浅倉透「洗い物の映画」 (16)
雑誌のアンケートに「人生でいちばん印象に残っている映画は?」という質問があって、これはめっちゃ難しいなと思った。
映画を観るのは好きな方。おもしろいし、笑えるし、最近は恋愛ものとかもおもしろいな、好きだなって思うようになってきたし。
でも人生でいちばん印象に残っているかと言われるとそれは違って、映画よりも実際に起こったことの方がよっぽど印象的だよなーって思う。
なにせアイドルになったんだし。それもわたしだけじゃなくて、樋口と小糸ちゃんと雛菜とユニットでデビューしてるから、人生を変えた映画は答えられないけど人生を変えた人なら答えられるのにと思ってマグカップに手を伸ばしたんだけど、唇に当てたところで空になってるのに気づいた。
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「コーヒー、飲むか」
おかわりが給湯室にあったと思う。ついでに食べ終えたケーキの皿を持って給湯室のシンクまで持っていく。
ケーキは差し入れでコーヒーはプロデューサーが淹れてくれた。どっちもけっこういいやつでもしかしたら合うんじゃないかと思ってプロデューサーに頼んでみたら、よし、とちょっと気合を入れる感じでコーヒーをドリップしてくれた。わたしはドリップしてる様子を見てたかったけど、プロデューサーはケーキ選んでたら、とかアンケートあるだろ、とか言ってあんまり見せてくれなかった。
プロデューサーは洗い物をしてた。シャツの袖をまくってスポンジでお皿をゴシゴシ洗ってる。わたしはプロデューサーの背中を見て、なにかを思い出しそうになった。
「ん、透?」
わたしが声をかける前にプロデューサーは振り向いて、すぐにわたしが持ってるお皿とマグカップに視線を落とした。
「ああ、食べ終わったのか。置いといてくれ、洗っておくから」
「え、いいよ、わたしやるよ」
「いいからいいから」
プロデューサーは泡を水で流すと手早くタオルで水気をぬぐって、わたしの手からケーキのお皿とマグカップを取っていった。
「あ」
「ん?」
プロデューサーが手に持ったお皿とマグカップをシンクに置こうとしたとき、また何かを思い出しそうになった。
「おかわりしようと思ってたんだよね」
「ケーキは一人一個までだぞ」
「ちがう、コーヒーだよ」
「そっちだったか」
プロデューサーはお皿をシンクにマグカップをコンロの横に置いて、おかわりを注ごうとコンロの上にあるコーヒーポット手を伸ばしたけど、ぜんぶやってもらうのは嫌だったから大股でポットに近づいてプロデューサーが把手を持つ前にポットを持ち上げた。
マグカップに注いだコーヒーは黒くてまだ暖かい。マグカップをそっと握ってみると、手に伝わる温度はちょうどいい感じでこれならすこし待たなくても飲んで大丈夫そうだった。唇を濡らす感じでほんのちょっとだけコーヒーを飲んだ。
温度はちょうどいい。でも、味は苦い。
顔をしかめてると隣から小さい笑い声が聞こえた。プロデューサーがこっちを見てた。やさしそうな目で見てたけど、なんか十七歳のわたしじゃなくて十二歳のわたしを見てるみたいだった。
「なに?」
わたしはけっこう不機嫌になって言ったと思う。
「無理してブラックで飲まなくていいのに」
プロデューサーはかるく謝ってから言った。
「プロデューサーはいつも飲んでるじゃん」
「仕事のときはな」
「だから」
「ああ、アンケート」
「うん」
「順調か?」
「ちょっと、悩んでる」
「人生でいちばん印象に残っている映画」のことを実はさっき少しだけ思い出していた。洗い物をしてるプロデューサーの背中を見たとき前にもこんな場面を見たことがある気がして、でもなぜかモノクロの映像だったからこれは映画なんだなって思った。
わたしはプロデューサーに相談してみた。
「人生でいちばん印象に残っている映画って質問、タイトルが思い出せないんだよね」
「そうなのか?」
「観たの、五、六年くらい前だから」
プロデューサーは洗い物を再開してた。わたしは砂糖もミルクも入れないままのコーヒーをちょっとずつ飲んで、頭が冴えてこないかなと考えながらプロデューサーに話しかける。
「うん、日本の映画で古いやつ」
「誰が出てるとかわかるか?」
「えっーと、最近ニュースで見た人……亡くなったってニュースしてた」
「最近だと、渡哲也か」
「あー、そうかも」
「他には? 印象に残ってるシーンとか」
「鉄砲、バンバン撃ってたね」
「なんか、やくざ映画っぽいんだが、それだと」
「それに広島弁で喋ってた」
「やくざ映画だな。意外な映画観てるな」
「たまたまだよ。テレビでやってたの」
「地上波じゃやんないだろ。BSで観たのか」
「そうかも。サブスクじゃ観ないだろうし」
「まあ、よほどの映画好きじゃなきゃ十代の子の選択肢にはあがらないよな」
「映画けっこう観るよ、わたし」
「でも、あまり映画館とか行かないだろ」
「あー……たしかに」
「それで、渡哲也主演のやくざ映画で広島が舞台のやつか」
「あと、洗い物」
「ん?」
プロデューサーがこっちを向いた。
「洗い物してるの、やくざの人が」
「そんなシーンがあるのか?」
「うん。刑事がやくざの家に来てご飯食べてて、で、自分で食べた茶碗を洗って、それを見た刑事がジーンってしてた」
プロデューサーがふと手を止めた。なにかを思い出そうとしてるみたいに顔をちょっと上に向け、黙って考え込んでる。少しして、プロデューサーが言った。
