【ミリマス】電話越しのシガレット (88)


「あっ莉緒!こっちこっち!」



待ち合わせの駅前で、探しビトは私を見つけるや否や、年甲斐もなく手をブンブン振って、ピョンピョン飛び跳ねてる。


昔からバタバタ騒がしい娘だったけど、全然変わらない。
だからあだ名は―――


「ちょっと、バタ子!あんまり大きな声で呼ばないでよ!一応私、芸能人!」


変装の為に付けたサングラスをくいっと上げて私はしかめ面を作る。


「あはは〜、そういやそうだったわね!
我が校が誇る"残念マドンナ"百瀬莉緒も、今や押しも押されぬアイドルであったなー」



白々しい。分かって言ってる!
でもすぐに笑顔が溢れてしまう。


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大学時代の友達、バタ子。
卒業してからちょくちょく連絡はしてたけど、こうして会うのは久しぶり。


「さ、バタ子殿のオススメのお店とやらはどこかしら。舌の肥えた芸能人である私のおメガネに適うかしら?」


「紳士が集う、絶品の和風グリルチキンがいただけるお店ですわ!
またの名を、おっさんのたまり場の焼き鳥屋とも言うけど!」



でも、まだ会って3分足らずなのに。
そんな冗談を言い合ううちに、会えなかった時間なんて一瞬で消えてなくなって。
すっかり、"あの頃の私達" になる。



「さ、行こ!」



バタ子が案内するために私の前へ躍り出る。
そのとき、彼女の振りまいた香りに、私は小さな違和感を覚えた。





もくもくと煙が充満する店内。
バタ子と私は、カウンターで肩を並べてる。
目の前ではおじさんが忙しなく串をひっくり返してる。
店のあちこちでにぎやかな話し声と店員の威勢のいいオーダーを繰り返す声が、居心地の良い喧騒になって、私達の話を弾ませる。



「街なかでよく見るわ。
化粧品の広告だかの、デカデカ印刷されたアンタの顔。オシャンなおべべ来てさ。売れてんのねー」


バタ子は瓶ビールをグラスに注いで、それをグビッと煽る。


「まぁ、ね!
仕事をとってきてくれる人が……
プロデューサーくんが、デキる人だから」

ビールの注がれているグラスの縁を、人差し指でなぞりながら応える。


「ふーん…」


ジトッとした目線を私に向けて、ねぎまにかぶり付く。





「バタ子はどうなのよ。仕事。雑誌の編集なんて、忙しそうじゃない」


「入って1年のぺーペーなんか、先輩編集の後ろについての研修………って体だけど、ようはパシリよ、パシリ!
元号変わったって奴隷制度はまだ残ってることを実感した一年よ!」



まくしたてるように話してから、
顔を伏せて腰掛けたイスの下で両足をバタバタさせる。


「むーー、先輩厳しくてさー。
妥協しないし、私の雑誌企画の穴、速攻見つけてさー。連日企画を差し戻されるのー!
後ろについてくだけでも大変なのに!」


でもすぐに足を止めて。
少し物思いに耽る顔をして。



「あー先輩のこと考えたら、もームリ。ちょっと外出てくるわ」

そう言って急に腰を上げる。



「どこ行くのよ」

私の後ろを通り過ぎようとするバタ子。

「んー。ちょっと、外の空気…」

「タバコ、でしょ?」


私がそう口にすると、ピタッと足を止める。


「気づいてたの?」


「コロンで隠してるけど、分かるわ。
ここ喫煙OKのお店だし、ここで吸えば?」


「……匂いついても、知んないわよ」


「こんな焼き鳥屋に連れてきて、それ言う?」



上げた腰をドカッと下ろして。
言ったからには遠慮しないとばかりに迷わず箱を取り出して一本引き抜いて、口に咥えて、火をつける。




深く煙を吸って。
そして、溜まった鬱憤を一緒に吐き出すように、勢いよく煙を吐き出す。


目はトロンとして。どこか恍惚とした表情。
そんな様子を見ていると、つい聞きたくなる。


「おいしい?タバコ」


人差し指と中指にタバコを挟んだまま、バタ子は応える。


「まずい。
先輩が吸ってる銘柄と一緒だし。仕事思い出すし」


チリチリと長くなる灰を、灰皿の縁に当てて落とす。
もう一度咥えて、今度はゆっくり味わうように煙を吐き出す。


「……でも、やめらんない!」



そうイタズラに笑う。
メイクで隠してるけど、目元の黒さは私には分かる。学生の時では見られなかった、疲れた顔。


「ストレス、溜まるの?」


「あのね、莉緒。女がタバコ吸うキッカケは2つ。
ストレスか、男の影響。
私は、どっちだかわかるでしょ?」


私はジッとバタ子がタバコを咥える姿を見る。



「男だ」



「ぶっ!けほ!けほ!」



出すはずの煙を飲み込んで咳き込むバタ子。

「あら、図星?」

「ホント、アンタには昔から隠し事出来ないわね…。確かに、キッカケは会社の先輩が吸ってたから」

「ふーん?それだけ?」


チラと横目でバタ子を見やる。




気まずそうに目を泳がせてから、ため息をついて話す。


「……あーもう、白状するわ。
その先輩、ちょっといいなって思ってる。
仕事めちゃ厳しいけど。
その分、イイ仕事したら素直に褒めてくれんの。
そしたらね、なんか無性に舞い上がっちゃう。やられちゃってんだろうな私」

ほら、ご満足?と、腹いせに私の皿からぼんじりを奪って、ガチッと串に食らいつく。


「やだ!オフィスラブってやつ!
トレンディードラマやってるわねぇ。応援するわよ♪」



私は皿に残ったレバーを口に運んで、結露だらけのグラスを煽る。


バタ子は灰皿にタバコを押し付けて、私を見据える。


「アンタはどうなのよ。いい人、いるの?」


アイドルには、恋愛はご法度。
百も承知で彼女は聞いてきてる。
そんな目だ。


「いい人……ね」


それを聞いて真っ先に思い出す、あの顔。
新曲を持ってくる時の嬉しそうに私の名前を呼ぶ、あの顔。
『莉緒!』って。


なんだか顔が火照ってくる。
お酒、回ってきたかな?


