アンチョビ「一万回目の二回戦」 (287)
・長いです。
・ガルパンです。
・なるべく調べるようにはしましたが、文献との相違あるかもしれません。
ご容赦いただければ幸いです。
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『フラッグ車、P40、走行不能!』
審判長の声が響く。
自車の白旗が見え、辺りを見渡して確認すると、アンツィオの車両からは全て同じものが揚がっていた。
みんな怪我はなさそうで安心はしたけれど――、
『大洗女子学園の、勝利!』
つまり、アンツィオ高校の敗北。敗北だ。
アンツィオは今年も二回戦を突破できなかった。
口からは無意識に「うあー」と声が漏れる。
もしかしてとは思った。
このままではとも思った。
けれど実際にその瞬間を迎えてしまうのは悔しかった。
――あぁ、本当に、胸がきつく締め付けられるようだ。
私たちには何が足りなかったのだろう。
「姐さん、すみませんでした」
頭を下げるペパロニに、「お前のせいじゃないさ」と返す。
アンツィオは強い。
そう信じてここまで突っ走ってきた。
だからこの敗北は、指揮を執った私の責任なんだ。
「……あー、ここまでかあ」
そうやって言葉にしてみると、少し心が晴れた。
ぱんぱんと頬を軽くはたいて気分を入れ替える。
「ペパロニ。食事の準備、始めるぞ」
「はいっ! ドゥーチェ!」
元気に返事をするペパロニへ笑顔を返す。
さーて、と大洗の西住隊長の元へ向かい挨拶すると、彼女は「勉強させていただきました」と言ってくれた。
それが嬉しくて、私は少しだけ照れ隠しに顔を逸らした。
フィアットから食材やパスタ鍋を運び出し、ペパロニとカルパッチョの指揮でうちの生徒たちが次々に料理を完成させる。
初めは困惑していた大洗の連中も、パエリアやフリット、パスタが並べられていくのを見て次第に目を輝かせていった。
私が「さあ遠慮なく食べてくれ!」と手を広げると、一年生らしき子たちが、わっと料理へ駆け寄る。
西住や隣に立っていた黒髪の子が続いて、あとは一斉に。
うちの生徒も混じって宴会が始まった。
せっかくなので西住と話をしてみると、驚くことがあった。
私と同じく転校組の彼女は、てっきり大洗女子の戦車道復興のために招聘されたのだと思っていたが、そうではなく、むしろ戦車道から逃げるために転校を選んだとのことだった。
しかし今は戦車道を楽しめているのだ、と心なしか自慢げに言う彼女の姿は、とても好ましかった。
アンツィオの敗北も、まぁ仕方ないかと思えた。
それでも悔しいものは悔しいんだけど、その気持ちは胸に隠して私は笑った。
宴会が終わって、大洗の連中と別れて会場を離れると、残った食材で二度目の宴会を始めた。
今度は、アンツィオの生徒だけだ。
あの場では言えなかった言葉を口にしてみると、ペパロニたちが「わたしもっすねー」と同調して、私は少し安心した。
食事にしか興味がないように見えるけど、勝利への執念は彼女たちにも確かに宿っているのだ。
アンツィオのみんなと一緒に食事をとるのは楽しい。
いつしか何に囚われていたのかも忘れて、夜は更けて、目蓋は重く、睡魔に襲われた私は抗うことなく眠りに落ちた。
目覚めると、背中に柔らかな感触があった。
「ん~……?」
体を起こすと目の前には灰色の壁。
目線を下げると見慣れた机が鎮座している。
私が寝そべっているのは二段ベッドの上、どう見てもここはアンツィオ高校女子寮の自室だ。
昨夜は、宴会のあとそのまま外で睡魔に襲われた覚えがあるのだが、気のせいだったか。
……まぁ、実際こうしてここにいるのだから、覚えていないだけで学園艦には戻ってこられたということだ。
私以外のみんなもきちんと帰ってこられたか心配だし、身支度をしたら点呼を取っておくか。
二段ベッドの柵から首だけ出して下を覗くと、ペパロニが幸せそうな表情でかーかーと眠っていた。
彼女を起こさないようにゆっくり階段を下り、クローゼットからアンツィオの制服を取り出す。
さっと着替えて、机の横に置いた籠からポーチを手に取ると、私は部屋を出た。
廊下で他の子とすれ違うたび「おはよう」と挨拶を交わし、洗面台に辿り着くと、アマレットとパネトーネが眠そうな顔で歯を磨いている。
「ドゥーチェ、おはよーっす」「っす」
「おー、おはよー」
言うと、パネトーネが水を含んで口の中をゆすぐ。
私はその隣に立って、蛇口を捻り手のひらに水を貯めた。
じゃぶんと顔をつけると気持ち良い。
「今日は遅いっすね。もしかして朝練はなしっすか? だぜ」
顔を上げたパネトーネが言う。
「昨日の今日だしなー。まあ朝練は休みにしておこう」
「あ? 昨日の今日?」「なんのことっすか?」
アマレットとパネトーネが揃って不思議そうな表情を浮かべる。
「なんのことって、大洗との試合の話だが」
「だから、なんつーか、大洗と試合するから練習頑張んなきゃって話なんじゃないんすか?」
んー?
「あのな、お前たち、悔しいけど我々は負けたんだ」
「幸い、今年は無限軌道杯も復活する。負けは負け。そのことをきっちり認識して、前に進まないとな」
「ドゥーチェ、おかしくなっちゃったんすか?」
諭すように私が言っても、二人は怪訝な表情を返すばかりだ。
「いや、じょ、冗談だろう? そんな顔をされると本当に私の方がおかしいみたいじゃないか」
「そう言ってんすよ、な?」
「ああ、ドゥーチェおかしいっす、だぜ」
――本格的に、話が噛み合っていないようだ。
「私たち、昨日、大洗と試合をしたよな?」
「してないっす」「夢じゃないすか? だぜ」
「宴会は? 大洗との宴会は覚えてないか?」
「してないっすって」「やっぱ夢すね、だぜ」
「お、大洗との試合は、いつの予定なんだ?」
「来週っすよ」「ドゥーチェが言ったんじゃないすか」
血の気が引くのを感じた。
ポーチもそのままに、二人へ背を向け廊下を駆け戻る。
自室へ入り、日めくりカレンダーを確認すると、破り捨てたはずの一週間がそこに蘇っていた。
「な、なんだこれは……」
2015年、6月26日、金曜日。
大洗との試合は、7月5日の日曜日だったはずだ。
つまり、時間が、一週間以上も巻き戻っている。
――――。
「そ、そんな馬鹿なことが、あってたまるかあっ!」
私が叫ぶと、寝起きのペパロニが「うるさいっす、ドゥーチェ」と背後でぼやいた。
私の想像に反して馬鹿なことというのは起こるもので、時間が巻き戻ったのはカレンダーだけの話ではなかった。
スマホでニュースサイトを眺めても、アンツィオのみんなに訊いてみても、いま私がいる時間は大洗との試合の一週間以上前とのことだった。
どうやら私は、タイムスリップというやつを体験してしまったらしい。
逃避するように朝練に打ち込んだが、いつになっても元の時間に戻る様子はない。
このままもう一度、大洗戦が終わるまで時を過ごすしかなさそうだ。
あっという間に一日が終わって、翌日、土曜。
さて今日も戦車道の練習だ、という段になって、ふと思った。
――大洗ともう一度試合ができるということは、つまり、前回の雪辱を果たすことができるのでは?
いや、正しくは『前回』など存在しない。
すでに、大洗戦の敗北はなかったことになっている。
まだ、アンツィオは負けていない。
「ふ、ふふふ……」
全身が、かっと熱く燃え上がった。
まだやれる。まだやれるのだ。
アンツィオの夏はまだ終わっていない。
大洗に勝利して二回戦を突破し、さらには優勝へ――。
「はーっはっはーっ!」
「ドゥーチェー、ほんと昨日からおかしいっすよ。医者に診てもらった方が良いんじゃないすか?」
半ば本気で心配そうな表情を浮かべるペパロニの肩を、がっしりと掴む。
「やるぞ、ペパロニ。我々の手で、アンツィオの総力を尽くして大洗から勝利をもぎとるんだ!」
私が言うと、ペパロニは笑った。
「何言ってんすかー。当たり前じゃないすか」
大洗と試合をした経験は私の中に宿っている。
これまで通りやれば大洗に敗北してしまうことを、私は知っている。
戦術を変える必要がある。
一回戦のマジノ女学院との試合は、ノリと勢いで勝ったようなものだ。
CV33で相手車輌を攪乱している内に、セモヴェンテでフラッグ車に奇襲をかけ、間一髪、討ち取った。
だから大洗も同じ戦術で行こうとしたのだが、どうやら大洗はそこまで甘くないらしい。
P40が手に入ったことに浮かれてしまっていたのだろうか。
あの西住流が隊長というから、攪乱には弱いと踏んだんだけどな。
実際は、西住流とは似ても似つかない戦い方だった。
生徒会長の角谷杏もどうにも食えない子だし、智将が多いのだろう。
半端な陽動は見破られる。
――だとすれば、どうする?
簡単だ。奴らの思いもよらぬ策を打ち立てれば良い。
向こうの車輌編成や戦い方は前回の戦いで頭に叩き込んだからな。
対策は立てられる。
まあ残っているはずのない記憶を利用するのは少し狡いかもしれないが、偵察はルールブックで認められているわけだし、それと情報の入手経路が違うだけ、戦車道に反してはいない。
「カルパッチョ」
「はい、なんですか、ドゥーチェ」
名前を呼ぶと、足早にカルパッチョが寄ってくる。
「二回戦は、一回戦とは戦術を変えようと思う」
「これからですか? もう試合まで一週間ですよ」
カルパッチョが眉をひそめる。
「一週間あれば十分だ。これまで通りやっても、勝てなければ意味がない。向こうも我々のノリと勢いは知っているはずだ。イメージ通りの戦法は動きが読まれてしまう」
「……確かに、そうかもしれませんね」
少しだけ考え込んだ後、カルパッチョが頷く。
私はそれに応じるようににやりと笑った。
「そうと決まれば作戦会議だ! いくぞ、カルパッチョ!」
「はい、ドゥーチェ。ペパロニも連れてきますね」
練習メニューをアマレットらへ言い置き、私はカルパッチョとペパロニと共に戦車道準備室へと篭もった。
練り上げるのに半日かかったが、出来上がった作戦は完璧だった。
初めからフラッグ車へ奇襲をかけるのはやめだ。
今回はその真逆、各個撃破を行う。
一輌一輌、確実に落としていき、最後に残ったフラッグ車を包囲して仕留める。
知識と経験をフル動員し、大洗の全ての車輌へ完璧な対策が出来ている。
これならアンツィオの勝利間違いなしだ。
出来上がった作戦の全貌をみんなに伝えるのには難儀した(すぐに理解してくれなかった)が、やがて歓声が場を包み、ドゥーチェコールが巻き起こった。
ふふふ、さあ、これで準備は万全だ。負けるはずがない!
私はコールに応え、右腕を掲げて高笑いを上げた。
「ドゥーチェ、この後どうすんでしたっけ」
「あぁあああこっちに戻ってくるなあぁあああっ!」
試合の結果は、散々だった。
あれほど言い聞かせたのに、特にペパロニは一緒に作戦を考えたというのに、みんな作戦を全て忘れてしまっていた。
緻密に練り上げた作戦なので一カ所が崩れればあとは脆い。
戦線の穴をあっさりと突かれ、次策に移る余裕もなく、開始一時間足らずでアンツィオは大洗に敗北を喫した。
せっかくチャンスを与えられたというのに、またしても。
――もっとみんなの性格を計算すべきだった。
作戦を忘れるのには困ったものだけど、アンツィオの持ち味はそこじゃない。
あぁ、そうだ。ノリと勢いがあれば強い。
つまり、それを殺すような緻密な作戦は、アンツィオには不要なのだ。
だから、私のせいだ。
チャンスを生かすことができなかった。
二度目の敗北は、初回よりも一層辛かった。
胸の奥が苦しくなって呼吸が乱れるのを感じた。
「ドゥーチェ……」
深刻な表情を見られてしまったのか、背後からカルパッチョの呟きが聞こえる。
いけないいけない、こんなことでは。
「ん、大丈夫だ。心配するな」
息を整え、カルパッチョへ言葉を返す。
「食事の準備を始めてくれ。アンツィオの戦車道は、試合だけじゃないぞ」
「はい、ドゥーチェ……っ!」
駆けてゆくカルパッチョを背に、西住の元へ。
「いやー、負けてしまったな! 強かったぞ、大洗っ!」
私が言うと、西住は照れ笑いを浮かべる。
私はそんな彼女の手を取って、思い切りチークキスをした。
西住から手を離し、背後へ視線をやるとペパロニのウインクが目に入る。
食事の準備は万全。
「さあ、これがアンツィオの流儀だ! 受け取ってくれ!」
私が叫び、宴会が始まる。
前回は西住とばかり話をしていたので、今度は角谷ら生徒会の面々に声をかけてみた。
クールに見えた河島という子は、言葉を交わしてみるとアンツィオの子たちを思い起こさせる激情を備えていて驚いた。
やはり、言葉を交わして、直に接してみて初めて気付くことというのは多い。
宴会とは良いものだ。
前回と同じく、大洗と別れた後はアンツィオの生徒だけで再び騒いだ。
今度は言葉にしないでおこうと思っていたのだが、我慢しきれず一言だけ「悔しいなあ」と呟いた。
ペパロニがしみじみと「そっすねー」と返し、私は少しだけ瞳を潤ませた。
気付けば眠りに就いており、覚醒した私はベッドで身を起こした。
カレンダーは、6月26日に戻っていた。
三度目だ。三度目である。
つまり、私の身に起きているこれは、タイムスリップなどではなかったということだ。
ループしている。
大洗との試合を終えるまでの十日間をループしているのだ。
何故だ? どうして私の身にこんなことが起こっている?
