影響力こそないものの、みなそれに納得していた。
偶像は多様化の道を選んだのだ。
アイドルは孤高ではなく、
より近しい存在になり、
憧れは親愛に変わった。
万人にとってのアイドルはこの時代には存在しない。
こうして、かつて世を賑わせた「清純派」はすっかり鳴りを潜めることとなった。
さらに時代が移り変わろうとしている平成の末期、
一度は絶滅したかに見えた「清純派」の、最後の一人が現れるそのときまでは。
(今日ここまで)
──────
2017年・3月
──────
春の346プロダクション。
アイドル部門はこの日、また新たな一員を迎える。
「受付から連絡来ました。今エレベーターに乗ってると」
「わかった」
“アイドル”という長く短い歴史の中で、既に見捨てられつつある一つの生き様。
この時代にたった一人しかいないであろう逸材は、その生き様に自らの使命を見いだし、逆風吹き荒ぶこと覚悟の上、この道を選んだという。
その道を照らすのは、『復活』という一つの希望。
時代の埃を被った夢を愛する者たちにとっての一つの希望。
「もうすぐ来ますよ」
「……うし。時間通り」
事務室へと続く、短く長い廊下を一歩一歩、かすかに震える足取りで進むその少女は、
大きな花柄をあしらった真っ白なワンピースに、太めのベルトのアクセント。
ワンピースとお揃いのカチューシャで、ふわりと巻いたミディアムヘアを飾っていた。
時代錯誤と言っても差し支えないそのファッションが、彼女の人となりを一目で表しているようにも見える。
「ここかな……?」
今か今かと室内で待ち構える二人を焦らし始めてほどなく、控えめなノック音を二回響かせたのち、
「……どうぞ、お入りください!」
「し、失礼します……」
少女はおそるおそる扉を開いていった。
「こんにちは、初めまして。 ようこそ346プロへ――」
「長富蓮実さん」
「は、はじめまして」
蓮実は一礼をして、促されたまま用意されていた席に着いた。
「おう、よく来てくれたね」
「あ、プロデューサーさん……あの、この間はありがとうございました!」
「なんのなんの」
プロデューサーと呼ばれたこの男が、オーディション会場で結果を出せずうなだれる蓮実を見つけ、
その場で彼女をスカウトしたのはほんの一週間前の出来事である。
対面の席に座り、目の前で緊張の面持ちを隠せない少女と裏腹に、ずいぶん落ち着いた様子で彼女を迎え入れた。
「それにしても、プロデューサーさん自らスカウトなんて珍しいですね。普段はあまりそういうことされないのに」
「そんなことないよ。スカウトはするさ、欲しい子がいれば」
「……いえ、私をスカウトして下さって、本当にありがとうございます。これだけは、改めてきちんとお礼を言っておきたかったんです」
改めて深く頭を下げる蓮実。
「……そ。 どういたしまして」
プロデューサーは素っ気なく返事をするが、その表情はにこやかさを含んでいる。
「あっ、申し遅れました。 私、346プロダクションの事務を担当しております千川ちひろです。よろしくお願いしますね」
「千川さん……はい、よろしくお願いします」
「私はプロデューサーさんみたいに直接蓮実ちゃんのお世話をさせていただくわけではないですけど、
これからのアイドル活動のサポートを全力で行いますからね」
珍しいライトグリーンのスーツに身を包んだ若い女性が右手を差し出すのを見て、蓮実は安心したように握手に応じた。
同時に、『アイドル活動』という言葉を一事務員とはいえ業界に身を置く人間から直接耳にした事実に、蓮実の背筋はピンと張る。
「まあまあ、そんな堅くならずにさ。 んじゃま、早速だけど……ちょっと軽くミーティングでもしよっか」
一方でプロデューサーは終始リラックスした──というより、少々気の抜けたような──様子を崩さずにいた。こちらは蓮実にとって意外だった。
スカウトを受けた日のこの人の言葉、瞳の奥に感じた熱――もっと厳格で、力強くて、頼もしい――そんなイメージを抱いていたのだが。
「えっ……プロデューサーさん、今からですか?」
「まだ何にも決まってないからね、アイドル長富蓮実の今後については。 この後時間ある?」
「あ、はい……私は大丈夫です」
確かにせっかく所属の決まった芸能事務所に初めてやって来たのに、ものの10分で帰らされるのもなんだかおさまらない。
突然の提案だったが、半ば流されるままに承諾した。
「そりゃよかった。 せっかく来てもらったんだ、挨拶だけして帰すのは失礼ってもんだよ」
*
「……趣味は古着屋巡りに、ボウリング……? マイボールまで持ってるんですね! すごい!」
「いえ、たしなむ程度ですので……」
履歴書に目を通しながらちひろが賞賛の声を上げ、蓮実はただ恥ずかしげに相づちを打っていた。
「またまた、謙遜しちゃって。ベストスコアは?」
「うーんと……確か、200を超えたことくらいは……」
「へぇ~、すごい。そりゃ男でもなかなかいないよ…… ちひろちゃんはボウリングやったことある?」
プロデューサーの質問にも、遠慮がちに答えていく。
「まぁ……やったことくらいはありますが、100もいかないですよ?」
「だろうねぇ~、華奢っぽいしね」
「そうですか…………って、」
途中まで一緒になって話し込んでいたちひろが、ここでようやく異変に気づいた。
「プロデューサーさん、これはただのお喋りでは……?」
「ん?」
キョトン、と音の出そうなプロデューサーののんきな表情とは反対に、ちひろの眉間に小さく皺が寄っていく。
確かに実のある話はまだ何一つできていなかったなと、蓮実もよそ事のようにぼんやり思っていた。
「いや、だって、ミーティングって言いましたよね?」
「コミュニケーションは大事だろ。 堅い話ばっかりじゃ疲れるし、なあ?」
まぁ、そうですね――と一応肯定しておく。
本心ではこれからについてのまじめなお話でも、こうやって気楽に談笑して事務所の空気に慣れておくのも、蓮実にとってはどちらでも良い。
「私は、まだここで何をして良いかも全く分からないので……プロデューサーさんにお任せします」
「だって」
「信頼されてるんですから、ちょっとはしっかりして下さいよ?」
「……むー」
まるで子供のように、小さくふくれっ面をしてみせるプロデューサーが少し可笑しくて、ふふと笑みをこぼした。
「……まあ、このへんでいっか。 じゃあ本題に入るけど」
「……は、はい!」
と思ったら途端に真剣な口調に戻り、困惑しつつも姿勢を改めて正す。唾を飲み込み、拳を握り直して蓮実はプロデューサーの鼻先のあたりを見つめた。
「まず最初にね、ここには全部でだいたい……180人くらいの女の子がいて」
「180。 そ、そんなにですか……」
「まぁ、そんだけいりゃここに来た理由も色々だ。 街中でスカウトされて~とか、元々別の場所でアナウンサーとかモデルとかやってて、
第二のステップとしてやってくるのとか。 色々いて面白いよ……もちろん、正当にオーディションを受けてやって来たのも」
曲がりなりにも地元にいたときから名前くらいは知っていたので、大きな事務所とは分かっていたが……予想外の数字にくらりとする。
「そりゃもう、みんな個性的な奴らばっかりだぜ」
「……はい」
「プロデューサーさん、いったい何が言いたいんです?」
彼の問いたいことは蓮実にはなんとなく察しがついた。
今やアイドルとは個性の時代だ。業界全体だけでなく同じ事務所内であってもこれだけの競争相手がいる中で、
自分を売り出すにはどうすれば良いか考えろ、ということなのかも知れない。
――自分は、古くさくありきたりで不器用な人間だから。
「君がここに来た理由……アイドルになりたい理由、どんなアイドルになりたいか、それは初めて会ったときに聞いた」
「……はい」
「もう一度、改めて話をしようと思うんだけど。 『清純派アイドルの復活』って一口に言っても、色んな形があるわけだ」
プロデューサーはほんの少し軽い先ほどまでの口調をあくまで保ったまま、飄々と続けた。
「長富はアイドルになって、その後どうしたい?」
彼の質問はすぐさま答えるには少し難しい。
蓮実はアイドルになったばかりの――否、これからなろうとすることが決まっただけの卵。
普通ならば、こうしてデビュー前のアイドル候補生に対してこんな問いを投げても、その場できっぱり言い切れるのは稀かも知れない。
「私は……」
その問いに対する答えを一つだけ持っているということを、プロデューサーが見越しているかどうかはともかく。
頭の中でゆっくりと言葉を整えながら、蓮実は少しずつ語った。
「私は、自分のように遠い昔の清純派を好きで、本気で憧れているような、私みたいなアイドルは他にいないと思っています。
今時受けは悪いとしても、それが自分の最大の強みです」
「だから、私に求められているのは――きっと、同じように清純派を愛する人たちへのメッセージになること。
かつてのアイドルのスピリットを現代に伝える、『最後の清純派』として一花咲かせることだと思います。
……そして願わくば私は、清純派を次の時代へ伝えたいと、そう思っています」
少々気取った答えになってしまったかも知れない。
心配をよそに、プロデューサーはうんうんと頷き――そして、重ねて尋ねた。
「清純派アイドルになって、トップを目指そうって思ったことはない?」
「と、トップですか?」
「そ」
そういえばスカウトの日も同じようなことを言われた気がすると、ほんの一週間前のことを思い出してみる。
あのときは続けざまに名刺を差し出されて、そんなことを考える余裕すらなかった。
「それは…………」
蓮実は答えづらそうに口を歪ませて、少し間をあけて、ようやく一言だけ口にした。
「……まだ、分かりません」
「分からない、ね」
一転してネガティブな返答をしてしまったことをとっさに後悔した。
新人らしく、「もちろん、目指すは天国へ一番近い場所……天使のステップで、上って見せます」と洒落た台詞でも並べた方が良かっただろうか?
もちろんそれは蓮実にとって一つの夢であることに変わりはないが、どうもこの男には、虚勢がすぐにばれそうな気がした。
「……OK。それが今の長富の答えってワケだ」
「……ダメだったでしょうか」
「うんにゃ、そんなことないよ。 まだまだ腹割って話しにくいところもあるだろうしな。 ありがとう」
初めての話し合いで印象を悪くしてしまったかもという不安がほんの少し残る蓮実に対して、プロデューサーは何事も無かったかのように続けた。
「んじゃ、まずは他の新人と同様、基本的なレッスンで現時点でのスキルを測る。
後は取引先に軽く挨拶回りして、そんで一通りの基礎トレが終わったら、
ウチと提携してるライブハウスのうちの一つで早速ステージに立って一曲披露してもらう――まあ、今から2週間後ってとこかな」
「そ、そうなんですか?」
――たった2週間でステージデビュー?
