【アイマス】 松田亜利沙の回顧録 (22)
* 天海春香と松田亜利沙のお話です。
* 松田亜利沙は元々、父親がアイドルマニアで一緒にライブについて行っていたらアイドルマニアになった、というのが公式設定です。
以下の内容はその公式設定とは異なりますが、キャラの大まかな部分での変化はないと判断しました。この点、ご了承ください。
* 春香のストーリーはアニマスを基に、若干のオリジナルを加味しています。
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[ナレーター:菊地真]
3月 X日。都内の某スタジオで、ボクたちはとても特別な撮影をすることになった。後ろには普通に暗幕が引かれているが、とても安楽な椅子が置かれているスタジオ。スタッフもそっと弁当箱を取り出している。誰がどう見ても、一般的な撮影ではない。
空気が緩くなる頃、今日の主人公が姿を現す。今日は彼女らしくない、一つで束ねた髪型をしている。いつもの制服でもなく、きちんとしたカジュアルルックス。765プロダクションのアイドル、松田亜利沙である。
[おはようございます]
「あ、どうも。よろしくお願いします。松田亜利沙です」
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いつもハイテンションの彼女は、今日はやけに落ち着いた様子だった。スタッフの質問にも、彼女は淡々としている。
[マイクのボリューム、下げなくて済みますね]
「あはははははは!今日はプロデューサーさんから、静かに、と言われているので。大声でするような話でもないですし」
[内緒話みたいですね]
「そうですね。ちょっと人聞きが悪いかな? 真面目な話なので。ありさにも真面目な時があるんですよ?」
[はい。今日は真面目な話ですもんね]
「真面目な話ですよね」
今日のスタッフたちが、長い撮影に備えた理由。亜利沙が楽な椅子に腰かけた理由。全ての理由は、たった一つ。天海春香に関する回顧の為だ。誰も詳しく知らない、ファンの観点から。
[製作企画:765プロダクション]
[天海春香 - 松田亜利沙の回顧録]
天海春香。ボクたち765プロダクションの正真正銘のリーダーであり、数年間765プロダクションを牽引してきた看板アイドル。今は単独公演で一万人規模の会場を簡単に満員にできるが、そんな春香にも当然、無名の時期があった。
[とりあえず、あれを見せてもらえますか?]
「あ、はい。これですね?」
スタッフの言葉に亜利沙は、こころよく一つのカードをポケットから取り出して見せた。見慣れたカードに書かれた、見慣れない数字。シリアルナンバー欄にNo.6と書かれた天海春香ファンクラブのカードである。すでにバージョンが四回も変わり、シリアルナンバーはもう七桁を更新したファンクラブカード。よく取り出して見せていたのか、カードの縁の印刷が少し剥がれている。
「ありさ…いえ、私が、いつどこに行っても必ず持ち歩いているカードです。私の初心で、私の中心ですから」
松田亜利沙。世間では、アイドルならだれでも大好きなアイドルオタクのイメージが強いが、実は彼女も中学時代には普通の学生だったという。
「普通でした。まだ夢なんかもなかったし、ただ周りの友達がメージャーアイドル、もちろん男ですね、メージャーアイドルのところに行くとき付いて行ったり、そしたらこんな芸能人もいるんだな、とたまにテレビに出るときに顔が分かったりするくらいでした。でもテレビはよく見てたと思います。皆がアイドルの話をあまりにもするから、私にも興味ができたというわけです。芸能ニュースを見たり、芸能番組を見たり、普通に家で家族とMステ見たりするそんな子だったと思います。
ところであの時、今思い出したんですけど、あの時軽音部の子たちが半ばアイドル扱いだったんですよ。女の子たちが集まってきたりそういうわけじゃなかったんですけど、前の公演よかったと噂されるぐらいの?その子たちが、秋葉原でちっちゃな会場借りてライブをするっていうんです。皆が一緒に行こう、行こうと言って、暇だったし、行きました。秋葉原に行ったのは多分、あれが初めてだったと思います。それで秋葉原に行ったんですけど、早すぎたのかまだ彼らの出番じゃなかったんですよ。その時、見てみました。先に公演してた人を」
[天海春香さんですか]
「最初はそれも分かりませんでした。ただ変な衣装の人がステージで歌ってるな、と思いました。その時の動画残ってますよね? 後ろで小鳥さんが撮ってたと思うんですけど」
[「もっと遠くへ泳いでみたい~」]
「ぷははははは! わぁ、あれホント…あれを保存しとくなんて」
秋葉原地下の、どこにでもあるような小さな会場。天海春香が、始まりを始めていたその時。<太陽のジェラシー>の初公演である。
「その、今も私の癖なんですけど、公演を見るときは人の表情を見るんですよ。私が公演する立場でも、公演を見る立場でも。私、ああいう顔見たの初めてだったんです。歌う人をよく見てきたわけではないんですけど、その人の顔が…」
[顔が?]
