風俗嬢と僕(40)
ネオンライトがギラギラと輝く街。脂ぎったおっさんやキャッチの兄ちゃん、色気を撒き散らす女と、様々な人がそこを歩いている。
彼女にフラれた腹いせに風俗へ。
自分がこんなに短絡的な人間だとは思ってもいなかった。とはいえ、止める気もない。
デリヘルやソープといった様々な業種があるのは何となく知っていたけど、金銭的にも高価なところには行きづらくて。少しは敷居が低そうなピンサロに僕は向かっていた。
雑居ビルの5階に店はある。別にどの店でも良かったんだけど、ネットで検索したら上位でヒットしたからという理由だけで、僕はそこに狙いを定めた。
※ss速報vipに投稿していたものを加筆、修正しながら完結まで更新予定です。お付き合いよろしくお願いします。
エレベーターに乗り込んで、それが上昇するのと共に胸の鼓動が速くなる。
浮気をしようとしてるわけでもなければ、僕は18歳だって越えている。生活費や仕送りに手を出しているわけでもなく、大学の授業の合間にこなしているバイトで稼いだ金で、ただ遊ぼうとしているだけだ。
後ろめたさを感じる理由はないはずなのに、どこか悪いことをしている気がするのはなぜだろうか。
何となく気後れしてしまったけど、乗り込んでしまったエレベーターは故障もせずに無事に5階まで到着してしまった。
扉が開いて一歩踏み出してみると、いきなり声をかけられた。
「いらっしゃいませー! お兄さん、どう?」
おっさんというよりは兄ちゃんと言うべきか、ホストの出来損ないみたいな金髪ミディアムの男が、胡散臭く笑いながら僕に近づいてきた。
「えーっと、はい。お願いします」
声をかけられずとも、元々そうするつもりだったのだが、どうやらこの階には他にもいくつか店があるらしい。奥の方にも似たような看板が出ている場所がある。
僕の了承の返事に気を良くしたのか、男は早口に言葉を続けた。
「あざまーすっ! 今ね、一番人気のゆうちゃんが空いてるんですよ! 初めての来店なら、指名料込みでこの値段! お得ですよ!」
そう言って彼は看板の料金表を指さした。正直、他の店との相場とか人気とかあまり分からないけど、その値段自体は予算の範疇ではあった。加えて、風俗店の前に立っているのも何となくの恥ずかしさと後ろめたさがあって、何も考えずにそれを受け容れた。
「じゃあ、そうします」
「あざまーすっ! それじゃ、料金頂戴しますね。こちらの待合室で長かったら爪を切ってお待ちくださーい」
提示された金額通りの紙幣を渡して、カーテンで仕切られただけの待合室のボロい椅子に腰かけた。
……こんな感じなんだ。
やたらうるさくてポップなBGMが流れていて、とてもそういうことをするようなムードには思えない。
何となく異世界にきてしまったような戸惑いを感じている。異世界転生するような漫画のキャラも転生時はこんな気持ちになるのだろうか。
平日の昼間ということもあってか、他にお客さんはいないみたいだ。だからこそ、一番人気の子に入れたのかもしれないけど。
「お客様、お待たせしました」
長いのか短いのか分からない時間が経ち、声をかけられると言われるがままに呼ばれた方に向かう。禁止事項を読み上げられた後にブースの指定をされた。
店内は柵か何かで分割してブースを作っているらしく、僕はそのなかで3番ブース、一番奥に案内された。
「それではごゆっくりお楽しみください!」
店員は僕をブースまで案内すると、そんな言葉を残して受付の方へ戻っていった。
柵はやたらと低くて立ってる人からは丸見えみたいだし、そもそも今は何をして待っていれば良いのかも分からない。
とりあえず床に座って黙って待つ。そういえば、一番人気ってことしか聞いてないからどんな女の子がきてくれるのかすら分かっていない。
勢いだけでここまできてしまったな、なんて独りごちてもどうしようもないんだけど。
数分待つと、場内アナウンスが聞こえた。
『ゆうさん、3番ブースへどうぞっ』
その声と共に入口からの気配を感じると、女の子がブースの入口に立っていた。
