※多少のキャラ崩れ、独自設定等あります。
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目が覚めると、見覚えのない天井が広がっていました。ええ、もう、まったく見覚えがありません。どうにも安っぽい白色は、自宅のものとは違います。
間違えて誰かの寝床にでも入ったのかと女子寮に泊まっていれば思えますが、ボクは昨夜、確かに自宅で寝た記憶があるので、その線は考えにくいでしょう。
なら──どういうことでしょう。
冷静に、落ち着いて思考しましょう。
通常の人であれば慌てふためくのでしょう。しかしカワイイボクはこの程度の状況は慣れたものです。朝起きたらとても国内とは思えない秘境でした、なんてこともありましたから。
普通の家である時点でどう転んだって慌てふためくようなことはありえな
「なああああああっ!?」
「ひゃあっ!? どど、どうしたの!? 泥棒さん!?」
なんということでしょう。
こんなことでは驚かない、慌てないと大言壮語を吐いていたボクが、まったくカワイくない反応をしてしまいました。
そんなボクの大声に驚いたように布団から跳ね起きた女性──まさしく、その女性こそが、ボクが飛びきりの反応をしてしまった原因であるわけですが。
彼女はそんなボクの驚きの原因を知らず周りをキョロキョロと見回している。トレードマークのぴょんと飛び出た一房の髪の毛が景気良く動き回っていて、相変わらず可愛い人だと思っていた。
そう、彼女──小日向美穂さんがボクの隣で寝ていた。その事実がボクから一瞬にして冷静さを奪った原因でした。
努めて冷静に状況を把握することにしようと思います。
一度冷静さを見失ったからこそ、冷静になることを努めないといけません。
ボクが朝、目を覚ますと、美穂さんが隣で眠っていた。
……言葉にすれば単純なことなんですけど、とんでもないですね。自宅で寝ていたと思ったら、何故か美穂さんと同じ布団で並んで寝ていたのですから。
「幸子ちゃん、どうしたの?」
あと、もうひとつ。どうやら美穂さんはボクが隣で寝ていたということ自体には、まったく驚いていないようです。
当たり前のように受け入れている様子で、何か思い出していないことがあるような気がします。具体的には昨夜のことを──そうだ、昨夜は確か……ああ、そうか。美穂さんが泊まっていたんだ。
テンパりやすいキライのある美穂さんが、この状況にこんな落ち着いていられるなんてこと、よくよく考えるとおかしな話でした。ボクも寝ぼけていたんでしょう。寝ぼけるボクもカワイイですね。
しかし、それにしてもなんだか違和感を覚えます。なんとなく、何かが違うような……いや、何かが違うと結構違うんですが。美穂さんが隣に眠っていた理由はわかっても、依然としてここがどこなのかはわかっていないのですから。
それにしても、違和感と言えば。
自分自身にもなんだか違和感があります。なんといいますか、後頭部が少し重たいような……髪の毛が急激に伸びたかのような、そんな錯覚を覚えあれなんかめちゃくちゃ長くないですか!?
「あっれー!? ボクってこんなに髪の毛長かったですか!?」
「え、幸子ちゃん、もうずっと長く伸ばしてるよね?」
「イヤイヤ、ボクはもっとこう、キュートでカワイイ、横は長いのに後ろは短いという複雑で表現しづらい髪型をしていたはずですけど!?」
「じ、自分の髪型に大して凄く絶妙な評価をしているんだね、幸子ちゃん……」
いや、もちろんボクだってロングに憧れを抱いていないわけではありません。女の子は誰だって、一度は長い髪の毛に憧れるものですから、カワイイボクだってその例外ではありません。
だから、将来的にボクが大きくなれば、伸ばしてみるのも悪くない──カワイイだけでない、大人のボクを見せないといけないときが来たら、そのときは、なんてくらいには考えていました。
けど、今はまだそのときではないですし、というか一夜でこれだけ伸びると恐いですよ! 完全に小梅さん案件です!
よくよく見ると、なんだか美穂さんも少し髪の毛が長いような……ようなというか、昨日までは肩までなかった後ろ髪が、今は毛先が肩にかかるほどまで伸びています。え、なんですかそれ。
恐ろしい、一夜にしてこれほどに髪が伸びる事例がまさか二件もあるなんて。
小梅さんにはよく言い聞かせておかないといけませんね、髪の毛を伸ばすのは人形だけにしておいてくださいと──いや、それはそれで怖いですけどね!
「なんだかおかしな幸子ちゃん」
戸惑うボクに美穂さんが呟く。その言い方が、どこか楽しそうだった。
楽しそうな美穂さんの反応とは逆に、ボクは彼女のその反応で余計に不安を覚えました──かなり高い確率で、最悪過ぎる想定が浮かんでしまっていたので。
+01
さすがに怪奇現象も過ぎるでしょう、というのがボクの正直な感想でした。
気付けなかったわけではありません。実のところ言うと、その可能性は思い付いていなかったわけではありません──ただ、認めてしまえるほどにボクには度量はなく、現実逃避をしていました。
朝ごはんを食べる際にリビングに行きました。とても生活感のある、安心のする空間。可愛らしい小物や、実用性があるのかないのか判別がつけづらい収納グッズ等が並んでいて、なんだか美穂さんらしい可愛らしい空間でした。
その空間に飾られた、くまのイラストが描かれたカレンダー、その日付──年数は、ボクが把握する西暦よりも、五年ほど先に進んでいました。
「なんって、ベタな……それでいてどうしようもない状況なんですか……」
思わず床を叩きたくなりますが、そんな行動はカワイクない。何より、美穂さんに心配をかけてしまう──ボクが知る美穂さんではないのかもしれませんが、しかしやはり美穂さんは美穂さんで。
だからボクは、彼女に心配をかけたくはなかった。
とりあえず、状況の把握ができてきたことだけは救いでしょうか。一人暮らしでなかったことがありがたい──いや、そもそもボクは一人暮らしなんてしないでしょうし、まさか未来の自分が実家を出るなんて思ってもいませんでしたが。
両親を置いて家を出るなんて、少なくとも今の、十四歳のボクにはまったくもって考えられない発想です。
ボクは、大学一年生だそうです。進学をきっかけに家を出ることにしたようですが……正直なところ、このあたりの気持ち、内情については探り得ないので今のところは、進学をきっかけに家を出たという事実だけをフィーチャーします。
どうやら美穂さんと同じ大学に進学をしたようで、それで美穂さんとルームシェアをしているようですね。……うんどうもこのあたりに未来のボクが家を出ることにした理由が隠されている気がしますね、美穂さん関係で。間違いない。
何せ自分のことですから、想像はしやすいです。
普段の一人称はワタシ──どうも美穂さんの話を伺うに、美穂さんの前でだけは自分のことをボクと称するようにしたということらしいですが、このあたりの事情は察することができません。
そもそもどうしてボクがボクじゃなくてワタシになったのかもまったくわかりませんし。とは言え不自然にはならないように、しっかり使い分けないといけませんね。ややこしいな、未来のボク。
朝食を作るのはいつも美穂さんの役割のようです。朝食というか、全般的に食事の用意は美穂さんがしているのでしょう。エプロン姿の似合いようから察するに、ボクがキッチンに立つことはないだろうというあくまで予想ですが。
一人暮らしもせずにいきなり美穂さんとの同居生活のようですし、美穂さんのエプロン姿は女神のごとしであるのでさもありなんというところなのでしょうけど、それでいいんですか未来のボク。
用意された朝食はタコさんウインナーとオムレツ、一枚のトーストです。オムレツには愛らしいくまがトマトケチャップで描かれている。食べちゃうのが少しもったいないくらいです。
「幸子ちゃん、今日は早い日だよね? お夕飯のお買い物一緒に行こうよ」
「……えっと」
ボク、大学なんていけるんですか?
