荒木比奈「何百回目のプロポーズ」 (18)
「……好きなんだ」
「お前とならきっとずっと一緒で居られる。お前となら同じ道を寄り添いあいながら歩いていける。そんなふうに思えるくらい」
「好きだ。好きなんだ。……だから。……だから、叶うなら」
「結婚してほしい。俺と、一緒になってくれないか」
プロポーズ。
プロデューサーが口にした。二人きりの事務所の中、ソファへ腰掛ける私を見ながら。
少しぶっきらぼうな口調で。何気なく、ちょうど日も沈み始め仕事も落ち着いてきた頃にふと。大切に贈る、というよりは照れを隠して放り投げるような言い方で。
プロポーズ。愛の言葉を口にした。
「……」
「……」
「……プロデューサー」
それに私は向き直す。
レッスンを終えた後の疲労感に身を委ねて崩し座らせていた身体を起こし、手にしていたスマホを脇へ置く。
まっすぐ整えた体勢でソファの上へ座り、デスクの向こうのプロデューサーと視線を交わす。私からの答えを待つように口を閉じた、キーボードを叩く手を止め、意識を私へ留めたプロデューサーへ、私はゆっくり口を開く。
先の言葉を思い返して。吟味するように、頭の中で何度か反芻してから。それに対する答えを、私の答えを言葉で返す。
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「それは、本気の言葉っスか?」
「……ああ」
「そうっスか。……うん。……うん。そーっスね……」
「比奈」
「……プロデューサー」
「ん、おう」
「60点ってところっスかね、それじゃ」
言って、眼鏡をクイっと。
瞳をじっとりと濡れたジト目にして、柔く唇を尖らせて。
駄目出し。不満そうな様子を装いながら、批評の言葉を口にする。
「変に捻らずストレートで来るのはまあ良いんスけど、結構好きでスし、ただそれにしてもちょっと陳腐というかありふれてるというか……。……あ、そうっス。先々週の……」
「週末の?」
「そーっス、そーっス。……って、確信犯なんじゃないっスか……」
「いやいや故意じゃないんだって。俺も言ってて気付いたっていうかさ」
「嘘っぽー……」
「ほんとほんと」
「目が泳いでるっスよー? ……もう、悪い大人っスね」
はあ、と息を吐く。
足をパタパタ。わざと頬を膨らませて見せながら言葉を交わす。
「一応ちゃんと考えてはいたんだけどさ、なかなかどうにも良い閃きがなくて。……というか流石にそろそろ限界だわ」
「アイドルをプロデュースする人間が発想貧困でどうするんスか」
「いかにプロデューサーといえど百も越えれば告白のバリエーションも尽きるってものなの」
「言い方も雑だし」
「そりゃあ何百とやってればねぇ」
「最近いっつもそうじゃないっスか。想いが足りないんスよ、想いが」
そう、これはもう何百回目かのプロポーズ。
いつか私が漫画の展開に悩んで行き詰まっていたとき、ふと「何かないっスかー……?」と台詞の助言を求めたのが始まり。
それからずっと続いている、いつの間にか毎日の恒例になってしまったやり取り。一日一回、プロデューサーが私へプロポーズの言葉を送る。顔を会わせない日には電話やメールを使ってまで何故だか続けている、そんなやり取り。
「台詞のネタを提供するのに感情込める必要性はあんのかね」
「大ありっスよ。プロポーズなんて愛を伝えるための台詞なんスから、そこに想いが込もらないでどうするんスか。響かないっスよ。たとえ台詞自体が良くたって」
「その辺は比奈の脳内で感情込もった声を入れてくれれば」
「無理っス。不器用なんで」
「いつも妄想に浸ってるときやってるだろ」
「それはそれなんで」
「これもこれだろ。……恥ずかしいんだよ、流石にさ」
「いーじゃないっスかー。なんというかこう、練習だと思って」
「何のだよ」
「や、プロデューサーだって将来いつかはするんスよね、プロポーズ」
「するとして、なんでその練習の相手が比奈なんだよ」
「不満っスか?」
「不満というか」
「役得じゃないっスか。一応ほら、私もアイドルでスし。練習とはいえアイドル相手にプロポーズ、なんて業界人的には夢ある話じゃありません?」
「あのなあ……」
ぐしゃぐしゃ、とプロデューサーが頭を掻く。普段人と会うときには綺麗に整えている髪がまるで寝癖みたいにボサっと乱れた。しっかり者のこの人がなかなか見せてくれないだらしなさの片鱗を覗けたみたいでなんだか少し嬉しくなる。