「こんにちはー! 初めまして、ゆうですっ」
視線を上げてみると、黒髪をミディアムボブにした、ちょっと小柄な女の子が立っていた。
女性や女といった表現よりは少女の方が適切かな。薄暗くて顔ははっきりと見えてないけど、醸し出している雰囲気や仕草は何となく、同年代のものに思えた。
「ども」
ぺこり、と頭を下げて挨拶を返すと、彼女は靴を脱いでブースの中に入ってきた。
「初めまして? だよね! わかーい! お兄さん、いくつ? あ、言いたくなったら言わなくていいよー」
早口でガンガンまくしたてながら、彼女は僕の正面に座した。正面から見た彼女の顔はやっぱり幼くて、さすがに未成年ということはないだろうが、僕より歳上でもないとは思う。
しかし、それでも顔の造作はさすがというべきか綺麗なもので、美人ではなくとも美少女という言葉がぴったりと当てはまりそうだった。
「あー、えっと、21、です」
何となく歯切れが悪い返事になってしまったのは、この空間に飲まれているからか、彼女の美貌に怖じ気づいているからか。
「今年21になったの? それともこれから22になるの?」
その問いかけと共に彼女は僕の手を取って、上下に揺らしてきた。手を繋ぐだけでドキドキするのは、やっぱりゆうちゃんが可愛いからなんだろう。
「あ、今年21、です。4月で21になりました」
「えー、最近じゃないですかー! 同い年だー、やったー! 私は6月で21になります!」
「あ、やっぱり同い年なんだ」
歳上ではない、という読みが当たってふと呟いてしまった。彼女は目敏く……ではなく、耳敏くそれに反応した。
「やっぱりって?」
「いや、同い年くらいかなー、って思ったから。それくらいっぽい雰囲気だなって思って」
「若いお客さんって、私にしてみたら皆同い年みたいに見えるけど」
そう言って彼女はふふふっと妖しく笑って見せた。
「今日は何でここに? 風俗通いが趣味なんですか?」
「いやいやいや、初めてですよ、初めて!」
慌てて彼女の言葉を否定すると、彼女は意外そうに目を丸めた。
「あら、そうなんですか? ほら、一人で来てるみたいだから慣れてるのかなって思って。初めてなんですね、そっか」
そういって彼女は意味深そうに頷いて見せた。それが何だかおかしくて、僕は思わず笑みを漏らす。
「あっ、やっと笑った?」
彼女はしてやったりという顔でにこっと笑うと、言葉を続けた。
「お兄さん、緊張してるのか知らないけどずっとガチガチだったから。少しは気が緩んだ?」
「そんなに?」
「そりゃもう、これから職場の上司に怒られますー! みたいな顔だったもん」
「上司なんていないけどね」
「えっ、社長?」
なんでそうなるんだよ、と思わず苦笑を洩らし、言葉を返した。
「いや、学生だから」
「あー、学生さん! 私が高卒だから、つい社会人さんかと。ってことは、大学生?」
その質問には肯定の意をこめて頷いて見せた。
「おぉー、なるほど! 大学生くんかぁ……通りで若く見えるわけだ……」
ぺたぺたと僕の顔を触りながら、彼女はすっと僕との距離を縮めた。綺麗に整った小さな顔が僕の目の前まで近づいてきて、思わず目を逸らしてしまう。
「もー、何で顔そらすの?」
拗ねたような上目づかいでこちらを見つめてくる。仄暗い部屋の中でもはっきりと分かるくらい彼女の目は大きくて、吸い込まれそうになる。
「これから私たち、楽しいことするんじゃないのー?」
猫撫で声をあげながら、彼女は僕の胸元に顔をうずめた。何だか良いにおいがする。
「ね、こっち見て?」
そう言うと同時に彼女は僕の両頬を手で挟み、顔を合わせた。
頬が熱くなるのを感じる。彼女はそのまま顔を僕と同じ高さに持ってきて、すっと耳元で囁いた。
「お兄さん、こんなお店に来るなんてエッチだね」
彼女の言葉は僕の羞恥心を煽りながら、耳元で囁かれていく。
「何をしたくてここに来たのかな? ゆうに教えて?」
小さな声と共に吐息を感じて、少し身震いしそうになってしまう。何だろう、恥ずかしいんだけど、嫌じゃない。
