【モバマス】和久井留美「克己心」 (49)

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地文多め&シナリオ重め(ヒロインがヒロインだから仕方がないね)

文字数12000前後、書き終え済み

以上が許容出来る方は、御一読ください

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1519305880

それは全国ライブツアーの最終日を終えて、広島で行われた打ち上げの後の出来事だった。

ライブツアーの成功を祝し、それこそアリーナにも見劣りしない会場を貸し切って盛大に行われた打ち上げは、まるで夢のような時間で……その夢心地から冷めやらぬまま、私は担当アイドルの1人、和久井留美さんと肩を並べて、夜の街を歩いていた。

足元が覚束ない程に酔った和久井さんがよろけて倒れそうになる度に、私は手を差し伸べて、ホテルに帰りましょうよ、と促すのだが……

「久しぶりの地元なんだから、もう少しぐらい、いいでしょう?」

と、少し声を荒げて私の手を振り払い、再びヨロヨロと歩き出すのだ。

彼女がこんな状態になったのには深い理由があった。彼女は打ち上げの間中、346や今回のツアーと関係が深い、ゲストとして招かれたVIP達の相手をしていたのである。

バブル時代を駆け抜けて来たような年配の彼等は、女性とのスキンシップの作法もバブル時代に培ってそのままだ。アルハラやお触りは当然で、枕営業すら許されると考えている節さえある。

そんな魑魅魍魎に耐性のないアイドル達を守るべく、積極的に彼等の輪に飛び込み、彼等を十分に満足させた上で、セクハラの行き先を緻密にコントロールしながら、自らの貞操も守り切った結果が、この有り様だった。

ライブ成功の興奮が冷めやらぬ他のアイドル達の夢のような時間を守るべく、1人現実と向き合わされていた彼女の心中たるや……

「こういうのが嫌で、秘書を辞めてやったのにね」

ボソッと呟いた彼女の独り言が耳を離れない。忸怩たる想いがあるのだろう。少し悪い酒になってしまうのも、無理からぬ事で、そうするしかなかった自分の無力さへの罪悪感から、私は彼女に逆らう事なく付き従い続けるのだ。

そうして私達が、フラフラと歩き付いた先は、古びたバッティングセンターだった。

「まだ……やってるんだ」

それはどちらの意味で言った言葉だったのだろうか……深夜に差し掛かりながる時間帯でありながら、時代を感じさせるネオンの看板を見上げていた和久井さんは、吸い込まれるようにその場所へと入っていく。

「お久しぶりね」

陽気な声で店主に挨拶しながら、慣れた様子でメダルを購入する和久井さん。そんな彼女に戸惑った表情を浮かべながら、首肯だけで会釈する店主。あの顔は、絶対に和久井さんの事を覚えてない。私もこの業界にいると、稀によくあるので分かる。

しかし、そんな反応は気にも止めず、和久井さんは意気揚々と一番手近なボックスの中へ。彼女が選択したのは100kmのストレートが投げ込まれるマシーンだ。

後ろでそれを見守る私は気が気ではなかった。もし、あの様子の彼女がよろけて、軟式ボールが彼女の顔を傷つけるような事になったら……危ないですよ、と声を掛けるが、真っ直ぐとボールが飛んでくる方向を見据える彼女の耳には、届かなかった。

そして投じられる1球目。大きく構えた彼女のバットが空を切る。2球目、3球目……ボールが投じられる度に、和久井さんのスイング音と背後のクッションがセッションを奏でる。

そんな調子で20球全てをフルスイングで”見送って”、彼女は満足げにボックスの中から帰って来た。

「やっぱりお酒が入っていると、調子が出ないわね。後、少し気持ち悪い……」

そういう次元の話ではないのだが……そんな言葉をグッと堪えて私は、彼女の為に飲料水を買って手渡す。そして、再び帰りましょうと繰り返すのだが……

「駄目。気分が良くなったら、また続けるの。それに、まだメダルが残ってるんだから勿体ないでしょう?」

貴女、そんなの問題にならないぐらい稼いでるでしょう? と口にしたくなるが、私はそれも踏み止まった。代わりに、だったら私が打つんで、残りのメダルをください、と告げる。

