蟲柱の想い人 (51)
「第一回、蝶屋敷会議を始めます」
「は?え?ちょ…は?」
呼ばれて部屋に入ると、カナヲがそう宣言して謎の会議が始まった。
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「許さない…許さない…許さない…」
「あの野郎…畜生…畜生…」
恨みのこもった言葉をぶつぶつと呟いているのは我妻善逸さん。そして震える拳を握りしめているのは、嘴平伊之助さんだ。この二人と、カナヲがただならぬ様子で座っている。どうやら深刻な事態のようだ。特に普段は気に入らないことがあると暴れ散らかしている伊之助さんが座っているところを見ると、事態は一刻の猶予を争うものだとわかる。
「一体何があったの!?」
「師範に…」
「しのぶ様に!?」
「…くっ」
どうやら内容はこの屋敷の主人、胡蝶しのぶ様に関することらしい。一体何があったのだろう。しのぶ様と言えば言わずと知れた柱。鬼殺隊の中でも最高戦力とされる一人だ。そんな人が窮地に陥っているというのか。カナヲの目には悔しさで涙が滲んでいる。しのぶ様だけでなく、カナヲの心にまでここまでの傷を負わせるなんて…許せない。涙で話せないカナヲに代わって、善逸さんが口を開く。
「男が…できた…」
「は?」
何を言っているのだろうこの男は。事態は一刻を争うのではなかったのだろうか。
「だから!しのぶさんに好きな男ができたの!」
「聞こえた上での『は?』なんですよ!」
さっきまでの重苦しい雰囲気は何だったのだろう。私の緊張を返してほしい。
「おい、アオコ、落ち着け」
「落ち着いてます!というかアオイです!」
「アオイ、いい加減にして。私たちは真面目な話をしてるんだよ」
「え?これ私が間違えてるの?」
絶対に納得がいかない。おかしいのは絶対にこの三人の方だ。
「そもそもどうしてしのぶ様にお相手ができたらダメなのよ」
確かに驚いてはいる。しのぶ様の性格的に、本懐を遂げるまでは…姉の仇を討つまでは、そういった色恋にかまける時間などないとばかりに多忙な日々を送っていたからだ。けれど、彼女は柱である前に十八歳の乙女なのだ。こんな世の中でなければ恋の一つもしていてもおかしくない。いつぞや善逸さんも言っていたが、あの美貌なら引く手数多だろう。もしも本当に想い人がいるのであれば、それは好ましいことではないだろうか。
「師範にはまだ早い」
「いや、カナヲの方が歳下でしょうが!」
思わず大きな声を出してしまった。
「師範に恋愛はまだ早い…まだまだ私は手がかかる」
「…それ自分で言ってて恥ずかしくないの?」
「いやだ…師範を取られたくない…」
炭治郎さんたちに出会ってから、カナヲは自分の思いを口に出せるようになってきた。しかし、まさかため込んできた感情がこんなものだとは思いもしなかった。
「そうだそうだ!しのぶは俺たちの世話で忙しいんだ!」
「あなたが言うな!」
とは言うものの伊之助さんの言うことは少しわかる。山で育ったという彼はしのぶ様をどこか母親のように思っている節がある。心情的には大好きな母親を他の男に取られるのと同じなのだろう。やっと与えられた母性を失いたくないのだ。
「俺はあんな美人といちゃいちゃできる男は大っ嫌いだ!」
「…」
もはや言葉もでない。この人に関しては今私がここで斬り捨てても問題無いのではなかろうか。
「モテる男は全員敵だ!」
「善逸、もう黙って」
「あ、うん…」
善逸さんがカナヲに黙らさせられる。どうやら一枚岩ではないらしい。
「とにかく、私たちは認めない」
「認めないって言ったって…そもそも相手は誰なのよ?」
しのぶ様とは長く一緒にいる。今でも任務にはついて行けないが、治療や生薬の買い付けなどには一緒に赴くこともある。そんな私でさえ相手が誰かわからない。そもそも本当に相手などいるのだろうか。