蓮実の心臓が一気に高鳴る。
「346の新人はだいたいこの流れでアイドルとしての第一歩を踏むってワケ。 いち早く実践の場に立たせてくれるなんて、なかなか良心的だと思わないか?」
「そ、それは……そうかもしれませんが」
「ま、慌てなくてもいいんだ。 レッスンを進めるのと並行でその初ステージの内容についてもしっかり話し合って、どういうことをやりたいか――
長富の希望も聞いて、できる限り実現する」
“自分の希望”というフレーズがどこまでを指すのか確実には汲みかねる。そのままプロデューサーの次の言葉を待った。
「最初だからな、歌詞忘れたりとか多少の失敗はみんな目をつぶってくれるさ。
それよりも、自分のイメージしたとおりの事がステージで実際にできるのかどうか。
そんでもって観客からどういう反応をもらうのか……そういう、いままで想像でしかなかったアイドル活動と実際とのギャップを埋めるのが目的」
「……ちょっと、難しいお話ですね」
イメージしたとおりのステージ――そう聞くと、蓮実がかつて数え切れないほど想像してきた伝説たちのきらめく光景が瞳の奥によみがえる。
当然、今の自分はあれほどの喝采を浴びるには足りないけれど、先へ進むにはやるしかない。
どのみちその最初のステージがどういう結果に転ぼうと、「ちょっと待って」とプレイバックなどできやしない。
「でも…………分かりました。 蓮実、頑張ります!」
「よしきた」
今日初めての力強い返事に、プロデューサーもニヤリと笑ってみせた。
「んじゃ、週明けから早速始めようか」
*
「……うん。 発声はまだまだ練習しないとだけど、音程はきっちりとれてますね」
「本当ですか? ありがとうございます♪」
初めてのレッスンがボイストレーニングだと知り、蓮実は嬉しくてたまらなかった。
大好きな歌。ダンスも自信はないしえくぼもできないけれど、こればかりはいつだって欠かさずずっと続けていた大事なものだ。
プロとしての第一歩を歌で飾れるというだけで、何だか上手くいっているような気がして、浮かれたようにレッスン室の扉を叩いた。
トレーナーの女性も親身に練習を見てくれて心強い。
30分ほど続けた後、一旦休憩を取ってしばし世間話。
「歌の練習、ずっとしてたの?」
「練習と言いますか……ずっと好きで歌ってた曲が、いくつもありましたから」
蓮実の趣味についてはトレーナーもあらかじめある程度知ってくれているようだ。
聞き上手なばっかりに話を際限なく広げるのをこらえながら、蓮実は昔からの想い出について色々と語ってみた。
母親が子守歌代わりに聴かせてくれたレコードのこと、ぬいぐるみを並べてコンサートごっこをして遊んでいた幼い頃のこと。
……数分後、やはりというか結局夢中になってしばらく話し込んだところでハッと我に返る。
「すみません、私語り出すと止まらなくて、つい……」
「いいのいいの。 ……そうだ、今回の課題曲とは違うけど、なにか歌ってみてくれない?」
意外な提案だったが、とくに断る理由もない。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
せっかく歌ってみてと言われたのだから、思い切りやらせてもらおう。
幸いこれは今までみたいなオーディションでもない。この人なら笑わずに聴いてくれるはず。
「では……蓮実、歌います!」
コホンを咳払いをして、最初に思い浮かんだ一曲の、イントロの構えに入る。
――フレッシュ・フレッシュ・フレッシュな感じで!
トレーナーがじっと見る中、蓮実はつま先で1、2、3、4とリズムを打ってから飛び跳ねるように歌い出した。
*
大サビまで歌い終わり、腕の最後の一振りを終えたところでトレーナーは少しの間唖然と口を開け、そして思い出したかのように拍手をし始めた。
「すごい……振り付けまでバッチリ」
「あ、ありがとうございます……」
「素直に驚いた。 すっごく良かった!」
蓮実はホッとした表情でよかった、と一言だけ漏らした。
「今の、ずっと昔のCMソング? どこかで聴いたことあるかも……」
「ご存じでしたか? 洗剤の……」
「だよね、詳しくは知らないけど。 でも、とにかくその歌が大好きだっていうのが伝わってきたわ。 とっても良かった」
「そうですか? なら、良かったです」
どうやら好評だったようで一安心といった心持ち。 少なくとも自分の好みの歌をポジティブに評価してくれる人が、
プロデューサー以外にも居てくれたことだけで口元が思わず綻んでくる。
トレーナーはうんうん、と頷いた後、少し考え込んでいた。
「……初ステージ、本当は最初にやったのが課題曲でもあるんだけれど……カバーなんてのも良さそうね」
「えっ、本当ですか?」
思わぬ言葉。蓮実の驚きと同時に、こもったノック音がレッスン室に響く。
数拍おいて扉を開け姿を見せたのはプロデューサーだった。
「調子どう?」
「あっ、プロデューサーさん。 お疲れさまです」
トレーナーが向き直って一礼した。
蓮実も合わせて「お疲れさまです」と挨拶をしてみる。
なんとなく業界人っぽさを感じ取って、浮かべてしまった照れ笑いを隠すように口先をキュッと締めた。
「初日にしては調子抜群、って感じですね。 さっきも、長富さんのお気に入りの歌を披露してもらっていたところです」
「そうなの?」
「はい♪ ステージの曲、それのカバーでも良いんじゃないかって言っていただけました!」
「へぇ……」
はしゃぐように報告する蓮実と満足げなトレーナーをそれぞれ一瞥した後、だったら、とプロデューサーが切り返した。
「ステージ曲、それで行く?」
「……本当にいいんですか? 課題曲があったんですよね?」
「まあ、そうだけど……なぁ?」
トレーナーも「いいんじゃないでしょうか」と、どうやら乗り気のようだ。全くの冗談で言ったわけでもないらしい。
「普段ならあまり曲目の変更はしないんですが――他の新人の子たちは、曲にこだわりがない子も多いので――
長富さんが希望するなら、そういうのもアリだと思います」
「だってさ。 どうする?」
「えっ、本当に……?」
トントン拍子に話が進みすぎて、かえって困惑すら覚える蓮実の返事をプロデューサーとトレーナーが待つ。
二人の顔を交互に見つめた後、おそるおそる尋ねてみた。
「……本当に、私今の歌でアイドルとしてステージに立っても良いって事ですか?」
「本人の希望も聞いた上でステージをやるって言ったろ」
蓮実の表情が一際パッと咲く。
「じゃあ……やってみたいです……!」
「OK。 じゃ、それでいきましょう」
「わぁ……っ」
思わずはしゃぎ出しそうになるのをぐっとこらえ、精一杯の我慢の末に小さくガッツポーズを取った。
「いいんだけど、残りのレッスンのメニューは同じようにこなしてもらうぞ」
「はい、もちろんです♪」
とっても幸先のよいスタート。青い風が背中を押してくれている。そんな気がする。
次のレッスンに移る前に一回だけ、軽々しくステップを踏んでから、くるりとターンしてちょっとした喜びを表現してみた。
*
翌日、レッスンは中休みということでラジオ局へのご挨拶をプロデューサーの付き添いで行うこととなった。
「よっ、久しぶり」
「おー、ずいぶん長い間顔を出さないと思ったら」
プロデューサーは、軽い様子でスタッフらしき人物と言葉を交わしている。
「今日はどうしたの」
「うんにゃ、また新人を担当することになったから挨拶回り」
「そうかい。あんたそういうの肌に合わないんじゃなかったのか?」
中年で小太りの、どうやらお偉方のようにも見えるスタッフの男がガハハと笑い声を上げた。
「まあホントのとこはねぇ。 でもそこはきっちりやるさ、仕事だから」
「せっかくなんだし、もっと顔出しに来いよ。 ……で、新人さんって?」
「ん、紹介するわ」
そう言って後ろを向いたプロデューサーに手招きされ、おずおずと前へ出る。
「お、おはようございます! 長富蓮実、16歳です」
「うん、すごいべっぴんさんだねぇ。 蓮実ちゃんっていうの? 初めまして」
「は、はい……」
「そんな緊張しなくてもいいよ、ガハハ。 ……んーせっかくだし、もっと蓮実ちゃんらしい何かを見てみたいなぁ」
「私らしい……ですか?」
「うんうん、 なにか特技みたいなのないの?」
「特技……といいますか……」
どうしようか一瞬迷ったものの、ここは自分を知ってもらうチャンス。頑張って自分を売り込まなければ次のチャンスも巡ってこない。
そういう世界なんだろう。蓮実は意を決した。
「長富、なんかある?」
「で、では……一度やってみたかった、ご挨拶を」
ゴホンと小さく咳払いをしてから、ぴょんと軽く跳ねて、楽しそうにもう一度ご挨拶――
「レッツゴーアイドル! なんて♪ もぎたてのフレッシュさで、蓮実、これから頑張ります♪」
――自分らしさ全開で。
「へぇ」
「……おおぅ……これはまた……」
プロデューサーは特に変わった反応は見せなかったものの、男のほうは目を丸くしてしばらく蓮実を見つめた後、
「……ガハハ! 君、面白いねぇ!」
「……へ?」
一際大きな声で笑い出した。
「いやぁ。346さんまた“濃ゆい”子を連れてきたんだねぇ! 尖ったキャラしてるわ!」
「“濃ゆい”、尖った……そう見える?」
プロデューサーは質問とも言えない口調で一言だけ放った。
「うんうん、上手いよ。 ちゃんと大昔のアイドルっぽくてバッチリじゃない!」
「えっと……ちゃんと、ぽくて、というのは……」
「いやぁ、346さんたまーにすっごく変わった子連れてくるからさ、次も楽しみにしてたんだけど……うんうん、悪くないね」
――これは失敗だったかな。
蓮実はばつの悪そうに下を向いて黙った。
「ただ――その路線だけじゃちょっとインパクト弱いかなぁ」
「別にインパクトは関係ないんだがな」
「まあとにかく、機会があればその子も出てもらうかもしれないし、今後ともよろしく頼むな!」
「……あいよ」
「悪いけどこの後収録押してるから、今日はこの辺で。 またいつでも来てくれよ!」
「はいはーい」
お偉方の男はそれだけ言って向こうへ歩いて行き、廊下の突き当たりの曲がり角で姿を消した。
「346さん、ああやってたまにぶっ飛んだことしてくれるからホント面白いよ……ハハ…………」
ただ、角の向こうへ消えたお偉方の一際大きな話し声は、しばらくこちらへ筒抜けに届いていた。
プロデューサーにもその会話が聞こえていたらしく、大げさに鼻息を漏らしてからスタスタとその場を去って行くのを見て、蓮実も慌ててついていく。
――自分は、ぶっ飛んだアイドルに見られたのだろうか。
心には靄が渦巻いている。
*
「ありゃ何も理解してないな」
局の正面玄関を出て外の空気を大きく吸い込む。もうすぐ4月だが、今日はまだまだ肌寒い。
蓮実に話しかけたのかどうか分からない程度に、プロデューサーがボソリとつぶやいた。
そのまま数歩歩いてから、頬を控えめにポリポリと掻いている蓮実の顔をプロデューサーが覗き込む。
「気を悪くしたならすまない。 あれで悪い奴らじゃないんだけど」
「いえ、 アイドルになる前も――もっとも私はまだ卵ですが――オーディションなんかで、あんな感じでよく思われないことはしょっちゅうでした。
今更この程度で折れません」
「……そうかい」
今度は前を向いて、蓮実は続けた。
「それにアイドルはやはり、ステージでこそ輝くもの……こうやって業界の方にご挨拶に伺うのも芸能界らしくって新鮮ですが、
やっぱり私は今はライブのことを一生懸命考えたいんです」
「うん、それがいい」
話しながらふと、さっきの男の笑い声が頭に響き渡る。
思い出してもモヤモヤした気持ちしか残らないから、と無理矢理追い払った。
「私の憧れのアイドル像を、ようやく皆さんの前で表現できるチャンスだと思ってます。
数々のアイドルたちが通った階段を、ようやく私も登り始めたんだと思うと――これくらい、へっちゃらです」
「なら、しばらくは思うように動いてみな」
“思うように”というのが、めげずに今日のような自分なりのアピールを貫いていいということだとすれば、
「俺も長富のやりたいようにやらせてみたい」
「……頑張ります」
少なくともプロデューサーは私を信じてくれている。だったらたった一度の失敗などどうってことない。
自分自身に言い聞かせて、蓮実は次のレッスンの予定へと話題を移した。
*
レッスンは数日では足りない。 袖で待機している間、何度そう思ったか。
歌にはそこそこ自信があるものの、プロとして求められるレベルにはまだ遠いらしい。
最近の歌の振り付けは苦手だ。 自分には激しすぎる。
ビジュアルアピールとは? 何をすれば成功なのか?
