永遠の17歳と退屈な19歳 (40)
・シンデレラガールズSS
・地の文
・独自解釈、独自設定を多大に含みます
よろしくお願いします
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都内から千葉県へ向かう電車は駅ごとに乗客を吐き出していく。
空席が目立つようになった座席で揺られながら、安部菜々は窓の外で流れる風景をぼんやりと眺めていた。
アイドルを辞めたくなるときがある。
何かきっかけというほど大それたことがあったわけでもないし、そもそも本当に辞めようという気はない。
それでも、ふとした日常の中で、現実が手招きをしてくる。
客もまばらな地下のステージの帰りに電車の吊革に掴まっているとき。
古びたアパートの卓袱台で特売のお肉ともやしの炒め物の夕食を食べているとき。
高校時代の友人から結婚式の招待状が届いたとき。
そして、自分より才能も若さもある子に出会ったとき。
アイドルは決して年功序列ではなく、結果がすべての仕事だ。
仕事となると、やらなければならないことも、やりたくないこともある。
義務と責任と期限が常につきまとう。
セルフプロデュースで地下アイドルをしていたところを拾われて事務所に所属したはいいが、上には上がいることが改めて目に見えるようになったことも、毎日の厳しいレッスンも、想像以上に心身に堪えていた。
一人暮らしであるため家事もこなさなければならず、日によっては洗濯物を洗濯機にかけたはいいが干すことすら億劫になるときもある。
ままならない現実に、ストレス発散にと夜遅くに缶ビールを飲もうものなら、朝はなかなか布団から出られなくなり、起きても数時間は足のむくみが残る。
定期的にランニングをして、ストレッチをして、コンディションをキープしようと努めているが、現役学生の体力に敵うわけがなく、ちょっと無理をすれば腰痛や肩の痛みに苛まされる。
果たして自分のアイドルとしての強みはなんだろう?
年を重ねれば深みが出るものだと思っていた。
ウサミン星人一筋でやってきて、地下アイドルとしての積み重ねはあれど表立ったキャリアもなければ自分だけの技術があるわけでもない。
ただ、有限の時間に焦りが迫るのみ。
それでも、アイドルが大好きだった。
アイドルになるしか、既に道は残されていなかった。
プロデューサーから新田美波を紹介されたときも、新たな仲間に出会える楽しみと、焦りとで複雑な気持ちになった。
新田美波という少女は、元々の素材も相当であろうが、そこに驕らない不断の努力と育ちの良さを感じさせた。
しっかりと手入れをしてあるのがわかる流れるような髪、ナチュラルメイクを施したハリのある肌、優しげな垂れ目、微笑みを湛えた口元。
話を聞けば十九歳で現役大学生とのこと。
菜々から見れば、美波は眩しいくらいに若さとエネルギーに満ち溢れていた。
いつまでも目が眩んでいる場合ではなく、アイドルは何より第一印象が大事だ。
「ウサミン星からやってきました! 安部菜々ですっ! キャハッ☆」
体が勝手に動くくらいに身に染み込んだ自己紹介である。
もう呆れられるのも想定済みであり、実際、美波も目をぱちくりさせていた。
それでも何か納得したように少し首を縦に振って。
「安部菜々さん、ですね。新田美波です。よろしくお願いします」
そして、腰から折る綺麗なお辞儀で、爽やかな笑顔で挨拶をした。
(美波ちゃん、いい子です……!)