「すっごく輝いてたんですよぉぉ!!!…と言ったら嘘になりますね。不安そうでした。当時はまともな振付もなかったし、歌も、だから専門的な観点じゃなくても、ああこの人は歌下手だな上手だなとかそんな感覚あるじゃないですか。まったく下手でした。音程もなにも、専門的な話なしでも、本当に下手でした。しかも顔がですね、これが、私頑張ってるぞ! とかじゃなくて、自分でもちゃんとできてるのかも分からない顔というか。不安そうな顔、まさにそれでした。
初印象はそれだったんです。すぐに忘れました。その後の軽音部の子たちも、今思えばど素人だったけど、でもみんながすっごく盛り上がってくれたから自信のある顔でやってたし。今思えば、もったいないこの上ない出会いでしたね。当時着てた衣装を生で見て、当時録音された歌を生で聞いたんですが」
765プロダクションの最初のアイドル。そして最初の歌。最初の会場。何もかもが未熟だった、そこで歌う一人。しかし、やはり初公演の反応はあまりよくなかった。
「公演が終わった時にも、なんというか、そうですね。ただそこの数人が拍手してくれるような。まあ曲自体はよかったので。その後の軽音部の公演も覚えていないのは一緒ですけど、出会いはそこまでしか覚えてないです。後にもずっと印象に残ってたとか、そういうわけでもなかったです」
[それではどうして春香さんのファンに…]
「あれから一ヶ月くらい後でした。よく覚えてないんですけど、今回は新宿で何らかのイベントがあるらしくて。なんか、ファンミーティングイベントだっけ?私はあまり興味なかったんですけど、その友達が招待券まで用意して、絶対に来てねって言うから付いて行きました。」
[よく付いて行きましたね]
「あはは…私らしくないですよね?あのごろはああだったんですよ。私は別にそのアイドルに詳しいわけでもなかったし、ただ席に座ってメールばかり打って、駅前で解散したんですけど、今もそうですよね?その駅前の。路上ライブ。あの、道沿いじゃなくて、階段降りて鉄路の下へ行く道があります。そこにも結構大きめの広場があって、そこでまたあの人を見たんです」
どうしてか天海春香は、そんな公演の後もまた新宿に出ていた。そしてやはり今回も、<太陽のジェラシー>だ。
[「追いかけて 逃げるふりをしてー」]
「そうです、それですよ。よく見ればあっちに私も写ってるんですけど、遠くから携帯いじりながらステージを見てました。あの時どうだったかというと、さっき曲はよかったと言いましたよね。それでその曲が印象に残ったんです。連鎖作用で顔も衣装も思い出して。でもあの時は衣装でもなかったですね」
衣装でもなく制服のままで、「天海春香新宿路上ライブ」と小さな看板を立てただけの、みすぼらしいライブ。しかし春香は歌っていた。
「あの時も、一曲終わったら次の曲を募集したりカバー曲を歌ったりしたんです。曲が終わると写真撮ってた小鳥さんが、チラシを持って現れて、天海春香ですー、よろしくお願いしますーと配って。そのチラシ、全員に配れるわけでもないんですよ。目の前でぐしゃぐしゃにする人はいなくても、全然要らないというジェスチャーあるじゃないですか。さすがにそれはできなくて私は一枚もらったんですけど、見たら一応CDも売ってたりするんです。後で、あのCDが事務所で直接コピーしたものって分かったんですが。あれ、一枚も売れてなかったらしいです。当然ですね。
でも、制服を着てるってのはちょっと気になりました。もうホントに、顔がすっごく輝いてたんですよぉぉぉぉ!!! …までではなくて、まだ不安でまだ歌も下手だったけど、でも前よりは良くなったというか。そうでしたね。なんか軽く踊ってるようだったし?しかしまだダメだと思いました。あんな人も歌うんだな。この新宿の人だかりの中で。そんな事だけ思ってました」
無関心な新宿の人混みの中、挫けず歌を頑張ってもまだ足りなかった。誰から見ても、しばらくして辞めるだろうと思う、そんな女の子だった。
[ではそのカードはいつ貰ったんですか?]
「それから一ヶ月ぐらい経って、友達がテレビアニメにはまって、また友達と秋葉原に行ってたんですけど、グッズをいくつか買って駅前で友達と別れたら、時間がちょっと余ってたんです。夕方前に戻れればいいと思ってフラフラ歩いてたら、その瞬間がなんか、本当に運命的なものでしたね。偶然がいくつも重なった瞬間、みたいな。あの時、ちょうど見えたんですよ。ライブハウスの扉に貼ってあったポスターが。扉も開きっぱなしだったし別に前に立ってる係員もいなかったから、入りました。後で知ったんですけど、あれ、ちゃんと入場料あったんですよ。運が良かったと言うか。ははは。
とにかく、もう二回も顔見たじゃないですか。入ってみたらですね、衣装を着たあの人が見えるんです。そしてその時、気づきました。私、さっき、忘れたって言ってました? 違ったんです。忘れたんじゃなくて、弱くても印象に残ってたんです。下手でも、顔色が悪くても、すぐ辞めそうに見えても、あきらめずに歌っていた姿が」
[「急に 横顔が 赤くなって~」]
まだ舞台の上の春香の顔は不安そうなものだった。しかしもう発声もずっと安定していて、ダンスの動作も大きい。