まったく身に覚えがない。私が原因ではないのだと思う。
けれどきっと、三度続けばこれはもう、四度目がくると考えて間違いないだろう。
三度続き、四度続き、五、六、七、やがて、八九十と――、
「まさか、これは永遠に続くのではないか?」
途端に背筋が寒くなった。
意気揚々と大洗との試合に臨んでいた自分を責めたくなってくる。
記憶だけを有したまま、永遠に終わらない十日間の中へ放られる。
いつまで経っても終わりはやってこない。
ずうっとずうっと、途方もなく続く世界の中へ放られるんだ。
もしかしたら死んだら終わりが来るのかもしれないが、そんな想像はしたくもない。
……けれど、死か永遠かという選択なら、前者の方が幾分かマシなのかも。
「うぅ……ダメだダメだ! そんなこと、考えてはっ!」
しかし、考えなければ答えには辿り着けない。
だから陰鬱した気分になりながら必死に考えたのに、答えがどこに落ちているのかすら、私にはわからなかった。
そして混乱のままに、再び大洗との試合当日を迎え、決戦。
アンツィオは、三度、敗北を期した。
考えが煮詰まっていたところに敗北のショックに襲われたせいか、私は軽々と限界を迎えた。
「うわあぁああ今日は朝まで飲むぞーっ!」
「ドゥーチェ、テンション高いっすねーっ!」
私は叫び、日付が変わるまで宴会を続けた。
思考を切り離して、ただただバカになって、アンツィオのみんなと笑い合った。
時計の短針が12を示す。
目蓋を閉じ、再び開けば見える景色が変わっていた。
灰色の天井。二段ベッドの上。
ペパロニの寝息が聞こえるここは、学園艦の自室だ。
一秒前までの喧噪は消え去り、私は一人、ぽつんとベッドに寝そべっていた。
「あぁー……」
自然と声が漏れて、ベッドへ体を放る。
これで四度目。
やはり、ループからは抜け出せていない。
「本当に、ずっとこのままなのか」
ループに囚われて、脱出もできず、私は永遠に十日間を彷徨い続けてしまうのだろうか。
――――。
そう、そうだ。
そういえば、前に読んだSF小説では、たしかループを脱出するのに条件が定められていた気がする。
条件を満たした途端、元の時間の流れに戻されるのだ。
だとしたら、もしかして、私のこれも同じなんじゃないか。
条件が整いさえすれば脱出が叶うんじゃないか。
「……いや、駄目だ」
だとしても、そんなものどうやって見つければ良いのだ。
ヒントはどこにもない。考えてわかるものでもない。
結局、私はこのままずっと、一人で――。
とんとん。
と、ふいにドアがノックされた。
朝早くに誰だろうとドアを開けると、カルパッチョだ。
彼女にこんなへたれたドゥーチェの姿は見せたくない。
顔を逸らして目尻にきっと力を入れると、再びカルパッチョへ向き直り、出来るだけ何でもない風な口調を装う。
「おー、カルパッチョ。どうした」
カルパッチョはすでにアンツィオの制服に着替え、頭にはベレー帽を乗せていた。
ふと自分の姿を見れば、こちらはまだパジャマのままだ。
段々と恥ずかしくなってきて「さ、先に着替えてきても良いか」と確認する声が少しうわずってしまう。
カルパッチョはそんな私の言葉など聞こえなかったかのように、真剣な表情で口を開いた。
「ドゥーチェ、もしかしてこれで四度目ではないですか?」
…………。
「四度目?」
「はい、ドゥーチェもこれで四度目なんじゃないかと思ったんです。違いますか?」
四度目、四度目。
突然そんな言葉を吐かれて何のことやら理解できる人間が、そうそういるはずもない。
何が四度目なのやら。あまりに情報が足りていない。
けれど私は例外だった。
いま、この瞬間の私にはわかる。
見当がつかないはずがない。
まさかとは思うが、他に考えられないだろう。
私は頭が混乱してどう表現して良いのかがわからなかったが、何とか気を落ち着かせて、一言だけ絞り出す。
「お前もなのか?」
カルパッチョはうっすらと笑みを浮かべた。
「やっぱりそうみたいですね。はい、私も同じです」
「一回目の繰り返しからドゥーチェの様子がおかしいなとは思っていたんですよ」
「でも、前回、やけになったドゥーチェを見て、ようやく確信が持てたので」
「本当に、お前もループしているのか」
「はい、私もループしているみたいです。二度も訊かなくても良いと思いますけど」
すうっと、背中に載っていた重荷が下ろされるのを感じた。
真っ暗闇の夜道に光が灯った。
そうか、私だけではなかったのか。
一人ではなかった。私は孤独ではなかったんだ。
状況は変わっていないけれど、少なくともそれだけのことが、とてつもなく尊かった。
「ドゥーチェ、泣いてますか?」
「泣いてない! 嬉しいだけだ!」
「嬉しくて泣くこともあると思いますけど」
カルパッチョの言葉に「うるさい」と返し、私は熱くなった目頭をおさえた。
カルパッチョは、まぁいいですけど、と笑う。
「私を仲間に入れてください、ドゥーチェ」
「ああ、もちろんだ」
涙を振り切り、私も笑顔で彼女に応えた。
しばらくのあいだ、戦車道準備室でカルパッチョとお互いの状況を共有しあった。
カルパッチョの身に起きていることは私とまったく同じ。
大洗と試合をした日の夜になると、毎度毎度、6月26日に戻されてしまうとのことだった。
その間に起こったことも、全て私の記憶と一致している。
私とカルパッチョが同じ十日間をループする運命共同体であることは間違いなかった。
運命共同体、つまり、仲間。
「……ふふふ」
やはり、仲間がいるというのは、嬉しいものだな。
一人では無理でも二人なら何とかなるだろうと思えてくる。
まったく、アンツィオにやってきて、カルパッチョと初めて出会った時のことが思い起こされる――。
と、再び感じ入ってしまったことに気付き、ぶんぶんと頭を振って考えを紛らわす。
いけないいけない。時間がないのだ。
思い出にふけっているような場合じゃない。
「さてっ! 改めて整理しよう!」
私は立ち上がり、黒のボードマーカーを握りしめた。
ホワイトボードへマーカーを走らせ、カルパッチョへ向き直ると、書いた内容を読み上げる。
「我々の目的、ループを脱出すること。ここまでは良いな?」
私が言うと、カルパッチョが「ですね」と頷く。
続けて、私はホワイトボードの目的欄の下に『次にやること』と記していく。
「ではカルパッチョ。ループ脱出のためにやるべきことは、何かわかるか?」
「脱出条件の解明でしょうか」
カルパッチョへ「その通りっ!」と私は指示棒を突きつける。
「脱出条件を達成するには、当然その条件を解明しなければならない」
「しかし、しかしだ。とにかく我々には情報が足りていない」
「解明もなにも、まだ取っかかりすら掴めていない状態だからな」
「まずは情報収集から始める必要がある」
「……どうやって情報を集めましょう?」
「うーん、そう、そうなんだよなあ。私も色々考えてはみたが、何も思いつかなかったんだ」
「「んー……」」
二人してうんうんと唸っていると、しばらくしてカルパッチョが「あ」となにか思いついたように顔を綻ばせた。
「これまでの共通点を探してみるというのはどうでしょう」
「共通点? それはループ間のか?」
「はい。ループの脱出に条件があるなら、脱出に失敗したこれまでは一度もそれを達成できなかったということですから」
「これまでの共通点を探せば、自ずとわかってくることもあるんじゃないかと思ったんです」
共通点……共通点か……。
「――ぉお?」
瞬間、脳裏に稲妻が走った。
「我々は、大洗に敗北し続けている」
「――確かに、そうですね」
負けて、負けて、負けた。
まさか、これか。これだったのか。
なるほど、思いついてみれば腑に落ちた。
三度繰り返して負け癖が染みついてしまっていた。
それが当然と思ってしまっていた。
我々は今回も負けるのだと、そう思ってしまっていた。
しかし違ったんだ。逆だった。
続ける度に負けているのではない。
「負けるから、続いているのか」
アンツィオが敗北するのは、間違っている。
第63回戦車道全国高校生大会、二回戦、我々アンツィオ高校は勝利をおさめなければならない。
だからこそ、我々はこんな状況に放られているんだ。
勝てる試合に勝てていないから。
どこの誰だかは知らないが、ともかく我々に言っている。
大洗に勝て。
そう言っているのである。
「はーっはっはっ!」
「ドゥーチェ、突然笑い声をあげないでください」
「笑わずにいられるか!」
勝て、勝て、勝て。
お前らアンツィオは勝てるんだ。
勝つために繰り返しているんだ。
「だったら勝ってやろうじゃないか。アンツィオの、本当の力を見せてやる」
試合を眺める何者かに。
我々の姿を眺める何者かに。
「我々は、大洗に勝利して、ループを脱出する」
私がそう宣言すると、カルパッチョは静かに頷いた。
キリが良いところまで進んだので、今日はここまでにします。(読んでる方いるのだろうか)
また、おそらく明日、再開します。
乙ですー
見てるぞ
ありがとうございます……。
なんとか三連休中に終わらせるつもりです。
まだ午前中ですが、再開します。
アンツィオに難しい作戦は似合わない。
一周目は確かに無策が過ぎた。
けれど、二周目のような策を弄する必要はない。
作戦なんて、ほんのスパイス程度で良い。
ペパロニ率いるCV33群を正面から突っ込ませ、あたかもノリと勢いだけで行動しているように見せかける。
大洗の連中は違和感を抱くかもしれないが、少なからずCV33の対処に追われるはずだ。
しかし実際に正面突破を狙っているのはCV33だけ。
手薄になった本軍を、残ったP40やセモヴェンテで挟撃し、フラッグ車を仕留める。
電撃作戦だ。
これならみんなも全力で臨めるだろうし、なにより、ウチの持ち味を生かせる。
最高の策だ。
――最高の策だと、思ったのだが。
結局、今回もアンツィオの敗北だった。
おそらくは、ペパロニが敵の前で「せーぜー釣られてやがれ、どうせ姐さんがフラッグ車撃破してくれんだからな!」と口走ってしまったのが敗因だろう。
「ドゥーチェ」
「いいさ。また、次がある」
カルパッチョに言葉を返し、五周目。
前回の反省を生かし、ペパロニたちには作戦の内容を伝えないことにした。
作戦の内容自体は前回と同じだ。
これなら奇襲も成功するはず。そう思った。
しかし、大洗はやはり甘くなかった。
CV33の集団の中にセモヴェンテやP40の混じっていないことを見抜かれていたようで、フラッグ車に辿り着いた我々を待っていたのは、大洗全車輌による総攻撃だった。
「どうして我々の奇襲がわかったんだ?」
「――アンツィオの隊長は優秀な方だとうかがっています。ノリと勢いの強い気風とはいえ、大事な試合で、無策で突っ込むなんてしないと思ったんです」
西住に認められるのは素直に嬉しかった。
みくびられれば簡単に勝てるのは確かではあるが、我々をみくびるということはそれだけ脳天気な相手ということだ。
大洗は賢しい。むしろ良かったと思うべきだろう。
敵は強大な方が乗り越えた時の感動が増す。
我々が本当に欲しいのは、勝利でなく、名誉なのだ。
――――。
勝利でなく……勝利を目指さない……。
ふいに思いついた。
勝つための策でなく、負けないための策というのを考えてみてはどうだろうか。
そう、負けなければ、いつかは勝てるのだから。
「ドゥーチェ、負けないための策というのは、具体的にはどんなものですか?」
「負けるというのは、フラッグ車が撃破されるということだ。だったら、フラッグ車さえ生き残れば負けはしない」
「それはそうですね」
「カルパッチョ。撃破されない戦車といって、思いつくものはなんだ?」
カルパッチョは「うーん、そうですね」と首を傾げ、
「装甲の厚い戦車でしょうか」
「甘いっ! 甘いぞカルパッチョ!」
私は指揮棒をカルパッチョに突きつける。
カルパッチョはきょとんと目を丸くする。
「例えばセンチュリオンだってマウスだって600mm砲の前には無力だろう! いくら装甲が厚くとも撃破される可能性はある」
「600mm砲搭載の戦車なんて、戦車道連盟の認可が下りないと思いますけど」
「あくまで可能性の話だっ!」
カルパッチョの突っ込みに言葉を返して、こほんと一息。
「話を戻すぞ。しかしそんななか、何をされても撃破されない戦車というものがある」
そう、それすなわち、
「弾の当たらない戦車――見えない戦車だ!」
「ドゥーチェ……」
カルパッチョが眉を落とす。
「そ、そんな顔をするな! もちろん見えない戦車というのは戦車に光学迷彩を施すわけではないぞ。もっと現実的な話だ」
「普通の迷彩ってことですか?」
「まぁ迷彩には塗るかもだが、それだけじゃない」
「――常々、ウチのCV33を生かす方法は他にないか考えていたんだ」
「機関銃しかないCV33には戦車を落とすことはできないが、機動力は十分にある」
「相手の攪乱にしか使えないのはもったいない」
「つまり――」
「そう、CV33をフラッグ車にする」
乗るのはペパロニとアマレットだ。
あいつらならCV33の操縦にも慣れているし、逃げ回るのも楽勝だろう。
そもそも茂みにでも隠れておけば、CV33のサイズならそう簡単に見つかりもしまい。
まさに見えない戦車だ。
「名付けてチーズフリット作戦! どうだ、カルパッチョ?」
「そうですね、少なくとも大失敗ということはないでしょうし、上手くいく可能性はあると思います。あとはペパロニの性格次第という気もしますけど……」
「そうだなあ。かっとなってしまわなければ、大丈夫だとは思うんだが。よく言いきかせておくしかないだろう」
カルパッチョは渋い顔で頷いた。
「えー、なんすかそれ。性に合わないんすけど」
「そっすそっす、断固、拒否するっす!」
案の定、ペパロニとアマレットの二人は難色を示したが、私はきちんと対策を考えていた。
「うーん、しかしこれはお前たちにしか出来ない作戦なんだよなあ」
「きっと大洗の連中は『CV33などいてもいなくても変わらない戦車だ』と思っている」
「いや、それどころか、戦車でなく軽自動車か何かと思われているかもしれないぞ」
「はー、なんすかそれっ!」
「アマレット。これはたぶんドゥーチェによる想像だ」
とアマレットへ言ったうえで、ペパロニはこちらへしかめ面を見せ「ドゥーチェ、それマジに言われてんすか」と続ける。
「いや、お前の言った通り、私の想像だ」
「でも、そんなこと言われたくはないだろう?」
「CV33はやればできるんだと証明してやりたくはないか?」
「お前らなら、大洗の連中を翻弄することが出来るだろう?」
私が言うと、二人は声を揃えて「もちろんっす!」と応えた。
「よおし、それじゃあ早速、特訓開始だ!」
私が威勢良く拳を振り上げ、それに二人が続く。
説得は成功だった。
試合当日までの練習は、これまでとはまったく別メニューを組むことにした。
なにせ、ペパロニとアマレットには特殊な立ち回りが要求される。
これまでの二人の戦い方ともかなり違いがあるし、ある程度の慣れが必要だろう。
そういうわけで、他のCV33を大洗の索敵に見立て、二人にはひたすら彼女らから逃げ回ってもらった。
出来るだけ長く逃げ回り、撃破されないことが目的だ。
機銃に一発でも当たったらアウト。
かくれんぼ状態からのスタートだ。
初めはすぐさま見つかった。開始五分。そして機銃で撃たれておしまい。
「おっかしーなー」とぼやくペパロニに、潜伏場所をもっと練るよう注意した。
彼女は池のほとりにある木々の後ろに隠れていたのだが、水面に反射した車体が映っていたのだ。
一週間ひたすらその練習を続けていると、ついにペパロニとアマレットは三時間の制限時間を逃げ切ることに成功した。
もちろん、その間に私やカルパッチョはP40とセモヴェンテを乗り回し、大洗のフラッグ車を仕留めるための戦術を練り上げていた。
万全は期した。
迎えた大洗との決戦当日。
やはり我々は負けた。
負けないことと勝てることは似て非なるものだ。
勝利のためには無数の策が打ち立てられるが、負けないためにはとことん堪え忍ぶしか方法がない。
というか、実際いつか負ける。負けないなんてありえない。
ペパロニの乗車したCV33を残して、うちの戦車は削られ続けた。
セモヴェンテが殲滅、フラッグ車以外のCV33は全て消え、最後に私のP40まで落とされた。
一輌残されたCV33だけではどうすることもできず、結局、大洗のフラッグ車へ突撃ののち自爆した。
「駄目、でしたね……」
「ああ。しかし、悪くはない作戦だった」
アンツィオは全ての戦車をやられたが、こちらだって三突と八九式の二輌を落とした。
どこかの歯車を一つ入れ替えてやるだけで、勝利をおさめられるような気がした。
「次もこれでいくぞ」
私の言葉にカルパッチョは頷いた。
七周目。八周目。九周目。
さらに三度を繰り返したが、やはり我々の元に勝利の女神は訪れなかった。
あと少し。あと少しなのに。
すんでのところで勝利に手が届かない。
まるで我々の勝利が何者かに邪魔されているかのようだ。
こんな世界に我々を放り込んだ神様は、もしかして我々の勝利を望んでいないのではないかとすら思えた。
延々と続く戦いはじりじりと私の心を蝕む。
初めはみなぎっていたやる気も、少しずつ失われていった。
ずぶずぶと沈んでゆき、永遠が大きな口を開けて私を待ち受けているように思えた。
それでも、隣に立つカルパッチョだけが、なによりの救いだった。
カルパッチョがいるから、私はドゥーチェとしてどうにか踏ん張れた。
彼女は私が表情を曇らせてゆくなか、平気な顔でただ立っていた。
「大丈夫ですか、ドゥーチェ」
こうやって、私を気遣ってくれさえする。
私はそんな彼女のことが不思議だった。
私は安斎千代美じゃない。ドゥーチェ、アンチョビだ。
アンツィオのみんなを導かなければならない。
だから弱音を吐いてはならない。気高く堂々としていなければならない。
――けれど、今だけ、カルパッチョにだけは甘えても良いんじゃないか。
そうほんの少しだけ思ってしまって、私はぽつりと口にした。
「なあ、カルパッチョ、何度も同じ時間を繰り返して、お前は、その――辛くないのか」
そう言ってから「私は辛いぞ……少しだけ」と付け加える。
カルパッチョは「うーん」と首を傾げ、
「私の場合は――」
そこで言葉を切ると、にこりと笑った。
「普段会えない相手に会えるから、かもしれませんね」
「普段会えない相手?」
「ええ。私は戦車道がやりたくてアンツィオへやって来ましたけど、彼女は戦車道のない学校に進学していきましたから」
……彼女……彼女。
ああ、そうだ、そういえばカルパッチョは毎度毎度、試合の直前には必ず大洗の赤マフラーの子と言葉を交わしていた。
カルパッチョが「たかちゃん」と呼ぶあの子のことだろう。
カルパッチョはさらに「ですから」と、とびきりの笑顔で言葉を続ける。
「まさかこうして戦車道で戦えるなんて、夢みたいなんです」
「……夢みたい」
ぶるっと、体の奥の方が震えた。
「ドゥーチェ、私は戦車道が楽しいんです」
「私だって、楽しいさ」
口からは自然と言葉が漏れ出た。
そうだ。楽しい。楽しいんだ。
楽しいはずなのに、そのことを忘れていた。
私はどうして戦車道をしているんだ。
カルパッチョの言う通りだ。
何が私を突き動かす。原動力は何だ。
私の心に灯る火は、何を喰らう。
何故、私はアンツィオを選んだのだ。
「カルパッチョ、我々は本当に勝てると思うか」
私が問うと、カルパッチョは「そうですね」としばし思案する素振りを見せて答えた。
「あの頃の私は、アンツィオの戦車道がこんなに盛り上がるなんて、想像してませんでしたよ」
あの頃。
二人だけでCV33へ乗り込み、戦車道の宣伝をして回っていた、あの頃。
あるいは、ペパロニを含めた三人で屋台を開き、戦車道の資金と人員を集めていた、あの頃。
「あーっはっはっはーっ!」
「また突然笑い出して、どうしたんですか、ドゥーチェ」
私は快笑すると、脳みそをフル回転させ、カルパッチョへ向かって宣言した。
「作戦を変えるぞ、カルパッチョ」
そう、次の作戦は、
「マカロニ作戦だ!」
山岳と荒れ地ステージ。
遮蔽物や潜伏場所が多く機動力が活きる山岳地帯と、遮蔽物が少なく向かい合えば技術力と戦車性能が浮き彫りになる荒れ地地帯とが対照的なステージだ。
大洗の戦車は五輌。
数だけで言えばアンツィオは十輌と大洗に勝ってはいるが、その内の六輌はCV33。
性能で言えばほぼ同格といったところだろう。
それにCV33の特徴を考慮に入れると、山岳地帯で戦うのがアンツィオ向きといえる。
そして、ループも十週目に突入した私とカルパッチョにとって、もはや山岳と荒れ地ステージは庭のようなものだ。
マップは全て頭の中に叩き込まれている。
その上で、やはり結論付けられる要所は、中央に位置した十字路だろう。
正面からやり合えば、ぶつかるのはここだ。
「しかし、だからこそ、我々はここを放棄する」
悔しいが、我々は大洗に総合的な技量で負けている。
正面からやりあってもアンツィオに勝ち目はない。
ならば他に人員を割き、ここは最小限のリソースで済ませるべきだ。
「でも、そうしたら十字路を突っ切られてしまいますよね」
「いーや、そうはならない。デコイを配置するからな」
「デコイ……なるほど、戦車のハリボテを作るんですね。欺瞞作戦ですか」
私が「そういうことだ」と笑うと、カルパッチョは「いけそうです」と小さく答えた。
他のみんなにも作戦の全容を伝え、猛特訓。
大洗の連中を機動力でもって包囲する必要があるし、そりゃあ練度は高い方が良い。
時間を無駄にしている余裕はなく、瞬く間に決戦当日となった。
『これより、二回戦第四試合、アンツィオ高校対大洗女子学園の試合を、開始いたします』
荒れ地のど真ん中、遠目に大洗の戦車が並ぶのが見える。
作戦の確認をしているのだろう、大洗の隊長、西住みほが戦車の前でマップらしきものを広げていた。
「ドゥーチェ、危ないですよ」
「いつものことだろう」
カルパッチョに諫められるなか、助手席から立ち上がりフィアットのフロントガラスへ足をかける。
エンジン音を耳にしたのか西住らが顔を上げ、私はそれを合図に「たーのもーっ!」と声を張り上げた。
角谷の軽口に言い返し、西住と握手をして、カルパッチョが楽しげに駆けていくのを見守る。
いつもと同じ。
これで十度目の風景。
試合が始まる。
「まったく、二枚は予備だってあれほど言ったのになあ」
デコイを全て置いてしまっては戦車の数が大会規定を超えてしまう。作戦も即バレだ。
ペパロニもああいうところがなければ、度胸があって機転も利く凄いやつなんだが。
「まあ良い。過ぎたことを考えても仕方ない。今は目の前の相手に集中――」
と、前方へ目を向けたところで、ふいにすれ違う顔があった。
西住みほ。Ⅳ号だ。
後方では38(t)と三突も砂煙を巻き上げている。
「戦車停止! 敵隊長車とフラッグ車発見!」
対するこちらはP40にセモヴェンテとCV33が一輌ずつ。
戦力は互角かこちらの少し下といったところか。
重戦車がいる分、こちらが上に見えなくもないが、P40を過信しすぎるのも良くない。
なにせ重戦車とはいえ実際の性能は中戦車にも――て、いやいや! 試合中だぞ! 勝負に集中しろっ!
