「……」
力の入らぬ体をベッドから起こし、放った言葉。
それは、ヤツを少しだけでもこの場に留めておくための、方便にすぎない。
ワガハイが、本気でそんな事を思うなど、あるはずもない。
ワガハイと奴は、宿敵同士なのだから。
「……」
ヤツは、無言で赤い帽子をかぶり直し、バルコニーへと続く窓を開け放った。
吹き込んだ夜風が、ワガハイの髪を乱した。
左手はシーツを胸に抱いているので、右手で左の頬にかかった髪をのける。
今の仕草は、オマエの目には、どう見えただろうか。
「イヤッフ――!!」
……ガハハ。
それでは、拒絶の言葉か、ジャンプの掛け声かわからんではないか。
開けた窓くらい閉めていけ、このバカモノが。
ヒトの体に、この風は冷たすぎるのだ。
・ ・ ・
「……」
踏まれようと、物を投げつけられようと、投げ飛ばされようと、マグマに落ちようと。
ワガハイは、何度でも立ち上がり、ヤツの前に立ちはだかった。
だが、こんな痛みは、はじめてなのだ。
「ぐっ、ううっ……!」
胸の奥、体の中心が、痛くてたまらぬ。
ヤツめ、ワガハイに、何をしたというのか。
体の内側に攻撃するなど、ヒキョウではないか。
これでは、例えカメの体だったとしても、甲羅の中に入る意味がない。
「っ……!」
ベッドの中で、丸くなる。
手足がシーツに擦れるのを心地いいと感じるのが、今は腹立たしかった。
こんな無様に苦しむ姿は、皆に見せられない。
だから、こうして働かずに休んでいるのは、大王として当然の義務なのだ。
「……」
右手で胸を抑えながら、左手を伸ばす。
伸ばした先にあるのは、ワガハイの頭の上に載った、小さな王冠。
頭の良いワガハイは、とっくにわかっているのだ。
こんな物を被っているから、辛いのだ。
クールでカッコイイ姿なら、こんな思いはせずに済むのだ。
「……」
……そう、わかってはいる。
わかってはいるが、ワガハイの左手は、右手の上に添えられ、耐えることを選んだ。
ガハハ、さすがはワガハイの体だ!
逃げるのを良しとしない、ガッツに溢れているではないか!
「っ……!」
ああ……それにしても、痛い。
それもこれも、全てヤツのせいなのだ。
「ハ……ハハハ……」
なんとも小癪な真似をしてくれるものだ。
離れているのに、こんなにワガハイを痛めつけるとは。
この恨み、絶対に晴らしてくれる。
ボッコンボッコンの、ギッタンギッタンにしてやるぞ!
「……ハハハハハッ!」
だから、早く来い。
臆病者め、ワガハイは待っているぞ。
ワガハイをどれだけ待たせるつもりなのだ。
――ああ、痛い。
「ガハハハハハッ!」
あまりの痛みに、笑いが止まらん。
どれだけ魔法を使っても、痛みは収まるどころか、どんどん強くなる。
だから、早く来て、この痛みを止めてくれ。
痛くて、苦しくて、おかしくなってしまいそうなのだ。
「っ……!」
もう、耐えられぬ。
ワガハイ自ら、やつの元へ赴くとしよう。
「ガハハ、待っていろよ!」
ベッドから勢いよく起き上がり、シーツを跳ね除ける。
シーツの中に残っていた、昨夜の戦いの残り香がした。
何とも言えないオスとメスの匂いをかき分け立ち上がると、
石タイルの硬さが足の裏を刺激してきた。
「……ふむ」
こんなものを意識するとは、ヒトの体とはなんと弱っちい。
今のワガハイは、弱っちすぎるのだ。
これでは、ヤツの宿敵とは言えぬ。
ヤツの前に立つ資格など、有りはしな――
「――違う!!」
違う、違う、違う、違う! 違う!!
「ワガハイは、強い!!」
例え、どんな姿であろうと、ワガハイは強いのだ!
「っ……!」
それを証明するため、駆け出した。
ゴツゴツとした感触を足の裏に感じるが、平気なのだ。
大きな窓だろうと、そら、簡単に開けてしまえるぞ。
ワガハイは、大王。
このバルコニーから見下ろす、全てがワガハイの物だ。
「すぅっ――……」
大きく息を吸い込み、
「――――!!」
炎を吐いた。
「――――!!」
その炎は、今まで見たことの無い程の強さだった。
勢いの強さに、ワガハイ、自分でもビックリなのだ。
炎を吐くのは得意だったが、この体だと、もっと得意になるのだろうか。
……うむむ、わからん。
「――――!!」
今までならば、とうに息切れしている。
それなのに、炎の勢いは増すばかり。
だが、これならばヤツを簡単に焼き尽くせるな!
しかし、さっきから――
――何が、ジュウジュウいっているのだ?
「――――!!」
視界も、さっきからずっとボヤけっぱなしなのだ。
まるで、水の中に居るように。
「――――!!」
面白い。
ならば、その水が止まるまで、炎を吐き続けてやる。
枯れ果てた時が、ヤツの最期なのだ。
「――イッツ、ア、ミー」
来たな……ようやく現れおったな!
「マー……うんっ!?」
バルコニーの端に、いつの間にか立っていたヤツに駆け出し、襲いかかった。
ふふん! ワガハイに、奇襲は通じないぞ!
逆に、登場の台詞を言おうとする口を塞いでやったわ! ガハハハハッ!
「……思い知らせてくれる」
ワガハイが、どれだけ苦しい思いをしていたのかを。
燃え盛る炎で、内側から焼き尽くしてやるのだ。
「はぁ……ん……んむっん……っ!」
吐く息が、熱い。
消えていく胸の痛みと反対に、どんどん熱くなっている気がするのだ。
なのに、オマエはどうしてまだ生きている。
ワガハイは、全身が火のように熱く、燃え盛っているかのようなのに。
「ん……はぁっ」
ええい、これでは息が続かぬ!
だが、絶対に逃さないのだ!
「んっ!」
一旦体勢を立て直し、また攻撃だ!
今度は、さっきよりも強く、激しく、征服するように。
逃げられないよう、離れられないよう、両手を添えて。
目をつぶっていても、オマエの動揺なんぞお見通しだ! ガハハッ!
「っ……!」
うぬぬ! やり返してくるとは……さすがだな!
・ ・ ・
「ん……ぷぁっ……」
どれだけの時間、こうしていたのだろうか。
胸の痛みは消えたが、頭の中がとろけてしまった。
これでは、作戦が全然立てられない。
……それに、
「オウッ!」
このキノコで、ワガハイをどうするつもりだ?
右の掌で、オーバーオールの下のスーパーなモノをさすった。
ガハハッ! いきなりとは言え、それだけで間抜けな声を出すとはな!
「……ジュニアが欲しい」
そんな間抜け面を真っ直ぐ見て、言ってやった。
「……マンマ・ミーア」
ガハハハッ! オマエのそんな表情は、初めて見たぞ!
ワガハイの今の表情? カッコイイに決まってる!
「……」
何だ。
どうして、何も言わないのだ。
おい、何か言え。
…………駄目なのか?
「う――わっ……!?」
フワリと、体が浮き上がった。
突然のことに戸惑ったが、すぐに、抱えられているとわかった。
「ヒア・ウィ・ゴー」
本当に、憎たらしい男だ。
だが、それでこそ、我が宿命の相手に相応しい。
尻尾が石のタイルを叩く音だけが、バルコニーに残った。
お姫様だっこというのも、案外悪くないのだ。
おわり
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