『ばあ』 (105)

5月21日

今日から日記をはじめることにした。理由はおれにもよくわからない。この日記がいつまで続くのか、他人事のように楽しみだ。
人生の楽しみがふえるのはよいことだ。たとえそれが、なんの生産性もなく、意味もないことであっても。


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5月22日
 
おれの働いている病院はひとの命をあずかっている。だが、そこで働いているおれに対しては冷淡だ。
おれが非常勤の調理補助をしているせいかもしれない。おれには学がない。資格がない。30過ぎて若さもない。見た目も平均以下だと思う。取り柄は食材を切るはやさだけだ。
栄養課の主任はおれをいじめる。「そんな無愛想な顔でやっていたら料理が不味くなる」という。
どんな顔をしていようが、何を思っていようが料理の味は変わらぬ。愛情を込めても鮭の切り身がトロになるわけではない。嫌々つくってもうまいものはうまい。
第一、主任はおれたちがつくった料理を口にしたことがない。この女はどんなに忙しかろうが、昼は2000円ほどのランチを食べに行き、夜はさっさと帰ってしまう。
そんな女でも、おれの数倍の年収があり、夫と子どもがいる。おれはみじめだ。

5月23日

久しぶりの休日。アパートで本を読んでいたら、母親から電話がかかってきた。
ばあ……おれの祖母を施設に入れるという。もう手に負えないという。
ばあは90過ぎだ。そして認知症をわずらっている。
ばあは家族の中で唯一おれをかわいがってくれた。おれのやることなすことに、いちいち「それが将来なんの役に立つ?」などと言わなかった。兄弟のなかでいちばん頭のできが悪いからといって、おれを諦めたりはしなかった。
だがおれは非常勤の調理補助になり、将来に希望はない。
そしてばあはおれのことをわすれてしまった。ばあの中では、おれは小学生のおれのままだ。
小学生のころ、一時期ばあの家にあずけられていたから、その頃の記憶が色濃くのこったのかもしれない。
ばあは今のおれがわからない。ばあにとっておれは、無愛想で、不器用で、不恰好な30過ぎのみにくい男でしかない。

5月24日。
 
また主任がけちをつける。「仕事に誠意が感じられない」という。
ことわっておくが、おれはなにもしくじっていない。決められたとおりに食材を切り、言われるままに後片付けをしている。
おれは不器用の分際で完璧主義だから、作業をおろそかにやったことはない。
だが、主任にとっては誠意とやらに欠けるという。誠意の言葉の意味がわからない。学がないからかもしれない。


5月25日

今日は主任がいない。みんな、のびのびと働く。

5月26日
 
電車の定期を落としてしまった。うちの病院は交通費をだしてくれないから、手痛い損失だ。
誰かが拾って、交番にとどけているとうれしい。そんな親切なやつが、絶滅していないといい。


5月27日

母から電話。仕事のことで責められる。
ばあの施設の費用が負担できないから。
実家で暮らさせてくれたら、浮いた家賃の分をわたすことができる。
だが母親は、30過ぎの息子とともに暮らすのは嫌だという。みっともないという。恥だという。
おれは母親にずいぶん恥をかかせた。頭がわるいから、母親は参観会で恥をかいた。三者面談で恥をかいた。おれは地域で最低の私立高校へ行き、母親は近所でも恥をかいた。まともな就職はできず、恥をかいた。
いっそ殺してほしいと思う。おれには自殺する勇気がない。

5月28日
 
弟が結婚するらしい。知らなかった。知らされていなかった。


5月29日
 
女がほしい。だが金がない。ただであそんでくれる女はいない。
おれの外見はひとをこわがらせる。
学校ではいじめられなかったが、友だちもいなかった。
おれのみじめな現状をなぐさめてくれるような友だち。それを見つけるのは、もう一回人生を繰り返しても無理だとおもう。
おれは寂しがり屋のくせに、他人に絶望しきっている。


5月30日

タイムカードを切ったあとに主任に呼び止められる。
「1人だけ帰るのは卑怯」らしい。
おれは頭のまわらない卑怯者。

5月31日

 
月末。労働。だからどうということもない。マシーンのようだ。 
マシーンなら何故こんなにつらいのか。くるしいのか。母親をむやみに恨む。 
おれを中途半端な人間に生みやがって。だが恨んでもしょうがない。なにが変わるわけでもない。

