道化の道化「狂いながら壊れながらも、一緒に生きよう」 (12)

「お父様、その子はなんですか?」
「この子は道化だ」

ある日、王である父が宮殿に道化を招いた。
まだ子供で、僕と同じくらいの年齢だった。
とても奇抜な格好をしていて、まるで引き裂かれたカーテンのようなドレスを身に纏い、破れて短くなった裾からは、痩せて棒切れみたいになった細い脚が無防備に晒し出されていた。
それでいて不思議とみすぼらしくは見えず、どこか気品に満ちていて、そのことがどうにも気になった僕は父に尋ねた。

「どこかの貴族の子供なのですか?」
「それはお前が知る必要のないことだ」

父は冷たい目と声でそれ以上の詮索を拒んだ。
そして気を取り直すように、ひとつ手を叩き。
道化の子供を近くに呼び寄せて目的を明かす。

「今日からこの道化が、お前の友達だ」
「友達、ですか?」
「ああ。不服か?」
「いえ……」
「ならば、仲良くするように」

それだけ言い残して、父は足早に立ち去った。
室内には僕と道化のみが取り残されて、使用人すら誰もおらず、2人っきりとなってしまった。

「あの……こんにちは」
「……」

道化は口がきけないらしく、代わりに深々と腰を折って、挨拶をしてきた。やはり、上品だ。

「今日からよろしくね」
「……」

道化はその滑稽なまでに白く塗られた顔に一切の表情を浮かべることなく、ただ涙を流すようにゆっくりと瞼を閉じて、僕の言葉に頷いた。

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「君は何が出来るの?」

道化といえば、ジャグリングやパントマイム。
楽器や手品まで、とにかく人を楽しませ、笑わせる為になんでもこなす印象があったのだが。

「……」
「え? 何も、出来ないの……?」
「……」

首を振り、頷き、自らが無能であると示した。

「じゃ、じゃあ、一緒に練習しようよ!」
「……」

なんだか居た堪れなくなってそう提案すると、道化は頷き、遊具入れから持ち出したお手玉を手にすると、それを不器用に中空に放った。

そして放物線を描いて、お手玉が床に転がる。

「……」
「あ、あはは……下手だなぁ」
「……」
「こうやるんだよ、見てて」

昔、祖母から教わった通りに僕がお手玉を披露すると、道化はその手つきをなんの感動もない無表情で、ただひたすらに見つめ続けた。

「わかった?」
「……」
「じゃあ、やってみて?」
「……」

再びお手玉を道化に手渡して様子を伺うも、先程から何ひとつとして進歩がなく、放物線を描いたお手玉は重力に引かれてまた床に落ちた。

「……まあ、初めは誰だって出来ないよ」
「……」
「練習を続ければ、きっと上手くなれるよ」
「……」

その僕の言葉を信じたのか、道化は来る日も来る日もお手玉を放っては床に落とし、放っては床に落としを繰り返し、そしてある日のこと。

「……」
「ん? どうしたの?」
「……」

気がつくと、道化が後ろに立っていて。
何やら手を揉むような仕草をしていて。
気になってその小さな手のひらな中を覗くと。

「あ……壊しちゃったんだ」
「……」

見るも無残に布地が裂け、中のあずきが溢れて萎んだ壊れたお手玉を道化は握りしめていた。

「このお手玉はね、亡くなった祖母から貰った大切な物だったんだ。だから、とても悲しい」

僕はお手玉が壊れても怒らなかった。
形あるものはいつか壊れると知っていた。
他ならぬ、優しい祖母から教わったことだ。
だから、ひたすらに悲しんだ。すると道化は。

「……」
「え? 何?」
「……」
「編み物……?」
「……」
「もしかして、裁縫道具?」
「……」

拙いジェスチャーから連想した裁縫道具という言葉に対して、道化は頷き、肯定した。

「裁縫道具が欲しいの?」
「……」
「わかった。ちょっと待ってて」

すぐに使用人に、針と糸を持ってきて貰った。

「へぇ……君は縫い物が出来るんだ」
「……」

流れるような手つきで、チクチクと、道化は裂けたお手玉を繕い、すぐに直してしまった。

「もしかして、編み物も得意だったりする?」
「……」
「じゃあ今度、僕に何か編んでよ」
「……」
「その代わりに、僕も君に何かしてあげる」
「……」
「何がいい? なんでも言って」

編み物もこなすらしい道化にリクエストをして、一方的に頼むのはフェアではないと思った僕は、向こうの要望を聞いてみたのだけど。

「……」
「そうか……君は声が出せないんだったね」

声の出せない道化は何も願うことが出来ない。
それでいて別に気にした風でもなく、まるで何もかもを諦めたかのようなその無表情を見て、その秘めたる願いとは何か知りたくなった。

