【艦これ】漣と故郷に行くだけの話 (25)

 駅を降りてレンタカーを借りた。三十分ほど走らせれば街並みは次第に郊外の風景へと変わり、やがて古い軒が目立つとともに田畑が混じる。細い畦が目立つ中を一本貫く国道は、ガードレールもところどころにしかない片道一車線。それは連峰の鮮やかな緑へと向かっている。
 水田の稲が青々と視界の端に過る。そう言えば街中でコイン精米機をいくつも見たな、と俺は今更ながらに思った。

「お米が名産、っていうには新潟とか北海道に差をつけられちゃった感じはしますけど、昔はもっと、いまよりも盛んだったみたいです。ただ、街のほうに品種改良センターがあるのと、農業機械のメーカーの工場も少し遠くにあって」

 漣は水田の、青々と伸びる盛稲を見ながら言う。

「今から入るのは赤根山っていうんですけど、この辺り一帯は味ヶ淵連峰って大きなくくりの中にあって、こう……山がそのまま海になる、って言ったらわかりますかね? 平野部が少ないんです。
 山があって、木があって、崖があって、んで、海がずどーん! って」



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 確かに、列車に揺られているあいだ、その殆どの時間は海沿いに敷かれた鉄路を往っていた覚えがある。山に遮られて見えないが、海に近い土地なのだ。
 言われてみれば潮のかおりが僅かに漂うような気もしたが、いや、単なる気のせいに違いない。五感ほど調子のいい器官も珍しいから。

 窓を開けて身を乗り出し、漣が遠くを指さす。危ないからやめろ、と窘めても、「ご主人様あそこ、あそこ!」と聞きやしない。
 サイロだった。五棟……で数え方は正しいのだろうか? 淡く茶色い煉瓦造り。もしかしたら建設当初はまばゆいほどの赤だったのかもしれない。だとすれば、それだけの年月を風雨に晒されてきたことになるが。

「あれ! なんか凄い歴史的なやつだっておばあちゃんが言ってました! 戦後、外国から来た偉い人が作ったやつだって! 文化財だって!」


 全開にした窓からばたばたと風がうるさい。それに負けじと漣が声を張るものだから、二重奏でさらにうるさい。このあいだ酒が飲めるようになったくせして、言動は出会ったころからまるで変化がないのだから、人間というものは実に難儀である。
 とはいえ、ならばお前はと訊かれたときに、胸を張って堂々とできるやつがどれだけいるものか。俺も嘗てと今を見比べてみて、十二分に満足な大人になったとは言い難い。
 そもそも論として大人になるということ自体に価値を見出すのが間違っている。事実、俺はいま、漣の稚気に随分と癒されているのだから。

 俺たちは漣の故郷へと向かっていた。


 山間を抜けた先、特筆すべきこともない港町――とは漣の弁である。泊地を発ってJR、JR、私鉄と乗り継ぎ、そろそろ六時間が経過しようとしていた。長旅というほど長旅ではないにせよ、小旅行というにはあまりに遠い。
 漣からこの話を持ち掛けられたのは二週間ほど前のことだった。二週間。それは、単なる約束事なら十分すぎる猶予期間だけれど、故郷を訪ねるには聊か急すぎる。

 どうして漣が俺を誘ったのか、俺はその理由を知らない。ついぞ聞けずじまいに終わってしまった。
 思い当たる節はいくつかある。あるのだが……確度はあまりにうすぼんやりとしていた。曖昧模糊とした中に沈んでいた。だからこそ確かめなければならないという思いの結果として、俺はいまレンタカーを彼女の故郷に向けて走らせている。

 七年。まるまる七年、俺は漣とともにいた。筆頭秘書艦として漣は随分と尽力してくれたし、泊地運営の力にもなってくれた。書類仕事も、風紀是正も、中央との折衝も、果ては食堂の新メニュー考案まで。一体あの小さな体のどこにそんな馬力が眠っているのか不思議なくらい。
 まったく暇や退屈からは程遠い日常が、あそこ、俺たちの暮らす泊地にはあって、その愉快さの全てが漣のおかげだとは決して言えないけれど、漣がいなければその愉快さは決して存在しえなかっただろうとは思う。
 たとえ不確かであっても、曖昧だとしても、俺のなかにおける彼女の重さは本物だ。


