「はい、フー君」
「ああ、ありがとう、二乃」
以前ホットミルクに甘みを加える際にハチミツを垂らすと彼は喜んでくれた。以来そうしている。
「採点、終わった?」
「いや、もう少しかかる」
私の部屋で自作の問題集の採点を行なっている彼に近づき、じっと見下ろすと視線に気づき。
「ん? どうかしたか?」
「足」
「足? 足がなんだって?」
「あぐらやめて、体育座りで足開いて」
「はあ? なんでわざわざ……」
「いいから、早く」
急かすと怪訝な顔をしながらも彼は私の言う通り足を開いてくれた。すかさず間に座り込む。
「お、おい、二乃……?」
「ふぅ……落ち着くわ」
慌てる彼を背もたれにして寛ぐと、呆れて。
「もう少しで採点終わるから大人しくしてろ」
「はーい、せんせ」
なんだかんだ言っても生徒のわがままを許してくれる家庭教師を座椅子にして満悦に浸った。
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「なあ、二乃」
「ん? 何?」
「お前、最近無防備過ぎないか?」
指摘の通り、私は完全に無防備だ。
五つ子の妹である三玖と口論の絶えない私は基本的に家庭教師であるフー君こと上杉風太郎が自作した問題集を自室で解いて勉強している。
週に一度、様子を見るがてらフー君が採点する際は事前に入浴を済ませて身体を隅々までキレイに洗ってから個人レッスンに備えていた。
勉強が終わればあとは寝るだけなので当然寝巻きに着替えており、下着も身に着けていない。
わざとガードの甘い胸元から素肌が彼に見えていると知りながらも、私はそれを隠さずに。
「フー君のえっち」
「バカ。揶揄うなよ」
「すっごくやらしい視線を感じたんだけど?」
まあ、だからと言って何も起こらないのだが。
「ごほん。そんなことはともかく……」
「あ、誤魔化した」
「だから、揶揄うなって言ってるだろ」
わざとらしく咳払いなんぞして私の誘惑から目を背けるお堅い家庭教師を揶揄いつつ、促す。
「それで、なに?」
「ああ、採点を待っている間、手持ち無沙汰だろうから世間話でもしようかと思ってさ」
その提案を聞き、思わず噴き出しそうになる。
きっと、現在の状況が居た堪れなかったのだ。
だから、気を紛らせようとしているのだろう。
「いいわよ、どうせ暇だし」
そこまで察して私はその提案に乗ってあげた。
「一説によると、お前たちのような五つ子が産まれる確率は5500万分の1の確率らしいぞ」
「へえ~調べたんだ?」
「ああ、まあな。あんまり驚かないんだな?」
「まあ、知ってたし」
「そ、そうか……」
他ならぬ自分たちのことだ。当然知っている。
とはいえ、5500万分の1の確率と言われても頭の悪い私にはいまいちピンと来ないので。
「少し古い記録だけど、平成4年の時点で日本には五つ子が25組以上存在するらしいわね」
「意外と多いな」
「所詮確率なんてあてにならないってことよ」
5500万分の1と言うとなかなかお目にかかれないように感じられるが国内に25組以上存在すると言われるとさほど珍しくも感じられず、なんだか身近なことのように思えるのが不思議だ。
「最近な、もしも自分が五つ子だったらどうなっていただろうと、たまに考える時がある」
「フー君が五つ子だったら?」
「長男がそのままの俺として、やんちゃな次男、内向的な三男、天然な四男、真面目な五男だったら、なかなか愉快だと思わないか?」
想像して、思わず笑みが溢れる。
様々な上杉風太郎。それは実に楽しそうだ。
きっと私はやんちゃな次男に恋をするだろう。
けれど、やはり、最終的には。
「何人居ようが、私はあなたを好きになるわ」
「っ……」
そう確信を持って告げると問題集を採点していた彼の手が止まったので、自分の手を重ねる。
「好きよ、風太郎。私はあなたが好き」