往年の歌一色で育ってきた蓮実に対し、時にアイドルとしての課題は予想外の方向から突きつけられる。
ただ、トレーナーとプロデューサーが「今回のステージで」蓮実に求めている者はそこまでハードルの高いものではないらしい。
いったんは安堵したものの、不安は常に残る。
「営業」と呼ばれるものも、あれから何度か経験した。
やはりというか、どこへ行っても反応は大きく変わり映えしなかった。
“へ、へぇ~……往年のアイドル風か、まあいいんじゃない?”
“……うん、今時、そういうのもアリっちゃアリだね”
気を遣って否定こそしないものの、その表情には苦し紛れの笑顔が貼り付いていた。
やはり、受けはそれほど良くはないのだろう。
だがこれしきでへこたれては居られない。
ようやくアイドルになれたのだから、今更後には引けない。
ようやく、ようやく本当のアイドルとして第一歩を踏み出せるのだ。
憧れの清純派アイドルとしての第一歩。
この初ステージ、必ず成功させて、夢への階段を――
「……緊張してるのか?」
声をかけられて我に返った。
「いえ、少し考え事を」
「そっか」
一つ前の出番をこなしている別のアイドルは、どうやらそこそこに人気を得ているのか、ワアーという歓声が裏手まで響いてくる。
「おっ、近いところギリギリまで行くもんだなぁ」
そのアイドルは観客とハイタッチを交わさん勢いで舞台から身を乗り出し、腕を伸ばして手を振っていた。
「……今のアイドルは、やっぱりああいう風に、ファンの皆さんと距離が近くないといけないんでしょうか?」
おそるおそる尋ねてみる。
「うーん、そんなことないんじゃない? そりゃ、イマドキって感じはするけどさ」
「……だけど、それが流行ってものですよね?」
「まあな」
「だったら、私もそんなスタイルを見習っていくのがきっと正しいんでしょうね」
歓声にかき消されたものの、プロデューサーの口の動きから「かもね」とだけ読み取れた。
「……でも、ダメなんです。 理屈や時代の流れを考えれば答えは決まっているのに、
私は昔ながらの清純派アイドルへの憧れを捨てられないんです……私ってば、頑固で意地っ張りですよね」
「――思うんだけど」
自分の言葉を遮ったプロデューサーにドキリとして、少し黙る。
「ああやってファンとの距離が近すぎるとさ…………マイクに声入んないのかな?」
「へ?」
虚を突かれる、とはまさにこのこと。
「うん、だから、観客の声がさ。 入っちゃわないかと思って」
「声ですか?」
「したら自分の歌拾ってもらえなくなるかもだよなぁ」
「……さ、さぁ、どうでしょう……」
流れを完全に無視した独り言にとっさに反応してみるも、さすがに戸惑いは隠せない。
「だからさ、あそこまではしなくていいと思うんだよ」
「…………」
後奏が終わって、さらに大きな歓声と拍手がこちらまで届いた。
「……長富、一つだけ確認な」
「何でしょう?」
わけも分からず、身体がいっそう脈打つのを首筋あたりで感じ取りつつじっと待っていると、
「今日の結果がどう転んでも、清純派アイドル、続けるか?」
プロデューサーから、やけに意味深な一言が放たれた。
「それって、どういう――」
聞き返せないうちに、今度は司会のアナウンス。
『いやー、ライブは盛り上がるばかりですね! それでは、次のアイドルに登場してもらいましょう! どうぞ!!』
「……気にせずやりたいことをやれ、ってことだよ」
「……は、はい!」
「長富蓮実を見せつけてやれ」
ポンと背中を叩かれた。妙な疑問は全て吹き飛んで、キュッと意識を集中させると視界が少し狭くなる気がした。
目に入ってくるのはステージのど真ん中、指定された自分の立ち位置。ここから10mほどの距離だ。
「行ってきます!」
飛び出すように走り出して、スポットライトの下へ躍り出た。
専用にあつらえてもらった今日のための衣装――
ショッキングピンクの袖口とラインが映える黄色のジャケットに、フリルのついたスカート。カチューシャは大きなリボンが一つ。
何度も何度もイメトレを重ねた最初の挨拶の台詞を、観客席のむこうへ元気よく放り出した。
「みなさん、初めまして! もぎたてフレッシュ、長富蓮実。 16歳です!」
――あ、ステージって、こんなに明るいんだ。
心はガチガチに緊張している。だけど頭は以外と冷静で、
薄暗くて観客がよく見えないなぁとか、あ、みんなサイリウム持ってくれてるとか、そういうとりとめのないことがよぎる。
それでも、練習していたとおりのスピーチはスラスラ口から出てきた。
「まだまだ初恋も知らない私ですが……バッチグーでノっちゃってくださいね!」
まだ分からない。 みんなの反応はどうなのか?
観察する余裕もなく今度はイントロが始まる。
先ほどの別のアイドルとは打って変わった、ポップでレトロなサウンドが耳に入ってくる。
蓮実にとっては何千回も聴き込んできた、身体の一部とも言っていい一曲。
歌い出しの息を吸い込んだとき、照明のまぶしさに慣れてきたのかようやく一人一人の表情が何となく分かってきた。
「「「…………?」」」
――うーん、やっぱりあんまりかも。
冷静さを保てるのが不思議だな、と蓮実はぼんやり考えていた。
それでもステージは刻々と続いていく。
歌自体はバッチリの出来。
ダンスも、この曲に関しては身体が覚えているから何の問題もない。
時には目を合わせて笑顔を配るのも忘れずに。
今日のステージでやりたかったことは全部叶った。
――叶ったけど。
*
曲が終わって、大きくお辞儀をして、少し間を置いてパラパラと、それからだんだんと大きくなっていく拍手を背に、蓮実はステージを後にする。
最終的には拍手も歓声もそれなりに頂けたし、初舞台としては及第点じゃないかな、と自分の中でぼんやりと考えていた。
控え室へ戻って着替えを済ませ、プロデューサーを探そうと薄暗いライブハウスの廊下をウロウロ歩いていると、
角を曲がったところでプロデューサーらしい人影を見つけた。
「あの、どうでした…………」
向こうがこちらに気づく前に、反対側からやって来たスタッフの男がプロデューサーに話しかけた。
プロデューサーの意識もそちらに持って行かれてしまったようだ。
「あー、ちょっとごめんね346サン」
「ん? どしたの」
反射的にその場に立ち止まり、
「いやさ、今日来てくれた子……長富さん? だっけ?」
数歩下がって、曲がり角の壁に手をかけ、
「……申し訳ないんだけど、次回からはああいうのはちょっと……」
スッと壁の向こうに身を隠す。
ひんやりした壁を背中に受けながら、足先から膝までどっぷりと、鉛のような鈍さを感じた気がした。
「一応、長富は真剣だったんだけどな」
「え、そうなの? てっきりネタでやってるのかと……」
「……そっか。 分かんなかったか」
プロデューサーの声色が、何だか低まったように聞こえる。
「それ以外で理由あるなら、聞いといてもいい?」
「あ、いや、そういう事なら別にその……悪くはなかったんだけどさ、今回のステージコンセプトとはやっぱりだいぶ違ってて……
うちは、最新で斬新なアイドルちゃんを求めてるんだよね」
「…………最新で斬新、ね」
「そりゃ、ああいう懐かし路線の子がいても良いとは思うけど。 ……新人さん連れてきてくれるのはありがたいんだけど、
346さんたくさん女の子いるんだからさ、もう少し人選は考えてほしかったなぁ」
「そうかい」
プロデューサーは気怠そうな声で返していく。
「ま、上に伝えとくわ」
「悪いね! 346さんには普段からお世話になってるからこそ、なんだよ」
「分かった、分かった」
「んなワケで、その、またよろしくお願いしますね! あはは……」
「はいよー」
スタッフが立ち去ったあと、プロデューサーは――深く息を吸い込んで、ため息のように大きく吐き出し、振り返ってカツカツと歩き出した。
すぐ手前に潜んでいた蓮実が慌てて退がろうとしても既に遅く、
「うおっ……」
「!」
隠れていた曲がり角にさしかかった彼は、すぐさま蓮実の影に気がついた。
「……聞いてたのか?」
「…………はい」
「立ち聞きたぁ感心しないな」
すみません、と蓮実は声にもならない謝罪をひっそりと吐き出した。
「まあ、ここの方針とは合わなかったんだよ。 そういう事は誰にだってある」
「……そうですか」
「帰るぞ」
足早に過ぎ去るプロデューサーを、蓮実は黙って追いかけるしかできなかった。
*
二人して無言で現場を後にする中、蓮実の表情はいっそう暗かった。
オーディションでも馬鹿にされ、苦難の中ようやく憧れの清純派としてアイドルになれたと思ったのに、待ち受けていたのはさらなる苦難。
茨の道になることも承知の上だったはずなのに、いざこうやって現実と対面するとどうにも昔からの迷いがまた浮かび上がってくる。
“最新で斬新なアイドルちゃんを求めてるんだよね”
それはつまり、やはり、自分のようなアイドルは古くさくて必要とされていないという事なのだろうか?
