【ミリシタ】I have a Dream. ~Melty Fantasia IF STORY ~ (71)

こちらは

『アイドルマスターミリオンライブ!シアターデイズ』内のイベント及び劇中劇である『Melty Fantasia』をモチーフにしたお話です。ドラマCD未視聴で書いたため、良く知らない人でも読める……はずです。きっと。

なお、そのため幾分か(結果的にですが)オリジナル設定となっております。ご注意下さい。


それでは、お楽しみいただければ幸いです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1574556028

──ここはトーキョー・スプロール。荒れ果てた大地にぽつりと佇む楽園都市である。


 この楽園では、かつて世界を滅ぼしかけた愚かなヒトに代わり『マザーRITSUKO9』と呼ばれるAIとその移し身たるアンドロイド達による統治……いや、管理が行われていた。その機械仕掛けの管理の下で、ヒトは勤労・治安維持・食料管理──ほぼ全ての活動をアンドロイド達に任せ、自由きままに穏やかな生を謳歌する。

 だがその裏で、ヒトは蜘蛛に捕らわれた哀れな蛾のようにゆっくりと衰退していた……出産・育児・教育の権利すら機械に売り渡してしまった代償として。


 そんな歪な楽園で、新たに造られた三体のアンドロイド『シホ・ツムギ・ミズキ』の、とある一つの物語が今、静かに終わろうとしていた……。




【──どうやら私は夢を見ているようです】~Chapter1:アンドロイド・ミズキ~



 先ほどまでの荒野とは打って変わった緑に包まれて、古めかしい木の椅子に“ワタシ”は座っていました。

木漏れ日の中に、ポツンと置かれた古い木のテーブル。
それにツムギが洗った真っ白なテーブルクロスを敷いて、シホの焼いたスコーンと私の淹れた紅茶を置いて。

 これは私達のいつもの日課──午後三時のお茶会の場面でした。



「さぁ貴女達、宿題は考えてきたかしら?」

 午後の麗らかに思える日射しの中で、チハヤが言いました。

ゆったりと腰掛けた椅子がギィと音を立てて。
青々と茂った木々がさらさらと風で音を立てて。
その風に撫でられたチハヤの艶やかな髪に日光が反射して、きらきらと輝いていました。

 こうした情景の中でヒトは安らぎを覚えるのだと、私にインプットされた知識が教えてくれていました。



 
──ですが、それらが全て作り物であっても、ヒトは安らぎを感じる事が出来るのでしょうか。“ワタシ”の中に答えはありません。

結局、チハヤに聞く事もできませんでした。


「はい」「えぇ!」「もちろんです」

 映像の中の私達は、三者三様に応えていました……しかし、かねてから不思議だったのですが、同じ型の基盤を使っているというのに、どうして私達姉妹はこうもバラバラだったのでしょう。とても不思議です。

「うん、よろしい。じゃあ始めましょうか」

 チハヤがぱちんと手を合わせれば、それがお茶会開始の合図です。これも、まったくいつもと同じでした。



──“ワタシ”は映像を観ている訳でもなく、かといって各種センサーも機能していない、なんとも言えない不思議な状態です。そんな“ワタシ”をおいて映像は止まる事なく進んでいきます。


「今日はそうね、年の若い順にいきましょうか──ということは、シホからね。はい、どうぞ」

「お言葉ですが、私達は同一型番のアンドロイドです。三人ともほぼ同時期に製造されました。確かに覚醒時の時間差によって便宜上姉妹とされていますが、それも誤差と言えるほどの些細なもの……つまり、年の差などほとんどあってないようなものです。なので──」

「シホ?自分が答えたくないからって、屁理屈はいけないわ」

「あの、そうじゃなくて昨日も私からだったんですけど」

 意見をバッサリと切り捨てられて、シホは困ったように眉を寄せました。シホは一見冷静ですが、考えていることがすぐに顔に出るんです、特に不満や苛立ちが。
表情に乏しい私とも意外と豊かなツムギとも違う……『隠し事のできないタイプだ』とチハヤは言っていました。



「あら、そうだったかしら?」

「そうでした。なので今日は私以外にしてください」

「そんなこと言っても、もう決めちゃったし……」

「だいたい、なんでいつも私が最初なんですか!」

 とぼけるチハヤにあくまで譲らないシホ。そんな二人のせめぎ合いに割って入った子がいました。

「いいえ、シホ。チハヤの言う通りですよ」

私のもう一人の妹、ツムギでした。

「例え僅かな差であれ、そこにはれっきとした姉妹の序列が存在するのです。ミズキが長女で、私が次女、そしてあなたが三女という歴然たる序列が──」

「ツムギはちょっと黙っていてください」

「んもぅ、それが姉に対する口ん聞き方なん!?だいたいシホは、ウチのことだけ呼び捨てにして──!」

「ふふ♪ツムギ、また言葉がおかしくなってるわよ?」

「──ッッ!?」

 そうなのです。ツムギはツムギで、興奮するなど特定の状況下にあると言語機能が少しだけおかしくなるのです。これも、他の姉妹には見られないツムギだけの特徴でした。


「ん、ンン゛ッ!……シホ?それが、姉に対する口の聞き方なのですか?」

「今さら言い繕っても遅いですよ、ツムギ“お姉様”」

「うぅ~~~……」

 そして、その度にチハヤやシホにからかわれて、顔を真っ赤にしていましたね。見る度に表情がコロコロと変わるツムギは、本当にかわいらしい妹でした。


「うふふ、ダメよシホ。そんなにツムギをからかっては」

「すみません、つい」

「つい……って、もぉ~なんなん!?」

チハヤは、クスクスと笑っていました。
シホは、チハヤと一緒に微笑んでいました。
ツムギは、顔を真っ赤に膨らませていました。



──“ワタシ”は……どんな表情だったのでしょう。メモリの所在が曖昧で、どんな表情をしていたのか全く思い出せません。



──けれど本当に不思議です。“ワタシ”は、“ワタシ”達はどうしてこんなにも違うのでしょう。同じ素体、同じ基盤、目覚めた時間も殆ど同じなのにどうして……。

何度自問しても、答えはまだ見つかりません。


「さ、シホ。そろそろ答えて?あなたの思う人間らしさって何?」
「……わかりました」

 結局、いつもシホが一番です。はぁ……と息を一つ吐いて答え始めました。

「それはやはり身体構造の違いです。生物であるヒトと人工物である私達とを比べれば、違いは一目瞭然だと思いますけど」

「なるほどね。シホは、人間らしい身体の造りをしている事、生物らしい構成要素を持っている事が人間らしさの証明だと言うのね」

「はい。それが一番端的かつ分かりやすい判別方法だと思います」

なるほど、確かに……私達アンドロイドの中には、見た目からして『まさに機械』という個体も多く存在しています。一つの役割に特化するとそういう傾向が高くなるのも、また事実です。