「そして私の隣で赤色のペンライトを振ってたおじさんがいました。あれ持ってる人はその人だけでした。他の皆は普通に立って腕組んで見てたんで。私もそうでしたね。ただ歌うのを聞いてる方がいいと思って。ペンライトが明るすぎてずっと目立ってて、それにつれてあの人も視線が動いて…あの時に私がまだ一般人でそうだったのか、それがなんかですね、あまり嫌いじゃない感じというか。なんか、あれですよ。完全に同調したいわけじゃないけど、完全に避けたいわけでもないような。そんな感じでしたね。おじさんがいわゆるその…マニアの服装じゃなかったのもあって。うふふふはは。
ところでいつものその曲が終わって、急にその人がステージに突っ立って、」
[「皆さん!新曲です!今日が初めてなんですけど、よろしくお願いします!」]
「と言って、あの曲を歌ったんです」
[「<乙女よ大志を抱け!!>」]
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<太陽のジェラシー>、<乙女よ大志を抱け!!>が収録された天海春香のデビューシングル。まだ765プロダクションの事務所でコピーした音盤ではあるが、著作権協会にはきちんと登録しているアルバムである。当時何枚コピーしたかが分からないので正確な販売量も知られていないが、確かなのはその後、売れたってこと。
「その声。タイトル。歌詞。なんの夢もなかった自分。誰よりも張り切ってペンライトを振っていた隣のあの人。意味もなく付いて行っていた秋葉原。そして新宿。さっき言いましたね、まだ足りなかったと。でも確かによくなっていってたし、何よりも諦めなかったってこと。その時気づいたんです。ああ、この人、私なんかよりずっとすごい人なんだなと」
Fランクではあったが、まだランクアップフェスも夢の夢だったその春の地下の会場。松田亜利沙は、そうして天海春香と向かい合った。
「曲が終わったらちょっとだけ質問とトークがあったけど、実はそこまでは思い出せないです。終わった後が重要なんですけど、天海春香のファンクラブを募集するってあのおじさんがでっかい声で叫んでたんです。今は所属事務所から直接作るし、ホームページも最近はSNS連動でするし、加入デスクも別にあったりしますけど、あの時はそういうものもなくて、それでもさすがにあんな風には募集しませんよ。今でもその姿を覚えてます。ユニクロで売っていそうなセーターのなかにネルシャツを着ていた人。鞄の中を探ると、なんだか赤い四角がたくさん書いてある紙を取り出して、加入したい人はリストに名前を書いてくださいと言うんです。
その、なんというか。取りつかれたというか。小さくても一応百人は入りそうなあの会場に女子高生は私一人だけで。名前と連絡先と住所まで全部書いて、あのおじさんがはさみで切ったカードを貰いました。私が五番目に名前を書いたから番号は六番でした。おじさんが一番だったから。印刷でもなくマーカーで番号を書くだけでしたね。その時、あの人が舞台から降りてきてCDを配りながら直接、客と握手とかCDにサインとかをするんです。来てくれてありがとう、と。また来てくださいね、と」
[その時のCD、持ってますよね?]
「あはは…あれ、一時は765本社にもなかったものだから、あれが入ってる引き出しだけ施錠してたりして。今日すっごく気をつけて持ってきました。これ今、オークションで二十万くらいしますよ。家に所蔵品だけで部屋一つがいっぱいになってるんですけど、これがその一号です」
まだ手馴れていない天海春香のサイン。そして事務所でグラフィックソフトで作ったアルバムのカーバー。100均で売っていたCDケース。ステッカー用紙を切って貼ったCD。何もかもが苦手で、怖かった頃だった。しかし一つだけ変わらないものがあったとしたら、それは亜利沙が言うように、諦めないその気持ちだった。
「その時から友達について行くのをやめたと思います。今もありますよね。なにかイベントがあればメールでお知らせが来て。あのイベントから、公演が結構多くなったんです。別に部活とかもやってなかったし、両親もそういうものには寛大な人でして、本当に飽きるほど秋葉原に出入りしてました。あ、そっか、あははははは、そうだ。あの時はチケットが安かったっけ。だからお小遣いでも行けたりしましたね」
[つまり、天海春香さんが初めてのアイドルだったと]
「初めてのアイドルでしたね。しかも本当にすっごく下から始まった初アイドル。あの頃のファンクラブのおじさんたち、あの会場で番号書いたおじさんについていろんな所に行きました。皆、私を不思議がってました。どうやってここに来たのか、一押しは誰か…春香ちゃんが一番の人はあまりいなかった感じ。みんな他のアイドルのイベントにたくさん行ってるって言いました。その時知ったんです。こんなに下手で不格好でも好きでいてくれる人はいるんだな、と。昔はこういう人たちとは関わろうともしなかったはずなのに、私が変わったんです。実力じゃなくて、諦めることなく努力を続けるその気持ちが好きだということに気づいたんです。純粋さと可能性。お世辞でもかっこいいとは言えない人たちでしたけど、純粋さに憧れる純粋な人たちと言うのかな。あはははは。なんか、言いくるめてる感じですね。
それでその女子中学生はファンクラブのナンバーが1000を超えるまで、プラスチックのファンクラブカードが出るまで春香ちゃんのイベントばかり追いかけてました」