+02
人間、やる気になればなんでもできるとはよく言いますが、あながち根も葉もない妄言でもないのかもしれません。
大学の授業……いや、大学の場合は講義というんでしたか。よくわかりませんが。講義を受けてみても、どうにか滞りなく乗り切ることができました。
いえ、まあ、とは言っても、話を聞きながらスライドで挙げられている要点をノートにメモ書きしているだけなので、そういう意味で言えば実際のところは中学校と大差ないのかもしれませんが。
もちろん、やっている中身がまったくの別物なんですが、そこは幸いというべきか、それほど進学するまでの知識が要される講義というものが少なかったので、対処のしようがありました。
美穂さんは四年生、卒業に必要な単位は既に取得しているようで一緒に来られませんでした。その点が不安ではありましたが、不必要に一緒にいることを懇願しては怪しまれてしまいます。
できるだけ、美穂さんにはこの事情を隠し通したいというのが、今朝から今に至るまでに出した、ボクの結論です。
そもそも、無闇に人に話すことでもないでしょう。というか頭がおかしくなってしまったと思われてもおかしくないですし。こんな非現実じみた出来事を誰が素直に受け入れるのか。ボクならすぐに安静にゆっくり眠らせます。
……まあ、それでも美穂さんなら信じてくれるのでしょうけど。
「さて、どうしましょうか」
独り言をぼそりと呟いてみました。
大学というのは、必要な講義以外は自由に取得していいという性質をしているらしく、どうやら未来のボクは少し非計画的な取得をしていたようで、一時間半ほど空き時間ができてしまいました。
一度帰宅するというのもありなんでしょうけど、とはいえ次の講義が終われば本日のスケジュールは終わりのようですし、それなら時間潰しでもしながら待っているべきなんでしょう。
「……まあ、ぼうっとしていても仕方ありませんね。どうせなので周囲の探索でもしてみましょうか」
まずは状況の把握を正確にする。
突然放り込まれた場所で適応するためには必要なことです。
+03
「や、幸子じゃないか。元気かな?」
近場の本屋を通りがかったところで声を掛けられたので、振り返ると見覚えのあるような、ないような人がいました。
正確に言えば顔は見たことあるんですが、少し大人っぽくなっていて、元々美形ではありましたがさらに美人になっているので、どうにも一致しにくいです。
エクステも付けていない、カジュアルながら落ち着いた服装で、どこからどうみてもクールで美人な大学生にしか見えませんが──二宮飛鳥さんでした。
「えっと、飛鳥さん……ですよね?」
「これはまた奇妙なことを言うね。それとも幸子の視界では私が他の誰かに見えているということかな」
「あ、いえ、そういうわけでは」
ない、とまでは言い切れませんが。
実際、ボクが思い描いている飛鳥さんと、目の前にいる二宮飛鳥さんは別人と言っても差し支えはないでしょうし。十四歳の飛鳥さんは世界に対して反抗期を迎えている真っ盛りですが、この飛鳥さんはそんなこともあったねと笑って全てを受け入れてしまいそうに見えます。
いえ、あくまでも外見の印象ですが。
……しかし、それにしても、飛鳥さんも“私”なんですね。年を重ねるということは、そういうことなんでしょうか。
「こんなところで会うなんて偶然だね、と言いたいところだが、場所が場所だからね、それも必然か」
「(面倒くさい言い回しはあまり変わっていないようで安心しました)」
「何か言ったかな?」
「いえ、何も言ってませんよ」
「そうか。ところで時間はあるかな、よかったら少しお茶でもと思ってさ」
「そうですね……ええ、一時間ほどで良ければ大丈夫ですよ」
「それじゃ決まりだね」
時間を潰すために喫茶店に入りお茶をする。それだけでなんだか大学生らしくて、現状を改めて認識してしまった。
我ながらおめでたい頭をしています。
飛鳥さんと出会った場所から歩いて数分もしないところにオシャレなカフェがありました。静かだけどなんとなくかわいらしい雰囲気のお店です。こういうところを穴場というのかもしれません。
ウッドテーブルの隅にそっと置かれた木造の小さな黒猫を見て、思わず指でツンと触ってみます。ボクほどではないですが、なかなかカワイイ子ですね。
「いらっしゃいませっ、ご注文をお伺いします!」
「すまない、私はホットコーヒーをいただけるかな?」
「あ、ボ……じゃない。えっと、ワタシはホットミルクでお願いします」
「ホットコーヒーにホットミルクですね、かしこまりましたっ。店長、オーダー入りまーす! ホットワン、ミルクワンでーす!」
てててと元気よく調理場へと駆け寄りオーダーを通すウェイトレスさん。ハキハキとした元気の良い受け答えは好印象ですね。悪い気はしません。
「ふふ、ミルクか。随分と可愛いものを頼むんだね」
「そういう飛鳥さんは相変わらずコーヒーが好きなんですね」
「コレがないと、まだ飲めないけどね」
飛鳥さんは片目を閉じながら、スティックシュガーを指で持ち上げて見せる。
可愛らしいことを言っているはずなんだか大人の余裕のようなものが窺えて、やっぱりボクの知る飛鳥さんとは少し違っているように見えます。
五年──たったの五年で、人は変わってしまうものなんでしょうか。ボクも、飛鳥さんも。或いは他の誰だって。……いや、きっと変わるものなんでしょうね。人間も、関係性も、何もかも。
色々な経験をして、変わる。
……そういう意味で言えば、ボクは今まさにとんでもない経験をしているので考え方に何かしらの大きな変化でも起きてもおかしくありませんが、まあ、それは元の時代に戻って、五年経過して、そのとき初めて実感するとしましょう。
「──さて、幸子。美穂さんとはうまくやってるかな?」
「えっと……うまくやる、とは?」
「そうだな、君たちの関係性はどのように収束しているのか、ということさ」
「どのように、と言われましても」
返答に困る。質問の内容はもちろんですが、そもそもボクはボクであって、この世界の『輿水幸子』ではないのだ。
この世界の『輿水幸子』が美穂さんとどのような生活を送っていて、どのような関係になっているかなんて、ボクには知りようがないのだ。
もちろん、察するに良い友人であることには間違いないでしょうけれど。
「……なるほど、どうやらあのときの話はなまじ、嘘でもなかったようだ」
勝手に納得をしてうなずく飛鳥さん。こうして意味ありげに振る舞うのは、なんとなく飛鳥さんらしいです。
とは言え勝手に納得をされてもボクとしては何が何だかとなるわけでして、出来ればきちんと説明をしてほしい。あのときの話とは、一体何なのか。
これは今までの経験から培った直感のようなものですが──きっと大事な、何かが明かされる予感がしました。
