◆きみが身体をみつけたら (40)


『入れ替え』という能力は、
私生活を過ごすにあたって、とても便利だ。

力を行使する際の手順は、(1)-(3)に従う。

(1)入れ替えたいものを頭に思い浮かべる
(2)入れ替え先の対象を目視で確認する
(3)入れ替えを念じる

要するにとても簡単なやり方で、この力は使うことが出来る。



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たとえば買ったばかりのアイスクリームを地面に落としてしまった時、
僕は『入れ替え』を使うことでこれを取り戻すことができる。


(1)僕は、まず『アイスクリーム』を頭に思い浮かべる。

入れ替えにおいては、このプロセスが極めて重要になる。
つまり、脳内での具体的なイメージが定まっていない状態で
次のステップに行くことは、入れ替え障害を巻き起こすことになる。

入れ替え障害というのは、AをBと入れ替えたいと考えている最中に、
誤ってCも同じタイミングで思い浮かべてしまった時、
『入れ替え』はAとCの両方に対して起きてしまうという現象になる。

これは偶発的な事故であり、一歩間違えれば
あらゆる危険性も孕んでいるため、
この作業は慎重に行う必要がある。


僕は、頭の中で『アイスクリーム』のイメージを思い浮かべる。


これが終わったら、次に(2)のプロセスに入る。

目的の対象は、正面の形が見える位置にあるのが好ましいが、
外形が捉えられていれば横向きであっても特に問題はない。

要するに、これもイメージの問題であり、
リンゴというイメージが元から頭に入ってさえすれば、
形が違うものであっても、半分に切られていたとしても、
想像で補えることが出来れば『入れ替え』は可能になる。


僕は早速、向かい側に座る青年のアイスクリームを眺めた。


後は(3)で示した通り、念じるだけでいい。

僕は『入れ替え』を行使する。
するとどうだろう、僕の手元にはまっさらのアイスクリームが現れる。
代わりに、青年が買ったばかりのアイスは僕のものと入れ替わっている。

