有栖川夏葉「共犯者」 (8)
「鍛えてるって聞いてたけど細いんですね」
私の担当プロデューサーが用意してくれたお仕事のための打ち合わせで先方にそう言われ、思考が止まってしまう。
言い返すべく咄嗟に出た私の言葉はただ一音だけ、「え」というなんとも間抜けなものだった。
「いやぁ、深い意味はないんですけどね。衣装を発注するために283さんにいただいた有栖川さんのデータを見てて」
「そう、ですか」
「? どうかなさいました?」
「いえ。改めまして、283プロダクション所属、有栖川夏葉です。本日は打ち合わせの方、よろしくお願い致します」
「これはご丁寧に。こちらこそよろしくお願い致します」
そうして形式じみたお辞儀をし合い、これまた資料をもとに確認を行うだけの形式じみた打ち合わせが始まり、終わる。
先方の「こちらからのご説明としては以上となりますが、本件についてご承諾いただけますでしょうか?」という問いかけに対し「私の一存では判断致しかねますので、事務所の者から再度ご連絡させてください」と返した。
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実はこれはあてつけだ。
プロデューサーからは打ち合わせで問題がなければ、私の判断で決定していいと言われている。
しかし、最初に言われたことが許せなかった。
こちらの身長体重、バスト、ウェスト、ヒップなど様々なデータを手にしている人間としての、個人情報を扱う人間としての発言とは思えなかったし、初対面の相手からいきなり身体的な話題に入られるのは、あまり気分が良いものではない。
そして何より自分自身が許せなかった。
咄嗟に「これが私のベストである」と言い返せなかったのは、現在の私が頭の中の理想の有栖川夏葉に追いつけていないからだ。
はぁ。
深いため息を吐いて、空を見上げる。
どんより沈んだ気持ちに反して空は澄み、暖かな陽射しが注がれていた。
情けない。らしくない。そんなことでどうするの。
心中で繰り返し自分を鼓舞する。
そんなとき、鞄の中で携帯電話が震えた。
電源を入れ、通知を確認する。
そこには取るに足らないアプリケーションの更新を告げるだけの通知が表示されていた。
なんだ、それだけか。
そう思って鞄に再び携帯電話をしまいかけ、手を止める。
ちょっと元気、もらっても罰は当たらないかしら。
なんて言い訳をしながら、登録されている電話番号の中の一つに発信した。
電話は二コール目で取られ、弾むような印象を受ける声で定型文がハキハキと耳に届く。
『お電話ありがとうございます。283プロダクション、有栖川夏葉担当プロデューサーの……』
そこまで聞いて「その担当されている有栖川夏葉だけれど」と遮った。
『ん。ああ、夏葉か』
私と気付いて声のトーンが一段階落ちるのがなんともおかしくて、自然と笑ってしまう。
『? なんで笑ってるんだ? っていうか打ち合わせ終わるの早いな』
「こっちの話だから気にしないで頂戴。それに、当然でしょう? アナタは優秀な担当アイドルを信用していないの?」
『まさか。でも、何があったかは報告するように』
「お見通し、ってこと?」
『そんなわけないでしょ。俺はエスパーじゃない。だから、言ってもらえないとわからないし、何かあったなら報告してくれ』
「それは義務?」
『いや、個人的なお願い』
「ふふ、じゃあ断れないわね」
『それで? 何があったんだ』
「今話してもいいのだけれど……」
『そうだなぁ。じゃあ二十分くらい待っててくれ』
「えっ」
『行くよ。今から、打ち合わせ場所の最寄は、前に行ったケーキ屋がある駅だったよな』
「ええ」
『じゃあその辺りに行くから、喫茶店でも入ってて』
有無を言わさず、彼は一方的に告げて電話を切ってしまう。
「案外、強引なところがあるわよね、アナタ」
無駄と知りつつ、既に繋がっていない相手に向けて声を投げる。
無意識に口角が上がってしまっていることに気が付いて、頬の内側を軽く噛むも、どうにも簡単には下がってくれないらしかった。
携帯電話を鞄に戻し、駅の方角へ足を踏み出して、軽く空を見上げる。
先程と何も変わらず空は青く澄み、陽射しは暖かだ。
けれど、もうため息は出なかった。
○
喫茶店に入っていろと言われたものの、なんとなく足は本屋の方に向き、ふらふらとあてもなく店内を回っていた。
漫画のコーナーへ行き、智代子が読んでいたものを発見したり、児童向けの月刊誌のコーナーで果穂のお気に入りのヒーローが表紙となっているものを発見したり、そんなふうにして過ごすうちに、そろそろプロデューサーが来る頃合いになっていた。
何も買わずに店を後にするのも気が引け、果穂へのお土産に児童向けの月刊誌を一冊購入して店を出る。
駅のロータリーに目を向けると、丁度、見慣れた車が入ってくるところだった。
ヒールがアスファルトに当たる音のテンポを一段階、速める。
サイドミラーにわざと映るようにして近付くと、プロデューサーもすぐに私に気が付いてドアを開けてくれた。
