気がついたら目の前には。
どこかの本で読んだような未来都市、のような町でした。
その無機質な灰色の空が、わたしの不安を煽り立てるようで。
呆然としているわたしの腕の中で、抱いたままだったうさぎさんが、わたしの胸に顔を擦り付けてきていました。
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・あるボカロ曲のパロディですが、一部展開が異なります
・オリキャラが登場します
・一部アイドルが老けたり死んだりしています
・生死にかかわる内容を扱うので重いかもしれません
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智絵里「ここは……。いったいどうして……??」
予測不可能な出来事の前に、わたしはどうすればいいかわかりませんでした。
周りに誰もいない状況に、一気に不安が胸をいっぱいにします。
でも、また腕の中でもぞもぞとした感触がして。
うさぎさんがいてくれたことをはっきりと認識して、それだけでもわたしの心の救いとなりました。
何も知らずのんびりとした顔でわたしの方を見ているうさぎさん。
それを見ていると、わたしは、一気に肩の力が抜けていって。
もう一度落ち着いて状況を思い出してみることにしました。
智絵里「えっ…と、さっきまで、わたしは――」
そう、確か、今日はうさぎカフェの撮影のお仕事でした。
最近、“とびきりキュートな小動物系アイドルと、愛らしいうさぎのコラボ!”などと言われて、増えてきたお仕事です。
わたしがとびきりキュート、かどうかは少し自信がないのですが、うさぎさんはとっても可愛いです。なので、この日もわたしは、少しうきうきしながらお仕事に入ったのでした。
撮影は順調に進み、少し巻いて終わりましたので、自由に遊んで行っても良いと、お店の人から言ってもらえました。
なので、わたしが何匹かのうさぎさんとじゃれていると……そのなかの1匹のうさぎさんが、わたしの顔をぺろぺろし始めました。
少しなら可愛いですみましたが、あんまりされてしまうとお化粧も落ちてしまいます。
なのでわたしは、両手で抱いて顔から引き離すと、めっですよ、と軽くチョップ……本当に軽く指を当てただけの――をして、なだめたつもりでした。
けれど……その瞬間。わたしの目の前が真っ白になるくらいの光が、視界を覆ってしまって。
……そして、今に至るというわけでした。
智絵里「よく思い出してみても……やっぱり、よくわからない……あ、もしかしたら」
結局ただ思考しただけの時間を無駄にしてしまいました。でもわかったことが1つだけあります。
智絵里「うさぎさん……に、チョップ……」
そう。それをした瞬間にここに来たというなら。
智絵里「うさぎさん……ごめんね。そーっと、そーっと。えい」
もう一度チョップすれば帰れるのかも……そんな希望は、何も起きないという現実の前にあっさりと崩れ落ちました。
がっくりとしたわたしは、ふいに事務所で送り出してくれたみんなのことを思い浮かべてしまいました。
智絵里「美穂ちゃん、かな子ちゃん、藍子ちゃん、プロデューサーさん……わたし、どうしたら……ぐすっ」
いけません、思わず涙が出てきてしまいました。
でも、こんな場所に独りきりで。途方に暮れる以外、何ができるでしょう。
視界が滲むと同時に、わたしはもうだめなんだ、という想いが涙になって溢れてきました。
智絵里「う、うぅ、ぐす、うわぁぁぁん……」
それは、みんながよく似合うねと言ってくれた、お気に入りのワンピースに染みを作っていきます。
しかしそんなわたしに。突然の叫び声が届きました。
???「こらーっ!!そこのめちゃくちゃ可愛いファッションでばっちりツインテール結んでるのに、自信なさげで今にも泣き出しそうな貴女!!」
……それは、わたしのことなんでしょうか。
でも、藁にもすがるような想いで、涙を拭うこともせず、声の方に向き直ります。
???「あ、あれっ……本当に泣いてる……。それとも今ので……?ごめんなさいっ!!」
声の主は、わたしの顔を見ると、勢いよく頭を下げました。
…まぁ、せめて服だけはと思ってしていることを指摘されて、確かに傷つきましたけど。
わたしが口を開かないと顔を上げてくれなさそうなので、あの、大丈夫ですから、と声をかけてみます。
???「それなら問題ないわね!じゃああらためて!貴女、動物愛護法違反で逮捕しちゃうぞ!」
勢いよく顔を上げたその女性は、いきなりそんなことをわたしに宣言しました。
……でも、そんなことよりも。わたしは女性の顔に釘付けになります。
智絵里「えっ、あ、あの、早苗、さん……??」
その警察官と思しき女性は、わたしのよく知るアイドルのひとり。片桐早苗さんにそっくりでした。
もし早苗さんがここにいてくれたのなら、どれだけ心強いことでしょう。
???「あら、早苗はわたしの祖母の名前だけど、なんで知っているのかしら?貴女、もしかしておばあ様の知り合いのお孫さんとか、そんな感じ?」
不躾な質問をしたわたしですが、女性は意に介さないようで、むしろ興味津々という感じで聞き返してきます。
早苗は、祖母の名前……。ここにきてからずっとある考えが頭をよぎり、わたしは女性に確認をとりました。
智絵里「えっと、ごめんなさい、おばあ様の名前は……片桐早苗さん、ですか……?」
女性は右手の人差し指を立てながら教えてくれました。
???「そうよ!もうずいぶん昔だけど、ちょっとは有名なアイドルとしても活動しててね、あたしも誇らしいの!」
胸を張って語る女性の言葉に、わたしは確信してしまいました。
わたし――タイムスリップ、しちゃったんだ――
???「で、職務質問したいんだけど、今時間いいかしら?」
智絵里「えっと…いま、何時でしょうか…」
