桜井画門『亜人』の二次創作小説です。佐藤との最後の戦いが終わった後の話を中野の一人称で書きました。
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今日、おれははじめて選挙に行った。投票用紙の手触りはとても良かったけど、おれの書いた字は下手くそでこれでほんとに投票できるのかとすこし不安になった。投票用紙に書いたのはいまの与党じゃなくて、べつのところで、そこは亜人の管理法に反対しているところだった。立花っていう女の政治家が亜人だとわかって、亜人に関するもっと厳しい法律を決めようとしていた与党はこの法律をやめるのかと思ったけど、なんかその女の政治家だけ監視されないように法律を変えたらしい。それで他の政治家からめちゃくちゃ文句が出て、ニュースは毎日そればっか報道してた。
このまえ、会社の食堂で弁当を食いながらニュースを見ていたとき、おれはとくに選挙に行こうという気持ちはなかった。飯を食いながらテレビを見て、ふーんとか、マジかとか、思いながら同じテーブルにいる同僚とてきとうなことを言うのがいつものことでこのときもそうだった。ニュースはもうすぐ選挙があると報道していた。そのとき、目の前の席のマサさんがおれに言った。
「おまえ、もう十八過ぎてるだろ?」
「そっすね」
「どこ入れるか決めたか?」
「なにが?」
「選挙だよ」
「え、おれ、大丈夫なんすか?」
「十八だったらいいんだよ」
「あー、行ったことないっすわ」
「そんならXX党に入れてくれよ」
マサさんが言ったのはいまの与党じゃないところだった。
「与党じゃなくていいんすか?」
「連立与党ってやつだよ。知らねえのか?」
「わかんねえっす」
「中卒だもんなあ」
おれもだけど、と言ってマサさんは笑った。
マサさんは選挙についてそれ以上言わず、弁当を食い終わった後、クーラーの効いてる食堂でいつものように昼寝しだした。おれは自販機にコーラを買いに行った。自販機のすぐ横のゴミ箱のそのすぐ横には灰皿が置いてあって、昼飯が終わってからすぐに昼寝しない人らはここでタバコを吸っていた。この日はここに四人いて、作業服がきれいな事務所の人と現場の人間が半分ずつだった。
「あっちぃねー」
白髪でメガネの浅野さんが言った。
「やべぇっすね」
「三十五度超えるって」
最近、転職してきた中村さんがコーヒーを飲んでからタバコにまた火をつけた。二歳の男の子がいて、家ではなかなか吸えないらしい。
「うわ、おれも事務所行きてえ」
「ダメダメ、コウちゃんいないと現場まわんないじゃん」
「ならクーラーくださいよ。スポットクーラーでいいから」
「そういや浅野さん、今日届くんですよね?」
「そうだ、届いてた、届いてた。コウちゃん、悪いけど昼終わったら運ぶの手伝ってくれる?」
「いいっすよ」
そう言ってから、おれはコーラをぐいっとあおった。炭酸が喉にきつかったけど、むせるまえに全部飲み干せた。缶をゴミ箱に捨てる。缶についてた水滴が手に残ったので作業ズボンの尻で拭った。クーラーの効いてる事務所に戻ろうとして、おれはふと思い出したことを訊いてみた。
「そういや、選挙どこに投票します?」
おれが意外なことを言ったのか、浅野さんと中村さんが顔を見合わせた。
「コウちゃん、選挙行くの?」
浅野さんがタバコを指に挟んだまま訊いてきた。
「おれ、もう十八っすよ」
「選挙かあ」
「なんか、やってるじゃないすか、亜人のあれとか」
「あぁー」
「でも、もう佐藤も田中もいないでしょ」
「両方捕まったんだっけ?」
「佐藤だけっすね」
おれは即座に返答した。
「田中は逃げたのか」
「あと、永井も」
「中野くん、詳しいなあ」
中村さんが感心したように言った。
「ニュースでやってましたからね」
「全員捕まったのかと思ってた」
「どっちにしても亜人のテロは終わったんでしょ? なんでまだ亜人のことなの?」
「女の政治家で亜人だった人いたじゃないすか。その人だけ新しい亜人管理法から除外されるみたいな感じでモメてるみたいっすよ」
「個人情報を違法に集めてたりもしたんだよな」
「ありましたね、厚労省の役人が会見でバラしたやつ」
中村さんが戸崎さんの会見のことを思い出して、そのときのことをすこし興奮しながら語った。
