篠宮可憐「いちばん言いたい恋心」 (13)
地の文系ssになります。ちいさな恋の足音を聞くとよりお楽しみいただけるかもしれません。
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「改めてお疲れ様。握手会は可憐にとって緊張することばっかりだったと思うけど、よく頑張ったな!」
「は、はい……。うまく、話せたときのほうが、め、珍しかったけど……それでも、ファンの皆さんに、喜んでもらえました……! えへへ……」
声をかけてもらえただけで、心臓がとくん、って跳ねた。それが私を褒めてくれる言葉だったから、胸の奥がぽかぽかとあたたかくなった。
そして、プロデューサーさんが嬉しそうに笑っていることに気づいて、顔がかあっと熱くなった。
帰り道を走る車は私とプロデューサーさんの、二人きりの空間。
プロデューサーさんのにおいと、沢山のアイドル……大切な仲間の残り香が車特有のにおいに混じって、とても安らげる場所だ。
だけど、私の頭の中を占めている気持ちは、それだけに収まってくれそうにない。
私は、プロデューサーさんが、好き。きっと、恋という意味で。
一緒にいて安心する人は、いつの間にかその心地よさをそのままに、一緒にいると落ち着かなくなってしまう人に変わっていた。
今だって、胸の鼓動はどきどきと音を感じられるくらいに大きくて、せわしないリズムを刻んでいる。
何かの拍子に目が合ってしまったらどうしよう。
そう思うだけで、ミラー越しでしかプロデューサーさんの姿を見ることができなくなってしまう。それくらい、私は臆病なんだ。
……臆病だから、私が抱いているこの気持ちをいけないことだって理解して、恐れてしまっている。
アイドルの恋愛はご法度。プロデューサーさんが私以上にそれを理解してるってことも、すぐに想像できる。
でも。でも、伝えたいって思ってしまう。
臆病な私が、私なりに握手会っていうお仕事に挑戦できたことも……ううん、アイドルなんて、私には眩しすぎる存在を目指そうと思えたことも、プロデューサーさんのおかげ。
そういう気持ちを、やけに意識してしまって仕方がない。
おっかなびっくりだったけど、沢山の人の手を握りながらお話をして。
普段とは比べ物にならないくらい近い距離を私の知らない誰かに許す行為は、すごく緊張したし、ちょっとだけ怖かった。
だけど、来てくれた人はみんな優しくて、熱意があって、触れた手からそれが伝わってくるみたいだった。
だから、なのかな。プロデューサーさんに感じている気持ちが浮き彫りにされるみたいに思えて、仕方がない。
交わす言葉も、身体が触れるようなつながりもないのに、今この場所はこんなに安心して、どきどきする。
そのくせただ隣に座っているだけの距離すらもどかしくて、もっと近づいても私は受け入れられるのに、なんて思ってしまう。
私たちがこの距離にいられるのは、プロデューサーとアイドルだからだって、わかってるくせに。
私の恋は、私とプロデューサーさんが築いてきた距離を否定してしまうものなんだ。
言い聞かせようとすると、胸の奥の方がズキズキと痛むみたいだった。だからって簡単には捨てられない、って、叫ぶように。
どきどきと頬の熱さ、一緒にいる安心感、そして、恋心とその周りを渦巻く不安。どれも私の中に確かにあって、頭の中はぐちゃぐちゃになってしまっている。
プロデューサーさんのことを考えるだけで、きゅっと胸が締め付けられて、全部の気持ちがより強まることだけははっきりしていた。
……それでもやっぱり、私は恋をしていたい。きっと今以上にそうしようって思える時は、どれだけ待っても来ないと思うから。
身体を揺らす振動と、ずっと響いていたかすかな機械の音が止まった。プロデューサーさんと私は揃ってシートベルトを外す。
「あ、あのっ。ぷ、プロデューサー、さん。その、お、お話が……」
「……うん? どうした、可憐?」
車を降りて、プロデューサーさんを呼び止めた。
劇場の駐車場……この場所を逃してしまったら、しばらく二人きりにはなれそうにない。
プロデューサーさんは振り返って、私のほうを見る。
ほんの少し視線が絡み合うだけで、自分が告白しようとしているんだって意識しちゃって、指先が震えた。
恋に恋する少女のように、あるいは愛おしさを歌うように。
この気持ちを余さず伝える方法を知っていればよかったけど、私にできそうなことと言えば、ただ言葉にすることくらい。
それだけでも、ひどく勇気が必要だった。
やめておこうかな、って思わずに済んだのは、今日、あなたが笑いかけてくれたからなんだよ。
私でもあなたと笑顔を分け合えるって思うだけで、自分にちょっと自信が持てて、もっと好きになってもらいたいって、思えるようになったから。
どうか、伝えさせてください。唐突でも、不器用でも、今、そうしたいんです。
「プロデューサーさん……わ、私、す、す…………」
「……っ、……? す……すっ…………!」
「……可憐?」
あれ、なんで、どうして。頭の中は、沸騰しそうなくらいの熱さに氷水をかけられたような混乱で支配されていた。
言葉に詰まってしまう私の悪い癖は、すぐには治ってくれそうにない。それくらいわかっていたけど、そうじゃなくて。
どんなに言葉にしたくっても、「好き」のひとことがカタチにならない。何かが引っ掛かってるみたいに声が出なくて、言葉を音として伝えられない。