今更、好意を伝えることに躊躇いはない。
口にすると、気持ちが高揚するのがわかる。
それで彼を困らせたとしても、止まらない。
「黙ってないで、何か言いなさいよ」
「な、何かって、なんだよ」
「好意を抱いて頂き光栄です、みたいな?」
「お前はいったい何様なんだよ」
私は恋する乙女様だ。文句なんて言わせない。
「ほら、さっさと採点して」
「お、おう……」
「ちなみに今の告白は何点?」
「点数なんて……付けられるわけないだろ」
その返答で満たされる私は単純なのだろう。
それでも良かった。すこぶる、気分が良い。
だから後頭部をグリグリ彼の胸に擦り付けた。
「……良い匂いがする」
「バカ……嗅がないでよ、変態」
「す、すまん……」
「……シャンプーを変えてみたのよ」
「ああ、道理で……」
「他の姉妹とは香りが違うでしょ?」
「他の奴らの香りなんてわからん」
おかしな会話。それがいい。それが好きだ。
「採点、終わったぞ」
「どうだった?」
「まずまずだ」
「良くなってるってことよね?」
「まあ、そうとも言えるな」
「だったら、存分に褒めなさいな」
そう要求すると、彼はやや躊躇いつつ頭に手を乗せ、おずおずと優しく撫でながら褒めてくれた。
「よくやった、二乃」
「ふひひ……」
「その笑い方はやめろ」
本気で嬉しい時はついつい下品になるものだ。
姉妹たちの前では見せられない、緩んだ表情。
たまにはこうして浮かれるのも悪くないよね。
「しかし、前回と同じ間違いがあったぞ」
「どうせまた引っかけ問題でしょ?」
「人のことは騙す癖に騙され易いとはな」
「フー君が意地悪なのが悪いのよ」
「俺より意地悪な教師なんて山ほど居るぞ」
「ふんだ。どうせ私はチョロい女よ」
そんな風に拗ねて見せると、真に受けた彼はバツの悪そうに頭を掻いて困っているようだ。
「そういうつもりで言ったわけじゃ……」
「私はチョロいから悪い男に引っかったのよ」
「わ、悪い男って……」
「だから、もっと悪戯してもいいのよ?」
お堅い彼を悪の道に堕とすべく、誘惑するも。
「そんな無責任なこと出来るわけないだろう」
結局、彼は鉄壁でありそのガードは崩せない。
「そう、それならこっちにも考えがあるわ」
「な、何をするつもりだ……?」
ゴクリと彼が生唾を飲み私は舌舐めずりする。
さて、どうしたものか。何が一番効くだろう。
直接的な誘惑はNG。ならば間接的に仕掛ける。
「私は今日、同じ間違いをしたのよね?」
「ああ、そうだが、それがどうした?」
「だったら、きちんと叱るべきじゃないの?」
「はあ?」
「もう二度間違わないように、厳しく叱って」
そう促すも、彼は乗り気ではないらしく。
「いや、経験上、あまりガミガミ言ってもお前には逆効果だろうと思ったんだが……」
「そんなことないわ」
「だが、叱られるのは嫌だろう?」
たしかに、昔の私なら反発していただろう。
しかし、今の私は違う。むしろ望むところだ。
相手がフー君ならば、何をされたっていい。
「フー君」
「なんだ?」
「ちょっと私の首を絞めてみて」
「待て。いきなり過ぎて意味がわからない」
おっと。私としたことが。自重しなくては。
「じゃあ、ほっぺをビンタしなさい」
「嫌だ」
「なんでよ」
「叩きたくないからだ」
「だから、なんでよ」
「暴力は教育に不必要だからだ」
きっぱりと彼は私は提案を拒否した。
昨今、体罰は教育現場においてご法度だ。
コンプライアンス云々というよりは彼自身の信念めいたものを感じて、私はやむなく諦めた。
「じゃあ、どうやって叱るのよ」
「口でわからせる」
「く、口で……?」
思わず彼の唇を見つめて自らのそれに触れる。
そんなわからせ方があるなんて。是非欲しい。
たっぷり舐って、私にわからせて欲しかった。
「何のために人間に口が付いてると思ってる」
「そ、それはもちろん、キs……」