僕は素知らぬ顔でアイスを頬張る。
慌てふためく青年をよそに、
冷たい甘みが僕の口の中に広がっていった。


 * 

「ねえねえ、ちょっと聞いてくれない?」
柏木さんはそう言って、にこやかに白い歯を見せる。

陸上部に所属している彼女は、一年生ながらにして、
短距離走でレギュラーの座を獲得しているほどに、
肉体的にも精神的にも、実に健康的な女の子だ。

「今から、日誌書かなくちゃいけないんだけど」

「まあそう言わずにさ。実はね、昨日、噂のあの人を見かけちゃったの」

「へえ。誰のこと?」



柏木さんは、先ほどよりもひとつ声のトーンを落とす。

「ほら、隣のクラスの蒼井さんだよ。蒼井明衣さん、知ってるでしょ」

「蒼井さんって、あの?」

「うん。いっつも包帯巻いてる女の子。ファッションなのかな、あれ」

「さあ。怪我でもしてるんじゃない」

「怪我って、それ」

「なあ、蓮見はどう思う?」


そういうと、ふたりの男女は、こちらに顔を向けた。

「話聞いてたよな」
佐々木は誰にも好かれそうな好青年のような笑みを浮かべている。

盗み聞きをしていたわけではないけれど、
隣で喋っていればいやでも耳に飛び込んでくるはずだ。

それを分かってなお、佐々木は僕に意見を求めているんだろうか。
そういう意味でも、僕は佐々木が嫌いだった。

「たぶん、アニメの見過ぎとかじゃないかな」
僕は話題を断ち切るように、一言だけ告げる。


「なんだそれ、うける」
僕の返答に佐々木は笑っていたが、
柏木さんの顔は強張ったままだった。

僕らの会話はそこで終わった。

佐々木が再び柏木さんと談笑をはじめたことをよそに、
僕は窓の外を眺め、心の中で悪態をついた。


蒼井明衣は、学内でも有名な女の子だった。
おそらく、良い意味でも悪い意味でも。

彼女は、人よりも際立って目立つ容姿を兼ね備えていた。
入学したばかりの頃から既に、
彼女は上級生からも注目されるほどには、有名人だった。

「薄幸の美少女」だとか、
「真っ白で透明な花束」だとか、
とにかく彼女の呼び名は様々あった。


彼女が包帯を巻いて登校するようになったのは、
たしか、梅雨入りのころはずだ。

実を言えば、僕は彼女と通学時間が重なっており、
また使う交通機関すらも同じだった。

そういうわけで、僕は度々彼女の姿を見かけることになるのだが、
彼女の左腕には常に仰々しく包帯が巻かれてあった。

はじめは、周りの人間が騒いでいたものだが、
彼女がその件に関して何も口を出さないこともあり、
これまで群がっていた連中は、いつしか彼女を恐れて離れていった。



今では、彼女は「高嶺の華」という扱いを受けている。

最も、それは薔薇のようなものなのかもしれないけれど。



「まあ、どうでもいいことだな」
 
僕は、裏庭のベンチに深く腰掛けた。
ここは日が当たることもほとんどないので、
基本的に人気が少ない。

放課後に立ち寄ることが増えたのは、それが理由だった。
僕みたいな人間にはもってこいの場所だ。

べつにクラスの連中からは苛めを受けているわけでもはないが、
それに近い迫害を受けているのは確かだった。



「いいか、小林。コミュニケーション能力ってのは、
社会に出るためには、確実に必要になるスキルのひとつなんだ。

つまりは、僕はそういうのが欠落してんだろうな。
でも、それを悪いと思ってるわけじゃないんだ。

今は人同士が特別、関わり合いすぎなんだよ。
もっと、軽い関係で良いんだ、僕からすれば。

別れる時も、またなじゃなくって、さよならでいいんだ。
それくらいが、ちょうどいいんだよ、僕は」


ぐぅ、と小林は声を唸らせた。
顔を見つめるが、分かっているのか分かっていないのか
微妙な表情で喉を鳴らしている。

もしかすると、猫に話しかけるのを虚しく感じなくなるのも、
ひとりきりが長いと培われる能力なのかもしれない。


「さて、今日もお前に飯をやろう。いいか、よーく見ておけよ」
 
小林の好物は、丸々太った金魚だ。
そいつらは、裏庭のため池の中で悠々と泳いでいる。

しかし、生徒が立ち入らないようにと、
ため池との隔たりを作るような網格子が備え付けてある。

だが、僕にとってはそんな壁を超えることなど造作もないことだった。

僕は足元に転がった小石を一瞥した後、
