白雪千夜「吸血鬼の定義」 (17)
朝、目が覚めたら全てが燃えていた。
両親も家も。
白雪千夜の世界は全て燃え尽きて灰になった。
それなのに何故。
私は灰になっていない。
灰被りになんて私はなりたくなかったのに。
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「お嬢さまの苦手なものを知りたい、ですか?」
事務所でお嬢さまを待っていたらプロデューサーからそんな話をされた。
「千夜に聞いた方がちとせに聞くより確かだと思うからな」
「お嬢さまの弱みを私が言うとでも?」
「いや、そんな話じゃなくてさ。ほら、ちとせは吸血鬼だろ?だから注意事項とかあるんじゃないかと」
大の大人が「吸血鬼」なんて言葉を真面目な顔で話していることに少し驚いた。
たいていの大人はお嬢さまの冗談だと一笑に付すだけなのに。
そういえばこの事務所には異星人や超能力者など、お嬢さま以外にも不思議な存在がいるらしい。
そんな事務所のプロデューサーに必要な度量ということだろうか。
「本来はちとせに聞くべきなんだろうけど、真面目に答えてくれるかわからないからな」
わからなくもない。
自分の弱点なんて、お嬢さまが一番面白がる話題かもしれないから。
それはともかく質問には答えよう。
お嬢さまの安全面を真面目に考慮する点において、こいつに協力するのはやぶさかではない。
「助かるよ」
「どうも。とはいえ、お嬢さまは体が弱いということを除けば特別な問題は抱えていませんよ」
「そうなのか?小梅たちから、吸血鬼の弱点になりそうなものをいくつか教えてもらったんだが」
一応確認させてくれ、とプロデューサーはメモを取り出して読み始めた。
「まずニンニク、は食べられるんだよな」
「そうですね。アイドルになってからは減りましたけれど、臭いを気にしない時は召し上がっています」
「日光、も浴びてるな」
「お前がスカウトしたのも屋外だったのでしょう?当然問題ありません」
「十字架は?」
「とくに何も。ちなみに賛美歌を口ずさむこともあります」
「鏡には映る。知ってる」
「映らなかったらアイドルになれませんでしたね。私はどちらでもよかったですけど」
「流れる水は渡れるか?」
「プールの授業は見学していますが、川の橋を渡るぐらいならここに来る途中にも」
「招かれなければ部屋に入れない」
「そうだったら行動範囲が狭まって私もお世話が楽なのですが」
「胸に杭。銀の銃弾」
「普通の人間も死にますね」
プロデューサーはメモをしまい、私たちはしばし無言の時間を過ごした。
「こんなこと言っていいのかわからないけど」
どうぞ。
「ちとせはどのへんが吸血鬼なんだ?」
まあ、そうなりますよね。
「屈辱ですが、私も以前にお前と同じことをお嬢さまにうかがったことがあります」
「屈辱なのか」
「はい。そしてお嬢さまの返答はこうでした。ニンニクとか流れる水とかそんなのは関係ないんだよと」
「そうか?むしろ吸血鬼といえばこれ、ってものだと思うけど」
「いいえ。吸血鬼にとって大切なのは『血を吸うこと』そして『血を吸う自分を受け入れていること』。それを満たしていれば、コウモリに変身できるとかそういうのはどうでもいいと、お嬢さまはおっしゃいました」
走るゾンビだって賛否両論あれどゾンビなのには変わりないでしょ、とかなんとか。
「本質が大事ってことか。でも『血を吸うこと』はともかく『血を吸う自分を受け入れていること』?」
お嬢さまに今の話を聞いた時、同じことを私もたずねた。
するとお嬢さまは「もちろん」と頷いた。
「血を吸うだけじゃダメ。他人の血を食料とする己を肯定して受け入れた時、人は初めて鬼になるんだよ」
血を吸う鬼、すなわち吸血鬼。
「私からしたら、どれだけ他人の血に飢えていても本心から望んでなきゃ人間だよ」
お嬢さまはそんな話を楽しそうにするのだった。
アイドルとしての日常を終え、自宅に戻ってお嬢さまのお世話をしていたらもう一日が終わる。
一日が早いことを充実していると呼ぶべきか、無駄に過ごしていると呼ぶか判断に迷うが、とにかくもう夜だ。
