なーちゃんがおかしくなってしまったのは、
一か月前の交通事故があってからでした。
交差点で車にはねられたなーちゃんは、
奇跡的に一命をとりとめました。
だけど、頭を強く打ったせいでプロデューサーさんのことを
甜花だと思いこむようになりました。
甜花にとってそれはとってもつらいことでした。
だから、甜花の役目は、変になったなーちゃんを
もとのなーちゃんに戻すことでした。
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甜花は、なーちゃんのために、いろんなことをしました。
例えば、
①なーちゃんのほっぺたを抓る
②なーちゃんの頭をたたく
③なーちゃんに抱き着く
④布団にもぐりこんでみる
だけど、どれもうまくはいきませんでした。
なーちゃんは、相変わらずプロデューサーさんを
甜花だと勘違いしたまま過ごしていました。
だからこそ、甜花は困り果ててしまいました。
どうすれば、なーちゃんは元に戻ってくれるだろう?
なーちゃんは事故のせいで、性格も変わってしまいました。
もとから甜花のことを人一倍心配してくれたなーちゃんは、
プロデューサーさんが自分から離れることを、とっても嫌がるようになりました。
それに、プロデューサーさんが自分以外の誰かと話していると、
きまって不機嫌そうな顔をするようになりました。
なーちゃんは甘えん坊さんになってしまったみたいで、
「甜花ちゃんはずっと甘奈といっしょにいなくちゃダメ」
というのがなーちゃんの口癖になりました。
「……なーちゃんは心配性だなあ」と甜花はおもいました。
だけど、なーちゃんのいう「甜花」はプロデューサーさんのことなので、
なーちゃんと手をつなぐプロデューサーさんはいつも困っていました。
なーちゃんは、事故の後、病院でめをさましてすぐに、
ベッドの隣に立つプロデューサーさんをみて
「甜花ちゃん!」と言って抱きつきました。
プロデューサーさんは、そんななーちゃんに
何度も「自分はプロデューサーだよ」と説明をしていました。
それをそばで見ていた甜花は、
本当の甜花はここにいるのに、とおもいました。
でもなーちゃんにとって、プロデューサーさんこそが
本当の甜花だったのです。
病院を退院したあと、なーちゃんは、ますますおかしくなりました。
夜になって隣に"甜花"がいないとベッドの上で泣きさけんだり、
お父さんとお母さんに部屋にあるモノを投げつけたり、
そういうことをするようになりました。
それから、なーちゃんは、思うように眠れなくなってしまいました。
なーちゃんは「不眠症」になってしまったのです。
なので、甜花は夜になるとなーちゃんの部屋に行って、
ベッドでいっしょに寝てあげるようになりました。
名前を呼んでも、なーちゃんは気づいてくれないので、
甜花はそっと後ろからだきしめてあげました。
甜花はなーちゃんのお姉ちゃんなので、
子供のころは、よくこうやってふたりで寝ていました。
それを思い出して甜花はすこしだけ笑いました。
でもその声がなーちゃんに聞こえないのは、
ちょっぴりさみしいなと思いました。
背中越しに、甜花は「なーちゃん」と呼びました。
返事はなかったけど、ひとりごとだと思って、
だいすきだよと言ってあげました。
いつもより悲しそうな、なーちゃんの声を聴いて、甜花は瞼を閉じました。
どうか、なーちゃんが元のなーちゃんに戻りますように。
甜花は祈るように、眠りにつきました。
だけど、日に日になーちゃんの容態は悪化していきました。
そんなありさまを伝えられたプロデューサーさんは、
なーちゃんと自分が一緒に暮らすことを提案しました。
最初は渋っていたお父さんも、なーちゃんが
プロデューサーさんのことを「甜花ちゃん」と呼ぶのを見て
ついにはなーちゃんのわがままを許してしまいました。
甜花は「ほんとうにいいの?」と言いましたが、