ため池の中で泳ぐ金魚の姿を想像する。

血だまりのような、鮮やかな赤を思い浮かべ、僕は『入れ替え』を行使する。



すると、小石はその場から消え失せ、
代わりにびちびちと、地面で跳ね回る金魚がそこに姿を現した。

僕はしたり顔で小林の頭を撫でた。

「どうだ、凄かったろ? ちゃんと味わって食べろよ」


裏庭に人がやってくることは滅多にない。
それは、このため池も関係していた。

不自然に建てられた歪つなフェンス。

ちょうど5年ほど前に
この池に足を滑らせて死んでしまった生徒がいるらしい。

そして、ここに近づく人間はその死体に呪われるとも囁かれている。

どこまで本当かは分からない。
ただ、その噂のおかげで
こうしてひとりの時間を満喫できるのだから、
少しは感謝しなければならない。


そういうわけで、僕は完全に油断をしていた。

そう。ここに人が立ち寄るなんて、滅多にないことなのだから。

「今の、どうやってやったの?」

蒼井明衣は、僕の後ろで立ち尽くしたまま、怪訝な表情を浮かべていた。

彼女に話しかけられたのは、これが初めてのことだった。


「なんでもないって言うのは無しだからね。

私、ちゃんと見ちゃったから。説明してもらえるかな。

さっき入れ替えたでしょ、そこの小石と、ため池の金魚」

蒼井明衣は、まくし立てるような口調でこちらに詰め寄ってくる。
僕は呆気にとられて声を出すことが出来ないでいた。

「ねえ、どうして黙ってるの」

彼女は、不機嫌そうな顔で僕の顔を見上げていた。

そうして僕は、現状を再確認する。
これは、まさしく、大変な状況になった。


「ぜんぶ、見たのか?」

「うん。ぜんぶ、ね」

せめてもの絞り出した声にすばやく反応する。
蒼井は、人差し指をつきだしたまま、
問い詰めるような口調を止めようとはしない。

「……何でもないよ。ただのマジックみたいなものだから」

「口下手なんだね。それって、肯定と同じだよ」

彼女はそう言って、不機嫌そうに口をとがらせた。


蒼井はぽすりとベンチに腰をかけた。
その腕には包帯が巻かれてある。

「座りなよ、ここ」

「あいにく、僕の定位置は今君が座ってる場所なんだけどさ」

「そういうの気にするんだ。君、名前は?」

「は?」

「だから、名前はって言ってるでしょ。呼びづらいから」

「教える義理はないね」

「うわあ、友達いなさそー」

蒼井は、そう言って憐れむような目を僕に向ける。
もはや、会話する気持ちすら失せ、僕はその場で踵を返した。


「どこ行くの?」

「帰るんだよ」

「ふうん。それじゃあ、また明日ね」

 僕は蒼井の言葉に思わず振り返る。

「ちょっと待て。なんだ、また明日って」

「だから、また明日も会いに行くからって意味だよ。
なんなら、君のクラスを探しに行ってあげようか?」


僕は想像する。

突然、蒼井明衣の現れた僕のクラスは、
騒々しくなるだろう。

ただでさえ誰彼構わず注目を集める女だ。
しかも彼女が探している相手は、僕みたいなあぶれ者ときた。

こいつがいなくなった後、
僕はあいつらからの格好の的になるに違いない。


僕は、どさりと彼女の隣に座りこむ。
すると蒼井は口角を歪ませて笑う。

「帰るんじゃなかったの?」

「気が変わった」

「へえ。少しは物分かりがいいんだ。意外だった」
「その減らず口は生まれつきか? 
こっちも意外だったよ。
普段は取り繕ってるつもりかは知らないけど、
危うくだまされるところだった」

「君、ずいぶんと毒舌なんだね」

どっちがだよ、と言いかけて僕は口を噤む。
さっきから調子が狂わされてばかりだ。



「それで?」彼女は首をかしげる。

「なにが」

「名前。まだ教えてくれてないでしょ」

へらへらと蒼井は笑う。
学園のアイドルと話しているという気持ちは、
いつの間にか消え失せていた。

僕は「蓮見」とだけ答える。
それ以上は何も言うつもりはなかった。


「じゃあ、蓮見君。
そろそろ、さっきのことを説明してくれてもいいんじゃない。
まだ教えてもらってないでしょ。あれは、どうやってやったの?」

手品だよ、けっこう凄かったろ。
ここの高校、バイト禁止だから、
普段は路上パフォーマンスで稼いでるんだ。
家の生活費が苦しいから、
自分で使うお金くらいは自分で賄わないといけないからね。