「えっと……」
言葉を続けられずに悶えていても、彼女は止まらない。
「言ってくれないと分からないよ? 何でお兄さんはここに来たのかなー?」
うふふ、と笑ったところまで計算しているのだろうか。何にせよ、このまま黙っているのは許してくれないらしい。
「それは、えーっと……」
「うんうん」
彼女は言葉の先を心待ちにしているかのように頷きながら待っている。
「彼女にフラレた心の傷を癒しに? かな?」
「へっ?」
予定外の返事だったのだろうか、彼女は間抜けな声をあげてきょとんとした目で僕を向いた。
こんなところであんな質問をされたら、普通はエッチなことをするために来た、とか言うべきなんだろうけどさ。
「この間、彼女にふられて。思ったより傷ついてたから、人生経験も兼ねて?」
疑問調なのは、これが果たして何の人生経験になるのか自分でも分かっていないから。
「ふられたの? お兄さんが?」
その問いかけには、首肯で返事を示そう。
彼女は僕を見ながら、純粋そうに問いかけた。
「えー、何で? 何でふられたの?」
「うーん、話すと長くなるよ?」
僕と彼女は共通の趣味をきっかけに仲良くなった。話すのも楽しかったし、二人で遊ぶことも少なくなかったし、気づいたときには僕は恋に落ちていた。
しかし、彼女には彼氏がいたし、それは叶わぬ恋だと自覚していたからこそ、僕はそれを胸のうちにしまっていた。つもりだった。
ある日、彼女と二人で飲みに行くと、酔った勢いで僕は口を滑らせてしまった。
『付き合ってほしいとかじゃないけど、僕が好きなのは君なんだ』
漏れた言葉を受け止めた彼女は、彼氏と別れるから付き合ってほしいという返事をくれ、僕たちはめでたく恋人同士になった。
もちろん、悪いことをしているという意識はあった。『付き合ってほしいとかじゃない』なんて言葉は彼女を選んだ時点で意味をなしてないし、彼氏にしてみたらただ彼女を奪われたのと何も変わらない。
告げた時点では、僕だって深望みをしていたわけじゃない。それは本当のことだ。
ただ、自分の胸のなかにある気持ちがたまりすぎて、苦しくて、伝えてフラれて縁が切れた方がすっきりするんじゃないか、解放されるんじゃないかと思って。本当にそれだけだったんだ。
でも、目の前に人参がぶら下げられてしまった。それに飛び付かないバカ……いや、賢人はどれくらいいるだろうか。
今まで胸に秘めてた気持ちが報われると知ってしまったら、それを拒むことなんて僕には到底できなかった。
付き合い始めたばかりの頃は、僕は有頂天になって浮かれていた。次のデートはどこに行こう、彼女は何をしたら喜んでくれるだろう。
想像もしてなかった幸福が訪れた僕の頭の中は、そんなことでいっぱいだった。
とはいえ、不安が全く無いということでもない。
例えば、彼女の元彼氏は超有名企業に勤めるエリートサラーリーマンで、そんな男の後に僕みたいな学生と付き合って、彼女は満足するのだろうかとか。彼女自身がとても美人であったが故に、自分の容姿がひどく情けなく思えたりだとか。
言ってしまえば、僕はとてもネガティブな人間なんだと思う。気持ちを告げた時にもうまくいくとは思ってなかったし、自分のことが嫌いで、自信が持てなかった。
そんな不安や焦りを感じた僕は、『とにかく何とかしないといけない』という方向に傾いた。
何をすべきかも分からないのに何かをしないといけない、成長しないといけないという気持ちになって、資格の勉強をしてみたり、ファッション雑誌を読み漁ったり、色んなことに取り組んだ。
勉強もファッションも嫌いじゃないんだけど、『したいからする』ではなくて、『しないといけない』という義務感で始めたそれは、僕のなかで重荷になっていた。
サッカーをしたい、本を読みたいとかそういう欲を押さえて、義務感を消化することを続けていくうちに、僕は疲れてしまっていた。
そして、そうやって精神を疲弊させてるところで彼女に告げられた。
『今は誰かと付き合いたいとかじゃなくなったから、別れよう』