ウサミン星の挨拶で微妙な空気になることが多いが、多いことと平気であることは全くの別物である。
初めてウサミン星人に出会ったときの美波の反応は、菜々にとって十分感動に値するものであった。
「ああでも! ナナは永遠の十七歳ですから! 年下ですから! 気軽に『菜々ちゃん』と呼んでください!」
「ええと、たしかに永遠の十七歳だとそうなんですけど……でも、アイドルとしては先輩ですから」
「いえいえ! 気にしなくていいんですよ!」
「……はい、わかりました。これからは菜々ちゃん、と呼びますね」
噛み合っているようないないような会話を、プロデューサーは後ろでニヤニヤと眺めていた。
※
『美波ちゃんは可愛いね』と幼いころから言われ続けてきた。
笑顔を向ければ皆が笑顔になる。
家族、親戚、先生、クラスメイト。
優等生として、長女として、生徒会役員として、それぞれの環境で自身に要求されることに応じようとしてきた。
印象が良いということは良い評判に繋がり、失敗は多目に見られ、成功は称賛される。
その快感は自信となり、信頼となり、さらなる挑戦の機会を生む。
大学に進学し、画一化された学校とは違う多種多様な世界に触れて、まずはお洒落とメイクを勉強した。
すると今度は『美人』『大人っぽい』『色っぽい』という肩書きが増えた。
そんな周囲の反応は面白くもあり、ひどく滑稽でもあった。
中身は何一つ変わってないのに、こうも外見の印象一つで相手の評判は変わるものなのか。
美波はさらなる挑戦を重ねた。
ラクロスサークルに入ったり、資格取得をしたり、ミスコンの参加依頼に応じて優勝を飾ったり。
人々に常に笑顔を向け、挑戦すればするだけ評判は高まり、資格は増え、スケジュール帳は隙間なく埋まる。
誰もが『新田美波』の仮面が好きだった。
自分は何でもできる。
自分は何にでもなれる。
それなのに。
心が、体が、時間が埋まっていくのに、自分の何処かにある空虚がどうしても埋まらない。
目の前にある道は、一体どこへ向かっているのだろう?
自分にしかできないことは何だろう?
何にでもなれる自分は、果たして何者なのだろう?
アイドルにスカウトされたときのことは、はっきり覚えている。
美波は大学に行く途中、街中で声を掛けられ、名刺を渡された。
本当のアイドル事務所のプロデューサーではあったが、見るからに怪しい人だったので、部活に行くからとあしらった。
そして、立ち去ろうとする美波の背中に声がかかる。
「つまんなそうに見えたから」
美波の足が止まる。
つまんなそう?
そんなはずはない。
サークルに資格の勉強にゼミの課題に、やるべきことは沢山あって充実している。
それに、見た目というのは内面が滲み出るものであるし、逆も然り、表情や姿勢が良いものであれば、精神も健全になるはずだ。
振り返ってはいけない気がした。
振り返らないといけない気がした。
挑戦とは決断と選択の連続で、取捨選択の繰り返しだ。
では挑戦はなんのために?
「『つまんなそう』って、どういうことでしょうか?」
美波は、振り返った。
自分の中に芽生えた未知のために。
「君、もっと面白いものを、見てみたくないか?」
目の前の男はニッ、と不敵に笑った。
今までも様々な勧誘やナンパなど、美波に行動を起こさせようとする人を何人も見てきた。
「君なら本気を出せば、もっと良い景色が、君にしか見れない景色が見れる。そう思った」
今までに出会ったことのないような人だった。
目先のことだけでもなく、己のことだけでもない、美波の知らないもっと遠くて広い世界を見ている。
そんな気がした。
美波は笑顔を向ける。
「わかりました。たしかにアイドルも魅力的かもしれませんね。芸能のお仕事は奥が深いと聞いたこともありますし」
※
美波の最初の仕事は、菜々も合わせてプロフィール写真の撮影を行うこととなった。
一番手の菜々は覚悟を決めたような面持ちであった。
「プロフィール写真の撮影ですか。これを避けていたら、お仕事は取れませんよね」
しかし、言葉や表情とは裏腹に、カメラから少し遠い位置にいて腰が引けていた。
「菜々ちゃん、もうちょっと近寄らないと撮れないよ?」