「カルパッチョっ!」
「はい、75mm長砲身は私に任せてください!」
「任せたっ!」
カルパッチョ率いるセモヴェンテが旋回するのを見届け、こちらは残ったCV33と協力してフラッグ車を追う。
「一同! 大洗のフラッグ車を包囲するぞ!」
敵は一時の方向、下り坂を走り抜けていく。
道は荒れており、走行すると激しく揺れる。
木の枝に頭をぶつける前に、私は車内に下りハッチを閉めた。
「ジェラートっ! 弾を装填しろ! フラッグ車を狙うぞっ!」
「木が邪魔で当たる気しないんすけど!?」
「だよなあ! だが撃つっ! 当たったら儲けものだ!」
まずはフラッグ車の盾になっているⅣ号を落とすべく、狙いをすませて装填と同時にグリップを握りしめる。
と、私の腕が悪いのか、弾は車体をかすめて敵戦車の後方へと飛んでいく。
「次ぃっ!」
ジェラートがすぐさま装填。私は再びグリップを握る。
何度も何度も何度も、それを繰り返している内に、我々のでなくⅣ号側の弾が、がつんとこちらの砲塔に当たった。
「いったぁ……っ」
「大丈夫っすかドゥーチェっ!」
「ああ、問題ないっ!」
振動で頭をぶつけてしまったが、白旗は揚がっていない。
まだ戦える。まだ負けていない。
「……ふふ」
楽しい。
「楽しいなあっ!」
砲音が聞こえる。車内に蒸した熱を感じる。火薬と油の臭いが鼻に漂う。
ジェラートの息遣いが聞こえ、視界の端には忙しなく体を動かす操縦手の姿が見える。
やがて敵車輌の撃破を諦め、ハッチを開けば、上半身に風が当たった。
大洗のフラッグ車は木々の間を縫うように逃げてゆく。
緩やかに進む風圧や、荒れ地を走行する戦車の振動、そういうのが全部、私の身に感じられる。
あぁ、これが私の生きる戦車道だ。
「いやあ、良い試合だった!」
私が言うと、西住は笑った。
今回も敗北はしてしまったものの、気分は晴れやかだった。
勝っても負けても関係ない、私は戦車道ができたのだ。それだけで十分じゃないか。
それに、どうせ次がある。今回の負けは次のループで取り返せば良いんだ。
「宴会だーっ!」
飲んで騒いで、大洗と別れてまた飲んで。
そうこうしている内に、日は徐々に傾いて、いつの間にやら辺りは真っ暗。
我々の囲うたき火だけが明かりを灯していた。
「カルパッチョ、いま何時だ?」
「11時50分ですね。もうすぐ日が変わります」
ああ、もうそんな時間か。
「じゃあカルパッチョ、また次もよろしくな」
「はい、ドゥーチェ、こちらこそ」
笑みを浮かべるカルパッチョの顔を横目に、私は草原に身を放り出した。
ぽつぽつと夜空に輝く星々が綺麗だった。
大きく息を吸い込むと、昼間よりも幾分か冷たい空気が鼻に入る。
それが気持ち良くて、私は静かに目を瞑った。
――――。
――――。
――――。
「ドゥーチェ、ドゥーチェ」
ぼんやりとカルパッチョの声が耳に届いた。
目を開けば、カルパッチョの真剣な顔が映る。
「ドゥーチェ、大変です」
「ん、どうした? 何かあったのか?」
「日付が変わっています」
そう言って、カルパッチョが懐中時計の盤面を見せる。
確かに時計の針は12時5分を示していた。
「そりゃあ12時を跨げば日付が変わるのは当然だろう?」
「違います。ドゥーチェ、もしかして寝ぼけてます?」
「私たちは、ずっと日付が変わるのと同時に巻き戻っていたじゃないですか」
「7月6日――月曜日になるはずがないんです」
言われてみて、ようやく事の重大さに気付いた。
なるほど、つまりこれは。
「――ループしていないということか?」
「そういうことです」
「我々は、ループを脱したのか?」
「仔細は不明ですが、おそらくは」
カルパッチョが頷く。
終わりは、ひどくあっけなかった。
若干の消化不良感さえ覚えるほどだ。
何が正解だったのかはわからないが、ともかく我々の勝利がループ脱出の条件ではなかったというのは確かだろう。
我々は今回もまた、大洗に敗北してしまったのだから。
周りを見渡せば、私たち以外のみんなは一人残らずぐーすか寝息を立てていた。
何人かは腹を出して眠っていたので、そっとブランケットを掛けてやる。
「ドゥーチェ、どうします?」
「どーもこーもないさ。みんな眠ってしまってるんだし、私たちも寝るしかないだろう」
カルパッチョが「それだけですか?」と驚いたが、私は気にせずテントの中へ身を突っ込んだ。
もう解決してしまったループの謎などどうでも良かった。
良い試合が出来たのだから、それで十分だ。
顔だけはテントの外へ出し、仰向けに夜空を見上げ、眠くなるまで、私はずっと星を眺めていた。
朝になると、「撤収っ!」の一言で素早く帰り支度を済ませ、みんなで学園艦へと帰った。
アンツィオの生徒たちは負けた我々を笑顔で迎え入れてくれた。
その日だけは、授業そっちのけで、再び宴会。
本当に良い学校に来れたものだと思う。
夏休みまで残り僅かではあったが、翌日からは改めて授業が開始。
放課後になると、私はカルパッチョらと協力して大会の後始末を行った。
すなわち、戦車の損傷の修復だ。
想像していたよりもP40の損傷が大きく、修理費用はかなりの額になりそうだった。
P40の購入に貯金は全部使ってしまったから、また一から貯金のし直しだ。
幸いにもこれから夏休みなわけだし、まー、冬までには何とかなるだろう。
――そう、冬だ。
今年は冬季無限軌道杯がある。
夏の大会の負けは冬に取り返せば良い。
しかしそのためには今のままでは駄目だ。
夏の反省を生かして猛特訓をする必要があるし、P40の修理費用も稼がなければならない。
そう思うと、夏休みに入っても遊んでいる暇などはなかった。
アンツィオのみんなと忙しい日々を送っていると、ある日、ペパロニが怠そうな顔で「たまには遊びたいっす、海行きましょーよ、海」とぼやいた。
私は「ここが海の上だぞ」と返したが、カルパッチョに諫められ、たまには良いかと、みんなで陸の浜辺へ行くことになった。
砂の城を建造したり、ビーチバレーをしたり、水泳大会を開いたり、とても楽しかった。
そして8月の第一週、忘れかけていた頃に大会の準決勝が始まった。
大洗女子学園の対戦相手はプラウダ高校。昨年の優勝校だ。
正直にいって大洗の分が悪いとは思ったが、それでも大洗ならプラウダ相手に勝利をおさめられるんじゃないかという期待もあった。
会場は北国とアンツィオ総出で出向くには難しい距離で、それならと応援は学園艦の円形競技場にて中継で行うことにした。
大洗は初めプラウダの車輌を三輌も撃破し、かなりの善戦を見せた。
が、プラウダとの圧倒的な戦力差を覆すことは叶わず、結局、決勝へと駒を進めたのはプラウダ高校となった。
足りない戦力差を知恵や連携で乗り切ろうと奮闘する大洗の姿はアンツィオのそれと重なる。
大洗の敗北は、我が事のように悲しかった。
試合が終わると、大量の食事を用意してそのまま大洗慰労会へと移った。
肝心の大洗が不在なのはどうでも良かった。
夜中まで騒ぎ、気付けば再び日付変更間近となっていた。
8月2日から8月3日への日付変更、その瞬間。
瞬きをすると見える景色が変わっていた。
「……はあ?」
つい先ほどまでは夜闇のなか円形競技場で宴会をしていたはず。
それなのに今見える景色はなんだ、灰色の天井が目に入るばかりじゃないか。
「どういうことだ、これは……」
まさか? そのまさかなのか?
急いでベッドを下り、日めくりカレンダーに残された日付を確認する。
「そんな馬鹿な」
6月26日、金曜日。
日付が巻き戻っている。
つまり、私はまだ、ループの只中にいるのだ。
何故、何故だ?
ループが終わっていないなら、どうして大洗との試合当日に巻き戻りが発生しない?
どうして大洗対プラウダの試合当日なんだ?
そこになにか鍵があるのか?
湧き上がる疑問が脳を駆け巡る。
と、ふいにノックの音が響いた。
おそらくはカルパッチョだろう、二度、三度と続けざまに扉をノックされる。
あぁまったく、仲間がいなければ脳みそが弾けてしまいそうだ。本当にありがたい。
急ぎ扉へ駆け寄り、ドアノブへ手をかける。
「すまないカルパッチョ、いま起きたばかりなんだ――」
しかし、そこに立っていたのはカルパッチョではなかった。
「ハァイ、アンチョビ」
にかっと笑う、金髪の女の名は。
サンダース大学附属高校、戦車道隊長、ケイ。
一旦、休憩します。
夜になったらまた来ます。
再開します。
まってた
サンダースの隊長ケイは、学校の制服に身を包み、肩には大きめのスポーツバッグを提げていた。
アンツィオの女子寮にはまったく似合わぬ出で立ちだ。
先ほどから疑問が増え続けるばかりで、もはや私の脳はショート寸前だが、気力でもってして一言だけ口にする。
「何故、お前がここに」
しかし、ケイから返ってきたのは「とりあえず場所を変えましょ」というまったく回答にもならぬ返事だ。
いや、いやいやいやいや。
「お、おい、ケイっ! 私がド忘れしてるとかじゃないよなっ? アポの連絡とか何ももらってないだろっ!?」
「どうしてそんなフランクに話を進められるっ!?」
「というか、ここはアンツィオの学園艦だぞっ!? どうやって侵入したんだあっ!?」
「そういう疑問にもぜーんぶ答えてあげるから」
「ほ、本当だろうなっ!?」
「イエースっ! ホントよ。手始めにどうやって侵入したのかってのを教えてあげると、アレね」
言って、ケイが窓の外を指さす。
首を伸ばして見ると、女子寮の庭に、サンダース印のヘリ、シコルスキーS-58が鎮座していた。
運転席に座る短髪の子が、こちらの姿を認めるとひらひら手を振る。
噂には聞いていたが、サンダースは無茶苦茶だな……。
「そんな顔しないで、アンチョビ。とりあえず待っててあげるから、着替えてきたら?」
ケイの言葉に、私は絞り出すように「ああ、すまないな」と返して部屋へと戻る。
ペパロニはいまだ寝息を立てたまま。
私はその横で制服へと着替え、髪をとかし、リボンをつける。
最後にマントを羽織り、それでようやく腹が据わった。
疑問に答えてくれるというのなら乗ってやる。
ケイも型破りな性格ではあるが、悪い奴ではない。なにも取って食われはしまい。
んんっと軽く咳払いして喉を整え、再び廊下へと出る。
「込み入った話になるんだろう。ウチの戦車道準備室まで案内する。途中でウチの副隊長を同行させるが、問題ないか?」
私が言うと、ケイは「んー」と指を立てる。
「まぁ、問題はないわね! オッケー。良いわよ」
「……含んだ言い方だな」
「そんなことないわよ。さあ行きましょう。レッツゴーっ!」
腕を振り歩き出したケイの後を追う。
操縦士の子と二人でアンツィオを訪ねてきたのだろうか、ケイは他のサンダースの生徒と合流する様子はない。
カルパッチョの部屋を訪ねると、彼女は私と同じく驚愕の表情を浮かべた。
ケイの訪問を怪訝そうにしていたが、それも束の間、「ドゥーチェが良いのでしたら」と手早く服を着替えて同行してくれる。
なんだかんだ切り替えが早いのがカルパッチョの良いところだ。
戦車道準備室へと着くなり、ケイはホワイトボード前の席に陣取った。
カルパッチョがコーヒー豆の焙煎を始めるのを見て「彼女には悪いけど話を始めてしまうわね?」と私に確認する。
私が「ああ、どうぞ」と促し、ケイは「それじゃあ」とにこやかに切り出した。
「まずは――そうね、アンチョビ、貴女、これで今年の6月26日は11回目だと思うんだけど、合ってる?」
ツイッタから来ました。見てます。幸子以来のファンです。
…………11回目。
「11回目ぇっ!?」
私が叫ぶと、後ろでカルパッチョも動揺したのか、コーヒーカップが音を立てる。
てっきり、ケイがここへやってきた理由を説明してくれるものと思っていたのだが、まさかそっちの話をするのかっ!?
「その反応は、正解ってことで良いのかしら?」
「い、いや、なんというか……ああ、混乱していて上手く言葉にできないな……とにかく、正解だ」
「私と――そこのカルパッチョは、これで11回目のループになる」
「ふーん、貴女もそうなの?」
ケイの言葉にカルパッチョが「はい」と頷く。
「ははーん、それで彼女を同席させたってわけ。なるほどね」
「副隊長さんにはわけのわからない話になるかもと思ったけど、それなら本当に問題はないわね」
「良い判断だわ、アンチョビ」
「そ、それは、まぁ、ありがとう」
なんて、お礼を言っている場合ではない。
「……えっと、それじゃあこっちからも訊きたいんだが、つまり、お前もこれが11回目のループってことなのか?」
「違うわよ」
「違うのかっ!?」
「私はこれで48回目だから」
「ええぇ……どういうことだ……?」
会話に頭がついていかない……誰か助けてくれ……。
「うーん、そうね、ホントはループ条件の話から始めようと思っていたのだけど、先に全体の説明をしましょう」
ケイが立ち上がり、マーカーでホワイトボードに一本の長い横線を引く。
さらに線の左端に『6月1日』と記入、横に髪の長い二頭身のキャラクターを描いた。
「スタート地点は、ここ、6月1日よ。私の場合、ループの度にこの日へ戻されてるの」
「我々と全然違うじゃないかっ!」
「貴女たちのスタート地点はどこなの?」
「今日だ! 6月26日。我々は6月26日に戻されてる」
「オーケーオーケー、やっぱりそうなのね」
そう言ってケイは、横線の中心辺りに『6月26日』と記入する。
横にはツインテールと長髪の二人組を描いた。
先ほどの長髪の子よりも髪の毛がふわふわしている。
「ところでアンチョビ。私がどうしてアンツィオの学園艦にいるのか、ホントのホントに、記憶ない?」
「……? いや、そう言っただろう?」
「あのね、私、昨日からこの学園艦にいるの」
「もちろん貴女にも会ってるわ」
「これから帰るところで、最後に挨拶しておこうと思ったんだけど、まさか貴女があんな反応するなんてね」
――昨日も、会ってるだと?