バタ子は、そんな私をニヤニヤと見てくる。


「やーん!いるんだ!中学生みたいな反応♪
……ウブな莉緒ちゃん♪」


摘んだ焼き鳥の串を、私の方へ指してツンツンつつく。私はプイッと顔を逸らす。


「彼とは別に、そういうんじゃないから!ぷ、プラトニック?な、……オトナの関係よ!」


使い慣れない横文字を使って。
瓶からビールをグラスに注いで、一気に煽ってガン!とグラスを置く。
喉は冷えてるのに、顔は湯気が出そうなくらい、あつい。

バタ子は頬杖をついて、聞いてくる。


「……じゃあ、アンタさ。
私がなんで、先輩と同じ銘柄のタバコ吸ってるか、分かる?」


「んー……おいしいから?」


プッ!と吹き出すバタ子。

「アンタさ、妙にカンの鋭い所あるくせに、そういうとこ、ほんと残念だわ…」


ってあはは!と笑う。
もう、なんなのよ!



「で、そのナゾナゾの答えは?」

「答えはね……言わない!アンタも女ならさ。私の気持ち、いつか分かるから」



ん、んー?
タバコを吸う……気持ちが?







「あ、莉緒……」

「あ、プロデューサーくん……」



劇場の掃除当番だった私は、ゴミ袋を出そうと裏口の扉を開けたとき。
階段に腰掛けてる、彼……プロデューサーくんと、バッタリ出くわす。


その口には、白くて、短い棒みたいなものが咥えられてる。



―――タバコだ。



彼は、バツの悪そうな顔をして、ソレをしまおうか逡巡していたようだけど。
結局、ソレを咥えたままモゴモゴ話す。


「ちょっほ、どくよ」

「う、うん」


ゴミ袋を捨てて、階段に戻ってくる。
プロデューサーくんは、同じところに座ったまま、
口から煙を、モクモク出してる。


「ふぅー……莉緒。お疲れ」


タバコの煙を燻らせながら、そうポツリ。


「プロデューサーくん。タバコ、吸うんだ。はじめて知った」



見慣れない彼の姿に、私はそう、聞かざるを得ない。



「隠してたわけじゃ、なかったんだけどな。
ただ、あんまり見られたくなかったよ」




アイドルの営業活動とは、人との縁をいかに多く作るかだ。

芸能界の、とりわけクリエイターには喫煙者が多く、喫煙所に入れば、皆平等な"喫煙者"となる。
肩書や立場をいっとき忘れ、煙を燻らせながらリラックスし、談笑する。そんな場所。

普段は話せないような雲の上の人と話すことができる、いわば『恰好の営業場所』をほっておくわけにはいかず、
いつしかタバコを常備するようになったんだとか。





「正直、俺自身あまり好きな方じゃないから、吸いたくはないんだけどな。
完全に仕事道具さ。ひと箱を何ヶ月も保たせてたんだが、吸わなさすぎてシケってきちゃって。
捨てるのももったいないし、たまにこうして吸ってるんだ」



そう言って、またタバコを咥えて、天を仰ぎ、口から煙を真上に吐き出す。
私に煙が掛からないようにしたんだろう。



「べつに、隠れて吸わなくてもいいじゃない?」

「莉緒みたいな大人なら、いいとは思うんだけどさ。ほら、年頃の娘たちも多いし。
タバコって、いい印象ないだろ。変なことで嫌われたくないんだ」


そんなことで彼を嫌いになる娘は誰もいないと思うけど。
短くなったタバコの煙を吐き出し終わったとき、上目遣いに彼は話す。



「……莉緒。
すまないが、このことは他の娘には……」


この顔を見るに、本当に気にしているんだろう。



「いいわ。黙っててあげる」

「助かる!」

携帯灰皿にジュッとタバコを押し付ける。



「多分、可憐や桃子には感づかれてるかな。
でも、吸ってるところを初めて見られたのが、莉緒で良かった」


「初めて。そう、なんだ」


ふたりだけの、秘密。
このみねぇさんや、風花ちゃん、歌織ちゃんも、知らないコト。


彼が戻ろう、と裏口から劇場に入るとき。
彼の背中から漂う匂いを嗅ぐ。



彼の吸うタバコの銘柄特有の匂いだろうか。
煙臭さの中の、ちょっと甘い香り。
私は不思議と、気分が高翌揚していた。





ある日。
劇場でダンスレッスンを終えてから、交通費の申請書類の記載に不備があったらしく、765プロの事務所へ寄る。
すぐに修正が終わって、事務員の青羽美咲ちゃんと世間話してると、ケータイが鳴る。


「あら?プロデューサーくんからだ」


明日のボーカルレッスンの時間が遅れるって事務連絡。私はすぐに了解のメッセージ返信する。


「プロデューサーくん、今日はどこにいるのかしら」


そうポツリと呟くと、美咲ちゃんが笑って、天井を指差す。


「プロデューサーさんなら……」








事務所屋上の重たい扉を開ける。
屋上の端の丸椅子に腰掛けて、タバコに火をつけようとしてる男性ひとり。

来るはずのない来客に、ポカンと口を開けて驚いている。
差し入れの缶コーヒーを差し出しながら、声をかける。



「メッセージ、見たわよプロデューサーくん♪」


「お、おう。ありがとう。
来てたのか。ここ、青羽さんに聞いたのか?」


「ええ。またタバコ?」


頻繁に吸っていると思われているのが心外なのか、ムッとする。


「またとは失礼だな。
前、誰かさんに見つかったから、場所を変えただけさ」


彼はライターを掲げて、『いいか?』と無言で聞いてくる。
私は頷いて、一歩離れて距離をとる。


口に咥えたタバコに火を付けて、深く吸ったあと、口からゆっくりと吐き出す。
今回も、私に煙が掛からないように、上を向いて。



「ねぇ、おいしい?」


バタ子に聞いたときのように、尋ねる。
彼も、人差し指と中指にタバコを挟んだまま応える。



「まずいよ。
俺にとっては仕事道具だし。
吸ってると、やっぱり仕事のこと考えちゃうよ。息抜きになりゃしない」


そう言いながらまた白い棒を口に運ぶ。
タバコを吸ってる間は、目をトロンと細めて、どこか遠くを見ているよう。
携帯灰皿に灰を落とすとき、ジッと見てる私に気づいて、声をかける。