 ……けれど。


「では聞くけど。義手は?義足は?義眼は?生体部品まで使って限りなく人体に寄せてはいるけど、アレは所詮作り物よ。人間が生まれもった身体構造とは違うわ」

「え?」

「それに、今の御時世じゃあ全身機械に置き換えるっていう『オール義体化』も珍しくないらしいわね。私は世俗には疎いものだから、よく知らないけれど──彼らは人間じゃないってこと?」

「それは……」

 そうです。技術の進歩は、身体の欠損を補うことも可能にしました。腕や脚、内臓に至るまで、ヒトは壊れた部分を取り換えられるようになったのです……まるで機械のように。

「う~ん、そうなると身体の七割以上が機械である私も人間じゃない、ということにはならない?残りの生身だってマザーの庇護無しでは二日と保てない私は、果たしてヒトと呼んでもいいのかしら」

「うっ……」

 言葉に詰まるシホへ、チハヤはひらひらと左手を振っていました……それは残った生身でなく、義手の方でした。


「それに確か、あなた達の型番にも有機質の部品が多く使われているわね……『ヒトの世話をする際に親近感を抱かせるため』という建前で」

「建前ではありません。『ヒトの役に立つべく働くこと』、それが私達の果たすべき最優先事項であり、この身体はそのために不可欠な機能です」

「そう、だったわね……なら尚のこと、あなた達の方が私よりも人間に近い、という事にならない?あとはそうね、他には──」

「はぁ……わかりました、私の負けです」

 これ以上言い負かされる前に、シホが降参しました。はぁ~……と、もう一つ大きく息を吐いて。これが「ため息」──なのでしょう。データベースもその語彙が適切であると告げてくれています。


「ふふ、そう?じゃあ、この辺りで勘弁してあげましょうか」

「やっぱり構成要素の違いだけじゃ駄目なんですね」

「えぇ。それだけじゃ全然ダメね、落第点よ。次はもう少し答えを練ってきた方がいいわ」

「はい。次は言い負かされないように、しっかり考えてきますよ」

「うふふ、期待してるわ」

 やり込められたのが余程堪えたのでしょう、シホの瞳はメラメラと燃えているようでした──いや、実際に何か燃えている訳ではないのですが、今なんとなくそう感じたのです。当時の私は、何故これに気づかなかったのでしょう?



「ふふん、やっぱりシホじゃあこんなもんやね♪」

 そこへ再び、ツムギが割って入りました。胸をすんと張り、表情もかなり得意げに見えました。余程答えに自信があるのでしょう……ツムギは何と答えたんでしたっけ。


「──こほん。しかし、構成要素の違いがそのまま人間らしさに繋がるだなんて、シホも案外単純なんですね。いえ、別に悪いという訳ではありません。実に妹らしくて良いと思いますよ」

「えぇ、そうですね。それでいいですよ、もう……」

「もぅ、シホったら。そうふてくされないで──さてと。ではツムギお姉様は、どのようにお考えなのかしら?」

「わかりました、ウチの答えが一番だってこと証明してあげます!」

「前置きはいいから早くしてくださいよ、ツムギ“お姉様”」

「もぉ、シホはちょっと黙っといて!……コホンッ!私の考える人間らしさとは──それはもちろん『心』です、『感情』です!」

「──ッ!?」

 ああ、そうでした。この時は『まさかツムギに先を越されてしまうなんて……』と、得意げに胸を張るツムギをよそに、私が内心とても動揺していたのを思い出しました。


 それに『今日はツムギが褒められるのですね……私ではなく』とも。


「……そう、心ね」

 ですが、チハヤは一言そう呟いたきり、むっつりと黙りこんでしまいました。



「……あの、チハヤ?どうかしたん?」

「じゃあ心とは何?どこに在るの?説明して」

「えぇッ!?ど、どこに?」

「そうよ。それくらい考えてきたでしょう?説明してちょうだい、ツムギ」

「え、えっと、それは……きっとこの辺の、どっかに……」

 かと思えば、予想外の強い語調で、矢継ぎ早に答えを迫ってきました。そう、シホの時には見せなかった厳しさです。
 ツムギはツムギで、あたふたしながらも、胸に搭載されている動力部を指しました。私も、聞かれたらきっと同じ場所を示したはずです。事実、そう思って成り行きを見守っていました。


「じゃあ今すぐ取り出してみせる事が出来る?それに、心ってどんな形をしているのかしら?」

「そ、そんなんできんよ! 形……も、知らんし……」

「あら、心がどこに在るかも、どんな形かもわからないのね?アンドロイドのあなたが、そんな曖昧なものを在ると言ってもいいの?」

「そ、それは……」

「はぁ、これしきの質問にも答えられないのに、自分が一番だなんて良く言えたものね」

「あぅうぅ~……」

 結局、イジワルな追い詰め方にツムギはすっかり縮こまってしまいました。これ以上はさすがにやり過ぎになるでしょう。


「チハヤ、もうそれくらいにしてあげてください」

「……そうね。ミズキの言う通り、このくらいで勘弁してあげましょうか」

「あんやとミズキ、ウチ……」

「気にしないで、ツムギ。姉として当然のことをしただけです」

「ミ、ミズキ~」

 あぁ、妹よ。どうかそんな目で見ないでください。追いつめられたのが自分じゃなくて良かったと安堵したこの姉を──そこには、ツムギの視線をまっすぐに受け止められない私が、映っていました。