何度も何度も悩み続けた不安の種が、また新たに黒い芽を吹きそうになるのを奥底で感じ取りながら。
もう何十分、無言のまま並んで気もそぞろに帰り道を辿っただろうかというタイミングで、
気紛れに切り崩そうと思っていたその沈黙をプロデューサーが先に破った。
「すまないな。 長富」
その一言をゆっくり飲み込んでから、意味するところを自分なりに考えて、つぎはぎに言葉を返していく。
「……プロデューサーさんのせいじゃありません。 やはりこの時代、私のようなアイドルは受け入れられにくい。 これはしょうがないことなんでしょう……」
足下のみを見つめていても、プロデューサーの視線がこちらへ向くのが何となく感じられた。
「謝らないで下さい。 私が憧れに固執しすぎなのが悪いんです。 ただ私は、それも覚悟の上でアイドルになると決めたんです……
例え報われなくとも、私は私のやり方を貫きたいんです。 だから……」
「いや、俺が『すまない』って言ったのはそういうことじゃない」
「え?」
想定外の答え。
彼の言わんとする意味を懸命に理解しようとする蓮実を待たずして、プロデューサーは続けた。
「今時、ド新人のアイドルが『古き良き清純派を目指して頑張ります』なんて言ったところで、
こうやって大して受け入れられない状況だっていうのを突きつけたのは――俺だ」
「どういう……?」
「お前は普通のアイドルじゃない。お前が目指す『清純派の復活』が普通より難しいことなんだって、一度知ってもらいたかった」
素っ頓狂な反応を無視して言葉を重ねるプロデューサーを、蓮実は顔を上げて、この帰り道で初めて見つめてみる。
「今までの、全部わざとだったの」
冗談めいた台詞。それとは全く不似合いなほど、その表情には、蓮実にスカウトを持ちかけたあのときと同じ、情熱を帯びた瞳をしたがえていた。
*
「ああいう頭の固い連中と仕事をするのは面倒くさいねぇ」
仕事を選べるほど俺はまだまだ偉くないけど、と付け加えてプロデューサーは白けた笑いを浮かべた。
二人して事務所に戻って来たあと、ちひろがお茶を淹れてくれたので揃って一休みと相成った夕暮れ時。
「何も分かってない。 あの手は表面的な技術とか、ルックスの華やかさとか、新人をそういう目でしか判断できないんだ……
『昭和の清純派を目指している』なんて言えば、イロモノ扱いしかできない」
「そんなに悪く言っちゃダメですよ。いつもお世話になっていることに変わりないんですからね、プロデューサーさん」
ちひろがそっとたしなめる間も、プロデューサーはぶつくさと独り言を続けていた。
「俺からすりゃ、長富ほど面白い逸材は他にいないのに」
「ありがとうございます、プロデューサーさん……気休めでも嬉しいです」
「気休めなんかじゃない。 その証拠に、ほらネットの反応見てみ」
「…………?」
プロデューサーがこちらに向けてくれたスマートフォンの画面を、蓮実はじっと見つめてみた。
慣れないブルーライトに目をチカチカさせながら、小さな文字を滑るように追いかける。
どうやらインターネットの掲示板のようで、そこには今日のライブに出演していたアイドルたちの感想が書き並べられている。
その中で、いくつかの書き込みが目に入った。
──────
180:青い風吹けば名無し
……5人目は、永富(字違うかも)蓮実ちゃんって子
まだCDデビューもしてない新人さん
登場した瞬間から「マジで?」って感じだったけど、
まさしく80年代オールドタイプの再現って感じ
衣装もまんまなデザイン、曲もセイコちゃんのカバーで
今時なかなか攻めてるなって印象だった
俺はぶっちゃけ世代じゃないし、
昔の映像とか見たことあるくらいって程度しか詳しくないから
最初ネタ枠かなとも思ったんだけど、隣で観てたおっさん、
なんか知らんけど泣いてて草
聞いたら「あれはガチだわ」ってさ
「本気でリスペクトしてなきゃあそこまで再現できない」とか
確かに雰囲気めちゃくちゃ出てたしそういう路線なのかな?
ああいうアイドルがこれから活躍してくれると
個人的には面白いなぁって思った(粉ミカン)
会場全体的には引いてたって言うより、
いまいちピンときてない人が多かったっぽいな
受けなかったと思って落ち込んでなきゃいいけど
でも、みんな可愛いって言ってたよ めっちゃ美人だった
181:青い風吹けば名無し
しもしも~
182:青い風吹けば名無し
>>180
長富な
島根あたりに多い苗字らしい
183:青い風吹けば名無し
いやー、俺はあんまり流行らんと思うわああいうの
昔からドルオタだったおっさんおばさんにしか受けないんじゃないの
184:青い風吹けば名無し
その子俺も観てた。
若い子らは「ファンサービス悪かった」とか言ってたけど、
すごい一生懸命で、あの曲もたぶん本人大好きなんだろうな、
ひたすら楽しそうに歌ってたよ。
まじで一瞬レモンの香りしたもん。
一般受けしなさそうなのが残念だけど、これから頑張ってほしい。
──────
「えっと、これは……?」
「まあ簡単に言えばな、オールドファッションな変わり者のアイドルがいたとは言われてるけど、その実好評ってワケだ」
長文の感想を何度か読み返すうち、いくらかは褒められているんだと言うことをじわじわ実感していく。
「見てくれる人はちゃんと見てくれるってワケだよ。 お前のことを好きになる奴は確実にいる」
「……少し、安心しました」
「ただ、これはほんの一部。 なんせネットだからな、その手の知識に詳しい人間しかお前のことをこうやって話したりしない」
「それって……」
「会場にいたほとんどの客はお前のやりたいことを理解もできずに、ポカンとしてた」
「…………」
「実際、ここにもネガティブな感想は書き込まれてるしな」
思わずぐっと黙り込んでしまった。
曲が始まってからはお客さんの反応を最後までじっくり見る余裕などなかったものの、確かにそんな感じだったような気がする。
「流行らないと思う、一般受けしなさそう……とは、書かれていますね。 確かに」
「本来こういうものは本人に見せるものじゃないんだけど……これからのことを考えるにあたって重要だと思ったから」
プロデューサーはそっとスマートフォンを仕舞った。
「今の時代、清純派を貫くっていうのはこういう事だ。
お前みたいなアイドルがコツコツ積み上げても日の目を見るには普通より時間がかかる……なんせ一度廃れちまったスタイルなんだからな」
「……それは、分かります」
悔しいが、こればかりは素直に認めざるを得ないと蓮実は渋々相槌を打った。
「確かに『帰ってきた清純派アイドル』なんて銘打って長富を売り出せば、もともとそういうのが好きだったニッチな層には受けるだろうさ。
けどお前はそれだけでいいのか?」
「それは……」
「今のままじゃ、あるがままのお前をプロデュースしたところで、よく知らない周りの人間の目には所詮モノマネアイドルにしか映らない。
『今の時代、逆にそういうアイドルがいてもいいよね』で終わっちまう」
「う……」
「清純派の復活、最高のテーマだよ。 地道に二人三脚で、一歩一歩進んでお前をプロデュースしていく――そういうやり方もできる。
その先に待つのは、お前が愛する清純派を同じように愛する、純粋なファンだけの集まりだ」
確かにそうなれば嬉しい、と蓮実は小さく頷いた。
「それもまた一つ――むしろ、そもそも長富が目指してたのはそういうアイドル像なのかもな」
「…………」
「だけどさ、想像してみろよ」
プロデューサーの口調にかすかな興奮の混じったような気がした。
「アイドル黄金時代と言えば、そりゃもう誰だってアイドルのことを知ってた。
その中でも一握りのトップアイドルとくりゃ、『こいつが頂点に立つアイドルだ』って、みんなが認める存在だ」
「そうですね……そのとおりです」
「──そういう奴が、こんな時代にもう一度生まれるとしたら?」
そして蓮実の心の端っこにも、その興奮がほんの少し移り入る。
「今や清純派が異質になったこの時代だからこそ、もう一度見向きしてもらうために天下を取らなきゃいけない。
『清純派』が本当に復活するには、今の時代に、あのときと同じように、もう一度アイドルの頂点に立たなくちゃ意味がない――それが俺の考えだ」
「……頂点に……」
「そしてお前が普通じゃないアイドルだからこそ、そういう普通じゃないことができるはずだって俺は思ってる」
――いくらなんでも、私のようなアイドルの卵にそこまでの話はいきなり無茶なのではないか。
頭でそう考える一方、想いはふつふつ沸き立つ。
「ただ、俺は長富の考えを尊重したい。 なんせ俺は昔の流行の事なんてほとんど知らないし、実際にアイドルをやるのは長富だからな」
「私の考え?」
「……清純派が帰ってきたと知らせたいのはレトロアイドル好きの連中に向けてか? アイドルを好きな人間全員にか?