「いやー、その……あのですね、カメラから微妙に近付きたくない電波が出ているといいますか」
「安部、さっさと始めるぞ」
「はい……。プロデューサーさん、でも、お肌にググって寄られると、その……ね。昔のカメラは画質の荒いのも多くて怖くなかったんですけどね」
「大丈夫。メイクと撮影技術でどうにかする」
「ぐ……わかりました。ここまで来たら腹をくくります。それじゃ、いくらでも撮ってくださーい!」
ウーサミン、キャハ☆とちょっと無理した感じの可愛らしい声が響き、何とか撮影は進んだ。
続けて美波の撮影が始まる。
「それじゃ、次は新田の番だな」
「美波ちゃん、頑張ってくださいねっ!」
「はい。今もラクロスをやってますし、プロポーションには自信があるんです」
「わ、若い……」
カメラマンに指示されるままに、ポーズや表情を作っていく。
美波はミスコンに出場したときのことを思い出していた。
ピリッと引き締まった空気による緊張感はあの時以上である。
それでも現場のスタッフはプロであり、しゃべり方や態度一つとっても、美波が固くならないよう配慮をしているのが伺える。
何回かのリテイクの後、皆でカメラを覗き込んで確認する。
「うん、これなら十分宣材写真に使えるな」
「わー、美波ちゃんスゴいですねぇ。キレイに取れてますよ」
「あ、あの、やっぱりじっくり見られると恥ずかしいというか……」
「美波ちゃん! 胸を張っていいんですよ! まだ未成年なのにこんな色っぽく撮れるんですから!」
後日、美波は菜々と共にレッスンをすることになった。
プロデューサーとしては最終的に二人を組ませることも視野に入れているとのこと。
「最初は感動しましたよ~。こんな立派なスタジオで、レッスンさせてもらえるなんて……!」
「へー、結構広いんですね。なんだかワクワクします」
「もう燃えないゴミを出すついでに、お店の裏でうるさい室外機に挟まれて発声練習したりしなくていいんですね、って!」
「お店?」
「ナナは以前、メイド喫茶のバイトもやってたんですよ」
「あ、そうなんだ」
「今はプロダクションにあるカフェで、暇なときはお手伝いをさせてもらってるんですが、それも最近少なくなってきて、いよいよ本格的にアイドル活動をするんだなぁ~って思いますね」
今日はダンスレッスンの日で、まずは美波がどのくらい出来るかの見定めも兼ねている。
「ふぅ……なんとかついていけそう」
「やっぱり……体を大きく動かすのは腰が……」
「菜々ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫っ、打ちのめされて強くなるのは、アニメの主人公の定番……! 美波ちゃんは体力ありますね~。やっぱり若い……」
「今は大学でラクロスやってるからね」
「スポーツをしながら、アイドルも……美波ちゃんはやっぱり凄いですねぇ」
美波は菜々の顔を見る。
レッスンが辛いと言いながらも、どこか楽しそうな菜々に、美波は問いかける。
「菜々ちゃんはどうしてそこまで、無理してでも、アイドルを続けたいの?」
「……ずっとずっと、アイドルになりたかったんです。何度も諦めようって思いましたし、今でも急に不安になることもありますけど」
菜々は言葉を選びながらも、力強く答える。
「だから、プロデューサーさんにスカウトされたときは、もう本当に嬉しかったんです! 『面白いから、採用決定!』って!」
「面白いから……」
美波の呟きが唇から零れた。
美波がスカウトのときに言われたこととは正反対だ。
だけどそんなことは決して口にはしない。
「いやー驚きましたよ! あのプロデューサーさんも十分面白いというか変わってるというか、って感じですけどね!」
「うん、そうだね」
「美波ちゃんもスカウトでしたっけ? どんな風に声をかけられたんですか?」
「『もっと良い景色が見れる』って言われたよ」
「わーっ! それって期待されてるってことですよ絶対! 美波ちゃんすごいですし、きっと魅力的なアイドルになれますよ!」
「そうだといいね。まあ、プロデューサーさんも変わった人だから」
「でも、こうしてナナを拾ってくれて感謝してるんですよ。最近はお母さんから『花嫁修行に帰ってきなさい』って言われてて焦ってたんですよ~」