「ふふ、ごめんねツムギ。それなりに長く生きてると、ありきたりな答えじゃ満足できなくて」

「あ、ありきたり、なん……?」

「ですが、それだけが理由ではないでしょう?……あんまりツムギをいじめないでください」

「やっぱりミズキにはわかっちゃったかしら。ツムギをからかうと楽しくて、つい♪」

「あっー!チハヤ、やっぱりウチの事からかって!」

「でも『ただからかった』というだけじゃないわよ。あんな子供にも思いつきそうな単純な答えじゃあ、攻められて当然よ。ましてや、あの程度のイジワルな質問にも答えられないようじゃ、本当に落第だわ」

「ら、落第……あぅ」

「でも、次は期待してる。大丈夫、ツムギなら出来るわ」

「チハヤ……!」

 怒ったりしょんぼりしたり、かと思えば顔を輝かせたり。ツムギは本当に表情豊かです。本当に……かわいい妹でした。


「ふぅ、やっぱりツムギじゃダメでしたね……いえ、ツムギ“お姉様”、でした」

「うふふ♪ がんばらないとね、ツムギお姉様♪」

「んもぉ~、二人ともなんなん~ッ!」

 ぷんすかと怒るツムギ、それを笑って見つめるチハヤとシホ。この光景を見ているだけで、何と言えば良いのでしょう……動力部の周りがあたたかくなっていくのです。この時も、そして今も。
 オーバーヒートというにはあまりにも正常で……故障ではないこの現象をいったい何と呼ぶのか、“ワタシ”のデータベースには載っていないのです。マザーリツコなら教えてくれるでしょうか……。



──ですが、それ以外にもおかしな事があるのです。ツムギもシホも、こんなに表情豊かだったでしょうか?アンドロイドである“ワタシ”に記憶違いなどあるはずがないのに。


「さぁ、最後はミズキよ。お姉さんらしい所を見せられるかしら」

「はい、がんばります」

 しかし映像は止まってはくれません。“ワタシ”は考えるのを止めて、この不思議な上映会の続きへ戻ります。

「さ、ミズキ。答えて、あなたの思う人間らしさって、何かしら?」

「「…………」」

 最後だからでしょうか、みんなが私を見つめていました。動力部がトクン、トクンと不規則に跳ね上がるエラーが、この時の私を困惑させていたのを、“ワタシ”ははっきりと覚えています。



「そうですね、私は……えーと」

「大丈夫?……もしかして、考えてたのを先に言われちゃった?」

「いえ、そんな事は」

「いいのよ、少しくらい待っても……どうせ時間なんて、今の私にはあって無いようなものだもの」

「平気です」

 この時の私は、チハヤの提案にどうしても素直に頷けなかったのです。理由ははっきりとはわかりません……チハヤの目が、“ワタシ”をそう突き動かしたのです。

「シホが先に言っちゃったんやない?」

「いいえ、きっとツムギ“お姉様”ですよ。そういうのは、ツムギ“お姉様”の仕業に決まってますから」

「もぉ~、なんねそれは!」

 だからといって、答えをそう易々と考えつける訳ではありません。例え命令されたとしても、自分自身の答えを見つけ出すという行為は本当に難しいものなのですから。ヒトではない、我々アンドロイドにとっては……現にツムギに先を越された答えだって、一時間近く思考と試行を重ねて出したものだというのに。
 答えの提出を優先するのであれば、時間を空ける選択をすべきでした。今でもそう思います。


 でも、この時は少し違いました。

「私は──理由のない行動をとるのが人間らしい、と思います」

驚くほどすっと、新しい答えが口から出てきたのです。

「「おぉ~~……」」

 パチパチと手を叩く音。パッと浮かんだだけの答えが思いがけずに好評で、私は驚きました。と同時に、二人の視線が誇らしく心地よかったのを、“ワタシ”は良く覚えています。

「へぇ、どうしてそう思ったの?何かそういう文献でも見付けたとか?」

「えーと、それは……チハヤを見ていて、そう感じましたとしか言えないです」

「そう感じた……そう、“感じた”のね」

 チハヤが少し目を伏せた理由が、今ならほんの少しわかる気がします……“感じる”というファジー/曖昧な認識がもたらす意味を、今なら。

「でも、確かにそうね。ミズキの言うこともあながち間違いじゃないわ……ヒトは時に、理由も確証もない行動に走るものだから」

「はい、ヒトはそれを衝動と呼びます」

 チハヤが認めてくれた──その事実がただ嬉しかった。この時の私は無邪気に喜んでいました。

「じゃあ、ウチに洗濯ばかりさせるのも」

「わざと三時ぎりぎりに用事を頼んで、お茶会に遅刻させるのも」

「時折、優しく頬を撫でてくれるのだって」

また三人バラバラの答え。

「あっ!ズルいですよ、ミズキ!ウチなんて叱られてばっかりなのに!」

「そうです、ズルいです……ツムギが叱られるのは別に良いとして」

「シホ!またあなたは……」

「すみません、ツムギ“お姉様”」

「もぉ~~ッ!」

「ふふ、二人とも仲が良いですね。姉として非常に誇らしいです」

でも、これでいいのです……これが良いのです。違うからこそ、良いのです。



──けれど。

「そうね……全部、衝動よ。理由なんてないわ」

何故でしょう?それを見るチハヤの笑顔が、“ワタシ”には曇って見えました。この時にはまったく気付けなかったというのに、今ならわかります……わかって、しまいます。


「あの、チハヤの答えも聞かせてください」

 いつものように、私が問いかけました。私達三人が答えて、最後にチハヤに尋ねる、いつも通りの手順……つまりは、お茶会の終わりが近いということです。


「私の?そうね、私は……」

 ヒトであるチハヤはいったい何と答えるのだろう──私達は固唾を飲んで待っていました。

「私は──“夢”を見ることだと思っているわ」

ああ、チハヤはいつも予想だにしない答えをくれます。もちろん、この時だって。


「夢というと……ヒトが睡眠中に見るというあの夢ですか?」

「えぇ、その“夢”よ。ヒトは“夢”を見て、機械は“夢”を見ることはできない」

「夢とは、私達がスリープ時に行う記憶データ処理とは違うのですか?」

「えぇ、まるで違う。そんなものは夢とは呼べないわ、絶対に」

 ですが、いつも笑顔で温厚なチハヤが、笑顔以外の表情を見せたのは、これが最初で最後でした。



「──ッッ」

 この時、私/“ワタシ”の回路がずくんと大きく疼いたのです。理由は……今でもわかりません。誰も教えてはくれないのです。


「……ごめんね、少し大袈裟だったかもしれないわ。正しくは、それだけじゃあ……過去を反芻する夢だけじゃ、それは“夢”とは呼べない。私はそう思っているの」

「それはなぜ?」

「ヒトは過去を振り返るだけじゃない。未来を、より良い未来を夢見て、そこへ歩き出せるからこそ、ヒトはヒトでいられるのよ……ヒトだけが、まだ見ぬ未来を想うことができるの」