あるいは――世の中全ての人間か?」
──けれど、分からない。
もちろん、伝説たちに重ねてきた自分の夢だから憧れなかったわけではない。
アイドルの頂点に立つこと。かつての彼女らのように。
ただそれは、蓮実がこれまで向き合ってきたアイドル観と今蓮実が生きる現実との折り合いから考えて、どこか諦めていた部分もある。
もしかしたらそういう部分を、読まれてしまったのかもしれない。
「……私は、自分と同じように遠い昔の清純派アイドルを大好きな人たちへ、清純派アイドルはまだいるって言うことを伝えたい……
それが叶えば十分だと思っていました」
質問に答えるというより、また新たに悩みを漏らしていくように、蓮実はプロデューサーへ吐き出していった。
「だからこそ人一倍考えてるんです。 正直言って、私のような存在が今のアイドルの世界でのし上がるなんて……それはとってもとっても難しいこと。
こんな私がプロとしてアイドルをやれる……きっとそれだけで、今の世界では十分夢が叶ったことになるんだろうって」
プロデューサーもちひろも、待つように黙って聞いているのみで、
「だけど……プロデューサーさんは何度も、こんな私をもう一度、あのときの清純派と同じように、アイドルの頂点へ連れて行くといってくれて……
一方で、私の思った以上に私のやり方は他の人たちに受け入れられなくて」
「うん」
「だからどこまで本気か分からないんです。 プロデューサーさん、本当に私のようなアイドルが、トップを狙えるって思うんですか?」
「――思う」
困り果てながら問う蓮実に、プロデューサーははっきりと答えた。
「この先お前のことを認めるやつ、バカにするやつ、いろいろいると思う。
バカにするやつの方が多いかもな……だけどそういう逆境はもとから覚悟の上だろ」
「それは……もちろんです」
「できるか出来ないか考えるのは俺の仕事だ。 大事なのは――」
プロデューサーは蓮実の目をじっと見つめた。
「清純派がもう一度頂点に立つっていう夢を、お前が『面白そう』だと思えるかどうか」
「!」
その自信がどこから来るのか全く分からないけれど。
自分に期待を裏切られる心配は全くないのかと。
その心の内はまだ全く読めないけれど。
「……面白いと、思います」
――とっても。
数拍おいて、力強く付け加えた。
「そうこなくちゃ」
ニヤリとした顔が返ってくる。
「今日までみたいにお前のことを小馬鹿にした連中も鼻で笑ってやれるしな」
そう言うと、今度はにひひと笑い出した。
「だからさ。 お前のプロデュースは他と違って、ちょいと変わった方法で攻めなきゃいけない」
「変わった方法ってなんです?」
黙って聞いていただけの蓮実の代わりに、ちひろが口を挟んだ。
「それがまだ固まってなくてねぇ。 目星はついてるんだけど、それには材料が足りない」
「材料?」
「うん。今のままじゃまだ始められない……それはゆくゆく探していくよ」
プロデューサーの口ぶりは、その頭の中に既に頂点へのビジョンが見えているとでも言いたげに思えた。
一言だけ、楽しみにしています、と伝えておく。
「そんなことよりも、プロデューサーさん。 蓮実ちゃん、きっと初ステージで相当疲れていると思いますよ? 今日のところは上がらせた方が……」
「……あぁそうだな、悪い。今日のところはもう帰っていいよ」
「あ、はい……ありがとうございます」
席を立って荷物をまとめようとする蓮実を引き留めて、ちひろがプロデューサーの背中をぱしんと叩く。
「プロデューサーさん? 分かってますよね? 10代の少女を、こんな時間に一人で帰らせるつもりですか?」
「………………気が利かなくてごめんなさいね」
「よろしい」
ふん、と満足げに鼻を鳴らすちひろと、仕方ないと言わんばかりに重い腰を上げるプロデューサーに、
何となくこの二人の関係性を垣間見た気がして、蓮実は微笑みを滲ませた。
*
「少し遅くなったな。 長富も今日は疲れたろ」
「すみません、わざわざ……」
「いいんだよ、これも仕事だから」
家まで送ってくれることに関しては、ちひろが促してくれたおかげではあるが。
346プロの社屋を出てしばらく歩いた先は、駅から5分ほどにある繁華街の裏通り。
平日といえどもここは夜になれば行き交う仕事帰りのサラリーマンでごった返す。
人混みの合間に覗く雑多な看板の光が通りの果てまでひしめき合う中、蓮実はプロデューサーの三歩後ろからその足音を追っていた。
混じり合う話し声、歩行者信号の補助サイレン、街頭アナウンスが、ぐちゃぐちゃの雑音のままするすると耳を横切っていく。
そうして黙々と歩き続けているさなか―――何かを気に留めるつもりもなかったはずなのに、とある雑居ビルの入り口に近づいた折、
蓮実の頭の片隅にあった小さな思い出が震えた。
大事な約束を思い出そうとするみたくぴたりと足を止めた蓮実に、プロデューサーも4、5歩ほど進んでから振り返ってようやく気がつく。
「ここ……」
「どうかしたのか?」
プロデューサーが戻り寄って入り口近くの立て看板に目をやった。
文字はかすんで読みづらく、所々ヒビや穴すら開いているその看板は、階下に地下劇場が存在することを示している。
耳を澄ませて薄暗い階段の奥から聞こえてくるのは、くぐもった重低音と時折挟まれる甲高いかけ声、そして獣じみた鳴き声に近い歓声、それらの繰り返し。
「知ってるのか?」
「………………いえ、でもなんだか……」
「気になるなら見てく?」
曖昧な返事しかできなかった蓮実と立て看板を交互に見てから、プロデューサーが提案した。
「……いいんですか?」
「こういうとこには面白い発見があるもんだ。 お前が感じ取ったんなら尚更そうだろうよ」
何となく察してくれたプロデューサーにひっそり感謝しつつ、その薄暗い階段を一段一段降りていく。
一歩進むごとに重低音は少しずつ大きくなり、頭や腹にまでその振動が伝わってくるのを感じながら。
そしてミュージックが一際大きくなったのと同時に、目の前にある少し錆びた両開き扉の向こう側が、その音の源であることが分かった。
プロデューサーと軽く目配せしたあと、蓮実は力を込めて、その扉を開いた。
今日ここまで
不定期マイペース更新
──────
同事務所所属、またグループリーダーでもある長富をアイドルとして高く評価する安部。
下積み時代の長かった安部に対し、それ以前のキャリアがない状態からデビュー初年でトップアイドルの仲間入りを果たした長富、
一見して正反対の性質を持つ者同士にも感じ取れるが、彼女が長富をリスペクトする要因はアイドルとしての内面の奥深くにあると語る。
そんな二人のファーストコンタクトは、346プロダクションではなかった。
──自主活動をなさっていた安部さんのライブ会場に観客として訪れた長富さんと出会ったのが、お二人の初対面だと伺いました。
安:そうなんです。
──こういいますと失礼ですが、長富さんが“そういう場所”に足を向けるのは意外な印象ですね。
安:当時のプロデューサーさんにたまたま連れられてやって来た、というのが近いかもしれませんね。
──そのプロデューサーとは、Renaissaのプロデューサーさんのことですか?
安:はい。
──長富さんの第一印象はいかがでしたか?
安:それはもう、美人だなと。今風の可愛らしさももちろんあるんですけど、こう何というか、やっぱりどこか懐かしさ漂うんですよね。物腰といいますか。
それは最初からちょっと感じていました。
──まさか同じグループとして一緒になるとは思っていなかった?
安:それに対する驚きもありましたが、うまくやっていけるかなという不安ももちろんありましたね。
──不安ですか?
安:蓮実ちゃんと一緒に過ごし始めて、あの子のことを知れば知るほど、私たち二人とも、ベクトルが違うなぁって(笑)。
なりたいアイドル像はお互いものすごくハッキリしてるんですが、その中身がまるっきり違うんですよね。
ステージでやりたいこととか、今思うとバラバラなんです。蓮実ちゃんは「セイコちゃんっ♪」てな感じで、私は「ウサミンっ♪」ですから(笑)。
──(笑)。 でもRenaissaのステージはいつだって、個性のぶつかり合いと統一感を両立した非常に独特な雰囲気がありましたね。
IU2017はまさしくそれが発揮されていたからこそ、だと思います。
安:根っこは似てるんだと思います。お互い目指していることの根源が揃っていることを意識させてくれたのが、Renaissaというグループの存在そのものです。
──なるほど。他に長富さんに感じていたことは何かありますか?
安:本人には言ったことないんですが、 結成のずうっと昔に、一度だけ会ったことがあるんです。
──そうなんですか?
安:多分、向こうは覚えていないでしょうけれど。
──────
“あらあら、劇場に迷い込んじゃったんですか?”
“ごめんなさい……”
“心配要りませんよ。 一緒に交番へ行って、お母さんを探しましょう!”
“あ、ありがとう……”
“いつか大きくなって、アイドルになれたら……
そのときは、お姉さんと同じステージに立って、歌って欲しいです。 ……なーんて!キャハッ☆”
“はい、約束です! 私がいつかアイドルになれたら、ですね”
“それじゃあ。 カチューシャの素敵な、未来のアイドルさん―――”
“はすみちゃん、お元気で!”
*
アイドルを目指して東京で活動を続けてきて幾年経つ間に安部菜々が見てきたものは、決して夢の世界へ続く明るい光ばかりではなかった。
その多くは、叶わぬ夢を追い続けることへの焦りと、挫折、周囲からの重圧、あるいは現実を突きつけられたことによるある種の達観、諦観。
自分の足下すら確かでない道のりは果てしなく伸びて映り、
残してきた足跡は涙でぬかるんでいる。
両脚にこびりつくその泥を払いのける暇もなく突き進んだ結果の、「ウサミン星人」としての自分の姿。
この地下劇場に囚われの身と成り果てた哀れな偶像の姿は、きっと見るものにこう思わせるだろう。
彼女は“アイドルのはみ出し者”だと。
共に高みを目指すことを誓い合った初めての仲間は、今どこにいるのだろうか。
易々と私を置き去りにした才能ある後輩は、今やこの場所を掃きだめと見て、私のことなどすっかり笑い下しているのだろうか。
夢を諦めると涙ながらに語り、必死に引き留めたことも無駄なあがきに終わったあの日を、かつての相棒はとうに忘れてしまっただろうか。
それでも自分だけは投げだしたくなくて、今日まで地道にアイドルをやってきた。
一度も報われないまま、気づけば菜々も17歳。
来年には17歳になってしまうし、あと3年もすればすっかり17歳。
さすがに17歳ともなれば、身体的にもこうやって自主的にアイドル活動を続けるのは困難になってくるかも知れない。
もう少し若い頃……17歳の頃なら、まだこの道に希望を見いだしていたものだが。
──冗談にもならない自虐は、本当に笑えない。
それでも菜々にはアイドルしかないのだ。
人並みの幸せは故郷に置いてきた。
例え日の目を見なくとも、泥臭く、無様にしがみついてアイドルをやっていくしか菜々は知らない。
少しずつ蝕まれていく心を押し殺して、
アイドルとして昔抱いた大きな夢と、彼女の理想となるアイドル像はきっとこの現実とは相容れないと半ば諦めたまま。
ガッツもこだわりも十二分に備えながら、報われないアイドル人生を戦う“メルヘン少女”安部菜々に必要だったのは、
その夢を、菜々にとっての理想を、『復活』させる引き金ひとつ。
──────
2017年・4月
──────
*
今日のステージはいつにも増して観客が少ない。
両手で数えられる程度だろうか? ほとんどが常連の、見覚えのあるファンの面々だった。
平日とはいえ、余計に広く感じるこの地下劇場を、それでも菜々は最大限に盛り上げようと努めた。
菜々にとっては毎日こなしているこのステージでも、今いるこの観客、彼らにとっては彼女を見る最後の機会かもしれない。
この場にいる全員に心から楽しんで帰ってもらいたい。それがアイドルとしての義務だと菜々は心得ていた。
何曲か連続でパフォーマンスをしてきたので、すでに声は枯れる寸前で、
腕振りやジャンプといった一つ一つの振り付けに筋肉は軋み、削り取られていく心地すらする。
滝のような汗は目に入って視界も歪むし、体格に似合うサイズしかないであろう肺の膨縮はもはや息継ぎすら満足にこなすに足りない上、
膝の裏はかすかに笑っているのが分かる。
ライブのペース配分には気を遣う方でいるつもりだが、いざステージに上がればそんな事は関係なしにめいっぱい動き回るのでいつもこうなってしまうのだ。
ただ、この感覚──全身全霊でアイドルをやっているこの瞬間が、菜々が唯一生きている実感を得られる場所だった。
それに今だけは、後ろ暗いことも全て忘れて歌と踊りに集中できる。
大ジャンプの着地の衝撃で、くたびれたうさ耳のアクセサリーがずり落ちそうになるのを反射的に左手で支えてやった。
間奏が進み、大サビに入る直前、踊っている菜々から見て正面奥の扉が頼りなさげに開かれ、新たに2人お客さんがやって来たのが目に入る。
「さぁ最後ですよっ! みんな、盛り上がって行きましょうーっ!!」
このラストのサビだけでも。最高の1フレーズを腹から送り出して、見に来て良かったと思ってもらいたい。脳内を次の歌詞が走り抜ける。
両足の裏を舞台に叩きつけ、むんと踏ん張り、ボコボコにへこんだマイクを構え、左腕を高く掲げた。
*
「以上! 新曲『ウサミン伝説最終章・第4話・その8』を聴いていただきました-!