「山道とかも詳しいのか」

「このあたり、昔はよく遊んでましたよ。桑の実とか、山葡萄とか、お腹が空いたら食べてましたねぇ。カブトムシが山ほど集まる木もあったんですけど、忘れちゃいました」

 軽でも4WDを借りてきて正解だった。悪路というほどではないにせよ、舗装の状態はあまりよくない上に、蛇行、急勾配と街中とは走りやすさがまるで違う。
 ナビが、この先で二股に別れていることを継げてくる。太いのは右に行く方だ。旧国道であり、そのまま一本道を走り抜ければ、どうやら山の途中で新国道と合流するらしい。しかし漣は「左」と告げた。「左。左に行ってください」と。

 否やはなかった。


「……どうすんだ」

「降ります。歩きましょう」

 即断と即決。どちらも戦場においては必要なものだが、果たして。

 結果として左の道は行き止まりであった。道がないのではない。地図上でも、確かにこの先に道は続いている。しかし、それでも、俺たちは前に進むことができないでいる。
 工事現場にあるようなフェンス、黄色と黒で意図的に注意を促すカラーリングの施されたそれが、道幅一杯に立ちふさがっていた。人が一人通れるぶんの通用口はあるものの、そこは鎖と南京錠でしっかりと施錠されている上に、随分と錆びてしまっていた。人の行き来がないのは一年やそこらではなさそうだ。
 パウチされた警告の張り紙――「危険。立ち入り禁止」。砂埃で汚れている。やはり、どう見ても、道路工事などではない。

 俺は漣に言われるがままに車を降りた。フェンス自体は道路をしっかり塞いではいるものの、ここは山。少なくとも徒歩で斜面を使えば、その向こう側まで行くことは容易である。


「土砂崩れでも、あったのかね」

 自ら信じてもいないことを口走ってみる。もしもフェンスがあそこまで経年劣化しておらず、あるいはパイロンとバーだけならば、そう思えたかもしれないが。

「……」

 漣からの返事はなかった。木の幹に手をやりながら、足の裏で傾斜を確認し、一歩一歩地面を踏みしめ歩いている。
 さてどうしたものか。ついていくのは当然として。

「……」

「……目的地は、わかるのか」

「わかります」

 そう言いながら先行する漣の足取りは、面持ちは、確かに真っ直ぐ前を目指しているように見えた。迷いがない。ゆっくりとした動きにも感じられるが、それはあくまでしっかとした足取りのせいなのだ。


 ひとまず遭難という最大の懸念は払拭されたものの、だからどうしたという程度の問題でしかないのもまた事実。漣は俺を自らの生まれ故郷へと誘った。もしやこのまま歩いていくと言うのか?
 わからない。漣の行動がというわけではない。わからないのは彼女の確固たる意志についてだ。

 引き返せばいい。別の道から行けばいい。なんなら日を改めたってかまわない。そう提案しても聴きやしないだろうが、それだけの何かがこの行程には、きっと、ある。

 ならば、乗るしかない。

 俺だってもう彼女の故郷を見ずして泊地に戻るつもりはなくなっていた。

 それは決して意地ではなかった。ましてや一蓮托生という想いによるものでは断固としてなかった。そんな綺麗なものではない。美しいものではない。
 生易しいものではない!