そう気づいた途端に体の震えが止まらなくなり。
にこりと笑う女性に、どうにかそう聞き返して。
あぁごめんなさいね、と女性が取り出したスマホ――のようなもの――には。
――2068年◯月×日と表示されていました。
そして、わたしは香苗さんと名乗るその女性に、職務質問――もとい、ことの次第を説明することになりました。
名前は?――緒方、智絵里です。
年齢は?――16才です。
住所は?――どこでしょう。わかりません。
ここまで聞いて、香苗さんは怪訝な顔を一瞬見せ……少し真面目な顔になりました。
血液型は?――A型です。
職業は?――高校生で、アイドルも少しやってます。
所属は?――CGプロです。
……趣味は?――四葉のクローバー集めです。
……で、今何してたの?――うさぎさんにチョップしてた、だけです……。
香苗「……なるほどね。じゃあ、貴女は――あの伝説のアイドル、緒方智絵里本人ってことね。おばあ様から聞いてたプロフィールとも合ってるし……信じるしか、なさそうね」
香苗さんは、メモを取る手を止めると一人うなずきながらそう言いました。
智絵里「で、でんせつの……?かは、よくわかりませんが……信じてくれるんですか?」
香苗「ええ。……貴女が着ているその服、10年以上前に倒産したブランドのものよ。だから……正直夢を見ているみたいだけど、少なくとも、“この時代の人”じゃない。本人か、その幽霊か……そのどちらかは分からないけどね」
……さすが警察官さん、です。しっかりとした筋道を立てて考えているようです。
一方のわたしは、その言葉の気になる箇所に突っ込んでしまいました。
智絵里「わ、わたし、もう死んでるかもしれないんですか……?」
香苗「…分からないわ。でも、とりあえずあたしはこうして触れることができるから、その可能性は限りなく低いはずだけど」
死んでしまっていたら、元の世界へ帰るどころの話ではありません。
が、香苗さんは、私にボディチェックをするように触れながらやんわりと否定しました。
智絵里「そう、ですか……それなら、いいのかな……」
香苗「そうよ。不安がっても大体は物事は前に進まない。信じて進んでみて、ダメだったらその時考えればいいの。少なくとも今は……あたしが付いててあげるから。ね?」
香苗さんは、ウインクしながら、さらりとわたしへの協力を申し出てくれました。
あの早苗さんのお孫さん……心強い味方ができた気分でした。
智絵里「……!はいっ!ありがとうございます、香苗さん!」
香苗「……やっと笑ってくれたわね。確かに、動画で見たことのある緒方智絵里そのもの……貴女、もっと自信もっていいわよ。ものすごく可愛いんだから」
智絵里「え……あ、そんな、かわいい……なんて……。あの、ありがとうございます……」
香苗「……っ!貴女、本当に……!まあ、いいわ。さて、これからの方針を決めるわよ」
わたしの返事に満足そうな笑顔でわたしのことをほめてくれた香苗さんは、けれど、わたしの様子にちょっとたじろいで。
でも、気を取り直して話を進めていきます。
香苗「とりあえず、この時代の貴女の家族に会ってみれば解決すると思うわ。だって、50年もあれば、貴女は誰かに話しているでしょうから。対策を知っているはずよ」
智絵里「確かに、そうですね……。でも、どうやって……?」
香苗「そこで、あたしの出番。あたしがおばあ様に連絡をしてあげるわ。貴女の、は分からないかもしれないけど、当時のプロデューサーさんの居所くらいはわかるかもしれない」
智絵里「早苗さんに……!わたしも、話してみてもいいですかっ?」
香苗「……それは、やめておいたほうがいいかもしれないわ。あんまり過去の貴女を知っている人物に会うと、少し変な影響が出てしまう可能性があるから」
……未来の人と話すってどんな感じなんでしょう。単純な興味からでしたが、あっさり却下されてしまうとちょっと残念です。
ただ、香苗さんの話した方針は納得できるものでした。
香苗「全部終わってうまくいきそうだったら電話くらいしてあげるわよ!あたしも、50年前のおばあ様と今のおばあ様がどう違うか聞いてみたいしね。まあ、何も変わっていないと思うんだけど…ね」
智絵里「はい、じゃあ、楽しみにしてますっ」
香苗「よろしい。じゃあ、一本電話させてもらうわね」
香苗さんは、満足そうにうなずくと……わたしから少し離れた場所で電話を始めました。
程なくして、香苗さんが戻ってくると……その言葉は、意外なものでした。
香苗「わかったわ。プロデューサーさんの家もそうだけど……貴女の家がね」
智絵里「えぇと……どっちに行ったらいいんでしょう」
香苗「どっちでもいいわよ。結局同じだから」
智絵里「だめだったら、その時考えればいい…ですよねっ」
香苗「……そうよ。じゃあ行きましょう!助手席、乗って!」
香苗さんが指し示した先には、パトカーのような乗り物があります。
ドアの仕組みは現代と同じようで、ノブを引くと普通にドアは開きました。
香苗さんはエンジンを入れると、なんだかガラが悪くなったような目つきになりながら宣言します。
香苗「飛ばすわよ!しっかりつかまって口閉じてなさいよ…!!」
智絵里「…………っ!?」
そして、エンジンはゴオオオ、と大きな音を立て。――私たちの乗った車は、文字どおり<飛んで>いました。
口を閉じていろ、とはこれに備えろということだったのでしょう。ともあれわたしは声を出すこともできず、目を丸くすることしかできません。
香苗「……あ。貴女の時代、車はまだ地面を走っていたのかしら。申し訳ないわね、説明もしていなくて」
智絵里「……ぷは、はぁ……、そうです、空を飛ぶなんて……こんなの初めてですっ」
飛行が安定したのか、もう声を出しても大丈夫そうです。まるでうっかり忘れ物をしてしまったくらいの雰囲気で香苗さんは言います。