おれはドブ川の底で、うわずみの人間界を指をくわえ見ているしかない。
工夫がない。向上心がない。おれはばかだ。殺されたい。死にたくはないが。


作者より

半分はフィクションなので気楽に見てください。
どこがモデルになっているのかは絶対に探さないでください。

6月1日
 
定期は見つからない。おれにやさしいひとはこの世にいない。
社会はおれの命を肯定する。命だけを肯定する。「人生に絶望してはいけない。死んではいけない」と言う。
だがおれの価値を決して認めはしない。おれは税金をほんのすこししか納めていないから。おれは社会に貢献していないから。
女を養っていない。子どもをつくっていない。親に孝行していない。
おれは生きていてもよいが、いらない人間だ。

6月2日

同窓会があったそうだ。興味もない。

6月4日
 
二連休。だが、やることはない。できることはない。金がない。
家で本を読む。

6月5日
 
主任が風邪をひいて休み。僥倖という字を辞書で引いた。
良い日だ。こういう日がずっとつづけばいい。


6月6日
 
主任が風邪をおして病院へきた。診察のためではない。
迷惑だ。そう言ってやりたい。だが、おれの首はやつ次第。文句などございません。
なんの不満もないような顔で働く。だが、主任は風邪をおしてまでおれを叱ってくれる。
ありがたいことだが、無理をしないでくれ。
 

6月7日
 
風邪をうつされた。欠勤したいと電話すると、主任に怒鳴られた。
体調管理もろくにできないやつは病院にいらないという。
主任は風邪をひいていなかったらしい。日記も嘘をついている。
だれを信じればいいかわからない。
おれのいままでの人生は、おれにとっておれ自身がもっとも信用できない人間だと教えてくれた。
おれの敵はおれ。だが、戦うすべを知らぬ。


6月8日
 
今日も欠勤。仮病をうたがわれる。いまから診断書をもってこいという。
だが、おれには病院にかかる金がない。病院がよこさないから。
頭がこんがらがる。


6月9日
 
風邪が治る。
病院に行かねばならぬ。嘘つきとして。


6月10日
 
主任が調理課にレシピの変更を提案してくる。経費の削減。
キャベツの地位向上。緑の革命。
うちの病院のバックには農家達がいる。だから野菜は安く仕入れられる。
だからといってキャベツばかり増やすのはいただけないと思う。
患者は青虫ではない。人間だ。おれとちがって。

6月13日
 
課長が折れる。ひとのいうことを聞くつもりがない人間と話し合いをするのはたいへんだ。
あの女には結論がはじめからあり、それを他人に押しつけるのが話し合いなのだ。
主任には学があるから、相手をやりこめて、自分の思いどうりにできる。だが、おれは決して主任のようになりたくない。

6月14日
 
休日。意を決してばあに会いに行く。
ばあはおれがわからない。
ばあが、自分の孫の話をしてくれる。自慢の孫だという。
おれは初めて、ばあの病気が治らないことを祈った。


6月15日
 
めずらしく主任の機嫌が良い。息子が大企業へ内定したそうだ。自慢の息子。
それを育てた自分が誇らしくてたまらないのだろう。
おめでとう主任。


6月16日
 
キャベツの外をむく。キャベツをざく切りにする。キャベツをゆでる。キャベツを千切りにする。キャベツを炒める。キャベツをオーブンにかける。
おれがばかになったらどうしてくれる!

6月17日

患者から苦情がきたそうだ。
無理もない。俺の安月給だって、キャベツばかり食べなければいけないことはない。
だが主任は苦情を黙殺した。
専門家にしかわからないこともあるのだろうが、患者もそれなりに高い金を払って病院にかかっている。
そして主任の給料も、そこから出ている。
おかしいだろう。そう考えるおれのほうがおかしいのか。

6月18日

主任に叱られる。「辛気臭い顔で働くな」と。
このような顔で生まれたのはおれと、それから母親と父親のせいだが、辛気臭くなるのは主任が悪い。
やることなすことを徹底的に追及されれば、誰だってこういう顔になる。
主任には他人に対する共感がひどく欠如している。
大学院を出ると誰もがそうなるのだろうか。
おれは高卒でよかった、のだろうか。

6月19日

キャベツの洪水。

6月20日。

休日。延長していた本を返しにいく。
おれは一冊の本を読み終えるのにとても時間がかかる。
たった3ページの間に辞書を引かなかったことはない。
この日記にしても、ずいぶん時間をかけて書いているのだ。
あとからまともに見えるように。