「悪い。くさいよな。すぐ終わらせるよ」

「う、ううん。別に!」


いつもと違う彼の表情に、ドキッとする。
煙臭さの中に、特有の甘い香りが私の鼻腔をくすぐる。



前、バタ子に言われたことを思い出して、聞いてみる。



「プロデューサーくんが初めてタバコ吸ったの、いつ?」 

「……ハタチニナッテカラダヨーホントダヨー」


ふざけてわざとカタコトで話す。


「うん。で、ホントは?」


私の有無を言わせぬ問いに、
観念したようにクスリと笑って話す。


「15だったかな。クラスメイトと河原でコソコソ吸ったのがはじめかな」


「ワルねー」


呆れたように私が言うと、彼は笑う。


「ははは!まぁノリと勢いさ。男子中学生なんてそんなもんだ。
でも、吸い方がわからなくてな。
煙を思い切り飲み込んで、ものの見事にむせたよ。んで、今になるまで、それっきり!」


煙を吐いて、目を細めて愉快そうに話す。





バタ子が言っていたキッカケとは、違うのね。
私はバタ子が語った、女のタバコを吸うキッカケを彼に話す。


「ははは!なるほど。ストレスか、男の影響か!なかなか面白い娘だな」

煙を吐きながら、ケタケタと笑う。


「で、そのあとのナゾナゾ、わかる?」


彼にも聞いてみる、バタ子のナゾナゾ。


「憧れの人と同じ銘柄のタバコを吸う理由、か。
単純じゃないか?同じものに揃えることで、その人に近づきたいって意志の現れだろ。
なんともいじらしいじゃないか」


うーん、そうかしら。
あの娘のことだから、もうちょっとなにかありそうな気がするのだけれど。



「さ、もう日が暮れる。戻ろう」

彼はそう言って、丸イスから立ち上がる。



もうしけっててだめだな、と呟いて、クシャっとタバコの箱を握り潰す。
私は、すかさず声をかける。



「あ!それ、捨てるんでしょ?空き缶と一緒に捨てておくわ。ちょうだい?」

「お、いいのか?なんか悪いな」


彼は私に手の中のモノを手渡して、扉まで歩いていく。
彼の後を追いながら、受け取った手の中のそれを、少し弄ぶ。



「へー、この銘柄、か」







今日は清涼飲料水のCMの仕事。
PV撮影は先日終えていたので、CMソングの収録だった。

ひと仕事終えて、今は765プロの社用車での帰路。車内のBGMは、さっき撮ったばかりの私の歌のデモCD。


彼は運転しながら、助手席の私に嬉しそうに話す。


「……うん。莉緒の歌声に合ってる。
監督に挨拶にいったら、また仕事したいって絶賛だったぞ!」

「ふふっ、CMの完成が楽しみね!
全国のいたいけな青少年が溢れ出るセクシー悩殺されないか心配だわー♪」


そんな会話をするうちに、ふと思い出す。



「ねぇねぇプロデューサーくん。今日、私見てたんだから♪『挨拶まわり』ってやつ!」


彼は現場でたびたび、『挨拶に行ってくる』と言って姿を消すことがあったけれど、
今はその『挨拶』は喫煙所に行っていたのだと分かった。


彼はああ、と声を上げる。


「収録の合間、監督が喫煙所に行ったのを見たからな。そういうの、結構目ざとく見てるんだ」

ニヤリ、と笑う彼。

「なんか、監督とすごく楽しそうに話してたわね。何の話してたの?」



ひっそりと後をつけて、喫煙室で監督とバカ笑いする彼を見た。
普段、見れない彼の顔。
気になる。



「他愛もない話だよ。男同士の喫煙室での会話なんて、女子が聞いたって楽しくもなんともないさ、きっと」


そういうものかしら?
学校で男子が隠れてしてた、エッチな話と似てるのかしら?



私はスンスン、と車内の匂いを嗅ぐ。



「匂い」

「え?」

「タバコの匂い。今日は、しないんだ」

「……消臭スプレーとミントタブレットは常備してる」


彼の喫煙者としての気遣いは、きっと100点満点なんだろう。でも、私としてはーーー


「ねぇ、今はタバコ吸わないの?」

「吸わない。クルマ、匂いつくし」

「ふーん、そっか」


ちょっと残念。とポツリつぶやく。



渋滞で一向に進まないクルマに、
彼は握っているハンドルを人差し指でトントンと叩きながら話す。


「おいおい莉緒。
まさか煙草に興味あるんじゃなかろうな?
アイドルが喫煙なんて、ウチのイメージ的に、絶対NGだぞ!」


「分かってるわよ。自分の立場くらい、ね」



アイドルと、喫煙。
決して相容れることのない2つのワード。

とりわけ清純性を求められるこの業界で、アイドルの喫煙なんて週刊誌に抜かれたら、
ウチのような小さな事務所ではただごとでは済まなくなる。


彼は続ける。


「莉緒。今回はいいけど、あんまり喫煙室に近づくんじゃないぞ?副流煙なんか吸ってみろ。喉に影響が出るかもしれないんだからな」

「大丈夫よ。遠くで見てただけなんだから」


「これから、センター公演が控えてて、喉を大切にしないといけないんだから……」


「……え?」




ーーー今、センターって言った?
私は、彼の顔をじっとみつめる。



彼は言ってから、
やべ、と口に手を当てる。





しばし、静寂。
夕方の幹線道は一向に進まない渋滞にハマってしまっていて。
車内には、低く唸るエンジン音と、エアコンのヌルい風を感じる。





「……ねぇ、プロデューサーくぅん?」

「は、はい」

「誰の、センター公演だって?
もう一度、君の口から教えくれるかな?ねぇねぇ〜!」




目が泳いでいる彼のスーツの裾をクイクイ、と引っ張る。



「ま、まだ企画段階だから!ちゃんと企画が通ったら伝えようと思ってたんだよ!」


思わぬ失言に冷汗をかきながらそう弁明する彼。


「ふーーん。そっか、そうなんだ♪
私の、センター公演、考えくれてたんだぁ」


段々と実感が湧いてきて、
気分は高まって、ニヤニヤが抑えきれなくなってしまう!



