「待った?」
「え? あー……いま来たところだ」
不覚というのはこのことだろう。
振り返るとそこには長門有希が佇んでおり。
そしてなんと、私服姿であった。
「長門、その服……」
「変?」
「いや、意外だと思ってさ」
「昨日、朝倉さんが選んでくれた」
朝倉の差し金と聞いて、納得する。
やはりあいつは俺の命を狙ってやがる。
グレーを基調としたコーディネートは所謂ガーリー系で構成されており、ビスチェ風のブラウスと膝丈スカートの組み合わせはまるでひと昔前の良家のお嬢様然としており、素朴な長門の魅力を存分に引き立てていた。
「似合わない?」
いかに口下手な俺とて、似合っているか似合わないかの二択ならばすんなり解を出せる。
「似合ってる……と、言えなくもないな」
「良かった」
土壇場になってチキった自分の後頭部をぶん殴りたい衝動に駆られるが、平常心を保つ。
畜生。朝倉。良い仕事しやがる。完敗だぜ。
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「それじゃあ、行くか」
「わかった」
長門のマンションの前で待ち合わせて、俺たちはこれから市内の図書館へと向かい、その後は古本屋を巡る予定であった。
「待って」
「ん? ああ、すまん。速かったか?」
背に声をかけられて振り返ると長門との距離が離れており、どうも歩調が合わなかったらしく、その問題を解決するべく意を決して。
「手、繋ぐか?」
「っ……いいの?」
念を押すように再度確認してくる長門は慎重に見えて、既にこちらに向けておずおずと手を伸ばす積極性も持ち合わせているようで、返事の代わりにそのひんやりとした手を握り、少し力を込めてぐいっと引いてやった。
「ありがとう」
「礼なんてよしてくれ。転ぶなよ」
別に、礼儀正しいのは悪いことではない。
しかしこうも嬉しげにしみじみ感謝されちまうと俺もどうしたらいいかわからなくなる。
だから、ぶっきら棒に気遣い、手を引いた。
「目当ての本は見つかったか?」
「見つかった」
図書館でしばらく待つこと、数十分。
目当ての本を見つけた長門が本を借りる。
相変わらず、俺が一生読みそうもない分厚い辞典みたいな書物を好んで読むらしい。
「本、重くないか?」
「平気」
「もしよければ、鞄くらい持つぜ」
「でも……」
長門は基本的に遠慮がちな性格をしている。
なのでこちらの申し出の意図に気づかない。
なので、直接的な物言いでわからせてやる。
「いいから、ほら。寄越せって」
「かなり重いけど、平気?」
「これでも男だから、本の一冊や二冊……」
重。なんだこれ。広辞苑でも入ってんのか。
「大丈夫?」
「も、問題ない。さあ、古本屋に行こうぜ」
ずっしりと重たい鞄を肩に引っかけて、空いた片手を差し出すと今度は自然に長門が指を絡ませてきて、一段と足取りが軽くなった。
「ここ」
「へー。こんなところに古本屋があるとは」
長門のナビゲートに従い入り組んだ街中を歩くこと十数分で辿り着いたその古本屋は、なんとも歴史を感じさせる古びた店舗だった。
「お! お嬢ちゃん、また来たのかい?」
「お邪魔します」
店内に入ると店主と思しき初老の男性がレジの向こうから声をかけてきて、その親しげな様子から長門はかなりの常連であると見た。
「なんだ、今日は彼氏と一緒かい?」
「はい」
食い気味に肯定する長門に苦笑する。
こんな彼氏では自慢にはならないだろうに。
しかし長門は繋いだ手をわざわざ持ち上げ。
「もう手まで繋いでる」
「はっはっはっ! 仲が良くて結構なことだ」
めちゃくちゃ恥ずかしいが、悪くはない。
なかなか気の良い店主で、ついつい財布の紐が緩みそうになるが、店内にある本はどれも価値ある貴重な一品らしく、かなりお高い。
「本を汚したり破いたりしなきゃ立ち読みで金は取らんから、いくらでも読んでくれ」
ほう。なるほど。そういうシステムか。
つまりここは立ち読み客御用達の店らしい。
とはいえ、それでは商売にならないのでは。
「道楽でやってるだけだから、読みたい人に読んで貰えさえすれば、それでいいんだよ」
なんとも気前が良い店主。立派な大人だ。
全国のレンタル店に聞かせてやりたいぜ。
図書館と違い貸し出しは不可だろうけど。
「そこに椅子があるから座って読みな」
至れり尽くせりである。漫画喫茶かよ。
適当に見繕った小説を手にソファに座る。
これまた年代物で高そうな座り心地だ。