「幸子。君は夢を見ているんだ。そしてその夢から目が覚める日は確かにくる」
「何まどろっこしい言い方してるんですか、飛鳥さん。この状況について何か知ってるならはっきり言ってください」
「……そこは様式美として『飛鳥さん、もしかしてボクがどういう状況なのか知っているんですか!?』みたいな反応が欲しいところなんだけどね」
「ボクだってさすがにリアクション芸をしていられるほどに余裕はないんです。さあ、知っていることは洗いざらい話してもらいますよ!」
やれやれと手を振る飛鳥さんに、人というのは根本的にはそう変わらないなと思いました。
+04
「さて、簡潔に結論から言わせてもらおうか。君が十四歳の幸子であることを私は知っている、それは五年前の今日、既に聞いていたことだからだ」
「五年前……つまりボクにとって、そのまま今日となるべき日ですか。しかし、どうして飛鳥さんはそのことを?」
「君がこの未来に来ているのなら、その逆もまたしかりということさ」
「逆……ということは、つまり」
「そう。本来この時代にいるべき幸子もまた、五年前の過去を過ごしているということさ。その幸子に聞いたんだよ」
「なるほど、話の筋は通っているようですね。しかしよくそんな話を当時信じましたね……いや、飛鳥さんらしくはありますが」
「いやいや、もちろん当時は半信半疑だったさ。だが──こうして、少し君と会話して確信をしたよ。ああ、あれは本当のことだったんだな、とね」
「……あの、ボク、何かボロを出すようなことを言いましたか?」
「いや、君は何も失敗はしていないさ。さすがはアイドル、と言うべき演技力だったね。ただ、この時代の彼女は特定の質問に対して幾分わかりやすくてね」
「はあ、そういうことなんですか。よくわかりませんが、飛鳥さんには何かわかることがあるんでしょうね」
「まあ、そういうことさ」
さて、飛鳥さんが物知り顔をしていた事情はわかりました。とは言え、それはまだ、飛鳥さんが何故かこの状況を知っている、ということに対する回答でしかなく、なぜこのような状況になっているのかまでの回答ではありません。
「では飛鳥さん、なぜボクはこの五年後に来たのでしょうか?」
「さてね、それに関しては私も知り得ない事象さ。ふふ、不可思議な現象をこの目で確かめられることは愉快だね」
…………………………………。
いや、いや、うん。まあ。肝心なことを特に知らないというのは、なんだかある意味飛鳥さんらしくはありますけど。
有識者ぶりたいけど、実はちょっと齧ったことがあるくらいで、大事な部分はかやの外みたいな、そういうところありますから。仕方がありませんね。
「幸子、顔がひきつっているが物凄く失礼なことを思っていないか?」
「いえ、そんなまさか失礼なことだなんて……気のせいでは?」
「……なんだかわざとらしいが、まあいいだろう」
やれやれ、まったく勘の良い人です。
とは言え、肝心の部分を知らなかったのだとしても、ボクにとって大事な情報であることは間違いなかったです。
もしかしたらこのままずっと、元の時代には戻れないのでは、という心配がなくなったことは、この未来で生活を送っていくにおいて、ひとつの懸念点がなくなったということですから。
「ところで飛鳥さん、関係ないことを聞いてもいいですか?」
安心ついでに、質問をすることに。と言っても大したことではない、些細な雑談のようなものですが。
「ああ、君にとってはここは未知の領域だろう。私で答えられる限りでよければ、いくらでも答えてあげよう」
相変わらず気取った言い回しで飛鳥さんが快諾をしてくれました。なので、遠慮をせずに聞くことにしました。
「なんで一人称が“ボク”ではなくなったんですか?」
大したことではない質問だ──個人の結論として、大人になったということだろうと結論付けてはみたものの、やはり本人に聞いておきたかったのだ。
ボクだって、この時代ではワタシになっているらしい。その心境を推し量ることができるかもしれないと思ったから。
五年後の『輿水幸子』は、どんなつもりで“ボク”から“ワタシ”となったのか。
──或いは、どんなつもりで美穂さんにだけ“ボク”であろうと、そんな気持ちになったのかを、知りたくて。
「おっと、そうきたか。なるほど、確かに今の君にとって二宮飛鳥とはそういうやつだったね。私にとっては懐かしいそれも、君にとってはつい昨日のことか」
「面倒くさい言い回しは一切変わってないので、余計違和感あるんですよね」
「……君は言いにくいことをズバっと言うな。まあ、つまりそういうところだ」
「そういうところ……」
とは、どういうことなんでしょうか。
疑問符を浮かべていると、飛鳥さんはしたり顔で、解説を続けた。
「思春期特有のなんでも最後は思い通りに行くと信じている万能感、みたいなものさ。或いは、周りが何を言おうとも自分は自分であるという確固とした強い想いかな」
「思春期特有の万能感ですか。なるほど、そうですねぇ。確かにボクのカワイさが世界一であるということはある種の万能感とも言えるかもしれませんが、それと似たようなものですかね」
「……ああ、まさしくそういうところだよ。けれども、それらは歳を経るごとに世界に迎合してしまい失われていくものでね。それを世間では大人になると言うのかもしれないが、私も例外に漏れなかったということさ」
「あの飛鳥さんが曲がりなりにもそれなりに大人になっているということに同世代のボクは驚きを禁じ得ないです」
「同意見だ。私も一生痛い奴でいるんだろうと思っていたんだけどね、ところがどうも、人間というものは勝手にそうなってしまう生き物なのかもしれないな」
「あ、いえ。痛い人なのは変わりませんよ?」
「…………なるほど、十四歳というのは怖いものしらずな年頃だったんだね」
噛み締めるように呟く飛鳥さん。ボクにとってはつい昨日のこと──いや中身に関して言えば今なお十四歳のままであるのだが、飛鳥さんにとっては五年前のことであり、ボクの姿に昔の自分を重ねているのかもしれないです。
とは言っても、五年前の飛鳥さんとボクとでは全然違うと思うんですが、そこは思い出補正というものでしょうね。五年経って飛鳥さんも、痛い奴もいいけどカワイイのも良いとなったのでしょう。
なんて、それは冗談ですが。
別に、ボクだって誰にだって物怖じをせずにいるわけではありません。信頼している仲間だから──なんて、そんなことを本人に言うつもりはないですが。
飛鳥さんは少しミルクを入れすぎて白さが強いコーヒーを飲んでから、再び口を開いて喋り始めた。
「もっとも、万能感ではないにしても、少女というのは後先を考えずに勢いに任せて生きていくべきものなのかもしれないな、後悔をしないように。希望なんてものは、後ろ手を組んでただお行儀よく待っているだけでは、掌に乗せた砂のように溢れ落ちてしまうだろう?」