「お疲れ様。さて、まぁ乗りな」
「ええ。……何から話したものかしらね」
「夏葉、怒ってただろ。つまり、夏葉が怒るようなことが打ち合わせであった。違う?」
「怒ってた? 私が?」
「ああ。夏葉って結構、声に出るんだよ」
「嘘」
「嘘じゃないよ」
「だって、そんなこと初めて言われたもの」
「じゃあ俺が第一発見者だ」
「そういうことにしておくわね」
「で、だ。なんで怒ってたか教えてもらえる?」
「ええ。その、打ち合わせで先方にね。言われたくないことを言われたのよ」
「具体的になんて言われたか聞いてもいい?」
「鍛えてるって聞いてたけど細いんですね、って」
「……なるほどなぁ」
「向こうは褒めてたつもりだったのかもしれないけれど、私には、その、悔しくて。……それで、打ち合わせが終わってすぐに電話してしまったのよね。……って、アナタからしてみたら迷惑な話よね。こんなことで呼びつけて」
「いや、構わないよ。それより申し訳ないな。俺が一緒に出られてれば」
「アナタのせいじゃないのだから、それはもういいわよ」
「でも、夏葉が仕事のことで怒ってるなんて珍しいと思ってさ」
「心配、かけたかしら」
「そりゃあもう」
「先方に失礼があったら私とアナタだけじゃなくてユニットにも事務所にも迷惑がかかるものね」
「それは別に大した問題じゃないよ。俺の取ってきた仕事で、夏葉が不快な思いをしたならそれは俺の落ち度で、責任だから。心配してたのは夏葉のことだけで、先方については気にしてない。なんなら今から社長に話を通して蹴ってもいい」
「そういうおと、さらっと言うのずるいわよね。ホント」
「冗談で言ってないよ」
「ふふ、なんでアナタが私より怒ってるのよ、もう。それに打ち合わせはちゃんとこなしてきたから安心して頂戴」
「……そう?」
「あっ、でも一つだけ」
「ん?」
「諸々の承諾なんかは改めて事務所から、って言ってしまったのよね」
「あはは。かわいい仕返しだなぁ」
「だから、それだけお願いしてもいいかしら」
「いいよ。社長に電話してもらおう。先方の名刺はもらってるよな」
「ええ」
「ちょっとそれとなく、今日のこと社長に話してもいいか」
「あんまり誇張しちゃダメよ?」
「わかってる」
「肝が冷えるでしょうね」
「冷えてもらわないと困る」
「ふふ。仕返しなんて、子供なんだから」
「夏葉が言うか、それを。……でもまぁ、子供で結構。初対面の女性に対して、身体的なことを言う奴にはいい薬だと思うよ」
「あ、それもあるのだけれど。私が怒ってたのは他に理由があって」
「え、そうなの?」
「自分が許せなくて、悔しくなったのよね」
「……というと?」
「細い、って言われるにしても、太いって言われるにしてもそうなのだけれど、現状が完璧だと誇れる自信があれば、何とも思わないはずなのよ」
「……あー。そうか、夏葉の理想はまだ先なんだな」
「当然でしょう。そのために毎日、トレーニングしてるもの。……だからね、これが私のベストよって言えなかったのが悔しかっただけなのよ。きっと。私の努力が足りなかっただけ」
「夏葉は頑張りすぎなくらい頑張ってると思うけどなぁ」
「そうかしら」
「うん。だから夏葉はもっと自分を甘やかしたらいいよ」
「そうは言われても、私、得意じゃないのよ。それ」
「自分を甘やかすの?」
「ええ。だから、アナタに任せてもいいかしら」
「よしきた。自分で言うのも何だが、俺は結構得意だぞ」
「知ってるわ」
「夏葉はこれからレッスンだったよな」
「そうね」
「終わった後の予定は?」
「特に、これと言って入ってなかったはずだけれど」
「じゃあ、終わる頃に迎えに行くから」
「ふふ、送り迎えしてもらえるなんて、お嬢様みたいで贅沢ね」
「お嬢様だろ、夏葉は」
「そうだったかしら」
「それに、送り迎えだけじゃないぞ。俺の甘やかしは」
「これ以上甘やかしてくれるって言うの?」
「もちろん。ヤなことがあった日は、好きなものを好きなだけ食べるのが一番だからね。焼肉に行こう」
「それ、やけ食いって言うんじゃないかしら」
「そうかな」
「でも、やけ食い。私、やったことないのよね」
「じゃあ今日は人生初やけ食いだ」
「私がハマってしまったらどうするのよ」
「やけ食いに?」
「そう」
「そうだなぁ。責任とって辞任するしかないだろうなぁ」
「やけ食いを教えた罪、重いわね」
「重罪だよ。だから口外無用でお願いします」
「心得ました。ふふ、これで私たち、共犯者ね」
「俺は捕まったら夏葉に脅されましたって言って減刑を乞うけどね」
「裏切ったわね?」
ばかみたいな、中身のないやりとりが続く。
一瞬にして私の怒りを収め、それどころか上機嫌にしてしまうのだからすごいものだ。
おどけながらハンドルを握っている運転席の男を見て、そう思うのだった。
おわり
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