「別にいいけれど……貴方、バットを振った事あるの?」

その問いに私は、和久井さんよりは、と短めに答えを返して、メダルを受け取るとボックスへと入っていく。一番長いレンタルバットを選択して、バッターボックスへ立つと、意外にも胸の内に懐かしさが込み上げてきた。

1球目を難なくセンター返し。全力で振る必要もないか、と今度はライト方向へ流す。次に突然インコース擦れ擦れに来た3球目をレフト方向へと引っ張る。やはり、今の和久井さんをこんな場所へ立たせるワケにはいかないと再認識。

そうして、メダルを使い切った私が和久井さんの元へと戻ると、彼女は健やかな寝息を立てていた。

この状況ならむしろ好都合だと、私は彼女を背負って店を出ようとするが、店終いの準備をしていた店主に、声を掛けられる。

「思い出したわぁ」

なにをですか?

「その娘ん事よ。昔はビシッとしたスーツ姿で、ヒール履いたまんま、誰も寄ってくんなって感じの気難しそうな顔をしてバット振りょったけーね……あんな笑い方するんか。初めて見たわ」

成程、確かに……よく覚えていましたね。

「こんなバッティングセンターに、そがぁな美人さん他に来んけーね。なにより、センスの欠片もないフォームが相変わらずだったけぇ、そらぁ一発よ」

成程、確かに……

大笑いする店主に挨拶を終えると、私はタクシーを呼びつけ、和久井さんが泊まる予定のホテルへと向かい、深夜だというのに起きて私達の事を待っていてくれたという三船さんに連絡を取ると、同室で宿泊する彼女に和久井さんを預けて、その日の仕事を終えた。

次の日、東京への帰りの新幹線の中で、和久井さんは申し訳なさそうに私に頭を下げて来た。和久井さんの尽力があってこそ会場の雰囲気が保たれた事、そして力が及ばなかったのは私の方だと、此方も頭を下げ返し、この話はここで終わりだと思っていたのだが、それから2週間ほど過ぎた頃……

「ハチ君、貴方。明日休みよね?」

因みに、ハチという渾名は、私が346アイドル部門第8課付きプロデューサーである所の、8の部分から来ている。まるで犬のようで余り好ましくは感じていない。

そんな想いを口にするでもなく、ただ彼女の質問に対して、スケジュールを確認しながら、そうみたいですね、と私は生返事で応じる。

「じゃあ空けておいてくれる? 車は私が出すから安心して? 後、動きやすい服装で来る事」

私が彼女の言葉の意味を理解し、えっ? と、声を上げた時には、既に彼女の姿は消えていた。久しぶりの休みになにをさせられるのだろうか? いや、まさか担当アイドルとそんな事……等と、不安と期待が半々で迎えた当日。

約束の場所で私の前に現れた和久井さんは、彼女愛用の同一メーカーで統一したジャージ姿だった。(それでも様になっているのが、逆に悔しい)

「動きやすい服装でって言ったのに……まぁいいわ」

私のタイトジーンズと、シャツの上にジャケットを羽織った姿を見詰めて眉を顰めるが、すぐに切り替えて車へと乗り込む。秘書時代に運転手も兼任していた事もあって、都内の運転もお手の物だ。

そうして彼女が向かった先は、東京近郊から少し外れた場所にある、大きめのバッティングセンターだった。到着すると手早く券売機でカードを買い始める彼女へ、そろそろどういうつもりか教えてください、と尋ねると……

「決まってるでしょ? 私にバッティングを教えて欲しいのよ」

なにが、決まってるでしょ、ですか……という疑問の下、もう少し彼女に詳しい事情を尋ねてみると、どうやら先日、些細な気まぐれで、彼女の友人である三船さんと服部さんを誘って、バッティングセンターに行って来たらしい。