──それは、確かに。飛鳥さんが言うように、そうなのかもしれない。
待ち続けていればやがていつかは、なんて思っているうちに日々は過ぎ去ってしまい、取り返しのつかない未来へと辿り着いてしまうのでしょう。
「その点で言えば、君は昔も今も変わっていないのかもしれないな。勢いのままに走り出して、何もかも投げ捨てても駆け付けてしまえるような、そんな思春期の万能感を持ち続けていたよ」
「五年後の自分の評価が今と変わっていないと言われると、成長していないように聞こえますね」
「もちろん良い意味でさ。青い春の純情というものを捨てていては、腐り落ちた木の実のようなものさ」
終わってしまっているってことだよ、と言って、飛鳥さんが言葉を締める。
そんな風に言ってしまいたそがれている飛鳥さんを見て、ボクはさっき聞いた話とは真逆の感想を覚えていた。
だって、そんなことを言っていることが既にもう青臭くて。
思春期なんてものを通り越して五年経っていたって、十分に若くて青春をしているのでは、と思ったのでした。
-01
目を覚ますと見慣れている、けれども久しぶりの天井が広がっていました。ええ、本当に久しぶりです。こんなにも長い間、この天井を見ていなかったということがなかったのでなんだか何年も見ていなかったような気にもなります。
実際には、半年と少しくらいですが。
…………………さて、冷静に、クールになって考えましょう。何故ワタシは美穂さんと過ごす家の布団ではなく、実家のベッドで目を覚ましたのかを。
唐突に帰宅したくなって帰ってきたのか、寝惚けているのか、はたして理由は何なのか皆目検討もつきませんが、なにこんなことで取り乱したりはしません。
なにせワタシは世間ではドッキリの女王とも名高いカワイクもお茶の間を笑顔にできるアイドルなんですから、こんなことで取り乱すことなんてありえな
「なあああああああああっ!?」
「ひゃあっ!? どど、どうしたの!? 泥棒さん!?」
なんということでしょう。
こんなことではまず驚くなんて有り得ない、経験値がものを言うのですと大言壮語を言っていたワタシが、こんなにもはしたなく大声をあげてしまうとは。
そんなワタシの大声に驚いたように布団から跳ね起きた女性──まさしく、その女性こそが、ワタシが年甲斐もなく年若い少女のように大声をあげて反応をしてしまった原因であるわけですが。
彼女はそんなワタシの驚きの原因を知らず周りをキョロキョロと見回している。トレードマークのぴょんと飛び出た一房の髪の毛が景気良く動き回っていて、今日も朝から可愛い人だと思っていた。
そう、彼女──まだほんのり幼さが残る年頃の小日向美穂さんがワタシの隣で寝ていた。その事実がボクから一瞬にして冷静さを奪った原因でした。
半年以上を過ごしてもまだ隣に寝ていることに大して新鮮な反応をしてしまうのは、けっしてワタシがヘタレているというわけではなくて、美穂さんのような天上人かと疑うほどに可愛らしい人が隣で寝ていると誰だってそうなります。
というのはまあ、半分冗談として、実際には驚いた理由は別にあります。
明らかに十代の頃の、ワタシがまだボクであった頃の美穂さんが隣にいたということに驚いたんです。
今の美穂さんも十分に若いんですが──いや、まだ二十一歳なのだから若いのは当然なんですが──、やはり十代というのは違います。若いというよりは幼いというべき要素があります。
ワタシだって成人一歩手前です。大人になりきれてはいなくとも子供ではいられない年頃ですから、明らかに年下であるということくらい一目でわかります。
思春期において年下から見上げた年上というのは案外見分けがつかないものですが、そこはそれ、歳を経るごとについていく経験値というものでしょう。
さて何に対する擁護でしょう。
おそらく過去の自分に対してですね。
「美穂さん、朝から唐突に叫んですみません。ちょっと未確認飛行物体が天井を飛んでいるように見えまして」
「へ、へぇ……そうなんだ」
おっと、軽く引かれてしまいました。
小粋でウィットに富んだギャグのつもりでしたが、どうやらセンスに乏しかったようです。いや、ワタシはバラエティーもこなせるアイドルではありますがけっして芸人さんのようにとても面白い人ではないので、仕方ありません。
美穂さんに軽くでも引かれたという事実に酷く心が打ちのめされそうですが、仕方ないったら仕方ないんです。
さて、とは言えそんなことに打ちのめされていても仕方ありません。
現状を把握するべきでしょう。
概ね推測することはできますが、確定ではない以上、正確な状況把握は何よりも優先すべきことです。推測で行動することほど恐ろしいことはありません。
……バラエティーで培ってきた経験値を、まさかこのように活かせるとはさすがに思いませんでしたが。
周囲を観察──するよりは、枕元で充電をしている電子端末を確認すればわかるでしょう。ワタシが昨日まで使っていたはずのものより型が幾分古い機種だ。
電源ボタンを押してスリープモードを解除します。すると丁寧にも本日の年月日がロック画面に表示されていました。
表示された日付は、推測を確信へと変えるには十分過ぎました。
「美穂さん、ボクは今日、ひとつだけ大人になりました」
いえ、美穂さんと同じベッドで目覚めたことによって大人になったとか、そういう経験の意味ではなくて。
文字通り──そのままの意味で。
「うん。あらためて、お誕生日おめでとう、幸子ちゃん!」
ここは──五年前の、ワタシの誕生日だ。
-02
あの日のことは、昨日のことのように覚えています──なんて、そんな言い方をすればさすがに言い過ぎかもしれませんが、とは言ってもよく覚えているということに関しては嘘はありません。
五年前の十一月二十四日、美穂さんの仕事がオフでしたので前日からワタシの家でお泊まりをしたんでした。美穂さんはあの日、こくりこくりと首を揺らしながら日付を越えるのを待っていました。
日付を越えるのと同時に、誕生日を祝う言葉と、お揃いのネックレスをいただいたんでした。……首にネックレスをつけたまま寝ていたようで、今もあの可愛らしいチャームのついたネックレスはワタシの首に絡み付いて離れていません。
相当浮かれていたんですね、と同時のワタシに対して客観的に思いました。
絡まったチェーンをほどいてから再度つけ直したワタシは、そのままトイレに向かう振りをして電話をかけます。
この状況に対して理解のありそうな人間を──或いは、ただの頼みごとをさそようと思いまして。
コール音が五回ほど繰り返してから、ようやく通話が繋がりました。
「おはようございます、晶葉さん。研究は捗っていますか?」
『む、なんだ。もう朝なのか……気が付かなかったよ』