みんなー、自主制作CD、良かったら買ってくださーい!」
ぱらぱら、とまばらな拍手が寂しく広がる。
客席にいた何人かは曲の終わりと同時に帰ってしまったし、
照明が点いて明るくなった地下劇場は垂れ幕で壁を覆っているだけのあまりに殺風景な場所で、
演奏が終わった後のこの時間は菜々にとってあまりに心細い。それでも笑顔は絶やさない。
「……それじゃあ、またステージでお会いしましょうー!!」
「おーうナナちゃん、またなー」
「筋肉痛にならないでよ? 今日だいぶ無理してたっぽいしさ」
「な、なりませんっ! ナナはピチピチの17歳ですからっ!」
「わかったわかった。 じゃ、来週も見に来るよ」
一度買ってくれているからかCDの方には見向きもせず、常連たちも帰って行く。
ちょっとしたからかいも彼らの愛情表現の一つだから、お決まりのやりとりであっても菜々は精一杯応えるように返事をしていった。
「……今日もありがとうございましたー!!」
常連客を見送って最後にぺこりとお辞儀をし、ようやくステージから降りた菜々はスタッフから水を受け取って2、3口ぶんを一気に流し込んでいく。
「お疲れ、菜々ちゃん」
「管理人さん、お疲れ様です!」
菜々との付き合いの長い地下劇場の管理人は、ただ今日に限ってはほんの少しばつの悪そうな表情を浮かべながら歩み寄ってきた。
しかし菜々がそのとき気になったのは――とうに公演は終わっているのに、劇場の隅で立ち話をしている二人組の男女。
「あれあれ、あの人たち、帰られないんですかね?」
「……あ、あぁ……そういえばそうだね」
「あの、私声かけてきます!」
「そうかい……なら頼むよ」
いってきます、と小走りで向かっていった菜々に、先ほどの二人がようやく気づいた。
「本日はお越しいただきありがとうございます! あの、今日の公演はもう終わってしまって……」
「あぁ、悪い。 この子が気になるからってちょっと覗きに来ただけなんだ」
二人組の片割れ、若い男がそう言って隣の少女を指さした。
明らかに大人の男性と、まだ高校生くらいの女の子がなぜこんな場所に揃って居るのか、
そういうことも気にならないではなかったが、もう一人……少女が振り返って、菜々の意識もそちらに傾く。
「あの……ステージ、とっても素敵でした。最後の最後しか見られなくて、すみません」
「いえいえ! 来てくださって…………ありがとう、ございます……」
「……?」
「……?」
ほんの2、3秒ほど、互いに見つめ合う。
心の奥底がざわつくのをはっきりと感じた。
名も知らぬその少女は、キリッとした細い眉と対照的な、穏やかなる下がり目。強さと儚さを同時に含んだような、特徴的で綺麗な顔立ち。
彼女が美人だから目を引かれたのだろうか?
──それもあるだろうけど、なんだか……。
確信の持てない引っかかりを表情の後ろへ隠すように、菜々はあくまでいつも通りの営業スマイルを貫いた。
「……あ、もしかして握手をご希望ですか? でしたら、ささ、こちらへ!」
「いや、別に握手は……なぁ、長富」
「あ、いえ……その」
「……あら……違うんですね……」
今度は分かりやすくがっくりと肩を落とす。
「……あ、じゃあせっかくなので握手、お願いします」
「あ、ほ、ホントですか!? じゃなくて……あはは……ありがとうございます!」
少し気を遣われてしまったかなと反省しつつも、ファンサービスは張り切って積極的にリードしていく。それが地下アイドル、安部菜々の心得だ。
少女と、渋々応じてくれた連れの男とも、ニッコリ笑顔と共に腕ごとぶんぶん振り回さん勢いで握手を交わした。
一日で二人以上のファン──たまたま来てみただけとも言っていたが、一度会えば彼女にとってはもう大切な──と交流をしたのは久しぶりだった。
それだけで菜々のこの一瞬は満たされたものになる。
先の見えないアイドル活動であったとしても、少なくとも明日への活力にはなる。
「改めまして、永遠の17歳、メルヘンアイドル・ウサミンこと安部菜々をよろしくお願いいたしまーす!!」
本日最後のお客さんを元気よく見送って、菜々の長い一日もようやく終わった。
劇場の扉がうるさく閉じられたのを確認して、うっすらと綻んだ顔のまま、菜々はそそくさと管理人の元へ戻る。
「ふぅ~……今日もバッチリでしたね!」
「あぁ…………あのさ、ナナちゃん、言いにくいんだけどね」
「はい? なんでしょう」
「……実は」
だが、充足感あふれる面持ちの菜々を、管理人からの知らせは冷たく突き落とした。
「ここ、閉鎖が決まったんだ」
「……え?」
*
ノイズ混じりの裂けるようなギターソロ、そしてくぐもったベース音が頭にガンガン響きわたり、クラクラした心地すら覚える。
いつも浴びているはずの大音量も、ステージ上と観客スペースでは感じ方がこうも違うのかとぼんやり考えながら。
数日経って、菜々は出番の合間、衣装の上から一枚だけ羽織って控え室から飛び出し、同僚アイドルのステージを眺めていた。
菜々が数年来立ち続けたこのステージも、どうやらあと一月待たずになくなってしまうらしい。
今になって考えれば、日々のあの客足で大丈夫かと早々に心配しておくべきだったのに、そこまで経営が苦しいとは想像していなかった。
要するに自分のことのみで精一杯だったのだ。
劇場の管理人は優しい男だし、これまで菜々自身も良くしてもらっていた。お人よしの少々気弱なおじさまだ。
だがそういう甘さで乗り切れるほど、この地下アイドルの世界も優しくなかったということだ。
そして知りもせずただ闇雲にアイドルをさせてもらっていた菜々は、それよりもっと甘かったというだけの話だ。
いい歳しておいて、やはり現実が見えていなかった――自覚するにつれ、いよいよ自分がこのままで良いのか分からなくなってくる。
――そういえば、あの子、ここがなくなったらどうするんだろう。
数少ない観客に向かって愛想笑いを振りまいている若い彼女を――もっとも追っかけは菜々のそれより数人多い――少しだけ案じてみる。
もともと片手で数えるくらいしかここで活動するアイドルはいないが、仲間とそのことを話すと返事は二通り存在した。
ここがなくなる前にと既に別の地下劇場と話をつけ、“移籍”を決めた者。そして、よい機だとアイドル活動自体を卒業する者。
少なくともみんな次にどうすべきかちゃんと考えがあって、既にアクションを起こしている。
そのどちらとも決めかねたままの菜々には、今更に自分が意味もなく日々を浪費しているだけのような気がした。焦燥感でなんだか肩が凝りそうになる。
「休憩中か?」
曇ったスポットライトの光を長時間見つめていたせいか、慣れない暗闇の先から話しかけられても姿が認識できない。
ただ、その声には聞き覚えがあった。
「あっ、この間の……あれから、何度か来てくださってますよね」
「どうした? 辛気くさい顔して」
「あ、いえ、なんでもないんです! すみません」
思わず男の居ない方を向いて、顔をパンパンと叩いた。
「今日は、あの女の子とは一緒じゃないんですか?」
「あいつは今日は別用でな。 俺だけここに来た」
「……そうなんですね」
──彼もこういう場所が好きなんだろうか?