「聞いちゃったからには絶対、企画通してね!
期待してるわよ、敏腕プロデューサーくん♪」




そう言って、わたしは彼の脇腹をつんつん突っついてやる。
彼は、観念したように、分かったよ!と苦笑いを返してくれる。




クルマは、遅々として進む様子はなさそうだ。




「百瀬莉緒、センター公演決定を祝って!」


「かんぱーーーい!」


なみなみとビールが注がれたグラスを、チン、と鳴らす。


私のセンター公演の企画が正式に通ったと彼から報告があった、今日。
その記念に、前バタ子と飲み会した焼き鳥屋に、彼を連れてきたのだった。


このみねぇさんや風花ちゃんも誘ったんだけど、今日は各々用事があるみたいで、パスされちゃった。
ちょっと残念だけど、私は黄色いシュワシュワで喉を潤す。


「はーー!美味しい!やっぱり、これよね!」

「あんまり飛ばしすぎるなよ!センターなんだし」


「センターだから、トバすのよ!
セクシーに!アダルティーに、ね♪
ライブも仕事も、イケイケどんどんよー!」


調子に乗って、そんなことを口走っちゃう私。


「はは!頼もしいな。うん。莉緒のステージ、俺も楽しみにしてるぞ!」



しばらく飲んでから、私は彼に尋ねる。

「ねぇ、プロデューサーくん。
私のセンター公演だけど、チケット用意できないかしら?」

「お?別に構わないけど」


私がチケットを頼むなんて、かなり珍しいこと。
彼の目が、少し詮索するように私を見る。


「ほら、前話した、バタ子。あの子にセンター公演の件を話したら行きたい!って」

彼は、ああ、と思い出す。



「あれから先輩とはどうなんだ。なにか聞いてるか?」

彼も人の恋愛話が気になるのか、少し食い気味に聞いてくる。




「それがね。2枚欲しいんだって。本人と、例の先輩の分!
私のセンター公演を、都合よくデートに使うんだって!ほんと小賢しいったらないわー!」


私はビールを飲みながら、テンション高く彼に話す。


「ははは!そりゃいい!でも、嬉しそうだな?」

「そりゃ、ね!上手くいってほしいもの。いい娘だし」

そう言ってから、私は豚串を味わう。
彼はグラスにビールを注ぎながら、力強く話す。


「なら、ますますいい公演にしないとな!」


「うん。私、がんばるわ。
明日だって私はオフだけど、このみねぇさんや歌織ちゃんにお願いしてボーカルレッスンお願いしたし!」


「気合を入れるのはいいが、本来はオフなんだし、無理はしないようにな?」



私は返事の代わりに、自分のグラスを彼のグラスにカツン、と当てる。
お互い、そのグラスを煽ってグビグビと飲み干す。
私は、ぷはー!なんてオヤジ臭く声を上げる。




彼はというと、何やらモゾモゾしている。


「なぁ莉緒。ここ、喫煙OKらしいな」 

「そうね。あちこちから煙、上がってるわね」


ああ。と言ってカバンから小さな箱のようなものを取り出す。

「……タバコ、吸っていいか?」

「どしたの?珍しい!」


「いや、その莉緒の友達のことを聞いてたら、無性に一本吸いたくなってな。こんなこと、自分でも珍しいと思う」


そういうこと。
少し恥ずかしそうにもじもじしてるあたり、ホントに珍しいことなんだろう。




「……許可する!
私の公演にむけての開戦の狼煙をあげなさい!」



ピシッと豚串の先端を彼へ向けて突き立てる。
彼も、ん!と頷いて、口に咥え火を付ける。
私達の席の真上にある換気扇に向けて勢いよく、煙を吐き出す。



煙は換気扇へ吸い込まれ、外へ吐き出されていく。



「あはは!たーまやー!」


お酒が入ったからなのか、バカみたいなことでふたりで大笑いしてしまう!