[もう春香ちゃんと言うんですね]
「あの時から本当のファンになったんですから。偶然が重なって、運命まではいかなくても、縁になったんですよ。いや、運命って言っちゃいます。春香ちゃんは本当に、私の人生の転換点だったんです」
人生の転換点。それぞれがそうだっただろう。765プロの初めてのアイドルの、初めてのシングルアルバム。そしてその場所で、人生を変える因縁に出合った一人。彼女にとって春香はそういう人だったろうか。
「Eランクのランクアップフェスの時だったと思います。その、AIRAの審査員の採点基準に、ファンの反応ってのもありますよね。それで当時のファンクラブの会長、だからさっきのあの時ファンクラブの加入勧誘をしていたあの人が、春香ちゃんがランクアップできるように精一杯応援しましょう!とファンをかき集めたのに、観客が50人?100人?くらいしか集まらなかったんです。これでランクアップできるのか思いながらも一応公演はしないとだし、なんとかこの人数でも頑張ってみようと思って、結局そのまま公演が始まったんですけど、ああ、その時のファンクラブの会長、すごかったですよ。まるで一人で五十人分の歓声を上げているような。一緒にいた他のおじさんたちも声を上げていたんですけど、あの人だけやけに声がでっかくて。私もあの時、会長からもらったペンライト持って精一杯叫んでたんですが、公演の前のトークパートで春香ちゃんが言いました」
[「みなさん、知っていますか?CD発売イベントの前にも、何度かライプをしてたってこと」]
「え?」
[「はああああい!!!!」]
[「初ライブの時、軽音部の公演の直前だったんですけど、それでなのか同い年ぐらいの女の子がたくさんいたんです」]
[「あの時はまだ心の準備もできてなくて、私がアイドルを辞めていたら、ただあんな風に会場で軽音部の公演を待つ普通の学生だったかなと思ってました」]
「ええっ?」
[「とある女の子を見る前までは」]
「ああああああ?!何ですかあれ!あれの動画が残ってたんですか?」
亜利沙が来る前、765プロのビデオ担当は小鳥さんだったんだよ?レッスンも撮ろうとどれだけ熱心だったか。
「なんでありさ…私に言わなかったんですか!うう…はずかしい…」
[「あははは、実は大した話じゃないですよ。その女の子が公演を観に来た他の子たちと一緒にいたんですけど、ずっと私の方を見てたんです。ただの私の勘違いかも知れないけど…本当、あの公演でだった一人、私の歌を真剣に聴いてくれた人というか…そのおかげで諦めないで最後までやれたんだと思います」]
[「おおおおお!!」]
[「もしかしたら、その一人から、発売イベントの時の十人、そして今の、こんなたくさんの方が集まってくれたんじゃないかな…って。ずっと頑張ろうと思いました」]
[「ふぅうう!!」]
[「まだ道は遠いですけど、一歩を踏み出す、今。歌います。<START!!>」]
「ううぅ…オタクにもっとも貴重な認知の瞬間だったのに…」
[「う!はい!う!はい!う!はい!う!はい!」]
「あの頃はちゃんとMIXまでやってますね。普通に地下アイドルだったわけだし…今は認知度があるから自重してるらしいですけど。ははは…楽しかった。
はい。あの時、本当運命だと思いました。だから、春香ちゃんに認知してもらった!という簡単な理由もあったんですけど…」
誰もかまわないところで自分を見てくれていた唯一の客。それが勘違いでも、本気じゃなかったとしても、春香は確かにそこから勇気をもらった。その一人がいなかったら今の春香は、もしかすると見られなかったかも知れない。
「見てくれる人がいるってすごいことなんだな。ファンの存在が、本当にアイドルに勇気をあげられるんだ。私も誰かに勇気をあげられる人だったんだ。それが勘違いだとしても、春香ちゃんが見た人が私じゃなかったとしても…んん…どう考えてもそれは私でしたけど! ははは、とにかくあれはすごい発見でした」
[あの時からだったんですね]
「あの時からでしたね」
マツダまとめ。松田亜利沙個人のブログから始まったそのサイトは、天海春香のファン、そして765プロのファンにとっては聖地のようなところだった。ニュースがあればすぐにまとめ記事を上げるのは勿論、ライブイベントには必ず参加し、詳しい分析及び感想記事が当日の夜に上がる、スピードとクォリティー両方を満たすブログで有名だった。765プロでも、あえて言及はしなくても、亜利沙の分析を実際の企画に参考までしていた。
「当時よくイベント行ってた方々にアカウントを教えて、最盛期には本当にでっかいアイドルまとめサイトみたいになってましたね。ブログも面白かったです」
[そしてそのごろ他のアイドルも?]
「事実、春香ちゃんのイベントが毎日あるわけでもなかったので、空いてる時間には他のアイドルのイベントもたくさん行ってましたね。おかげで、一桁まではいかなくても、二桁の番号のファンクラブカードも家にたくさんあるんです。私が応援してたアイドルたちがメジャーまで行ったりしたらすっごく嬉しくて、なんだか私が育てたような気になって…そう変わったきっかけが、あの時のEランクのランクアップフェスだったんです。とても小さくて大きなきっかけで、今でもそれくらい大きいターニングポイントはなかったと思います」
[その後、ファンクラブの活動はどうなりましたか?]