しばらく項をめくっていると、不意に。
「その本、気に入った?」
「ああ。なかなか面白いぜ」
「隣、座っていい?」
本を片手に長門が寄ってきて、隣に座りたいらしい彼女のためにスペースを空けると、やや緊張ぎみな様子で控えめに腰かけた。
2人がけに作られたソファはわりと狭く、肩やらふとももが接して体温が伝わってくる。
そうなるともう小説どころの騒ぎではなくなるかと思いきや長門の体温は俺にとって適温だったらしく、すこぶる居心地が良かった。
「そろそろ、帰る?」
「ん? ああ、もうそんな時間か」
気づくと店の外の陽が傾いている。驚愕だ。
どうやららしくもなく没頭していたようだ。
首を回すとバキボキと音がした。やれやれ。
「古本屋巡りはまた今度だな」
「また今度」
店主に礼を告げてから店を出て帰路につく。
結局、1店舗で時間を潰しちまったが、まあいいさ。次の予定を立てられたのが喜ばしい。
「んじゃあ、またな」
「待って」
出発点のマンションの前まで送り届けてから自宅に帰ろうとする俺の袖口を長門が摘み。
「家、寄っていって」
Why? 何故、長門の顔は赤いのだろう。
どうして、摘まれた袖口が甘いのだろう。
ひとつ言えるのは、俺に拒否権はなかった。
「入って」
「邪魔するぞ」
いつもと同じ、生活感が皆無な長門宅。
とはいえ、深呼吸すれば長門の香りがする。
なんてことを考えるとまるで変態みたいだ。
「飲んで」
「ああ、悪いな」
例の如く、出されたお茶をすする。
すると、なんだかほっとしてしまう。
どうやら俺は今日一日、らしくもなく着飾った長門に緊張していたらしいと気づく。
「やれやれ……先が思いやられるぜ」
「どうしたの?」
ついつい弱音を吐くと長門が首を傾げて訝しんできたので正直に話してみることにした。
「実は今日一日、緊張してたみたいでさ」
「どうして?」
「長門がいつもと違ったから……いや、違うな。着飾ったお前に胸が高鳴ったんだろう」
それは断じて違和感ではない。
引き出された魅力に当てられたのだ。
きっと熱中症みたいなものだ。
「それ、ほんと?」
「嘘をついてどうするんだよ」
長門は自らの容姿を過小評価しているのかも知れないが、谷口曰く、A -評価である。
俺としてはS +、もしくはSSランク相当だ。
そんな美少女が着飾れば当然破壊力が増す。
「いいか、長門」
「なに?」
「お前はかわいいよ」
デートの締めくくりには、悪くないだろう。
せっかくかわいく着飾ったならば褒めねば。
あとで朝倉の奴にサクッとやられかねない。
「ほんと?」
「だから、嘘ついてどうするんだ」
苦笑して肯定するも長門はまだ信じられないらしく、おもむろに立ち上がると、俺の隣にしゃがみ込み、ちょいちょい手招きする。
「なんだ?」
「耳を貸して」
言われた通り耳を貸してやると長門はこんな衝撃的な耳打ちをしてきた。さあ、くるぞ。
「実は今、ものすごい尿意に苛まれている」
「フハッ!」
やれやれ。お待ちかね。愉悦のお出ましだ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。一身上の都合だ」
落ち着き払いながらも、動揺は隠せない。
せっかくのデートが台無しになったのに。
何故だろう。俺はちっとも悔しくはない。
むしろ、嬉しい。変だな。興奮している。
「軽蔑した?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ、放尿してもいい?」
なんだかまるで俺に軽蔑して欲しかったような長門は気を取り直して許可を求めてきた。
放尿の許可。その権利を委ねられた、俺は。
「せっかくだし、一緒にするか?」
「一緒に?」
「ああ。実は俺も小便を催しててな」
なんとも、我ながら頭の悪い提案である。
とはいえ、俺が催しているのは事実だった。
この状況で長門だけにスッキリされるのはなんとも物悲しいので、同伴を希望すると。
ガタッと。
なにやら寝室のほうから物音が聞こえた。
「長門、他に誰か居るのか?」
「通した覚えはない」
となると、もしかして。いや、まさかな。
「ちょっと寝室を見せてくれないか?」
「わかった……先にシャワーを浴びる」
「いやいや! 浴びなくていいから!」
本当に奥手なのか積極的なのかわからん。
誤解のないように説明すると、俺は物音の正体を探るべく長門の寝室を検分するだけだ。