「半々羽織だ!」
「え?」
確かに柱の中では水柱様と関わることは多い。二人が並び立っていると、互いの顔の良さも相まって本当に画になる。柱同士では異例の合同任務も多く、実際あまり関わりのない隊士の間ではお似合いだと噂にもなっているらしい。けれど…
「水柱様としのぶ様はそんな間柄ではありませんよ?しのぶ様がからかっているだけで…」
そう、水柱こと冨岡義勇さんは極度の口下手、というかコミュニケーションが致命的に苦手である。しのぶ様はそんな水柱様をからかって遊んでいるのが真実である。
「私もそう思っていた…油断した…」
「クソっ…」
しかし、二人の様子を見ると一般隊士が噂をしているのとはわけが違うようだ。
「何か証拠でもあるんですか?」
思わず私はそう聞いた。すると、善逸さんから返事が返ってくる。
「まず第一に距離が近い!」
「はぁ…」
「はぁ…じゃないですよ!特に顔!顔が近いの!あれはもう接吻する距離ですよ!?」
呆れた声は出てしまったけれど、確かに二人が話をする時の距離は近い。しかし、それは身長差のある二人が話をするために水柱様が屈んでくださっているだけだと、以前しのぶ様から伺ったけれど…
「それだけじゃない…もっと…もっと大変なことが…」
「そうだ!紋逸のなんて目じゃないのがあるぜ!」
「どんなことですか?」
もうこれは全部聞いてから否定した方が早そうだ。
「しのぶは俺たちを治療してくれるだろ!その時に…その時に…半々羽織にはまじないを言うんだ!」
「まじない?」
大正の世になってまじないを信じている人などいるのだろう。と、鬼の存在を知っている自分が言うのもおかしな話だが、自分以上にしのぶはそういった呪いの類を信じていなかったはずだが…
「『痛いの痛いの飛んでいけ~♪』って…楽しそうに…」
「…」
本当に帰りたくなってきた。二十を超えた成人男性にそんなことをするのはからかい以外の何ものでもないだろう。
「俺知ってんだ!このまじないは今まで俺とカナヲにしかしなかったんだ!」
「師範は大好きな人にしかこのおまじないをしない…」
「その自信はどこからくるんですか!?」
あなたたちがしのぶ様のこと好きなだけですよね。そんな言葉をグッと飲み込む。
「とにかく、そんなことだけでは好きだの嫌いだのわかりませんよ」
「とっておきのが…ある…」
とっておく意味がわからないが、カナヲの話だけ聞いて終わりにしよう。これでも私は忙しいのだ。
「そ、その…あの…く、薬を…」
「ん?」
満を辞して話し始めたわりになぜか言い淀む。どうしたと言うのだろう。
「あの…塗る、時に…」
「あ、わかった!」
「薬塗る時だろ!?わかる!やらしーんだよな!」
「は?」
私以外の二人は意味がわかったらしい。
「薬塗る時によぉ、半々羽織の時は絶対にしのぶが塗るんだよ!」
「その時の雰囲気がもう…なんか凄いんですよ!しのぶさんの目線というか、手つきというか、色気というか…あれはもう事…」
「師範はそんなことしない!」
なるほど言いたいことはなんとなくわかった。何度も言うが柱は鬼殺隊の最高戦力。そんな柱の治療には治療の最高責任者であるしのぶ様が当たるのが常なのだが、こういう誤解が生じるのならばこれからは考えた方が良いのかもしれない。
「師範はいやらしいことなんてしないし、厠にも行かない!師範の赤ちゃんはコウノトリさんが運んでくる!適当なことを言うな!」
「ぎゃぁぁぁぁあ!?な、なんで俺ばっかり!?」
いけない、カナヲが暴走している。止めるために腰を浮かせかけたその時…
「いい加減にしないか!」
最後の一人、竈門炭治郎さんが入ってきた。
「任務が終わっておみまいに来たら、この部屋にって案内されて、途中から話を聞いていたけどなんだこれは!?」