「人間は言葉で意思疎通可能な生物だ」
「……は?」
「だから、教育者は言葉で指導するべきだ」
「……フー君のバカ」
「こ、言葉が通じない、だと……?」
どうやら私と彼の言語は違っているらしい。
「はあ~あ。馬鹿馬鹿しい。もう嫌になるわ」
「ど、どうして俺は失望されてしまったんだ」
「あーもう! うだうだうるさい男ね! もうお尻ペンペンでもいいから早く叱りなさいよ!」
投げやりにそんな古典的な折檻を口にすると。
「その手があったか!」
「へ?」
「お尻ペンペンなら体罰にはならない」
「そ、そうなの……?」
「ああ、尻は人体でもっとも鈍感だからな!」
その解釈はいろいろ間違っていると思うけど。
「ほら、二乃。さっさと尻を出せ」
「あの、先生? ちょっと落ち着いて……」
「いいから早く尻を出せっ!!」
「は、はいっ!」
あまりの剣幕にたじろぎつつお尻を露出する。
「ふむ……」
「ジ、ジロジロ見ないでよ……」
「120点!!」
「なにひとのお尻に点数付けてんのよ!?」
愛の告白には点数を付けられないのに、お尻を見た瞬間に点数を付けられたことに憤っていると。
「どれ……叩き心地はどうだろうか?」
スパァンッ!
「ひぐっ!?」
「フハッ!」
いきなりしばかれ、しかも嗤われてしまった。
「ちょっと! フー君!?」
「ん? どうした、二乃。何を怒っている?」
「今の嗤い方やめて!」
「え? 俺、嗤ってたか?」
「嗤っていたわよ、思いっきり!」
「はて、さっぱり覚えがないな」
堪らず抗議すると、フー君はすっとぼけて。
「まだまだいくぞ、二乃!」
スパァンッ! スパァンッ!
「んにゃっ!?」
「フハハッ!!」
調子に乗った彼に、私はしばきまくられた。
パパンッ! スパァン! パパパパパパンッ!
「ちょっ……やめ……もう、やだぁ……っ!?」
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
止まらない止められない。暴走してしまった。
「おやぁ? こんなところに穴がひとつ……」
「んあっ!? せ、せんせえ! らめぇ!?」
「うむ! 満点だ! 満天の星空だぞ、二乃!!」
「らめええええええええええええっ!?!!」
ちょろろろろろろろろろろろろろろろろんっ!
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
天国のお母さん。二乃はお星様になりました。
「ほんっと、最低」
「だから悪かったって」
「あんたみたいな糞野郎、見たことないわ」
「ああ、すっかり昔の毒舌に戻っちまった……」
事後、汚れた私たちはお風呂で身体を清めた。
汚した張本人である彼はあの後すぐに我に返ったらしく土下座して許しを乞うので、目隠しをした上で罪滅ぼしに私の身体を洗わせている。
「あんたがあんな男だとは思わなかったわ」
「面目ない。つい、我を忘れちまってさ……」
彼は我を忘れたらしい。そのことを追求する。
「ふーん? そんなに私に夢中だったわけ?」
「正確には、お前の尻に夢中だった」
「余計なことは言わないの」
「はい……すみませんでした」
懲りない男だ。これは躾が必要だと判断した。
「これから採点の日は一緒に入浴するわよ」
「は?」
「今度は私が採点する番だから」
「さ、採点って、何を……?」
「もちろん、フー君のお尻をよ」
そんな結論ならぬケツ論に行き着く私はやはりチョロいのかも知れないが、やむを得まい。
「好きな男のお尻を愛でるのは当然でしょ?」
「はっ……何も返す言葉がねえよ」
どんな汚いことからも目を背けず、その全てを愛しいと思えることが、愛の証明なのだから。
【教育者の信念】
FIN
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