「あ、菜々ちゃんも花嫁修業するの? 私も花嫁修業の一環でママから料理を教えてもらってるよ」
「えっ!? そんな若いのに花嫁修業!? あー! いえいえ! ナナも、若いんですけど!」
「……菜々ちゃんのお母さんは、あんまりアイドルには賛成してないの?」
「あ、あははは……。ウサミン星には色々事情がありまして……。美波ちゃんは、アイドルすることは家族から賛成されてるんですか?」
「うん、応援してくれてるよ」
「それはとっても素敵なことですよ。もう、後のないナナには、やりきるしか、夢にしがみつくしかないんです」
「夢……」
「美波ちゃんに、夢はありますか?」
「……えと、正直に言うと、今探してるところ」
小さいころは、お嫁さんとか、海洋学者とか、色々あったけど。
少しずつ現実が見えてきて、見えるものが増えすぎて、何も見通せなくなった。
「美波ちゃんは、若くて可愛いですから、将来のことをいっぱい考えてください」
デビューライブの舞台となるのは、多くの新人アイドルが集うミニライブ。
今日は他にもデビューを飾る新人達がいる中で、美波、菜々の順に曲を披露していく。
「ここで、本当に、ナナが本物のアイドルになるんですね……」
「大丈夫だよ、菜々ちゃん。きっと上手くいくよ。だってあんなに練習したんだから」
「美波ちゃんは、調子はどうですか?」
「ちょっと、緊張してるけど、それよりもワクワクする方が大きいかな」
レッスンのときとは違い、ステージのために下ろしてある髪が耳にかかる。
女神がモチーフの白を基調とした衣装は、神々しさと儚さを醸し出していた。
「今日はパパもママも、弟も見に来てくれてるんだ」
「ナナは……親にライブをするとは連絡しましたけど、来てとは言えませんでした。あはは……ウサミン星は、遠いですからね……」
菜々はどこか自虐的に薄く笑った。
「でも、今はいいんです! いつか、両親がどこに居たって、宇宙全部にウサミンの歌が届くようなアイドルになりたいんです!」
「菜々ちゃん……」
菜々が緊張を押し殺して明るく振る舞おうとしているのは一目で分かる。
「わかってます。頑張るしかないって。やりきるしか、ナナに道はないんです」
美波には掛ける言葉が見つからなかった。
『失敗』なんて無いと、経験を糧にして次で上手くいけばそれは成功なんです、なんて言えなかった。
後がないというのがどういう状況なのか。
それでも尚、挑戦し続けるのは、どんな気持ちなのだろうか。
親からすらも承認されていないことをやり通そうとするのは、どんな心境なのだろうか。
年齢を積み重ねていけば、分かるのだろうか。
空気が肩に重みとなって乗ってくるような感覚に陥る。
「安部、少しいいか?」
空気の間にするりと入り込むように、プロデューサーの声が二人に届いた。
「あっ、はい。ナナにご用でしょうか?」
「少しだけ打ち合わせな。美波はそろそろ準備しようか」
美波はステージの袖に移動する。
視界の端では、何やらプロデューサーさんと二人で話している。
プロデューサーは美波には初ステージのアドバイスを『やってみればわかる』としか言わなかった。
あまりに放任的であることに、美波は意地でも成功させようと躍起になったが、美波の負けん気に火をつけたという点ではプロデューサーのアドバイスは成功しているとも言えた。
美波は一度目を閉じてから開き、集中しようとする。
ステージの脇からも観客のざわめきが聞こえる。
ほんの数メートル先なのに、まるで違う世界だ。
日常の中の非日常。
美波はじっとしていられなくて軽く体を動かし、振り付けを確認していると、プロデューサーと菜々が声をかけてきた。
菜々はまだ硬さの残る表情であるが、その瞳には輝きが戻っていた。
「行ってこい、新田。全力で行けば、きっと何か見えてくる」
「美波ちゃんなら、大丈夫です!」
肩が少し軽くなった気がして、美波は今できるとびきりの笑顔で応えた。
遂にデビューライブが始まる。
いつだって、新しいことに挑戦するのはドキドキするし、ワクワクする。
自分自身を試している。
自分自身が試されている。
無数のオーディエンスは美波を肯定するのか、否定するのか。
答えは何か?
求められているものは何か?