「そ、そんな記憶ないぞっ!?」
「私もです」
私が叫ぶと、カルパッチョが同意する。
ケイは、あははと笑い、言葉を続けた。
「だから確信したの。今日の貴女は昨日までの貴女とは違う。前のループの貴女が、戻ってきたんだってね」
「ど、どういうことだ?」
「……記憶が上書きされている、ということでしょうか」
「ザッツライ! その通りよ、カルパッチョ!」
ケイが親指を立て、言葉を繋げる。
「ループしてるのは、正確には私たちじゃなくて世界の方。記憶の引き継ぎによって、私たちは偶然それを体験できているだけなのよ」
「わ、わかりやすく説明してくれえ……」
「んー、それじゃあ、ゲームに例えましょう」
ケイが再び立ち上がり、マーカーを握った。
『6月1日』の上に『第1ステージ』、『6月26日』の上に『第2ステージ』と記す。
「私たちは、一つのゲームをプレイしているの」
「それは、ゴールへ辿り着くためのゲーム」
「私が第1ステージを担当、貴女たちが担当するのは第2ステージってわけ」
「この後にはきっと、第3ステージと最終ステージが続いてる」
「第63回戦車道高校生大会が終われば、ゲームクリアね」
「ど、どうしてそんなことがわかるんだ?」
「準決勝でプラウダが大洗に勝ったことで、時間が巻き戻されたからよ」
「おそらく大洗との試合が基準になってる。3回続けば間違いないわ」
「第3ステージの担当は、順当に考えればプラウダのカチューシャね」
「あいつも、我々と同じくループしてるってことか?」
「ううん、ループするのはこれから。だって、まだ第3ステージは1回しかプレイされてないから」
「ああ、そっか。じゃあ、カチューシャにとって、今回のループが2回目ってことか?」
「あはは、そうとも限らないのよ。だって、貴女たちが第2ステージでゲームオーバーするかもしれないから」
「つまり、ゲームオーバーすると第3ステージが始まらない?」
「そういうこと。時間が巻き戻って、スタートに戻されてしまうの。一応言っておくけれど、スタートというのは、6月1日のことね」
ケイがホワイトボードに描かれた長髪のキャラクターを示す。
言うまでもなく、これがケイを示しているのだろう。
「第1ステージの終わりは、一回戦の終わり。6月8日を迎えられれば、第1ステージクリア」
横線に『6月8日』と記される。二頭身のケイと我々のあいだ辺りだ。
「第2ステージの終わりは、二回戦の終わり。確か――」
「7月6日だ。7月6日を迎えられれば、クリア」
ケイは「イエス」と答え、二頭身の我々の眼前へ『7月6日』と記す。
「一つのステージはおおよそ一週間程度で終わるようね」
「だとしたら、カチューシャの記憶が引き継がれるのは、7月26日前後かしら」
「……待て待て」
「じゃあ例えば、第3ステージが開始されなかったとしたら、7月26日を迎えられなかったとしたら、そのループはどうなる?」
「記憶の引き継ぎは行われるのか?」
「行われないわ。そのループ、カチューシャはスキップね」
そこまで説明されて、ようやく私はケイの言葉の全てを理解した。
あぁ……なんてことだ、我々よりしんどいじゃないか。
「ケイ。お前が48回目なのは、48から11を引いた、残りの37回を第1ステージでゲームオーバーしているからなんだな」
私が言うと、「そういうことね」とケイは笑った。
「ケイ。どうしてそこで笑えるんだ。うんざりしたりとかしないのか」
ましてや、ケイは私とは状況が違う。
この場に彼女一人きりということは、おそらく第1ステージを繰り返しているのはケイだけなのだ。
私にはカルパッチョがいる。だから踏みとどまれた。
けれどケイには誰もいない。
「仲間が必要なら、我々が仲間になるぞ」
「……いや、是非、我々を仲間に加えてくれ」
「一緒にループを脱出しようじゃないか」
「ありがとう、アンチョビ」
「でもホントに、そんなシリアスになってもらわなくても大丈夫なの」
「ループを繰り返して辛くなったこと、一度もないしね」
どうして。
私がそう短く問いかけると、ケイは言った。
「――だって、わかるでしょ? ループのあいだ、私は大洗との試合を何度も何度も経験出来るのよ?」
ケイが満面の笑みを浮かべる。
「私は戦車道が大好きだからね!」
それは、どこまでも明快な答えだった。
「はいっ。それじゃあ気を取り直して――」
ぱんっとケイが手を叩く。
「ループ条件の話に移りましょうっ! まずはアンチョビ、何か意見や気付いたことはあるかしら」
「わ、私かっ!?」
突然に話を振られて少し狼狽えてしまったが、ともかく頭を捻ってみる。
「うーん、ずっとアンツィオの勝利がループ脱出に繋がると信じてきたが、負けて7月6日を迎えてしまったしなあ」
「かといって、ただ負けるだけというのも違う」
「負けるだけで良いなら、これまでループしていたのと辻褄が合わない」
「負け方に意味があるのかもしれませんね。今回の作戦が、たまたま何かの条件を満たしていたのかも」
カルパッチョが続けると、ケイが大きく手を広げた。
「グレート! カルパッチョ、さすがね。サンダースに欲しいくらいだわ」
「か、カルパッチョはウチの副隊長だぞ!」
「あはは、わかってるわかってる」
ケイはそう言って笑うが、サンダースなら本気で勧誘を始めてもおかしくはない。
きちんと釘を刺しておかないと。
「まぁでも、つまりそういうことね。大事なのは負け方。大洗に、どう負けるかよ」
「……やっぱり勝っちゃ駄目なのか?」
「そうね。それは確かよ。……具体的にどうすれば良いってアドバイスはできないけど、おおざっぱな条件なら、もうわかってるわ」
「ほ、ホントかっ!?」「ホントですかっ!?」
ケイがこくりと頷く。
「ループ脱出の条件はね、正史を辿ること」
「正史……正しい歴史、ですか……?」
「前回の我々はそこを辿れたってことか?」
私たちが問うと、ケイは「ザッツライ!」と返す。
「だから具体的なアドバイスはできないの」
「敢えて言うなら、全部ね。前回やったのと同じことをもう一度やれば良い」
「サンダースの場合、アリサがやらかして、私がそれに気付いて、五輌で大洗の元へ向かって、負ける」
記憶の中にある、サンダースと大洗の試合を思い返す。
もう何ヶ月も前のことのように思えるが、確かにサンダースは大洗の無線傍受を行っていた。
ルールブックでは禁止されていないが、戦車道としては相応しくない。私もそう思う。
だからケイは戦いに赴く戦車を大洗と同じ数まで落としたのだろう。
あれが、一回戦の正しい歴史なんだ。
――では、我々の場合はどうすれば良いか。
「マカロニ作戦を決行し、ペパロニが全てのデコイを配置し、大洗に数が合わないのを見破られ、徐々にアンツィオの車輌を削られ、負ける」
「――だけじゃ駄目だけどね。正史を辿るには、もっと細かく一致させる必要があるわ」
「戦車が撃破される順番だったりとか、きっと台詞とか、ポーズなんかまでね」
「え。も、もう一度、まったく同じことをやるのか……?」
思わず声が出てしまった。
「でも、そこまで細かく記憶している自信ないぞ。話した内容とかなんて、絶対に無理だぞっ!?」
「そんなに難しく考える必要ないわよ」
ケイが左右に指を振る。
「アンチョビもカルパッチョも、自然にやれば良いだけよ」
「だって、一回は成功してるんだからね」
「前回のループ、ああしようこうしようって演じてたわけじゃないでしょ?」
「まあ、それはそうかもしれないが」
「出来る気はしませんね……」
「あはは。やってみれば、何とかなるものよ?」
そう言って、ケイは立ち上がる。
「さて、これで伝えなくちゃいけないことは全て伝えたわ。あとは各人がクリアを目指せば、きっとゴールに辿り着ける」
イレーザーを手に取ってホワイトボードの図を消し、私の隣を通り過ぎる。
その背中へ、私は声をかけた。
「もしかして、もう帰るのか? せっかくだし、朝食くらい取っていったらどうだ?」
「そうしたいのはやまやまだけど、二人で話し合いたいこともあるでしょ?」
ケイは首の上だけで振り向いてそう言うと、「あ」と何かに気付いたかのように目を大きくした。
「でも一つ訊かせて、アンチョビ」
「なんだ」
「貴女、これからどうするの?」
どうする。……どうする?
「何をだ?」
私が問うと、ケイはふいに顔から笑いを消した。
まるで、これこそが本日の最重要事項とでもいうかのように――、
「ループ、脱出するの?」
私は答えた。
「そりゃあそうだ。当たり前だろう」
束の間、ケイの顔がふっと崩れる。
あははと笑って言葉を返す。
「その当たり前は、当たり前じゃないと思うけどね」
「ま、貴女がそう言うなら良いわ。頑張って。ドゥーチェ、アンチョビ」
そうやって出て行こうとするので、思わず「ま、待てっ!」と声をかける。ケイは再び振り向いた。
「なあに?」
「……ああ、安心して。貴女がどの選択をしようと、第1ステージはきちんと毎回クリアするから」
「まぁ、たまにはしゃいでゲームオーバーしちゃうかもしれないけど、それも貴女には関係ないしね」
「結局、どうしてこんなループが起きてるんだ? 解決法はわかった。だが、原因がわからずじまいじゃないか」
ケイは一切考える素振りを見せず、さらりと答える。
「さあね。神様の気まぐれじゃない?」
その言葉を最後に、ひらひらと手を振ってケイは戦車道準備室を出て行った。
残された我々はしんと静まりかえってしまったが、やがてカルパッチョが「ドゥーチェ」とぽつり言葉を吐く。
その声色がなんだか湿っぽく、私はそれを吹き飛ばすよう、できるだけ明るく言葉を返した。
「まー、わからないことは残っているが、とにかく情報を整理するかー」
「記憶違いもあるだろうし、お互い、覚えてることを共有しないとな」
「やるぞ、カルパッチョ」
カルパッチョは黙って頷いた。
一時間ほどかけてカルパッチョとの情報交換は終わった。
試合当日の流れは把握できたし、諸処の動きや台詞もおおむね思い出せただろうと思う。
始める前は無理だろうと思っていたのだが、カルパッチョの記憶に刺激されて私の記憶が蘇り、反対に、私の記憶に刺激されてカルパッチョの記憶が蘇り。 相互作用がうまく働き、思いのほか、細部まで整理できた。
打ち合わせが終わると、一旦、朝食をとって、他のみんなを集合させて朝練へと移った。
マカロニ作戦を発表し、まずは作戦を実行に移すためのデコイの制作からだ。
前回のループと同じく、デコイの制作は一日で終わった。みんな楽しそうにしていてなによりだ。
当日までの残りの時間は全て試合の練習に割いた。
負けるために練習をするというのもおかしなものだが、戦車道はなにも今回の大会で終わりというわけじゃない。
冬の大会だってあるし、他のみんなには来年もある。練習はいつか実になる。
そして試合当日。
これだけ準備を重ねたのに、我々は正解のルートを外れてしまった。
ペパロニが、全てのデコイを配置しなかったのだ。
嬉しい誤算だが、今の私はそれを望んでいなかった。
作戦は成功した。しかし目論見は失敗したのだ。
ともかく我々は大洗の背面へ回り込み、全面包囲からの奇襲作戦を行った。
それでも大洗には勝てなかった。
M3リーと三突の二輌は撃破できたが、それだけだった。
三突と撃ち合いになったカルパッチョ車に白旗が揚がり、残りのセモヴェンテは全てⅣ号に狩られた。
CV33は八九式になぎ払われ、最後に私の乗るP40をやられ、それで終わりだ。
私とカルパッチョは、12回目のループを迎えた。
ケイから見ればこれで49回目――とも限らないのか。
我々が認識する11回目と12回目の間で、ケイが何度か第1ステージをゲームオーバーしている可能性もある。
なんともややこしいが、確かなのは、今回のループでケイが第1ステージをクリアしているということだ。
また負担をかけてしまった。
私たちはそれを引き継ぎ、今回こそ第2ステージをクリアしなければならない。
再び試合当日。
私はペパロニに言った。
「おいっ! デコイ、全部置いてしまえ!」
『え? マジっすかドゥーチェ。もしかして数の計算できないんすか』
「良いからっ!」
『しゃーねーなー。おーい、残り全部こっちに置くぞー』
前に7月6日を迎えた時とはペパロニとのやり取りは違っていたが、そこに大きな問題はなかったようだ。
その後、おおむね前回と同じ流れを辿り、我々は大洗に敗北。
宴会をして、無事に7月6日を迎えた。
>>129
改行ミスっちゃった。
集中力切れてきたみたいなので、一旦、休憩します。
40分くらいに再開します。
遅れました。すみません。
再開します。
「今回は、第3ステージをクリアできるでしょうか」
「さあなあ。それは私たちにもどうにもできないだろう。だが、とにかくプラウダの隊長には会いに行かなきゃな」
ケイの予測では、カチューシャに記憶の引き継ぎが行われるのは7月26日前後とのことだった。
我々はそれまでのあいだ、前回同様、アルバイトや戦車道の練習をして過ごした。
どのループが我々にとって本当の歴史になるのかはわからない。
だとしたら、手を抜いて良いはずがない。
我々は、いつだって全力で臨む必要があった。陸の海辺にも行った。
7月26日になると、過去に交換した連絡先を引っ張り出してプラウダへ電話をかけた。
『何のようっ!? 今はあなたの相手なんかしてる場合じゃないのよっ!』
「まーまー。ループしたんだろ? 全部説明してやるから」
『はあっ!? 何それっ! ちょっとあなた――』
長くなりそうだったので、そこで私は通話を切った。
ケイへ連絡をとると、貴女たちだけで行ってちょうだい、とのことだったので、プラウダへは私とカルパッチョの二人だけで出向いた。
プラウダの学園艦は始めてで、街を歩くと遠目に雪原が見えた。
驚いて道行く生徒に訊いてみると、人工でなく天然物だそうだ。
あの雪原を保つために学園艦の進路の調整でもしているのだろうか。そういう酔狂は嫌いじゃない。
しばらく街を散策した後にカチューシャを訪問。
しかし、現れたのは本人でなく副隊長のノンナだった。
「カチューシャ様はお眠りになられています。またの機会を」
「起こせっ!」
カチューシャの部屋へは15分ほど待った頃に通された。
つい先程まで眠っていたことなど一切感じさせない様子で、カチューシャは「待たせたわね!」と宣った。
私とカルパッチョは顔を見合わせてため息をついた。
さて、と説明を始めようとしたものの、いつまで経ってもノンナが退席しない。
怪訝に思い確認を取ると、彼女もまた、カチューシャと一緒にループを経験しているとのことだった。
私とカルパッチョ。
カチューシャとノンナ。
各プレーヤーはコンビが基本なのだろうか。
だとすると、第1ステージのケイは極めて特別な存在だったのだろう。
私とカルパッチョは、改めて説明を始めた。
カチューシャは悪態をつくものとばかり想像していたが、思いのほか、説明を聞いているあいだは素直だった。
うんうんと頷きながら、RF-8の中で行儀良く体育座りをしていた。
「つまり、このループを脱出するためには、まずは大洗に負けなければならないということだな」
そう話を締めると、カチューシャは言った。
「それでも勝つのはカチューシャよっ!」
…………。
「えぇ……?」「……はい?」
カルパッチョと二人して、喉の奥から疑問の声が湧き出る。
「聞こえなかった? 勝つのはカチューシャだって言ったのよ」
「聞こえなかったかと確認したいのはこちらの方だっ!」
「もしかして話が通じていなかったのか?」
「勝てばループが続くんだ。全員ループから脱出できないんだぞ?」
「失礼ねっ! 通じてるに決まってるでしょっ!」
「何回やったところで勝つのはカチューシャだし、あなた達には悪いけどループ脱出はできないわ。ね、ノンナ?」
カチューシャが目をやると、ノンナは「はい」と頷いた。
「ず、ずっとこのループの中にいるつもりかっ!? 本当にそれで良いのかっ!?」
「仕方ないじゃない、プラウダの雪が永遠に溶けないのと一緒で、カチューシャの勝利はもう決まったことなんだから」
「い、嫌じゃないのかっ!? 終わりはやってこないんだぞっ!? 永遠だぞっ!?」
ループが辛くないと言ったケイだって、脱出へ向けて動いていた。
あいつだって永遠に彷徨い続けるのは嫌なんだ。
それをカチューシャは、受け入れると言ってる。
「嫌とか嫌じゃないとかの話じゃないわ」
「……運命が何と言おうと、カチューシャは勝たなきゃいけないの」
「たとえ一万回繰り返したとしても、勝つのはカチューシャなのよ」
そう言ったカチューシャの瞳は強く透き通っていて、嘘偽りない本心なのが伝わった。
茶化す気はまったく起こらない。
その覚悟も、なんとなく理解ができた。
「でも、だからって――」
言いかけた私を、カチューシャが「はん」と鼻で笑う。
「ま、あなた達みたいな弱小校には、強者の胸の内なんて想像がつかないだろうけどね」