「政治家も官僚もロクでもないな」
「亜人管理法が通ったら、病気が治っただけで亜人にされそうですね」
「たまにあるよな、末期癌から奇跡的に回復したとかいうの。いまなら病院から厚労省に連絡いくのか」
「怖いですね」
おれは二人の会話を聞きながら、それで結局選挙はどこに投票すればいいだろうと思い、そのことをまた質問しようとしたところで昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴った。結局、その日は仕事が終わるまで政治の話も亜人の話も出てこなかった。次の日もそうで、その次の日もそうだった。ニュースでは選挙の話がやってるのに、職場ではもう話されなくなっていた。世間ってこんなもんかと思いつつ、おれは残業が終わって家に帰ってからスマホで亜人の法律について調べたらしたけれどやっぱりよくわからなかった。それでおれは関心があって法律のこともわかってそうな人に電話した。
『もしもし』
「秋山さん、今いい?」
『中野か。ひさしぶりだな』
電話向こうの秋山さんの声が弾んだ。
「あのとき以来だね。そっちどう?」
『家に戻ってから大変だったよ。行方不明者届出されてたからな、帰った途端大騒ぎだった』
「奥さん怒ったり?」
『マジギレだよ。それに泣かれるし。あのときより大変だった』
秋山さんの苦労話に笑って、ひととおり雑談した後、おれは本題に入った。
「今度選挙あるじゃん」
『ああ、あるな』
「秋山さんさ、どこに入れる?」
『なんだおまえ、そんなこと考えてるのか』
「おれもう十八だぜ」
『あれか、新亜人管理法案のことで気になってんのか?』
「与党が賛成で、ほかが反対してるってのはわかるんだけどさ」
『だいたいそんな感じだな。細かく見てけばもう少し違うんだが』
「そうなの?」
消防車のサイレンのような音が聞こえてきた。その音は小さくて電話越しに聞こえたのかと思ったけど、スマホを耳から離しても聞こえてきたのでおれのマンションのある地域で火事があったのだろう。窓を開けてベランダに出てみたけど、夜の街に赤い火の色はどこにも見えなかった。
『おい、聞いてるか? 中野』
「なんか火事あったみたい。サイレン鳴ってた」
『おれのところには報告きてないな』
「あ、いま消防署にいんの?」
『ああ、今日は当番だ』
「じゃ、あんま長電話したらまずいか」
『休憩中だよ。じゃなかったらもっと早く切ってる』
秋山さんは笑って、それから話の続きをした。
秋山さんが言うには新亜人管理法に反対している政党の主張にはそれぞれ違いがあって、最大野党は主に個人情報やプライバシーの侵害を軸に反対していて、ほかの野党もだいたいこれに同調してるらしい。それから国会で議席がいちばん少ない政党もこの法案に反対してるんだけど、この政党は反対してるだけじゃなくて亜人にも日本国民と同等の権利を与えるように主張しているってことだった。
「そんなのできんの?」
おれはちょっと驚きながら秋山さんに聞いた。
『ほとんど無理だろうな』
ため息まじりの返答が電話越しに聞こえてきた。
「え、なんで?」
『佐藤のテロの記憶がまだ新しいってのに、亜人の権利なんか主張しても賛同するやつなんかいないだろ? 仮に実現したとして、おれもおまえも亜人だって名乗り出る気になるか?』
そう言われると無言になるしかなかった。亜人であることを隠すのは難しくない。要は人前で死ななければいいだけだからだ。おれも秋山さんも誰にも見られずに死んだし、おれたちが亜人だと知っている人たちはそのことを言わないってこともわかっている。
『おれとしては国民の大多数が関心を持つような主張をしているほうが現実味があって応援する気になるよ』
「だったら、そこに投票する意味ねえなー」
『まあでも、まったく無意味かって言われるとな』
「どういうこと?」
『今回の選挙で議席が取れなくても、次の次くらいには取れるかもしれない。もしかしたら五十年後には亜人の権利が真面目に議論されるかもしれない。百年後には亜人の権利が認められるかもしれない。その可能性が持続するには、今回の投票が必要なのかもしれない』
「よくわかんねえよ」
おれの悲鳴まじりの返答に秋山さんはクスッと笑った。
