「 敵の数が多すぎる!」
目下交戦中の帝国と共和国が接する国境。
そこは過酷なライン戦線の主戦場である。
一進一退を繰り返す、陣取り合戦の場だ。
両国ともこの戦線を突破されれば組織的な抵抗が困難となり、それは敗戦を意味する。
故に数多の将兵がこの戦場に投入され夥しい屍を積み上げ、今日まで均衡を保ってきた。
しかし、それもどうやら、幕引きらしい。
「このままではもたんぞ!」
「少佐殿。如何しますか?」
敵の攻勢が始まったのは、本日明け方。
どこに戦力を隠し持っていたのかと思うほどの兵員と航空機を用意して畳み掛けてきた。
現時刻は既に昼過ぎで、飯を食わずとも満腹であり、もうおかわりなどいらないのに。
「見ろ! 更なる敵の増援だ!」
「はい。敵歩兵の軍団を視認致しました」
「おまけに航空支援付きだ!」
「はい。敵航空魔導中隊並びに、敵爆撃機、敵戦闘機の姿も視認致しました」
いかにターニャ・フォン・デグレチャフ少佐率いる精鋭、第二〇三航空魔導大隊とて朝から休まずに戦闘をしていれば当然疲弊する。
「少佐殿。ご決断を」
「くっ……!」
少佐はここが引き際であると、判断した。
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「伝令を用意しろ! 無線は役に立たん!!」
「はっ。既に天幕にてご用意しております」
妨害電波により、無線は機能していない。
仮に届いたとしても敵に傍受されてしまう。
いかに便利な魔法があれども、最後に縋るのは人間の足というのがなんとも皮肉だった。
「ヴァイス。貴様は戦場に戻れ」
「はっ。セレブリャコーフ少尉には何と?」
「必ず戻ると。それだけを伝えろ」
「はっ。小官もお待ちしております」
「ああ、すぐ戻る。行け」
戦場での一時の離別は永遠の別れに等しい。
また会える保証はなく、言葉は空虚に響く。
確固たる意志で補強して、少佐は離脱した。
「死ぬな」
背後には、戦場上空を雲霞のように漂い。
スズメバチのように攻撃的な猟犬の群れ。
大隊全員の息災を祈る少佐はまさに女神。
「勝つために死ぬならばともかく、敗北がわかりきった戦場で死ぬことなどこの私が許さん! 人的資源の無駄遣いなどさせん!」
少佐の代わりに第一中隊の指揮権を掌握し、毅然とした姿で戦闘指揮を執る副官の姿。
手ずから育てあげたセレブリャコーフ少尉の勇姿を目に焼き付けて、少佐は伝令が待つという後方拠点の天幕まで急ぎ戻った。
「第二〇三航空魔導大隊、大隊長のターニャ・フォン・デグレチャフ少佐である!」
「お待ちしておりました」
最大速力で後方拠点まで帰還した少佐は、目当ての天幕に入り、伝令に名乗った。
そこには戦場には場違いなほど着飾った、ひとりの少女が佇んでおり、彼女も名乗った。
「お客様がお望みならどこでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」
ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
その美しい響きに相応しい、可憐な少女。
年の頃は、せいぜい十代半ばに見える。
何故、こんな子供が戦場に居るのか。
いや、それよりも気になる単語があった。
「自動、手記人形……だと?」
「はい。お客様のお心を汲み取り、お手紙を認めるのが自動手記人形の仕事です」
言われてみれば、たしかに人形めいている。
表情の乏しさや、静かな佇まい。無機質だ。
生気を感じさせない雰囲気が、漂っていた。
そしてもっとも興味を引くのはその両腕だ。
「それは義手か?」
「はい。ですが、任務には支障ありません」
「任務、か……失礼だが、従軍経験が?」
「はい。丁度、お客様の年齢くらいから」
「ならば結構。任に耐えうると理解した」
なんとも、ひとは見かけによらないらしい。
見た目は子供、中身は中年の少佐は自分のことは棚に上げ、可憐な伝令の認識を改めた。
「では、早速仕事に取り掛かります」
「ああ。差出人は私で、宛先は参謀本部で頼む。ことは一刻を争うので手短に頼む」
「了解しました」
天幕に設置された椅子に少佐が腰掛けると、自動手記人形が正面に座った。
そしてテーブルに置いたタイプライターに、銀の義手の指先を添え、言葉を待つ。
「始める前に君は従軍時に士官だったか?」
「いえ。一兵卒でした」
「ならば、戦況分析は無理か」
「はい。お手数ですが、詳しいご説明を」
「わかった」