6月21日。

病院が、栄養士と調理師の応募告知をしている。
ここは慢性的な人手不足だ。おれのような男をやとってしまうくらいだ。
おれという例外を除けば、給料はひくくない。
それでも人がこないのは、片っぱしから辞めていくからである。
理由はあえて言わない。おれは悪口がきらいなのだ。

6月22日

主任がわざわざ調理課の事務室にきて、愚痴を言っている。
「みんなわかってない」、と。
おれにもわからない。
おお主任よ、あなたは何者なのだ。何様のつもりなのだ。

6月23日

休憩中に本を読んでいたら、主任に注意される。
「暇なら働きなさい」
ことわっておくが、休憩中である。
この世には、心底から他人の不幸を願える人間がいるのかもしれない。

6月24日

仕事は午後から。午前中、数軒のリサイクルショップを巡った。
おれは新しいものを手に入れたことがない。
それは知識にしても、おんなじだ。
本を読み、周知のことを周回遅れで知る。
使い古された言葉をありがたがっている。
それは不幸だろうか。

6月25日

主任がおれ以外の人間を怒鳴っている。
なぜタイムカードのまえでやるのだ。
帰りづらいではないか。
俺は結局、1時間ほど調理をてつだってから帰宅した。

6月27日

仕事から帰って、CDを聴く。
このまえプレイヤーとイヤホンを買ったのだ。
歌詞カードと辞書をにらめっこ。生意気にも洋楽を聴いている。
おれはこの人物がわからない。
何百万ドルも稼いで、何がかなしいというのか。
だが、歌には共感できる。

おれは雑種。
おれは先天的異常者。
おれは虫けら。
おれは性的倒錯者。

声に出して歌いたい。
きっと英語だから、素直にできるはずだ。

6月28日

おれたちは患者につくるものとだいたい同じものを食べる。
余ったらもってかえることもできる。
これは我が家の家計を大いに助けている。
しかし最近はキャベツばかり。
おれは虫けら。

6月29日

主任が新たな提案をしてくる。
コストカット、材料のカット。
ちらし寿司の具をたまごだけにするという。
なにをちらすのだろうか。
主任よ、あなたはそんな飯を食いたいのか。
食わないからそんな提案ができるのだろうが。

6月30日

調理課の課長が消耗している。
無理もない。
提案と言いながら、主任はおれたちの反論をゆるさない。
相談と言いながら、主任は俺たちが意見するのをゆるさない。
他人とコミュニケーションをとる気がないのだ。
偉くて賢い人間はみんなこうなのかもしれない。

7月1日

仕事をたのしいと思ったことはない。
だがおれのゆいいつのプライドがこの仕事である。
給料はひくく、暮らしは楽ではない。
だがおれが唯一社会に参加している証しである。

7月2日

今年も実習生がやってくるそうだ。
彼女達に対して含むことはない。

7月3日

ひとが足りない。集中しなければ。
だが、主任はそういうときに限っておれの努力を木っ端微じんにしてしまう。
「あんたを見てるとイライラする」
見にきてるのはあんただ。

7月4日

包丁を握っていると安心する。
ひとはくだらないと笑うだろう。
おれが一番おれをすきになる瞬間だ。
調理場に入って、自分専用の包丁を持つとき。
おれはたしかに世界とつながっている。

7月5日

デザートが余り、持って帰ってもよいと言われる。
今日は団子。
まともな栄養士と腕の良い調理士のおかげで、砂糖ひかえめでもおいしい。
病院ではたらいていてよかった。

7月6日

主任が団子について文句を言う。
みたらしとあんこ両方をつくるのは手間で、無駄だという。
主任は作ってもいないし、食べてもいない。

7月7日

今日は早番から遅番までだった。
朝の6時から夜の8時まで。
つかれたが、病院にはエアコンがきいているからいい。
電気代がやすくあがる。

7月8日

休日。図書館へ。
本の延長と、新しいCDを借りる。
洋楽。ブルース、ロックンロール、パンク。
おれも音楽をはじめようか。
金さえあれば、

7月9日

実習生がやってくる。
今年はおんなのこ2人。友達同士のようだった。
はつらつとしている。それがかえって申し訳ない気持ちになる。

7月10日

実習生が2人とも調理場におしこめられる。
ここはひとが足りないから。
病院に彼女達の面倒を見られるひとがいなくて、むしろ、彼女達は頭数として数えられている。
よくないことだ。だが、おれにはどうしようもない。