……。というか、嬉しいのはそれとしてそう、あれだ。プロデューサーは私のそういう姿をたくさん見ていて知ってるのに、私はこうしてたまにしかプロデューサーのそれを覗けないのはずるい気がする。不公平だ。私はあんなに許しているのに。時々、最近はほとんどわざと隙を見せてアピールしたりしているのに。ドキっとしてくれたらな、なんて思いながら無防備な姿を晒しているのに。
ずるい。もっと私も見せてほしいのに。許した分だけ許してほしいのに。たくさん甘えさせてほしいから、たくさん甘えてほしいのに。
ずるい。酷い男。悪いプロデューサー。ほんとにー……
「……まあいいや。それじゃまあ、次はちゃんと頑張りますってことで……」
「え、いや、勝手に終わらせないでくださいよ」
変な思考が膨らんだ隙のどさくさでプロデューサーが今日のこの恒例を終わらせようとするようなことを言う。半ば思考に意識を引っ張られながらも聞き逃さなかった私は、現実へ戻ってそれを遮った。
終わっちゃ駄目。これからが重要なんだから。
プロデューサーも本当に終わらせたいと思っている訳ではないはずだけど、でも恥ずかしがり屋で素直じゃないプロデューサーは本心はどうあれ本当に終わらせてしまいかねないから。
「…………駄目か?」
「駄目っス」
「いやでもほら、今日はまだ仕事も残ってるし」
「もう落ち着いた頃じゃないっスか。知ってるんスよ。さっきトイレに出たとき覗いちゃいましたから」
「勝手に覗き見るなよ」
「私たち二人の仲じゃないっスか」
「アイドルとプロデューサーな」
「キスまでしたのに」
「……は?」
「そのマグ、よく見てみてくださいよ」
「……」
「……」
「……。これ、比奈」
「おっ、気が付いたっスか?」
「トイレの時か?」
「トイレの時っス」
「……はあ、こんなことのために同じのを欲しがったのか?」
「同じの、じゃないっスよ。夫婦マグっス。色は同じでも模様が違うやつ」
「夫婦じゃないけどな」
「まー現状はそうっスけど」
「この前の飲み会の時だな? ……まったく、あの人らは本当余計な入れ知恵を……」
「有用な助言っスよ。……ふっふ、間接きっすー」
言いながら、頬が少し熱くなる。
まるで漫画みたい。これまでは物語の中で描いていたみたいなやり取り。これまでは物語の中で言わせていたような台詞。これまではやってみたいだけ、言いたいだけだったことを、こうして現実自分で実現させて。
全部晒した。何も隠さずだらけきった私も。アイドルとしてまっすぐ前を向いて走る私も。全部見せた。だから叶えられる。全部を見せたプロデューサーの前でだけの……自信が持てずに照れて足踏むよりも、それよりも大きくなったこんな素直な私さえ。なりたい私。やりたい私も。
頬は、熱くなるけれど。胸はドキドキ高鳴って、息も荒くなるけれど。
「そりゃあ比奈ももう大人だし、そういうのが無駄な知識だとかなんとか言う気もないけどな。ただまあ、個人的にはもう少しそのままの比奈でいてくれたほうが嬉しいかね」
「そのままって」
「顔赤いし」
「う」
「声震えてるし」
「え」
「台詞に言わされてる感じ満載な感じ」
「ぐぅえ」
「……そんなわかりやすく倒れ込むかね」
「オーバーリアクションしなきゃやってられないんスよー……自覚もある案件だもんでー……ああ、なんかもうこのまま土に還っちゃいたい感じっスー……」
ソファの肘掛けに顔を押し当ててぐりぐり。
言いたいことを言う。やりたいことをやる。ようやくできるようになったそれらも、でも今はまだできるだけ。様にはならない背伸びの現実。
もちろんそんなことは自覚していたけれど、それを実際指摘されるとどうにもこうにも恥ずかしい。むずむずするというか、なんというか。
入れ知恵されてからこっそり憧れていたシチュエーションを叶え攻勢に出ていたはずが、冷静に見抜かれ、言葉にして指摘され、なんだかちょっと悔しくなって倒れ込んだ。
……まあそれはすぐ、倒れ込むその瞬間に霧散してしまったけれど。顔を伏せてからのぐりぐりは悔しさのためじゃなく愛おしさのためだけど。倒れ込む瞬間、プロデューサーが照れた顔をしているのが見えたから。
口を付けたマグカップを見つめながら照れくさそうな顔をしていた。照れて、それに嬉しそうに緩んでにやけるのを堪えているような、そんな顔を。そういえば声もちょっと震えていたような気がする。それを思うと愛おしくなって。