でも、初めての事象の前に、わたしは。不思議とわくわくする気持ちを抑えられませんでした。
香苗「……ふぅん。度胸、あるのね……そりゃそうか、アイドルだものね」
普通初めての時は空が怖いとか思うものよ、と付け足した香苗さんは、何か嬉しそうな表情になって相変わらずのフルスロットル運転を続けていました。
香苗「さぁ、着いたわよ!」
香苗さんが地面にパトカーを止めると、目の前の家を指しました。
その家は、あまり現代と変わらない佇まいでしたが……表札には、プロデューサーさんの名字が書かれていました。
ちなみにうさぎさんは、車のエアコンをかけたままとりあえず置いていくことにしました。この時代では、そういうことをしても危なくないようにできている、そうです。
智絵里「ここ、プロデューサーさんの家……ですか?」
少し不思議に思ったわたしは香苗さんに問いかけます。が、香苗さんは、
香苗「まぁ、行ってみればわかるわよ」
と、いたずらっぽく笑うだけではっきりとは答えてくれず。
そのままインターフォンを鳴らしました。
???「どちらさま……でしょうか……?」
香苗「……すみません、警察のものですが。このお家の人にお話を聞きたくてね。どなたか出てきてもらえるかしら?」
出たのは、女の子のような声。どこか、わたしの声に似ている気がしました。
香苗さんは、丁寧なような、そうでもないような感じで話しかけていきます。……というか、正直怪しさ全開なような……
???「……少々、お待ちください。いま、出ますね……」
インターフォンにカメラが付いていたのが幸いしたのでしょう。しばらく遠くで相談するような声が聞こえましたが、無事に応じてくれました。
とてとてと足音が聞こえたあと出てきたのは、わたしより少し年下に見える、小さな女の子でした。
わたし、に、そっくりの――
女の子「こ、こんにちは……いま、わたしと美琴ちゃんしかいないんですけど……それでも大丈夫ですか……?」
固まって声が出ないわたしの代わりに、香苗さんが答えました。
香苗「大丈夫よ。こんにちは、お嬢さん。聞きたいことっていうのはね……このお家の人で、ちえり、という名前の人はいるかしら?」
女の子「はい……それは、おばあちゃんの名前だったと思います……会ったことは、ないですけど……」
ドアから半分だけ体を見せている女の子は、おどおどとした様子で答えました。
香苗さんがわたしを指しながら続けて問いかけます。
香苗「……そう。じゃあ、このお姉さんが、智絵里って名前なんだけど、何か知らないかしら?」
女の子「……おばあちゃんと、同じ名前……。おかあさんにも、少し似てる……。美琴ちゃん、これって……」
女の子は、目を少し見開きながら振り返り、後ろの誰かに相談しているようです。
女の子「……うん、わかった。……あっ、ごめんなさい。どうぞ、入ってください……こちらです」
女の子は、ゆっくりとドアを開け、私たちはそれについていきます。
家の中は、来たこともないのにどこか懐かしいような、そんな気がしました。
しばらくして。女の子は、もっと年上――私と同世代くらいに見える――黒髪の女の子を連れて戻ってきました。
美琴「……お待たせして申し訳ありません。私は、小日向美琴と言います。こちらの……美柑の、従姉です」
智絵里「――!?美琴、さん……じゃあ、おばあさまのお名前は……」
玄関に出てきてくれた女の子は美柑というそうです。
美琴と名乗る女の子の名字に聞き覚えがあって、驚きっぱなしだったわたしも、ついに口を開いてしまいました。
美琴「はい。美穂、です。……よく、ご存知だと思います。智絵里さん」
美琴さんが言う言葉には、ある程度含みがありました。まるで、こちらを知っているかのような。
……でも、もう、あんまり驚いてばかりもいられませんから。目の前で起きたこと、言われたことを受け止めようと心に決めて、話を進めます。
聞けば、美琴さんのお母さんと美柑ちゃんのお父さんは兄弟で。ふたりは、美穂ちゃんの子供――ということで。
美琴「……なので、美柑が生まれたときは、長年の友人の孫が自分の孫になるなんて…と、それはとても喜んだそうです」
美琴―-さん、は、直接言いづらいのか、遠回しな表現をします。
わたしにそっくりの顔。美穂ちゃんの友人の孫。ということはやっぱり――
智絵里「じゃあ、美柑ちゃんはやっぱり、わたしの、孫……なんですね」
美琴「はい、そういうことになります。貴女が、同姓同名の別人でない限りは」
――わたしには、愛里という娘がいて、美穂ちゃんの息子さんと結ばれたのだということでした。
智絵里「そう……なんですね。美穂ちゃん……未来で親戚にまでなっちゃったんだ」
今でも一番の仲良しの美穂ちゃんが、親戚になっている。
その事実は、なぜか、自分のことのように嬉しかったです。……いえ、自分のことなんですけど、そうではなくって……
美琴「ほら、美柑もご挨拶をしなさい」
美柑「……こんにちは。美柑……です。よろしくお願いします……」
智絵里「はじめまして……なのかな?智絵里、です。本当に不思議だと思うけど……よろしくお願いします」
美琴さんに促されて、びくびくとした調子で初めての挨拶をする美柑ちゃんは、少し前までの私を見ているようで。
2世代も下なのにしっかりそんなところを継がせてしまっているところに、ぎゅっと胸が痛くなりました。
でも、だからこそ。わたしは、こういうときどうされたいか知っています。
美柑「……それで、このお姉さんが……智絵里おばあちゃん、なの?」
不思議そうな顔をして美琴さんに尋ねる美柑ちゃんは、まだ少し怯えているような感じでした。
わたしは少しでも安心してほしくて、美柑ちゃんににこやかに笑いかけました。