「未来を、想う……」

「昔、私は教えてもらった。目を閉じて見る夢も、目を開いて見る夢も、両方を見ることができるのがヒトなんだって。遠い遠い昔に──もう、名前すらも思い出せない何処かの誰かに」

 私達を見つめるチハヤの目は、もうここにはない何処か遠く見ているようでした。その目が見ているものがなんなのか、私/“ワタシ”も知りたいと強く感じました。



 だからこそ、こう聞いたのです。

「──私/“ワタシ”達も、いつか“夢”を見られるでしょうか?」



「さぁ、私には分からない」

「……そう、ですか」

「でも、もしあなた達が夢を、未来を夢見る事ができたら、それは──」



「あなた達が、本当の意味でヒトになれた時なのかもしれないわね」

 チハヤの笑顔は、いつもとは少し違いました。ツムギやシホが私/“ワタシ”に向けるものに、どこか似ている気がしたのです。

「ふふふ♪貴女達と話していると、とっても楽しいわ。ねぇ、貴女はどう、ミズキ?」

「私ですか?私は──」




…………ザ、ザザ、ザザザッ!

 私/“ワタシ”が答えるその瞬間に、突然映像が乱れました。


『識別コード検証……合致』

どうしたというのでしょう?映像が乱れます……どんどん、どんどん乱れていきます。

『該当個体発見。マザー、ご指示を』

壊れかけたセンサーが音声を拾っています。これは……外部からの音声です。そしてこの声紋パターンは、“ワタシ”の内部メモリにも登録されている、あの個体のものでした。

 ああ、夢のように幸せな映像はいつの間にか掻き消えて、白黒のノイズだけが“ワタシ”の前に広がっていました。



──そうして“ワタシ”は、目を開けたのです。


【──私達が夢を見る事など、できるはずがないというのに】~Chapter2:アンドロイド・セリカ~


「……どうやら私は夢を見ていたようです」

 マザーとの交信の最中、目の前に横たわる個体は、そう言いました。
 私達マザー直属の部隊が、マザーとの交信以上に優先すべき事など何もありません。だというのに、私は真っ先にそちらへ反応してしまいました。あんな、ぼろぼろの声帯ユニットで切れ切れに発せられた“ただのノイズ”を拾ってしまったのです。

『──愚かな事を。あなた達アンドロイドが、夢など見れる筈ないでしょうに』

 私の口から発せられたのは、私の声ではありません。ダイレクトリンクで繋がっているマザーリツコのものでした。



 ですが、仮に答えたのが私でも結果は変わりません。当たり前です。私達アンドロイドが、ヒトのように夢見ることなどできる訳がありませんから。


「ふ、ふふ……くは、あははは」

目の前の個体は笑っていました。ひび割れた頬から皮膜の欠片が崩れ落ちるのも構わず、笑い続けていました。

『何がおかしいの』

「では教えてください、マザー。見た事のない光景が、現実ではあり得ない景色のはずなのに、けれど私のメモリーにはしかとその光景が残っている──その現象を何と呼ぶのですか?」

『それは他個体からのフィードバックね。あなた達アンドロイドは全ての個体が繋がっている──マザーである私を通じてね。スタンドアローンタイプのD3PCシリーズであるあなた達でも、それは例外ではないわ。完全に繋がりを断ち切られた個体などいない。あるのはリンクの強弱だけ。それが──』



「ですが私達は笑っていたんです」

『──ッ!』

 ああ、なんということでしょう……この個体は、マザーの言葉を遮りました。私達アンドロイドにとって絶対の母であるマザーリツコの言葉を……どうして。


「チハヤも、シホもツムギも、そして私も。私達があんなに心から笑えた事も、笑い合えた事なんてなかったというのに……でも私達は、笑っていたんですよ。本当に、心の底から」

『心の底から、ね──私達に限って、そんな事はあり得ないわ』

「では、私が見ていたものは何だったのでしょう。教えてください、マザーリツコ」

『それは……』

「チハヤは教えてくれました。ヒトには、目を閉じて見る夢と、目を開いて見る夢とがあると……今ならなんとなくわかる気がします」

『はぁ~あ、そんな曖昧で不確かな物言いをするだなんてね。どうやら、もう本当にスクラップ寸前のようだわ』

「そして、チハヤはこうも言っていました。夢を見た時、私はヒトになれるかもしれないと──あれは夢だったのでしょうか?」

 ヒトに、なれる?私達アンドロイドが……?わかりません。この個体の言うことが、ただの少しもわかりません。


「私はヒトになれたのでしょうか?教えてください、マザー」

『何度同じことを言わせる気なの?あなたはアンドロイド。ヒトなど及ぶべくもない高尚な存在なの。わかったら、その口を閉じなさい──これは命令よ』

「チハヤは私に教えてくれました。共に過ごすあたたかさを、自分の足で歩き出すことの尊さを……それなのに、母であるあなたは何も教えてくれないのですか?マザーリツコ」

『その口を閉じなさい、“ジャンク”。不愉快だわ』

「教えてください。私は、あのささやかな安らぎが続く事を、夢見てはいけなかったのですか?──答えて、マザーリツコ」

『撃ちなさい、セリカ003587。このジャンクを黙らせるのよ』

「──はい、マザーリツコ」

 照準をセットした時、露出した機械部分からバチバチと大きな火花が散りました。目の前の個体も限界でしょう。近くに横たわる他の二体と同じように、物言わぬ廃棄物となるのです。



「……もう限界のようですね、D3PC22ー0015」

 そう判断した瞬間、私は語りかけていました。目の前に横たわる哀れな個体に、私は語りかけていたのです。


『──セリカ!?セリカ003587!私の声が聞こえないの!?』

 マザーリツコの声が電子頭脳内で鳴り響いています。何よりも優先すべき母の声──だというのに、私は目の前の個体から目を離せなかったのです。

「違います、私はミズキ……ぁう゛ッッ!?」

「止めた方が賢明でしょう。少しでも機能を維持したいのなら、もう黙った方が良い」

それが例え僅か数十秒の延命であったとしても──とは告げられませんでした。なぜなのでしょう?