好き、に溶ける。恋しい、に蕩ける。愛おしい、に達してしまう。自分の意思では抑えておけない顔を……隠しきれずに少し漏らしてしまっていたプロデューサーとは違って、もう漏らすどころか満面に緩んでにやけてしまう顔をぐりぐり、と。
「ぶー……。……んっ、はいっ、それじゃ、プロデューサーっ!」
「うん?」
「どーぞ! 次っ! プロデューサーの番っスよ!」
「番って、何のさ」
「本番プロポーズっス! 今度はプロデューサーが恥ずかしがる番っスよ!」
ほらほら。
身体を起こして座り直し、少し傾いていた眼鏡の位置を整えながらばしばし、と太ももを叩く。
たぶん今もまだちゃんとは抑えきれていないんだろうけど、でもまあ少しは引き締められたはずの……と、思う、顔を上げて。
改めて確かめてみれば、やっぱり微かに顔を緩ませていたプロデューサーへ催促を。
「番とかなくない? あれ比奈が勝手に自爆しただけで」
「突っ込んで辱しめたのはプロデューサーじゃないっスか」
「言われようが酷すぎる」
「事実っスもん。こーいうのは、された側がどう感じるかなんスよ?」
「そういうふうに言われたら何も言えんけど」
「反省するっス」
「反省ね」
「そっス」
「……それじゃあ、そうだな。これからはこう、比奈に突っ込むのとかそういうのやめればいいか? ……ああいや、何が気に障るか分からんしもっと全体的にこう、ドライで事務的な感じに……」
「駄目っス」
「……駄目なの?」
「泣きまス。病みまス吐きまス死にまス壊れまス引き籠って二度と外に出られなくなりまス。だから駄目っス。嫌っス」
「お、おう」
「なんで、反省はプロポーズで示してほしいっス」
「プロポーズでどう反省を示せるのかはよく分かんないけども」
「……」
「……」
「……反省とかそんなの建前で実際どうでもいいんで、ただただ私がプロデューサーのプロポーズ聞きたいだけなんで、だからお願いなんで言ってほしいっス」
「……おー……おう」
ドライに、とか事務的に、とか。そんなのきっと冗談なのは分かっているけど。でもそれに悲しくなって。苦しくなって。……無いとは確信していても普段から時々頭に過る、綺麗で可愛い女の人がたくさん行き交うこの事務所の中に居るとどうしても考えてしまうことのある嫌な想像を言葉にされて、ついむっとしてしまった。
分かっていること。分かられていること。本音を思わず漏らしてしまう。
「あーまあ……そうだな、それじゃあその、分かった。言うから」
これまでにも何度も。……気持ちを隠して装う、とかそういうのがそんなに得意でもない私がこれまでにも時々、いろんな時いろんな場所で何度も漏らしちゃってたのと同じように、今もまた少し漏らしてしまった飾らない本音。それを聞いて、プロデューサーの目が泳ぐ。
そういえば久しぶりだったかもしれない。こうして隠せず漏らしてしまうのは。だからなのかプロデューサーの反応が可愛らしい。間接キスを意識したときと同じような、あれよりももっと滲み出た緩んだ顔。
漏らしてしまったのは自分もなのに。自分のほうが先で、しかももっとずっと駄目なのに、それなのにまた胸へ愛おしさが込み上げる。言っちゃった。失敗した。そんなことへの後悔や照れなんかより、今この目の前のプロデューサーへの想いに溺れてしまう。
まあどうせお互いに分かっていること。承知の上で知らん振りをしてること。だからいいや。体裁を取り繕うのはプロデューサーに任せればいい。そういう面倒なのはもうやめちゃおう。
そんなふうに吹っ切れる。前にもあったみたいに。堪え性が無いなあ、とも思うけど、まあこれが私だし。私をこんなふうにしたプロデューサーがそもそも悪いんだし。だからいいや。もういいや。
「……ん、ここでいいのか?」
「はいっス。あと手」
「手?」
「ん……ほら」
「……握るの?」
「握るんス」
「……恥ずかしいんだけどな」
「んっんっ」
「はいはい。……ほら、これでいい?」
「……えへへ、いいっスいいっスバッチリっス。……ふへ、ぎゅー……」
「……ったくもう……」
スペースを開けて隣を示せば素直にそこへ腰掛けてくれた。すぐ隣のすぐ傍。くっつくくらいの近い距離へ。
座って、それからまっすぐ私へ視線を向けてくれるプロデューサーへ今度は手。差し出して、そしてそれを取ってもらう。温かくて大きい、少し硬い男の人の手。触れているとドキドキするのになんだか落ち着いて安心もするような不思議な手。大好きな人の愛おしい手。私を抱いてくれるそれを、私も優しく握り返す。にぎにぎ。想いを込めて愛するように。