そんなとき、机においた彼のケータイから、着信音が鳴る。


「あ、悪い莉緒。ちょっと出てくる。すぐ戻るから」


そう言って、彼は吸いかけのタバコを灰皿の縁に置いて、外へ行ってしまう。





「ちぇー、せっかく楽しい気分だったのにぃ。水、さされちゃたなぁ」





そうひとりつぶやいて、チビ、とビールを飲む。
ふと灰皿を見ると、吸いかけの彼のタバコから、薄く煙が立ちのぼっている。







さっきまで、彼が持っていたもの。
口に含んでいたもの。




まじまじと見つめる。
チリチリと灰が長くなっていって。
ある程度の長さになると、ポテ、と落ちる。



ああ、このまま短くなっていくんだ。
無くなっていくんだ。





そんなことをぼんやりと考えながら、
私は、恐る恐る、それをつまみ上げる。





今まで、彼越しに嗅いでいた匂いの元が、
今、目の前にある。








煙臭くて。
でもほんのり、甘い香り。
最近、気になる香り。



手にとるだけ、間近で見るだけ、と決めていたのに。
まるでそうすることが、ごくごく自然なことのように。



それを、


少しずつ、


少しずつ、


唇に近づけてしまう。





10センチだけ、5センチだけ、あと少しだけ。






もう少しで、唇に触れる――――







そのとき。
私の手が、誰かに掴まれる。



我に返って見上げると、電話を終えて戻ってきた、彼だった。
その目は、さっきまでの楽しい雰囲気とは違って、
明らかに、怒気を孕んでいた。




私が持っていたソレを奪うようにして、灰皿を壊す勢いで、強く押しつぶす。


彼は鼻息荒く私に言い放つ。




「帰るぞ、莉緒」







「ねぇ、まって!プロデューサーくん!」


店の会計を済ませると、彼はカツカツと早足で歩く。そんな彼に私は必死で着いていく。


私が声をかけても、聞いてくれない。
こんなこと、初めて。


お店から少し離れた駅前の公園で、ようやく彼は足を止める。
私の息が整うのを待たず、彼が振り向いて話す。


「莉緒。なんでタバコなんて、吸おうとした?」


「なんでって。分かんない!」




息も上がって、動悸、止まらなくて。
全部が急すぎて、頭は真っ白で。
本当に、わからない。



「分からないわけあるか!
大事な公演が決まって、莉緒の喉にもしものことがあったらどうするんだ」



「……ごめんなさい。でも、本当に、分からないの」



こうべを垂れて、頭を左右に降る。
本当に、わからないから。
今は、そう弁明するしかない。


「……確認するけど、吸ってないんだな?」


私は、俯きながら、コクリと頷く。
彼は少し溜飲が下がったように、深く息を吐いて。
一言。



「今日はもう、帰ろう」







あれから、彼は駅まで送ってくれた。
別れ際、二言、三言話して彼とは、別れた。
会話の内容を覚えていないくらい、疲れていた。



何も考えられなくて。
家に帰って、シャワーも浴びないで、メイクもろくに落とさないで、泥のように眠った。




今は、自宅でひとりでいる。
結局私は、自主練をお休みすることにした。
朝起きて鏡を見て、こんな顔で外に出るなんて、とても出来なかったから。



レッスンしてくれるはずだったこのみねぇさんや歌織ちゃん達から、続々と私を心配するメッセージを受信する。


そんなみんなの心遣いが、プスプスと胸に刺さる。



「……みんなに、迷惑掛けちゃってる。私、23歳児だ…」



考えることは、どうしたって、昨日のこと。
彼の、吸いかけのタバコを口に運ぼうとした理由。


少しの理性と、葛藤はあったハズ。
でも自分でも驚くくらい自然に、ソレを唇に近づけていた。


「彼、すごく怒ってた、な…」




パフッとベッドの枕に顔を埋めて、手の中のケータイを見る。



こんな状況なのに。
彼からのメッセージ、待っちゃってる自分。


心配するメッセージでも、怒りをぶつけるメッセージでも、なんだって、構わない。
今、彼が私のことを、どう思ってるのか。
それだけが気になって。



当然、待っていたって、彼からの着信はない。
でも私は、今だってケータイを手放せないでいる。



たぶん。


いや、間違いなく。


バカ、なんだろうな。




あんなに怒らせたのに。
着信なんて、来るわけないのに。
私、嫌われちゃったかな。
きっと、センター公演も、降板かな……。


そのまま、瞼を閉じて。
枕へ、意識が落ちていく、寸前。




手の中のケータイが、震える。
パチリ、覚醒する。


少しの期待を込めて。
私は、通知画面を確認する―――!








『はぁい!残念美人ちゃん!チケット、用意できた?』







「そりゃ、アンタが悪いわ!あはは!!」


夕方、バタ子が缶ビールとおつまみを持って私のアパートに来てくれた。
宅飲み反省会だー!って笑って。


今は、事情を洗いざらい話して、手を叩いて笑われてる。


「笑わないでよー。こっちは結構、切実!」

私は机に顔を伏せて、手に持った空き缶を振る。



「ごめんごめん。
でもね、これはまだ平謝りで済む問題。
明日、一番に事務所に顔だして、いの一番に彼に謝ること。
今は苦しいかもだけど、それが大人の対応。オーケー?」



そう話すバタ子。
話を聞いてもらって、ずいぶんスッキリした気がする。
そうよね。やってしまったことは、仕方ないし。


でも…





「明日、気まずいな。プロデューサーくんに会うの。まだ、怒ってたらどうしよ?」

「……んー、どうだろ。話聞いた感じ、怒ってるというより、アンタのことを…」



言葉を切って、顎に手を当てて少し考えるようにする。



「ねぇ。彼、優しい?」

「え?なによ、いきなり。プロデューサーくんが?」

「うん」

「……全っっっ然!
いつもメール、返してくれないし。
初センターの時、言いたいだけ言って放って置かれるし!
私の胸ばっかり見て、お化粧の変化とか全然気づいてくれないし!」



なんか、話してたら腹が立ってきた!
なによ。あのすかんぴん!
タバコなんかで、あんなに怒ることないじゃない!


私はあたりめを一掴みして、カジカジ齧る。



それをニコニコ見ていたバタ子。



「でも、好きなんだ?」

「……きらいよ。あんなやつ」


私の言葉を無視して、バタ子は詰める。


「好きなら、いえばいいじゃない。好きだって」


「……言えないわよ。
私はアイドルで、彼はプロデューサー。
困らせたくないもん。
そんなこと、言えるわけ、ないじゃない…」


言う勇気だって、権利だって今の私には。
と、出かかった言葉を飲み込む。


「……はぁー、私よりよっぽど青春だ」


呆れたように机に突っ伏した私を見下ろして言う。
いつぞやと、逆。



「ムムー!
アンタはどうなのよ。私のライブで先輩といい仲になるつもりなんでしょ?
恋のキューピットなんて私、ガラじゃないんですけど?」


私は悔し紛れにそう言う。
バタ子は少し目線を伏せて、一瞬間をおいたあとニカッと笑う。


「まぁ、ね!アンタの歌声に全部かかってるんだから、もう馬鹿なことして喉潰さないでよ?」

「言われなくても、もうタバコなんてこりごりよ!」

私はグビっとビールを飲み干す。
そんな私を、微笑ましく見るバタ子。

「でもこれ、噂の彼のタバコの空き箱でしょ?」

後ろに隠していたものを取り出す。
化粧台の隅に置いておいた、潰れたタバコの箱。
どうやらお手洗いの後、目ざとく見つけられてしまったようだ。



「うん。どんな銘柄なのか、覚えておきたくって」


それも今は、あんまり見たくないケド…。




「こんなクシャクシャの箱、大事にとっておいちゃって。健気ねぇ。
うわー、あっまいの吸ってるわねぇ!」


バタ子はクシャクシャの空き箱を手で弄び始める。
それを見て、私はふと気がつく。



「そういえば、今日はタバコ吸わないの?」

バタ子は、一瞬間をおいて、口を開く。


「ん~。今日はパス、かな」

「別に気にしなくていいのに。ベランダで吸ってくれば?」



「ううん。今日はなんか気分じゃないし!
それに、また莉緒殿が吸いたくなったら困りますからな!」


「まぁ!もう、知らないから!」



って私は怒ったフリをする。
そんな顔は、5秒と持たずに。
ふたりでプッと吹き出してしまうのだった。





バタ子は深酒にならないようにって、早めに帰っていった。
美味しいお酒を飲んで、ぐっすり眠った。
朝、かなり早く起きて。
メイクだって、いつもより気合入れてきたし。
自分なりのゲン担ぎをして、家を出てきた。



朝の劇場。
他の人間は、誰もいない時間。
1人……プロデューサーくんを除いて。



プロデューサーくんが劇場に一番に来て、鍵開けをすることになっている。
彼と、二人きりになるチャンス。


劇場裏口の施錠は解かれていた。
彼がいる証拠。


ゆっくり、廊下を歩いて。
劇場事務所へ、恐る恐る、顔を出す。




「おはよう……ございます」







ーーーーいた。





そして、目が合った。
ここ数日、振り回されてる張本人。
プロデューサーくん。

イスに座って、コーヒーを飲みながら、パソコンを眺めていたみたい。


私の顔を見て、驚いたような顔をして。
手に持ったコーヒーカップを置いて、席を立って私を見る。
でも、勢いよく置いたからかカップからコーヒーが少しこぼれて、手にかかってしまったみたい。