『よく考えろよ。よく考えて結論を出したんなら、どこに投票してもいいんだよ。おまえの権利なんだから』
おれは秋山さんに言われたことを考えてみた。かもしれないと何度も言っていたこと、いまだけでなくて未来にも関係しているかもしれないこと、おれたちだけではない誰かのためになるかもしれないことを考えてみた。
「やっぱよくわかんねえや」
『そんなもんだ。わかんねえまま、生きてくんだから』
それから少し雑談してから、おれは電話を切った。いい加減暑くなっていたから、おれは部屋に戻って窓を閉めてエアコンの風にあたって汗が引くまでベッドの上であぐらをかいて口を開けていた。冷たい風を堪能しながら、なんか扇風機にむかって声を出してるみたいだと思った。口を開けていると喉が渇いてきた気がして冷蔵庫を開けてみたけど、飲みたいものはなかったので、しかたなく水道水を飲んだ。冷たい水を期待したけど、水道水はぬるくてあんまり水分補給になった気がしない。
ベッドに戻り、充電器につないでいたスマホを手に取った。難しいことを調べる気にはなれなくて、パズルゲーでもしようかと思ったけどアプリが重くてログインできなかった。おれはあきらめて今日はもう寝ることにした。
「そういや、あいつも十八か」
眼を閉じる前におれは永井のことを思い出した。
あいつは頭いいし選挙に行きそうだな、と考えた。それからあいつだったらどこに投票するんだろうと考えた。
ーー
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ーー
投票日はフォージ安全で佐藤と戦った日からちょうど一年後だったので、おれは家からいちばん近い投票所には行かなくて、途中で元フォージ安全のビルの前を通る投票所へ行った。
午後から半休を取って、電車を乗り継いでバスに乗った。バスの中で投票の流れをスマホで調べながら、たまに窓から景色を眺めた。めちゃくちゃ高いビルに、歩道を歩く半袖のカッターシャツの会社員たちが見える。おれとは無縁な人らだと思ったけど、もしかしたらこの中に亜人がいるのかもしれないとも思った。見覚えのあるビルが近づいてきているのが見えて、おれはバスから降りた。投票所までちょっと距離があるけど、歩いていけなくはなかった。
おれはぽっかりと人通りが消えたビルの前に立って、頭を上げた。フォージ安全は社長が殺されてから倒産して、別の大企業がこのビルを買い取ったって話だった。いろいろあってこのビルにはまだその会社は入ってなくて、いまは忘れ去られたみたいになっている。
おれはビルの上の方を見ていた。十五階のあたりと屋上のあたり。平沢さんと黒服の二人が死んだ場所。あとから聞いた話だと、真鍋さんは生きていて病院に運ばれたんだけど脱走して、いまは行方不明になってる。真鍋さんが生きていてうれしかった。できれば会いたかったけど、真鍋さんなら元気にやってると思う。
誰もいないビルは墓石みたいだった。花もお供え物もなかったので、帰りになんか買ってこうと思った。花屋で買い物するのははじめてだから緊張しそうだと思いながら、おれは投票所へ向かった。
投票所は小さな公民館で冷房が効いて涼しかった。受付の人に投票所入場券を渡して本人確認が済んでから投票用紙を渡された。ツルツルしていて手触りが良かった。こんな紙は生まれて初めて触った。おお、すげーなって感じだ。
記載台には候補者の名前が書いてある紙が貼られていて、おれはその中からどの人の名前を書くか少し迷い、おれは亜人だしそれに他の亜人のためになる人がいいよなと考え、亜人の権利を主張しているところの名前を書いた。おれの書いた字は下手くそでこれでほんとに投票できるのかとすこし不安になった。二つ折りにした投票用紙を投票箱に入れた。おつかれさまでした、と投票箱の前にいた人が言った。
おれは公民館から出て、むっとした空気を浴びた。もう夕方だったけど、まだ暑かった。花買ってから飯を食いに行くか、でも花屋どこにあるかわかんねえな、先に飯食うかな。そんなことを考えながら、おれは歩き出した。
ーー