智絵里「……そうだよ。今まで会ってなかったみたいだけど……。……でも、今はわたしも来たばかりで、何もわからなくて」
美柑「……。そう……なの?」
美柑ちゃんは、きょとんとした瞳でこちらを見ています。
智絵里「……うん。だから、美柑ちゃん……わたしと、お友達になってくれる?」
美柑「……いいよ!智絵里ちゃん、わたしでよかったら……なんでもきいて!」
わたしが、笑顔で右手を差し出すと……少し間を置いた後、美柑ちゃんは嬉しそうに笑って、わたしの手を取ってくれました。
久しぶりに触れた、人の……美柑ちゃんの手は、不思議なくらい、暖かく感じられて。
――こういう時、美柑ちゃん<わたし>は、ただ寂しくて――
頭によぎった感情につき動かされるように、わたしは、美柑ちゃんの小さな体をぎゅっと抱きしめていました。
美柑「智絵里ちゃん……?ないて、るの……?」
美柑ちゃんは、心配そうな声で話しかけてきます。
――気づいたら、わたしの頬には涙が伝っていました。
智絵里「え……へへ、ごめん、ね……」
やっとの思いでそれだけを返すと、美柑ちゃんはわたしの頭をなでてくれました。
美柑「智絵里ちゃん……あのね、わたしもよく泣いちゃうけど、お母さんがこうしてくれるんだよ」
智絵里「……そう、なんだね。わたしも、うれしいよ……」
子どものころのわたしに、美柑ちゃんは似ていると思ったけれど。
――そこは、わたしの娘――愛里って名前の――が、しっかりやってくれているみたい、で。
わたしはしばらくの間、美柑ちゃんになでられながら、嬉しさと寂しさがないまぜになった涙を流していました。
香苗「あー……ごめんなさいね、だいぶ込み入った話になってたから、首突っ込む気はなかったんだけど」
わたしが泣き止むころ、それまでずっと黙っていた香苗さんが口を開きました。
香苗「……なんか、智絵里ちゃんが最初から本人だってわかっていたような口ぶりだったけど、それはどうしてなのかしら?」
美琴「はい。それは……祖母からこっそりと指示を受けていたんです」
――もし、万が一。智絵里と名乗る女の子がやってきたら、話を聞いて、ある場所まで連れていくように、と。
智絵里「ある場所……ですか?」
美琴さんは、決心するように呼吸をしてから告げました。
美琴「智絵里さんの夫……プロデューサーさんの入院している病院です。愛里おばさんも、そこにいます」
……なんか、そんな気はしていました。プロデューサーさんの名字の表札に、住んでいたのはわたしの孫、でしたから。
どんな反応をしていいかわからないところへ、美琴さんは続けました。
美琴「……その。実は……余命一か月と言われてから、今日で一か月になるんです……」
プロデューサーさんが、もうすぐ死ぬ……?
それは、自分の時代のプロデューサーさんじゃない。わかっていても、否応なしに身体は震えは止まりません。
香苗「……よし。なら、さっさと行くわよ。行って、しっかりと見送る。それが生きている側の役目よ」
香苗さんがぽんっとわたしの背中を叩いて、わたしの意識を引き戻します。
あまりにも決然としたその言葉は、またわたしを勇気づけました。
智絵里「……はい、行きましょう。美琴さん、道案内をお願いできますか」
美琴「ええ、任せてください。美柑も、いい?」
美柑「だいじょうぶだよ!智絵里ちゃんにはわたしがついてるの!あとおかあさんにも教えてあげないと…!」
香苗「じゃあ全員あたしの車に乗って!全開で行くわよ!」
そして全員で出て、香苗さんの車のドアを開けた時、うさぎさんがぴょんっと飛び出してきました。
智絵里「わわ、あぶなかった……もちろん、あなたも一緒だよ、うさぎさん」
うさぎさんは満足そうにわたしの胸に頭を擦りつけてきます。
香苗「それじゃ、美琴ちゃんは助手席お願い!後ろの二人もシートベルトしっかりね!行くわよ!!」
香苗さんがてきぱきと号令をかけます。
そして、先ほどと同じようにエンジンが高鳴り、車はあっという間に空へ駆け出していきました。
美柑「わ、うさぎさんだぁ……!学校にもいるけど、触ったことはなかったんだ」
美柑「えへへ…よしよし、いいこいいこ……あはは、くすぐったいよぉ」
車の中、うさぎさんと楽しそうにじゃれあう美柑ちゃんを微笑ましく見つめつつ。
なにぶん、この時代に来てからいろんなことが起こりすぎていて……わたしは、頭の中を整理し始めます。
――ここは、50年後。
――プロデューサーさんの家にいた美琴さんと美柑ちゃん。
――美琴さんと美柑ちゃんは、美穂ちゃんの孫と、わたしの孫。
――余命宣告を受けているプロデューサーさん。
――わたしを病院に連れてくるように伝えていた美穂ちゃん。
――病院で待っているという、わたしの娘の愛里さん。
……そこから考えることはいくつもありました。
特に、この時代のわたしのこと。多分、きっと<わたし>は――
そう考えると、わたしはこれから起こることへの覚悟を決めなければなりませんでした。
************************
考えごとをしていると、不意に車が止まります。
香苗「……さて、着いたわね。あたしは……ここからは遠慮しておくわ」
智絵里「……そうですか……。ここまで連れてきてくださって、ありがとうございました」
香苗「いいのよ。やるべきことを、やってらっしゃいな。一応ここで待っているから、また何かあったら帰ってらっしゃい」
香苗さんは、病院の前に車を止めると、そう言ってわたしたちを送り出そうとします。
でも……なんとなく、もう香苗さんとは会えない、そんな予感がしました。
香苗「そんな顔するんじゃないわよ。かわいい顔が台無しよ?大丈夫、あなたが生きてたら、また50年後に会えるんだから」
わたしの顔はいつの間にか曇っていて……そんなわたしに、香苗さんは出会った時のようにウインクをして言います。