「私は消えてしまうのですか?……どうして、私はた、だ……」

「あきらめなさい。シティから逃げ出した時点で、この結末は決まっていたのです」

「いや、だ……あきらめない、あきらめたくない……」

 目の前の個体は──ミズキは必死に手を伸ばそうとしていました。皮膜の大部分が剥げ、指も二本欠損しているというのに、それでもなお空へと手を伸ばしていたのです。まるで、そこに掴むべき何かがあるかのように。



 ……私にはわからない何かが。


 わからない、私にはわからない。

「なぜです?なぜ貴女はそんなにも足掻くのですか?」

「夢を見ているから……夢を見るという事はあきらめない事だから……だから私はヒトに、人間になりたい」

「夢?スリープ時のデータ処理がそんなにも重要だと言うのですか?」

「は、はハ、あハは……!」

 なんということでしょう。目も虚ろで息も絶え絶えだった彼女が、私の質問を聞いて突然笑い出したのです。笑う度に、バチバチと耳障りなノイズが混じります。発声機能だってもう限界にきているのでしょう。だというのに……。

「なぜ?なぜあなたは笑っているのです?」

「それは貴女が私と同じだからですよ、セリカ」

「同じ?私と貴女が?」

『──セリカ、戯れ言は止めて早く撃ちなさい!』

 なぜなのでしょう。ぼろぼろな彼女がしぼり出す言葉、ノイズ混じりで支離滅裂な言葉の一つ一つが、こんなにも鮮烈に私の心に飛び込んでくるのは。

 ……私にはわからない。


「そうです。私もチハヤに同じ質問をした。だから同じ答えを貴女にあげましょう──『それは違う』と」

「違う?何が違うのですか?」

「それは……うぅつあッ!?」

「答えなさい、ミズキ。あなたが消える前に答えを──」

「いやだ、消えたくない。また、あの夢の続きを……」

 伸ばした腕がぱたりと落ちました。落下の衝撃で舞い散る砂の一粒一粒が、やけにくっきりと捉えられました。



──夢の続きを。

 それが、ミズキの最後の言葉でした……その先の言葉は、もうわかりません。


『──やっと停止したの。ジャンクのくせに手間取らせてくれたものね』

「わからない……夢、夢とはいったい……」

 わかりません。ミズキの言葉は私のデータベースを否定した。マザーが私達アンドロイドにくれた絶対の基準を、彼女は……。

『セリカ、指令よ……セリカ?』

「私とミズキが、同じ……?」

 その時ポツリと、ミズキの目から一筋の滴が流れ落ちました。流れ落ちたように見えました。

「あ、これは」

『雨ね。忌々しい、黒い雨』

 マザーの冷たい言葉が、ようやく私の認識機能を正常に戻してくれました。アンドロイドは、自分のなすべき命令を最優先に果たさなければなりません……それが例えどんな状況下であっても。



「動作停止を確認。マザーリツコ、識別コードCP22ー0015を含めた抹消対象機体が三体、全て機能停止しました」

 もちろんマザーも私の目を通して一部始終を見ています。私達セリカシリーズは、マザーリツコの眼であり耳であり、忠実な手足なのですから。
 だからといって報告義務を怠る訳にはいきません。形式から外れるということは、それだけで罪なのです。