求められているのは『私』ではなく『アイドル新田美波』であるということ。
偶像になれ。
女神になれ。
「みなみ、いきますっ!」
少女は、アイドルになる。
見る者の要求されることに応じ、人格を演じようとしてしまう美波にとって、見る人の認識の中にこそ自分が存在する。
何者でもなく、何者にもなれる美波は、全身全霊を以て純粋な虚構を作りだす。
完全なる虚構であれば、それは見る人にとって完璧な偶像である。
音響、照明、衣装。沢山の綺麗な嘘を纏った少女は、ステージの上で『新田美波』というアイドルになった。
完璧にやりきった。
そう思えるステージだった。女神はプロデューサーの元へと、非日常から日常へ帰って来る。
「美波、初のステージはどうだった?」
「はいっ! 最高でした!」
自身の全力を出して、それが歓声や笑顔になって返ってくる。
また一つ、挑戦して、成功したことが増えた。
糧が一つ増えた。
新たな刺激、達成感、充実感。
美波が高翌揚に浸っていると、ステージからは一際大きな歓声が聞こえた。
美波はバッと振り返り、舞台袖から菜々のライブを見た。
全身全霊で躍り歌う菜々と、サイリウムの海が一体となって大きなうねりを生み出している。
「えっ……?」
美波のステージとは全く別物であった。
それは曲の系統の違いか、あるいは。
お世辞にも歌もダンスも完璧とは言い難い。
腰の限界だろうか、徐々に体幹のキープが崩れてきて、肩や肘の伸びも声の張りも落ちている。
それでも。
菜々の笑顔が、歌が、ダンスが、熱狂と歓喜の渦を生み出し、会場を支配している。
たとえ不完全な偶像であっても、そこには間違いなく、永遠の十七歳たるウサミン星人が存在した。
美波は理解が追い付かなかった。
眩しいくらいに輝く菜々に、観客の熱量に、圧倒され、戸惑い、魅了され、そして胸の中で激しく渦巻く感情を処理しきれずにいた。
「プロデューサーさん、菜々ちゃんにいったいどんな魔法をかけたんですか?」
「いや、ちょっと話しただけだよ。どうだ? 新田から見てあいつは」
「菜々ちゃんのライブ、凄い盛り上がってるなぁって」
「新田の方が歌もダンスも上なのに?」
「いえ! そんなことは!」
「そういうのはいーからいーから。新田も案外子供っぽくて分かりやすいね」
「……からかわないでください」
美波が菜々のステージに惹かれたのは事実であるが、今もなお胸に残る感情は間違いなく、悔しさと、そして、嫉妬だった。
「なあ、新田。魅力的なアイドルの条件って、何だと思う?」
「ファンのみんなに、良いパフォーマンスを見せられること、ですか?」
「それも一つの正解だ。だけど美波が求めている正解じゃない。それだったら別にアイドルじゃなくてもできる」
美波は眉尻を下げ、視線を逸らす。
プロデューサーは口元の笑みを変えずに続ける。
「勉強もラクロスも得点を積み上げればいい。だけどアイドルはそれだけが正解じゃない」
美波は視線を泳がせた後、プロデューサーに焦点を合わせた。
「魅力的なアイドルっていうのは、アイドルを心から楽しめてるかどうかだと、俺は思ってる」
「私だって、今のステージは楽しかったですよ」
「その気持ちは、アイドルじゃなきゃ得られないものか?」
「それは……」
美波は即答できなかった。
アイドルじゃなきゃ、アイドルしかないと思わせる何かが、あるのだろうか。
「正解がないから、この世界は面白いのさ。きっと」
「そういう、ものでしょうか」
「そうそう。新田もまだまだこれからだな」
美波はハッと息を飲んだ。
まだまだ。そんなことを言われたのは、あまり記憶にない。
何でもそれなりにこなせて、何でもそれなりに褒められてきた。
だけど、アイドルだったら。
見えないゴール、正解のない答えを探し、もがき、足掻き、努力を重ねて。
全てを忘れ、全身全霊を捧げステージと、ダイレクトに返ってくる声援。
心臓は未だに高鳴っている。