あんまりな言いぐさに、頭へかっと血が上った。
「い、言わせておけばお前ぇえっ! アンツィオは弱くなんかないっ! いや強いんだぞっ!?」
「弱くない高校が、大洗に負けるわけないでしょ?」
私は「ぐ……っ」と声を詰まらせてしまった。
カチューシャの、言う通りだ。
すでに私は大洗との試合を12回も繰り返している。
それで大洗に一度も勝利できていないアンツィオは、はたして弱くないと言えるのだろうか。
ふいに頭をよぎった考えは、私の脳裏に染みついたようで、すぐに消えてはくれなかった。
「なんなら練習試合で証明してあげても良いけど、あいにく大洗との試合までのあいだに差し込む余裕はないわね」
そこまで言うと、カチューシャはRF-8の中に敷かれた毛布へ倒れ込み「ノンナ、帰ってもらって」と告げる。
もうこれで話を締めるつもりらしい。
「お、おい、本気で言っているのかっ、カチューシャっ!?」
慌てて私は声をかけたが、ずいとノンナが私たちとカチューシャとの間へ立ち塞がる。
「カチューシャ様はいつだって本気です。お引き取りください」
感情の薄い冷酷な瞳に見つめられるとどうすることもできず、仕方なしに私とカルパッチョはプラウダの学園艦を後にした。
アンツィオは、本当は弱いのだろうか。
時折、頭をもたげるようになったその考えは、アンツィオの学園艦へ帰った後も続いた。
その度に私は首を振って頭の中から追い出したが、それでも何度も何度も復活する不安は、まるで呪いのようだった。
カルパッチョへの相談も考えたものの、口に出したら二度と消えてくれそうになくて憚られた。
サンダースへは、学園艦へ帰った翌日に電話をかけた。
カチューシャとの件を報告すると、ケイは「カチューシャならそう言うと思ったわ」と笑った。
だからケイは付いてこなかったのかと合点がいき、もやもやとしたものを感じた私は「だったら初めから教えておいてくれてもいいだろ」と一言文句を言った。
このままではプラウダは大洗に勝利してしまう。
ループ脱出のため、前回のプラウダの戦術を大洗の連中へ密かに伝えることもできただろうが、そんな気も起こらなかった。
ひたすら戦車道の練習やバイトへ打ち込んでいると、あっという間に一週間が過ぎ去った。
二度目のプラウダVS大洗だ。
私は前回と同じく、アンツィオのみんなと共に学園艦の円形競技場で試合を観戦した。
これまた前回と同じく、やはり大洗は劣勢だった。
知恵と連携で圧倒的不利を覆そうとする彼女らの姿は輝いていた。
けれど今度は、大洗だけでなく、プラウダの奮戦にも目がいった。
思いのほか大洗が手強かったのだろう、いくつかの車輌が大洗に撃破されてしまった。
カチューシャは動揺している様子だったが、T-34/85が大洗のM3リーを撃破したのを皮切りに体勢を立て直し、そのまま大洗を押し切った。
今回も、試合はプラウダの勝利。
ハッチから顔を出して笑顔を浮かべるカチューシャを見て、私はふいに気付いた。
アンツィオのみんなは大洗の敗北に落胆している様子だったが、私は違った。それでも良いと思えた。
前回のループでは、大洗に自分を重ねていたのに。
いまの私は、プラウダに自分を重ねていたのだ。
13回目の6月26日。
ベッドに横たわったまま、起き上がらずに思考へ沈む。
何故、プラウダに自分を重ねたのかと、考えてみれば答えはすぐに見つかった。
私は、カチューシャを知った。
これまでは大洗の相手役くらいにしか認識していなかったが、彼女にも芯があったんだ。
失礼な話だ、当たり前のことだった。
ただ、形が違うだけ。
大洗には燃え上がるような情熱があり、プラウダには凍りつくような覚悟がある。
そこには、優劣も貴賤もないんだ。
では、果たして私はどうなのか。
情熱はあるか。覚悟はあるか。
その問いかけに、以前の私ならどちらもあると答えた。
だからこそ、その頃の記憶があるからこそ、私は大洗にもプラウダにも自分を重ねることができた。
しかし今の私はどうだ。
情熱があると言えるのか。覚悟があると言えるのか。
たとえ残滓でもそれらが残されているのなら、このままループを脱出する選択などして良いのだろうか。
戦わなくて良いのか。
ドゥーチェの称号は、ただの飾りだったのか。
私に覚悟や情熱がなくて、どうしてアンツィオのみんなを引っ張っていけるというんだ。
――いや、しかし。いやしかしだ。
そうやって自分を問い詰めたところで、だからどうしろというんだ。
これは私だけの問題じゃない。
私が勝利に固執してループを抜け出せなくなれば、同じくカルパッチョやケイ、カチューシャやノンナもループに囚われてしまう。
確かに勝ちたい。
そりゃあ勝ちたいさ。
しかし、そのために他を犠牲にしようとは思わない。
勝利だけが戦車道じゃない。
私の戦車道は、そんなものじゃない。
「あー、ほんとドゥーチェはめんどくさいっすねー。じゃあドゥーチェの戦車道ってなんなんすか?」
「……ん」
突然に声をかけられ、右下へ目をやると、ベッドの手すりから顔を出したペパロニが大きなあくびをしていた。
「朝からうるっさいすよ、ドゥーチェ」
「も、もしかして、全部、声に出ていたか?」
「いやわかんないっすけど。覚悟がどうとか言ってたっすよ」
声に出てたんじゃないかっ!
その叫びは胸の中にしまっておいて、火照った頬を隠すために、すっと私は顔を引く。
「よ、よし、いいかペパロニ。ぜんぶ忘れろ?」
「いや、忘れないっすけど」
少しだけ呆れたような声色が下方から届く。
何も返すことができなくて黙っていると、しばらくしてペパロニから言葉が放られた。
「……で?」
短いな。
そして、待てどもペパロニはその続きを口にしない。
仕方なしに「で、とは?」と私が確認すると、ペパロニは言った。
「いやだから、ドゥーチェの戦車道ってなんなんすか?」
ああ、そういえばそんなことを言っていたか。
冷静な頭になって考えてみれば、その問いには淀みなく答えられる。
「そりゃあ、楽しいのが、私の戦車道だ!」
「負けて楽しいすか?」
「うんっ! 楽しければ、それで良しだっ!」
「勝ったら楽しいすか?」
「もちろんっ! 楽しいプラス嬉しいで、最高だな!」
「いや、じゃあ勝ちゃいいんじゃないすか?」
「そ」
と、一文字だけ漏れて、そこで慌てて私は口を噤んだ。
『そうもいかない事情があるだろ』
そのことを、ペパロニは知らない。
「なんすか? 負けてもまぁ楽しいっすけど、悔しさもあるっすよね? 少なくともわたしは悔しいっすよ」
「う、ぅうう、そ、そうかもしれないがなあ」
「ドゥーチェいつも言ってるっすよ。アンツィオは強いって。だったら、勝って証明してやればいいじゃないすか」
「……ちょっと、考えさせてくれ」
私はそう言葉を残して、さっと制服へ着替えるとペパロニを置いて自室を後にする。
ずぶずぶと思い悩んでいたが、あっけらかんとしたペパロニの言葉を聞いていると脱力してしまった。
もっと気楽に考えても良いんじゃないかと思えてくる。
「でもやっぱり、みんなのことを思うと、勝利勝利って言っていられないんだよなあ」
「別に、構わないんじゃないでしょうか」
「…………」
今度は、カルパッチョの言葉だった。
戦車道準備室にて、向かいに座るカルパッチョがにこにこと笑みを浮かべる。
「そうは言ってもな。お前は辛くないと前に言っていたが、ずっとループから出られないのはさすがに嫌だろう」
「私は、そんな苦しみを、みんなに強いるつもりはない」
私が言うと、カルパッチョはきょとんと目を丸くした。
「ひとつ疑問なんですけど」
「なんだ」
「ドゥーチェは、あと何回、負け続けるつもりですか?」
――――。
「あと、何回……?」
雷撃が、私の頭に、落ちた。
あぁあぁぁあああっ!
まったくっ! なんてことだっ!
ここまで落ちぶれていたのか、私は。
何故気付かなかった。
どこまで負け犬根性が染みついていたんだ。
そうだ、そうだ、そうじゃないか。
「すまなかった、カルパッチョ」
私の言葉に「なんのことでしょう」と彼女はしらを切る。
「お前たちがいて、良かった」
ループを脱出できない?
大洗に勝利し続けるから?
いや違う。それはプラウダの場合の話。
我々の場合は、大洗に挑戦し続けるからだ。
勝つために挑戦し続けるから、ループを脱出できないんだ。
挑戦し続けるとは、すなわち、負け続けるということ。
我々は負け続けて良いのか?
そんなわけがない。
ループなど、敗北など、繰り返してはいけないに決まっているっ!
「……一万回繰り返せば、そりゃあ我々が勝てることもあるさ」
「でも、それじゃあ意味がない。そんな勝利に価値はない」
自分に言い聞かせるよう、ぽつぽつと言葉を吐く。
カルパッチョは私の言葉に反応を示さない。
ただ黙って耳を傾けてくれている。
「アンツィオは、一万回に一度の幸運でしか勝利を掴めないようなチームじゃない」
「アンツィオの強さを証明するためには、これ以上繰り返してはならない」
「それでは名誉は得られない」
我々は強い。大洗に勝てる。
「これまで随分と負け続けてきたが、選択を間違え続けてきたが、今度こそ最後だ。勝っても負けても、これで最後にする」
だから。
「いま勝とう。このループで勝つぞっ!」
私が宣言すると、カルパッチョが頷いた。
「最初から、そのつもりです」
長く放浪の旅をしていたらしい情熱が、覚悟が、私の中へ戻ってきた。
楽しいのも戦車道だが、勝利を目指すことも戦車道だ。
何を甘えていたんだ。
ループに依存していた。頼ってしまっていた。
そんなものを利用しなくとも、我々は勝てるだろう。
私はもう繰り返さない。
ただの一度きりで、大洗に勝利する。
そうやって心に決めてしまうと、なるほど、見えてくる景色が変わった。
胸の内から湧き上がる炎が、火花を振りまいて破裂してしまいそうだ。
「カルパッチョ。作戦会議だ。今度は一つの策に頼り切る真似なんてしないぞ。二重三重の策を用意して大洗を翻弄してやる」
私が言うと、カルパッチョは鼻息を荒くして答えた。
「ええ、望むところです」
まったく頼もしいものだ。
私は「ありがとう」と礼を言って、改めてホワイトボードの前へと移動した。
「あー、作戦会議ならわたしも混ぜてほしいんすけど」
と、この場にいないはずの声が聞こえて、振り返る。
「ペパロニ?」
先ほど部屋で別れたはずのペパロニが、そこにいた。
「どうして、お前、ここに?」
「いやー、ここんとこずっと、二人でこそこそ相談してたじゃないすか」
「いつもならわたしも混ぜてくれんのに、ずるいっすよ」
「つーわけで、ドゥーチェつけてきたっす!」
そう言って、ペパロニは腰に手をあてて仁王立ちする。
「お前なあ……まぁ、私たちも悪かったかもしれないが、こっちにも事情があってだな」
「……ちょっと、ドゥーチェ、ドゥーチェ……っ」
耳元でカルパッチョが囁き、「うん?」と私は目を向ける。
「なんだ?」
「おかしくないですか? いまは6月26日の朝ですよ」
「確かに二人だけでの作戦会議は何度もしてましたけど、それは、6月26日以降のループ中の話ですよね?」
「6月25日以前は、基本的にペパロニも作戦会議に参加してたはずです」
言われてみて気付く。なるほど。
「それじゃあ、ペパロニが『こそこそ相談してた』なんて言うはずがないな」
「ええ。だからきっと、ペパロニはループ中に私たちの相談してる姿を目撃してたんだと思います」
「……んん、つまり、それは?」
「おそらく、そのまさかかと……」
カルパッチョが神妙な顔で頷く。
つまり、それは、こういうことか。
「ペパロニ。お前、6月26日は、何度目だ?」
「あー、ちょっと覚えてないすね。10回目くらいっすか?」
――――。
「お前ぇえっ!?」「どうして言わなかったのっ!?」
二人して驚きの声を上げると、ペパロニは返した。
「あっはっはっ! まー、別に気にするほどのことでもねーかと思って。別に困ってないっすから」
あっけらかんと言ってのけるペパロニに、自然と口からため息が漏れる。
「……おい、こいつ、どーする?」
「とりあえず、作戦会議は三人でしましょうか……」
「よろしくっす!」
カルパッチョが呆れた声で言うと、ペパロニは元気よく敬礼をしてみせた。
見てくれてる人いますか。
今日は、終わりにします。
続きはまた明日の夕方辺りに始めようかと思います。
正直、まだ長いですが、明日中に最後までいけるように頑張ります。
待ってた方いたらすみません。再開します。
途中ちょいちょい休憩を挟むとは思いますが、今日中に最後までいくつもりです。
お付き合いいただけたら幸いです。
カルパッチョの煎れてくれたコーヒーを三つ並べて、作戦会議を開始した。
他のみんなには今日の朝練はスキップすると伝えてある。
授業が始まるまではまだしばらく余裕があるが、できれば午前中のうちに作戦をまとめておきたいところだ。
んんっと咳払いをして、早速、対面の二人に向かって話を切り出す。
「やはり、まずはマカロニ作戦でいこうと思う」
私の言葉にカルパッチョは頷いたものの、ペパロニが「マジっすか」と抗議の声を上げる。
「あんだけ失敗したんすよ。まだやるんすか?」
「失敗じゃない。ここ2回は成功してただろ? 結局、その後に負けてしまったが、作戦自体は成功だ」
「負けてたら意味ないじゃないすか」
「それは――マカロニ作戦じゃなくて、他の作戦が駄目だったから。意味はあります」
「ペパロニ。お前、またデコイを置きすぎたりはしないよな?」
「しないっすよ! 舐めないでほしいっす!」
「じゃあ、マカロニ作戦は成功するさ。ここを軸に他の作戦を考えていくぞ」
「万が一、駄目だった時のことを考えて、代案は立てておく必要はあると思いますけどね」
カルパッチョの言葉に「うん、それはそうだな」と頷きつつ、少し思い当たる。
「……あー、大洗の包囲を戦術の要とする予定だが、マカロニ作戦が駄目だった場合、そこから変えた方が良いな」
「デコイが向こうにばれれば、我々が包囲を狙っていることも察せられるだろう」
「タイミングにもよると思いますけどね」
「持久戦に持ち込まれれば負けるのは我々だ」
「どちらにせよ、狙うは短期決戦。奇襲が基本となるな」
「だとしたら、我々の居場所を向こうに悟らせるのだけは避けなければ……」
「あぁあああっ! まずはマカロニ作戦の話しないっすか!? 万が一の話は後にしてほしいっす!」
ペパロニに言われてみて、議論が少し脱線してしまっていたのに気付く。
「あぁ、すまなかったな」とペパロニに謝り、軌道修正。
「さて、マカロニ作戦が成功したとして、次は大洗の包囲だ。包囲網をどう敷くかが重要となるな」
「これまではCV33部隊、セモヴェンテ二輌に、P40を中心としたフラッグ隊の三チームに分けていましたけど、あまり大洗に有効とはいえなかったですね」
「あ、フラッグ車って、もしかしてウチらっすか?」
「いや、それはやめだ。もう懲りた」
「最後にフラッグ車だけが残された時、それでも勝ちの目がゼロにはならないようにしたい」
「セモヴェンテか、P40か……」
うんうんと悩んでいると、やがてカルパッチョが「あの」と手を挙げた。
「相手車輌を撃破する役割は、基本的にはP40ですか?」
「うん。スペックを考えると、それが一番だからな」
「――でしたら、フラッグ車は、セモヴェンテにしませんか」
そう言ったカルパッチョの語気は力強い。
その言葉に、何らかの意図が乗っているのは明白だった。
「それは、P40をフラッグ車にすると、最前線へ出るのに危険だからか?」
「はい。それに、敵はフラッグ車に集まります。目立てば奇襲をかけるには不向きになってしまいます」
なるほど、道理だ。
それならもう一つ質問をしておこう。
「フラッグ車のセモヴェンテに乗るのは、お前か?」
私が問うと、カルパッチョは「はい」と頷いた。
「任せて、もらえませんか?」
僅かに瞳を潤ませて、頬を紅潮させて、眉は険しく反らせて、カルパッチョが問いかける。
その表情は、私の認識を、まるごと根底から変えてしまうような代物だった。
正直、悩みながらも、結局はP40をフラッグ車にすることになるだろうと予感していた。
それは、私がドゥーチェだから。
ここまできたのだ。
この土壇場では、相手車輌を撃破する役割も、フラッグ車を務める責任も、全てドゥーチェである私が背負うべきだと思っていた。
けれどカルパッチョは、その片方を彼女が担うと言っている。
彼女の決意は、きっと、セモヴェンテをフラッグ車にした方が勝率が高いから、というだけの理由ではない。
私は、いつまでもドゥーチェではいられない。
来年になれば、隊長を務めるのは、カルパッチョか、ペパロニのどちらかだ。
私は、ドゥーチェを受け渡さなければならない。
それはまだ先のことかもしれないけど、遠い未来じゃない。
少しずつ少しずつ、私の色をアンツィオから消していかなければならない。
カルパッチョやペパロニが、私に頼り切りじゃ駄目なんだ。