サイリウムを両手に握って必死になり身体を振り回す他のファンたちとは違い、観客席の端っこで男はただじっとして、
別段楽しんでいるそぶりも見せずただ菜々の隣に立っている。
「せっかくファンになっていただいたのに、申し訳ないんですが……ここ、来月で閉鎖しちゃうみたいです」
「へぇ、そうなんだ」
驚くでもなく、寂しそうな菜々を慰めるでもなく、ただ無関心そうに話を聞いているのみ。
けれども下手に気を遣われるよりはよほど居心地は悪くなくて、時折男の顔を見るように何度か振り返りながら、菜々はそのままポツポツと続けていく。
「長いことここで頑張ってきました……いつまで経っても全然売れないし、昔の同僚は結婚とかしていってるのに、ナナはずっと変わらずアイドルやってるまま
……きっと笑われちゃいますよね」
珍しくこんなにあっさりと弱音を吐けることが、自分のことながら不思議に思えてくる。
ようやく男の顔がうっすらと判別できるようになってくると、今度は何だか気恥ずかしくなってもう一度、
フィルムを被せて原色に染めただけの安っぽいライトの照らす先を見つめた。
「んー……ま、そうかもな」
「分かっていただけますか、ナナの気持ち……」
「確かにあんた、今時ベッタベタな設定てんこもりだもん」
「ちょっ……せっ、設定とか言わないでください! ナナはこれでも真剣なんですっ」
「そうかい、そうかい」
「……むー」
あしらう男に向けて、わざとらしく頬を膨れさせてみせる。
ただ、事実を押し返して自分を演じきる気力がどうしても今の菜々にはなかった。
「でもさ、いいことじゃん。 他人にどう思われようとも、貫きたいもんがあるんだろ?」
「……そういう風に言えば、聞こえはいいかもしれませんね」
もはやそういう理想論で突き進めるほど純真でもない。無垢でいるには菜々は余りに長くアイドルをやり過ぎたのだ。
「アイドルっていうのは弱肉強食です。 表舞台に立つチャンスに恵まれなかった私は、こういう日陰の場所に追いやられる……
私はただ、大人になれずにいつまでも夢にしがみついているだけの惨めな“ウサミン星人”」
「ウサミン星人ねぇ……」
「メルヘンだの永遠の17歳だの、バカバカしいと思いますか? だったらそれでもいいんです。
それが子供の頃からの憧れでした……だから、こうやってずっとそれを守ってアイドルをやっているんです」
無意識に語気が強まるのを感じ取って、とっさに冷静さを保つよう努めた。
「自分のアイドル像を認めてくれる人が少ないのなんて分かってるんです。 時にはバカにされたり、笑われたりなんて普通です。
それでもナナは、自分にだけは嘘はつきたくないと思って……これでも一生懸命やってきました」
「……だろうね。 あんたみたいなの、今時珍しいと思う」
「やってきたつもりだったんですが……こんな小さなライブハウスすら埋められないし、倒産も救えない。
ナナ、ようやく現実っていうものが見えてきたような気がします」
「…………」
「このまま頑張ってもどうせダメなままなんだろうなって、正直思ってるんです。
ナナがアイドルとして本当の意味で輝く日は来ないかも知れない……だけど、続けたいんです」
こんなことを考えているとどうしても息が詰まって、思い切り吐き出したくなってしまい、大げさにため息をつく。
──いつもなら、ファンに向かってこんな悩みが口から出てしまうことなんて絶対ないのに。
いつの間にか下を向いてうなだれていた自分の頭に気がつき、ゆっくりと上げた。
「アイドル、好きだから。 自分でいる方法がこれしかないんです、ナナには」
じっと話を聞いていた男が、無言でこちらを見たのを横目で感じた。
「これからどうしましょう。 他に歌わせてくれる劇場を探さなきゃ……
もっとも、こんな実績も何もないアイドル、受け入れてくれる場所なんてないかもしれませんけど……」
──もし他の劇場が見つからなかったら、そのときこそ本当に、メルヘンアイドルは死ぬんだろうな。
「……あは、あはは……さすがに自分で言ってて悲しくなってきました」
「いや、違うな」
「えっ……?」
思わず男の顔を見て、次の一言を待った。
「俺、別にまだあんたのファンになったわけじゃない」
「えぇっ!? い、今さらそこに反応するんですか!?」
何かを期待した自分の愚かさと空しさも重なり、菜々はまたうなだれて頭を抱えた。
冗談だよ、と笑った男は、しかしその次に、再び真剣な口調で菜々に語りかける。
「だけどさ……あんたみたいにいつまでもしぶとく自分の居場所にしがみついてまで必死にアイドルやろうとしてるの、俺は嫌いじゃないね」
「……そうですか?」
「あぁ。 んでもって、こういう風にも考える──」
それは、菜々がアイドルとして今まで自分に向けられてきた中で何より突飛で、耳を疑うほどの、雄大な一言。
「──あんたみたいなアイドルが一発逆転してトップに立つ瞬間は、きっと最高にスカッとするんだろうなってさ」
頭を抱えたまま固まった菜々は、そのままのポーズで男を見上げた。
「ちょうどあんたみたいなのを探してたんだ、俺。 よかったら、あんたにぴったりな場所があるんだけど、興味ある?」
「へ?」
男の差し出した小さな紙っぺら──大きさや手触りで名刺か何かだということはわかった──を暗がりで受け取ると、
ステージの照明を借りて何とか記された文字列を読み取っていく。
「み、し、ろプロダク……」
「ま、そーゆーこった」
「……へ? ……へ??」
プロデューサー ――差し出してきた名刺の肩書きにそう記されていた男――が、もう一度ハッキリと言い放ってみせる。
「あんたの理想のアイドル、346プロで復活させてみようぜ」
未だ事態が飲み込めずに、菜々はしばらく目をパチクリさせていた。
*
城のように絢爛な社屋、広大な敷地、すれ違う女性たちは皆、菜々も一度は目にしたことのある有名人。
見るもの全てが彼女を圧倒する。
ここが芸能事務所――今までいたような、薄暗い場所とはまるで大違いの、まさに芸能界の“表側”。
自分が今日からここの一員となることがにわかに信じられない。
「そ、それにしても……まさか芸能プロダクションのプロデューサーさんだったなんて……もっと早く言って下さいよぅ」
「だって聞かれなかったんだもん」
菜々はツカツカと廊下を進むプロデューサーに慌ただしくついていきながら、通り過ぎる事務所内の景色を右と左と眺めては驚嘆の声を漏らしていった。
その度によぎる小さな疑問を、思い切ってプロデューサーにぶつけてみる。
「……なんでスカウトして下さったんですか?」
「面白かったから」
「おっ、面白かった……?」
──確かにここに居るような、正統に人気を集められる本物のアイドルに比べれば異質で風変わりな自覚はあるけれど。
「うん、あんたほど面白いアイドルはそうそういない」
「わ、私は一応真剣なんですが……」
「褒めてるんだよ」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
本音で答えてくれるのはありがたいが、そこはもう少し言葉を選んでほしかったなと、菜々は頭を掻いた。
「俺が担当してるもう一人のアイドルがいるんだ。 まずはそいつに会って欲しい」
「そうなんですか……どこに居るんです?」
「苦手なダンスの自主レッスン、してるらしい」
「へぇ……」
ここ、とプロデューサーが指さした扉には「第4レッスン室」の文字が無機質に貼り付けられていた。
それが誰のことか菜々には何となく予想がつく。初めて彼が菜々を訪ねた日、一緒にいた少女のことだろう。
「負けず劣らずの、面白いアイドルだから」
―― 一目見た印象ではとくにおかしなところもない、正統派な美人だと思ったけど。
プロデューサーがドアノブに手をかけた瞬間、改めて身構える。
少女は、部屋の真ん中でじっと座り込んでいた。
プロデューサーに気づいた少女が、すっくと立ち上がってペコリと一礼する。
「プロデューサーさん、お疲れさまです」
「おう、長富。 新人を連れてきたから、紹介するわ」
「あっ。 ……こないだの……!」
「こ、こんにちは……あはは……」
菜々は遠慮がちに手を振ってみせた。
「は、初めまして、安部菜々っていいます……え、えと、じゅ、17歳、です」
なんとなくいつも通りの自己紹介がはばかられて、控えめな挨拶になってしまう。
緊張しているように受け取ったのか、少女が気を遣ってくれた。
にこりと穏やかな笑顔にドキリとさせられる。
「そんなに他人行儀でなくてもいいですよ。 こないだのステージ、とっても素敵でした!」
「……ホントですか?」
菜々の顔がぱぁっと明るくなった。
「ああやって、自分らしく! っていう感じで立派に活動してらっしゃるのがとっても羨ましくて。 私も見習いたいなって、思っていました」
「……そ、そんな風に思ってもらえてたなんて……ナナ、嬉しいです!」
舞い上がって思わず少女の両手を掴み、ブンブンと振り回してみせる。
うふふ、と笑い続ける少女と、「何やってんだ」とも言いたげなプロデューサーがやけに対照的に映った。
「菜々さんみたいな方とここでまた出会えて、私、幸せです」
「あ、ありがとうございますっ! よろしくお願いします!」
手を握り合ったまま、あ、と少女が続ける。
「自己紹介が遅れましたね……長富蓮実といいます。 この春、アイドルになったばかりです」
「わぁ……長富、ってずいぶん珍しい苗字なんですね?」
「島根の出なので。 地元では何人かいましたよ」
「なるほど、そうなんですね。 ずいぶん遠くから……」
「?」
「いえ、何でもありません」
遠くからご苦労でしたねぇ、などと言いかけて、なんだか“おばあちゃん”の台詞みたく感じ、とっさに続きを喉の奥へ引っ込めた。
「それにしても……蓮実ちゃん……とっても可愛らしい名前ですね!」
「私も気に入ってます」
思い出したようにレッスンの邪魔をしてしまった心配をしたものの、蓮実はおかまいなく、ちょうど終わったところですから、と言ってくれた。
「話終わったんなら、今度は二人を交えてミーティングと行こうか。 事務室に戻るぞ」
「はい、分かりました」
「は、はい……!」
蓮実の返事に、菜々もとっさに合わせる。
ミーティングとやらが何をする場なのか皆目見当はつかないものの、ようやく仕事の話だ。地下アイドルではない、本物のアイドルとしての第一歩。
「アイドルモード・メルヘンチェ~ンジ……ん、違うかな……」
我に返り、ぶつくさ呟いていたのが二人に聞こえなかったことを心の底から安堵し、後を追う。
プロデューサー、蓮実に続いてレッスン室から出てきた菜々が目にしたのは、廊下の向こうからこちらに歩いてくる一人の女性だった。
背丈は菜々よりも20cmほど高く、内側にくるりと大きく巻き込んだゴールドブラウンのツインテールが眩しい。
大人っぽいスタイルに似合わず、言うなれば菜々の好みにも近いファッションが印象的で。
――あの人もアイドル?