返す言葉もない。任務終わりでお疲れのところにこんなゴタゴタに巻き込んでしまって申し訳ない。
「けど、炭治郎…師範が…」
「カナヲ…カナヲにとってしのぶさんはとても大切な人じゃなかったのか?どうして、その大切な人に好きな人ができるのを邪魔したいんだ?」
「うっ…」
答えられないのも無理はない。正直に『子供じみた嫉妬です』なんて、言えるわけがないのだから。それも、カナヲが炭治郎さん相手に…
「けどよぉ!権八郎!あの半々羽織の野朗は…」
「あぁ…そうか…伊之助にはわからないか…」
「は?」
食ってかかる伊之助さんに、炭治郎さんは諦めたように話を続ける。
「そうだよな、伊之助にはまだ辛いよな…しのぶさんのこと母親のように慕ってたもんな…」
「ち、ちげーし!?し、しのぶが俺様の世話をどーしてもしたいって言うから…」
「しのぶさんが別の男の人と所帯をもつなんて…耐えられないよな…」
「はぁぁぁぁあ!?余裕で耐えられるわ!祝いの品持参して盛大に祝うわ!」
そう言うやいなや、伊之助さんは部屋を飛び出した。多分お祝い用にツヤツヤのどんぐりを拾いに行ったのだろう。
「おぉ、伊之助は元気だなぁ」
若干見当違いなことを口にしながら、炭治郎さんは言葉を続ける。
「あの二人は何とかできても、俺は諦めないからな!」
唯一残った善逸さんが声高に叫ぶ。
「ん?善逸にはそもそも関係ない話だろう?」
「うぐっ!?」
「姉同然に育ったカナヲや、母親のように世話をしてもらった伊之助が言うのはまだわかるけれど、善逸は本当に何の関係もないだろう?」
「ぐはっ!?」
「挙げ句の果てに『俺はあんな美人といちゃいちゃできる男は大っ嫌いだ!』とか『モテる男は全員敵だ!』って…恥ずかしくはないのか?」
「止めろぉぉぉお!正論で攻めてくるな!」
炭治郎さんの言う通り、善逸さんには本当に何の関係もない。水柱様に対するただの逆恨みだ。
「むっ!」
「はっ!?ね、禰豆子ちゃん!?ち、違うんだよ!?浮気じゃないんだ!俺はいつだって禰豆子ちゃん一筋だから!」
多分禰豆子さんは、善逸さんがお兄さんを困らせているように見えたから(というか事実困らせているが)注意しただけだろうが、何を勘違いしたのか、善逸さんは禰豆子さんに振られたと思ったらしく、必死に弁明している。
「そもそも、禰豆子と善逸は付き合っていないだろう」
「むっ!」
「いやぁぁ!禰豆子ちゃぁぁあん!?」
こうして、何の成果も残さず第一回蝶屋敷会議は幕を閉じたのだった。
「ふふふ、それは大変でしたね」
「本当ですよ…」
次の日、私が洗濯物を畳んでいる時に通りかかったしのぶ様に事の顛末を話すと、まるで他人事のように笑っていた。
「炭治郎くんにはお礼を言わないといけませんね」
「やめてください」
そんなことをしたらまた勘違いする人が出るじゃないですかと続ける私に、しのぶ様は冗談ですよと返してくるけれど、この人はどこまで自分の容姿のことを自覚しているのだろうか。
「しかし、冨岡さんとの噂がそんなことになっていたとは…今までは特に困ることもなかったのですが…」
「因みにお聞きしますが、本当に水柱様とは何もないんですよね?」
「私が冨岡さんと?あるわけないじゃないですか」
そんな話をしていると、玄関の方から声が聞こえてきた。
「胡蝶はいるか?」
柱であるしのぶ様を呼び捨てにできる人の中で、ぶっきらぼうで、言葉少なに問いかけるような人物は私の知る限り一人だけだ。
「もう、噂をすればですか…」
やれやれと言うように腰をあげたしのぶ様についていこうとしたけれど、私の周りにはまだ畳み終わっていない洗濯物が大量にあった。
「いいですよ、私一人で対応できますから」
「でも…昨日の今日ですよ?また誤解されるかも…」