カルパッチョの表情には、その覚悟が乗っていた。
「良いだろう。フラッグ車は、カルパッチョの乗車するセモヴェンテにするぞっ!」
そう宣言すると、ちょっとだけ寂しさが胸に染みたが、それは飲み下すべきこと。
「ありがとうございます」
返事をしたカルパッチョの顔を見て、私はさらに思った。
私がアンツィオのみんなのために残せるものは、なんだろう。
そうして考えてゆくと、ずっと胸の中にあった『勝ちたい』という気持ちが、少し形を変えて『勝たせてやりたい』になったのに気付いた。
「よし、完成だっ!」
結局、午前中のうちに作戦会議は終わらず、作戦が細部までまとまったのは昼休憩のこととなった。
一年生たちに任せた屋台を円形競技場の裏口から見守りつつの作戦会議。
昼食も彼女らの作った鉄板ナポリタンだ。
戦車道準備室から移動させてきたホワイトボードには、作戦名と概要がずらっと並んでいる。長い長い作戦会議の成果だ。
作戦を練り上げた達成感で宴会をしたい気分ではあるが、あまり時間もない。
次の行動へ移らなければならない。
本当に、至極残念ではあるが、まあ仕方がない。
気を引き締めて、カルパッチョへ向かって口を開く。
「さて、それじゃあ、カルパッチョ。この作戦を資料にまとめてくれ」
「放課後の練習終わりまでに出来てたら助かるな」
「了解です」
カルパッチョが頷き、それを見たペパロニが「はいはいっ」と手を挙げる。
「ドゥーチェっ! わたしはどうするっすか!」
「ペパロニ。お前はみんなの士気をがんがん上げてくれ」
「ノリと勢いがアンツィオの武器だからな。武器の威力は高ければ高いほど良い」
「んー、よくわかんないっすけど、つまりみんなを盛り上げりゃ良いんすよね。そういうのは得意っす! 任せてください!」
「うん、任せた」
「私は各車長の指揮系統の教育をしておく」
「私たち三人がいなくても、ある程度の立ち回りは考えられるようにしておかなければな」
「ぉおお、つまり先生っすか! いや姐さんさすがっすね!」
「ふふー、そーだろー?」
褒められて悪い気はしない。
思わず立ち上がり胸をそらしてしまう。わははー。
……と、気を取り直して。
「では、解散っ!」
宣言と共にペパロニが「トスカーナうどん喰ってくるっす!」と飛び出していく。
すこぶる元気だ。
あいつがああだから、ウチの連中も引っ張られてノリと勢いがついていくのだろう。
「ドゥーチェ。私は一度準備室に戻りますね」
「放課後までに資料をまとめて印刷しておこうかと思います」
「ホントか? あまり無理はするなよ」
「ドゥーチェこそ。気負いすぎないでくださいね」
そう言って、カルパッチョはすたすたと歩いてゆく。
私も気を抜くとペパロニに引きずられてノリと勢いに身を任せてしまうからな。
冷静なカルパッチョが隣にいてくれなければどうなっていたことか。
「練習メニュー、ばっちり考えておかないとな」
ぽつりと呟くと、心臓が脈打ち、やる気が全身に漲るのを感じた。
というわけで、昼休憩の後は授業そっちのけで練習メニューの考案を行った。
マカロニ作戦。トルメンタ作戦。雲形定規作戦。
ニッビョ作戦。分度器作戦。地球儀作戦――。
大がかりなものから小粒なものまで、用意した作戦の数はかなり多い。
その全ての特訓は出来ないが、ぶっつけ本番というわけにもいくまい。
少なからず一度は試しておく必要があるだろう。
特に使う可能性の高い作戦については動きが安定するまで練習しておくべきだ。
それに、それぞれの役割によって、こなしておくべき練習は異なる。
となれば当然、メンバーごとに練習メニューを考えなければならない。
量が多く、なかなか骨が折れたが、なんとか放課後にはノート一冊分の練習メニューが出来上がった。
「みんなっ! 資料は行き渡ったかっ!」
私が問いかけると、階下から「ばっちりっす!」「おっけーっすよっ!」「ありますっ!」と口々に声が届く。
カルパッチョは、宣言通り、本当に放課後までに作戦をまとめてくれた。
ページごとに図解付きで作戦を説明し、索引までつける周到ぶりだ。
みんなには、カルパッチョの作った作戦ファイルと、私の作った個人ごとの練習メニューを、それぞれセットで配布した。
資料を受け取ったみんなは、最初は威勢が良かったのだが、徐々に顔を曇らせていく。
先頭のアマレットが、ぼそりと「これ分厚くないすか」と呟いた。
カルパッチョがわかりやすくまとめてくれたとはいえ、確かにいつもよりも資料の量は多い。
座学の苦手なアンツィオのみんなが不安に思うのも無理はないだろう。
「あー、いいかお前ら、ちょっと訊け?」
「作戦の数は多いが、なにも全てを細かく暗記する必要はないんだ」
「試合中に作戦名を指示したとき、どんな作戦だったかなんとなく思い出せるようにしてくれればそれで良いっ!」
「いや、それって結構厳しくないすか?」
ジェラートが不安げな声を発する。
「あのなジェラート、向こうだって万全の準備をしてくるんだぞ」
「これくらいやらなくてどーする?」
「前にも言っただろ?」
「どうせ奴らは『アンツィオはノリと勢いがなければ総崩れ』とかなんとか思ってるんだぞ。それで良いのか?」
私が言った途端、ジェラートは「そうだったっ!」と荒々しく叫び、その怒気は周囲へと伝染する。
「許せねえ!」「舐めやがって!」「カチコミだカチコミ!」「あいつらみんなぶっ飛ばしてやるっ!」
あぁあ、血の気が多すぎるのもいけない。
「待て待てみんなそう怒るな?」と私が宥めると、カルパッチョが「ただの推測だから」と続けた。
落ち着いたみんなに、今度はペパロニが声をかける。
「いいかてめえらぁっ! ドゥーチェの考えたこのちょー完璧な作戦があれば大洗なんて朝飯前だっ!」
「来週の大会であいつらに吠え面かかせてやるぞおっ!」
ペパロニが拳を突き上げ「ドゥーチェっ!」と叫ぶと、二度目からは階下のみんなも一緒に叫び出す。
いつの間にかカルパッチョも笑顔で拳を突き上げていて、私もみんなに混ざって「ドゥーチェっ! ドゥーチェっ!」とコールを始める。
「我々は、勝つっ! 気合いを入れろっ! アンツィオの力を見せてやれーっ!」
最後に私がそう締めると、みんなは「いぇえーいっ!」「おぉーっ!」と思い思いに叫んで、拳を天高く突き上げた。
気合いは十分。
ノリと勢いが持続してさえいれば、アンツィオは無敵だ。
そのままの勢いで練習を始めた結果、なんと金曜から日曜までの三日間でみんなは全ての作戦を身につけてしまった。
おかげで残りの六日間はひたすら連携と作戦の練度向上に費やすことができた。
我々はやれる。我々は勝つ。
そう熱く信じながらも、胸の内の冷静さは失わないように。
「一瞬でも油断すれば負ける。ノリと勢いは損なわず、しかし最大限の知恵を振り絞れ――」
万が一があってはならない。
みんなが作戦を忘れてしまってもすぐに思い出せるよう、作戦ファイルは各車輌に備え付けた。
作戦の詳細をカルパッチョと何度も打ち合わせた。
ペパロニと協力して、パネトーネを初めとした各車長に、指揮の執り方やいざという時の立ち回りを教え込んだ。
万全は期した。
これ以上、我々に出来ることは何もない。
と、そこまでいって、ようやく私はケイへ連絡を入れていないことに気付いた。
我々が第2ステージをクリアしなければ、またケイは第1ステージをやり直すことになるんだ。
『ハァイ、どうしたの、アンチョビ?』
「ケイか、すまない、一つだけ謝りたいことがある」
『んー、その声は、なるほどー?』
『明日の試合、本気で勝つ決心がついたのね』
『大丈夫。なにも問題ないわ。ファイトっ!』
ケイには全てお見通しだったらしい。
思わず笑ってしまって、「ありがとう」と私は礼を言った。
そして、7月5日、日曜日。
大洗はやはり、荒れ地の真ん中でマップを広げて作戦の最終確認をしていた。
カルパッチョに「危ないですよ」と諫められながらも、立ち上がりフィアットのフロントガラスへ足をかける。
大洗の連中がこちらへ目を向ける。
私は叫んだ。
「たぁのもおぉーっ!!」
ちょっと休憩します。
20分すぎに戻ります。
再開します。
ペパロニからの通信は、試合開始から15分が経過した頃にあった。
耳にあてたヘッドフォンを通して、威勢の良い声が届く。
『ドゥーチェっ! デコイ配置したっすっ!』
「よおーしっ! て、予備を置いてないだろうなっ!?」
『ばっちり置いてないっすよ!』
「不安になる答えだが、置いてないならよしっ!」
十字路の北東と南東に置いたデコイ。
我々の予測通りなら、大洗の連中はこのデコイを見て十字路に足止めされるはずだ。
その間に十字路の外側から回り込み、機動力で大洗を包囲するというのが、我々のマカロニ作戦である。
「ペパロニ。大洗の連中はまだ街道に現れていないか?」
『もう離れちゃってるっすけど、さっきはいなかったすね』
「う……できれば目で見て確かめたかったところではあるが、まぁ仕方ない。まさかこの十字路を無視はしないだろう」
街道に戻らせたとして、一台だけ軽やかに動くCV33を見られれば違和感を抱かせてしまう。
時間がもったいないし、ペパロニにはこのまま包囲を進めさせる方が良いだろう。
「よし、ペパロニ、お前は予定通り大洗の背後へ回れ」
『了解っす! ドゥーチェ!』
通信が切れる。と同時に私は、隣のセモヴェンテのハッチから上半身を出すカルパッチョへ顔を向ける。
「カルパッチョ、お前も予定通りここで指示があるまで待機だ」
「了解です。ドゥーチェはどちらへ向かわれますか?」
――アンツィオの車輌は、大きく四小隊に分けた。
ウーノ、カルパッチョ乗車のセモヴェンテにCV33一輌をつけたフラッグ車チーム。
ドゥーエ、私の乗車するP40に、セモヴェンテとCV33を一輌ずつつけた、奇襲部隊その一。
トレ、パネトーネの乗車するセモヴェンテに、CV33を二輌つけた、奇襲部隊その二。
クアトロ、攪乱役のCV33コンビ。これはペパロニが隊長を務める。
ペパロニ率いるクアトロチームは大洗の背後――十字路の西側へ向かっている。
が、まだドゥーエとトレのどちらが十字路の北へ、どちらが南へ向かうかは決めていない。
「……過去のループでは、北にティーポ89、南にM3リーがいたはずですが」
「あぁ、そうだったな」
八九式には、散々翻弄させられた。CV33には天敵とも言える相手だ。
できれば早めにP40で潰しておきたいが――。
「しかし、それはフェアじゃない」
私は胸ポケットからコインを取り出した。
「ドゥーチェ?」
「表なら、ドゥーエが北。裏なら、トレが北だ」
八九式が北にいるから。
そんな理由で決めてしまえば、我々は過去のループを利用したことになる。
……そりゃあ我々は、ループによって試合経験を積んでしまっている。
こんなことをしても本当の意味ではフェアにはならないかもしれない。
けれど、せめてもの、だ。
「よっ」とコイントス。
指で硬貨を弾き、落ちてきたそれを左の手の甲で受け止め、右手でおさえる。
右手を除けて出てきたのは――、
「……裏だ。我々は南、トレが北へ向かう。よろしく頼むぞ、パネトーネっ!」
私が言うと、パネトーネは「任せてほしいっす!」と元気よく返事をした。
十字路の南を大きく迂回して街道を抜け、木々の間を進んでゆくと、やがて遠目にM3リーの車体が見えた。
砲身は我々の方角とは真逆――街道側へ向けており、どうやらこちらにはまだ気付いていない様子である。
「トレ、クアトロ。こちらは十字路の南へ到着」
「距離五百メートルの位置にM3リー一輌が配置」
「そちらの状況を教えろ」
『こちらクアトロっ! 十字路のずうっと西に到着っ! 距離は2キロってとこすかね』
『とりあえず東に向かって進んでるっすけど、敵影はまだ見えないっす』
『こちらトレっ! 十字路の北に到着したっす!』
『えーっと、あれは……ティーポ89、ティーポ89がいるっす、だぜ』
なるほど……。となると、ペパロニはほとんど大洗側のスタート地点まで行ってしまったわけか。
素直に考えれば、Ⅳ号、三突、38(t)の三輌はクアトロの先を進んでいることになる。
というか、よほどの奇策を打ってこない限りそうするだろう。
「よし、それじゃあクアトロはそのまま進め」
「ただし大洗の車輌を見つけたらすぐに隠れろ。決して見つかるなよ」
『了解っす!』
「ドゥーエは、本隊が合流する前に急いでM3リーを仕留める」
『マジっすか! さすがっす、ドゥーチェ!』
大洗包囲の意味の一つは逃げ場を塞ぐこと、そして一つは有利を取ることである。
ドゥーエチーム三輌に対して、相手はM3リー一輌。
ここで仕留められずして我々に勝機はない。
『うちらはどうするっすか!? だぜ』
――そして、それはトレも同じだ。
トレチーム三輌に対して、相手は八九式一輌。有利はこちらにある。
とはいえ、そのうち二輌はCV33。
加えて、指揮を執るのはまだ経験も浅いパネトーネだ。
出来ないとは思っていない。
が、正直なところ、出来ずとも仕方なしとは思っている。
「あー、トレも、できればティーポ89を仕留めて欲しいが、決して無理はせず――」
『余裕でできるっすよ!』
パネトーネは、こちらの言葉を遮って返事をした。
『みくびらないで欲しいっす!』
『俺らがこの日のためにどんだけ練習してきたと思ってんすか! だぜ!』
間髪入れず、そこまでパネトーネは言い切る。
その声色に、一切の淀みはない。
……まったく、ドゥーチェ冥利に尽きるというものだ。
「よおし、よく言った! ならば任せたぞパネトーネっ!」
来年には私が消え、再来年にはカルパッチョとペパロニが消える。
その頃はこいつらの番だ。
まだまだ先の話とはいえ、この調子なら安心して構えていられるかもしれないな。
――て、いやいや、感傷に浸るのは試合が終わってからだ。
まずはこの試合に、勝たないと。
「ではこれより、ドゥーエとトレは、それぞれトルメンタ作戦を決行するっ!」
私が宣言すると、少々の沈黙の後、
『あー、トルメンタ作戦ってなんだったっすか? だぜ』
とパネトーネの言葉があって、少し肩の力が抜けた。
「作戦ファイルの6ページ目だ!」
『あぁ、そうか。了解っす!』
ともかく気を取り直して。
「お前ら、行くぞ」
「「「Siっ!」」」
私が合図すると、CV33とセモヴェンテがP40を置き去りにM3リーへと突撃してゆく。
ただし背後からではなく、迂回して街道側からだ。
まずはCV33がその姿を見せ、遅れてセモヴェンテがM3リーの前方へ飛び出す。
「スパーラっ! そしてフォーコだっ!」
閃光のように煌めく機銃、そしてセモヴェンテの砲弾が砲塔をかすめ、M3リーが車体をぐらつかせる。
が、すぐに停車、その砲身を僅かに動かす。
「左っ!」
慌てて指示して、すかさず車体をずらしたセモヴェンテの真横を砲弾が飛んでいった。
M3リーの乗員は全て一年生。
突然の奇襲には、目論見通り動揺している様子だ。
とはいえ、なかなか車長の肝が座っているらしく、あっという間に体勢を立て直して逃走を図ろうとしているのは、さすが大洗といえるだろう。
しかし、そこで登場するのが我々だ。
「突撃っ!」
用意した作戦の中でも、トルメンタ作戦は極めて単純。
CV33の機動力を利用した、三輌での挟撃作戦だ。
無線機を通信手へと返し、スコープを覗くと、右に旋回を始めたM3リーの姿が見えた。
両手に包丁を携えた兎のマークがどんどん大きくなり、我々との距離が近付いてきているのがわかる。
ようやくあちらも我々の存在に気付いたのだろう、さらに旋回し、こちらへ砲身を向けようとするが、もう遅い。
轟音と衝撃。
P40の砲身の先がM3リーの砲塔にぶち当たったのだろう。
「フォーコおっ!」
叫び、発射レバーを思い切り引き落とす。
体が後ろへ引きずられ、同時に爆音が響く。
慌ててスコープを覗けば、黒煙のなか、兎の戦車からは白旗が揚がっていた。
「「「よっしゃああっ!」」」
車内に、歓声が上がった。
ふうっと一息つき、座席にもたれかかる。
なんとか、まずは一輌目だ。
『ドゥーチェっ! こちらトレ! 報告いいすかっ! だぜ!』
パネトーネの声が聞こえて、慌てて通信手席へ手を伸ばし、無線機を受け取る。
「ドゥーエだ! よろしく頼む!」
『トレはトルメンタ作戦を決行っ! ティーポ89の撃破に成功したっす!』
「ぉぉおおおおおっ! よくやったっ!」
『でもCV33を二輌ともやられたっす。ごめんなさい、だぜ』
「うむ、仕方ないっ! 万全ならなお良かったが、上等だ」
「本当によくやったな、パネトーネっ! トレのみんなもなっ!」
『ふひひ、ありがとっす! みんなにも言っとくぜ! です』
『ドゥーチェっ! こちらクアトロのペパロニっす!』
『大洗のやつらが全速で森の中突っ走って北に向かってるっすよ!』
通信が切り替わり、今度はペパロニからの報告だ。
北というのは……つまり、パネトーネのいる方角か。