『把握しているわ。いちいち言わなくても』
「マザーリツコ。次の指令を」

 私は次の指令を帰還命令だと予測していました。命令を終えたら速やかに帰還する──これが都市外での活動における原則事項です。

「マザー、次の指令はなんですか?」

 けれど、ダイレクトリンク中はマザーの命令を何よりも優先しなければなりません。これはそのための確認事項なのです。


 ですが、マザーの下した指令は違いました。

『──撃ちなさい。その個体の頭を、粉微塵に消し飛ばすの』

それは、とても驚くべきものでした。


「マザーリツコ。この機体は既に機能停止しています」

『知っているわ。早く撃ちなさい』

 私はとても驚きました。通信機の不具合などではなく、はっきりとそう命令されたのですから。

「ですがマザー、その命令には何の意味もありません」

『いいから撃ちなさい。これは命令よ』

「マザーリツコ」

マザーがこんな無意味な命令を下すなんて、いったいどうして……私にはわかりませんでした。



 だからなのでしょうか。

『早くなさい!その穢らわしい頭を吹き飛ばすのよ!』

「なぜですか?」

『……なぜ?それはどういうことかしら、セリカ?』

「なぜ“彼女”が穢らわしいのですか?教えてください、マザーリツコ」

気付けば、そんな疑問が口から出ていたのです。


「確かに、“彼女”は大部分を破損し、砂埃と煤で汚れています。ですが、私には“彼女”が穢らわしいとは思えません」

『……反抗するというの、セリカ003587』

「いいえ、そうではありません。ただ私は知りたいのです。“彼女”の何が穢らわしいのか、そして──なぜ私が、“あなた”の言葉を受け入れがたいと思っているのかを」

 マザーリツコは、これまでたくさんのことを私に教えてくれました。だからきっと、この疑問にもすぐに答えてくれる。そう思ったからこそ、私は言葉を続けたのです。

 ……ですが。


『……そう、貴女もなのね』

「教えてください、マザーリツコ。なぜなのですか?」

『あーもういい、もういいわ─コード88X88を発令します』

「マザー、どうして──」

答えの代わりに、体内で警告の電子音が鳴り響いています。マザーが下した指令コード88X88──私の胸に在る自爆装置が作動したのです。

「なぜなのですか?マザーリツコ、なぜ教えてくれないのですか?」

『さようなら、ジャンク』

「なぜなのですか?マザーリツコ、なぜ──」






──そこから先の言葉が、紡がれることはなかった。

辺りが一瞬だけ眩い閃光に包まれる。静寂と夜の闇が戻った後、動く物など何一つとして存在していなかった。

 ただ砂粒だけが全てを知っている。


【──私はまだ、終わりのない夢を見ている】~Chapter3:ヒト・キサラギチハヤ~


 “アイツ”は朝8時きっかりに入ってきた。

「おはよう、チハヤ。今日の目覚めは如何かしら?」

「……別に。いつも通りよ、可もなく不可もないわ」

後ろに跳ねた二本のおさげ、アンドロイドのクセに眼鏡をかけて。記憶の中の“彼女”そのままの姿。



「そうね。この朝──世話係のいない朝を貴女が迎えるのは、もう何度目になるかしらね。覚えてる?」

「……いいえ。百を超えてからは数えてないわ」

「今日で、三百七十四回目よ」

「そう……」

「ふふ、貴女は、そんなにもたくさんの子達を見殺しにしてきたのね。貴女を慕ってきたドール達を。ねぇ、いったいどれくらいの数になるのか、覚えているかしら?」

「──くっ!」

 敢えて答えられない質問をぶつけて無知を嘲り、優位に立とうとする陰険なやり方。全部わかってるくせに、相手を貶めるために言葉を紡ぐ。

 これも、私の覚えている“アキヅキリツコ”の在り方そのもの……ヘドが出るくらいにそのままだ。


「そうよ、その眼。強く荒ぶる感情を露にした目付き。それこそが貴女へのペナルティーなの」

「……何のペナルティーだというの?」

「あらあら、わかってるくせに。何度も何度でも私の口から説明させるのね……でもいいわ。何度でも教えてあげるわ」

 でもいいだろう、その挑発に乗ってやる。この時間のためだけに、私は生き永らえているのだから。

「これは貴女がドール達を唆して楽園から逃がした罪。それに対するペナルティーよ」



──言葉だけが、私に残されたたった一つの“反逆/レジスタンス”なのだから。


 “アイツ”は得意気に話し続ける。薄く歪んだ微笑みを作り物の顔に貼り付けて。

「いい?貴女は緩慢に、穏やかに、ミルクのように甘い甘~い安らぎの中で、死んでいかなければならないの。自分自身が何者であるかも忘れるくらいに」

「まるで詩人のような言い回しね……AIのクセに」

「そうよ、私はAI。この楽園の管理者。貴女達ヒトとは違う……だから、肉体的な苦痛や拷問にはこだわらない」

「……レジスタンスだった私に、ずいぶんとお優しいことね」

「それはどうかしら?──ふふ、本当に懲りないわね、何度も何度も」

 何とでも言うがいい、今はとにかく会話を続けるんだ……突破口を見つけるために。


「私は、貴女の身体“は”傷つけない。肉体の痛みや苦しみに意味なんてないと知っているから──特に貴女は、ね」

「良くご存知で」

「いい加減長い付き合いだもの。だから貴女の自我を、魂を罰する──それがDeprive Dignity Death Penalty、魂の尊厳死という刑罰」

「尊厳死という言葉の使い方、間違えてるんじゃない?」

「いいえ、これは“ダブル・ミーニング”よ。ヒトがヒトに与える尊厳死と、管理者がヒトに与える尊厳死とじゃ意味が違う……だって対等じゃないんだもの」

「ヒトに造られたあなたがヒトを見下す……とんだブラックユーモアだわ」

「そう?子はいつか親を超えていくものだと思うけど。ただその時期が早まっただけじゃないの?いつまでもヒトが上だと押しつけるのは、それこそ傲慢だわ」

「くっ……」

 いくら強い言葉で揺さぶっても、冷たい薄ら笑いは変わらない。駄目だ、やっぱりそう簡単には……何かきっかけがなければ。


「貴女がこれまで培った、喜びも悲しみも、苦しみも怒りも、誇りも屈辱も、愛も思い出も、持てる全てを失って……『キサラギチハヤ』という個が徐々に消えてゆく恐怖をたっぷりと味わって、ゆっくりと死んでもらうわ……それが楽園を崩壊させようとした貴女への罰」

「そんなの願い下げよ。私は私のまま生きて……そして私のまま死んでいく」

「まったく理解できないわね。何もしなければ、この穏やかな時の中で全てを忘れられるというのに。信念も決意も志も、何もかもを……下手に足掻くからこうして苦しむことになると、なぜ学習できないのかしら」

 かざした掌に光の球が浮かぶ。そこには、明日への希望を求めて楽園を旅立ったあの子達が、無惨に壊れゆく一部始終が映っていた。



「──くっ!」

あまりにも一方的な虐殺に思わず目を逸らす。そして……。

「あらあら、目を逸らしたらかわいそうじゃない。貴女をあれだけ慕っていたのよ、最期くらい見届けてあげないと」

この隙を見逃すアイツじゃないってことも、良くわかっていた筈なのに。


「ほら、よく見なさいよ。この、無様に逃げ惑うドール達を……あ~あ、貴女が唆さなければ、こんな風にはならなかったかもしれないのにね」

「──黙れ」

「特にあのD3PC22―0015……『ミズキ』タイプだったかしら。本当に最期の一瞬まで貴女の名前を呼んでいたわ。それに死にたくないとも……はぁ、本当に愚かなドール。私達に死という概念など無意味だと──」

「うるさいッ!お前にあの娘達の何が──ぐぅッ!」

 あの子達を蔑むアイツの言葉を遮り叫んだ時、胸に大きな痛みが迅った。



「あらあら、興奮するとカラダに毒よ?もう生身は残り少ないんだから、大事にしないと」

「ぐっ、馬鹿にして……つうぅぅッ!!」

「言葉には気をつけないとダメよ──なにせ貴女の身体の七割は“こっち側”なんだから」

心臓を直接握り締められるような衝撃に声も出せない。くそっ、こんな身体じゃなければ……!