「んと…Eランクになってからは、ありふれたアイドル成長ルートというか、どっかの店のイメージガールとかにもなって、そしたらまたそこに騒ぎに行って…地方放送の広告とかも撮ってましたね。するとまたそこの撮影現場までついて行って…どうかしてるかのように。その頃、2番から5番までのおじさんは他の押しを探しに行ってしまって、実質の2号会員が私だったので、謎の責任感まで感じてました」
[責任感ですか]
「途中に他の765のアイドル達も有名になって、オールスターライブも結構大きな会場だったし、初めてチケットキャンプのチケット代が正価を超えてて奇妙な気持ちにもなったし、数十枚もアルバム買ってライブ応募したのに結局全部落ちたこともあったし…春香ちゃんもランクが高くなってきてファンの中でいろんな事件もあったし…。
そして高校に入りました。まとめからの広告収入も結構あってしばらくは財布の心配もなかったし、ホント、追試ない程度にだけ勉強してすべてをアイドルに注ぎ込みましたね。一応収益活動だって両親まで説得して。まとめの広告収入が父のより多かったこともあったんです。勿論、筆陣の方々と分けないとだったんですが。それ全部、イベントに使いました」
どんどん大きな仕事を成功させて、765は成長街道を走っていた。アイドル企画社連合の大運動会、オールスターライブ、初めてのレギュラー番組の<生っすか!?サンデー!>。春香のファンクラブカードのシリアルナンバーはいつの間にか5桁を超えて、他のアイドルも旋風的人気だった。
「…その辺だったと思います。すごい懐疑を感じたのが」
四条貴音にまつわるスキャンダル、そして千早の急な<生っすか>降り。その時の心情を、ファンはどう見守っていたのだろう。
[いつ頃知りましたか?]
「マスコミにコネのある筆陣からまず連絡があったんです。如月千早についてあれこれ噂があるって。最初は、貴音ちゃんの時のようにでたらめだと思ったのに、私のその、はい、アイドルレーダーってのがあるじゃないですか。いつもレーダーと言ってますけど、いわば知り合いのネットワークですね。そろそろツイッターにも噂が上がるし、主が765ファンって分かってるから、まとめもリプが暴走して…。
最初は腹が立ちました。まずそういう過去がどうもバカげた話だったし、流出した写真もすごく雑だったんですよ。それでその時、私が大きな間違いをしました。『どう見てもデマだ、如月千早がそんなはずない。そういう記事はこちらからは乗せない』。まとめ公式ツイッターでそんな事を呟いて、結果はまあ、知ってますよね?」
ファンの立場では信じられなかった如月千早の過去。そしてどんどん事実と明かされる衝撃の事件。暗鬱な家庭事情が明らかになり、千早は一度も失敗したことのないライブに、見事に失敗してしまった。765プロ自体の信頼も落ちて行った。
「2次加害という言葉がありますね。痛い記憶を否定し、縮小しようとすることが2次加害なんですけど、痛い記憶そのものより2次加害の方が、もっと当事者を苦しめることもあるんです。噂が広がってた当時に、記事を書こうと春香ちゃんのイベントに行ったら、春香ちゃんの顔がまさにそれだったんです。本当に本当に苦しいのに笑わなければならない。アイドルの苦痛ですね。どれだけ大変でもファンの前では笑うべきなんです。ファンに勇気をあげないといけませんから。
ところでその状況がなんと言うか、本当、まだ私は春香ちゃんの顔を見るだけで幸せだったのに、すごく申し訳なくて、またすごく懐疑感がするんです。私は春香ちゃんをデビューから見守ってて、一応本物の2号会員なのに、私が今春香ちゃんのためにできることは、たったのイベントの席を埋めることだけなのか。今出ているのもただの義務感からで、そもそも本当に私は春香ちゃんが好きなのか、アイドルオタクで食っていこうとしてるだけなんじゃないか、でもツイッターに変なこと呟いてそれも無理になってきてるし、考えが止まらなくて。でその時、トークを見るのが苦しすぎて、途中で抜け出しました。
ちょうど好都合にも雨が降ってて。もちろん、傘持ってたんですけど、アキバに雨降ったらどうなるか、知ってますよね?人混みで雨まで降ったら歩きがどうも遅くなるんです。それでいろんなことを考えました。さっき言った2次加害みたいなこと。私が言ったのは結局2次加害だったんだ。アイドルが好きとか言って、結局はその心が過ぎて、アイドルを傷つけることになったんだ。そしたらもう、まとめに書いた、たくさんの批判混じりの感想文も思い浮かんで。私は本当にアイドルが好きなんだろうか」
雨の降る秋葉原。早くも芸能界の闇に気づいてしまった少女。幼い心に、亜利沙は、ファンを辞めようかとまで考えた。
「その時、アキバ駅の改札前で雨宿りしながらツイッターを見てたら、いきなり隣に見慣れたおじさんが来るんです。ファンクラブ1号のおじさん。本当、なんにもなかったかのように私に、こんにちは、って挨拶するんですよ。ただでさえ、何ヶ月も連絡がなくて、どうしたのかなって心配してたし、連絡しても繋がらなかったので。そのとき、心配と積もった感情と混ざり合って、泣きながら話しました。こうなるまで何してたのかって、ファンクラブで何かしなくてもいいのかって。ファンクラブの会長はすでに違う人だったんですけど、あ、私になるかもだったけど断りました。とにかく、そんなのも関係なかったです。ただどこかぶつけるところが必要だったんです。誰にもそんなこと、言えなかったから」
ファンの観点から当時の状況を直に聞くことは全く新しいことだった。当時はSNSの反応を完全に無視していたからだ。ボクたちはそれぞれの解決策を探すだけで精一杯だった。しかし、ファンの感情もボクたちと大して変わらなかった。