お父さんもお母さんも返事はしてくれませんでした。
もしかすると、ふたりとも、甜花が思うよりもずっと
今の生活に疲れてしまっていたのかもしれません。
隣にいる甜花には目をくれずに、
次の日にはなーちゃんを乗せた車は、
プロデューサーさんの家へと走り去っていきました。
なーちゃんが行ってしまった後、
「どうしてこんなことになっちゃったのかな」
そう言って、お母さんは泣きくずれてしまいました。
「あの事故さえなければ」とお父さんは言いました。
そうだね、と甜花はうなずきました。
なーちゃんがああなっちゃったのも、
きっとあんな事故があったせいなんだよね、
甜花はそうやってふたりに声をかけてあげようとしました。
「……甜花が生きていてくれたら、どんなに良かったか」
お父さんはそういってお母さんを寝室につれていきました。
甜花は、なにもいわないで、リビングに飾られた額縁を眺めました。
写真の中に収められた甜花は、今よりもずっと、とびきりの笑顔でいたのです。
そうして、ひとりぼっちになった部屋の真ん中で、
誰にも聞こえない声で「そうだね」と甜花はつぶやきました。
つづきます。
次に目をさましたのは、病院のなかで、
なーちゃんの泣く声をきいたときでした。
病室には、窓際に花束がそえられていて、
ベッドの隣に置かれた椅子に、甜花はすわっていました。
たくさんの涙をながしているなーちゃんに
甜花は「なーちゃん」と声を掛けました。
それなのに、なーちゃんからは、返事のひとつもありませんでした。
それから、壁に立てられた鏡をみて、甜花は思わず声をあげました。
そこには、なんと、甜花の向こう側の空が透けて映っていたのです。
そこで初めて、甜花は、自分がゆうれいになったことを知ったのです。
甜花はもう一度、「なーちゃん」と呼びました。
だけど、なーちゃんはずっと泣いているだけでした。
これは後で知ったことですが、
なーちゃんをつきとばした甜花は、
なーちゃんのかわりに、ぐちゃぐちゃの身体に
なっていたそうです。
打ちどころが悪かったのかもしれません、
とにかく“悲惨な光景”だったとききました。
でも、甜花はそれを聞いたとき「よかった」と思いました。
なーちゃんが生きていてくれるなら、それで甜花はよかったのです。
甜花はもうなーちゃんとおしゃべりもできないけど、
それなのに、こうしてなーちゃんの隣でもう一度すごせることが、
甜花にはとってもうれしかったのです。
「おじゃま、しまぁす……」
甜花は、おそるおそる事務所のなかへと入ります。
見つかったら誰かにおこられるかも、
なんてことが頭によぎりましたが、
幸いなことに今の甜花はゆうれいなので、
そんな心配をする必要もありませんでした。
これは意外にも、べんりな身体なのかもしれません。
……なーんて。にへへ。
さて、気を取り直して事務所をのぞいた甜花は、
おもわず声をもらしてしまいます。
しかし、それは予想通りといったところで、
かつて事務所だった場所はすでに人気もなく、
閑散とした状態になっていました。
ソファも、テレビも、プロデューサーさんの机も、
そこはなにひとつなくなってしまった、もぬけの殻でした。
「どうして……こんなことに?」
暗がりのなかで、甜花は途方に暮れてしまいます。
もしかすると、知らないうちに283プロダクションは
なくなってしまったのかもしれません。
しかし、それは無理もありませんでした。
「あんなこと」が起きた後で、アイドル事務所を続けるのは、
とてもたいへんなことに違いないと、甜花は少なからず勘付いていたからです。
「これから、どうしよう……」
甜花はすぐさま途方に暮れてしまいます。
頼みの綱だと考えていた事務所ですらも、
今はこのような有様になっていたのですから、
それは無理もありませんでした。
だけど、なーちゃんを助けるためには、
どうしても、千雪さんと出会わなければなりませんでした。