「……ふうん、そっか」

それだけ言って、蒼井は黙り込んでしまった。



「さっきから何を考え込んでんの?」

「蓮見君から自白させる方法を考えてるの」

彼女は諦める様子はひとつも見せようとはしない。これは実に困った。

「残念だけど、あんたに何かを言うつもりはないよ」

「あんた、じゃないよ。私、蒼井明衣って名前があるの」

「……じゃあ、蒼井。そろそろ諦めてくれないか、僕も家に帰りたいんだ」

そう言って、僕はため息を吐く。
強情さじゃ負ける気はしない。
彼女がどう足掻いても、僕が折れることはないだろう。


「分かった、じゃあやり方を変えるよ」

だが、蒼井明衣は僕の想像を超えた“異常さ”を兼ね備えていた。

彼女は、涼しい顔でベンチから立ち上がると、
裏庭とため池を隔てるフェンスをよじ登り始めた。

太ももからまくり上がったスカートを気にする素振りも見せず、
彼女はするりするりとフェンスの向こうへと降り立つ。

「何するつもりだ」僕は脂汗を滲ませて彼女に尋ねた。

「飛び降りるの」

「は?」

「今から、このため池に飛び込むよ。よく見ててね」

「バカ、やめ――」



それは一瞬の出来事だった。

僕の静止を聞こうともせず、
蒼井はため池の方へと歩いていく。

そして、彼女の身体は宙を舞った。
斜陽と重なり、彼女の後姿は
鮮やかな逆光となり、僕の瞳に映る。

何の迷いもなく、きれいな影となる。
それは、映画のワンシーンにも思えた。
ひとりの少女が死にゆく様を切り取った、
フィルムのようだった。



そして、僕は無意識のうちに『入れ替え』を行使していた。





「それじゃあ、そろそろ説明してくれるかな?」

ベンチと入れ替わった彼女は、僕の隣で嬉しそうに笑みを浮かべていた。

「どぼん」という鈍い音が辺りに響き渡り、
ため池の中に僕の居場所は泡となり消え去った。

今日はここまで。つづきます。

こういうのめっちゃ好き、頑張って下さい。乙。


「死んだらどうすんだよ」と僕は言った。

「死なないよ。だって、助けてくれるってわかってたから」

あんまり己惚れるなよ、と言いかけて僕は口を噤んだ。
彼女の言い分は決して間違いではなかった。
たぶん、僕もそうしてしまうと自分でもわかっていたからだ。

「だけど死ぬんだよ人って、わりとあっさりと」

「まあね」と蒼井はこたえた。

そう言った彼女があまりにもきれいな顔をしているものだから、
僕はこらえきれずに笑ってしまった。


「何がおかしいの?」と彼女は言った。

「さあ、よくわかんない」
それは本音だった。どうしてか僕は笑いが収まらなかった。

「変なのー」

彼女は校舎の壁にもたれかかるようにして、
その場に座り込んだ。


「ねえ。さっきのっていつから使えるようになったの?」

さっきの、というのは『入れ替え』のことに違いなかった。
僕は観念して、彼女から少し離れた場所に
おなじようにして座り込んだ。

「小学生くらいかな。記憶があるころにはもう使えてたよ」

「悪いことには使わなかった?」

「悪いことって?」と僕は聞き返す。

「万引きとか。あと、下着ドロボー」

僕は「バカ言うな」とこたえた。
そうすると彼女はからかうような笑い声をあげた。


「使い方が難しいんだ。今はまだマシになったけど、
はじめのころは入れ替えられるものにも制限があった」

「ふうん。じゃあさ、『入れ替えられないもの』って例えばどういうもの?」

「あまりにも大きいものはダメだ。
ビルだとか、惑星だとか、そういうのはぜんぶね」

彼女はピンと来ていない顔で「そうなんだ」とこたえた。



「私と蓮見君は、入れ替えられないの?」と彼女は言った。



「僕が君の方に、君が僕の方に座ることはできるけど」

ああ、そういう意味じゃなくて――と彼女はそれを否定する。


「私と蓮見君の身体を、入れ替えられないかってこと」


「身体を入れ替えるだって?」

「うん。できないの?」

彼女が首を傾げると、制服のリボンが揺れた。
僕は慌てて顔をそむける。

「しらないよ、やったことないから」

「じゃあやってみようよ。私の身体、好きに使っていいから」

「はあ?」

どういうわけか、彼女は
自分の身体を僕と交換したいようだった。

>>32
ありがとうございます、
なるべく早めにおわらせます。。

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