「お前はいつも憂鬱そうだな」
「ほっといてよ」
あれはまだ俺が涼宮ハルヒと知り合って間もなかった頃の話だ。
振り返るとそこにいたどえらい美人はいつもしかめ面で現状を憂いているように見え、それが俺には勿体ないと思えてならなかった。
「少しは笑ってみたらどうだ? せっかくの整った顔立ちが台無しだぜ」
「ふん。意味もなくケラケラ笑うほど私は暇じゃないし頭からっぽでもないのよ」
恐らくこの時、ハルヒはどうすればこの退屈な世の中を変えられるかを暗中模索していたのだろう。それにしても愛想のない女だ。
「いいか、涼宮。頭からっぽの方が夢や希望を詰め込めるという利点があってだな……」
「じゃあ、頭からっぽのあんたの頭蓋骨の中にはどんな夢や希望が詰まってるわけ?」
「それは……」
「ふん。どうせ、いやらしいことでいっぱいに決まってるわ。わざわざ外科手術するまでもなく丸わかりよ。手の施しようもないわ」
人間とは理性ある獣である。
高度な知性によって律している本能の中には当然、三大欲求のひとつである『性欲』も含まれており、つまり脳内の3分の1がピンク色だとしても何らおかしな話ではないわけで。
「うるさいわね。ロボトミー手術でそのピンク色の部分を切除すればいいじゃないの」
「恐ろしいことを言うなよ」
「晴れて改造人間になれたら少しは見直してあげるわ。だってその方が断然、今の平凡なあんたよりも夢や希望があるもの」
このように涼宮ハルヒとの会話は果てしなく不毛であり、到底建設的なものとは言えなかったが、それでもわりと俺は楽しんでいた。
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「ねえ」
「ん? どうかしたか?」
基本的には俺から声をかけて涼宮ハルヒにあしらわれるという構図であったが、その日は珍しくハルヒの方から声をかけてきた。
「整った顔立ちってどういう意味よ」
「は? 言葉通りの意味だが」
「要するに、かわいいとか美人って意味?」
口をへの字に曲げて、ボソボソとわけのわからんことを尋ねるハルヒを怪訝に思いつつも、ひとまず頷いて肯定した。
「相違ないが、それがどうかしたか?」
「別に。ただ確認しただけ」
ハルヒは話はこれで終わりと言うように興味なさげに窓の外に視線を移しつつ、続けた。
「容姿について褒められるのは慣れてるけど、未だによくわかんないのよね。そうなろうと思ってこの顔になったわけじゃないし」
「贅沢な悩みだな」
「どこに行っても視線が集まるのは結構不快なのよ。仮面でも被って生活しようかしら」
「悪いことは言わんからやめとけ」
こうした会話を積み重ねていくうちに、涼宮ハルヒという人物は外見だけでなく内面も俺にとって興味深い存在になりつつあった。
「やめとけって言っただろう」
「うるさいわね。ほっといて」
翌日。振り返るとそこに仮面の女が居た。
「どこで買ってきたんだそんなもの」
「昔、お祭りの屋台で買ったのよ」
涼宮ハルヒは銀色の宇宙人のお面を被っており、綺麗な黒髪ロングと相まってとてつもなくシュールな存在と化していた。
「まさかそれを被って登校したのか?」
「余計に人目を引いた気がするわ。失敗ね」
そんなことは実際にやるまでもなく明白であり、だからこそ俺は止めたのだが、涼宮ハルヒは実践してみないと気が済まないらしい。
「せっかくの整った顔立ちが台無しだぜ」
「素直にかわいいとか美人って言えば?」
「そうしたら、素直に笑ってくれるか?」
軽口を返すと、お面の下で涼宮ハルヒが少しだけ笑ったような気がした。気のせいか。
「授業もお面を着けて受ける気か?」
「とりあえず今日一日はこのまま生活してみるわ。何か変化があるかも知れないし」