そこで、彼女はあの日の夜と同様の豪快なスイングを見せ付けて、2人もやってみたらどうか? と、声を掛けたらしいのだが、なんと(と言っていいのかどうかは分からないが)2人は初体験でありながら、数える程にはボールをバットに当てたそうだ。

三船さんなどは、雑談の中で私がバッティングが上手いという情報を得た後に突然張り切り始めて、繰り返し打席に立ち、その日の内に何球もボールを前に飛ばせるまでになったらしい。

「仕事が趣味の私にとって、バッティングセンターは思いっきりバットが振り回せて、ストレスが発散出来る場所で良かったの」

でも、その日の内に追いつき、追い抜かれるという体験は、流石に彼女の克己心に火を付けたらしい。そういえばと、温泉卓球でも後半はムキになっていた彼女の姿を思い出す。猫アレルギーの癖に猫が好きな理由も、そこら辺にあるのかもしれない。

それにしても、普段の三船さんなら、そういう配慮も出来ただろうに……一体どうしてこうなった?

「ここまで来たんだから、無理です、は無しよ。さぁ覚悟なさい?」

それが教えて貰う側の態度ですか? そもそも、こうなる事が分かっていれば断ったのに……等と色々な想いを飲み込んで、打ち上げの時のお詫びという意味と、私が野球が得意である事を言いふらさない事を条件に、彼女の指導に入った。(どうせ彼女に車のハンドルを握られている以上、選択肢がなかったりするのだが)

教える前に聞きたいんですが、和久井さんは左利きなのにどうして右打席に立っているんですか?

「えっ? だって、皆こっちに立っていたんだもの……」

ほら、ヒールを履いたままバッティングをしたりしてるから、腰が引けて、手打ちが癖になってるんですよ。腰は前に突き出して、下半身は固定して腰から押し出すように……あぁ、待ってください。タイミングがバラバラだ。

「手打ちって……なんで急にうどんの話になるのよ?」

兎に角、目を閉じないようにしましょう。そうして、首から上はなるべく動かさないで、視線だけを動かしてバットがミートする瞬間までボールを見る。とりあえず当てるだけなら、それだけで……

「言葉だけじゃ分かり難いわ。もっと、手取り足取り教えてくれないかしら?」

……アイドル相手にそんな事、出来るワケないじゃないですか。

結局その日は、バッターボックスにはろくに立たずに半日を費やした。碌な成果が上がらなかった為、静まり返った車内は少し気まずく、私は大して身体を動かしていないにも関わらず、帰りがけに買ったドリンクが美味しく感じた。

そしてその日の最後、私が住む街の駅まで車で送ってくれた和久井さんが、去り際に一言。

「次の予定は、〇日よ。空けておくように、ね?」

元秘書らしく、しっかりと予定を定めて、颯爽と車を走らせていった。

その日から私達の日常は大きく変わった。三船さんや服部さんには秘密の特訓である事。そして、私も野球が出来る事を言いふらさないで欲しいという互いの事情の末、人目を忍びながら2人だけの時間を作って、特訓を続けた。

仕事の合間に時間が空けば、2人でバッティングセンターで待ち合わせたりするのは勿論、事務所ではバットを使わずに、フォームチェックを繰り返す。

最初はアイドル相手だからと遠慮していた私も、バッティングセンスこそ感じさせないながら、上達へ真剣な姿勢を崩さない和久井さんに感化されて、身体を寄せて、手取り足取り熱の籠った指導をするまでには至っていた。

因みに余談だが、その姿を偶然にも三船さんに目撃されて、その理由を問い詰める時に見せた彼女の瞳は、見た事もない色に染まっていて、僅かな恐怖を覚えた。

そんな日々が1ヵ月程過ぎた頃、その奇跡は起こった。

両肩の力が抜けていて、トップの位置がブレていない。前足を上げても姿勢が崩れないし、前脇は閉じたままだ。スイングが始まっても重心が後ろに残ってる……あっ、これは打てそうな……