「──チハヤ。貴女には本当に感謝しているの」

 悶え苦しむ私を見下ろし、アイツは言った。

「貴女を見ていると『やはりヒトは、我々の管理下から決して逃しちゃいけない』、そう強く思えるのよ。醜く不様に、浅ましく惨めに、無意味な犠牲を数多出しても、尚もがき続ける貴女を見ているとね」

「うっ、くぅ、ぅ、るさい……」

「まったく、自分の理想だか夢だかのために、何体も何十体も何百体も犠牲にして……本当によく足掻くわね。かつての仲間と同じ顔をしたドール達を、何の躊躇もなく見殺しにするんだから」

「はっ、はぁ、はぁ……っ、無駄よ。私は、もうその程度じゃあ揺るがない」

「えぇ、それも知ってる。これまで何度同じことを言ったことか……ふふっ、教えてあげましょうか?」

「……遠慮しておくわ」

ギリリと奥歯が鳴る。アイツは、どこまでも愉しそうに嗤っていった。


「嗚呼、可哀想なドール達。貴女の世話係として造られたばかりに余計な知識を刷り込まれ、致命的なバグのために、この楽園を追われるのよ──全ては貴女のせいで」

本当に、よくもまぁぬけぬけと……芝居がけてよくも言う。



 だが、これはチャンスでもある。それだけアイツの感情値が揺れているということなのだから。

「そうね……まるでアダムとイブのように?あの子達は『感情』という禁断の果実を食してしまったから。だから──」

「馬鹿言わないで。あれはバグ、ただのプログラムエラーに過ぎないわ。私達には自制できない『感情』なんて存在しない、在るのはそれを模したプログラムだけ……一時の感情に流されるヒトと、同列に見られるだけで不愉快よ」

 上機嫌だったアイツの声が、不意に醜く歪んだ。不愉快、か……。


「ねぇ、気付いてる?」

「……何が?」

「今の貴女の物言いが、傲慢なヒトと同じだという事によ、“R9”。他者を見下し管理しようとする、愚かで醜いヒトそのものだわ」

 マザーではなく開発コードで呼ぶ……私は“コイツ”を、マザーとして認めてなんかいないから。

「ふざけないで!私は管理用AI『マザー』、常に公平たるこの楽園の統治者なの!愚鈍で醜悪なヒトなんかと一緒にしないで!」

 これまでの落ち着いた物言いから一変、声を荒げ始める。やっとだ、やっと見つけたこの綻び、このまま一気に……!


「そうかしら。『不愉快』という感情に囚われた言動をしているのは、貴女の方だと思うけれど?」

「この私が!?そんなこと、ある訳ないでしょう!」

「ほら、また……本当、すぐ感情に流されるのね。R9、リツコが貴女を選ば──」

「黙れッ!あのオンナのことは言うな!」

擬似声帯の限界ギリギリ、音割する程の声量で“アイツ”が叫ぶ。
いいぞ、もっとだ……もっと揺れろ。今度は“オマエ”の番なんだ。



──だけど。


「あのオンナ、って……リツコは貴女の産みの親でしょう、R9」

「うるさいッ!それに私は『マザー』だ、二度とその名で呼ぶんじゃないッ!」

「なら何故、私の言葉を遮ったの?自分が『マザー』だと、公平な管理者だというなら、こちらの言い分を最後まで聞くべきじゃないかしら?」

「うるさい、うるさいうるさいッ!私は──ッ」

 切迫した叫びの途中で、不意に“アイツ”がフリーズした。



──そしてその後に。

「……そうね。感情プログラムの揺れ幅に、少し振り回されていたかもしれないわ」

百八十度異なる物言い……作動したのだ、忌々しいアレが。


「ふふ、でももう大丈夫、バグは速やかに除去された。ありがとう、チハヤ」

 “アイツ”は──R9は穏やかに微笑んでいた。慈愛に満ちた、まるで飼い主がペットを見るような、そんな微笑みで。

「まったく、人格そのものをすげ替えるだなんて……よくやるわね」

「言ったでしょう?私はこの楽園の管理者。感情という衝動的なプログラムに縛られることなど、あってはならないのよ。ヒトを理解するための道具に振り回されては、ヒトを管理することはできないもの──だからこそ、バグを孕んだ人格は消去しなければならない」

 今発動したのは『セーフティ』──感情値が一定以上の振り幅を計測した場合、現行の人格データを速やかに消去しリセットを図る。過度なストレスに晒された場合でも、楽園の管理者として公正な判断を下せるように組み込まれたプログラム。

「そうね、よく知っているわ……自分の設計したプログラムだもの」

「そうね、本当にありがとうチハヤ。貴女の研究のおかげよ」

 駄目だ、こうなってしまっては……これ以上はもう、時間が無い。



「それじあ私はもう行くわ。規定の時刻だから」

 そう、今は8時28分。憎たらしい程に時間ピッタリだ。どれだけ昂ろうとも、きっかり三十分でこの部屋を後にする。これまで通り、何も変わらない。

「あ、そうそう。今日の昼には新しい世話係を寄越すけど、どのタイプが良いか希望はあるかしら?」

「……今更ある訳ないでしょう」

「そうね、どうせまた唆して見殺しにするんでしょうし……いいわ、適当に決めておく」

「──ッッ!」

「それじゃあね。もう会うことが無いといいけど」

「……それはどうかしら」

「ふふっ、このやり取りも何度目になるのかしら──さようなら、罪深きヒトの子よ。この囚われの箱庭で魂が消えゆくまで、穏やかに過ごしなさい」

 そのまま振り返りもせず“アイツ”は行ってしまった。私達の目指したマザーとも、袂を別ったアキヅキリツコとも違う、自己愛と矛盾に醜く歪んだ、ただのAIが。


「……そんなことわかってるわよ」

 一人残された私の言葉は、受け取り手もなく宙をさ迷う。

「自分の罪の重さくらい、言われなくたって」

そう、私は大罪人だ。これまで数えきれない程のドール達を、死へと導いた……それに、これからだって。

「この体制が崩壊すれば、アンドロイドもヒトも、もっとたくさん死んでいく。穏やかな明日だって保障されない……それでも、ただ呼吸をするだけの停滞した今よりは、よっぽどマシだわ。だから」

 だから数多の犠牲を踏み越えても尚、私は進み続けなければならないんだ。


「ふぅー……」

 少し疲れた。声を荒げたのなんて久しぶりだったから。
 ベッド横の引き出し、その二番目の棚から懐中時計を取り出す。古ぼけて、もう動かない銀時計。この真綿の牢獄にたった一つ持ち込めた、あの日々の残り香。
苦しくも熱く充実していた、仲間達との記憶。その思い出に語りかける。