変化というか涼宮ハルヒは変だ、という事実が校内で加速度的に広まったのは言うまでもない。無論、岡部教諭にお面は没収された。
「キョン? あんたキョンって名前なの?」
「まさか。ただの渾名に決まってるだろ」
その日は谷口や国木田にキョンキョン呼ばれている俺にハルヒが怪訝そうに尋ねてきた。
正直この渾名はあまり好きではないのだが。
「ふうん。キョン、ねぇ。悪くないわ」
「そうか?」
「平凡な名前よりもずっと面白いじゃない」
面白いか面白くないかで人の名前の良し悪しが決まるわけではないと思うし、俺はそこまでギャグの世界に生きるつもりはない。
「ならお前にも面白い渾名を付けてやろう」
「へえ? 言ってみなさいよ」
「そうだな……ハルピッピなんてどうだ?」
「あんたに何かを期待した私が愚かだったわ。金輪際、その呼び方はしないで」
何故だ。ハルピッピのどこが気に入らない。
「そう怒るなよ、ハルピッピ」
「あ?」
「す、すまん、涼宮。悪ふざけが過ぎた」
ネクタイを掴まれてガン飛ばされたので素直に謝罪しておく。まさしく眼前の涼宮ハルヒの瞳の中は星々が輝いていて、綺麗だった。
「キョン」
「ん?」
仮面ブームは去ったらしく、素面のハルヒがさも当然のように俺を渾名で呼ぶのにもいい加減慣れてきた頃、確信的な話をされた。
「あんたは神様って居ると思う?」
いきなり何の話だ。宗教の勧誘だろうか。
「さてな。ただ、もしも神や仏が存在するなら、この世の中はもう少しマシになっていないとおかしいとは思うが」
「きっと無闇やたらに介入すると世界が崩壊するのよ。この世界の物理法則と社会システムは完成されている。たとえどれだけ歪んでいたとしてもそれを直そうとするともっと酷い歪みが生じて、結果的に世界は滅ぶ」
達観したその説法に、俺は素直に感心して納得した。するとハルヒは口を尖らせて。
「なによ。反論してきなさいよ」
「反論して欲しいのか?」
「ふん。理屈では納得出来ても、感情では納得出来ないことだってくらいわかるでしょ」
まるで拗ねたようにそう言うハルヒに対して、俺は全く違う理由で改めて納得した。
「なるほどな。それがお前の憂鬱の理由か」
涼宮ハルヒが何故こうも憂鬱なのか。
その理由をようやく俺は理解した。
要するに、折り合いがつかないのだろう。
理性と感情の狭間で、葛藤しているのだ。
「別に反論というわけではないが」
そう前置きしてから、俺はハルヒに諭した。
「ある程度、定められたルールの中で自由を謳歌するほうが無法地帯よりも楽しい筈だ」
「どうしてそう思うの?」
「自分の望みが他の人の望みとは限らないからだ。それがぶつかり合うと、喧嘩になる」
自分の望みが必ずしも他者の意に沿うものである筈はなく、そこに衝突が生じる。
だからこそある程度のルールが必要なのだ。
「喧嘩になれば力の強い者が勝つだろう。つまりは暴力によって支配される世界になっちまう。お前が言うところの世界崩壊だな」
「驚いた。頭からっぽじゃなかったのね」
どうやら俺の理屈は及第点を貰えたらしく、ようやく頭からっぽではないと証明出来た。
「だから神様とやらは人に言葉を与えた」
「ふん。続けなさいよ」
「言葉とは便利なもので、大抵のことは話し合いで解決することが出来る。たとえば今、お前が俺に話してくれたようにな」
しかしながら、言葉とは万能とは言えない。
「俺はお前の話を聞いて、それなりに理解した上で共感も抱いてやれるが、だからと言って全てを解決してやれるわけじゃない」
「使えないわね」
「そんなもんだ。だが、それでもな、涼宮」
なるべくキザにならないように付け加える。
「俺は神様が解決してくれるよりも、その方がずっと人間らしくて、楽しいと思うぜ」