「ご主人様」

 地面の硬さを確認しつつ、漣は張り出した木の枝を掴んだ。それを支えにしながら、傾斜を登って行く。

「もう少しです」

 傾斜はもう少しで途切れているように見えた。針葉樹の葉と葉の隙間から、きらきら光る光と青空のまじりものが幽かに動いている。
 時折地面に手を衝きながらも一気に駆け上がる。漣は露出した岩へと手をかけ、その上体を引き起こそうとしている最中。

 唐突に視界が開ける。

 切り立った崖のようになっている場所だ。これまで登ってきたような土とは明らかに質感の異なる、白っぽいごつごつとした岩が数メートル下から続いており、そんなところにも木はたくましく根を張っている。
 視界が開けたのは急峻な地形による高低差のためだ。崖に生えた樹木は、その向きの問題もあって、俺たちの視界を防がない。

「……」

「……」

 ゆえに、眼下を一望することができる。


 海があって、なるほど、漣が車中でした説明のように、山はそのまま崖となって、真っ直ぐに落ち込んでいる。
 俯瞰すればアルファベットの「C」か「U」のようなかたちの入江だった。それがいくつも連なっていて、それぞれが海に落ち込む崖で分断されているように見えた。巨人が陸にかぶりついたあとの歯型――そんな表現は婉曲的にすぎるかもしれないけれど。

 そして漣の故郷がそこにある。

 故郷だったものがそこにある。

 故郷の跡地がそこにある。

 深海棲艦の攻撃を受けて廃墟になった漁村がそこにある。

――――――――――――――
リハビリ

明日で終わらせます。


 俺はその町の名前を知っていた。日本で最初に深海棲艦からの直接被害を受けたその町は、摩訶不思議な存在の脅威を浮き上がらせるには十分だった。
 当時、その未確認生命体は名前も付けられておらず、漁船や貨物船の映像に僅かに映っている姿が密やかに語られるだけ。当然艦娘なんてものはこの世におらず、俺も一介の防衛大生で。

 一望できるその地は、十年ほどの時を経て、瓦礫は撤去され、僅かに嘗ての区画のあとが残る程度にしか面影はない。アスファルトの舗装も剥がれかけ、海風の強い地にだってしぶとく雑草は根を生やす。
 漣がこの町の出身だということも俺は知っていた。艦娘という存在が生まれたとき、それはまだ一般には公にされていなかったから――当然だ。民衆のコンセンサスなど得られるはずがなかった――、候補者は被験の上で適応した人間か、ひどいひどいワケありかの二択である。


「……」

 漣は口を開かなかった。しかしその表情は冷静そのもので、廃れた故郷への悲しみや深海棲艦への怒りがあるようにも見えない。
 ただ、俺のシャツの裾を掴んできたので、知らないふりをする。

「あの辺に」

 崖の上からゆっくりと街並みを――街並みの幻影を――指さして、

「わたしの家がありました」

「そうか」

 わたしの家。そう、「漣」の家でなく。

「ひいおじいちゃんのころに引っ越してきたみたいです。疎開先がここで、戦争が終わっても忘れらんなくて、戻ってきたって聞きました。
 おばあちゃんとお父さんとお母さんがいて、きょうだいはいなかったけど、歳の近い従姉妹がいたから寂しくはありませんでした」

 漣の指が空気をなぞる。つつつ、右に動いて、下へ。


「あそこにバス停がありました。小学校までは遠かったから、市営のバスが出てたんです。二十分くらいかな? 毎日、毎日……。
 で、そのちょうど真向かいに駄菓子屋があったんです。駄菓子屋って言うか、雑貨屋? いろんなもの売ってました。夏はよくアイス買って、あと氷砂糖とか。懐かしいなぁ」

「あとで買ってやるぞ」

「えへへ、いーいですねぇ。ゴチになります。
 そんで、そんでね、あそこに漁協のセンターがあって、堤防もあって、桟橋もあって、大体近所の子供たちはあの辺で釣りすることが多かったです。それか、公園かな、あっちの。山にも入って遊んでましたけど、熊とかが出ることもあったし、親には止められてました」