「うっ。 お、おはよう莉緒!」


そう苦笑いを浮かべながらハンカチで手を拭く。


「う、うん。おはよ。手伝う?」

「ああ。大丈夫。朝から締まらないな、あはは…!」



プロデューサーくんがこぼれたコーヒーを拭き取り終わると、私達二人、立ちつくしたままで。
部屋には静寂が訪れる。




「昨日、自主レッスン。休んだんだってな」

「……うん」

「お、俺もさ。ロケの引率でさ。夜知ったんだ。連絡しないで、悪かった」

「そっか…お疲れ、さま」

「うん…」




そしてまた、静寂。
歯切れの悪い、会話。




このままじゃ、ダメ。
言わなきゃ。
私は大人。オトナ。
ケジメくらい、自分でつけなきゃ!





「あのさ!」「あのね!」




重なる言葉。
タイミング、ぴったり。
また、気まずい、静寂。






そうすると、
プロデューサーくんが、わざとらしく咳払いをして、話し出す。




「ん。えと。この前の、居酒屋のことだけど、さ」







キタ。
まさか、彼から振ってくるなんて。


昨日から、気にしてた話題。
できるなら、避けたい話題。
でも、向き合わないといけない話題。





顔をそむけたい気持ちを堪えて。
真正面から受け止めよう。
私は彼の顔を見据えて、言葉を待つ。





「……すまなかった!
莉緒の話もロクに聞かないで、大きな声を出して、すまなかった!」



深々と、頭を下げる、プロデューサーくん。


……え、なんで?
なんでプロデューサーくんが謝るの?
悪いのは、私なのに?



予想外の言葉に、頭に疑問符だけが積み重なる。




「莉緒は、もう大人だ。
吸うか吸わないかは莉緒が決めることで、俺が口を出していい立場じゃなかった」



「で、でも言ってたじゃない。アイドルとタバコは、ご法度だって!
それを破るようなことしたの、私…」




「確かに、そうだ。
でも、話も聞かずに、頭から否定するなんて、プロデューサーとして失格だった。本当に、すまなかった」

「プロデューサー、くん……」



そして、頭を上げて、続ける。


「よかったら、もう一度話をさせてくれないか?今度は、ちゃんと受け止めるから」



そうまっすぐ私を見つめる。
彼が、ここまで私に向き合ってくれている。
次は、私の番だ。




「もう、いいの」

「もういいって、どういう……?」


彼は私の言葉の意味を探るように尋ねる。


「私、もうタバコなんて、吸いたいなんて思ってないから!」


「そう……なのか?なら、なんで?」




そう。
なぜ彼のタバコを口に運ぼうとしたのか。
昨日、グルグル考えていたけど。結局コレ、といった回答は、分からなくて。





「たぶん君が、いつも美味しそうに吸ってたから、かな。
お酒も入ってたし、きっと魔が差しちゃったんだろうな。自分でも、びっくり。
私の方こそ馬鹿なことしちゃって、ごめんなさい!」



私は、頭を下げる。
彼は、慌てて声をあげる。



「あ、頭を上げてくれ!
アイドルに頭を下げさせるなんて、それこそプロデューサー失格だ!
そういうことなら、元はと言えば、俺が吸ってるところ見られちゃったのが悪いんだ!」


私が顔を上げると、彼と目が合う。




「……莉緒。なら、もう大丈夫か?」


そう、確認するように、優しく尋ねる。
あのとき、私からタバコを奪い取った時の目じゃない。
私達のことをいつも後ろから、見守ってくれる。
優しい目。


私は改めて、彼と向き合う。



「……ねぇ。プロデューサーくん。私からもお願い。
こんなことがあったけど。
改めてセンター公演、私にやらせてほしいの。
あんなことの後で、信用なんかないかもしれないけど。
それでも、信じてほしいの。
今なら、私、やりきれる気がするから!」



お互いの目線が、正面から重なって。
一瞬の静寂のあと。
ふっと口元を緩めて、彼は話す。



「お願いも何も、はじめから莉緒以外のセンターなんか、考えてないよ」

「っ!じゃあ、いいのね?」


「ああ。今更逃げようったって、そうは行かないからな!」

彼も真面目な顔を崩して、そう応えてくれる。



……ありがとう。
私はそうボソッと呟いて。



「なら、今日からガンガンレッスンして最高のステージにしてみせるから!
一瞬でも私から目を離したらダメよ?プロデューサーくん!」


私は、声を張り上げて。
ウィンクなんかして、応える。


「ああ!俺も楽しみにしてるぞ、莉緒!」




彼と、私しかいない朝の事務所で。
ふたりで、笑い合うのだった。






ライブ当日。
開演前、数十分前。
私はライブ衣装を身にまとって、準備万端。
控室から抜け出して、劇場の袖から恐る恐る、客席を伺う。



「心配しなくたって、満員御礼だよ」

「……わっ!プロデューサーくん!」

後ろから急に声をかけられて、ビクッとしてしまう。
彼は、腕組みして私の様子を見ていたみたい。
それに気が付かないくらいには、私は浮足立っているのか。



「し、心配なんか、してないわ!
今日は、誰が主役だと思ってるのかしら?」

わたしは、精いっぱい、強がってみせる。

「はは!そうだな。今日まで、よく頑張ってたな」



そう、笑顔を見せるプロデューサーくん。
その笑顔とは裏腹に、私はまだ不安で。




「……ほんと?髪の先から爪の先まで、キレイになるようにしてたんだけど。変なところ、ない?」

私は、クルッと回ってみせる。
プロデューサーくんは、まじまじと全身を見て。

「……うん。変なところはないかな?」

「声も。変じゃない?大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。なんだ、莉緒。さっきの強がりはどうしたんだ?」

「だって、今日、あの娘がきてるんだもん」

「友達の、あの娘か」



さっき、ケータイでもう来てるってメッセージがあった。
あの娘……バタ子に見られている。それも好きな人と一緒に。


失敗、出来ない。
そう思うと本番直前なのに、新人アイドルみたいに、いても立ってもいられなくって、やり残したことがないかを探してしまう。





「やっぱり、メイクが気になるから、私ちょっと行ってーーー」



「なぁ、莉緒」

そわそわしている私を見据えて、
プロデューサーくんが、私の名前をハッキリと呼ぶ。




「タバコの、話なんだけど」





体が強ばる。
お互い、あれから避けるようにしていた話題。
もう、忘れたと思ってた、あのこと。
なんで、今?




