【艦これ】大井と一夜を過ごすだけの話 (15)


 現在時刻は二三時ちょうど。とっぷりとした夜の闇を一瞬だけ光が照らす。弾けた光の花は、ぱらぱらと音を立て、海へと消えていった。

 スーパーで買ってきたちゃちな代物だ。大袋に入った、2000円程度の。それが十ほどと数だけはたんまりとある。一晩遊んでもなくなりゃしないのに、駆逐や軽巡のガキどもは、我先にと両手で握ってダンスを踊っている。
 楽しそうに笑いながら手を取り合って、次へ、また次へと蝋燭の火へ。
 別に珍しいものでもないだろうに。これが、五尺玉が打ちあがるとでも言うのなら俺だってこぞって参加するが、今更手持ち式の花火ではしゃぐ年齢でもない。

 だが、それでも。たとえ安い、チンケな花火だとて、それで喜んでもらえるならば用意した甲斐があったというものか。
 一度戯れに初めてみたのが大層ウケがよかったものだから、それくらいでご機嫌がとれるのならと、気づけば毎年の恒例行事になってしまっている。特に駆逐のガキどもにとっては、こうやって夜遅くまで遊ぶことそのものが特別な意味合いを持つらしい。なんとも幸せなことだ。



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 まぁいい。別にいいじゃないか、それで。俺ははしゃぎまわるガキどもの様子を遠巻きに眺めながら、左手に持っていたビールの空き缶をビニル袋へ放る。そしてもう一本。
 本土の公務員連中などは、それこそ煙草休憩などとろうものなら税金泥棒の大合唱。あまつさえコンビニや自販機で飲み物を買うことさえ問題提起されるのだという。俺にはまったく信じられなかった。
 愚かしい話だ。他人にやたら厳しくしたところで、どうせツケは自分に回ってくる。ほぅら、俺を見ろ。我が泊地を見ろ。この解放感たるや。

「後片付け、お願いしますよ」

 スカートを躾けながら、大井が俺の隣に腰を下ろす。長い茶髪が海風に揺れて、まるで映画のワンシーンのようだ。隣にいるのがこんなおっさんでなければ、の話だが。
 いつものお決まりのお小言かとも思ったが、であれば俺の隣に座る必要もない。なにか話があるのだろう。

「……」

「……」



 よくわからん。謎の無言は努めて無視して、俺は少しぬるまってしまったビールを喉へと流し込む。
 視界の中では駆逐たちが線香花火の耐久レースをやっていた。川内型の三人娘を引率につけていたはずだが、いつの間にか川内が消えている。まぁ、じっとしていられん性分なのはわかっているから、さもありなんという具合である。

「お? 逢引かいな? おっ?」

「うっせぇ。ひっこめ、チビすけ」

 背後の宿舎の窓、食堂から身を乗り出して、龍驤がにやにや笑っていた。子供たちが外で花火に興じているように、大人たちは本日夜通しの酒盛りである。花火と同じく、その酒も俺が買ってきてやった。花火と同じように、安い、チンケな悪酒である。
 どうせ酒の味などがわかるのは最初の数口だけなのだ。いや、そもそもその数口だってわかるかどうか。発泡酒とビールの違いがわからないやつらに銘酒など勿体ない。排水溝に流すに等しい行いだ。
 そんな気持ちでくれてやった鏡月は、既に三本中二本が空いてしまったらしい。魔王をやらなくて本当によかった。今度自室でひっそりと味わうことにしよう。


 龍驤は部屋の中から伸びてきた何者かの手によって捕らえられ、見えなくなった。ちらりと見えた髪の毛を見るに、雲龍あたりか。
 俺も一応飲み会には誘われていたのだが、固辞させてもらった。酒は好きだが飲み会はそうでもない。第一女所帯に一人だけ混じるというのも、なんというか、落ち着きが悪いものだ。

「……」

「……」

 そして大井の無言がなによりも恐ろしかった。普段俺に口うるさくああしろ、こうしろと詰め寄ってくる女のだんまりは、俺のような問題児には「怒らせるようなことをしたっけか」と内省させるに十分なのだ。

「北上は?」

 機先を制する。とりあえず、こちらから話を振って出方を窺おう。

「あっちの桟橋のところだと思います。姉さんたちと夜釣り……にかこつけて談笑してるんじゃないですかね」

「お前はいいのか」

「行きますよ、勿論」

 そう言っておきながら、大井はまるで動く気配を見せなかった。


 会話が途切れてしまったのが気まずくて、間を持たせるためにビールを呑む。視界の中ではドラゴン花火が猛烈に火炎を吹き出し、そのまわりをガキどもがはしゃぎながらぐるぐる走り回っている最中。
 背後の食堂もまた騒がしい。どんちゃん騒ぎとはこのことだ。泊地が人里離れた海沿いの建物で心底よかったと思う。

 光源がまた一つ増えた感覚があった。振り返れば、食堂の真上、談話室の灯りが点いている。明石と秋雲、夕張が窓ガラスごしにこちらを見て、目が合うなり手を振ってきた。
 確かゲーム大会を開くとか言っていたか。花火のあとに参加するガキもいるのだろう。それまでにどれだけ体力が残っているかはわからないが……。