さすがに判断が速い。
我々の包囲を見抜き、一輌きりのパネトーネを仕留めて体勢を立て直そうというのだろう。
「パネトーネっ! ただちに全力で西に逃げろっ!」
『りょ、了解っす!』
「クアトロはそのまま奴らを追えっ!」
「機銃でちょっかいかけまくって、少しでも奴らの速度を遅らせろっ!」
「あ、でも撃破はされるなよ!」
『了解っす! よっしゃあ、いくぜてめえらあっ!』
無線機を通信手へ返し、ペパロニに倣って私も叫ぶ。
「ドゥーエっ! パネトーネを助けるぞっ! 西の崖へ向かって全速前進だあっ!」
パネトーネから再び通信が入ったのは、西の街道を我々ドゥーエが横切った直後のことだった。
『ドゥーチェ、大洗の連中に見つかったっす!』
「ジグザグに逃げつつ、そのまま北西の崖へ向かえ! 我々がそこで待ち伏せるっ! 追いつかれるなよ!」
『で、できっかなあ、とにかく了解っす! だぜ』
以前のループで大洗に使われた手ではあるが、あの北西の崖は待ち伏せをするのに最適だ。
崖の端までいかなければ下からは見えない上に、高さがあまりないおかげで崖下の戦車を射程範囲に入れられる。
問題は、我々が待ち伏せに間に合うかという話なのだが――。
「クアトロっ! そちらから見て大洗の様子はどうだっ!」
『いや駄目っすね、さっきから機銃撃ってるんすけど、私たち全然相手にされてないっす』
「奴らの前に出て走行の邪魔をしろっ!」
『お、やっていいんすか、了解っす!』
崖の上までここからはもう1分ほどだ。
パネトーネや大洗より先に到着できなければ、当然、待ち伏せは成功しない。
果たして間に合うだろうか……。
『ドゥーチェ、トレ、北西の崖に到着したっす!』
「て、早いなっ!? お、大洗の連中は付いてきてるか!?」
『すぐそこっす!』
「応戦しろおっ!」
崖の上まで出るにはパネトーネらのいる逆サイドから上らなければならない。
今は、まだ中腹辺りだ。
「ペパロニっ! 大洗を止めろっ!」
『やってるんすけど、あいつらセモヴェンテばっか狙いやがるんすよ!』
『ああもう、タンケッテ舐めんなよ、おらあぁっ!』
「お、おい、無茶はするなよっ!?」
と、ペパロニを制止したのも束の間、別の通信が割り込む。
『ドゥーチェ、ごめんなさい、パネトーネ車撃破されたっす!』
――遅かったか。
「わかった、よくやったな。誰も怪我はないかっ!?」
『大丈夫っす! ドゥーチェ、健闘を祈るぜ! です!』
パネトーネとの通信が切れて、ようやく我々は崖上へと上がった。
下を見下ろすと、黒煙を燻らすセモヴェンテと、大洗の車輌が三つ。
そしてその周囲を走り回るCV33が二輌見える。
「うぉおおおお、パネトーネさんの敵っ!」
と、ふいに隣のセモヴェンテが崖に向かって突進を始める。
突然すぎて面食らい、少し思考が停止してしまった。
「うぇええっ!? 何をしているっ!」
「くらえっ! 分度器作戦っ!」
「分度器作戦はそんな作戦じゃないだろっ!? 危ないぞっ!」
私の制止をまったく意に介さず、セモヴェンテは崖下へと落下してゆく。
おそらくは敵フラッグ車を狙ったのだろうが、崖下から幾分か距離を取っている大洗の戦車へは届かない。
あえなく地面へと激突した。
「おい、大丈夫かっ!?」
『だ、大丈夫っす、けど――』
Ⅳ号の砲身が、セモヴェンテを狙っている。
慌ててこちらもスコープを覗きⅣ号へ狙いをすませるが、Ⅳ号はこちらの砲撃を軽々と避け、その後に発射した弾をセモヴェンテへと命中させた。
白旗が揚がる。
「私も分度器作戦いくっすっ!」
今度は隣のCV33からだ。
「お、おい、やめろと言っているだろうっ!?」
「セモヴェンテは重いから距離が届かなかったんす、CV33なら届くっす!」
そしてCV33が落下。
先程のものとは異なる、ごうん、という鈍い音が響く。
見れば、CV33は敵フラッグ車である38(t)へと突っ込み、その砲身をへし折っていた。
『ドゥーチェ、こ、これどうなってるっすかっ?』
「し、白旗は揚がっていないな。て、その前に怪我はないか!?」
『あー、それは大丈夫っす。……んあ?』
「あ」
直後、ぱかあんと弾ける音がして、CV33が38(t)の上から吹っ飛んだ。
三突がCV33を撃ったのだ。
崖下には、Ⅳ号、三突、砲身の折れた38(t)、それにCV33が二輌。
奴らを撃破できる車輌は、崖上のP40のみ。
――さすがに分が悪いなっ!
「クアトロっ! 一時撤退するぞ! 全速で逃げろっ!」
『了解っす、ドゥーチェ!』
などと言っている間に、Ⅳ号と38(t)が崖上へ回り込もうと旋回して前進を始めている。
「急げ急げっ! 我々も逃げるぞっ!」
慌てて指示すると、車内からは「Siっ!」と一斉に返事があった。
大洗残存車輌。
Ⅳ号戦車、一輌。三号突撃砲、一輌。38(t)、一輌。
合計三輌。
アンツィオ残存車輌。
P40、一輌。セモヴェンテ、一輌。CV33、三輌。
合計五輌。
数的にはまだこちらが優位にあるが、そのうち三輌はCV33だ。
こちらの戦車で敵車輌を撃破できるのは、私のP40とカルパッチョのセモヴェンテのみ。
さらに言えば、奇襲部隊としていたトレとドゥーエのうち残存するのがP40のみというのもなかなか辛いところだ。
――とはいえ、これはフラッグ戦。
とにかく相手フラッグ車を撃破さえすればこちらの勝利となる。
犠牲は大きかったが、38(t)の砲身が折れたのはラッキーだった。
相手は丸腰なのだから、一対一の状況さえ作ることができれば負けはない。
無茶ではあったが、みんなよくやってくれた。
問題は、三突とⅣ号の二輌だ。
三突だけなら何とかなるだろうが、あの技量のⅣ号も加わるとなれば、P40一輌で突っ込んでも負けは見えている。
どうにかあいつらを38(t)から引き剥がさなければならない。
「クアトロ。ドゥーエだ。状況を報告しろ」
『変わらずっす。大洗の連中見つかんないっすねー』
「了解。今はどの辺りにいる?」
『十字路を北東に進んだ辺りっすね。また進展あったら報告するっす』
「ああ、頼んだぞ」
クアトロには大洗の捜索を命じている。
さすがの大洗もCV33の速度には敵わず、北西の崖での交戦後、あっという間にクアトロは大洗を撒くことができた。
けれど今度は、こちらが大洗の車輌を見失ったのだ。
いやに諦めが早かったのが気になるが、いまあちらは何を考えているのか……。
『ドゥーチェっ! ドゥーチェっ!』
「どうしたペパロニっ! 進展早いなっ!?」
『大洗の車輌見つけたっす!』
『でもおかしいんすよ! 二輌しかいないんすっ! 三突がいないっす!』
三突がいない……?
――あぁ、なるほど、二手に分かれてこちらのフラッグ車を探しているのか。
しかしそれなら好都合だ。
Ⅳ号だけが相手なら、こちらの勝ちの目もあろう。
「ペパロニっ! 場所を教えろっ!」
『あっ! すみません、ドゥーチェ! こっちのCV33が一輌やられたっす!』
『こいつよくもぉおっ!』
「熱くなるなペパロニっ! いいから場所を教えろ! 助けに行くっ!」
『北の街道をちょっと西に行ったところっす! ドゥーチェのいる場所からも近いんじゃないすかっ!?』
「よしわかった! すぐに行く! お前らは逃げろっ!」
『ぅううう、悔しいけど了解っす!』
ペパロニとの通信を切ると、P40を旋回させ、進路を変更する。
もっと遠くまで移動していると思っていたが、フラッグ車の捜索は三突任せということか?
『こちらウーノっ! こちらウーノっ!』
……今度はカルパッチョかっ!
「どうしたっ!? 何かあったのか!」
『すみません、ドゥーチェ。三突と接触して、CV33が撃破されました』
「なにぃっ!? 場所はどこだっ!」
『最初の位置から移動していません。十字路の東です』
「わかった! それじゃあ、ともかく南西へ逃げろっ! こちらと合流するぞっ!」
『いえ、逃げれば向こうも他の車輌と合流します』
『三突は街道の東から現れました。わざわざ回り込んできたんです』
『となれば、敵の狙いは、挟撃』
『カルパッチョの言う通りっす! Ⅳ号と38(t)は東に向かってるっすよっ!』
「……カルパッチョ、どうするつもりだ?」
『Ⅳ号が合流する前に、三突を仕留めます』
カルパッチョの声色は、熱く燃えるように滾っていた。
Ⅳ号をこちらが仕留めてしまえば大洗の合流はない。
だから戦術上は逃走を指示することもできる。
しかしその声を聞いて、私にカルパッチョの決意を止める理由は思いつかなかった。
「任せたぞ。カルパッチョ」
『勝ちます』
その一言を残して、カルパッチョとの通信は切れる。
「一同、全速前進っ!」
こうなれば、我々は何としてもここで38(t)を仕留めねばならない。
ましてやⅣ号をフラッグ車であるカルパッチョの元へ行かせるなんて、ありえない。
「ペパロニ、Ⅳ号を足止めしろ! 撃破されても構わんっ!」
『了解っす!』
「ジェラート! 敵と接触したらすぐ戦闘だ、砲弾を準備しておけっ!」
ジェラートが「Si!」と返事をしたのも束の間、森から街道へと抜けた場所にⅣ号と38(t)の姿が見えた。
向こうも我々に気付いたのか、38(t)を前に行かせ、Ⅳ号が後ろへと下がる。
しかし、Ⅳ号が砲身を我々に向けるよりも、我々が連中を射程範囲に入れる方が先だ。
「ここで決めるぞっ! 突撃っ!」
スコープを覗き、みるみる近づく亀のマークを捉える。
「フォーコおっ!」
叫び、発射レバーを倒す。
――が、砲弾は急発進して盾になったⅣ号の砲塔に当たり、弾道を変えてあらぬ方向へと飛んでいってしまった。
Ⅳ号がびくともしていないのは、装甲を抜かれないよう着弾位置を調整したのだろう。
連中は化け物かっ!
「あ、ま、まずいっ!」
Ⅳ号の砲身が、こちらを捉えている。
この距離からなら、一発で装甲を抜かれる。
指示を出す間もない。砲身が僅かに首を上げ――、
「フォーコだおらぁああああああああっ!」
高台から飛び出してきたCV33が、Ⅳ号の砲身へと横から突撃をかました。
弾道のずれた砲弾は我々には当たらず、背後でどおんと轟音が鳴る。
『姐さんっ! フラッグ車をっ!』
突撃をくらったものの、Ⅳ号の砲身は無事で、砲塔を回転させて再びこちらへ狙いをすまそうとしている。
38(t)はⅣ号の背後――街道の先へと遠ざかってゆくところだ。
「Ⅳ号は無視だ行くぞっ!」
そうは言ったものの、Ⅳ号が簡単に我々を逃がしてくれるはずがない。
しかし我々には頼れる仲間がいた。
『くらえぇっ!』
CV33がⅣ号の履帯に突撃し、旋回を遅らせる。
我々はその隙にⅣ号の隣を通り過ぎ、街道を逃げる38(t)を目標に捉えた。
とはいえ、38(t)とP40では速度はそう変わらない。我々の方が少し遅いくらいだ。
おそらく追いつけはしない。
『ドゥーチェ、ペパロニ車やられたっす! あと任せたっす!』
「おうっ! このドゥーチェに任せておけっ!」
このまま街道を走り続ければ、いずれフィールドの端に辿り着く。
そうなれば38(t)を追い詰められるだろうが、向こうもそんなことは百も承知だ。
そうなる前に森へと逃げ込むだろう。
姿を見失い、また仕切り直しにされてしまう。
カルパッチョだってまだ撃破はされていないようだが、ここからどうなるかはわからない。時間はない。
『ドゥーチェ、大丈夫です。そのままフラッグ車を追ってください』
「カルパッチョかっ!? 三突はどうしたっ!」
『宣言した通りです』
――街道の先から、黄色の旗を掲げたセモヴェンテが現れる。
「あははっ!」
なるほど、三突はすでに撃破してきたのかっ!
『挟撃しましょうっ!』
「よおしっ! いくぞっ!」
前方から現れたセモヴェンテを回避しようと、38(t)が西の森へ進路を変えようとする。
が、その先へセモヴェンテの発射した砲弾が当たる。
38(t)が急停車。
さあ、亀のマークをスコープの中心に。
これで終わりだ。
「フォーコっ!」
言って、発射レバーを下ろす。
砲弾が発射され、38(t)の側面へと着弾する。
「ぅおおっ!?」
直後、衝撃が走り、車内がぐらりと大きく揺れた。
ハッチから顔を出すと、P40の車体からは白旗が揚がっている。
振り返るとⅣ号がそこに佇んでおり、どうやら我々は彼女らに撃破されたらしかった。
――しかし。
しかし、白旗が揚がっているのは、P40だけではなかった。
我々の砲弾が命中した38(t)からも、白旗が揚がっているのが見える。
残存車輌は、大洗がⅣ号戦車一輌、アンツィオがセモヴェンテ一輌。
我々のフラッグ車は、セモヴェンテだ。
『フラッグ車、38(t)、走行不能!』
つまり――、
『アンツィオ、勝利っ!』
審判長の声が響き、我々は歓声を上げた。
残ったP40とセモヴェンテに乗り込み、大会指定の待機場所まで戻ると、目尻に涙を溜めたパネトーネらに迎えられた。
「ドゥーチェ最高っす! 姐さん方、マジ最高っすっ!」
「はっはっはーっ! そうだろうそうだろう!」
「いや、というかお前らもだぞ? 今日勝てたのはみんなのおかげだ」
「さすがアンツィオは強いっ!」
私が言うと、「ドゥーチェえぇっ!」と一際大きな声でパネトーネが叫び、たちまちドゥーチェコールが巻き起こった。
私も笑顔でその声に応えた。
「さて、いいかお前ら、これで終わりじゃないぞ? アンツィオの流儀というものを見せてやろう」
私の言葉に、ペパロニが顔を輝かせて「よっしゃー、いくぞてめえらあっ!」と叫ぶ。
みんなは「ぅおーっ!」「いくぜーっ!」と思い思いに返事をすると、一斉に散って各車両の運転席へと座った。
少し距離を空けた大洗側の待機場所まで辿り着くと、大洗の連中は大泣きをしている生徒会の河島を宥めているところだった。
ループを繰り返す前の私なら「クールな彼女が珍しい」と違和感を抱くかもしれないが、今ならすんなり受け入れられる。
大洗の面々で、一際、感情の強い子だもんな。
停車したフィアットから下りると、こちらに気付いた西住がたたたと駆け寄ってきた。
私の顔を正面から捉えて、元気に口を開く。
「今日は、ありがとうございましたっ!」
頭を下げる西住に私も言葉を返した。
「こちらこそありがとう西住! いやあ、強いな大洗はっ! まったく、いい勝負だった!」
「アンツィオこそ、デコイを利用した電撃作戦、さすがでした」
「そうかそうかっ! ありがとうっ!」
「本当に強かったですっ! 次は私たちが勝ちますっ!」
「次なんてあるかあっ!」
我々の会話に割り込み、西住の後方から河嶋が叫ぶ。
「どういう意味だ?」
私が訊くと西住は「あはは」と苦笑するのみ。
よくわからないが、まぁ話したくないのなら詮索はしまい。
閑話休題。
「ところで西住。アンツィオの戦車道をまだまだ喰らいたくはないか?」
頭の上に疑問符を浮かべる西住に、私は口角を上げる。
「お前らあっ! 宴会を始めるぞおっ!」
宴会の準備はものの数分で終わった。
大洗の一年生が料理へ駆け寄り、それを我々アンツィオの面々が迎える。
少し遅れて大洗の他の生徒も料理へ手を伸ばし、やがてアンツィオのみんなと共に笑い合う。
その光景は試合の遺恨などまったくない様子で、内心、私は胸を撫で下ろした。
私もパスタ皿を手に西住らあんこうチームの面々と試合の感想を語り合っていると、私が一人になったタイミングで、大洗の角谷会長がそそと寄ってきた。
「やー、チョビ。今日はありがとね」
「チョビと呼ぶな、アンチョビっ! ドゥーチェ、アンチョビだ!」
「いやこちらこそありがとう! 楽しかったっ!」
角谷が私の言葉に笑い、直後、さっと表情を変える。
「さっきの、河嶋の言ったことなんだけどね。あれ、ホントなんだよね」
「次がない、てやつか?」
私の言葉に角谷が頷く。
「今年一杯で、大洗は廃校になるんだ」
――それは、つまり、
「我々が勝ったからか? もしかして、この大会に勝ち続けることが、廃校取りやめの条件だったのか?」
再び角谷が頷く。
「でもまー、チョビ子は気にしなくて大丈夫だよ」
「たまたま大洗にそういう事情があっただけだし、まだ廃校と決まったわけじゃないしね」
「来年まで、精々あがいてみるよ」
「角谷……」
「あ、他のみんなには伝えないでね」
「ウチも知ってるのはまだ生徒会の人間だけだから」
「アンツィオのみんなに伝えたら萎縮しちゃってノリと勢い落ちちゃうだろうしね」
「――角谷、心配しなくても大丈夫だぞ」
「うん?」
不思議そうに眉を上げる角谷に、私は言った。
「次は、ある」
休憩します。再開は21時30分すぎだと思います。
あと少しで終わります。
途中まで河嶋間違いを犯していてすみませんでした。
再開します。
14回目の6月26日の朝。
私はカルパッチョとペパロニを戦車道準備室へと集めた。
「ループを脱出するぞ」
「了解です」
「え? いいんすか?」
カルパッチョとペパロニの返事は相反したものだった。
おそらくペパロニはこう言いたいのだろう。
勝ち続けなくて、いいんすか?