甜花ひとりでは、もうどうすることもできないと、
それを知っていたからこそ、この場所に望みを賭けるしかなかったのです。
「……千雪さんに、会わなくちゃ」
そのとき、甜花はちいさな決心をします。
この場所で、ずっと待っていようとしたのは、
ただ、闇雲に探し回るよりも良いはずだと思ったからでした。
それが、本当にただしいのかは分かりませんでしたが、
今の甜花には、これしか出来ることがなかったのです。
その日から、もう誰もいなくなった事務所の中で、
甜花は、たったひとりで待ち続けることにしました。
他に、なんにもやることがない中で、
窓から鳩が飛び立って行く様子を眺めたり、
植木鉢に咲いたお花に話しかけたりするのは、
不思議とこころが安らいでいくようでした。
それからしばらくの間、甜花はひとりで過ごし続けました。
……それは、途方もなく長い時間にも感じました。
ですが、晴れの日も、雨の日も、
甜花は辛抱強く、待ち続けたのです。
ただ、暗い事務所で眠りにつくのは、
なぜだか、とても寂しい気持ちになりました。
そんな時は、なーちゃんや、千雪さんや、
みんなのことを思いながら、まぶたを閉じました。
そしたら、すぐに楽しかった思い出が溢れだしてきて、
その気持ちだけで、甜花はすやすやと眠ることが出来ました。
その日、甜花は夢を見ました。
それは、なーちゃんと、千雪さんと一緒に、
プロデューサーさんの車で、海へと遊びに行く夢でした。
帰り際になって、夕日を見つめるなーちゃんが、
ふいに甜花の手を取るので、
甜花は「どうしたの?」と訊きました。
「甘奈ね、今日はずっと胸がいっぱいだったの」
「なーちゃん……いいこと、あった?」
「うんっ! こんな場所でたくさん思い出を作れるなんて、
なんかすっごく幸せだなあって思ってさー」
「にへへ。……甜花も、しあわせだよ」
「甜花ちゃんも?」
「うん。また、みんなで来れたらいいね」
「……そうだね。またこんな風に、みんなで一緒に――」
窓から差し込むきれいな朝焼けに目を覚ました甜花は、
いつの間にか、じぶんが眠っていたことに気が付きます。
そして、どうしてか、瞳からは一滴の涙がこぼれていました。
「どんな夢を見てたんだろう?」甜花は首をかしげます。
けれど、夢の内容を思い出すことは出来ませんでした。
それなのに、胸の内はずっとしあわせに溢れていて、
たったそれだけのことでさえも、今の甜花には十分だとおもいました。
さて、すっかり目を覚ました後に、
今日はどんなことをして過ごそうかと、
甜花はあたまを悩まします。
こんなことなら、ゲームのひとつでも持ってくればよかったと、
少しだけ後悔を覚えました。
デビ太郎のぬいぐるみを握りしめて、壁に身体を預けます。
……すると、誰かの足音が耳に届いて、
甜花は思わずまぶたを開きます。
なぜなら、甜花がここに棲みついてから、
誰かがこの場所に訪れたのは初めてのことだったからです。
コツコツとヒールのような音は近づいて、扉の前で止まります。
それから足音の主は、ガチャリと扉の鍵を開きました。
びっくりしてしまったのは、
その光景がまるで嘘のように思えたから、
ただそれだけの話ではありませんでした。
スローモーションのように感じる時間の中で、
甜花はなぜだか「夢の内容」を思い出していました。
「……千雪、さん?」甜花はおもわず声をあげてしまいます。
そこにはずっと待ち焦がれていた人がいたのです。
甜花は、こらえ切れず、もう一度その名前を呼びます。
それから甜花は、千雪さんの家で寝泊りすることになりました。
作戦を考えるにしても、ふたりが一緒のほうがいいと
千雪さんが言ってくれたので、その言葉に甘えることにしました。
たいていの日は、千雪さんが仕事から帰ってきてから、
甜花たちはなーちゃんを元に戻す方法を考えあいました。
「デビ太郎で、なーちゃんをびっくりさせるのは……どう、かな」