夜が明けたことに気が付いていなかった、という言い方がどうにも彼女、池袋晶葉さんらしい。昔も今も発明に夢中になると自分の世界に入るところは変わっていない。ブレない人ですね。
とは言えやはり年若い少女が徹夜とはいけません。中身は年長者として、きちんと注意をしてあげないといけません。
もちろん、ワタシらしく──いえ、敢えて言うならば、“ボク”らしくですね。
「まったく、徹夜ですか。いけませんよ、ボクのようにカワイクなるためには早寝早起きが大切ですからね」
『なかなかキリのいいところが見つからなくてな……それで幸子、朝からわざわざ電話をしてきてどうしたんだ?』
そうでした、注意をするつもりで電話をしたわけではありませんでした。
人間というものは年齢を重ねると年下に対していらぬお節介をやきたくなるとはよく言われていますが、なるほど、確かにその通りのようです。
さて、余談はこれくらいにしておきましょう。本題にいきましょう。
「いえ、少し頼みごとがありまして」
ちょっとばかりの、叶わなくても大した問題にもならないような頼みごとですが──なに、友人ですからね。
多少の無理難題は、受け入れてもらいましょう。
-03
それでは今日は美穂さんとお出掛けです。この時代のワタシには悪いですが、仕方ありません。この幸せを素直に教授させてもらうことにしましょう。
晶葉さんへの頼みごとも終わり、ついでにこんな突拍子のない話も半信半疑をする振りをしながら信じてしまいそうな飛鳥さんへ、おそらくは五年後の未来へと来ている十四歳のワタシへの言付けを託しましたし、楽しみましょう。
行き先は、少し検索をかければ簡単に公式サイトが出てくるほどに有名な、山梨が誇る日本有数のテーマパークです。
アトラクションを楽しむ、可愛い美穂さんの姿を見れるだろうなあ、と思うと少しにんまりしてしまいます。
とは言えまあ、にんまりとしているだけではいけないんですけど、仕方がありません。どれほどの猶予が残されているかは不明ですがこういうのはお決まりというものがあります。約束事のように取り決められているものがあるはずです。
なのでワタシがこの時代へ来て、何をするべきなのか、何か為せるのか。それに関してはまたおいおいにしておき。
とりあえず今はただ、素直にテーマパークを楽しみましょう。
「幸子ちゃん、幸子ちゃん。参加率ゼロパーティーの謎をとけ、大監獄イカズカってアトラクションが大人気らしいよ」
「以前雑誌で見たことがありますね。なんでも謎解き成功率が限りなく低くて、今までに何人もいないらしいですよ」
「そんなに難しいんだ。……私、そんなに賢くないから不安かも」
「ふふーん、ボクのカワイさにかかればどんな謎も向こうから教えさせてくださいと言ってくるので、大船に乗った気持ちでいてくれて構いませんよ!」
「わあっ、幸子ちゃん頼もしい!」
「でしょう、でしょう。……それにしても参加率ゼロのパーティーってはたしてパーティーというんでしょうか?」
「う、うーん。その謎を解くのが目的なんじゃないかなぁ」
なんてふうに楽しく喋りながら、目的のアトラクションへと向かいます。
目的の場所まで行ってみると物凄い行列で、さすが雑誌でも紹介されているほどの人気だと感心をします。あまり長く並んでいるとバレてしまいそうですが、そこは変装を信じるしかないでしょう。
目深に被った帽子はいつもの特徴的な跳ねた髪の毛も隠してしまっているので美穂さんだとバレてしまう可能性は低くなっているでしょう。ワタシも、目立つ外ハネを抑え込んでいます。
人間、特徴というものを上手く隠してしまえば案外と誰であるかを認識できなくなるものらしいです。なんて、いつかバラエティー番組で共演した人がそれらしく言っていたことの受け売りです。
「こういうところに来ると、なんだか待っているだけの時間も楽しいよね。……ううん、逆なのかも。楽しいから待っていられるのかな」
「そうですねぇ。こういうところで過ごすこと自体が既に楽しい時間ですから、行列だって待っていられるんですよね」
テーマパークに限らず、なんだってそうなんでしょう。たとえばアイドル活動にしてもそうですし、俗に言えば恋愛なんかでも、きっとそうなんでしょう。
好きだと思っているうちは、待っているだけでも幸せなものだから──なんてそんなふうに描かれた少女漫画を、乃々さんが読んでいたような気がします。
とは言え、恋愛においては待っているだけではいけないのかもしれません。時にはぐっと前に出ることも必要です。
まあ、ワタシ、十九歳にもなって未だに男女の恋愛というものをまともにしたことがないんですけどね。なんたってワタシは箱入りのお嬢様ですので。
と言っても、体験がなかったとしてもそういうことが必要だということは、ちょっとだけ知っているつもりでいます。
なんでかって、体験はなくても見てきているからです。
-04
高校を卒業した春に、ワタシは美穂さんが独り暮らしをしている家に突然押し掛けるように住むことになりました。
大学に進学するにあたって独り暮らしは怖いので、春からは大学の先輩にもなるし、仲の良い美穂さんとのルームシェアなら安心だからという理由でした。
幸いにも、両親はワタシが実家を出ることに対して反対するということはなくて、家から独立して生活を送ろうとするワタシに『大人になったんだね、大きくなったね』と喜んでくれました。
実家を出るという選択肢を選んだのには少しの心苦しさもありましたが、両親が快く受け入れてくれたおかげで、ワタシは自分の想いにまっすぐ向き合って突き進むことができたのですから、本当に感謝しかありません。
高校卒業を間近に控えた十二月に、ワタシたちにとって大切な人、デビューからこれまでずっと、支えてくれて導いてくれたプロデューサーさんが、自らが幸せになる道を選択しました。
有り体に言えば、結婚をしました。
当時一緒にデビューをした、懐かしいプロジェクト面々でのお祝いをし、プロデューサーさんの幸せを祈りました。今までワタシたちのために頑張ってくれた人ですから、本当に幸せになってもらいたいと、そう願っていたからです。
ワタシも、皆さんも、美穂さんも。
全員が笑顔で、プロデューサーさんとそのお嫁さんの未来を祝いました。
そこに、嘘はないつもりです。
だけど、それでも、どうしても本音を言うとするならば──ワタシは。
彼の隣には、美穂さんがいてほしかったと、そう思っていました。
一緒に行こうと、手を伸ばしてくれた人。時には年上として姉のように振る舞い、時には親しい友人として共に時間を過ごして、そしてアイドルとして一緒に夢への階段を登った、とても大事な人。
美穂さんの幸せを、願っていたから。
美穂さんがプロデューサーさんのことを親愛ではなく、恋愛として好意的に想っているということを、なんとなく察していました。もちろんそれは本人から聞いたわけではないですが、見ればすぐにわかります。わかりやすいですから。