僕が何かしたから、至らぬところがあったから、とか言われたなら、満足はしなくても納得はできたのかもしれない。
ただ、その言葉を聞いた時に、納得もできないそれを否定することも、彼女を責める気持ちも出てこないほど僕の心は疲弊していた。
その結果として、行き場のない気持ちは僕自身を責めることでどうにか落ち着かせようとしてしまった。
責める相手が自分だと、それって結構簡単なことなんだよね。心の自傷行為は、リストカットなんかよりもっと気軽にできるから。
もっとかっこよければ良かったのに。
もっと将来性があれば良かったのに。
そんな自責の念が僕を縛って、別れた後もしばらくは落ち込んでたし、何かをしなきゃいけないという気持ちでいっぱいだった。
僕はダメな人間なんだ、屑だ、人の彼女を奪うようなやつなんだ。
頭のなかをそんな言葉が巡りめぐって、そして僕は限界を迎えた。
半月ほど高熱にうなされ、それはストレスから来たものだったらしい。慣れないことを続け、自分を縛っていると、人間は案外脆いらしい。
体調不良のおかげで、義務感から行っていたものから離れてみると、精神的に少し楽になっていることに気がついた。
体調を崩して倒れている間、あることを考えていた。
『仮に僕が完璧な人間だったら、彼女は僕の前から消えなかったのだろうか』
きっとその答はノーだと、僕は結論付けた。
それはある意味で逃げの解答なのかもしれないけど、そう考えるしかなかった。
勿論、自分のことを立派な人間だと開き直ってそんな答を出したわけじゃない。どちらかといえば、自分が屑なのは自覚している。
でも、彼女の別れたいとか付き合いたいってわけじゃないって気持ちは、僕に対して向かっているけど、きっと僕に限った話でもなくて。
仮に僕より立派な人間がいたとしても、彼女はその答を出したんだろう。 彼女は本当に、誰とも付き合うつもりがなくなってしまったんだろう。
ならば、僕も少し息を抜こう。
一度倒れたことで冷静になった僕は、そんな結論を出した。
今まではちょっと気をはって頑張りすぎたから、ちょっと落ち着こう。遊んでみよう。
そんな気持ちで、今までにしたことがないことをしてみたり、行ったことがないところに行ってみたりをしているうちに、今日、ここに来ることを決めたんだ。
どんな場所なんだろうって興味もあり、彼女と別れてからは、性欲を自己処理をするような気力もなかったのもあり、無駄に勇気を振り絞れるような精神状況だったのもあり。
こんな異世界みたいなところだとは思わなかったけどね。
ここに来ることを決めた経緯を彼女に話してみると、すっと気分が楽になったことに気がついた。
誰にでも話せるような内容でもないと思って、今まで誰にも話したことはなかった。
それなのに、今日会ったばかりの、僕の名前も知らないような人に話して楽になるとは、何とも変な話だ。いや、知らない人だからこそ話せたこともあるんだろうけどさ。
「へぇ……大変だったね」
彼女は半分同情したような、半分対応に困ったような目でこちらを見てきた。そりゃ、初対面の客にこんなことを言われても困るんだろうけどさ。
「まだその元カノのことが好きなの?」
「え、いや、もうそうじゃない……かな」
少なくとも、まだ好きだったらこういう店には来てないと思うし。色々と考えている間に、彼女への気持ちも徐々に消化してしまったんだと思う。
ありえない仮定として、もし今から彼女に「よりを戻したい」と言われても、きっと断ってしまうと思う。
嫌いになったというよりは、そうやって振り回されるのに疲れて、もう関わりを持ちたくないと言うべきなのかな。きっと彼女も、屑な僕にそんなことを言われたくはないんだろうけど。
「そっか! じゃ、次探そうよ、次! 私なんてどう?」
そう言って彼女が浮かべた笑みは、何だか脆くて儚くて。冗談に冗談で返そうとしても、つい見とれてしまって何も言葉にできなかった。
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