私は答えた。
「いいんだ。もう、アンツィオの強さは証明できた」
「やり残したことは何もない」
「ペパロニ、お前はあるのか?」
ペパロニはしばし思案する素振りを見せたが、最後には「そう言われてみると、ないっすね」と答えた。
上手く言語化できないだけで、ペパロニもわかっているのだろう。
「我々は勝ち続ける必要などないんだ」
「アンツィオの戦車道はプラウダのそれとは違う。我々には、我々の矜恃がある」
「これ以上続けても、きっと楽しくはないだろうしな」
二人が頷いたのを見届けて、私は言葉を続けた。
「それではこれより、アリーヴェデルチ作戦を決行する!」
「了解っす!」「了解です」
すでに二度も第2ステージの突破に成功しているのだ。
我々の役割は問題なく果たすことができるだろう。
三人での打ち合わせが終わると、アンツィオのみんなを集め、マカロニ作戦の詳細を説明。
試合当日までは、大洗包囲のため主に機動力の底上げ練習を行った。
我々はループを脱出する。
つまり我々のこの日々が、十年先、二十年先まで続いていくということだ。
私はループの最中で多くを知った。
いつまでも、私はアンツィオのドゥーチェではいられない。
ドゥーチェを引き継がなければならない。
だから私は、私がいられるうちに、伝えられる限りのことをアンツィオのみんなに伝えるんだ。
部隊の統率、P40の操縦、練習メニューの考案、戦術の組み立て方から屋台の切り盛りまで。
余った時間を少しずつ利用して、カルパッチョやペパロニ、一年生たちへと伝えていく。
迎えた試合当日、私はペパロニへ言った。
「ペパロニ。今回はデコイを全部置くんだぞ?」
「わかってるっすよ。はー、負けるために試合すんのってあんま気合い入んないっすねー」
「なにか勘違いしているようだが、デコイを全部置きさえすれば、全力で戦ってもいいんだぞ」
「え、マジっすか?」
「ああ。でないと、みんな学ぶものがないだろう」
「もしそれでループが続いてしまっても、構わないさ」
「ケイにも話を伝えて、許可はもらってるしな」
「よっしゃあっ! やってやるっす!」
「まあ、しかし勝てるかどうかは別問題だけどな」
「まったく、ペパロニがデコイを置きすぎさえしなければなあ」
私がからかうように言うと、ペパロニがぼやいた。
「……それは、そうしないとループ脱出できないからじゃないっすか」
「だが、それが正史らしいぞ。お前もループを体感していなければ、きっと毎回デコイを全部置いてるだろ?」
にやにやと指揮棒を突きつけてやると、ペパロニは「うっ」と言葉を詰まらせた。
図星なのだろう。
いつかのループでペパロニがきちんと予備のデコイを配置せずに残しておいたのは、きっとペパロニもループの只中にいたからだ。
「アーヴァンティっ!」
試合は、予定通りに終了した。
ペパロニが11枚全てのデコイを置き、大洗に作戦がばれ、CV33が八九式になぎ払われ。
追い詰められた私のP40が最後に討ち取られて、アンツィオは大洗に敗北した。
ケイの言った通り、自然にやれば、意外と正史を辿ることができるらしい。
試合後の宴会では、安堵の表情を浮かべた河嶋が印象的で、角谷に「次はあるって言っただろー?」と声をかけると、心底怪訝そうな顔をされた。
「つ、次というのは準決勝のことだっ!」
「絶対勝つんだぞっ! 準備は入念になっ! 諦めず最後まで気を抜くなよっ!」
「うん、ありがとね。頑張るよ」
屋台を切り盛りして、バイトして、戦車道の練習をして、みんなで海に遊びに行って。
夏休みはあっという間に消化されてゆき、中頃になるとプラウダと大洗の試合が行われた。
油断はあったかもしれないが、決してプラウダが手を抜いたわけではないだろう。
私は、大洗の二度の敗北をこの目で見ている。
だからきっと、今回は大洗が当たりくじを引いただけ。
もしくは、大洗の作戦が功を奏しただけ。
それでも試合の勝者は、大洗だった。
画面越しに悔し涙を流すカチューシャを見て、私は再び彼女の覚悟を思い知った。
そうして未知の夏休み後半へと突入しても、我々の日常にあまり変化はなかった。
屋台を切り盛りして、バイトして、戦車道の練習をして、あとはみんなで花火をして。
何をしていても、私は毎日が楽しかった。
大洗と黒森峰との決勝戦は、盆の始まり、8月15日の土曜日に行われた。
今回は現地に大洗の応援へ行こうということで、みんなでフィアットに乗り込んで会場へと向かった。
着いたのは前日の深夜となった。
カルパッチョに「まだ早すぎませんか?」と訊かれたので、私は「物事を進めるには慎重なくらいがちょうど良いんだ!」と答える。
まだ時間もあったのでとりあえずわいわいと宴会を始めると、いつの間にか眠りこけていたようだ。
起きたら空がオレンジ色に染まりカラスがかあかあと鳴いていた。
「しまったっ! 寝過ごした!」
案の定というべきか、決勝戦はすでに終わっていた。
急いで閉会式会場へと戻ると、表彰台の上に大洗の生徒が並ぶなか、西住が優勝旗を手にして笑っていた。
「勝ったのか……大洗」
「よかったっすね」
「ええ、本当に」
アンツィオのみんなで、表彰台の功労者たちへ精一杯の拍手を送る。
試合は寝過ごしてしまったが、この瞬間に立ち会えたのはせめてもの救いだ。
応援はできずとも、我々には大洗を慰労することができるんだ。
と、ふいに観覧席の隅にサンダースの連中を見つけた。
ケイも椅子に座って「コングラッチュレーション」と大洗へ拍手を送っている。
「宴会するぞ。準備しておけ」
アンツィオのみんなにそう言い置くと、私はケイの元へと駆け寄った。
「いやあ、やったな、ケイ」
「あらアンチョビ。ホント、まさか黒森峰を倒すなんて。またサンダースとも戦ってもらいたいわ」
「ああ、それはアンツィオもだ。今度は正史で勝利をおさめたいからな」
ケイが「うん?」と首を傾げる。
その反応に少し違和感を覚えたが、さておき私は言葉を続ける。
「まあともかく、これで一件落着だな」
「お前の予想通りなら、大洗の優勝で我々もループを脱出できるんだろ?」
ケイは反対側に首を傾げて答えた。
「正史? ループ? なんの話?」
――――。
「い、いやいや、だから、我々がこの大会をループしてた話だ」
「いや正確にはループしてるのは世界そのものだったか?」
「ともかく、そういう話をしただろ?」
「お前は第1ステージ、我々が第2ステージを担当していた」
「ホワット? してないと思うけど?」
「……えーっと」
まさか、まさかとは思うが。
「ケイ、一回戦の大洗との試合、どんな試合だった?」
「あー、身内の恥はなんとやらって奴なんだけど、この子がちょっとやらかしてね~」
隣に座るそばかすの子を、ケイが流し目で見つめる。
彼女は居心地悪そうにずずっとジュースを啜った。
「我々と大洗の、二回戦の試合は見ていたか?」
「配置するデコイの数を9枚に止めていれば勝機はあったかもね」
「惜しかったわ、アンチョビ。ナイスファイトっ!」
「……そうか、ありがとう。変なことを訊いてすまなかった」
――この様子は、おそらく間違いないだろう。
またね~、と手を振るケイを背に、アンツィオのみんなの元へと戻る。
焦燥感に駆られながらも、その中からカルパッチョとペパロニの姿を見つけると、私は口早に話しかけた。
「カルパッチョ、ペパロニ、おかしいぞ、ケイの記憶がなくなっている」
「は? 記憶? なんすか?」
「……記憶というのは、ループの記憶ですか?」
「ああ、そうだ。私たちの学園艦でループの説明をしたことも、何度も一回戦を繰り返したことも、何も覚えていない」
ペパロニは何のことやらわからないという様子で片眉をあげる。
こいつはケイが現れた時にいなかったのだから無理もない。
カルパッチョを見ると、彼女の方は顎に手をやり、真剣な表情で思案に耽っていた。
しばしの沈黙を挟み、
「――ループが終わったから、かもしれませんね」
やがてカルパッチョはそう呟く。
「説明になってねえぞ」
「我々が記憶をなくしたことと、ループが終わったことと、何の関係があるんだ」
私とペパロニが突っ込みを入れると、こほんと一息ついてカルパッチョがまくしたてる。
「ループ脱出の条件は、正史を辿ることですよね」
「私たちは、そのためにループを体験させられてきました」
「けれど、ようやく目的を果たせた。正史を辿れた」
「そうなると我々の記憶は、正史の中にあっては不自然なものになります」
「これから先、再び正しい歴史を歩んでいく上で、余計な記憶は邪魔なんです」
正史の中の邪魔者。
それは我々の記憶であり、ループそのもの。
「なるほど……ループ現象自体をなかったことにしようというのか」
「おそらくそういうことかと思います」
ああまったく、神様がいるとしたら随分と勝手なものだな。
「私たちの記憶が消えていないのは?」
「おそらく個人差があるんだと思います。私たちの記憶が消えるのも、時間の問題でしょう」
つまらそうにずっと口を閉じていたペパロニが、そこでようやく目を大きくした。
「え、マジっすか? いまいちよくわかってないんすけど、わたしたちの記憶、消えるんすか?」
「ループに関する記憶だけな」
「はー、マジっすかー。それ、いつっすか?」
「今日か、明日か、はたまた1分後のことなのか――」
「わかりませんね」
カルパッチョはぴしゃりと答えた。
――記憶が、消える。
孤独に大洗との試合を繰り返した記憶。
カルパッチョに救われ、共に戦った記憶。
ケイやカチューシャに目覚めさせられた記憶。
ペパロニに勇気づけられた記憶。
アンツィオのみんなで、大洗に勝利した記憶。
そういうのが全部、消えてなくなってしまう。
――――。
――――。
――――。
しばらく物思いに耽り、やがて、ふうーと、口から長く息が漏れた。
そのため息を合図に感情が澄んでいくのを感じる。
私の記憶が、些細なものとは思わない。
けれど、もっと大事なものを私はすでに手にしている。
そちらはきっと、失われない。
カルパッチョとペパロニへ向かって、まるで独り言のように、私はぽつぽつと言葉を吐き出した。
「まあ、仕方のないことだな」
「そもそもループ現象の方が異常だったんだ。癪ではあるが、これで普通の生活には戻れる」
「癪ってレベルじゃないっすよ。マジむかつくっす」
確かにペパロニの性格では、簡単に納得はできないだろう。
「でも、むかついたところでどうすることもできないだろ?」
「ぅうううう……そうかもしんないっすけどお」
苦い顔を浮かべるペパロニの隣で、カルパッチョが「あのー」と手を挙げる。
「ループの間にあったことをメモに残しておくことはできると思いますが」
「おおっ! それだあ!」
「いや、いいさ。神様だか世界だかわからないが、そのメモも連中に消されてしまうかもしれないだろ?」
「あぁー……なるほどっす」
「うーん、どうでしょう。そこまで干渉できるかは、正直わかりませんし、やってみる価値はあると思いますけど」
戸惑うように言うカルパッチョに、私は笑う。
「ホントに、いいんだ。今度のは本心だぞ」
「まあ、お前らがやりたいなら、好きにすれば良い。私は止めはしないから」
私が言うと、ペパロニが「よっしゃあやってやるぜ!」と雄叫びを上げる。
「……ドゥーチェ、どうして割り切れるんですか」
「ペパロニもそうですし、私だって、そんな、今までのことを全部忘れるなんて――」
「そりゃあ私たちが、アンツィオの強さを証明できたからだ」
「この世界の正史を誰が決めているのかはわからないが、少なくとも連中は、アンツィオは二回戦で負けるものと思っているらしい」
「だからたぶん、今回の大会で我々は負けざるをえなかったんだ。そう決めつけられていたからな」
だが、しかし。
「しかし我々は勝利したっ! 奴らは、我々の強さを思い知った!」
「それでなんの心残りがあるっ!」
「我々の記憶が消えようともその事実は変わらないっ!」
「たった一度きりの勝利でも、我々の勲章は、永遠に、未来永劫どこまでも残り続けるのだっ!」
「「ドゥーチェ……」」
「それに、それにな」
「あの勝利だけじゃない。正しい歴史でなくとも、ループの中で起こったことは全部、どこかで起こりえたことなんだ」
「我々はそれらを全て、この身で体験してきた」
「脳みそだけじゃなくて、魂で知っている。だから――」
人差し指で側頭部を示す。
「ここから消されてしまっても」
そして親指で、左胸を示す。
「ここにはきっと残っている」
私が言うと、しんと二人は静まりかえった。
気恥ずかしくなり、「ちょ、ちょっとくさかったか」と口にすると、少し間を置いてペパロニが呟いた。
「いや姐さん格好良いっす。わたしもそれでいくっす」
ペパロニの言葉に続き、隣のカルパッチョが頷くのが見えた。
そして聖グロリアーナとの試合当日を迎えた。
やれることは全てやった。
聖グロリアーナの車輌や戦術を分析し、対策を練り、こちらの戦術を組み立てた。
諸処の作戦も無数に考案し、その中から有効なものを選び取り訓練を重ねた。
みんなのノリと勢いだって頂点に達している。
聖グロリアーナは強い。全国大会で準優勝をおさめたこともあるくらいだ。
けれどだからといって勝てない相手ではない。
「カルパッチョ、フラッグ車を頼むぞ」
「はい、了解です、ドゥーチェ」
「ペパロニ、熱くなりすぎるな。あとは好きにやっていいぞ」
「任せてください、姐さんっ!」
「パネトーネ、気楽にやれ。期待してるぞ」
「了解っす、だぜっ!」
冬季無限軌道杯。
一回戦のポンプルとの試合はなんとか勝利をおさめることが出来た。
カルパッチョの乗車するセモヴェンテをフラッグ車としたのが功を奏したのか。
新たに考案した雲形定規作戦やトルメンタ作戦を効果的に利用できたからか。
もしくは、パネトーネを小隊長に据えたのが良かったのか。
おそらくどれか一つでなく、全てが噛み合って勝因となったのだろう。
勝負には時の運もある。
練度や性能差、その日のコンディションだって影響する。
試合が始まってみるまで、どう転ぶかはわからない。
けれど一つ、確かなことがある。
「アンツィオは、強い」
私はそのことを知っている。
この身で知っている。魂で知っている。
夏の大会では、惜しくも二回戦で大洗に敗退してしまった。
あれは良い試合だった。
あんなに楽しい試合は、後にも先にもない。
気持ちの良い相手だった。
今回の大会、トーナメント表を見る限り、大洗と当たるとすれば、決勝戦でのこととなる。
アンツィオの目標は二回戦突破ではない、優勝だ。
だから必然的に、アンツィオは決勝まで駒を進める。
そこで大洗を倒して、この大会に優勝するんだ。
……ああ。
わくわくと、胸が躍る。
P40のハッチから上半身を出し、エンジンの振動に揺られ、吹いては凪ぐ風を感じて、頭の中には作戦を張り巡らす。
体中に巡った熱は冬の寒さを忘れさせ、そのまま昂揚感に脳をやられてしまわないよう自制する。
横を見ればセモヴェンテ、反対側にはCV33。
ここからは見えないけれど、きっとフィールドの遠く向こうにはチャーチルやマチルダが並んでいることだろう。
ひゅううと高音が聞こえて、白煙が空に上がった。
天高く弾ける白煙は、試合開始を告げる合図だ。
「いくぞ、お前らっ!」
ああ、なんて贅沢なんだ。
私はいま、戦車道の只中にいる。
「アーヴァンティっ!」
前方へ叫ぶと、みんなの雄叫びが私の耳に届いた。
終わり。
なんとか三連休で終えられました。
読んでくれた方、いましたら、長い物語にお付き合いいただきありがとうございました。
しばらくしたらHTML化依頼出しておきます。
乙。面白くてすらすら読めた
>>279
ありがとうございます。
そう言っていただけると、救われます。
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