気付かないのはきっと、あのにぶちんでデリカシーのないプロデューサーさんだけでしょうね。……なんて、あの人はきっと、気付いていても気付かない振りをしていたのでしょうけれど。
アイドルとプロデューサーという関係は、それほど複雑で、厄介で、面倒だ。
だからこれは、きっとそんなに意味のない願いなんでしょう。プロデューサーさんがそういう人間である以上は、何をしたって大きく変わりはしない。
ほんの少し、美穂さんが後悔しないための後押しをしたいだけだ。
-05
冬の空は太陽が沈むのが早い。あっという間に日没を迎えて、今日という一日が終わりへと近づいていきます。
大監獄の後もいくつかのアトラクションを楽しんだワタシたちは、迎えの車を待っていました。運転をしてくるのはもちろんプロデューサーさんです。そうするように約束を取り付けていたはず。
コミュニケーションアプリの会話履歴を遡ると、確かに言質を取っています。
彼も忙しいであろうに、当然のように足として使わせていたあたり、十四歳のワタシはどうにも、彼のことを良いように使っていたのかもしれません。
なんでも言ってもいい、甘えられる存在。よく言えば、一人の大人として彼のことをこよなく信頼をしていたんでしょう。恋愛感情というものでは、恐らくなかったとしても、プロデューサーさんのことは好意的に思っていましたから。
とは言え親しき仲にも礼儀ありという言葉がありますし、礼節や気遣いということを覚えるには少しばかりこの頃のワタシはまだ幼かったのだと思います。
十四歳という年齢を考慮すると、些か仕方がないのかもしれませんが、我ながら子供っぽくてカワイらしいですね。
動かないで待っていると、身体が冷え込んでいきます。はあ、と息を吐き出すと、吐き出した息は白く蒸気のようになっていて、まるで真冬の様相です。
お昼はまだ過ごしやすい気候だったというのに、少し日が暮れるだけでガクッと気温が下がるのは、ちょうどこの時期によくある気候ではあります。
しかし、十一月でこの気温ではこれから先はどれほど寒くなってくるのか、考えるだけでも嫌になります。と言ってもここは過去の時代であり、ワタシが本来過ごすべき時間でも同様の気候であるとは限らないんですけれど。温暖化してくれてるといいなあ、なんて思います。
モコモコとしたダッフルコートにミトン手袋、少し攻めた丈の短いスカートの下には白色のタイツという、これで見惚れなければそれは嘘だというほどに愛らしい美穂さんを見れるので、とても良い季節ではあると思いますけどね。
冬服の愛らしさが似合いすぎるアイドルとして名高い美穂さんですから!
「ふぇぷしゅっ。うう……なんだか今日はすっごく寒いね、幸子ちゃん」
「くしゃみまで可愛いとか最強ですか」
「と、突然褒められた? くしゃみを褒められるのは、ちょっと恥ずかしいな」
「ボクが一挙一動全てをカワイく振る舞えるように、美穂さんはどんな自然な振る舞いも愛らしくて可愛いんです」
「う、褒め殺しだぁ……」
「いえいえ、とても素直な感想ですよ。心の底からの本音です。世界で一番カワイイボクが言うんですから、美穂さんは誰より可愛い人です」
世界で一番カワイイのが‘’ボク‘’だったとしたのなら、きっと世界で一番可愛いのは美穂さんなのでしょう。
もちろん、ワタシは自分のことを世界で一番だなんて言えはしない──そんな風に自称できるほどの思春期特有の万能感はもう存在しなくて、それなりに自分のキャラクターを認識して振る舞うことしかできない。
もちろん、人並み以上──並みいるアイドルたちにだってけっして負けてはいないとは自負しているし、誰よりもカワイクあるとも思ってはいますけど。
三つ子の魂はいくつになったって変わらない。結局のところボクだってワタシだって、いつだって自分が誰よりもカワイイと思っていることは変わりない。
そんなワタシが、美穂さんのことを誰よりも可愛い人であると認めている。
──だから。
「自信を持ってください。貴女は誰よりも可愛いんです。プロデューサーさんだってきっと惚れてしまうくらいですよ」
これがワタシの、今ここに来ている理由。これ以上はおこがましく、何よりもこれ以上のことをできるわけでもないから、本当に些細な後押しだけです。
……こんな言葉だけで、ワタシの素直で些細な思っていることを伝えるだけで大きく美穂さんの中で何かが変わるなんて思い上がれませんが、それでも。
美穂さん、ワタシは貴女が後悔をしませんようにと、願っています。
「ええっ!? ささ、幸子ちゃんそんなぷぷぷろでゅーさーさんが惚れるなんてななななにを言ってるの!」
「慌てすぎですよ。ほら、プロデューサーさんの車が見えましたよ。そんな真っ赤な顔だと笑われちゃいますよ?」
「ううううっ、幸子ちゃんがさせたんでしょう……もう」
顔を真っ赤に染めて文句を言う美穂さんが、どうしようもなく可愛らしくて。
記念撮影。シャッター音に美穂さんが気付いて、やっぱり恥ずかしそうに、こんな表情撮らないでとじとりとした目で見てきます。
過去の“ボク”へ、これはプレゼントですよ。一応誕生日ですからね。
+05
ここが未来だったとしても、当然のように陽が昇り、そして沈んでいく。ボクにとってはどうしようもなく普通ではない特別な一日だったとしても、世界はいつものように変わらず動いているのですから、自分の存在が如何にちっぽけなものなのかを自覚させられてしまいます。
なんて、殊勝に思えるほどにボクは達観もしていなければ、自分を低く見積もっているわけでもありません。なんせボクは世界一カワイイ十四歳なんです。
……とは言えまあ、少なからずそういう気持ちを抱く気にもなる、というだけで。ある程度は心が身体に引っ張られているのかもしれません。
或いは、大きすぎる不可思議な経験によってボクの心境に多少なりとも変化をもたらしてしまったのか。飛鳥さんが言うところの、思春期の万能感に。
いや──でも、飛鳥さん曰く、そうはならないみたいですけれど。
詳しい事情は知りませんが、ボクはこの未来でも思春期のように突き走って行動をしているようなので、三つ子の魂は存外変わらないというものなのかもしれません。
…………そもそもボクは勢いで行動をするようなタイプではない、と思います。いえ、たぶん。きっと。おそらく。
カワイイボクにふさわしいカワイイ仕事だと言われると迷わず引き受けては何度もとんでもない目に合ってはきましたが、それでも違う……はずです。
となると未来のボクは一体何をしたのか。どんなことをしてそんな評価をされるようになったのか、正直に言えば気になります。飛鳥さんはそのあたりのことは教えてはくれませんでした。