「ふむ……怪しい人影はないな」
寝室には綺麗にベッドメイキングされた寝台と化粧台があるだけで、誰もいない。
となると、本日長門が着ている私服を仕舞うであろうクローゼットに潜んでいるとみた。
「クローゼットも開けるぞ」
「服は脱いだほうがいい?」
「脱がんでいい。用心しろ」
緊張感が皆無な長門を嗜めて警戒を促してから、俺は慎重にクローゼットの扉を開けた。
「死になさい」
「どあっ!?」
ヒュンッと、空を斬る、銀のナイフの閃き。
身構えていたこともあり、なんとか躱した。
案の定、クローゼットには朝倉が隠れてた。
「何か言い残すことはある?」
「何をやってんだお前は!?」
「あなたの息の根を止めるの」
「どうして俺の命を狙う!?」
今にも二の太刀を振るおうとする朝倉に待てとジェスチャーしながら、動機を尋ねると。
「実は晩ご飯を作りながら長門さんの帰りを待っていたんだけど、あなたがついてきたから慌てて隠れたのよ。それでなんだか良い雰囲気だからその空気を壊さないように大人しくしていたんだけど、急におかしな展開になったからあなたをサクッとやろうと思って」
なるほど。
よく見るとナイフではなく包丁だ。
それに朝倉はエプロン姿だった。
一応は納得したが、とはいえ。
理不尽にも程がある。
選択肢を間違えたら即座にDEAD・ENDの糞ゲー並みにシビア過ぎる。勘弁してくれ。
「そもそも長門が先に尿意を……」
「なら耳を削ぐか、塞ぎなさいな」
「どうして先に極論を持ってくる」
彼女が尿意を催したら彼氏は耳を削いで音が聞こえないようにしなくてはならない、なんて馬鹿げた法律は当然ながら存在しない。
「私がなにより許せなかったのはこれ幸いにと便乗しようとしたあなたの浅ましさよ」
「浅ましくて悪かったな」
「開き直らないで。あなたは今、長門さんと一緒に放尿しようとしたのよ? そんな暴挙はたとえ涼宮さんが許しても私が許しません」
こいつはなんでこうも上から目線なのか。
だいたい長門と小便するのにどうして赤の他人である朝倉の許可が要るのか意味不明だ。
そもそも、どうやって室内に侵入したのか。
「私は長門さんから合鍵を貰っているのよ」
チャリチャリと、自慢げに長門宅の合鍵を見せつける朝倉に俺は思わず手を伸ばした。
「くれ!」
「ダメに決まってるでしょ。えいっ」
ひゅんっ!
「やめろって! マジで洒落にならない!」
「私は本気よ」
一切の躊躇いもなく包丁を振り回す朝倉を宥めるにはどうすればいいか。俺は、閃いた。
「わかったよ、朝倉」
「なぁに? ようやく覚悟が決まった?」
「ああ。お前とも一緒に小便してやる」
「ふぅん? それがあなたの答え?」
多少、勇気の要るお誘いだった。無理筋だ。
しかし、朝倉は俺の発言の意図を図りかねているらしく、一拍の猶予が生まれた、瞬間。
「朝倉さん。やって」
「え? お、おい、長門?」
「浮気は、許さない」
長門に背後から羽交い締めされてしまった。
突然の裏切り。謀反。いや、逆襲だろうか。
どうも今の俺の発言は浮気に該当するらしく、普段温厚な長門もキレちまったようだ。
参ったな。これは万事休すかと、思いきや。
「待って、長門さん」
待ったかけたのは意外にも朝倉で、彼女は。
「長門さんが怒る気持ちはよくわかるわ。だから、ここは一緒に彼を罰しましょうよ」
「一緒に?」
「そう。一緒におしっこをひっかけるのよ」
なるほどな。これは流石に予想外だったぜ。
「わかった。ここは朝倉さんの提案に乗る」
「ありがと。というわけで、跪きなさい」
羽交い締めから解放された俺は力なく、その場に崩れ落ちた。もはや抗う気力すらない。
「長門さん、スカート脱いだら?」
「どうして?」
「だぁって、汚すの勿体ないじゃない」
朝倉、お前という奴は。
本当に良い仕事をしやがるな。
まさに最高のバックアップだぜ。
「わかった」
「あら? なにを、期待してるのかしら?」
「ぶべっ!?」
今か今かと長門の脱衣をローアングルから待ちわびる俺に向けて朝倉の長い脚が伸び、ゲシッと。
容赦なく後頭部を踏まれ、床とキスした。
口腔内に血の味が滲む。あんまりだ。
「脱いだ」
「それじゃあ、かけましょうか。ちなみに長門さんは彼のどこにおしっこするつもり?」
「当然、頭部に尿をかけるつもり」
「それじゃあ、私は背中にかけるわね」
短いやりとりで俺の量刑が決定したらしい。
長門は俺の頭に小便をひっかけ、そして朝倉は背中にかけるつもりのようだ。惨すぎる。