全身に血液が行き渡り、視界がクリアになっていく感覚。
アイドルだったら、このやり場のない感情を満たしてくれるかもしれない。
心の空虚を埋めてくれるかもしれない。
「そうそう、その表情が見たかった。新田の人生、ちょっとは面白くなってきたかな?」
「えっ、私そんな感じの顔してますか?」
ああ、いけない。
『新田美波』の仮面は、皆が大好きな『新田美波』の仮面は、今どこにある。
「おすまし顔じゃない今の新田、いいと思うよ。すげー楽しそうだ」
ああ、ああ、そんなことを言われては。
不敵な笑みで口角の上がりきった顔では、仮面の形には収まり切らず、仮面にはヒビが入り、当然、もう元の形には戻らない。
パリンと割れた。
ガチャンと壊れた。
大人になりきれない子供がオモチャ箱をひっくり返すように。
新田美波も美波ちゃんも美波さんも。
みんなみんな、壊れてしまえ、壊してしまえ、燃えてしまえ、燃やしてしまえ、燃え上がれ。
熱は膨張し、拡散し、収縮し、圧縮され、胸の真ん中の空虚に嵌まった。
「……ふふっ。プロデューサーさん、私、難しいことにこそ燃えるタイプなんです」
※
菜々は軽い足取りで事務所の扉を開ける。
ライブ後は少しずつ仕事が入るようになった。
特に同期の美波とは組むことが多く、今後はCDデビューや、学生制服でのグラビア撮影も控えている。
なぜこの二人で制服なのか。
若干の疑問も抱えつつ、アイドル仕事があることは素直に嬉しいものである。
「おっはようございまーすっ」
菜々が事務所に入ると、美波はソファーで本を読んでいた。
どうやら表現力トレーニングの本のようだ。
「おはよう、菜々ちゃん」
「美波ちゃん、プロデューサーさんから聞きましたか? これから美波ちゃんと一緒にお仕事することが増えるみたいですね」
「CDデビューに、学生制服での撮影だったっけ」
「ナナも実家……いえいえ、ウサミン星の制服を持ってこなければ! ルーズソックスって今も流行ってますよね?」
「んー……私のころはみんな普通の靴下だったかなあ」
「そ、そうですか……これもジェネレーションギャップ……」
コロコロと表情を変えた後、何かに気づいたように菜々はわざとらしく咳払いをする。
「と、とにかく! ここでまた活躍できてば、年末年始のライブも参加できるかもって話ですし、一緒に頑張りましょう!」
そうだね、と美波は答えてから一拍置いて、菜々に問いかける。
「菜々ちゃん、一度聞いてみたかったことがあるんだけど、いいかな?」
「はいっ! なんでしょうか?」
「菜々ちゃんにとって、アイドルは楽しい?」
どうして、そこまで。
可能性に賭けることができるのか。
「そりゃあ、辛いこともいっぱいありますけど、ファンのみんなと一緒にステージを盛り上げてると『アイドル楽しい……やばい……』ってなりますよ! あれがあるから辞められないんですよ、アイドルは」
菜々は、ほにゃ、と擬音が聞こえてきそうなほど頬を緩める。
美波の口から声にならない吐息が漏れた。
そして納得した。
自分は誰も信じていないから仮面を付けていたんじゃない。
弱い自分を信じていないから仮面を付けていたんだ。
この人は、弱さも、挫折も、何もかもを背負っているんだ。
自分自身と、アイドルと、夢を信じているんだ。
その未来に、何の保証も無いのに。
自分で決めた道に挑戦し続ける姿は、とても輝いていた。
「え、あ、そうですか? 何でも挑戦する美波ちゃんに言われると、照れちゃいますね……!」
「あの……。菜々ちゃん」
その目はいつもの美波の目とは違う。
優しげな垂れ目は力強さに溢れ、口元は笑っている。
その姿は、沢山のアイドルを見てきた菜々には見覚えがあった。
菜々から見た美波は。
「菜々ちゃん。私、アイドル、負けませんからね」
覚悟を決めた、一途に夢を追いかける人の顔だった。
おわり
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