香苗さんがわたしを勇気づけようとしてくれているのがわかって、……それを無駄にしないように、わたしは。
智絵里「はいっ。ありがとうございます、いってきます!」
できるだけの笑顔を作って、足元を跳ねるうさぎさんを連れて、病院に向かいます。
途中、ふと振り返ると、香苗さんは親指を立ててくれて。
わたしはうなずいて、まっすぐに進みました。――今度こそ、振り返らずに。
美琴さんが手続きをしてくれて、美柑ちゃんに手を握られながら通された病室の前。
そこには沈痛な面持ちをした、初老の女性と、わたしのお母さんくらいの年の女性が座っていました。
???「えっ…!?そんな、智絵里、ちゃん……!?」
わたしが何かを考える前に、わたしに気づいたその初老の女性が先に驚いた声をあげます。
しっかりとした足取りで駆け寄って来た女性は、わたしの顔をしげしげと眺めると、一粒の涙を落としました。
この女性は、髪こそ真っ白になってしまって、顔のしわは数多くあれど、顔立ちは今とほとんど変わらない……
智絵里「あの……美穂、ちゃん……ですか……?」
美穂「そうだよ!よくわかったね……!本当に、来てくれたんだね、智絵里ちゃん!」
おそるおそるその名前を口にすると、その女性――美穂ちゃんは、今と何も変わらないまぶしい笑顔で答えてくれました。
智絵里「よかった……美穂ちゃん、全然変わってなくて……安心しました」
美穂「そうかなぁ?これでも色々あったんだよ?……と、美琴ちゃん、美柑ちゃん、ありがとうね」
もちろん困り顔もあまり変わっていなくて…美穂ちゃんは、隣の美琴ちゃんに声をかけました。
美琴「いえ……本当に智絵里さんが来たときはびっくりしましたが。ここに連れてくるだけでしたから」
美柑「むー…わたしも、智絵里ちゃんと友達になったんだよー!」
美穂「そうだったんだ!じゃあ、私と一緒だね!」
そこからのやり取りは、ふたりとも美穂ちゃんの孫なんだなぁとか、美琴さんは笑うと年相応なんだなぁ、などと思いながら見つめていました。
智絵里「それで、美穂ちゃんは……やっぱり、この時代の<わたし>から聞いてたの?わたしが来ること……」
美穂ちゃんは、その質問を聞き届けると。
急に黙って目を閉じて、寂しそうな表情になりました。美琴ちゃんと美柑ちゃんも、口を噤んでいます。
美穂「……そう、だよ。プロデューサーさんがもうすぐって時になったら……多分行くと思うって。……聞いたのは、もう15年も前だけどね」
智絵里「……そう、なんだ」
……予想が確信に変わります。……だって、だれも、今のわたしのことを話してくれないから。
美穂「……うん。あのね、智絵里ちゃん……この時代では智絵里ちゃんは、……15年くらい前に、亡くなっているの」
ただ、自分が死んでいる。告げられたその事実は、予期していても頭の中をぐちゃぐちゃにしていきます。
智絵里「そう、ですか……どう、して……」
そんなことを聞いてもどうしようもないのに。そんな言葉が口から出てきていて。
美穂ちゃんは、昔のことだけどね、いい?と確認します。
わたしがうなずくと、ぽつぽつと話し始めました。
美穂「……病気だったの。ある日突然、血を吐いて倒れて……意識は取り戻したけど、もう手の打ちようがないってお医者さんが言ってたよ。それから、たった数日……だった。眠るように、私たちを置いていっちゃった」
美穂「智絵里ちゃんが倒れてから、私も、なにもかもほっぽり出して病院に行ったんだ。そしたら、智絵里ちゃん笑ってたよ。何にも心残りはないーって感じで。……それで。その時渡されたのが、このお手紙なんだ」
美穂ちゃんは、古びた封筒――はるか昔の私へ、と書かれた――に入った、一通の手紙を差し出します。
わたしは、両手でそっと受け取りました。
美穂「もし昔の姿の私が来たら渡してほしい、って頼まれたの。……断れるわけないよね。だって、親友の……智絵里ちゃんの、最後のお願いだったんだもの」
美穂「私がわかったって言ったらね、これで安心です、ってまた笑ったの。ずるいよね……智絵里ちゃんの笑顔って。こっちが何にも言えなくなっちゃうんだから」
気づくと、美穂ちゃんは、また目に涙を溜めていて、言葉も震えていて。
美穂「だから、わたし……ずっと忘れずに待ってたよ。……まって、……たよ……ちえりちゃ……、ぁぁぁ……」
とうとう美穂ちゃんの両目から、大粒の涙がぼろぼろと落ちました。同時に、美穂ちゃんはわたしに抱きついてきて、ついに泣き出してしまいました。
ここは50年後で、わたしが死んでから15年も経っていて。それでも、変わらず友達でいてくれて、最期の頼みすらもきちんと聞いてくれた。
――途方もない話で、でも本当の話、でした。
智絵里「美穂ちゃん……ありがとう。本当に、ありがとう……」
わたしは、それだけを言って、美穂ちゃんの細くなった体にそっと腕を添えました。
???「ちょっと、お義母様……どうなさったんですか?」
そうしてしばらくすると、その様子を椅子に座ったまま後ろからただ眺めていた、お母さんと同じくらいの年頃の――というよりも、お母さんによく似た女性が声をかけてきました。
美穂「あっ……ごめんね、智絵里ちゃん。この女の人は……」
智絵里「……愛里さん、ですね。わたしの……娘の」
美穂「……あたりっ」
なんとなくわたしの娘、という語感にはしっくりきませんが。
そう答えると、泣き止んでいた美穂ちゃんはいたずらっぽく笑いました。
愛里「智絵里って……そんな、まさか……お母さんの、冗談だと思ってた、のに……」
愛里さんは、美穂ちゃんと同じように驚きに目を見開きます。
未来のわたしって、そんなに信用されてなかったんでしょうか。でも、美穂ちゃんは待っててくれたんだけどな…。
智絵里「あなたが……愛里さん、なんですね」