 泊地は起きていた。普段は眠っているやつらも、今日ばかりは一人を好まず、誰かとの輪へと加わっている。

 今夜は演習も遠征も、近海掃討さえもない。そういえば、深海棲艦がこの日に強襲を仕掛けてきたという話はいまだなかった。やつらも俺たちと同じく……いや、まさかな。


「ありがとう」

「ん?」

 大井の言葉は海風にかき消されそうになりながらもなんとか俺の耳へと届いた。届いたうえで、聞き返す。

「礼を言われるようなことをした覚えがねぇ」

 すっとぼけではなく本心である。普段の労いの言葉だとしても、にしてはタイミングが不自然だし、そもそも大井は直截的な表現を好まないタイプだ。
 それは決して彼女が冷血漢であるということを意味しない。たとえるならば、彼女は面と向かってタオルを渡すのではなく、そっとスポーツドリンクを差し入れるたちなのだ。それが美学や矜持によるものなのか、照れによるものなのかまではわからない。

「この企画」

「あぁ……」

 合点がいった。とはいえ、素直に首肯するのも躊躇われる。俺は面と向かって感謝されるのがこっ恥ずかしくて仕方がないのである。それが大井からともなれば輪をかけて。


「なんのことだかな」

 なので今度のこれはまさしくすっとぼけ。大井は手のひら返しにも等しい俺の返答を聴いて、小さく溜息をつき、冷めた目で視線を送ってくる。
 何かをさらに言おうとした気配を察知して、俺は缶ビールをもう一本取り出した。空き缶はきちんと捨てて。

「北上たち待ってんじゃねぇのか」

 現在時刻は二三時三〇分。もう少しで日付が変わる。あまり長居させてもよくないだろう。
 大井は引き続き何かを言おうか、それとも、と逡巡していたようだが、時間を告げられて大人しく立ち上がった。
 そうだ、それでいいのだ、と俺は思った。

 人間、いつ死ぬかはわからない。最前線で戦う軍人ともなればなおさらだ。であれば、自らの人生に悔いなど残らないようにすべきだろう。明日の命もあやふやならば、今日を全力で生きることを誰も批判出来やしない。
 その上で、自分の最期の瞬間には、親しい誰かといるべきだとも思う。花火を手に笑いあっているガキどもも、赤ら顔の呑兵衛も、ゲームに興ずる不健康児も、俺は孤独に冷たい海へ沈ませるつもりは毛頭なかったし、もっと言えば侘しく人生を終えさせる気もなかった。





 俺は時計を見る。




 もうすぐ今日が終わる。




 八月十五日。終戦記念日。





 まったく、なんて心配性か。思い込みが激しすぎる。現実がまるで見えていない。そんなはずないだろう。在り得ない。脳がオカルトに浸食されてしまっている。
 いくら今日が象徴的な日だからといって、全てが幻として消えてしまうはずもなかろうに。
 終戦記念日を過ぎたから、全ての戦いが気づけば終わっているだなんてのは、非論理的にもほどがある。

「……まぁ、でもなぁ」

 あんな顔をされちゃあ、なぁ。
 俺にだって人の心というものは十分残っているのだから。

 怖いのだという。
 死が、ではない。戦って死ぬことは本望でこそないけれど、艦娘という身に生まれ直したのは、それを覚悟の上でである。
 全てが夢で、幻で、終戦記念日を境にありとあらゆるものが形を失ってしまうのではないかと、床に就いて次に眼を覚ました時、仲間は隣におらず、自分は全然別の自分で――そんな益体のない考えが頭から消えていかないのだと。

 嘗て、大井はそう言った。


 何年前の話だったろう。記憶はもう遥か彼方に飛んで行ってしまっている。酒の席だったか、大規模海戦の時だったか……。

 寝るのが怖いなら起きていればいいのだ。孤独に消え去るのが不安なら、誰かと手をつないだままいればいいのだ。少なくとも、終戦記念日の今日、今夜だけは、俺は誰しもがそうできるようなシステムを作った。
 いや、「システム」だなんてのは大仰だ。俺はただ単に無礼講の日を設けたに過ぎない。その日の夜を仲間と、親しい、愛すべき誰かと過ごすことを選んだのは他ならぬ彼女たち自身。

 まぁ、蒸し暑い夏の一夜くらい、ハメを外す日があったって誰も文句をつけたりゃしなさ。夜遊びする公務員に後ろ指をさす民間人もここにはいない。なんならこれが俺の泊地だ、我が艦隊だと胸を張ってやったっていい。


 時刻は二三時五〇分。ビールは最後の一本、その半分くらい。

 酔いが回ってきている。きもちがいい。潮のにおいが心地よい。
 日付が変わって、誰一人欠けがないことを確認してから、眠るとしよう。




「水、いりますか」




「……あいつらは?」

「追い返されちゃいました」

「なんで、また。喧嘩でもしたか」

「あなたが言ったんでしょう。『自分の最期の瞬間には』――」

――親しい誰かといるべきだ。

「そうだったかな」

「そうよ。その言葉をそっくりそのまま、姉さんたちから」

「すまん、ありゃあ、なんだ。その、……嘘だ」

「孤独に消え去るのが不安なら」

 誰かと手をつないだままいればいい。

「今日くらいはいいでしょう?」


 手と手が触れあう。熱く、しっとりしていた。緊張のためか、汗、手汗が。
 彼女は勇気を出したのだ。ならば、俺も握り返す勇気をもって、その想いに応えるべきだった。
 
 花火は夜通し持つだろう。酒盛りは毎回午前様だ。ゲーム大会だっていつ終わるとも知れない。

 幸い、今日の夜はたっぷりとある。

―――――――――――――――
おしまい

終戦記念日は特別な日。
兵器が役目を終えてゴミになる、幸せな日。

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