「あれからさ、考えたんだよ。
もしも、莉緒がまたタバコを吸いたいって言ってきたら、その時、俺はどうするだろうって」



「……」



私は、黙って彼の言葉を待つ。
彼は絞り出すように、言葉を紡ぐ。




「俺は、やっぱり莉緒を止めると思うんだ」

「プロデューサーくん…」



「俺はさ」



彼は、顔を真っ赤に染めて。
でも私を見つめて。まっすぐ、言葉をくれる。


「莉緒の歌声が、好きなんだ。
伸びやかな声で、切ない恋の曲を歌い上げる、ステージを包む空気感も。全部。

もしもそれが、タバコなんかで傷つくことを想像しただけで、ゾッとする。

莉緒の歳なら、たしかに喫煙は自由だ。
でも、また莉緒がタバコを吸おうとしたら、俺は同じように止めると思う」



そこで一度咳払いをして、続ける。



「それで……た、たとえ嫌われたって、構わないと思ってる。
俺が嫌われるくらいで莉緒の声が守れるのなら、安いもんだ。
その覚悟はあるつもりだ」



言い終えたあと、彼は、黙りこくる。
私の言葉を待つように。





彼の言葉を聞いて。
咀嚼して。
飲み込んで。



絞り出した一言。




「……バカ」

「なんでだよ」

「なんでも!ホント、バカ!バカバカー!」





それを聞いて、
嫌いになる方が難しいって分からないかな!




むしろ、その逆で―――





顔が、熱くなる。
私の声、好きだって言ってくれたことが、嬉しくて。
大切にしてるって不器用に伝えてくれた、
彼の心遣いが、暖かくて、恥ずかしくてむず痒くて。
そしてたまらなく、愛おしくて。




色んな感情がない混ぜになっていく。




――――私、いま絶対変な顔になってる!







顔を見られないように。
うつむいて、彼の胸に、おでこを当てる。


「お、おい」

「……ありがと。プロデューサーくん。うれしい。
でも、本番前に言ったの、ゆるさないから」


「ちょっとは自信、ついたか?」

「……バカ」



おでこ、グリグリ。
胸に擦り付ける。
ちょっとでも、しかえし。



彼のスーツからする、ほのかな香り。
彼のタバコの香り。
彼の香り。





すると。
後ろからバックダンサーをしてくれる劇場の娘たちのにぎやかな声が近づいてくる。





パッと、離れて。
顔を、見られないように。
クルッと、彼に背を向ける。




押し付けた前髪を、手早く整えて。
手、後ろに組んで。
後ろの彼へ、伝える。




「プロデューサーくん。聞いていてね。私の歌!」





チラリと見えた、リンゴみたいに真っ赤な、惚けた顔を胸に刻んで。
私は、劇場の娘たちのところへ駆ける。






バタ子だって。
お客さんだって。
劇場の娘たちだって。
今日ここにいる皆、全員。
私の歌の、トリコにしてみせるから。





あなたが、好きだって言ってくれた歌声で。
あなたが、守ってくれた歌声で。






劇場ぜんぶ、満たしてくるから!