「……」
「……」
「…………比奈」
「……はい?」
「いいか?」
「ん?」
「プロポーズ」
「あ、……はい。えっと、お願いするっス」
「……手は」
「このままで」
「分かった。じゃあ」
「あ、あと」
「うん?」
「もうちょっとだけいいっスか? 詰めても」
「いいけどキツくない? もうこんなくっついてるのにこれ以上」
「いーんスよ。そういうもんなんスから」
「そういう?」
「恋人なんだからってことっスよ。愛し合う大好き同士」
「いや比奈……。……ああまあそうか、プロポーズするんだもんな」
「でスでス。大切にしなきゃいけないんスよ、設定は」
「はいはい了解。……ほら、おいで」
「へっへー……。……ん、ふふっ、ぎゅぎゅっと密着っスー」
「これでいいか?」
「オッケーっス! ささっ、お願いしまっス」
「そんなふうに促されるとやりづらいんだけどな……。まあ、それじゃあ……」
んっ、こほん。
照れの滲む表情を浮かべながらプロデューサーが一つ小さな咳払い。
改めて向き直す。一度閉じ、それから開いた瞳を真剣な色に染めて。まっすぐ私と向き合った。まっすぐ私と見つめ合う。
それからゆっくり口を開く。優しい声。そっと大切に手渡すように、語り聞かせ染み込ませるように、温かな優しい声でプロデューサーが言葉を紡ぐ。比奈、と。私の名前を呼んでから。
「……愛してる」
「比奈となら絶対に居続けられる。一緒に居られる。一緒に居たい。比奈と俺とで同じ道を添い遂げたい。そう心から思える。それを心から誓えるくらい、愛してるんだ」
「大好きだよ。他の誰よりも、何よりも、比奈のことが。俺の大事なアイドルで、俺の大切な女性である貴女が。荒木比奈、貴女のことが」
「だから。……だからどうか叶えてほしい。俺のこの愛を。比奈もまた、同じ愛を抱いてくれているのなら」
「結婚してください。……貴女を、愛しています」
言ってくれた。
何百回目かのプロポーズ。今日二度目のプロポーズ。今度は本当のプロポーズ。
私へ向けて贈られた言葉。ちゃんと私を呼んでくれる、ちゃんと私を相手にした、私のためのちゃんとしたプロポーズの言葉。
一度目のそれとは違う。建前通りのそれとは違う。建前を盾にした私情まみれの言葉。アイドルとそのプロデューサーが絶対に交わしちゃいけない、愛し合う男女の間で交わされるべき言葉。
最近繰り返されるようになった新たな恒例。このプロポーズのやり取りの上へ新たに増えたもう一つ。一度目嘘の言葉の後の、二度目本当の愛の言葉。
言ってくれた。今日もまた。プロデューサーが私へ向けて。
「……はい。喜んで」
身体を倒す。
委ねるようにプロデューサーのほうへ倒れ込む。受け止めてくれた胸元へ顔を埋め、片方の腕を背に回され抱き締められる。
ドキドキ胸を高鳴らせながら、ドキドキ高鳴る胸の音を聴く。熱くなった身体、熱くなった手で中に抱いたプロデューサーを握って弄り、熱くなった手のひらの感触を背中に感じる。
「大好きでス。私も、貴方のことが。愛してまス。私こそ、貴方のことを誰よりも」
「結婚しましょう。私と貴方とで。……。ううん、結婚したいっス。私とプロデューサーとで」
「好きっス……。……大好きっス……。大好き……」
一瞬プロデューサーが強張って、でもすぐ柔く溶けて受け入れてくれた。拒んだり指摘しないでいてくれた。私の言葉を遮らず、ちゃんと聞いて受け取ってくれた。
今はまだ建前無しで応えられない私のことを、でもちゃんとこうして応えてくれた。
ぽかぽか、と嬉しくなる。これまで何度も繰り返してきた、きっとこれからも繰り返す、いつか本当になるプロポーズ。それにとても。とってもとっても。
「……プロデューサー」
「ん……」
「良かったっス。今度のは。すっごく」
「そっか」
「はい。……それで、だから」
「うん」
「もうちょっとだけ、このままで。もうちょっとだけ……シミュレーション、もうちょっと……」
「いいよ、もちろん。気の済むまで」
「ありがとっス。……その、プロデューサー」
「何かな」
「大好きっスよ。本当に、本当に、心から……愛、してまスから」
以上になります。
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