「ええと。それはどうやって?」
「こうやって、なーちゃんの目の前に飛び出させて驚かせるの……」
「だけど甘奈ちゃんには甜花ちゃんの姿が見えないんじゃ……」
「あっ……」
作戦会議はなかなかうまくはいきませんでした。
だけど、甜花が何かを提案するたびに
千雪さんは嬉しそうに笑ってくれました。
そんなある日、甜花はテレビでとある特集を目にしました。
それは「催眠療法」とよばれる治療法についてでした。
「催眠療法?」
早速、家に帰ってきた千雪さんにそのことを報告すると、
千雪さんはパジャマに着替えながら首を傾げていました。
「うん。……その治療を受けるとね、
つらいことや、いやなことを忘れることが出来るんだって」
「へーえ。それ、甘奈ちゃんにも効果あるのかな?」
「わからない……けど、甜花すこし気になって」
ぐっと胸の前で握りこぶしをつくった甜花を見て
千雪さんは「そうね」と頷きました。
「それじゃあ今度の週末にプロデューサーさんの所に、
この話をしに行きましょうか」
「……いいの?」
「ええ。もちろん」と千雪さんは笑いました。
週末に入ると、千雪さんと甜花は
プロデューサーさんの家に訪れることにしました。
「プロデューサーさんは、今は甘奈ちゃんと一緒に住んでいるのよね」
デパートでお土産に買ったドーナツを片手に、
甜花たちは歩道橋を歩いていきます。
「うん。なーちゃんの具合がすごく悪くなって、それで……」
「そう。……でも、そういう人よね。あの人って」
すこしだけさみしそうな顔で、千雪さんは笑っていました。
「千雪さんが、プロデューサーさんに
最後に会ったのは……いつ、なの?」
道中、甜花はそんなことを千雪さんに聞きました。
けれど千雪さんは「そうねえ」と言ったきり、
なにかを思い出すように空を見上げていました。
「……もう、ずいぶん長い間会っていない気がするけど」
「千雪さんは……会いたく、なかった?」
「どうして?」
「あう……。そんな顔をしてた、から」
「ふふ、どうだろうね。……だけど、
今更どんな顔して会えばいいか、わかんないだけなのかなあ」
千雪さんはそう言って、右手で胸をおさえました。
「もう、ずいぶん昔に置いてきたはずなんだけどね……」
つぶやくようなその言葉を、甜花は聞き返すことはしませんでした。
しばらくして、目的地に着いた甜花たちは、
インターホンを鳴らして、家主を呼び出すことにしました。
すぐに扉から出てきたプロデューサーさんと対面したとき、
千雪さんはどこか緊張していたように思いました。
甜花はとたんに居心地が悪くなって、
そのままプロデューサーさんの方を見つめました。
ただ、やっぱりプロデューサーさんにも甜花が
そばにいることはわからないようでした。
それから、プロデューサーさんの家で
千雪さんはこれまでの経緯を話し始めました。
甜花についての話をしたときばかりは、
プロデューサーさんもとても驚いていました。
それでもプロデューサーさんは、千雪さんの話を
最後まで信じてくれようとしていました。
そして、なーちゃんへの催眠療法についても、
快く賛同してくれました。
話を聞けば、プロデューサーさん自身も、
これから街はずれの精神科医のところに
なーちゃんを連れていくと言うのです。
実をいうと、なーちゃんの容態は
かなり悪くなっていたそうで、
プロデューサーさんも千雪さんからの連絡を受けて
すぐに病院を探し始めたと話していました。
それからプロデューサーさんは、
「もしよかったら一緒に付いてきてほしい」
と甜花たちに頭を下げました。
もちろん、甜花たちも初めからそのつもりでいました。
後部座席に乗せられたなーちゃんは、
ずいぶんとやつれた姿でいました。
「今は薬で眠っているんだ」
とプロデューサーさんは言いました。
いまだに、なーちゃんの不眠症は治っていませんでした。