未来のことはあまり知りすぎないほうがいい、そういうことらしいです。
見慣れないこじんまりとしたマンションに帰宅したボクは、階段の途中でたそがれるように天井を見上げた。無機質でざらざらなアスファルトの壁が黙ったままボクを見下ろしているだけです。
長く伸びた髪が頭を重たく後ろへと引っ張りバランスを崩しかける。その重たさは五年という月日の重さのようで。
時間の重みを物理的に感じられるように伸ばしているのかもしれないです。
もちろん未来のボクと十四歳であるこのボクは同一人物であると同時に、まるで別人のようなものでもあるので、自分のことだとしても何を考えているかなんて全然わかりませんけれど。
五年という月日がボク自身に何をもたらしたのか、ボクには知る余地もないことですが、しかし、とりあえずわかりきったひとつの事実だけがあります。
今からボクは、美穂さんと暮らす家に帰るということ──つまりそれは。
『おかえりなさい、幸子ちゃん。お風呂にする? それともご飯が先かな』
なんてやり取りも有り得るわけで。
……いや、それは冗談ですが。少し期待をしてはいますが、たぶんないです。
さて、くだらない妄想は終わりです。いいかげんにたそがれていないで頭を切り替えてアイドルらしく、演者らしく、ボクは未来の自分を演じましょう。
美穂さんにはいらない心配をかけないようにしないといけませんから。
「ただいま帰りました、美穂さん」
「おかえりなさい、幸子ちゃん」
…………それにしても、これはとても心地よいものですね。
帰宅後、ご飯が出来ているということはなく、お風呂という選択肢があったというわけでもなく、ボクと美穂さんは近くのスーパーに食材を買いに来ていました。
そう言えば出かける前に、早く帰宅できるなら買い物に一緒に行こうと言っていましたし、ボクの妄想はまったく的外れなものだったようです。
二人で食事の買い物、というシチュエーションはそれはそれで、お風呂かご飯かなんて選択肢に匹敵するシチュエーションであり、幸福でしかありませんが。
「幸子ちゃんは何が食べたい? リクエストあるかな。今日は幸子ちゃんのお誕生日だから、奮発しちゃうよ。なんでも好きなものを作っちゃうから」
力こぶを作る仕草をして、気合いを表す所作すら愛らしい美穂さんの言葉を聞いて、そういえば今日がボクの誕生日だったということを思い出しました。
朝には覚えていたはずなのに、こんなにも容易く忘れてしまうのですから、少しボケているボクもカワイイですね、というのはさすがに苦しいですか。
すっかり忘れていたのは、自分で思っていたよりも、この状況にいっぱいいっぱいだったということなのかもしれません。或いは、飛鳥さんとの会話が引っ掛かって頭を占めていたからなのか。
どちらにしても、ボクは自分で思っている以上に現状に対して余裕を持てていないということなんでしょう。いや、まあ、当然ですが。いくらカワイイボクでもさすがに未知の未来に余裕でいられるほどに図太くはできていません。
美穂さんが今朝、お買い物を一緒に行こうと言ったのは、つまりボクに好きなものを選ばせるためだったんでしょう。
「ステーキでも焼き肉でもすき焼きでも好きなものなんでもいいよ!」
「お肉への偏りが凄いですね!」
「えへへ、お肉たっぷり食べて元気になってもらいたいなって。なんだか幸子ちゃん、疲れてそうだったから」
微笑む美穂さんがまさに地上に舞い降りた天使のように見えます。いや、そもそも天使でした。大天使コヒナタミホエルと言えばこの穢れた世界に現れた唯一の光であり、崇拝すべき存在であることは疑いの余地もないことです。
さて、しかし。当然の周知の事実に対する再認識はともかくとして。
どうやら知らないうちに疲労の色が顔に出てしまっていたようです。美穂さんにはいらない心配をかけまいと思っていたのに、これではいけません。
「そうですね。今日は偶然飛鳥さんと出会ったんですが、相変わらず痛々しくてあの調子に合わせているうちに少し疲れたのかもしれませんね」
「へぇ、飛鳥ちゃんと会ったんだ。どんなお話をしたの?」
「大した話はしていませんよ。ボクは子供の頃とあまり変わっていないなんて、そんな失礼なことを言われただけです」
「あはは、確かに幸子ちゃんは昔とあんまり変わっていないかもね」
「はあ、美穂さんもそういうほどにボクって変わっていないんですか」
飛鳥さんだけではなく美穂さんにまで言われるとなると、五年経ってもボクはボクのままだったのでしょう。いえ、確かにボクは既に完璧ですし、世界一カワイイので、成長していなかったとしても特に問題があるわけではないですが。
変わらないといけないことと、変わらなくても良いこと。そういう微妙なものなんでしょうし、すべてをマイナスに捉える必要はないのでしょう。飛鳥さんだって良い意味でと言ってましたし。
なんてことをボクが思っていると、美穂さんはくすりと小さく微笑んでから、「でもね」、と言葉を繋げました。
「もちろん年相応に大人になったなって思う部分もあるけれどね。だけど、根っこの部分は昔の幸子ちゃんだよ」
美穂さんはお肉の赤身部分を見定めながら、そのまま当然のように、まるで日常で会話をするように──。
「意地っ張りで自信満々なところも、落ち込んでいる時にすぐに駆けつけて支えてくれる優しいところも、しっかりとしていて頼もしいところも、昔から何も変わっていないよ」
──カワイイボクですら思わず真っ赤になってしまいそうなほどに恥ずかしいことを、まっすぐに言いました。
褒められることには慣れているつもりでいましたし、むしろドンドン褒めて欲しいとするのがボクのキャラクターであることを自覚はしていますが、それでもこうしてまっすぐに純粋にそう言われると、どうしても気恥ずかしくなります。
まったく、これだから美穂さんは油断がならないんです。このカワイイボクが思わず魅了されてしまいそうになるほどに、美穂さんは天性の人たらしです。
……………まあ、だから、そうですね。
少なくとも五年経ったときに、美穂さんからまっすぐそう評してくれるような人間になれるようになろうと、思春期の万能感とやらを忘れないでいようと。
そんなことを思いました。
+06
ご飯も食べて、お風呂にも入り、あとは寝るだけの時間になりました。今日という一日が終わり、明日になればこの夢からは目が覚めていると飛鳥さんから伺っていますから、五年後の未来にいる時間も、残り僅かということです。
終わってしまえばあっという間の時間でした。何かをしたというわけでもなくて、だからボクは一体何のためにここへ来たのかもわからないままです。
そもそも、理由なんてものはなかったのかもしれません。たまたま、なんとなく、何らかの偶然が重なった。その程度の理由でしかないのかもしれません。
