阿良々木暦「神原、何か飲むか?」神原駿河「私は阿良々木先輩の汗でいい」 (16)

春と夏の間にある、梅雨の時期。
この季節が訪れる度に、僕は身構えてしまう。
振り返ると、そこに黄色い雨合羽を着た少女が立っているのではないかと、不安になる。

「他ならぬ阿良々木先輩の望みとあらば、私としては当然、全裸に雨合羽を着て登場し直すのもやぶさかではない。むしろ、大歓迎だ!」
「シリアスなモノローグを台無しにするな!」

とはいえ、不安は不安でしかなく、心配は杞憂となるのが物語の常であり、僕が再び雨合羽を着た少女に襲われることはなかった。

「本当にお前は全裸が好きだよな」
「阿良々木先輩は全裸が好きではないのか?」
「ああ、好きだよ! 僕だって全裸が好きだ! 大好きだとも! 当たり前だろうが!」

全裸好きな後輩に呆れ果てた僕に対して、神原駿河は分かり切った質問を返してきたので、半ばやけになりながら正直にそう答えると。

「ならば何も問題はなかろう」
「問題が発生する前振りにしか聞こえないぞ」
「しかし、私としては、前振りよりも前触れの方が語感が良いと思う。主に性的な意味で!」
「ああ、僕もお前と全く同感だよ!」

前振りよりも、前触れの方が語感が良い。
何故そう感じたのか。その理由は簡単だ。
目の前で思わせぶりに尻を振られるのと直に前を触られるのとでは、誰だって後者が嬉しい。
とはいえ、そこまでのスキンシップは後輩とするものではないこともまた、明白であり。

「ふむ。それでは遠慮なく」
「お前はもっと遠慮と躊躇いを身につけろ!」
「あっ! こら、阿良々木先輩! 暴れるな! イチモツを目の前で思わせぶりに振り乱すな!」
「振り乱してなんかねぇよ!」

雨合羽を着ていない神原駿河とじゃれ合いながら、ふと見上げた空の雲行きは怪しく、まさに嵐の前振りならぬ、前触れになりそうだと、この時、僕はそんな予感を漠然と抱いた。

やれやれ、これも日頃の行いのせいだろうか。
せっかくの後輩とのデートなのに、雨なんて。
じゃのめの傘など、持ち合わせていないのに。

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「やっぱり、降ってきたな」

不安や心配は杞憂となるのが物語の常である一方で、現実は小説よりもまた奇なりといった格言もこの世には存在しており、デートの振り出しから雨が降り出した。

「大変だ、阿良々木先輩」
「どうしたんだ、神原」
「このままでは私の薄いシャツの胸元に、あられもないぽっちが浮かび上がってしまう!」

普通はそうならないように下着を着るものだ。

「自業自得だろ」
「いや、この場合、得をするのは主に阿良々木先輩だけのような気がするのだが……」
「何を言ってるんだ、神原」

物分かりの悪い後輩に、僕はここぞとばかりに先輩らしく、務めてわかりやすく解説した。

「お前のあられもないぽっちを見て、僕は得をして、そして僕にあられもないぽっちを見て貰って、お前も得をする。ほら、win-winだろ?」
「おおっ! 破綻した論理でも自信満々に言い切ると有無を言わさぬ説得力を生むものだな!」

もちろん、自分の理論が破綻しきっていることくらい、僕にだってわかっている。
しかし、むしろ破綻した後だからこそ、再建することが出来るとも言えなくもない。

破壊と再生はどちらも結果を物語るのだから。

「しかし、私のぽっちを目撃した場合、阿良々木先輩の眼球は物理的に戦場ヶ原先輩に破壊されそうなものだが、その覚悟があるならば……」
「ほら、神原。僕の上着を着ろよ」

後輩の忠告に従い、僕はすぐさま上着を手渡すことによって、浮気認定を回避したのだった。

「雨、やまないな」
「そうだな」

閑話休題。ということで。
ひとまず、強まった雨足から逃れるべく、僕と神原は急いで雨を凌げる場所まで避難した。
丁度良いところに屋根付きのバス停があったので、そこに逃げ込み、ぼんやり空を見上げる。

降り出した雨は、当分やみそうもなかった。

「神原、何か飲むか?」

おあつらえ向きに、バス停には自動販売機が設置されていたので、懲りない僕はまた、ここぞとばかりに先輩風を吹かせて、後輩に何か飲み物でも飲むのかと尋ねてみたのだけど。