その姿を見てすぐさま、もっと大人な格好をすれば映えるんじゃないかとか、などと浮かんだものの、それを抜きにしてもやはり綺麗な人だなと菜々は思った。
同時に、こうも美人とばかり出会ってしまうとこの先やっていけるのか少々不安にもなる。
「プロデューサーじゃん!」
その女性はプロデューサーの姿を確認すると、手を振ってこちらにやってきた。
「お、佐藤」
そう呼ばれた女性は、大げさなリアクションでプロデューサーに軽くスキンシップを交わした。プロデューサーの方はというと、躱した、という感じが見て取れた。
意に介さず女性は言葉を撃つ。
「おひさ~。 最近連絡もくれないしさ、はぁと寂しいぞ☆ 何してんの?」
「いや別に、新人研修」
「へぇ~……この二人が新人サン?」
そう言って女性は菜々と蓮実の二人を交互に見つめた。
「安部菜々です!」
「長富蓮実です」
「へー……蓮実ちゃんに菜々ちゃんか、オッケ☆」
何が“オッケ☆”なのか分かりかねたが、この数秒の彼女の言動で、何となく、菜々は自分に近い匂いにすぐさま気がついた。
というより、昔からのアイドル仲間には彼女と似たようなキャラ付けをしている子も何人か知っている。
「佐藤心で、しゅがぁはーとって呼んでね!しゅがはでもいいよぉ☆ こいつは一年間全く呼んでくれなかったけど! よろしくね♪」
「それは別にいいだろ」
プロデューサーは面倒そうに彼女をあしらっていた。
「ちょっと呼ばれてるからもう行くけど、新人さん二人ともマジでよろしく☆ 頑張って! プロデューサーはさっさと連絡よこしてね! ヤクソクね☆ バイ☆」
マシンガンのように言い放って、すたこらと去ってしまった。あっけにとられていた蓮実が、小さく口を開く。
「……変わった方ですね」
「そうかもな」
あまり人のことは言えないので、この瞬間は黙っておく。
──ただ、できることなら、彼女とはちょっとお話してみたい…いつか。
「というか……プロデューサーさん、お知り合いで?」
「ん? まあな、一応」
含みのないでもない言い方に気づかなかったわけではないが、
何事も無かったかのように再び歩き始めるプロデューサーに、蓮実と菜々は二人してついていくだけだった。
*
「さて。一通り事務所の紹介も終わったところで、二人が一緒にいる理由はもう分かるよな?」
数箇所寄り道をしたのちにようやく事務室へたどり着いた3人は、事務の女性──ちひろの付き添いも含め、今後の活動についての作戦会議が始まった。
「……私たちでコンビを組む、ってことですか?」
「正解」
蓮実の答えも、菜々の予想も的中したようだ。
「デュオとしてのスタートだけど、ぶっちゃけどうなるか分からない。 とりあえずお試しでの活動。 二人の相性が悪ければ考え直すかも」
ただ、まるで見通しのないようなあまりにぼんやりしすぎた活動計画なのではないかと、嫌でもそう思わされる。
「あのぅ……こんなこと言える立場じゃないのは分かってるんですが、ずいぶんとその……行き当たりばったり感があるような……」
おそるおそる述べる菜々を、プロデューサーが意の汲めぬ目で見つめた。
「すっ、すみませんせっかく拾っていただいたのに! 生意気でしたね、はい!」
「──いや、その通りだよ」
「へ?」
プロデューサーの斜め上の返答に、間抜けな返事を返してしまう。
「細かい計画なんてない。俺がお前らを一緒にしようと思ったのは……面白そうだったから」
「面白そう……」
「二人ともな。 そんでもって、二人にぴったりな目標がある」
プロデューサーがちひろに軽く目配せをして、うなずいたちひろがPCをカタカタと操作し始めた。
「長富にはもう話したけど――お前らの目指す先は、『アイドルの頂点』だ」
蓮実は少し置いてから控えめに頷き、菜々は突然現れた壮大なワードに戸惑いを見せる。
「ぶっちゃけ『トップを目指します!』ってのは大体のアイドルが目標として掲げるもんなんだが、
俺が言ってるのはそういう他のやつらがぼんやりと思ってるような概念的な話じゃない。 “1位”になるってこと」
「……1位?」
「いきなり大それた話に聞こえるか?」
「……はい、正直」
菜々が答えた。
「でも、やってもらう」
プロデューサーは気にせず続ける。
「そんで二人がユニットを組む目的は……“アイドルアルティメイト”」
「……アイドルアルティメイト?」
「あっ……」
蓮実にとっては初めて聞いた言葉のようだ。だが菜々はすぐにピンときた。
「知ってます! すっごく大きなトーナメントのオーディション大会ですよね?」
「そうなんですか?」
プロデューサーが頷く。
「あぁ。初開催は2000年、そこから毎年行われてた。
IUで優勝したアイドルは、どれをとっても名実共にトップアイドルと言って差し支えない、どでかい存在ばっかりだ」
「そうですそうです! 私、日高舞が3連覇を決めた瞬間テレビで見てましたもん!! もうホントにホントにすごくて……
でも、最後の2010年大会を境になくなっちゃったんですよね。
皆がLIVEバトルで対戦してるところ、すっごくワクワクして、とっても面白かったのに……って、待ってください」
「そういうことだ、驚くなよ。 そのIUが……今年、7年ぶりに開催されることになったってワケ」
プロデューサーの報せを聞いて、菜々は飛び上がった。
「ウソ……ホントですかっ!?」
「そうなんですよ。 おかげで今アイドル業界は大騒ぎです」
ちひろがデスクのPC画面を見せてくれた。
“Idol Ultimate2017”と大きく題のつけられたページに、今年度の復活開催についてのお知らせ文が掲載されていた。
「そうだったんですか……そんなにすごい大会なんですね」
「7年間の沈黙があったぶん、今回のIU2017は注目度も比較にならないだろうな」
「へぇー……」
蓮実も、よく分からないなりに一生懸命になってホームページの文面とにらめっこしている。
「待って下さい。 あの、つまり、ナナたち……」
「その通り、お前らには―――」
二人してPC画面を覗く中、プロデューサーが告げる。
「復活開催の決まったこのIU2017に出てもらう」
がんばってください、とばかりに小さく拍手するちひろとは裏腹に、蓮実と菜々は黙りこくる。
しばらく考えてみたあと、ようやく菜々が口を開いた。
「で、でも……IUって、すっごく厳しい大会なんですよね……ナナたちみたいな新人が、簡単に勝てるとは思えないんですが」
「確かに」
プロデューサーはあくまで否定せず、
「ほんっとうに厳しい言い方をするとだな──お前ら二人は」
蓮実を指さし、
「古いアイドルの価値観にとらわれた“時代遅れ”」
「うっ……」
そして菜々を指し、
「地下劇場上がりの風変わりなアイドル、業界の“はみ出し者”」
「ぎくっ」
「……とまあ、そういう風に見られるもんだ」
呆然とする二人に、きっぱり言い放った。
「それででいいのか──ってことだよ」
>>81訂正
「それででいいのか──ってことだよ」
↓
「それでいいのか──ってことだよ」
「「…………」」
──よくないに決まってる、けど。
ネガティブな反論を押し殺して、菜々は蓮実の顔をちらと覗いた。
じっとプロデューサーを見つめている。
「お前らはまだ二人揃ってようやくアイドルになれたばっかの、アイドル界の序列における底辺中の底辺。 しかも癖の強い“ワケあり”のアイドル、ってとこかな」
「そりゃ、そうですけど……」
「それが想像してみろ。 そんなワケありの底辺アイドルが……IUの大舞台で勝ち上がって、優勝して、正真正銘のトップアイドルになる様をさ」
「…………」
「そうなったとき、お前たちの立場は変わる」
立場が変わる──
今までの薄暗いアイドル人生の記憶一つ一つが頭の中を通り抜けていくような気がした。
「それってさ、めちゃくちゃ面白いと思わないか?」
「……面白いと、思います」
「だろ」
息を込めて、菜々が答える。
プロデューサーはニヤリとした。
「これはお前たちにとっての、『復活』の始まりだぜ」
「『復活』……」
以前、彼に名刺を差し出されたときも『復活』という言葉を聞いたような気がする。
菜々にとっての理想の復活。
諦めかけていたのに、諦めきれず、惰性でアイドルを続けていた日々からの復活。
そして隣にいる少女は、その言葉に何を思ったのか。
蓮実にとっての『復活』とは何なのか?
きっと彼女にも、譲れない思いがあるのかも知れない。
まだよくは知らないけれど。
「なるほど……プロデューサーさんの言っていた『材料』って、菜々さんのことだったんですね」
「そう。 似たもの同士、協力し合ってってことだよ」
自分はまだいいとして、蓮実はどうだろう?
彼女こそこのあいだアイドルになったばかりといっていた。
全くの未経験ということならば、尚のこと大会優勝なんて目標はプレッシャー以外の何物でもないんじゃないか?
彼女の表情を読み取ろうと真横を見ると、
「なんだか、 すごいことになりましたね……でも、ちょっと楽しそうです」
ニコリとしていた。
「菜々さん、優勝、できたらいいですね」
「……蓮実ちゃん、意外と肝が据わってるんですね」
「小心者で本番に弱いタイプよりは、長富くらい大らかでドンと構えててくれたほうがよっぽど助かるね」
プロデューサーは遠まわしに菜々をからかうような口ぶりで言った。
「それに、ダメだったらユニットを考え直すみたいなことは今確かに言ったが、実際そんな心配も必要なさそうだし」
蓮実と菜々が、互いの顔を見合わせる。
「お互い尊重しあえる部分があると思った。お前らなら良いコンビになれるよ」
「ですって、 菜々さん」
「…………」
もしかしたら、思った以上にこの子、大物なのかもしれない。
「私は本当の新人ですので……ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
「……こちらこそ、よろしくお願いします。蓮実ちゃん」
握手は3度目なのに、差し出された右手を握り返すのが今回は少し緊張した。
――まだ何処までいけるか分からないけれど、彼女のことは、これから少しずつ知っていこう。
「つーわけで、コンビ名は……」
どのみち挑戦するしか『復活』の術はないようだ。
だったら崖っぷちアイドルらしく、ぶつかって行くしかないじゃないか。
こうして3人で話し合った結果決定した、「ウサミン&ハスミン」という名の急造ユニットで、蓮実と菜々は鳴り物入りのIU参加を決めた。
*
その日、IU2017のエントリー会場は都内の比較的小規模なホールで行われ、菜々の予想よりは少し控えめな人数がそこには集まっていた。
とはいえこの会場は関東圏内に居を構える芸能事務所からのみやってくるようだったので、
全国規模で言えばまだまだ大勢の未だ見ぬライバルがいるということなのだろう。
実際に参加するアイドルだけではなく、各事務所関係者、報道陣など様々な人だかりができあがっている。
プロデューサーが所用で少しの間だけ離れてしまった間、蓮実と菜々はお互いがはぐれないようにぴたりとくっついて移動していた。
「あの、346プロダクションさんですか?」
そんな中、いつの間にか数名の記者やカメラマンが二人を取り囲んでいた。しまった、とも言えぬ間に矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「歴史ある346プロからついにIUエントリーですね!」
「えっ、あ、はい」
「超大手事務所が放つIUユニット、期待の新人コンビとして既に噂になっていますよ」
「そ、そうなんですか? 緊張しますね……」
「過去に絶大な人気を誇ったIUの復活開催ということで、346プロさんとしてどういう結果を残していきたいですか?」
「えっ? あ、あの……ごめんなさい、ナナはそういうことはよく分からなくて……」
困惑してしどろもどろになりながら、なんとか一つ一つ答えていく。
「では、あなた自身の是非今後の意気込みをどうぞ!」
「わっ……」
そう言って一人の記者が菜々に向かってマイクを向けた。
テレビカメラには、最近流行っているらしいネットTV番組のロゴが貼り付いている。
芸能界、特にアイドル関連の最新情報を届けてくれる珍しいチャンネルだ。
「菜々さん、アピールするチャンスですよ! せっかくですし、ほら、ね」
「……で、でっ、ですよね! ……ごほんっ」
カメラを向けられることは悪い気分ではない。蓮実に後押しされ、思い切って画面の向こう側へめいっぱいの気持ちを届けようと努めた。
「……あっ、あの! 故郷のウサミン星の皆さん、観ていますか!? ナナです!
IU優勝目指して全力で頑張りますので、是非是非! 応援よろしくお願いしま~すっ! キャハッ☆」
「「「………………」」」
とたんに、菜々を取り囲む人々の間に沈黙が走った。
「……あれ、ナナ何かおかしなこと言いました?」
「いや、そんなことは……いえ、ありがとうございました……!」
そそくさと撤収する記者とカメラマン。
「…………うぅ、今のは、ちょっと失敗だったかも……?」
「いえ、ナナさんらしくてとっても良かったと思います」
「……ありがとうございます、蓮実ちゃん……」
カメラを向けられるのは初めてだったので思わず浮かれてしまって、
本気で失敗してしまったかと気が気でなかったが、蓮実だけは褒めてくれたので良しとした。
その直後、プロデューサーと合流した蓮実と菜々はそそくさと会場を後にする。
IU2017、ゼロからの優勝という大それたビジョンを掲げて、346プロの看板を背負ったワケありアイドルたちはとうとう進み出したのだ。
*
数日後、IU2017開催決定の報せと共にエントリー会場での様子がインターネット上で放映された。
『……あっ、あの! 故郷のウサミン星の皆さん、観ていますか!?』
そして「個性的でインパクトがある」という理由で採用された菜々の決意表明のインタビューが、
とある電機店のテレビコーナーの、端にある一台に映し出されている所を、一人の女性が目撃し足を止めたのだ。
『ナナです! IU優勝目指して全力で頑張りますので、是非是非! 応援よろしくお願いしま~すっ! キャハッ☆』
かすかにウェーブのかかった栗色のロングヘアーがふわりと揺れる。
女性は──服部瞳子は、うさ耳のアクセサリーをつけたそのアイドルが意気揚々と語るその瞬間を、画面越しにじっと眺めていた。
ここまで
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