7月11日

実習生にほめられる。うれしい。

7月12日

休憩室で実習生と一緒になる。
ロックが好きだという。話が合う。
おれは、学生といういきものはもっと高尚な、たとえば政治や絵画、哲学に耽溺するものだとおもっていた。
小説の読みすぎだろうか。彼女にも言われた。

7月13日

昨日とはちがう実習生と休憩がおなじになる。
会話はなかった。相手はひたすらに、ノートになにかを書き込んでいた。
そこに主任がやってきて、ノートを書き直すように命じた。
ノートは、実習の内容を大学に報告するためのものだ。
主任も自覚があるらしい。よりたちがわるい。

7月14日

主任はどうやら、実習生に栄養士としての経験を積ませる気が一切ないらしい。
なんのための実習なのだろうか。
そうおれがたずねたところで、おれは見事に言い負かされてしまうだろう。

7月15日

ロック好きの実習生から、LINEを交換しないかと言われる。
LINEは知っている。だがおれはスマートフォンを持っていないし、ネット環境もない。
それを打ち明けるのがなんともおそろしく、おれは「また今度」と言った。
彼女達がまた今度ここにくることはない、と願いながら。

7月16日

実習生達は休み。主任がやけにカリカリしている。
あいつらはつかえない、とぼやいている。
これはまぼろしだろうか。いいえ、現実です。

7月17日

実習生達に、いつ休んでいるのか尋ねられる。
夜、と答える。文学的だと言われる。
本を読んでいた甲斐があった。

7月18日

休日。図書館で映画を見る。
少年たちが死体を探しに行く話。
ラストまで見ることができなかった。
いたたまれない。あきらかにおれにとっては嘘だとわかる物語は、苦痛だ。
映像なのが辛い。まるでおれが可能性を手放したようなきもちになるからだ。


7月19日

楽器がやりたい。だが音楽教室は高すぎる。
職場の人間に借りて、おしえてもらうのは忍びない。
コーシーコンドーというやつだ。

7月20日

病院のよいところを探す。
夏でも1日の大半を涼しい場所で過ごせる。
主任からのストレスでぶったおれても、すぐに看取ってもらえる。
なるほど、素晴らしい。

7月21日

シュニンガーシュニンガー。
そういう名前の怪人になりそうだ。
あのひとのよいところをみつけたい。
だが、すぐにはみつからない。
いや、あった。
悪口を言っても申し訳ない気持ちに一切ならない。

7月22日

もうすぐ実習が終わる。だというのに、2人はまだ調理場にいる。
ことわっておくが、二人は栄養士としての実務を体験するために病院にきた。
ことわっておくが、おれはうそをついていない。
ここは病院だ。だから、おかしいのかも。

7月23日

早番。18時に退勤。空気がぬるい。
月曜日だから、図書館はやっていない。
しょうがないので、蒸す家の中で本を読む。
まったく集中できない。
かといって、病院のホールで本を読もうものなら、主任につかまってしまう。

7月24日

給料日。だが、あまり晴れがましい気持ちにはならない。
おれは母親に、ひいてはばあのために仕送りをするようになった。
生活は苦しい。なにせ、感謝されることがない。
そうしておれも、見当違いにばあをうらむ気持ちが持ち上がって、つらい。

7月25日

実習生がかえっていく。いるべき場所へ。
これでよかった。別れの言葉はない。これでよかったのだ。

7月26日

またばあへ会いに行く。
おれはおれの知り合いということにして、おれの話をした。
がんばっているね、あんた、と、そう言われた。
そう言われた。いまのばあにとって、おれは他人なのに。

7月27日

コストカット。調理場のエアコンの温度を上げろ、と主任が言う。
まったく、なんの冗談なのだろう。
みんなつらい、とやつは言う。
エアコンのきいた事務室でひがなくつろいで、ひまつぶしでおれをいじめに調理課に顔を出す人間の、なにがつらいというのだ。
おれの顔をみるのが、つらいとでもいうのだろうか。