あわよくば仰向けになれるのではないかと一抹の期待を抱いていたのだが、朝倉が背中に決めた以上、俺という便座が反転する機会は永遠に失われてしまった。泣けてくるぜ。
「あらやだ、泣いてるの?」
「そりゃあ、泣きたくもなるだろ」
「失礼ね。もっと悦びなさいよ」
「無茶言うなよ!」
「これは命令よ。悦びなさい」
「わーい! 嬉しいなあ! 幸せだなあ!!」
糞ったれ。こうなりゃもうやけだ。
うつ伏せのまま、万歳してやった。
すると、後頭部に柔らかな感触が。
「んっ……準備完了」
「長門さん、直付けなんて大胆すぎない?」
「彼は私のものだと、マーキングする」
直付け、だと? なんだそれは。
この後頭部の感触は、もしや。
流石に下着は着用しているようだが、それでも望外の喜びに打ち震えていると、長門が。
「んっ……震えないで」
「この愚図。今度長門さんに不快な思いをさせたら包丁を取り落とすから。わかった?」
畜生。あまりにも扱いが酷すぎる。
長門だけなら天国に違いないのに。
朝倉という悪魔のせいで地獄でしかない。
「大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
「長門さんは彼に甘すぎるわよ。ちゃんと躾けないと、あとで後悔するんだからね?」
「大丈夫。これからゆっくり、躾るから」
どうやら俺は長門に躾けられるらしい。
別に嫌じゃないしむしろ大歓迎だがな。
しかしやはり一方的にというのは困る。
「ん……そろそろ、出そう」
「それじゃあ私も出すわね」
ちょろっ。
ジワリと後頭部に温もりが広がっていく。
ぽたりぽたりと、背中にも雫が滴る。
どうやらこの宇宙人コンビは本気で俺に小便をひっかけるつもりのようだ。やれやれ。
「フハッ!」
そっちがその気なら、俺にも考えがある。
「この男、いま不敵にも嗤ったわよ?」
「嫌な予感がする。すぐトドメを刺すべき」
「わかったわ」
少女達の膀胱に封じられし尿が今、濁流となって襲い掛かる。まさにスペクタルである。
ちょろろろろろろろろろろろろろろりんっ!
来たぜ、好機。
いくぜ、とっておき。
さあ、ここぞという時。
さあ、どうぞという時。
そのまま一気に脱糞発散。
「むんっ!」
ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!
「きゃあ!? こ、この男、漏らしたわよ!」
「ユニーク」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
悪いな、長門。我慢はどうも苦手だ。
やられっぱなしは性に合わなくてな。
地球人代表としてこれだけは譲れん。
ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
脱 糞 最 高 !
「ほんっと、信じられないわ」
「脱糞に脱帽した」
事後、長門寝室は異臭漂う異空間へと変貌を遂げており、この魔界の王として俺は君臨していたわけだが、流石にやりすぎ感は否めなく、一応、長門に対して謝罪しておく。
「悪いな、長門。寝室を汚しちまって」
「土下座しなさいよ!」
「別に構わない」
軽い感じで謝る俺に朝倉は激昂したが、長門はそれを宥めつつ、寛大にも許してくれた。
「おかげで今日は良い夢が見れそう」
やれやれ。俺の彼女は変わり者で困る。
長門はSOS団の良心と思っていたんだが。
とんだ食わせものだ。一番厄介かもな。
だがな。だからこそ、俺は長門のことが。
「好きだ」
「私もあなたのことが好き」
「もう……勝手にしなさいよ」
完全についていけなくなったらしい恋のキューピットこと朝倉涼子が気を利かせて退室するのを尻目に、俺と長門はキスをした。
「今日は泊まっていく?」
「洗濯物が乾いたら帰るよ」
「そう……それなら、また汚す?」
「考えておこう」
ドラム式の洗濯機の窓から汚れた衣類が回転する様子を眺めながら、長門は今日借りた本を読み耽り、その傍らで俺は、恐らく朝まで乾かないであろう洗濯物が乾くのを待つ。
すると不意に、長門が本から顔を上げて。
「私と居ると、退屈?」
「いいや。そんなことはないさ」
私服姿の長門の隣に居るだけで至福だった。
【長門有希の至福】
FIN
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