それから甜花もなーちゃんの隣に座ると、
しばらくの間じっとその顔を眺めていました。
なーちゃんは時折、甜花の名前をつぶやいていました。
そのたびに甜花は「どうしたの」と笑みを浮かべました。
病院に着いたのは、ちょうど一時間ほど経ってからでした。
車から降りたあと、プロデューサーさんと千雪さんは、
すぐになーちゃんを病室にへと運んでいました。
そのあと、プロデューサーさんは
なーちゃんの様態についてお医者さんと
話をしていました。
それからは、なーちゃんの診断が始まりました。
その間、甜花たちはロビーで待たされることになりました。
診断が終わったのは、日が暮れる頃でした。
プロデューサーさんと一緒にやってきたお医者さんは、
千雪さんも含めて病室に招き入れました。
カルテを眺めながら、白衣を着たその人は、
こちらを一瞥しました。
「結論から言うと、大崎さんの心の病を直すことはできます」
その言葉に甜花たちは歓喜しました。
なーちゃんが元に戻る、それは途方もない道のりに思えました。
しかしお医者さんは「ただし」と付け加えました。
「催眠療法は完全な治療ではなく、あくまで効果的な方法のひとつにすぎません。
なにかのきっかけに、閉じ込めた記憶を思い出す可能性だってあります」
「思い出す?」と千雪さんは答えました。
「はい。つまり、この治療では大崎さんの中に潜む記憶を、
全く別の記憶に置き換えてしまうということになります」
「それは……?」
「つまり、記憶の改ざんということです」
「具体的には、どういうことをするんでしょう」
千雪さんは不安そうに声を震わせました。
「事故の記憶を、別の記憶にすり替えるのはとても難しいです。
仮に、それができたとしても解決には至らないでしょう」
「ええ」
「つまり……今回の問題は、彼女のお姉さんが亡くなったことに他なりません」
お医者さんは少しばつが悪そうな顔で、甜花たちの顔を見つめました。
「私の提案は――彼女には初めから姉がいなかった、
という記憶に塗り替えるということです」
それからのお医者さんの説明は、
どこか他人事のように聞き流していました。
つまり、なーちゃんを助けるためには、
甜花のことをひとつ残らず忘れてしまう必要があったのです。
それは甜花にとって、どれくらい辛いことだったか、
自分でもすぐには理解できませんでした。
「どうしましょうか」
診察室から出てきた千雪さんは、
とても困ったような顔で俯いていました。
プロデューサーさんもおなじです。
じっと、千雪さんの方を見つめていました。
ただ、甜花だけは、すでに覚悟を決めていたのです。
「千雪さん、……甜花ね、なーちゃんをたすけてあげたいの」
甜花がそういったとき、千雪さんは
瞳からぽろぽろと涙を溢れさせて、
それからプロデューサーさんの肩で
ずっと泣いていました。
プロデューサーさんも、なにかを察したかのように、
千雪さんのことをなぐさめていました。
それからすぐにやって来たお父さんとお母さんにも、
プロデューサーさんは事情を説明していました。
「本当にこれでよかったの?」
ソファに座っていた甜花に
千雪さんはやさしく声をかけてくれました。
「うん。甜花は、なーちゃんが元気になってくれたら。それで……」
「……そう」
千雪さんは、それ以上はなにもいわないで、
少しだけ悲しそうな顔をしていました。
「甘奈ちゃん、元気になるといいね」
うん、と甜花は一度だけ頷きました。
それから、なーちゃんの治療が始まりました。
強い暗示をかけるには、時間がかかるということもあり、
なーちゃんはその病院で入院することになりました。
『先ほども言った通り、暗示も完全なものではありません』
『閉じ込めた記憶は、何かのきっかけで再び記憶が蘇ることもあります』
『それを避けるためにも、亡くなったお姉さんの思い出はすべて――』
甜花は、きっと、この瞬間のために、