「それでは私は部屋に戻ります。お嬢さまも夜更かしなどしませんよう」
「え、するよ?だって今日はこんなに月が綺麗なんだもの」
「知っています。一応言っただけです。体に無理のない範囲に抑えるようお願いします」
「はーい。千夜ちゃんも一緒に夜更かしする?」
「いいえ。私は明日も朝早いので」
「だよね。おやすみ千夜ちゃん」
「おやすみなさい。お嬢さま」
お嬢さまに挨拶をして私は私の寝室に戻る。
ふと窓の外を見たら、たしかに月が煌々と輝いていた。
そういえばあの朝の前の晩もあんなふうに月が輝いて……。
嫌なことを思い出しそうになったので、カーテンを閉めてベッドに潜る。
明日もまたアイドルのレッスンがある。
まったく、充実した日常になったものだ。
もちろん皮肉ですよ。
夢の中は全てが燃えていた。
カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びた私の体は瞬く間に炎に包まれて、炎は部屋へと燃え広がり。
家も両親も炎に飲まれて。
白雪千夜の世界は全て燃え尽きて灰になった。
それなのに何故。
私は灰になっていない。
全身を炎に焼かれながら、私の体は焼かれた部分から再生していく。
ああ、熱い。
熱くて熱くてたまらない。
喉が渇いた。
飲みたい。
はやく「 」が飲みたい。
黒埼ちとせが部屋で本を読んでいると、フラフラとした足取りで一つの影が入ってきた。
「あは。やっぱりきたんだ。来ると思ってたよ、今日は月が綺麗だから」
影の正体、千夜はちとせの言葉に反応することなく「熱い。熱い」とうわ言のように呟いている。
ちとせはそんな千夜の様子に驚くことなく、千夜を自分のもとへ手招く。
「おいで、千夜ちゃん」
千夜はちとせに吸い寄せられるように近付き、そしてちとせの首に腕を回す。
「喉が……渇く……」
「そう。なら飲んだら?」
ちとせは何もしない。
千夜が昼間はない牙を剥いていても、無抵抗のままだ。
ちとせの白い首元に千夜の牙が近付いていく。
数センチが数ミリに、互いの呼吸が聴こえるほどにお互いの距離が縮まり。
止まった。
ちとせは何もしていない。
だから、牙がちとせの首に触れそうな距離で千夜が動きを止めたのは、他でもない千夜の抵抗だ。
「吸わないんだね、千夜ちゃんは。一回受け入れちゃえば楽になるのに」
私の少ない命で千夜ちゃんが楽になるなら、それでもいいと思うのに。
ちとせは優しく千夜を抱きしめる。
「それなら千夜ちゃんは人間だよ」
日光で燃える肌でも、瞬きの間に治る体でも、それただ吸血鬼の才能を持っていただけのこと。
千夜がその才能を受け入れないというのなら、千夜は人間だ。
人間であることを望むのなら、ちとせは愛おしい彼女の意思を尊重しよう。
「千夜ちゃん、喉が渇いてるんだよね。ならこれを飲むといいよ」
ちとせは机の引き出しから真紅の液体の入ったガラス瓶を取り出し、中身を千夜に飲ませる。
液体を飲んだ千夜から力が抜けてその場で静かに眠りはじめたのを確認して、ちとせは千夜の頭を撫でた。
「今はまだ満月に惑わされてるけど、千夜ちゃんの心が自由になれば大丈夫になるから。もう少しだけ我慢してね」
そしてその時は、きっと遠くないから。
朝、目が覚めたらお嬢さまが隣で寝ていた。
しかも場所はお嬢さまの寝室だった。
「昨日は激しかったね」
お嬢さまの言葉を無視してベッドを出る。
おおかたお嬢さまが寝ている間に私を運んだのだろう。
時々そういうことをする人だ。
「昨日は千夜ちゃんからベッドに潜り込んできたんだよ」
「そうですか。それは申し訳ありませんでした」
軽く聞き流し、カーテンを開けて朝日を取り込む。
「眩しい……吸血鬼に日光は天敵だよ千夜ちゃん」
「お嬢さまは大丈夫でしょう、まったく」
「千夜ちゃんは大丈夫?」
「はい?それはもちろん、私は人間ですので」
「あは。そうだね」
お嬢さまは笑う。
何がそんなに嬉しいのか私にはわからないけれど、でも今日はいい日になりそうだ。
おしまい!
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