物事には必ずしも理由が必要だなんてことはないです。必然性なんてものも。たまたまの連続が人生とも言いますし。ボクが世界一カワイイのはもちろん世界が定めた究極の必然ではありますが。
寂しさを感じられるほどにも滞在時間はなく、慌ただしい突発イベントが過ぎては終わっていっただけのようです。
少しの目標を得た、それだけで十二分にイベントとしては収穫なのでしょう。
横並びにされた布団に寝転がって、目を開けて天井を見上げた。相変わらず見慣れない天井です。隣の布団では美穂さんが同じように寝転がっていて、川の字ならぬ二の字を縦にした状態だ。
どうにも寝慣れない布団と枕、環境でなかなか寝つくことが叶わず、ただ闇雲に暗い天井を見つめていると、ごそごそと寝返りを打つ音が聞こえてきました。
そっと身体を横に転がすと、隣の美穂さんが、こちらを見ていました。
「幸子ちゃん、寝つけないの?」
どうやら美穂さんにボクが寝つけていないことに気づかれたようでした。
一瞬、このまま寝た振りをして誤魔化そうとも思いましたが、しかしばっちり目を開けているところを見られてしまいましたし、変に誤魔化すほうがおかしいのでやめておきましょう。
「少し遅くまで起きて美穂さんの寝顔を見ようと思っていたんですよ」
「幸子ちゃん、変態さんっぽい……」
「変態ではないですね!」
「ふふふっ、幸子ちゃんはやっぱり面白いね」
あらぬ濡れ衣を着せられてしまいかけましたが、美穂さんがそれで楽しそうに笑っているのでこの際、よしとしましょう。美穂さんの尊い笑顔のためならば、ボクはいくらでも道化となります。
なんて、さすがにそれは冗談ですが。
他愛もない会話は友人、或いは……そうですね。姉妹のようであって。ボクはそんな、友人とも姉妹とも言えるような美穂さんとの時間が、好きなんです。
それはきっと、五年経っていてもまったく変わっていないんでしょう。
このボクが実家を離れてまで美穂さんと一緒に暮らすようになったことに対してどんな理由があったのかなんてわからないままですし、五年後の自分自身が何を考えているのかもわからないですが。
それでも、きっと、変わっていないと確信して言えることは、美穂さんと過ごす時間が大切で、好きだということ。
……なんてことを、本人に直接言えるほどにボクは成熟していませんけれど。
「さて、なんだか眠たくなってきましたから、寝ましょうか」
「ふふ、寝つけそうでよかった。おやすみなさい、幸子ちゃん」
「ええ──と、そうでした」
唐突なボクの言葉に、美穂さんがどうしたんだろう、と疑問符を浮かべます。
ひとつだけ。これは伝えておこうかなと思いました。とは言っても、わざわざ言葉にするようなことでもない、紀元前から変わらない当然の事実であり、五年経っていても変わることのない真実で、だから今さらこんなことはわざわざ伝えることでもないんですけれど。
まあ、未来観光の記念のようなものです。或いはそう、置き土産みたいなものでしょう。ちょっとした茶目っ気です。
「美穂さんは五年経ってもやっぱり相変わらず天使でしたね」
「へ? て、天使って──いや、というか五年経ってもって」
「なんでもないです、おやすみなさい」
すうすうと、わざとらしい寝息を立てて。
おやすみなさい。
エピローグ─十四歳─
「あ、あのっ、プロデューサーさん。もしよかったら……その、今日はお昼ご飯を一緒に食べませんか?」
なんて経緯があり美穂さんとプロデューサーさんが二人きりでご飯を食べに行ってしまったので(美穂さんは小包みを持っていたので、きっとお弁当を用意してきたんでしょう)ボクはひとり寂しくルームのソファーで親に用意してもらったお弁当を食べていました。
なんてことのない日常。いつもどおりのプロジェクトルームです。
──今朝、目が覚めたボクが見たのは見慣れたいつもの実家の天井でした。
今日は十一月二十六日、ボクの誕生日の翌日であり、何も変わったことのない普通の日。五年後の昨日から五年前の今日へと確かに時間を遡行していました。
夢から覚めたらただの現実とはよく言ったもので、信じられないような状況から帰って来たというのになんだかぽっかりとした物足りなさを覚えています。
我ながらまったく、現金なものです。
とは言え、やっぱりこの時代のほうが当然ですけれど落ち着きます。美穂さんをプロデューサーさんに取られてしまいましたが、そこは仕方がありません。
寂しくなんかありません。ええ、本当に。嘘じゃないです。本当ですから。
…………いや、まあ、嘘です。本音を言いますと少しだけ寂しいです。昨日は隣で寝ていたのに。いや、昨日一緒に寝ていたのは五年後の美穂さんですけれど。
だけど美穂さんのあの必死な様子と、プロデューサーさんと一緒にお昼を食べることになったときの笑顔を思い返すと、こちらまで自然とカワイク微笑んでしまっていたので、これで良いです。寂しさよりも喜びが勝っていますから。
「それにしても……これは」
ボクは自分の携帯端末の待ち受け画面を見ます。ロック画面を解除したその先に待ち受けていたのは、こちらに向かって手を伸ばしながら、真っ赤に頬を染めている美穂さん。
まったく、なんて良い仕事をするんでしょうかね未来のボクは!
エピローグ─十九歳─
「五年前に頼まれていた発明品がついにできたぞ!」
事務所の休憩所で優雅なお昼を過ごしていたワタシの元に、晶葉さんが唐突に押し掛けてきました。まるで便利なお話の導入のように勢いがいいのですが、はて五年前の件とはなんだったでしょう。
なんて、冗談です。知っています。
ワタシにとってはつい昨日のことですが、昨日とはつまり五年前でした。
……うん、昨日は五年前という響きはなんだか頭悪そうですね。頭が悪いというか、頭がおかしいというか。
晶葉さんがどや顔でこちらを見ているので、そろそろ返事をしましょう。
「さすがは天才科学者晶葉さん!」
「ふふん、そうだろそうだろ。もっと褒めてもいいんだぞ?」
「そうですね。ところで、結局どうだったんですか?」
冷たいな、と晶葉さんが愚痴る。それから、少しだけ考えてからうなずき。
「そうだな。おそらくは幸子が望んでいたようになっていたんじゃないか」
と、すべてを見透かしたように晶葉さんは言った。
詳しくは話していないというのに、何もかもをわかったようでいるのだからやはり池袋晶葉さんは間違いなく天才なのだろう。
「──ええ、よかったです」
五年前に残した少しの爪痕は、この五年後にはきっと何も残さず治っている。
だけど、爪痕が作った小さな痕跡から、きっと小さな希望が生まれているのだと──そう、信じられる。
おわり
みほさち派とこひさち派どっちが多いんだろう。
皆さん良いお年を。
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