再びなーちゃんのところに現れることができたのでしょう。
月明かりの差し込む病室で、なーちゃんの寝顔を見つめていた甜花は
そのほっぺたにふれて、それから一度だけキスをしました。
「……にへへ。さよなら、なーちゃん」
甜花の声は、さみしく響き渡りました。
そうして、なーちゃんは、元のなーちゃんに戻ることができました。
「お父さん。荷物は、この段ボールに詰めればいいの?」
「ああ。引っ越しのトラックは明日来るからな」
「はーい」
なーちゃんが、いそいそと自分の荷物を
段ボールに詰めている様子を、
甜花はベッドの上で眺めていました。
あの後、この街を出ることになったのは、
お父さんとお母さんが決めたことでした。
きっと、甜花との記憶を思い出させないために
それは必要なことだったのでしょう。
また、甜花に関わるものをすべて捨ててしまったのも、
ふたりで話し合った結果でした。
ふたりとも、その時はとても悲しそうに泣いていました。
なーちゃんが元気になった後、
プロデューサーさんは何事もなかったかのように
なーちゃんを大崎家に送り届けてくれました。
お父さんもお母さんもプロデューサーさんに
本当に感謝していました。
千雪さんは、雑貨屋さんを続けると言っていました。
別れ際に、甜花が「もっと連絡したほうがいいよ」と言うと、
千雪さんはどこか照れくさそうにしていました。
甜花は心のどこかで、ふたりの行く末を少しだけ期待していたのです。
「んー。……でも、こんなに荷物少なかったかなあ」
荷物をまとめていたなーちゃんは小首をかしげると、
そのまま部屋と飛び出ていきます。
そんな様子を見て「なーちゃん」と甜花は声をかけます。
すると、なーちゃんはこちらを一度だけ振り返ります。
「……気のせい、かな?」
それだけ言い残して、なーちゃんは部屋を去っていきました。
カーテンが風でなびいて、そのまま甜花は
なーちゃんのベッドに寝ころびました。
なーちゃんの香りを胸いっぱいに感じながら、
これでよかったと甜花は思いました。
ただ、これまでたくさん頑張ったせいで、
どうにも眠たくなってしまった甜花は
そのまま瞼を閉じます。
そうしていつの間にか、眠りに落ちてしまった甜花は
まどろみの中で夢を見ました。
その夢には、なーちゃんがいて。
なーちゃんは甜花の手を取って、
力いっぱい抱きしめてくれました。
「そしたら、甜花ちゃんが甘奈のことを治してくれたの?」
「にへへ。……甜花、なーちゃんのためにがんばった」
「甜花ちゃん……。ありがとう、本当に」
「なーちゃん、そんなにしたら甜花つぶれちゃう……」
「でも、これだけしないと伝わらないかなって思って」
「ううん。なーちゃんが甜花のことを好きなのはしってる、から」
「そっかあ。そうだよね」
「ねえ、甜花ちゃん。今度、引っ越す街はね、
海がすぐそこにみえるところなんだって」
「うん」
「千雪さんも、プロデューサーさんも誘って、
みーんなで、遊びにいきたいね」
「……うん」
「もちろん、甜花ちゃんも一緒だよ」
「甜花も?」
「当たり前でしょー? だって、甜花ちゃんは甘奈のお姉ちゃんなんだから」
「……うん。そうだね」
「甜花ちゃんのこと、絶対にわすれないから」
なーちゃんは、そういって甜花の小指に触れました。
「だから、甜花ちゃんも甘奈のことずっと忘れないでね」
「……うん。わかった」
甜花たちはひとつの約束をして、
それから、ふたりで子供みたいに笑いあいました。
夢の続きで、どんなことを話したのか、
甜花はすぐに思い出すことはできませんでした。
ただ、とても幸せな夢だったような気がするなと
甜花はただそれだけを覚えていました。
おわり
>>60
なーちゃんの様態についてお医者さん
→なーちゃんの容態についてお医者さん
ですね。。
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