カーンッと高い音を上げて、和久井さんの金属バットが軟式ボールを弾き飛ばす。打球は右中間を突き破るコースへ放物線を描き、ネットに突き刺さって落下した。

少し、お風呂で席を外します

再開します。

私と和久井さんは、まるで夜空にUFOでも見つけたかのように、暫くの間、呆然と放物線の先を見上げ続けていたが、まだボールが残っている事に先に気付いた私が声を掛けると、彼女も慌てて次の打席に入っていく。

しかし……あぁ、駄目だっ。力み過ぎだし、スイングの度に脇が開いたり閉じたりしてる。飛ばしたい気持ちが強すぎて、重心が前に崩れてるし、もう滅茶苦茶だ。

結局その日、快音を響かせたのは最初の1球のみで、後は振り出しに戻ったかのような酷い有様だった。

「ハチ君。今夜、予定がないのなら、今日は少し2人で飲んで帰りましょう?」

バッティングセンターを出ると同時に、和久井さんは晴れやかな笑顔と共に、私に向かってそう告げて来る。確かに、今日は2人共車じゃありませんが、流石に……

「今日ぐらい、いいでしょう? 細やかな祝勝会よ」

成る程、確かに……和久井さんの言葉通り、あのたった1球の奇跡を肴にして酒を酌み交わせる相手は、1ヵ月の間、苦楽を共にした私達2人だけだろう。私は少しだけならと前置きして、控えめに頷いた。

場所を近くの居酒屋に移して、その個室に案内されるやいなや、和久井さんは上機嫌に奇跡の1球について語り始めた。

曰く、ボールが来るのが見えた時には、勝手に身体が動き始めた。曰く、バットにボールが当たる瞬間が見えた。曰く、当たった感触が殆どなかったから、驚いた……等々。

私はその1つ1つに、見ていて打つと思っただの、本当に凄かっただのと、深く共感しながら返事を並べていく。

「見て。バッティンググローブがもうボロボロ。これで2つ目よ? 今度はもっといいのを買おうかしら?」

どんなにいいのを買っても、寿命には大差ありませんよ。

「後、こっちも。グローブを使い始めて、少しはマシになった方だけど……ふふ、アイドルの手じゃないわね」

人差し指から小指の付け根付近、マメが潰れて硬くなった掌を見詰めながら、艶やかに笑みを浮かべる和久井さん。彼女に対して、私には、とても素敵な手に見えますと、本心からそう告げる。

「あら? 気の利いたセリフも言えるようになったのね? それより、ハチ君。貴方の手も見せて欲しいわ」

私の手なんて見ても仕方がないでしょう? そう告げて断ろうとするが、気付けば私の手は、導かれるように彼女の手の中に収まっていた。

「意外に大きい手をしてるのね。それに、私のマメより全然硬くなってる。一体、どれだけバットを振ればこうなるのかしら?」

その言葉を切っ掛けにして、話は私の過去へと移っていった。とはいえ、そんなに語るほどのドラマがあったワケでもなくて、ただ、私が元高校球児であり、甲子園の1回戦で大敗するような古豪のベンチ要員であった事を、正直に告げただけだ。

「私のコーチは甲子園出場経験者だったなんてね。私のバッティングが目覚めるのも、間近かしら? ふふ」

甲子園出場経験者なんて、この世に星の数ほどいますよ。そう謙遜を口にしながらも、今日、彼女が見せたあの打球をもう1度見せて貰えるならばと、私は彼女の力になる事を心の内で誓った。

だがその翌日には、その誓いが果たせなくなってしまうような事件が起こる。

翌日、私は美城常務の呼び出しを受けて、常務室へと足を運んだ。彼女の机の上には、ゴシップ誌が打ち捨てられるようして広げられており、開かれたページには見開きで、酔った和久井さんを支えながらタクシーに乗り込む、私の姿が映っていた。

「説明したまえ」

私は一際神妙な顔を造りながら、ありのままを彼女に説明した。彼女は私が説明し終えるまで一言も発さず、説明し終えてからも長い沈黙を保っていたが、雑誌に落としていた鋭い視線を私に向け直すと、ようやく重い口を開いた。