「その時に、1号のおじさんが言ってました。間違ったことなんて一つもないって。私たちの役割は、元気をあげて応援することだって。その時は分かりませんでした。また突っかかりましたね。もうできないって。ぜんぶ終わったって。そしてそのまま背を向けて、改札通って、ボロ泣きしながら電車乗りました。アニメみたいでしょう?その頃、どうしようもなく他のオタク文化にもちょっとはまってたみたいですね。もう中学生でもないのに、中二病みたいに…はは…。
電車で帰る途中で、もうアイドルオタクは辞めないと、ってずっと考えてました。誰よりも仲良しだった千早ちゃんが芸能界であんな風になったのに、春香ちゃんもまともに活動できるはずないし、春香ちゃんが居なければ私がこれ以上アイドルオタクである意味がなかったので。それで、すごく笑えるなと思いました。私がまったく助けられない人に、そこまで人生が左右されるのか。もう少し、私に集中しよう。高校1年だから、そろそろ未来を考えなくちゃ。いつまでまとめサイトで儲けられるわけでもない。時流はSNSだし。
家に帰って、その時初めて両親に大声出して夕食も断って、部屋に戻って鞄だけ投げといて無意識にパソコンつけてみたら、ツイッターの空気がちょっと違うんです。知り合いからもラインがいくつもきてて。
だから要するに、貴音の時のようにデマではあるけど、いくつは事実らしい。でも結論的に、千早は悪くないらしい。断片的な話を聞いただけなのに、あるじゃないですか。ただ、今までの考えすべてが洗い流される感覚。それで持ってるコネを総動員して調べました。そして真実を見る瞬間また泣いちゃって。もう、いくら噂に慣れてるオタクでもしようがなかったですね」
信じられない真実。そしてその上に、巧妙に乗せた嘘。全てが千早に不利な状況だったが、その嘘が明かされる瞬間、世論は奇跡的に反転した。マスコミは次々と訂正報道を出し、マツダまとめも長文のわび状を掲示した。
「いくつか記事を書いてた方と今も連絡してるんですけど、あの時、自分でも何言ってるのかよく解っていなかったらしくて。悪かったって。悪かったと言えばあの時千早ちゃんが負った傷が治るのかと聞き返したかったけど、我慢しました。それは結局、私たち皆が背負っていく一種の罪みたいなものだと思います。オタクの間で流れていた行動綱領のようなものありますよね。どんなことがあっても推しを裏切らないこと。昔は、なんだその気持ち悪い綱領、と無視してたんですが、結局その考えも私の初心から外れたものだったんです。私の存在だけでアイドルは元気を得るというのに。誰にでも春香ちゃんの時のように、最初の一人になってあげようと決めてたのに。
そしてちょうど定期オールスターライブがあるっているから、ファンクラブ先行応募で速攻で整理番号2桁で行きました。議論の途中に開かれたライブだったし、何よりも出演者リストに如月千早があったから、ダフの値段もとんでもないものでした。私は知り合いにチケットを譲ってもらって行ったんですけど、当時チケットの倍率もすごかったし…議論の途中と言っても実質上はほぼ終わる頃でもあって、みんなすっきりした気分でいたんです。でもまだ千早ちゃんに残る疑問があれだったんですね。その、ファンクラブのメンバーに医者さんが一人いて、ライブに失敗した理由は絶対声が出なかったからだし、それはほとんどの場合、精神に問題があるからだと言ってたんですよ。だからあの時、歌えるってことは精神的問題も解決したんだから出演者リストにも載ってるんじゃね?ってのが皆の意見でした。でもまだ議論は収まってないのに歌えるのか?とも思いました。
あのライブ、セトリもすごくよかったんですけど、正直全然覚えてないです。後で家に戻った時、セトリ覚えているか誰に聞いても短篇的にしか覚えてなくて、記事もみんなの話を繋ぎ合わせて書いたんですけど、ライブの間みんなずっと千早ちゃんが出るのを待っていたし、だから伴奏が出て千早ちゃんが舞台に立ってるのを見たとたんに思考が止まっちゃって。なのに誰も歓声を上げないんですよ。嘘みたいに、誰も。私は興奮しすぎてウルトラオレンジ折ってましたけど。
ところで、そろそろ歌かなってところなのに歌わないんですよ。伴奏は流れてるのに声が出なかったんです。いまだに乗り越えてなかったんです。あの圧迫感と指さしを。嘘だとほとんど全部明かされたけど、すでに千早ちゃんを何度もひっかいて行った言葉を。会場で、声でないのか、なんで出たんだ、ざわつく声を聞いたらみんな黙らせてやりたかったんですけど、またあの気持ちがするんです。また何もできなかったんだな。私はあまりにも無力だったな」
無力でも、怯えていても、諦めない気持ちがアイドルを作るのだ。歌やダンスが頼りなく不安でも、たとえ二度と歌えなくなるとしても。しかし諦めない気持ちだけではできないものがある。一人の考えに閉じこもって抜け出せない時は、引き上げてくれる仲間が要る。だから春香は舞台へ飛び出した。
https://i.imgur.com/kQcYEzI.png
「思わず叫びそうになりました。春香ちゃんが出た時。声が出ないから伴奏も止まったのに、いきなり歌い出すんですよ。何が起きているのか分からなくて、呆然と春香ちゃんの顔だけずっと見てたら、やっと少しずつ分かってきて。演出でもなんでもなく、ただ純粋に助けに来たんだなと。後で他の765の子たちも連なって出てきたから確信しました。あぁ、それは…泣かずにはいられなかったですよ。まさに号泣しましたよ。一番のサビまで」
[そして…]
「はい。あの日あの場に自分がいたってことだけで胸がいっぱいになります。今でも。ツイッターでは、千早ちゃんの声が戻る瞬間見れなかったやついないよな?とか、ネタにする人もいるくらいですが、あの時の感動は今でも忘れられないんです。もちろん感動だけを言うのなら、後の横浜アリーナのオールスターライブがもっと感動したんですけど…その前までは、私のドルオタ人生で最高の瞬間だったとあえて言えます。奇跡が起こったんです。そこに集まった二千人ちょっと?の観客の前で。誰でもなく765のアイドルちゃんの力で。春香ちゃんの力で」