少なくとも俺はハルヒと話していて楽しい。
「ふん。この私に偉そうに説教しないで」
鼻を鳴らして偉そうに腕組みしつつも、ハルヒの広角は僅かに上がっていて愉快そうだ。
「あんたがどれだけ楽しくたって、それが私の喜びに繋がるとは限らないのよ」
「ああ、そうだな」
「だから今度はあんたが私を喜ばせなさい」
たった今、俺が話した理屈を利用される形で、涼宮ハルヒは無茶な要求を突きつけた。
「何か面白いことをして」
「わかりやすい無茶ぶりだな」
「いいから早くしなさい」
面白いことと言われても俺は芸人ではない。
「あのな、涼宮。俺はこうしてお前と話しているだけで楽しいんだ。お前はそんな健気な俺にこれ以上何をしろと?」
「そんなの知ったこっちゃないわよ。たしかに退屈凌ぎにはなったかも知れないけど、それだけじゃないの。私はもっと本当の意味でこの世界を楽しんで謳歌したいのよ」
ふむ。退屈凌ぎ、か。たしかに、一理ある。
「だが、面白いことなんて俺には……」
「何か一発芸持ってないわけ? テーブルクロス引きとか、腹話術とか、手品とか」
「お前は俺をなんだと思っているんだ」
何が悲しくてひとりで夜な夜な一発芸の練習を重ねないといけないんだ。俺には無理だ。
「ふん。つまんない男ね」
なんとでも言うがいい。俺は話を切り上げ。
「少し席を外すぞ」
席を立った俺の背にその言葉が突き刺さる。
「あんたは私を楽しませてくれないの?」
席に戻る。そして、涼宮ハルヒに宣言した。
「いいか、涼宮。俺が席を立ったのは当然、理由がある。それでもこうして戻ってきたのはお前が引き留めたからだ。お望み通り、楽しませてやろうじゃないか」
細心の注意を払い、俺は音もなく済ませた。
「ふぅ……終わったぞ」
「へ? 終わったって、何が?」
「たった今、俺は脱糞した」
ドヤ顔で衝撃的な事実を告げるとハルヒは一瞬ポカンとした後、小鼻をひくつかせて俺の事後報告が嘘ではないことを察したらしく。
「フハッ!」
やれやれ。愉しんで頂けたようで何よりだ。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
まったく、俺は何をやっているんだろうね。
校内で脱糞するなど小5以来、いやよそう。
過去に囚われるのはやめよう。もう時効だ。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
それにしても何がそんなにおかしいのかね。
人様の脱糞を間近で見ることのどこに悦びを感じているのか。少しだけ考察してみよう。
たとえば涼宮ハルヒが今、脱糞したとする。
それで「キョン、あのね……出ちゃった」なんてあざとく俺に報告したならば、最高だ。
「フハッ!」
やれやれ。俺にも愉悦が伝播しちまった。
周りからは俺も変な奴に見えるのだろう。
しかし、俺と涼宮ハルヒはただの変な奴ではなく、真性の変態であり、そして大切な。
「なあ、涼宮」
「……なによ」
「やっぱり、お前は笑顔のほうがいいな」
糞を漏らしている手前、今更格好付けるのも気が引けて、思ったことを素直に言葉として口にすると、ハルヒはニヤリと嗤って。
「ふん。あんたの笑顔も悪くなかったわ」
そう言って肩にかかった綺麗な黒髪をぞんざいに振り払うと、またニヤリと嗤った。
それに釣られる形で、俺もまたニヤリと嗤い、そして2人でくつくつと嗤い合った。
そうしていると存外、悪い気はしない。
この糞ったれな世界も、悪くないと思えた。
【涼宮ハルヒの愉悦】
FIN
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