「……」

その日から、僕は暇さえあれば道化の様子を伺うようになった。幸い、いつも傍に居る。

「……」
「お腹すいた?」
「……」
「そっか……違うのか」

しばらく動向を観察してみたものの、道化はいまいち掴めない存在で何を考えているのかさっぱりわからなかった。ただ、見てて飽きない。

お手玉の練習をしていたかと思えば、頼まれた編み物をしたり、窓の外をぼうっと見つめたり。

「窓の外に何かあるの?」
「……」
「何も見当たらないけど……」
「……」

気になって窓の外に目を凝らすも、めぼしい興味を引くものは見当たらず、諦めて道化に向き直ると、また編み物の続きを再開していた。

「それは靴下かい?」
「……」
「冗談だよ。帽子だよね?」
「……」
「まさかセーターとか?」
「……」

編み物に集中しているのか、それとも答えるつもりがないのかは定かではないが、道化は黙々とひたすらに、一生懸命、毛糸を編み続けた。

「また、窓の外を見てたね」
「……」

しばらく月日は流れ、相変わらず掴み所のない無口な変わった道化ではあるものの、ふとした時に窓の外を眺める癖らしきものがあるということを、僕は把握した。

「何かを見てるわけじゃないよね?」
「……」
「当ててみようか?」
「……」
「君は外に出たいんだろう?」

道化は答えない。黙したまま目を伏せて。
またいつも通り、編み物で誤魔化そうとした。
その小さな手から、毛玉を取り上げる。
別に、意地悪をしているわけではない。
ただ僕は、正面から道化と向き合いたかった。

「正直に話してくれないか?」
「……」
「君はどこかの国のお姫様だね?」
「……」
「大方、父が侵略をして亡国となった王家の姫君であろうということは、薄々察している」

たぶん間違いないだろう。
だからこそ、胸が痛んだ。
この仕打ちはあんまりだ。

「君は自由になりたいんだよね?」
「……」

僕のその問いかけに、美しい細面に滑稽な白粉と涙の雫のマークをあしらう憐れな道化の姫君は、何も言わず表情を消したまま首を横に振った。

「本心を聞かせてくれ」
「……」
「君はここから出たいんだろう?」
「……」

何度尋ねても首を縦に振らない道化の姫君に業を煮やした僕は、立ち上がり、宣言をした。

「僕はこんな仕打ちを認めない!」
「……」
「父に直談判をしてくる!」

そう決意を固めて部屋を出る間際に、道化がまるで縋るようにこちらに手を伸ばしていたことを僕は知っている。断じて許せないと思った。

「お父様!」
「なんだ、騒々しい」
「あの姫君をいつまで道化に貶めるおつもりですか!? もう自由にしてあげてください!!」

怒りに任せて憤りをぶつけると、またあの日と同じ冷たい目と声で、父は僕を唾棄した。

「何も知らぬ癖に……お前に何がわかる!?」
「ひっ……」

父の怒声に驚き、怯えて、慄き。
その怒りの形相に身の危険すら感じて。
僕はその場に尻餅をついて、尿を漏らした。

「儂が駆けつけた時には何もかも遅かった」

怯える僕を睨みつけながら、父は顛末を語る。

「同盟国が奇襲を受けたのはまさに寝耳に水だった。その凶報を知り、急いで救援に向かったが、既に手遅れだったのだ。王城は陥落し、城下町には火が放たれ……全てが終わっていた」

己の無力を嘆く父はこちらに歩み寄り、腰が抜けて立つこともままならない、情けない僕の髪を掴みながら、無知な子供を怒鳴り、問うた。

「お前に何がわかる!? 敵兵に囲まれたあの姫君が! 自らの家族を守る為に! 斬首された父王の首を手に取り! 周りに囃し立てられるがまま! その死に顔に口付けをさせられていたあの道化の気持ちが! お前如きにわかるのか!?」

目の前で愛する家族の命を次々に奪われ。
やれ、あれをしろ。これをしろと言われ。
言われるがまま冷えた骸に口付けをして。
それでも、家族の命を救うことは叶わず。
ひとり、またひとりと喪い、独りとなり。
涙など、とうに枯れ果て、表情を失った。

そんな道化の気持ちなど、僕にはわからない。

「……ですが、お父様」
「なんだ?」
「何故、道化を演じ続けさせる必要が……」
「あの姫君がそう望んだのだ」
「そんな……」
「道化として、死にたいとな」

父に命は救われたとしても。
あの姫君の心までは救えなかった。
故に道化は心が壊れたまま死にたがっていた。

「……せがれよ、お前にこの話をするつもりはなかった。事の次第を話せば、儂はどうしても、感情的になってしまう。だから、許せ」

語り終えた父の怒りの劫火は、立ち消えて。
疲れたようにそう言って、僕の髪を離した。
ズキズキと痛む。頭ではなく、心が痛んだ。

「もう行け。あの道化の傍に居てやれ」
「……僕にいったい、何が出来るのでしょう?」
「知らぬ。自分自身で考えるのだ」
「しかし、僕には何も……」
「お前にしかしてやれぬことがある筈だ」
「……わかりました」
「では、下がれ」