「よろしい。和久井にも事情を確認した後に、改めて処分を通達する。下がりなさい」

私は深々と一礼すると、失礼しますと、一言だけ残して常務室を後にした。

その後、8課に真っすぐ戻る気にもなれず、人目を避けるようにして選んだ場所は、寂れた喫煙所であった。そこで煙草を吸うでもなく(そもそも吸えない)、ボーっとしていると急に声を掛けられる。

「ハチッ。まさかお前がしでかすとは思わなかったよ」

今、最も会いたくない人の1人。346アイドル部門第2課付きプロデューサーの登場に、私の顔は自然と引き攣った。しかし、彼は此方の事情など、気にするような男ではない。

「お前には何度も教えただろう? 商品(アイドル)に手を出すプロデューサーは3流だって」

そんな大それた事してませんよ。それに第2さんなら、事情は既に知っているんでしょう?

「まぁな。野球だけに、脇が甘かったってか?」

最近、そういうくだらない冗談を口にするようになったのは、担当アイドルの影響ですか?

「……そうでもないだろう?」

その後、私は、彼のありがたいプロデューサー概論を彼が満足するまで静聴して、解放される。こんな事なら、寄り道なんかせずに真っすぐ8課へ帰るんだった。

数日後、私の処分は3ヵ月の減俸という事で決定した。報道には、和久井さんの言葉を添えたFAXで説明を終えて、以降の私達には緘口令が敷かれ、後は世間が飽きていくのを待つばかりである。

頭の片隅では、クビになるかもしれない、と覚悟していたので、この結果に私は、正直拍子抜けしていた。

「本当に関係を持ったのならともかく、こんな事でイチイチクビにしていたら、会社が成り立ちませんよ」

そう告げたのは、事務長の千川さんだ。涼しい顔でアイドル部門全12課の事務を取り仕切る姿から、346アイドル部門影の支配者なんて呼ばれている。

「ただし、ほとぼりが冷めるまでは、プライベートは勿論、仕事先でも和久井さんと2人きりになるような事がないよう、スケジュールを調整してくださいね? 私もフォローしますから」

お気遣いありがとうございます、助かります。私は彼女に、心から頭を下げた。

全てが終わって、和久井さんと顔を合わせた時、私は彼女にも頭を下げた。この度は、大変なご迷惑をお掛けしました。

「それはお互い様でしょう? 少し気を緩めすぎていたのかも知れないわね」

これからの方針は伺っていますか?

「えぇ。元々私達は、そんなに仕事先で顔を合わせたりするようなスケジュールになっていないし、問題ないわよね? それよりも……」

また、色々なものが遠くなってしまったわね……私に聞かせようとしたワケではないのだろう。気持ちを切り替えながら、行って来るわ、と、踵を返して仕事に向かう後姿は、普段よりも少し、儚げであった。

「ハチ君っ。これがハチ君でしょう?」

それは、私が遅めの昼食を事務室で済ませようと、三船さんが作り過ぎたと手渡してくれた弁当を広げていた矢先の出来事だった。

御飯の上に(おそらく手渡す弁当を間違えたのだろう)、ハートの形で乗せられた鶏そぼろを和久井さんに見止められる前に蓋を閉じ直すと、彼女が手渡して来たタブレットを受け取る。

そのタブレットに流れている動画には、確かに私の姿が映っていた。私は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、よく見つけましたね? と、なんとか言葉にする。

「貴方も左打席だったのね?」

いえ、当時の私はスイッチでした……あぁ、すいません。両利きという意味です。相手投手が右投げだったから、左打席に入っていたんです。

「それにしても、綺麗な打球ね。それに、こんなに嬉しそうにしてる貴方、初めて見たわ。ふふ」

口元を緩めながら画面を見つめる彼女に、私はスコアボードを見てください、と促す。9回裏2アウト、点差は11。会場は、ドラフト候補のエースピッチャーが打ち立てるノーヒットノーランを目前にして、騒然としている。