「それ、なんか覚えがあるぞ」
「え、マジ?」
「洗い物してるやくざって松方弘樹じゃなかったか?」
「あー……待って、いま顔思い出す」
「スマホで検索した方が早いんじゃないか?」
「大丈夫。思い出した」
「そうか。で、刑事は菅原文太だったと思う」
「ふーん、なんてタイトル?」
「『県警対組織暴力』。監督は深作欣二だな」
「あれ、渡哲也は?」
「出てなかったんじゃないかな……」
「そうだったっけ?」
「渡哲也の顔、覚えてるか?」
プロデューサーに言われてわたしはすこしムッとしそうになったけど、今度も顔を思い出そうとしてニュース番組ですこしだけ流れた昔の頃の渡哲也を記憶から探った。スーツ姿で髪は短い。サングラスかけてて、でっかい銃を持ってパトカーに乗ってる。それから、ニュースのナレーションは石原軍団って言ってた気がする。それで思い出したけど、ニュースで使われてたのは『西部警察』の映像だった。
「ふふっ、出てなかったわ」
「ははっ、やっぱり」
わたしが笑って、プロデューサーも笑った。プロデューサーはちょっと困ったように笑うかと思ってたから、こんなふうにいっしょになって笑えたのは、うれしい。
「解決した。ありがと、プロデューサー」
そう言って、わたしはコーヒーを一口すすった。おいしくはないけれどこの苦味にも慣れてきて、ひと仕事終わったあとのスッキリする感じにはピッタリかもしれないように思えた。苦味の中に酸味があって、香りが鼻を通り抜けていく感じがいい。頭がスッーとする感じ。
ひと息ついて、落ち着いて、ゆっくり息を吸ったとき、わたしはふと問題に思い当たった。
「あー……でも、アイドルっぽくないかも」
「ん?」
「もっとオシャレな映画のほうがいいかな?」
プロデューサーは最後の洗い物をしてるところだった。洗剤の泡を洗い流したお皿をふきんで軽く拭いて、食器乾燥機のかごに入れる。そして言った。
「透は、なんでその映画のことが印象に残ってただ?」
「んー、なんでだろ」
「……洗い物をするシーンのことだけど」
「うん」
「透はどう思った?」
「どうって、どういうこと?」
「さっきの説明でさ、透は洗い物をしたら松方弘樹を見た菅原文太がジーンってしたって言ってたよな」
「言ったね」
「透はジーンとした?」
わたしはちょっと黙った。
「した」
と、わたした答えた。
「そのジーンとしたって感覚があるならいいよ。ちょっと説明がいるかもしれないけど」
プロデューサーがそう言って、わたしは洗い物のシーンのことを詳しく思い出そうとした。
刑事は受話器を持って警察に電話をかけようとしてる。やくざが自首してきたから。刑事は話を聞いてからお茶漬けを出した。やくざはすごい勢いでお茶漬けを食べた。刑事はその様子を見てた。仲が悪いとは思えなかった。食べ終わってから刑事は電話に向かった。黒電話ってやつ。ダイヤル、回してみたいなって思ったっけ。受話器を耳にあててたら、呼び出し音じゃなくて水道の音が聞こえて、そっちを見たらやくざがお茶碗をごしごし念入りに洗ってた。それで刑事は受話器を置いた。
お茶漬けを食べて、お茶碗を洗っただけなんだけど、刑事にはそれで十分だった。
「その人のほんとのところを見たんだよ」
わたしは言った。
「その人のほんとにいいところ」
独り言のように言って、わたしはプロデューサーのほうを見て質問した。
「プロデューサーはさ、そういうのある?」
「ある」
プロデューサーは即答した。
「旗を掲げたくなる?」
「一生な」
そう答えてから、プロデューサーはクスッとわらった。
「こんな台詞、あったよな」
「あった、あった」
「あっ」
プロデューサーはまた何かを思い出したみたいにちょっと上を見た。
「透が映画観たのって五、六年前だっけ?」
「それくらいだと思う」
「おれもそれくらい前に観てるな」
「えっ」
「大学の友達に映画が好きなやつがいてさ。菅原文太が亡くなったとき、部屋に呼ばれて追悼だっていっしょに観たんだよ」
マグカップにはまだコーヒーが半分くらい残っていた。わたしはコーヒーをぐっとあおって、お茶漬けを食べる松方弘樹みたいに勢いよく飲んだ。
「ちょっとのいて、これ洗うから」
苦いのを我慢しながら、わたしは言った。
プロデューサーは後ろに退いたけど、手を拭いてなかったみたいでタオルを取ろうとシンクの横に手を伸ばそうとした。
わたしは先にタオルを取ってプロデューサーに手渡し、水道を出した。
「わたしさ、けっこう家の手伝いとかしてるんだよ」
「知ってる。前にインタビューで言ったもんな」
「でも、見たことはないでしょ?」
プロデューサーがこっちを見た。手にタオルを持ったまま。
「見ててね、そこで」
わたしはスポンジを手に取って、二回、三回と握った。白い泡がすごく出てきて、マフィン作りをしてるみたいにマグカップの縁から泡が漏れていった。わたしはいつも家でするより力を込めて念入りにマグカップを洗い始めた。
以上です。
ノクチルと映画でSSを書いてみたいなーって思ったんですが、なんで『県警対組織暴力』になったのか、自分でもマジでわかんないです。
他の3人で書くとしたら円香が『コラテラル』、雛菜が『寝ても覚めても』か『接吻』で小糸がまだ決まってません。気が向いたら書いてみます。
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