「えぇ!先輩が大阪へ出向になった!?」


ライブが終わってから、数週間後。
チケットのお礼がしたいから、と私はバタ子に呼び出されてあの焼鳥屋で肩を並べてお酒を飲んでいたとき。


あ、そうだ。と軽い口調で切り出された。


「だ、だって、私のライブで先輩と急接近するって…!」

「あはは!そんなこと言ったっけなー?」


なんでも、担当している雑誌の姉妹誌を創刊するそうで、
その編集部を大阪支社に設けることになり、先輩はその編集長に抜擢されたようで。



バタ子は、結露だらけのグラスのビールを、ぐびっと飲み干す。



「……先輩、だいぶ前に話があったらしいんだけど。
私が通した企画をやり抜くのを見届けるまで、返事を先延ばししてくれてたんだって」


無事に企画をやり遂げたバタ子は、
晴れてお墨付きを貰い、先輩の担当していた本誌のコーナーを引き継ぐことになったそう。


私は話を聞いて、聞かざるを得ない。


「彼の事、止めなかったの?」

「私はただの研修中のアシスタントだし!それに―――」

バタ子は頬杖をついて、串でお皿に残ったきゅうりの漬物をつんつんとつつきながら、こぼす。


「……彼と1年間、ずっと一緒だったからさ。あんな嬉しそうな顔見て、言えないよ」


そう言ったあと、にへら、と笑うバタ子の顔は、以前より少しやつれたように見えて。



「じゃあ私のライブに誘ったときは?」

「うん。全部分かってた。分かった上で、誘ったの」



バタ子は整理するような間をおいて、ゆっくりと口を開く。


「……多分いい思い出にはならないんだろうなって分かってたけど。
でも、もうどうにでもなれーーっ!って思い切って誘ったんだ。

なんにもしないで失恋するのが、なんかヤだったんだ。
しっかり苦しんで、もがいて、ジタバタしておかないと、それこそ絶対後悔するって思ったんだ」



結局、ライブのあと、先輩とはホントになーーんにもなかったけど!と笑う。



話し終わってから。
彼女は胸ポケットから四角い箱を取りだす。
一本引き抜いて、それにライターで火をつける。


ルージュの唇に、ソレを咥えて。
薄い胸をゆっくりと膨らませて、口から煙を吐き出す。
長くなった灰を灰皿へポトリ、と落として。



バタ子は口を開く。



「ライブ、よかったよ。莉緒」



短くて。そっけないけれど。
この子なりの、これ以上ない称賛の言葉。



「そう。よかった」


私も同じように、そっけなく応える。
自身の表情を隠すように、彼女は煙を吐き出す。


それからお互い無言で。
バタ子が一本目最後の煙を吐き終わって、
灰皿にジュッと押し付けるのを見届けてから、私は尋ねる。



「タバコ、銘柄変えたんだ」



煙の香りが違ったことは、すぐに気がついた。
バタ子は、2本目のタバコをつまみ上げて、フリフリ振ったり、転がしたりして弄ぶ。



「私、これからは仕事の鬼になるから!
昔の男なんか、とっとと忘れて、戦士バタ子は強く生きてくんだから!」


「なによ、昔の男って。告白もできなかったくせに!」


「ははっ。それも、そうね」




疲れた目を細めて。
まだ吸い慣れていないであろう銘柄のソレに、
彼女はゆっくりと、
火を灯した。






『……こんなところだな。なにか質問はあるか?莉緒』

「うん。大丈夫!わざわざ連絡ありがとね。プロデューサーくん」



夜の21時頃。
自宅で過ごしていたときで、突然彼から連絡が来た。
明日の私の撮影の仕事の時間変更の話だった。



『先方から急に連絡が来てな。すぐに伝えた方がいいと思って。夜にすまなかった』


「別に寂しくなったら、いつでもおねぇさんに電話してくれていいんだぞ〜?」


『はは……気持ちだけ受け取っておくよ』



彼は冗談めかして言う。
確かに半分は、冗談だけれど。



「……ねぇ、そっちはどう?」

『ああ。撮影の方も順調だ。今は自分の部屋でのんびりしてるよ。そっちは変わりはないか?』

「うん。仕事も順調よ。ただ」

『なにかあったか?』


「ううん。そうじゃないけど。
なんか最近、顔見れてないなーって」


『ーーーああ。そういえば、そうだな』


「……うん。同じ事務所にいたはずなのに。不思議ね」


今、彼は地方での撮影の引率で東京を離れている。
それでなくとも、ここのところお互い仕事だレッスンがと、タイミングが噛み合わなくて、顔を合わせる機会がなかった。
それも1週間?いや、もっとかもしれない。


こうして彼と話しながら、手持ち沙汰になった手で、彼のくしゃくしゃのタバコの箱を弄んでいた。
気まぐれに潰れた箱を元の形に戻していると、タバコの葉がパラパラと落ちてくる。
中を見ると、数本タバコが入っているようだった。




ちょっと待ってて、と彼に伝えて、席を立つ。




キッチンで、小皿の上に箱の中身を出すと、数本タバコが残っていたようで、細かい葉が出てきた。
2本はもう葉巻が破れていたけど。1本だけは歪に曲がっているが、葉は出ておらず形を保っていた。




ーーーしけってるって言ってたけど。




半ば祈るようにひしゃげたタバコの先端に、ガスコンロで、火を付ける。
すると、先端からゆるく煙が立ち込め始める。


私はそれをお皿に乗せてベランダに移動して、電話を取る。



「……ゴメン。おまたせ」

『おう。明日の撮影資料を読んでた』

「うん。私もちょっと、ね」



そう言いながら、脇のベランダの縁においたタバコを見る。
立ち上る煙の行く先を目で追うと、キレイな満月が、そこにあった。


「……ねぇ。今日の仕事の話、聞かせて?」


『え?仕事の話?』

「うん。なんでもいいの。
今日、ご飯を何食べたとか。誰かがどうした、とか。なんでも」

『うーん、わかった。
えっと、今日は群馬に来ていてな、志保の撮影がーーー』




彼の話に、私はうん、うん、と相槌をうちながら聞く。
……いや、聞くフリをしていた。


内容はどうでも良かった。
ただ彼の声が聞きたかった。それだけ。




電話の声を聞きながら。
私は目を閉じて、脇で立ち上る煙の匂いを愉しむ。
タバコをお香みたいに使ってる人なんて、たぶん私くらいだろう。


思えば、この香りには、たくさん悩まされたな。



匂いを嗅いでいると、思い出す。
もう何日も会っていないはずの、あの顔を。
それも、鮮明に。



劇場裏で、タバコを咥えていた顔。
屋上で目を細めて、タバコを吸う横顔。
喫煙室で談笑する顔。
灰皿にタバコを押し付ける顔。
朝の事務所での、笑った顔。
ライブ前の、赤くなった顔。




瞼の裏で、彼の顔が、いくつも浮かんでは消えていく。


ふと、思い出す。
バタ子が、言ってた、ナゾナゾ。





なぜ、好きな人と同じ銘柄のタバコを吸うのかーーー




ずっと分からなかった、その答え。
きっと、『今』が答え。




ーーー離れていても、匂いで、彼を感じられるから。






手元の煙の元を見る。
灰が、どんどん長くなっていく。
終わりゆくソレを見ているうちに、
自然と口が動いてしまう。





「ねぇ、プロデューサーくん」


『ーーーん、どうした?』






「会いたいな。君に」


そう、短く伝える。
それが今の私の思ってることの、全部だった。


『ああ。俺もだ』



そっけなくて。
短くて。
私でないと、聞き逃しちゃいそうな、答え。


でも、それが今、
一番欲しい答えだったから。
私は、なんだか泣きそうになってしまう。





「うん…。
 明日、劇場で、待ってるから!」








やっぱり、私は、
匂いだけで満足なんて、とてもできない。


会いたいよ。今すぐ。
会えたら、君の匂いも、君の声も、君の笑顔も、全部手に入るのに。




私、全然辛抱強くなんて、ないけど。
それでも私、待ってるから。
君の帰り。


他の誰でもない、
カッコ良くて、可愛い、君だから!





―――――― お互いおやすみ、と言いあって、通話を終える。




脇に置いた小皿のタバコは、まるで役割を終えるように、
最期の煙を上げて、全て灰になり、燃え尽きる。




煙の軌跡を目で追いかける。
月に向かって立ち上る煙のカタチは、
なんとなく君の顔に見えたから。




目尻に溜まった涙を拭って、それに投げかける。





「好きよ、プロデューサーくん」






そんなつぶやきは、
煙と一緒に、静かに、消えてなくなった。







以上です。お目汚しを失礼しました。


アイドルと喫煙って、タブーですよね。
だからこそ、一本、書いてみました。


煙草と酒と炭火臭い一本になりました。
莉緒ちゃんの誕生日に投稿できて、よかったです。



皆様のお暇つぶしになれれば、幸いです。




また、わたしの過去作です。
掲示板に貼ったものを加筆・修正しております。お暇があれば、ぜひ。

https://www.pixiv.net/users/4208213

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