[「歩こう 果てない道 歌おう 天を超えて」]
「あ…今見ても泣けてくる。あ…ぅ…ちょっと待ってください。ティッシュありますか?」
亜利沙は撮影で初めて、涙を見せた。ボクたちも皆泣き、千早は心の荷を下ろして自由に歌った。
[「約束しよう 前を向くこと 涙拭いて―」]
「このパート、大好きです。自分の話でもあるし、みんなの話でもありますから。勝手なこじつけではあるけど、私の話でもあったんです。辞めようかと何度も思った、あの時流した涙みたいなのが思い浮かんできて。
終わった後の打ち上げでも、誰も何も言わないまま食事だけして、でも悲しい空気でもなく、とても妙な空気でした。なんか、あれですよ。みんな言いたいことはたっっっくさんあるのに、言葉で表せない時。ライブが良すぎるとよくあんな空気になるんですけど、打ち上げに行った二十人くらいがみんなあの状態でした。本当に。ははは…
後で聞いた話では、春香ちゃんがあのライブの前に何度も千早ちゃんの家まで行って、ドアまでたたいて説得したとか。真心とはこのことですね。<約束>の詩も765のメンバーが書いたものでしたし。それがうちのまとめと、他のニュースとかに広まって、別の証言の数々が出て、瞬時に世論が反転しました。765プロの仲間愛を再照明する記事も出て…もともと765プロは仲間愛一つだけでも燃料十分な所だったんですよぉぉぉ!!」
急にハイテンションに戻るほど興奮した様子だ。ちょっと落ち着いて、亜利沙。
「その後はまさに順風満帆でしたね。合同フェスイベントで千早ちゃんの伴奏が途中から出てたことも覚えています。知り合いの間で『765プロ内部で春にある定期オールスターライブのレッスンが難航しているらしい』という噂も聞きましたが、あまり意味ないだろうと思って無視してました」
もちろんあの頃、ボクたちは物凄く大変だったけど、ファンにまでは影響が及んでないのなら良かったというべきかな?あのマツダまとめの主まで知らなかったわけだし。松田亜利沙が入る直前まで、ボクたちはあのブログの持ち主が女子高生だとは夢にも思っていなかった。
「そういえばあのオールスターライブ。よりによって<生っすか>の特別放送BDに応募券が入ってて、応募費用も倍率もとんでもないことになって。正直、ちょっとひどいなと思いましたよ。あの特別放送も行ってたのに、次のイベントのために参加してたイベントをまた見なければならないなんて…でも仕方ないじゃないですか。行かないと。久しぶりの大規模だし、全員出演だし、新曲の噂もあったし。はぁ…」
[また何かあったんですか?]
「いえ、ただライブがあまりにも神だったから…」
[あ…]
「ほんんと、最高過ぎでしたよ!アイドルちゃんみんながキラキラしてて…こう、最初の初々しい姿が全部消えてて、もはや円熟味まで感じられるというか…すごく煌めいてましたよぉ!!本当に最高に楽しんできました!…あそこに立ってる春香ちゃんが、昔100人集められるかどうかだったあの春香ちゃんなのかと考えちゃうくらい!めっちゃよかったですよ!!ありさ、あの時最高に楽しかったです!いや、これはさっきも言ったけど…まあいいですよ!楽しかったですぅぅ!!!」
亜利沙の目がいつものように輝く。どうやら、最近の記憶になるにつれてテンションが上がっているようだ。しかし回想ももう最終部であることもあって、亜利沙もそれに気づいて落ち着きを取り戻す。撮影ももう5時間弱。亜利沙には疲れた様子が微塵もなかった。
ちなみに、あのライブでは<太陽のジェラシー>、<乙女よ大志を抱け!!>、<START!!>の全てを歌っていた。亜利沙はきちんと覚えていないみたいだが。
その後のボクたちの物語はまあ、よく知られているし、あえて亜利沙から言われなくてもいいだろう。しかしボクたちが亜利沙を招いたのはそれを聞くためだけではない。
[それからまた縁がありましたね?]
「あははは…それも言わないとだめですか」
[アイドルになった経緯が知りたいです]
「先ほど話した定期オールスターライブが終わって出てきた時でした。<私たちはずっと…でしょう?>を初めて聴いて、記憶に刻みながら、また隣の人と歌いながら出るところ。退場する人混みの中で、こんばんは、と聞きなれた声が聞こえたんです。ユニクロのセーターの中にネルシャツを着たおじさん。ご親切にファンクラブカードまで見せながら。交通カードに貼った私と違ってラミネート加工してたんですけど、とにかく、多分あの頃はファンクラブのナンバーが5桁になっていたと思いますけど、シンプルにマーカーでNo.1と書いてました。
私はそれなりに嬉しい顔で近づいたのに、急におじさんが怖い顔をして。ちょっと怖くなって、どうしたんですかと聞いたら、とても丁寧に「今までどうもありがとうございました。松田亜利沙さん」と言うんです」
亜利沙はどうやら、男の物真似は苦手のようだ。
「すこし気に食わなかったです。何もやってなかったくせに、1番つけて必要な時にだけ現れて。それで無愛想に「何がありがたいんですか」と聞いたら、答えの代わりに名刺を突き出されて。びっくり仰天ですよ。大声を出すと周りにばれるし、それまで気になってたことが全部わかって、すごく、あ、なんて言えばいいんだろう。何とも言えない気持ちでした。その名刺を見たとたんに全ての辻褄が合うんです。私が一生の推しの春香ちゃんに出合って、他のアイドルも興味を持って思ったことなんですけど、誰もそこまで即座にファンクラブ募集なんてしないんです。しかも自らファンクラブカードに1番を書いたりもしません。そこそこ認知度が上がってからするものだし、1番も抽選で決めたりするんですよ。でも名刺を見た瞬間に全てが納得いきました」
[今も持っていますよね?]