7月28日

ためしに2度度あげることになった。だが、到底たえられない。
30過ぎて、ここまでこらえしょうのない男になってしまったのか。

7月29日

熱中症でたおれるものがでた。
病院がちかいので、こういうときは便利だ。
主任が、根性がないとぼやいている。
主任に感謝。背筋が凍った。

7月30日

汗がふきだす。そのことをとがめられる。
ひとをやめなければここでは働いてはいけないのかもしれない。

7月31日

主任がいないときにだけ温度をさげることになる。
ロック。調理課長は反体制派の象徴だ。殿堂入りだ。


8月1日

スーツを着て、汗をかきながら歩くサラリーマンを横目に、ほぼ私服のような格好で通勤する。最高だ。
給料のことはかんがえない。
おれの劣等感はきりがない。
一旦スイッチがはいると、だめだ、とにかく、だめだ。

8月2日

うちの病院にも採用試験というものがあって、さらに、それに応募してくる学生がいる。
おどろくべきことだ。
応募者の半数はテストで絞られ、さらに半数が面接で絞られ、採用後は主任によってさらに半数に絞られる。
なかなかに難関。ハーバード大学くらいかもしれない。

8月3日

包丁にガタがきている。
課長に経費でなんとかならないか尋ねてみたが、だめだという。
課長に悪気はない。
悪いのは上の人間だ。
一年で何度も包丁をにぎったことがないくせに、いちいち調理課に干渉してくる。
ひとはわからないことに対して、もっとも過敏に反応するらしい。

8月4日

包丁の故障は持ち手のほうで、こればかりはおれにはどうしようもない。
研げるわけでもなし。
金物屋にもっていけばなんとかなるかもしれないが、どうだろう。

8月5日

仕事は午後から。
交番で金物屋の位置をきく。どきどきした。
なにせ、おれは包丁を持ってそとを出歩いているのだ。
けっしてさわやかでも、陽気とも言えない顔で。
金物屋はすこしはなれたところにあったから、また今度に。

8月6日

くそっ。

8月7日

休日午前、金物屋にいく。
簡単な作業なので、3000円ほどだという。
おれには痛い出費だが、しようがない。
午後には仕上がった。感触がくっきりしている。

8月8日

道具がよいと、仕事がたのしい。
主任の小言も聞こえない。
はい、はい、わかりました、すいません、なんとかします。
これのローテーション。
なにせおれの辞書はボキャブラリーが貧弱なのだ。

8月9日

おれのアパートは5畳で、そこにテーブルと布団がある。
なにせ古い安い。エアコンもないし、時々給湯器が不調で、水風呂にされる。
それでもおれの家だ。
ひとを招きたいほどではないが。

8月10日

なぜ日記を書き始めたのかと、自分でもよく考える。
小説家になれない本好きが、いわゆる代償行為でやっているのかもしれない。
しかしあらためて読み直すとつまらない。
おれの人生だから。

8月11日

病院の休憩室で新聞を読んだ。
よくないことばかりが起こっている。悲しい気持ちになる。
政治、経済、家族……おれにはどうしようもないこと。
せいぜい、死ぬまで生きるほかはない。
積極的に生きようとすることもなく、死ぬようにすることもなく……。

8月12日

「真面目にやれ」と主任によく言われる。
おれはミスをしていないのに、顔つきだのなんだのと。
彼女の怒りはどこからやってくるのだろう。
おれにはわからない。
頭のいいひとにしかわからない悩みがるのかもしれない。

8月13日

ばあが亡くなった。

8月14日

忌引き休暇を申し出たが、断られた。
断られたが休んでやった。
なにしろ、兄弟も、家族もばあのことなど忘れてしまったかのように何もしないから。
おれがやるしかない。

8月15日

ばあは病気のことでずいぶんひとに迷惑をかけたかもしれない。
だが、葬儀にはいろんなひとがきてばあを悼んでくれた。
おれはうれしかった。
職場からの電話は非通知にしておいた。

8月16日

親切な住職のおかげて、葬式は安く済んだ……。
問題は墓石だ。あれは高い。
高いが、作ってやらなければいけない。
そうしなければ、みなばあのことを忘れてしまうだろう。
おれでさえも。

8月17日

無断欠勤ということで、
無断欠勤ということで、おれが解雇されることになった。
不当だとは思うが、覚悟はしていた。

8月18日

生きることにも死ぬことにも、大して興味がない。
食事の味もよくわからない。
海へ行きたい。仕事、仕事仕事……。

8月19日

海へ行きたい。

8月20

仕事には身が入らない。
急に苛々する…急に何も考えられなくなる。
責任と言う言葉が重い。
どうして?

8月21日

自分が日記を書く理由が、ぼんやりとわかった。
おれは、忘れられたくないのかもしれない。
誰か、誰かに。

海へいこう

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