【モバマス】みく「みくは陽だまりの中で」 (16)

カウントからせーので、息を読み合って。

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 公園のベンチに腰掛け、さくらラテを一口。
 前川みくはほう、と息を吐く。温められた吐息が、白いもやになって消えていく。
 まだ寒い。寒いけれど、日が沈むのは遅くなったし、春物も店頭に並ぶようになった。
 春はゆっくりと近づいていく。それがみくは嬉しかった。
 冬は、あまり好きではない。
 東京の人は冷たい、なんて言うつもりはないけれど。
 誰も自分に関心をもたない、凍えるような寒さを、みくはよくわかっていた。
 だから、寒いのは苦手だった。苦手になってしまっていた。

 前川みくはかつて、「猫の手アイドル」と呼ばれていた。
 特定のプロダクションと正規の契約を結ぶことをせず、「猫の手も借りたい」時に助っ人としてプロダクションに呼び出され、主役の前座を務めて去っていく。
 新人アイドルがデビューする時には「研修」としてライブバトルのやられ役となり、アイドルに自信をつけさせ、しばらくの間業界の先輩として芸能界のノウハウを教える。発展的なレッスンの相手をした後は、わずかな報酬を受け取ってプロダクションを去り、またどこかから声が掛かるのを待ちながら、野良ライブを続ける。
 飼い主なんていない、野良猫のようなアイドル。
 今のプロデューサーに拾われるまで、みくはそんな生活を送っていた。

 プロデューサーに出会って、みくの人生は大きく変わった。
 CDデビューもすることができたし、お芝居の仕事もするようになった。
 トップアイドル……と名乗るには越えなければいけない壁はまだいくつかあるが、それなりに名の知れたアイドルにはなっていた。
 忙しい日々は続いていたが、かわいい衣装を着て、ファンや関係者からかわいいと言われるのは嬉しかった。充実した毎日を送れている、とみくは思う。
 めぐるましい、嵐のように過ぎていく日々。
 つらいこともあったけれど、一人じゃないあたたかさのおかげで、ここまで来れた。
 プロデューサー。みくにとっての、陽だまり。

「遅いにゃあ……」
 打ち合わせがあるから、と千川ちひろに捕まった彼を、みくは待っていた。
 この後は、二人とも週明けまでオフ。今晩はこれから、一日遅れで誕生日を祝ってくれることになっていた。
「ちひろさん、目が笑ってなかったし……何かお説教かにゃあ?」
 待つ時間は、それほど苦ではない。絶対に来てくれるのがわかっているから、猶更。
 何をして待っていようか、とスマホを取り出して。
「……あ」
 向かいのベンチに鎮座する、一匹の猫と目が合った。

 ラテの残ったカップとバッグを脇に置き、そーっと猫に近づく。人に慣れているのか、目と鼻の先まで近づいても逃げ出すことはなかった。
「野良チャン……じゃないか、首輪してるもんね……迷い猫チャン?」
 飼い猫らしき彼は一鳴きして答えたが、今のみくに猫語を判別することはできなかった。ガラス玉のような青い目が、きれいな猫だった。
 猫がベンチの上を移動する。みくは一度首をかしげたが、その動きに合わせて影が動くのを見て納得した。どうやら彼は、迷子というより、遊びに来て日向ぼっこをしているらしかった。
「ごめんね、邪魔しちゃったみたいだにゃあ……よいしょ、と」
 日光を遮ってしまわないように、猫の隣に腰かける。確かに、向こうのベンチよりもこちらの方が暖かい。
「そっか、ここが君のお気に入りなんだね」

 みくの言葉がわかるのか、わからないのか。猫はにゃあ、と頷くように歌った。幼い頃のように会話ができているようで、それがみくには嬉しかった。
「ふふ。君の飼い主さんは、どんな人なのかにゃあ?」
 そっと、背を撫でる。暖かな陽だまり。
「みくの飼い主チャンはね。んー……いい人、かな」
 飼い主……プロデューサーのことを、みくは一言で言い表すことができなかった。
 独りぼっちだったみくを、拾ってくれた存在。アイドルになる、魔法をかけてくれた人。