もしやと思い尋ねてみたが当てが外れて、少佐は仕方なく現在の戦況をヴァイオレットに説明してから、本題へと移った。
「というわけで、戦線は崩壊寸前だ」
「なるほど」
「そこで君には死守命令を覆せるような嘆願書を書いて貰いたい。どうだ、出来るか?」
「嘆願書の作成は業務とは異なります」
「事務的な書類で上層部を動かせるとは思えない。君の言う心のこもった手紙が必要だ」
「はい。それなら問題ありません」
ヴァイスが何故彼女を呼んだのか、その真意を察した少佐はこの自動手記人形こそが大隊を救う最後の手段であると考え、依頼した。
「ためしに一筆、書いてみてくれ」
「はい。わかりました」
カタカタとタイプを打つ音が響く。
驚くべきはその打鍵の速さだ。
淀みなく義手の指先が動き、書き上げた。
「出来ました」
「どれどれ……これは」
少佐は出来た手紙を読んで、閉口した。
「どうしましたか?」
「読んでみろ」
「拝啓、参謀本部殿。戦線は破綻寸前であり、即時後退許可を願います。かしこ」
「そんな文章なら私でも打てる」
そしてそれが通れば苦労はしないのである。
「もっと情に訴える必要がある」
「なるほど」
「君は依頼者の心を汲み取る自動手記人形なのだろう? どうにかして我々を救ってくれ。頼む」
既に軍属ではない彼女に階級など関係ない。
少佐もまたひとりの少女として頭を下げた。
ターニャとして、ヴァイオレットに頼んだ。
「出来ました」
「ふむ……先程よりはマシか」
『拝啓、参謀本部の諸兄方。
ターニャは現在、とても困っております。
戦線は崩壊寸前でこのままでは全滅します。
どうか、私たちに後退許可をください。
あなた方の忠実なターニャより。』
情に訴えてはいるが、緊迫感が伝わらない。
「もっとこう、リアルな戦場をだな……」
「出来ました」
『拝啓、後方で呑気に過ごしてるお偉方。
こちらが血反吐を吐いているというのに良いご身分ですね。あ、また銃弾が掠めました。
止血する間もないのでこの辺で失礼します。
次は私の墓前でお会いしましょう。』
「極端すぎる! これではまるで私が子供のように拗ねているだけではないか!」
「そのように見えますが、違いましたか?」
「ぐっ……た、たとえそうだとしても、軍人は不平不満を口にしてはいかんのだ!」
「裏腹ですね」
この手紙をそのまま参謀本部に送りつけてやりたいのはやまやまだが、それで後退許可が得られるとは思えず、恥のかき損となる。
「少し、考える時間をください」
「わかった。しかし、悠長には出来んぞ」
顎に手をやって悩む自動手記人形を急かしたところで良い手紙は書けないだろう。
焦る気持ちを抑えて、コーヒーを淹れる。
「君はコーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「紅茶を頂きます」
2人でカップをすすり、ひといき吐く。
無論、和んでいる場合ではない。
こうしている間にも戦友は戦っているのだ。
「くそっ……どうしてこうなった!」
「少佐……泣いているのですか?」
「私は泣いてなどいない! これは……! 大隊の戦友が、今も流している彼らの血だ!!」
らしくもなく感情的になる少佐。悲愴だ。
仲間を思い涙を流すその姿が、なんだか。
ヴァイオレットの少佐と重なって見えて。
「どこの部隊の少佐も……優しいのですね」
その呟きを紅茶と共に飲み干して、書いた。
「出来ました」
「もう時間がない。君はそれを参謀本部へ届けてくれ。私は戦場に戻らなくてはならん」
手紙の内容を確かめる時間はない。命じた。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン! 既に軍属ではないとはいえ、私は君の軍人としての作戦遂行能力が高いと判断する! 迅速にその手紙を参謀本部へ届け、我々を救え!!」
「それは……命令ですか?」
一瞬、ヴァイオレットの瞳が揺れる。
同じ階級の少佐からの下命。
しかし、少佐は彼女の少佐ではない。
「だとしたらどうする?」
「いえ。たとえ命令でなくとも、私は必ず、お嬢様のご意志をお届けいたします」
「はっ。お嬢様……か」
鼻で笑うついでに意地悪な質問をしてみた。
「時に自動手記人形とやら」
「はい、なんでしょう?」
「冥土の土産に教えて欲しい。先程、君が飲んだ紅茶はいったいどうなるのかね?」
「体外に排出され、大地に還ります」
「フハッ!」