 土砂と、僅かな道路だけが残る土地を、漣は楽しそうに指先で追っていく。馥郁とした気配のかおりを味わっているに違いなかった。


「テレビゲームとかは全然なくって、そもそも町におもちゃ屋がなくって。家で遊んでることはあんまりなかったですね。今? 今は、ほら、反動ですよ。
 トンネルが多いんですよ。ほら、海岸のとこ。山を抜いて作った、ああいうのがいくつもあるんです。お化けが出るとかいう噂もあったなぁ。夏が来るたびに肝試ししよう、しようって話してたんですけど、結局一度もやらずじまいでした。
 あそこに神社があって、境内で夏と秋にお祭りするんです。御神輿も出ました。わたしは御神輿の上で笛を吹く役目で、それって凄いことなんですよ? このあたりじゃ一番うまかったんですから」

 そこで一度指が止まった。僅かに漣は目を細め、一瞬だけ悲痛が顔を彩るけれど、俺が彼女を抱きしめようとするよりも、彼女が平静を装うほうが早い。

「なんにもない町でした」

 述懐。田舎にありがちな景色の、記憶の。

「でも、いまは本当になんにもない」


 そこでようやく俺の方を向いた。目が合う――視線が、壮絶な過去と、それに裏付けられた強さを伴って、俺の胸を打つ。
 漣の話は言ってしまえば田舎によくある、日本中どこにでも見られる話にすぎない。だからといって価値がない、どうでもいいということになるはずもなく。

「どうですか? 海岸線を走る鉄路。駅。街中。品種改良センターと農業機械の工場。水田。畑。畦道。ぼろっちい国道。サイロ。森。山。海。この景色。町の跡。わたしの故郷はこれだけです。有りふれた、大したことのない、ちゃちな風景。歴史。それがわたしの故郷なんです」

 漣は故郷に行くと言った。一緒についてきてほしいと言った。それはつまり、今口にしたさまざまなものを俺に見せたかったからということに他ならない。
 目の前にいる桃色の、小さくか弱い存在から目を離すことなく、俺は今回の小旅行を振り返った。たとえばそれは、鉄路であったり駅であったり、水田、畑、サイロ、そして眼下に広がる風景であった。
 そして何より、目の前の彼女の、驚くべきほどにくるくると変わる表情であったりした。


「開発が、始まるそうです」

「……」

 なんの、と尋ねることは野暮だった。俺はそこまでぼんくらではなかった。

「開発が始まったあと、どうなるかをわたしは知りません。知りませんが、きっと、そこはわたしの故郷ではなくなるんだと思います。だから」

 せめて、その前に。漣は服の袖で目元を拭い、続ける。



「あなたとこの風景を見たかったんです」



 その言葉に特別な意味がこめられている、と感じたのは自惚れが過ぎるだろうか。目の前で漣のこんなとびきりの笑顔を見せられとしても?
 熱に浮かされていく頭。数度、心臓が強く跳ねる。
 そして唐突に、途端に、俺は理解した――観念した、とさえ換言できる。俺がこれまで意地を張ってきた感情の置き所が、あまりにもちっぽけなものに思えてしまったのだ。


「俺のくにも、一度ぐちゃぐちゃになっててな」

 だから、何の気もない世間話をするかのように、唇から滑り出ていく。

「え」

 漣の驚愕。聞いたことない、知らない、とその表情は物語っている。
 当たり前だ、一度たりとも教えていないからな。あえてそうしてきた。

「深海棲艦?」

「うんにゃ。3.11だ。八戸の実家で牡蠣の養殖やっててなぁ、そりゃもう、大打撃よ。一時期は首括るかまでいったもんだが、幸い東京の知り合いを頼れてなぁ」

 感情の出処を探るのは苦手だった。それでも、やらねばならないことだと、おぼろげながらわかっていた。
 俺の漣に抱く感情が、果たして同類を憐れむものから来ているのか、はたまたもっと清らかな……美しいものなのか。

 やっとわかった。

 気づけば手の中に暖かなものがある。小さな、白い、漣の手。絡み合う互いの指と指。


「漣」

「なに?」

「今度、俺の故郷にも来てくれないか」




《おわり》

――――――――――――――
おしまい

艦これ要素が消えた。
明日に大井の短編を一本上げる予定です。

山城の話は一から書き直してます、申し訳ない……。

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