「みくをからかったり、変なことしたり。いじわるな人なんだけどね? たまーにね、すっごいかっこよく見えたり、きゅんってなるようなこと言ったり……一緒にいるとね、あったかくて、楽しいんだあ……」
 気がつくと、頭に浮かぶ人。最近気になる人。
「最初の衣装もね。君みたいに、チョーカーがある衣装だったの。それで、Pチャンにチョーカー着けてもらったんだ……嬉しかったなあ。Pチャンは気づいてないかもだけど、ずーっと一人だったみくに、首輪を着けてくれる人がいるんだ、って思って……それからライブ前は、いつもPチャンにリボンを結んでもらうの」
 プロデューサーに結んでもらうリボン。それは、みくと彼との絆。
 笑ったり泣いたりした、二人の歴史の繋がりだった。

「……お前のアレ、そんな意味があったのか」
「ふにゃあああ!?」
 全速力で後ろを振り向く。
 二人分のホットコーヒーを持ったプロデューサーが、ベンチの後ろに立っていた。いつからだろう。ひどく顔が熱い。
「ちょっ、いや、その! ちが……や……違わない、ケド……」
 挙動不審になったみくの横を、猫が立ち去っていく。残されたのは、陽だまりの中に二人だけ。

 気づかれてしまった。二週間前にも、ライブ以上の首元のリボンを結んでもらっているのだ。
 密かに、みくに勇気をくれていた行動。秘密の儀式。
「……そんな顔するなよ。別に、もうしないとかじゃないんだから」
「え、ホントに?」
「嘘ついてどうする。大事な儀式なんだろ」
 片手のコーヒーを手渡し、プロデューサーはみくの頭を撫でる。あたたかい手のひら。
「うん……ありがと……」
 顔をまともに見ることもできず、みくはうつむくしかなかった。
 プロデューサーは何か納得したのか、猫の代わりにみくの隣に腰かけた。

「……悪かったよ。たまたま、みくが猫と話してるとこが見えたもんだから、つい……」
「んーん。いいよ、怒ってるわけじゃないし」
 なんとなく、気まずい。感謝しているのは事実だけれど、ああいうことはもっと、正面からちゃんと向き合って伝えたかった。
「ちひろさん、なんて?」
「うん? あー、まあ……みくのこと、ちゃんと見てやってください、とかそういう」
「ふーん……?」
 言葉を濁された。手を出すな、とでも言われたのだろうか。

「それで、今年は何がいいんだ? 誕生日プレゼント」
「うーん……」
 ハンバーグが最初に浮かんだが、あまり俗物的なのも違う気もした。
「それじゃあ……約束して?」
「約束?」
 みくは頷く。
「みくね、Pチャンとしたいこと、たっくさんあるの! だから、約束して? 来年もその先も、ずーっとみくと一緒にいてくれるって!」
 みくは右手の小指を差し出す。
「もちろんだ」
 プロデューサーも、小指をみくの小指に絡ませた。
 次の記念日も、その次の記念日も。みくはきっと、彼に同じ約束をする。彼と一緒に生きていく。それはとても、素敵なことのように思えた。
「ウソついたら、お魚千匹だからね!」
「ま、この約束は破る気ないから安心してくれ」

「それじゃあ、晩ごはん行こ?」
「おう。バレンタインのライブも成功したし、うまいとこ連れてってやる」
「ふふ、適当に期待しておくにゃあ!」
 今、アイドルとしてのみくの現在地はどこなのだろう。
 これから、前川みくはどうなるのだろう。
 未来はどうなるかわからない。みくにも、プロデューサーにも。
 けれど、みくに恐怖はなかった。
 プロデューサーの飼い猫になって、今隣にプロデューサーがいる。
 だからきっと……これからどこに行ったって、迷うことなんかないだろう。
 ハッピーエンドを目指して、二人の新しい一年が始まっていく。

「誕生日おめでとう、みく」

おわりです
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