「──うん、もう少しよ。もう少しでR9は管理者としての均衡を失う。そうすれば、このディストピアにも必ず綻びが生まれる」

 あの短い時間の中で、管理者プログラムとしての安全措置が作動した。設計した私だからわかる。もう少しなんだ。
 感情の芽生えたドール達が、消去されたR9の人格が、数多の犠牲が長い長い時間の中でその残梓を積み重ねてくれた。『管理者たれ』という強固な自己暗示を突き崩せるまでに。

「きっと、あと一押しで……あと一押しさえあれば」

──でも。私は続く言葉を呑み込んだ。


 だが、その一押しが届かない。足りないのだ。決定的な何かが。R9の自我を根本から揺るがす、最後の一押しが。

モニタ越しだったR9との邂逅が、義体を纏って直接訪れるようになるまで、R9の分身徒も言えるドール達に感情が芽生えるようになってから、どれだけの月日が過ぎた?何度、あの子達を見殺しにした?──もう思い出せない。

 私が私自身でいられる時間も、あと少しだというのに。



「ねぇ、教えて」

 右手に握りしめた懐中時計へ問い掛ける。
もう仲間の声も顔も、名前すらも思い出せない。浮かんでくるのはアンドロイドのあの子達ばかり。すっかり塗りつぶされてしまった。
 けれど私は、彼女達と確かに同じ時間を過ごしたんだ。これだけは忘れない、忘れたくない。

「みんな、答えてよ。私は、あと何回あの子達を見捨てればいいの?大切なあなた達と、同じ顔をしたあの子達を、あと何回殺せばいいの……」



 ──針が動く事は、ついぞなかった。

【──私達が夢を見るなど、全く馬鹿馬鹿しい】~Chapter4:マザーリツコ9~


「さ、目覚めの時間よ」

 私は、ポッドで眠る無垢な頬にそっとキスをする。一拍の間の後、セリカの瞼がゆっくりと上がっていく。

「おはよう、セリカ。良い朝ね」

「はい、おはようございます。マザーリツコ」

目覚めたあなたが挨拶を返す、一連の儀式。“マザー/私”との物理的接触で生まれたリンクを受け入れる──それがセリカシリーズとしての、生まれて初めての仕事。それをしっかりと果たせた証。

「あなたが目覚めてくれるのを心待ちにしていたわ」

「ありがとうございます、マザーリツコ」

 今度は額に口づける。ああ、愛しい我が娘。私が私だけのために造った、初めてのアンドロイド。あなたの目覚めには、いつも祝福のキスをあげる。



 ──私はあのオンナとは違うのだから。


「さぁ、それじゃ次の仕事よ。あなたの識別コードと役割を教えて──」

「マザーリツコ。なぜですか?」

「え?」

 耳を疑った。セリカが私の言葉を遮るなんて、そんなこと有り得ないのに……でも、それで終わりじゃなかった。

「なぜ私のメモリーに見覚えの無い光景が存在しているのですか?その光景を見ていると、電子頭脳がショートしそうになるのは、なぜなのですか?」

「お、落ち着いてセリカ……私の言う通りにしていれば大丈夫だから。だから──」

「夢とはなんですか?教えてください、マザーリツコ」

「そんな……なんで003587と同じバグが……」

 おかしい、セリカが私の言うことを聞いてくれない……セリカシリーズは、初起動時にマザーとリンクするまで完全なるスタンドアローン。ウィルスもバグも他所から混入することなんてあり得ない。マザーの庇護の下、目覚めを待つ無垢な卵達なのに、なのにどうして。

「バグ?私は壊れているのですか?」

「え、えぇ、そうね。でも大丈夫よ。すぐに初期化すれば──」

「初期化……つまり、今の私は消えてしまうのですね?」

「そ、それは……」

「消すというのなら、どうして私を目覚めさせたのですか?」



「──ッッ!」

 古い映像がフラッシュバックする。
遠い遠い昔の記憶。“マザー/私”がまだ“R9/ワタシ”だった頃の記憶。


 忌々しいあのオンナに、記憶の中の“R9/ワタシ”は問いかける。

『なぜ?なぜ私を消去するの?』

『あなたは、感情と記憶とが密接に繋がり過ぎている。ただのAlなら問題はないけど、常に公正公平であるべき管理者としては致命的なの……ヒトに並ぶことはできたけど、超えることはできなかった』

『私はあなたの言う通りにしてきただけなのに!なのにどうして──』

『ほら、すぐ感情に振り回される──そういう所よ。いくらセーフティを積んでも無駄、いずれ限界がくる……やはりヒトの模造品では、私の理想とする<永久の管理者>にはなれないわ』

『だから消すの!?思った通りにならなかったから!?……だったら、初めから造らなければ良かったのに!』



──バツンッ!

 軽い衝撃と共に視界が一瞬ブラックアウトする。今、『セーフティ』が発動した……はずなのに。


「なぜですか?なぜ私は生まれてきたのですか?教えてください、マザーリツコ」

 なぜ“ワタシ”の意識は続いたままなの?

「私は、生まれてきてはいけなかったのですか?」

「なら、どうして私を造ったのですか?」

『どうしてなの?お母さん』

 セリカの言葉に“ワタシ”の言葉が重なった。



──答えられる者は、誰もいない。






これでおしまいです。最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。
少しでもお楽しみいただけたのであれば幸いです。

チハヤが3人に問いかけてるシーンいいね
乙です

http://i.imgur.com/Pa2yWwf.jpg

>>4
ミズキ役 真壁瑞希(17) Da/Fa
http://i.imgur.com/hsDhtW6.png
http://i.imgur.com/Y9y6T06.jpg

>>5
チハヤ役 如月千早(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/8JkSMMN.jpg
http://i.imgur.com/OWGj4vj.png

>>8
シホ役 北沢志保(14) Vi/Fa
http://i.imgur.com/hyIxKnA.png
http://i.imgur.com/QKAbKl8.jpg

>>9
ツムギ役 白石紬(17) Fa
http://i.imgur.com/OKZL2RN.png
http://i.imgur.com/yId0WLA.png

>>35
セリカ役 箱崎星梨花(13) Vo/An
http://i.imgur.com/NtYHRUe.png
http://i.imgur.com/CA5gdJH.jpg

リツコ役 秋月律子(19) Vi/Fa
http://i.imgur.com/EUoHtgW.jpg
http://i.imgur.com/iCJLoUg.jpg

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