大地に還る。自分もいずれはそうなるのだ。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「あの……少佐、どうしました?」
「いや、なんでもない。また会おう! ヴァイオレット・エヴァーガーデン! さらばだ!」
願わくば。生きてまた彼女と会ってみたい。
8時間後。
「負傷者を下がらせろ!」
「しかし少佐殿、手が足りません!」
「血を流しながら働く兵など不要だ!」
辛うじて大隊は持ち堪えている。
とはいえ、戦線自体は大きく後退した。
あの手紙が認められなければ命令違反だ。
「第一中隊が殿を務める! いけ!」
再び指揮権を掌握した第一中隊が盾となり、負傷した隊員を後退させた。
とはいえ、敵の数に対して手が足りない。
「少佐殿。参謀本部はまだ何も……?」
「必ず、動いてくれる筈だ」
「しかし、もう時間がありません!」
あと何時間。
あと何分もつか。
脳裏に過る諦めの言葉を首を振り打ち消す。
「私は約束したのだ! 必ず救えと!!」
命令ではなく、約束。
少佐はあの自動手記人形を信じていた。
軍人としてではなく、ひとりの人間として。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンが、必ずや少佐の心を参謀本部に届けてくれると。
「敵の魔導大隊が接近!」
「ツーマンセルを崩すな! やるぞ!!」
大隊相手に一個中隊が立ち回る。
あまりに無謀であり、勝ち目は薄い。
必死に追いすがる傍らの副官を逃すべきか。
人的資源の無駄遣いは矜恃に反する。
けれど、希望さえあるのなら。
「見ろ、セレブリャコーフ少尉!」
照明弾が眩く闇夜を照らし出す。
「えっ……?」
背後には大隊規模の援軍が接近していた。
「敵の、増援……?」
「違う! あれは友軍だ! 合流するぞ!」
「は、はいっ!」
こうして、敵の大攻勢を凌ぎ切った。
代わりに帝国は大きな後退を余儀なくされたが、その件で少佐が処罰されることはない。
何故ならば、既に了承済みだからだ。
自動手記人形は約束通り、大隊を救った。
「デグレチャフ少佐にお手紙です」
「たしかに、受け取った」
後方拠点へ帰投後、参謀本部からの返事を受け取り、少佐はあの天幕で封を開けた。
『我らが愛しきターニャへ。
貴官の思いと心はたしかに受け取った。
我々は事態を重く受け止め、援軍を送ることを決めた。無断での戦線後退も不問とする。
貴官の一刻も早い回復を願う。』
「なんだこれは……?」
概ね、望み通りの内容である。
しかし、まるで私が重傷のような言い方だ。
たしかに無傷ではないが些か大袈裟である。
首を傾げていると勢いよく天幕が開かれた。
「デグレチャフ少佐はここか!?」
「レ、レルゲン中佐殿……?」
「ああ……よかった。心配したぞ……」
「うぷっ」
入ってきたのは作戦参謀のレルゲン中佐。
少佐に駆け寄ると、いきなり抱擁した。
突然のことに少佐は軽くパニックとなる。
「ちゅ、中佐殿! どうしたのですか!?」
「どうしたもこうしたもない!」
なんとか腕の中から脱出して意図を尋ねると、レルゲン中佐は凄まじい剣幕で語る。
「自動手記人形のヴァイオレット・エヴァーガーデンから手紙を受け取った我々は、貴官の身にただならぬ事態が発生したと判断して、こうして私が直々に出向いたのだ!」
「て、手紙にはなんと……?」
「持ってきてある。これだ」
手渡された手紙へと素早く目を滑らせる。
『親愛なる参謀本部のお兄様方へ。
これまでターニャに良くしてくれて本当にありがとうございました。心から感謝します。
ライン戦線は現在とても厳しい状況にあり、残念ながら生きてお会いすることはもうないでしょう。力が足りず申し訳ありません。
最後に、ターニャに大地に還る許可を頂きたく、こうしてお手紙を書かせて頂きました。
どうか許可くださいますようお願いします。
お兄様方の忠実なターニャより。』
「あの自動手記人形め……!」
「この手紙が読み上げられた瞬間、参謀本部は完全に瓦解した! 心を痛めたゼートゥーア少将は泣き崩れ! ルーデルドルフ少将は自ら戦闘機に乗って救援に向かうと言い出す始末! 私が帝都防衛の為のなけなしの援軍を率いて前線へとやってきたのはそれが理由だ!!」
「も、申し訳、ありません……」
どうしてこうなった。結果オーライだけど。
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