「それもそうですね…ではひと段落したら来てくれますか?」
そう約束してしのぶ様を見送る。そして、洗濯物を粗方片付けてから、私も玄関へ向かった。
「ほら、あがってください」
「…いや、しかし…」
なんてことはない会話だった。しかし、私はその光景に目を奪われた。なんだこれは。
「治さないと化膿しますよ?」
「…これくらいなんともない」
駄々っ子のように治療を嫌がる水柱様に、しのぶ様が小言を言っている。ただそれだけなのに、どうしてこんなにも、美しいのだろうか。こんなに美しいしのぶ様の顔を、私は見たことがなかった。
「もう!ほら、アオイからも何とか言ってください!」
「え?あ、はい、えーっと…」
名前を呼ばれてようやく我に帰る。なんだあれは。なんだったんだ。知らない、知らない、知らない、知らない、あんなに綺麗で美しい顔を、私は今まで見たことがない。けれど、あれは正に『恋する人』の顔ではないか。
「これは、治療が必要ですね」
「ほら、塗り薬を塗るだけですから、やってしまいましょう」
「本当か?」
「そんなことで騙したりしませんよ」
また会話が二人に戻っていった。しのぶ様は嘘をついたのだろうか。いや、ああ見えて嘘をつけるほど器用な人ではない。凄まじい心の傷を受けて表情こそ隠せるようにはなったけれど、本来は苛烈すぎるほどに真っ直ぐな人なのだ。じゃああれは…
「こんなになるまで放っておいて…」
しのぶ様の指が水柱様の傷に触れる。傷んだり、菌が入ったりしないように配慮しているのだろうが優しすぎるほどのその手つきは妖艶などと言うものではなかった。愛おしさを感じている触れ方だ。
「別に痛くない」
「それは『痛くない』と思い込んでいるだけですよ」
そうか、『思い込んでいる』んだ。恋愛にうつつを抜かしている暇はないと、だから自分が恋などするはずがないと思い込んでいるんだ。だから、恋をしていることに気付いていないんだ。
そんなことがあるのだろうか。だけど、現に目の前で起こっているのだからしょうがない。
「全く、冨岡さんはしょうがないですね」
そう言う彼女の笑顔には困った様子など全くない。アオイでも滅多に見る事の少ない彼女の本当の笑顔だった。
「…カナヲの気持ち、ちょっとわかるかも」
聞こえないように、そっと呟く。自分たちがどれだけ努力しても、カナエ様が亡くなってからというもの、すっかり見えなくなってしまったしのぶ様の本当の笑顔をこんなに簡単に引き出せるだなんて。嫉妬してしまう。けれど…
「…良かった」
全部捨ててしまったのかと思っていた。お洒落も、自分の時間も、体も、全てを投げ打って姉の仇を討とうとする姿は、顔に浮かべる笑みに反して苛烈極まりなかった。ひょっとしたら、居場所である蝶屋敷でさえ、捨ててしまう日が来るのではないか。そんなことを考えたのも一度や二度ではない。他人には簡単に与えるくせに、自分は簡単に捨ててしまう。そんな人だから。『恋』だけは、捨てずにいれたことが、アオイは心の底から嬉しく思った。
「アオイ?」
「あぁ、すいません。少しぼーっとしてました」
しのぶ様には黙っておこう。気付いてしまったら、捨ててしまおうとするかもしれない。そうなると彼女は自分が傷つくことなんて微塵も考えないのはわかっているのだから。
「冨岡さんがいるのなら、今日は鮭大根にしましょうか」
「何!?本当か!?」
「えぇ、アオイ、鮭大根にしてもいいかしら?」
「…お願いします」
神も仏も、鬼に家族を殺されたあの日から信じてなんかいない。だけど、神様、どうかこの恋だけは、この人から奪わないでください。そんな願いをこめた私の一言をしのぶ様にはバレないようにそっと託した。
終わり
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