深々と頭を下げ、非礼を詫びて、退室した。
自室へと戻る際に僕はひたすら考えていた。
あの可哀想な道化の姫君に何が出来るのか。

考えて考えて考えて、僕はこう結論付けた。

「だったら僕が……道化の道化になってやる」

心が壊れて感情をなくしたあの道化に、生きる希望と笑顔を取り戻すべく、僕は道化の道化を演じることにした。

「おまたせ! いや~参ったよ!」
「……」

部屋に戻ると、道化はその場から動かずに帰りを待っていてくれて、その滑稽でありながら気品に満ちた佇まいを見て、思わず溢れそうになった涙を堪え、僕は道化として振舞った。

「父上ってば話が長くてさあ!」
「……」
「こっちはもうトイレがしたいってのにくどくどと長ったらしい説教をされちゃってさあ!」
「……」
「ほら見てよ! この通り、我慢出来ずにとうとう漏らしちゃったんだよ! 笑えるだろう?」
「……」

股間に出来た尿の染みを見せびらかして笑いを誘うも、道化は無表情のまま、じっと感情の欠如した視線をこちらに向けるだけだった。

「君が笑わないなら、僕が笑ってあげる!」
「……」
「あはっ……あれ? おかしいな……あははは!」

半ばヤケになって自嘲しようとしても、上手く笑うことが出来ず、僕は狼狽え、困り果てた。
笑顔のやり方。笑い方が、わからなくなった。

「あはは! いや、違う……こうじゃない」
「……」
「ご、ごめん! すぐに君を笑わせるから……」
「……」
「あは……くそっ。違う、違うんだ。僕は……」
「……」
「僕は、ただ君に、笑って欲しくて……僕は!」
「……」

目の前の女の子ひとり笑わせることが出来ない僕は、そのあまりの無力感に打ちひしがれ、堪えきれずに涙を流すと、道化に頬を拭われた。

「ごめん……ありがとう」
「……」

道化は手に毛糸の塊のようなものを持っていて、その少しチクチクするけれど暖かい温もりを感じる編み物に、僕は興味を惹かれた。

「それはもしかして、完成した編み物かい?」
「……」
「ちょっと、見せて貰っても構わないかな?」
「……」

そう頼むと、道化は手に持った完成した編み物らしきそれを僕に手渡し、見せてくれた。

「これは、もしかして……」
「……」
「毛糸の……パンツかい?」
「……」

入り口はひとつ、出口はふたつ。
それは紛れもなく、毛糸のパンツであり。
それを見た僕は、なんだか笑いがこみ上げた。

「フハッ!」

まさか狙ったわけではないだろうが、ナイスタイミングであると言わざるを得ない。
よりにもよって盛大に尿を漏らした今日この日に、毛糸のパンツが完成するなんて、これを笑わずに何を笑えというのか。だから僕は嗤う。

それが道化の道化の役割だから。

「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

高らかに。狂ったように。哄笑を、響かせた。
狂っているのは君だけじゃないと伝える為に。
君だけが壊れているのではないと言いたくて。

だから道化は、狂い壊れて、愉悦を漏らした。

「ふぅ……愉しかった」
「……」
「驚かせてごめんよ。僕は壊れてるんだ」
「……」
「これで僕も君と同じ……いや、もっと酷いね」
「……」
「だからさ……そう思い詰める必要はないよ」
「……」
「狂いながら壊れながらも、一緒に生きよう」

我ながら何の解決にもなっておらず情けない。
無力な僕には、憐れな道化を、助けられない。
それでも、口にした言葉と気持ちが嘘ではないことを示す為に、僕は尿で汚れた下着を脱ぎ捨てて、道化が編んだ毛糸のパンツを穿いた。

「うわ! すごい! 見て! ぴったりだよ!」
「……」
「ただ、穿き心地はあんまり良くないね!」
「……」
「チクチクしてお尻が痒くてたまらないよ!」

そう言いつつお尻をぽりぽり掻いて見せると。

「……ふふっ」

感情を無くした道化が、微笑んだ気がした。
それはもしかしたら気のせいかも知れない。
それでも良かった。気のせいでも良かった。

気のせいでも、いつか生きていて良かったと思って貰えるように、僕は道化の道化を演じ続ける。


【道化の道化】


FIN

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