「私は阿良々木先輩の汗でいい」
「平然と気持ち悪いことを言うな!」

とことん、僕のここぞを邪魔する後輩だ。
たしかに降りしきる雨によって湿度は高まっており、その蒸し暑さに僕は現在うっすら汗ばんでいるが、それでも絞れるくらいに汗をかいているわけではない。
しかし、根っからのスポーツウーマンである神原は代謝が良いらしく、額に浮かんだ汗を指先で拭うと、それをこちらに向けて、一言。

「舐めろ」
「後輩の癖になんだその口の利き方は!」

あまりにも無礼な後輩の態度に憤慨した僕は怒鳴り散らしながらも、その細い指先を咥えた。

「あむっ!」
「ひぅっ!?」
「なんら、かんふぁる? ほーかひたか?」
「い、いや、まさか本当に舐めるとは……」

やれやれ、この僕を誰だと思っているのやら。
後輩に指を舐めろと言われたならば、怒りながらも渋々舐めるに決まっているだろうが。

「ちゅばちゅば!」
「その効果音は既に、渋々舐めるというよりも渋々しゃぶると言った方が適切だと思うぞ」

それを言うならしゃぶしゃぶしゃぶると言った方が、語感が良いだろうと、僕は思った。

「それで、阿良々木先輩」
「なんだよ、神原」
「私の汗の味はどうだった?」

後輩の指を股までしゃぶり尽くした僕に、神原はこの上なく答え難い質問をしてきた。
無論、汗には塩分が含まれているので、しょっぱかったと言えばそれまでなのだが、そんな普通の答えを口にして神原の理想の阿良々木先輩像を打ち砕き、幻滅されるのが僕は怖かった。

だから、やむなく、こう答えることにする。

「お前のおしっこみたいな味がしたよ」

どうだ、神原。
お前の先輩は、なかなかの男だろう。
キメ顔でこんな台詞を恥ずかしげもなく言えるこの僕を心の底から尊敬して、敬服しろ。

「流石に、尿に例えるのはどうかと思うぞ」
「んなっ!?」

真顔で後輩に苦言を呈されてしまった。

「さてはお前、神原の偽物だな!?」
「私は本物だ! 見ろ! この胸元のぽっちを忘れたとは言わせたないぞ、阿良々木先輩!」
「やめろ! 僕の眼球が恋人のひたぎさんに物理的に破壊されるだろうが!」

ここぞとばかりに脱ぎにかかる神原を慌てて止めながら、確かにこの潔い脱ぎっぷりは神原駿河本人であると認めた僕は、尿を忌避する後輩に対して少しだけ、寂しさを覚えてしまった。

「はぁ……」
「どうした、阿良々木先輩。溜息など吐いて」
「お前がそんな奴だとは思わなかったよ」

つい、愚痴みたいな言葉が口から溢れた。

「なんだそれは。どういう意味だ?」
「いや? 別に、なんでもないさ」
「なんなんだその曖昧な返答は! 言いたいことがあるならばハッキリ言えばいいだろう!?」

腑抜け呼ばわりされた僕は、言ってやった。

「正直、お前にはがっかりしたよ、神原」
「そ、そんな……何故だ、阿良々木先輩!」
「たかが尿を忌避するような奴はもう僕の後輩でもなんでもない。あばよ、神原。達者でな」

自分でも驚くほど、冷たい口調だった。
僕はこれまで神原に対して、これほどまでに辛辣な言葉を言い放った経験など未だ嘗てなく、そこでようやく、自分がそれほどまでに大きな失望をこの後輩に感じていたのだと自覚した。

「阿良々木、先輩……?」
「さぁーて、新しい後輩でも探しに行くかぁ」
「くっ……! かくなる上は……!」

なにやら覚悟を決めて、神原は宣言をした。

「漏らす! この場でおしっこをお漏らしするから、どうか私のことを見捨てないでくれ!」

神原の嘆願を受けて、僕は広角をつり上げる。
計画通り。なんだ、やれば出来るじゃないか。
やはり、神原は僕の後輩に相応しいと思った。

「阿良々木先輩」
「なんだ、神原」
「流石に真正面からまじまじと局部を見つめられると、出るものも出ないのだが……」

バス停の片隅にしゃがみ込んだ神原の真正面に陣取り、もはやトレードマークとも呼べるほどに見慣れた黒いスパッツに染みが浮かぶのを今か今かと待ち構えていた僕は、注意された。