私は、その試合の最後、監督のお情けで甲子園記念にその打席にだけ立った、名もないベンチ要員。そんな奴が適当に振ったバットが、偶然にも芯を捉えただけの事だ。

「適当? この顔を見て、この走りを見て、貴方は……貴方が、適当だと言うの?」

和久井さんは静かに、少しだけ唇を震わせながらそう告げて、タブレットを私のデスクの上に置く。そして、少しだけ席を外すわ、と言い残して、姿を消した。おそらく化粧室だろう。

私は画面に視線を落とす。2塁にヘッドスライディングで飛び込んで、嬉しそうにガッツポーズを決める過去の自分を、私は相手のエースピッチャーと同じように冷めた眼差しで見下ろしていた。

だが、次第に耐えきれなくなって動画を消そうとするが、操作を誤って検索履歴を覗いてしまう。そこには、和久井さんの最近の評判が羅列してあった。

見るに絶えない暴言、口にするのも憚られる中傷、耳を傾ける価値もない邪推……彼女の過去を掘り下げてまで行われるそんな蛮行の中で、一際私の目を引いたのは、シンデレラガールズ総選挙の結果に触れている者のコメントだ。

ランキング圏外に名を連ねる和久井さんの結果を張り付けて、参加するだけ無駄だと吐き捨てているのだ。それを見た瞬間、私は頭の中が真っ白になったが、和久井さんが戻って来る足音に気付いて、慌ててブラウザを閉じた。

「あら? どうして動画を閉じたのよ? 見たくもないって事?」

恥ずかしいじゃないですか……絞り出すようにそう告げた私の反応に、和久井さんは訝し気な眼差しを送ってきたが、特に追及しようとはせずに、タブレットを私から取り上げて、再び動画を再生する。

結局その日、彼女は仕事に出掛けるまで、飽きもせずに同じ動画を繰り返し、繰り返し眺めていた。

その出来事から1ヵ月程度過ぎた頃。会議の後に、第2さんの、まだ先の話だが、大口の契約が入る予定だとかいう、捕らぬ狸の自慢話にまで付き合わされて、すっかり日が暮れて事務室に戻った私のデスクに、1枚のSDカードと書き置きが残されていた。

達筆な筆跡は記憶に残っており、和久井さんがそれを残したのだとすぐに分かったのだが、SDカードの中身が想像出来ない。

書き置きにも詳しい説明はないし、近々、ステージの予定が入っているから、それの関連だろうか? と、予想しながら私物のノートパソコンへとそれを刺し込む。

中に入っていたデータは、私の予想を大きく裏切っていて、それは和久井さんがバッティングセンターで奮闘する様を、右打席から恐らくスタンドでムービーを固定して撮影した、動画データだった。

この1ヵ月、擦れ違いばかりで殆ど顔を合わせなくなっていたのだが、(そう調整した結果なのだが)久しぶりに見る彼女の姿は、やはり凛々しくて、しかしフォームは余り褒められたモノではなかった。

だが、何球かバットに当てて、ボールを前に飛ばせるようになった事は大きな前進であり、それを私に見せたくて、動画にしたのだろう。

有識者からすれば、見る価値もないバッティングフォームなのだろうが、私はその動画から目を離せずにいた。

前に飛ばす度に子供のような笑顔を浮かべ、そして、空振りする度に悔しそうな表情を浮かべて再び前を見据える彼女を見詰めていると、突然、私の視界が滲んだ。

何故、私達が諦めなければならないんだ? 私達はもう1度2人で奇跡の1球を現実のモノに近づけたかっただけなのに、何故、ひと時の話のネタを探しているような連中に非難されなければならないんだ? 参加するだけ無駄? 私達が、アイドルの頂きに届かないと、どうして、お前達に決められる?