愛里「はい……。おかあ、さん……。あの、なにから話したらいいか……」
愛里さんは、子供のわたしを前に、どうしていいかわからないといった表情を浮かべています。
わたしだって、突然会ったらそうなります。でも、車の中で考え事ができたので……ここに来るまでの間に、愛里さんに会ったらどうしようって、考えておくことができました。
わたしは、プロデューサーさんの家でのことを思い出しながら――ゆっくりと声をかけました。
智絵里「……えぇと、まずは、お礼が言いたいんです」
愛里「お礼……ですか?」
わたしの声に顔を上げた愛里さんの少しおどおどとした目線は、やっぱり美柑ちゃんやわたしによく似ていて。
わたしのお母さんも、こんな気持ちだったのかなぁなんて考えながら、わたしは話します。
智絵里「さっき、美柑ちゃんと話したんです。それで……わかりました。しっかり愛をもらって育ったんだろうなって」
愛里「そんな……私、美柑に寂しい思いをさせてばかりで……母親らしいことはしてあげられなくて……」
――なんとなく想像はつきます。美柑ちゃんも、子供のころの私にそっくりだったから。でも、違うところはあって。
わたしは、ずっと私の手を握ってくれていた美柑ちゃんの背中をぽんっと押しました。
智絵里「それは……どうかな?美柑ちゃん」
美柑「……えへへ。わたしね、さびしい時もあるけど、おかあさんのこと……だいすきだよ!」
美柑ちゃんは、愛里さんの服をくいくいと引っ張りながら笑いました。
それは、愛里さんが顔を曇らせたのとは裏腹の……屈託のない笑顔でした。
愛里「美柑……あなた……ほんとうに……?」
美柑「ほんとう、だよ。おかあさん、いつもやさしいから!」
智絵里「愛里さん、どうしてそう思うかは、わからないですけど……。美柑ちゃんの笑顔は、信じてあげてください……ね?」
美柑ちゃんの反応に驚いた表情になった愛里さんに、わたしはそう付け加えました。
――美柑ちゃんは、<わたし>に会ったことはないって言っていたから、きっと。
愛里さんにとって、頼れる母親がいないというのは、とても寂しいことだと思うから。
智絵里「……未来のわたしは、美柑ちゃんの顔は見られなかったんだと思うんです。だから……代わりに言わせてください。まっすぐ育ててくれてありがとう……って」
愛里「美柑……おかあ、さん……」
とうとう愛里さんは、ハンカチで顔を覆って泣き出してしまいました。
愛里「わたし……今まで、がんばったんです……っ。おかあさんにも、わたしと、美柑のこと、ずっと見せてあげたかったの……!!」
――未来の<わたし>は。美柑ちゃんが生まれる何年も前にいなくなっていたそうです。
わたしは、ずっと泣いている愛里さんの頭を撫でました。
智絵里「愛里さん……。よく、がんばったね……本当に、ありがとう」
――美柑ちゃんと、一緒に。
美柑「おかあさん……どこかいたい?だいじょうぶ?」
それは、愛里さん自身がしてきた、美柑ちゃんへの愛情表現と同じものでした。
愛里さんが涙をぬぐったハンカチをしまう頃。
美穂ちゃんが、愛里ちゃんよかったね、と言いながら切り出しました。
美穂「ねぇ、智絵里ちゃん……よかったら、そのお手紙……読んでみてもらえますか?」
智絵里「あっ……はい、わかりました」
この中に、未来の<わたし>が残した言葉がある。
結局、わたしは<わたし>のことが一番わからなくて。緊張につばをのみます。
高鳴る鼓動を抑えるために深呼吸をしてから、先ほど渡された封筒の封をそっと切りました。
「――はるか昔の私へ
あなたがこれを読むとき、おそらく、かなり差し迫っている状況になっているでしょう。
もうすぐでいなくなってしまう私の代わりに、この手紙が少しでも助けになればと思います。
さて、あなたが、そこにいない私に聞きたいことは、おおよそわかっているつもりです。
私が知ることをすべて語れば、私が今日死ぬことも、もしかしたら変わるのかもしれません。
ただ、きっと周りの人がいろいろ教えてくれているでしょうから。私から言えることはひとつだけです。
これから、あなたはいろいろなことに出会うでしょう。時には泣いて、傷ついて、後悔するようなことが、たくさんあるでしょう。
でも、それらは、時が経てば経つほど、忘れられず、手放せなくなり、とても大切なものになっていきます。
だからどうか、最後に、すべてが終わるときに、幸せだったと言えるように人生を送ってください。
――わたしは、私を想ってくれる人たちに囲まれて、ちゃんと幸せでした。
最後に。そこにいる人たちの想いを、しっかり受け止めてあげてください。あなたにはそれができるはずです。
特にPさんは、私が言ってもずっと聞きませんでしたから。頑固に後悔し続けているような気がします。
よかったら、最後のお話を、聞いてあげてください。
――智絵里」
――その手紙の最後に書かれた名前の、すぐ近くに。何かがしみ込んだような跡が残っていました。
智絵里「未来のわたし……やっぱりダメな子だったのかなぁ……」
そこで死ぬことがとっても悔しかったくせに、ずっと自分の気持ちを隠して、最後まで笑い続けたのだと――
それが理解できたとき、わたしはわたしがこの時代に、何のために来たのかを悟ったような気がしました。
美穂「私たちは、最後のお別れのようなものは、もう済ませてあるの」
美琴「一か月もありましたから……もう心の整理はできています」
美柑「わたしも……さびしいけど、離れて見てるね。智絵里ちゃん……がんばってきてね」
愛里「お父さんを、お願いします……おかあさん」
その最後の扉を開く前。みんなはそう言いました。
ついにPさんと対面すると決めたわたしに、みんなは少し離れて見守っていると約束してくれました。
わたしは、Pさんがどんな思いでいたとしても――それを受け止める。そう決めました。