「マジ?」
「マジマジ」
「マジマジなだけに?」
「マジメに言ってるんだ」

そんなしようもない冗句で事なきを得ようとした僕だったのだが、神原の目はマジだった。

「それなら、お前は僕にどうしろと言うんだ」
「普通に、後ろを向いてくれればそれでいい」

おいおい、マジかよ。マジマジかよ。
すぐそこで、僕の魔の手が届く範囲で、今からおしっこをしようとしている後輩に背を向けるなど、本気で言っているのだろうか。

ここで背を向けたならば、最後。
僕はこの先一生、神原の先輩としての面目が立たなくなることは言うまでもない。
家に帰っても、そんなお兄ちゃんは知りませんと妹達から冷たくされて、居場所を失い。
時を同じくして、恋人である戦場ヶ原ひたぎから別れを告げる新着メールが届くことは、もはや確定された未来であると断言できる。

故に、僕はこの場から離れるつもりはないので。

「手、繋いでやろうか?」
「何故、今このタイミングで手を繋ごうとする! デリカシーを履き違えるな、阿良々木先輩!」
「まあ、楽にしろよ、後輩」

デリカシーを履き違えた僕は、神原の手を握った。

「お前の手、よくなって良かったな」
「っ……その節は、面倒をかけた」

今やすっかり元どおりに完治した元猿の手を握りながら、しみじみとそう言うと、何故か神原は俯むき、伸びた前髪が顔を覆い隠した。

僕はその反応を見て、すぐにピンときた。

「もしかして、うんk……」
「阿良々木先輩! それ以上は言うな!」

怒られた。
まあ、当然だろう。
しかしながらそこまで怒ってはいないらしい。
そのくらいは僕にだってわかる。何故ならば。

繋いだ手を、神原は離そうとしなかったから。

「今のは僕が悪かった」

ダメな先輩だ。
シリアスな場面になると、ついつい茶化してしまう自分の悪癖について謝罪すると、神原はふと思い出したかのように、こうひとりごちた。

「そういえば、猿に願って荒れ狂った私が阿良々木先輩の腹わたを引きずり出し、腸を引き千切った際に、周囲に大量のうんこが飛散した覚えがある。ははっ。今となっては懐かしい思い出だ」
「それを今言うのか、お前は!?」

ダメな先輩を持つ神原も、ダメな後輩だった。

「すまない、阿良々木先輩」
「なんだよ、いきなり」
「私は……ダメな後輩だな」

僕のツッコミに対して、またも神原は俯いた。
さっきから、感情の浮き沈みが激しすぎる。
どうも今日の後輩は、情緒不安定らしかった。

「せっかく、戦場ヶ原先輩の好意で自分の過去の行いを払拭する機会を得たのに、阿良々木先輩にデートを楽しんで貰うことすらままならない、この愚かな後輩を……どうか許してくれ」

そう言って顔を上げて、未だに降り止まぬ雨を見つめる神原は、泣いているように見えた。

『神原とデートをすることを許可します』

先日、戦場ヶ原からそう告げられた時からその真意が掴めずに困惑しつつ、今日のデートの日を迎えた僕は、ここに来てようやくその意味を理解した。

つまり、降って湧いたようにセッティングされたこの後輩とのデートは、神原が過去にしでかした僕に対する暴力的な行為を払拭し、帳消しにする為に用意された場なのだろう。

その真意に、僕はすっかり呆れ果ててしまう。

「まだそんなことを気にしていたのか?」
「あれだけのことをしたのだから当然だ」

たしかにあの時、僕は腸を引き千切られた。
死ぬかと思ったし、実際に死にかけた。
それでも根に持つことはない。何故ならば。

「知ってるか、神原」
「えっ?」
「腸を引き千切られて、周囲にうんこを飛散させるのは、超気持ち良かったんだぜ?」

腸なだけに。超気持ち良かった。
ならば、委細問題あるまい。
それで全て、帳消しと言えよう。

「腸なだけに、帳消し……」

僕のとびきりしようもない冗句を聞いて。

「ははっ……なんだ、それは」
「馬鹿みたいだろう?」
「あははっ……本当に、馬鹿みたいだ」
「だから、何も思い詰める必要なんてない」
「ありがとう、阿良々木先輩。私は、馬鹿だ」

こんな馬鹿な後輩を持つことは、先輩としてはそう悪くなかった。むしろ、有難いと感じる。
あまり優秀すぎると、こちらの立つ瀬がない。

「はぁ……面白かった」
「お前が楽しそうで、何よりだよ」

笑いすぎて涙を浮かべる後輩のさらさらの髪の毛に手を伸ばし、頭を撫でてやると、意外にも神原は赤面して、モジモジと口ごもった。

「実は、その、さっき笑った時に……」
「どうしたんだ?」
「ちょっとだけ、漏らしてしまったのだ」

来た。ついにその時がやって来た。
鼻の穴が広がっていくのを自覚する。
僕が知らないうちに訪れるとはシャイな奴め。
ちょっと待ってろ。すぐにスパッツに浮かび上がった染みを事細かに描写する……その間際。