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ラーメンと炒飯を食って花を買ってからフォージ安全があったビルに戻ってきたときにはもう日が沈んで夜になっていた。周りのビルには灯りが点いていて、フォージ安全があったビルだけ真っ暗だったから昼に見たときよりますます墓石みたいに見えた。おれは平沢さんたちのために花束を買ったから、供えるなら十五階と屋上に供えたほうがいいだけど、ビルは侵入禁止だったから近づけるギリギリのところに花束を供えることにした。
ビルの入り口のあたりは道路工事で見るようなフェンスで塞がれていた。殺風景で、まるでこれから解体工事が始まるみたいだった。
花を供えるんなら真正面がいいよなと思ったので、おれはフェンスの隙間を覗いてビルの入り口を探した。しばらくフェンスの前をウロウロして、おれはやっとビルの入り口を見つけ出した。ホッとしてそこに花束を置こうとしたとき、おれは気づいた。
そこには、すでに花束が供えられていた。
おれは花束を持ったまま走り出していた。人が行き交う通路に出て、首を左右に振って周りを見渡したけど、おれとは無縁そうな会社帰りのサラリーマンしか見えない。
あの花束は昼に見たときには絶対になかった。フェンスのすぐ近くまでには行かなかったけど、おれは視力が両方とも二・〇だから、もし昼に花束があったら見落とすはずない。
おれがビルから去ってから入れ違いにやって来たのか、そうかもしれない、でも違うかもしれない。
おれはどうすればいいか考えた。あれは絶対に平沢さんたちのための花束だ。近くにいるのか、もう遠くにいったのか、わからない。確かめる方法はないのか。
おれは考えに考え、そしてあることを思い出した。
おれは集中して、黒い粒子を出した。狼煙のように夜に向かって、びゅうびゅうと強い風が吹いていたビルの屋上のことを考えながら、まっすぐ昇っていくように考えながら、黒い粒子を出し続けた。
五分くらいずっとそうしていた。粒子を出しながら、おれはその場で夜空を見上げ、あちこちに眼を向けた。そうしているうちに、そういや真鍋さんもいるじゃん、と思い当たった。そっちの可能性もあった。ていうか、そのほうが可能性が高かった。フォージ安全があったビルの近くにはバス停があって、ずっとこうして立っているとバス停にいる人がおれのことをジロジロ見ている気がする。
落ち着かない気分になってきた。内心焦りだすと、だんだん永井はそんなことするようなやつじゃないような気持ちがどんどん強くなってきた。あいつ、誰が死んでも知ったこっちゃないとか言ってな、とおれは思った。
おれは黒い粒子を出すのをやめて、さっさとフェンスの前に花束を供えようと振り返ってビルを見上げた。
そして、黒い粒子を見た。
黒い粒子の狼煙はビルの屋上から昇っているように見えたけれど、よく眼を凝らすとビルを挟んだ反対側から昇っていた。たぶん角度とか距離感とかそういうのが違うんだろう。夜の空に昇っていく粒子は黒いのに、はっきりと見えた。おれが黒い粒子を頼って永井に会いに行ったときと同じにはっきりしていた。
おれは少しの間ボーッとしていて、はっと気づいたときおれも黒い粒子を上げた。
空に粒子が昇っていった途端、ビルの屋上から見えていた粒子が止まった。
おれはなんだよ、と悪態をついて、それからフェンスの前まで歩いていった。永井が置いていった花束をフェンスに立てかけ、自分の花束をその横に供えた。手を合わせ眼を閉じて、すこしじっとした。
おれは立ち上がり、バス停に向かって歩いていった。家に帰り、風呂に入った。風呂に入る前にクーラーを入れておけばよかったと後悔しながら窓を開けた。冷房が効いてきた。おれは窓を閉め、明日のためにぐっすり眠ろうとベッドに入った。
〈了〉
新田美波「わたしの弟が、亜人……?」
新田美波「わたしの弟が、亜人……?」 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1483369191/)の続きの書き溜めが消えてしまって半年くらい意気消沈してましたが、リハビリがてら一気にこの話を書きました。続きの方は書き途中です。目処がついたら新しくスレを立てますので、気がむいたら読んでいただけると幸いです。
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