途方もない悔しさが込み上げる。そしてなにより、そんな者達に言われる前に、どこか心の中で諦めてしまっていた自身と、言われた後でも遠くを目指して歩みを続けようとする彼女とを比べて、不甲斐なさに嗚咽が零れる。

あぁ、”俺”はなんて美しいアイドルをプロデュースしているんだ……下手糞なスイングを繰り返す彼女を見詰めて、私は涙と共にそう零した。

その日から、私はデスクにノートを書き残した。それには、動画を見て気になったポイントや、直すべき箇所を詳細に記していた。そして、休日には1人でバッティングセンターに繰り出し、和久井さんと同じようにムービーを使って、正確なフォームの一連の動き、そして鍛えるべき筋肉のトレーニング方法などを撮影して、彼女に渡した。

SDカードの容量が越え、ノートが増える度に、和久井さんのバッティングは上達していった。100kmで物足りなくなった彼女は、既に110kmの世界に突入して、そこでもヒット性の当たりを繰り返せるようにはなっていた。

しかし、奇跡の1球程の感覚が得られず、諦めきれないらしく、未だに私達はそういったやり取りを続けていた。そして、彼女のバッティングを見詰めて、そろそろ頃合いだろうと、私は動き出す事にする。

「お前から俺を呼び出すなんて珍しいな?」

えぇまぁ、と前置きして、私はすぐに本題に入った。第2さん、以前、大口の契約があって、その為のアイドルを探してるって言ってましたよね?

「あぁ……その話か。それなら第7の姫川か、第9の新田って娘に回してやろうかと思ってたんだが……」

それ、ウチの和久井にください。私が食い気味にそう伝えると、ほう……と、彼の顔つきが変わる。

「お前と俺の仲って言いたい所だが、俺が仕事に関して融通を利かしたりする程甘くない事は、お前も知ってるよな?」

プレゼンも用意しています。今この場で始めましょうか?

「いいね。聞かせてくれ」

第2さんが口にした大口の契約とは、大手スポーツメーカーのCMだった。若い女性にもスポーツを、というコンセプトでCMを作りたい先方の要望を、業界に顔の広い第2さんがいち早く察知して、優先的な仮契約を結んでいたらしい。

そして本契約の場で私は、第2さん同伴の下、彼の言葉通り、彼の前でしたのと同じプレゼンをした。話は思いの外スムーズに纏まり、和久井さんが全国区のCMに出演する事が決定した。

ほとぼりが冷めたとはいえ、未だに噂の火が燻っている私達を先方が起用したのには、一重に彼等の気っ風の良さと、和久井さん自身が撮り続けて来た、バッティングセンターでの動画のお陰であった。

そしてなによりも、和久井さんが愛用していたジャージやシューズ、バッティンググローブに至るまで、偶然にも今回契約した大手スポーツメーカー製だった事が、彼等に好印象を与えたに違いない。

私がやった事といえば、過去の映像から現在の映像までを、彼女の成長の過程が一目で分かるように編集し、スポーツを通して挑戦する若い女性を応援する……そんなコンセプトのCMの主演に、和久井さんを提案しただけである。

そして契約が纏まり、後は下請けのCM制作会社のプロフェッショナル達に引継ぎを終えるだけだと、一息吐こうとした私に……

「この際だ。君も一緒に出ようよ」

まるで天気の話をするかのような気軽さで告げたディレクターの一言が、私の予定を大きく狂わせた。

「和久井さん、カッコいい~っ!!」

CMの撮影を終えて、1ヵ月が過ぎた頃……8課の事務室に遊びに来ていた姫川さんが、大手スポーツメーカのHPにアップロードされた、全国放送のゴールデンタイムに流されているCMのロングバージョンを見詰めて、素直な感嘆を漏らす。

「本当に野球の経験ないんですか? このCM見せられると、現役で野球してるって言っても私、信じちゃうな~っ」

「ありがとう。野球好きの貴女にそう言われると、自信に繋がるわ。でも、本当にバッティングセンターに通っていただけなのよ? それも本格的に通い始めたのはツアーの後の事だから……半年も経ってないわね」

「それが本当だとしたら、和久井さん、絶対才能ありますよっ。是非っ、私が作るアイドル野球チームに入ってくださいっ!」

「どうかしら? コーチが良かっただけかも、しれないわ」

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