智絵里「……わかりました。では……いってきます」
わたしは、病室のドアノブに手をかけて……ゆっくりと開きました。
みんなが約束通り、ドアの近くで見守る中、うさぎさんと一緒に歩を進めます。
かつんかつんとわたしの靴音だけが病室に響き、永遠に続くかのようなベッドまでの距離を歩いて。
わたしは、プロデューサーさんのベッドのそばに立ちました。
やせ細ったその顔は――それでも、かつて<いま>の面影を残していて。わたしの胸がぎゅっと痛みます。
わたしに気づいたのか、Pさんの目がゆっくり開かれて。
わたしを見ると、納得したかのような表情で、話し始めました。
P「最後のお迎えは……智絵里……おまえだったんだな……」
智絵里「……はい」
P「お前がいなくなってから、ずっと、会いたかった……。少し、昔話に付き合ってくれないか」
智絵里「……はい。プロデューサーさん」
プロデューサーさんは、わたしのことを未来のわたしだと思っているような口ぶりでした。
ただ、それがプロデューサーさんの望みなら――わたしは、未来の<わたし>を演じることにして。
あえて訂正はせず、ゆっくりお話を聞くことにしました。
P「……懐かしいな、その呼び方は。……そうだな……。お前をスカウトした日から、お前をずっと見てきたよ」
智絵里「……そう、ですね。あなたは、ずっとわたしを見守ってくれました」
P「……ああ。俺の人生の、ほとんどすべてだった。お前と結婚すると決めた時は、命を懸けるつもりだったよ」
わたしはうなずいて、次の言葉を待ちます。
そして、プロデューサーさんは、ゆっくりと語り続けました。
P「……愛里をみごもったおまえが、引退を決めて。愛里も無事に生まれて……幸せの絶頂だった時、俺はもっともっと幸せな家庭を作りたくて、いっそう仕事に打ち込んだ」
P「……だが、それは間違いだったんだろうな。……突然におまえがいなくなってから、ずっと心に穴が開いたようで……今日まで、後悔しない日なんて無かった」
智絵里「……はい。知っています」
……<わたし>の手紙を思い出します。
それほどまでに想われていたことに実感がわかずにいましたが、プロデューサーさんの言葉にこもった深い思いと悲しみを肌で感じて、それは本当だったんだと思えました。
P「お見通し、か……。もともと身体が強くなかったおまえは、良き妻良き母であろうとして無理を重ねていた……」
P「そんなことも知らずに、おまえの心の強さに甘えてしまって……おまえはいなくなった。それが俺の罪なんだ」
智絵里「そんな……こと」
ない、なんてどうして言えるんでしょう。わたしが、見てきたわけでもないのに。
プロデューサーさんは、力のない瞳でこちらを見ていました。
……まるで、断罪されたいと願うような。そんな視線でした。
智絵里「……でも、それは、自分で決めたことです……。決して、プロデューサーさんのせいじゃないです。わたしは……最後まで、ずっと幸せでしたから……!」
P「ああ……おまえは、最後にそう言っていたな……昨日のことのように思い出せるよ。ああ、わかっている。これが、独りよがりなエゴイズムだってことくらいは」
それは、手紙に書かれていたこと。わたしは、未来のわたしの代わりに告げなければなりませんでした。
でも、わたしの言葉を聞いても、プロデューサーさんは空虚な苦笑いを浮かべるばかりで。
P「それでも、俺は……もっとおまえに頼られたかった。弱さを、さらけ出してほしかった。何も言わずに倒れて、何も言わずに行ってしまった……弱音ひとつも、残さないまま」
P「そんなおまえに……結局俺は、何もしてやれなかった。……それが、すべてなんだよ」
悔恨のような、恨み言のようにも聞こえるその言葉は、わたしの心を深くえぐっていき。
ちがう、ちがう、待って。
そんな叫びがわたしの頭の中から聞こえるようで。頭は熱くなり、のどはからからになるようでした。
それでも、手紙を読んだとき、頭の中に焼き付いた未来の<わたし>の情景。
……それを頼りに、わたしはなんとか口を開きました。
智絵里「わた……しは。きっと、つよくなんてなかった……。最後まで、死ぬのが怖かったんだと思います」
智絵里「でも、それ以上に……みんなを残していって、みんなが悲しみを背負ってしまうことのほうが怖かった」
手紙についた一滴の染み――残した人を想って流した、その涙の意味を、告げるために。
智絵里「だから、最期まで笑っていたんだと思います。少しでもみんなの気持ちが軽くなるように。笑顔がひとを幸せにするって、そう信じたから」
智絵里「もしそれが間違いだったとするなら……だから、わたしはここに来たんです。未来のわたしはもういないけど……!プロデューサーさんに、代わりに伝えなくちゃいけないから……っ」
智絵里「ごめんなさい……勝手にいなくなって、ごめんなさい……っ」
わたしは、気づけば顔を両手で覆って、両目からぼろぼろと涙を流していました。
この世界の、プロデューサーさんと<わたし>の、どうにもならないすれ違い……その運命の、悲しさに。
P「智絵里……いや、50年くらい前の智絵里……か。顔を見せてくれないか」
プロデューサーさんの優しい声を聞いて、わたしははっとして顔を上げます。
智絵里「あ……っ、P、さん……?どうして、それを……」
P「智絵里の言葉で思い出したよ。あいつが、未来の俺に会ったことがあるって言ってたこと」
智絵里「あ……あの、わたし……だましたりして、ごめんなさい」
P「いや、いいんだ、智絵里……俺のためにしてくれたことなんだろう?おかげで随分と心も軽くなった。未練もなくなるくらいにな」
……どうやらわたしは、話すのに必死で、演じることを忘れていたみたいです。
でも、そう言って柔らかく微笑んだプロデューサーさんの顔は、つきものが落ちたように晴れやかでした。