「ッ!?」

背筋に寒気を感じて、振り返ると、そこには。

「誰が手を出して良いって言ったのかしら?」

黄色い雨合羽を着た戦場ヶ原が、佇んでいた。

「ひ、ひたぎさん……?」
「ええ、あなたの恋人の戦場ヶ原ひたぎよ」

こちらを見据える恋人の凍てつく視線の先には神原の頭を撫でる為に伸ばした僕の手があり、たしかに手を出したと言えなくもない状況だと気づいた僕は、それが魔の手ならぬ魔の悪手であったと、悟った。

「こ、これは、違うんだ……」
「言い訳無用」

ぴしゃりとにべもなく弁明を切り捨てた戦場ヶ原ひたぎが、こちらにひたひた近づいてくる。
よりにもよって黄色い雨合羽を着ていることもあり、過去のトラウマに縛られた僕は、一切身動きが取れず、逃げ出すことが出来なかった。

「待ってくれ、戦場ヶ原先輩!」

そんな情けない先輩を庇うように、前に出た神原がひたぎさんと対峙した。修羅場である。

「退きなさい、神原」
「戦場ヶ原先輩。私はただ、阿良々木先輩に愉しんで欲しくて、だから、おしっこを……」
「ええ、全部わかっているわ。でもね、神原」

まるで聖母のように慈悲深い笑みを浮かべていた戦場ヶ原は、きりりと表情を引き締めて。

「阿良々木くんにおしっこをかけるのは私よ」

そんな、耳を疑うようなことを言い放った。

「ひ、ひたぎさん、今なんて……?」
「黙って這い蹲りなさい、この浮気者」
「ぐあっ!?」

おしっこをする神原に合わせてしゃがみ込んでいたことが災いした僕は、顔面を蹴られ、その場に倒れ伏した。

「さてと、神原」
「ひっ!」
「安心しなさい。もう怒ってないわ」

僕の顔面に跨りながら、戦場ヶ原は命じた。

「神原」
「は、はいっ!」
「これから起きることをしかと見届けなさい」
「わ、わかりました!」

そう言って格好良く先輩風を吹かせた戦場ヶ原は、おもむろに黄色い雨合羽の裾をまくって。

「ああ、言い忘れていたけれど、シャワーを浴びている最中に嫌な予感がして慌てて飛び出して来たから、雨合羽の下には何も着ていないの」
「んなっ!?」
「だから少しだけ、良い夢が見れると思うわ」

ひたぎさんの説明の通り。
雨合羽の裾の向こうには、満点の星空が広がっていて、あれがアルタイル、そっちがベガ、そしてデネブといった具合に、見事な夏の大三角形がトライアングルを描き、間を流れる天の川から溢れた落ちた雫が僕の顔面に降り注いだ。

ちょろろろろろろろろろろろろろろろろんっ!

「フハッ!」
「阿良々木ったら、そんなに大口を開けて嗤うなんて、そこまで私のおしっこが飲みたいの?」
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

狂ったように嗤い哄笑した僕は、尿に溺れた。

後日談というか、今回のオチ。

「それじゃあ、あとはごゆっくり」

あの後、尿を出し切った戦場ヶ原はスッキリした表情をしてさっさと帰ってしまい。
バス停には尿塗れの僕と、目を爛々と輝かせて興奮冷めやらぬ様子の神原が残された。

「凄かったな、阿良々木先輩!」
「凄くしょっぱかった」

まるで汗みたいな味だったぜ。

「さて、それじゃあ僕は一雨浴びてくる」
「ならば、私もお供しよう!」

流石の僕も、このままでは家には帰れない。
妹達におしっこ臭いと言われたら悲しいから。
尿を洗い流すべくバス停から出て、依然として降り止まぬ雨を浴びると、神原もついてきた。

「薄いシャツが透けちまうぜ?」
「そんなことはもはやどうでもいい! 今はただ、思いっきり、雨に濡れたい気分なのだ!」
「ああ。僕も全く、同感だよ」

紅潮した顔を、雨に濡らして冷ましながら。
笑顔でスパッツの染みを広げていく神原は。
改めて僕の後輩に相応しいと、そう思った。


【するがモラシー】


FIN

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