「もちろんです。彼の名刺なんですよ?」
「だから初めのうちは広報担当とか事務員募集かなと思いました。まだ高校生だからと断ろうとしました。ところで、違うって。なんて言ったかわかりますか?私にアイドルをやってみないかって言うんですよ。
なんの言葉も出なくて。今まで本の一回も考えたことなかったのに。私はアイドルちゃんがキラキラしてるのを見るだけで十分なんです、と答えたら、そんなあなたこそアイドルの資質があるって言い返すんです。どう見ても嘘を言ってるようではないし、ほんのちょっとだけ考える時間が欲しいと言いました。」
[正直、あの時どうでした?]
「本当に冗談じゃないって知ったらものすごく悩ましくて、逃げるように帰る電車の中で名刺を見たら、ついニコニコしちゃうんです。よく考えてみると、二度とない機会じゃないですか。あんなに好きだったアイドルちゃんを、しかも春香ちゃんを至近距離で見られるなんて。帰って鏡を見てから、それがあまりにも一次元的な考えだと気づきましたが。
でもまた考えてみたら社交辞令のようでもあるし。6号会員が女子高生でそこそこ見た目も悪くないと思ったのか?私が本当にアイドルになれるのか?挙句の果てには、アイドルちゃんを見れるだけでいいでしょう!と思って、騙されると思って、誰も行ったことがないという伝説の765プロダクションに行きました。アポをとって」
[「よろしくお願いします!松田亜利沙、16歳です!」]
「うああああああああああ!それはまたいつ撮ったんですか!」
何度も言うけど、うちでは大事な映像はいつでも残して置くんだよ?特に所属アイドルの初面接なら絶対だよ。
[「趣味はアイドルデイタベース収集で、えっと…春香ちゃんを見たくて来まし…うあああああああああ?!春香ちゃん!?!??!!?!?」]
[「あっ、あなたは…」]
[「は、はるかちゃん…これ…夢じゃないですよね?!」]
[「デビューした時から客席に可愛い女の子がいるなぁといつも思ってたのに、ここて会うなんて…」]
[「ひええええええええええええっ!!! 認知です!認知ですよ!ありさを覚えてました春香ちゃんが!!」]
「やめて!やめてええええ!」
[ではここまでにしましょう]
「ほっ…」
[とにかく、そうやって765に入ったんですね?]
「…春香ちゃんをずっと見れるだけでやる気が充満したけど、周りを片付けるのが大変でしたね。知り合い誰もが信じてくれなくて。あなたがアイドル?あなたが?とか言われて。ははは…でも真剣に名刺見せて、まとめサイトの引継ぎの話をしたら現実感持ってくれて。なんと言うか、思い悩むこと多いだろうと思っても、またアイドルちゃんを見て、自分からアイドルちゃんをの気持ちになると思うと、実感ではない実感と言いますか、そんなものが湧いてきました」
[デビュー舞台はどうでした?]
「はい。それなりにメジャーな企画社だし、体系的なレッスンも受けてたんですけど、やはりデビュー舞台はとても小さかったですね。むしろ私はそこが故郷のように感じられました」
[故郷ですか]
「まさかデビューする場所がそこになるとは思わなかったです。卒業して何をしてるのかもわからない軽音部の子たちを思い出せて面白かったです。春香ファンクラブで個人的に知り合ってた方も来てくれて。思わず客席に飛び込んでしまってプロデューサーに注意もされて。」
[「ウフフ…亜利沙さんももうアイドルちゃんなんですよ?」]
その後の話はおそらく皆さんも知っているのではないだろうか。亜利沙もれっきとした765プロダクションのアイドルになったんだから。
[では春香さんについての話はここまでですね]
「そうですね。過去の話はここまでになります。でも私も…いいえ、ありさもいるし、劇場の他のアイドルちゃんもいるし!話は終わりじゃないですよね!」
全てには終わりがあるが、それは始まりにもなる。春香だけを見て歩いてきた人がまたアイドルを継いでいくこともあれば、また春香もここで満足せず次の舞台を準備するだろう。全てがぎこちなかったあの舞台を思い出しながら、あの舞台で春香を見ていた人たちを思いながら。あの時の心を忘れないならば、そして仲間たちを忘れないならばこれからも第2、第3の亜利沙が現れることもあるのではないだろうか。
[今日はどうもありがとうございました]
「こちらこそありがとうございました!」
ボクたちも負けないからね!
[制作協力]
[765プロダクション]
[BBS]
[XXX新聞社]
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[天海春香-松田亜利沙の回顧録]
[終わり]
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
絵師さん:https://pixiv.me/gearoong
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