P「俺も、最後の最後に自分の想いを吐き出すことができた。つらい役目を背負ってくれて、ありがとう……智絵里」
智絵里「そんな……わたしは、手紙に書いてあることに従っただけで」
P「そうか……。やっぱり、あいつは全部お見通しだったのかもしれないな……」
わたしはかぶりを振って手紙を取り出して見せましたが、プロデューサーさんはそれを読もうとはしませんでした。
P「さて……いいかい、智絵里。今から話すことは……俺の、最後のプロデュースだ。よく聞いてほしい」
智絵里「……はい。プロデューサー……さん」
かわりに、プロデューサーさんは、まっすぐこちらを見て語りかけてきました。
わたしは、また目が熱くなるのをこらえながらうなずきます。
P「智絵里は、いま……何もしないこともできたのに、逃げずに、受け止めようとした……それは智絵里の心の強さなんだよ」
智絵里「わたしの、つよさ……」
P「智絵里は、強くなりたいとずっと言っていたね。それはもう、智絵里の中にあるものだ」
智絵里「……そう、でしょうか」
P「ああ。だけど……絶対に、無理をするな。俺を頼って、甘えてもいい、何でも言ってみてくれ。そうして不安を乗り越えた先でこぼれる最高の笑顔こそが、智絵里の最大の武器だ。その武器で俺を……つなぎとめていてほしい。……わかったな?」
彼の最後のプロデュース……それは、彼の悔恨と願いとが溶け合った "指導" でした。
智絵里「……はい、絶対に……約束、します。プロデューサーさん。ありがとうございました」
わたしは、深々と頭を下げました。……もう、これで最後になると感じたから。
P「こちらこそ。ありがとう、智絵里……。これで、やっと……」
最期に感謝を述べると、プロデューサーさんは目を閉じて……体から熱を失っていきました。
みんながすすり泣く声が、聞こえてきます。
わたしの頬を伝った涙が、足元にいたうさぎさんに触れて。
わたしの身体は、光に包まれました。
ふと横を見ると、美穂ちゃんだけが。
泣きながら笑って、手を振っています。
だからわたしも、最後に。
同じ泣き笑いで、手を振り返しました。
気づくとそこは、昼間のうさぎカフェでした。
窓から差し込む光と、気持ちいいくらいの真っ青な空。
抱きかかけていたうさぎさんは、ぴょんと跳ねてかごの中に戻っていきました。
わたし――帰って、きたんだ。
P「起きたか、智絵里?」
ぼんやりとしていると、横からプロデューサーさんの声がしました。
未来では死んでしまったけれど、今はしっかり生きていることに、安心が広がります。
……そういえば、プロデューサーさんとわたしは、未来で、け、け、けっこ……
ふとそんなことを思い出して、考えただけで、顔がかーって……
智絵里「は、は、はいっ。ぷ、プロデューサーさん」
P「おお、それはよかった。とこ……、……ほが、……て、……くま……だ」
こうなっては、もう緊張で、プロデューサーさんが何を言っているかわかりません。
あわてる頭では何をどう返せばいいかわからず、言葉が出ませんでした。
P「……智絵里?ずっと黙ってるけど、どうか、したのか?」
智絵里「え、え、っと、あの!えぇと……その……」
プロデューサーさんは、わたしの顔を心配するように覗き込んできて。
さらに距離が近くなって、ぐるぐるする頭で、わたしは――
"俺に頼って、甘えてもいい、何でも言ってくれ"
なぜか、未来のプロデューサーさんの最後の言葉を思い出しました。
智絵里「あ、あの!撮影で疲れてしまったので……あ、あまいものが、たべ、たい……です……」
耳からも蒸気が出そうなくらい熱い頭で、わたしはそう言っていました。
P「ん?智絵里がそんなことを言うなんて珍しいな。……なら、事務所に戻る前にどこかに寄っていこうか。まだ時間も早いしな」
あ、あれ……??これ、もしかして、で、で、でーと……??
プロデューサーさんは、わたしを気遣って右手を差し出してきます。
P「ほら、行こう、智絵里。……立てるか?」
智絵里「あぅ、あの、は、はい……」
その手をゆっくりとわたしが取ろうとしたとき。
美穂「え、えっと……私、もしかして、お邪魔でしたかね……?」
後ろからひょこっと、美穂ちゃんがほんのり顔を赤らめながら、苦笑いで現れました。
智絵里「み、美穂ちゃん……!!」
そのとき、緊張は一気にどこかへ行ってしまって、わたしは美穂ちゃんにぎゅーっと抱きついてしまいました。
美穂「わ、智絵里ちゃん……!?どうしたの……??」
50年先の世界でもらった、美穂ちゃんの気持ち。その壮大な思いに、感謝が抑えられなくて。
とたんに泣き出したわたしの背中を、美穂ちゃんは困ったような声を上げながらも、ゆっくりと撫でていてくれました。
美穂「プロデューサーさん……智絵里ちゃんになにか、したんですか……?」
P「……待て、美穂。その目は何か誤解している。天地神明に誓って、やましいことは何もしていない」
わたしの頭の上で、そんな会話が聞こえます。
智絵里「え、へへ……大丈夫、だいじょうぶ、だけど……いまはこうしてたいな……っ」
美穂ちゃんの胸の中で、安心感に包まれながら。
さっきまで一緒にいた、未来のみんなのことを想いました。
――受け止めた、気持ちを忘れずに
――わたしは幸せに、生きていきますね
――だからどうか、みんなお元気で
――また、遠い未来で、笑って会えますように
以上です。
お読みいただきありがとうございました。
追記です。
パロディ元は「クワガタにチョップしたらタイムスリップした」という名曲です。
一度聴いてから読むとまた違った味わいがあるかもしれません。
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