勇気なら、ちゃんとあったはずなのに。伝えようって強く思っていたはずなのに。
プロデューサーさんの少し困惑した表情に、胸が握りつぶされちゃうんじゃないかってくらいの痛みに襲われて、さっきまでの気持ちがすぅっと消えていってしまうのを感じた。
ああ、せめて会話として成り立つようにごまかさなくちゃ。変な風になんて、思われたくない。
「す、涼しく……ううん、肌寒く、なってきましたね。もう、冬が近いんでしょうか」
「あっ、ごめんな、気が利かなくて。ほら、劇場は暖房ついてるだろうけど、上着、貸すよ」
「あ、えっ……? いえ、そんな……あ。その、あ、ありがとうございます……」
その場のごまかしだったから、続く言葉を考えてなくてあたふたとしてしまう。
流されるままに差し出された上着を受け取って、そうしなきゃ不自然な気がしたから羽織ってみた。
男の人の服だから、流石に私にはちょっと大きい。腰のあたりまですっぽりと覆われて、なんだかちょっと不格好だ。
駐車場から劇場までは五分もかからなかったけど、だからといってすぐに返してしまうのも変に思えたから、そのまましばらくの間借りてしまうことにした。
プロデューサーさんが帰ってしまう前にちゃんと返さなくちゃ……あれ、また話す口実ができてしまった。
劇場の控え室でぼうっと椅子に座っていると、羽織っている上着からプロデューサーさんのにおいを感じて、どきっとしてしまった。
包まれてるみたいで安心して、だからつい出来心で自分の身体を両腕で抱きしめてみた。
「~~~~っ……!」
本当に、プロデューサーさんに背中から……なんて、想像してしまって、もうだめだった。
どうしようもないくらい、私はプロデューサーさんのことが好きで、そういう言葉をうわごとのように繰り返してしまいそうになる。
事実、唇はもう何度もその形に動き続けていて、そんな自分に気づくだけで恥ずかしかった。
「……。……、……あ、れ…………?」
もういっそ、音にしてしまえば。そう思ったのに、どうしてか声が出ない。
さっきも感じた言葉がせき止められるような感覚は、プロデューサーさんを目の前にしているわけでもない今でさえ、消えてくれなかった。
ただ、好きと呟くことすらできないなんて。もどかしく私の内側で滞り続ける感情が少し苦しい。
伝えたい気持ちと伝えられない現実が、ゆっくりと、でも確かに不安を募らせていた。
*
劇場で定期的に行われる公演、次回のメンバーに私は選ばれていた。
五人くらいでそれぞれのソロ曲と、みんなで歌う曲を一曲ずつ披露して、その間をMCで繋ぐ比較的小さな公演だ。
ユニットとしての繋がりにとらわれない公演は、どちらかというと参加するメンバーの誰か一人に興味のある人、あるいは固定ファンになってくれている人がよく観に来てくれる。
だから、レッスンもトレーナーさんと一対一のものが中心になっていた。
プロデューサーさんに告白できなかった日から何日か過ぎた今日は、そんな個人レッスンの一回目だった。
もしかしたら、一人きりだったから私は泣いてしまったのかもしれない。
「いちばん、いいたいことが……じょうずに、いえ、ないの、どうして……♪」
優しいピアノに支えられながら紡いでいく旋律が、不意に私の胸をついた。
心の中を占めるいちばんの気持ちを言葉にできなくなってしまっている今の私に、その歌はぴたりと重なるみたいで。
歌い続けるほど、今までこんなに切実に感じたことがないってくらい歌詞が心に入ってきて、せつなげなメロディが、目元をじんと滲ませてきた。
「ひとりじゃきっとこんなっ、きもちも、しら、ないで……っ、うぅ……ぐす、ふぇ……」
「篠宮さん……? どうしたの、大丈夫? 篠宮さんっ?」
歌い続けることができなくて、嗚咽を漏らしてしまう。我慢することができなかった。
押さえつけられた感情がコントロールできないまま溢れ出てしまうみたいだった。きっと、こんな気持ちで歌う歌じゃないってわかっているはずなのに。
急に泣き出してしまったから、トレーナーさんだって困らせてしまっている。どうにか気持ちを落ち着けようとしても、全然うまくいかなかった。
結局、その日は何度歌おうとしても、途中で抑えきれなくなって泣いてしまった。私だけの曲を、私は歌えなくなっていた。
「はぁ……今日はだめだめだったなぁ…………」
その日の夜、お風呂に入りながら反省会。
すこしぬるめのお湯とバスオイルに混ぜたアロマの香りに包まれながら、自己嫌悪を解きほぐしていくように。
最近、うまくいかないこと。アイドルと恋。どっちも大切にしようとするのは、あんまりよくないふたつのもの。
どうして今日は、歌おうとしたら泣いてしまったんだろう。歌いたくないと思ったことなんてないのに、歌い続けていられなかった。
それは、レッスンだったから? 今なら、歌える?
おずおずと、前奏を口ずさんでみた。お風呂場に声が反響して、普段よりずっと聞き取りやすく響き渡る自分の声が心地いい。
ちょっとだけ気をよくして、少し大きな声で歌い始める。
「きょうは、あなたとわらいあえて……じぶんがちょっとすきになーれたよー……♪」
Bメロのはじめに、ついこの間見たプロデューサーさんの笑顔が重なった。
私を褒めてくれる、勇気をくれる、大好きな……。思い返すだけで、幸せで、せつない気持ちを胸に抱かせてくれる素敵な表情。
気づいたら、目元がうるんでいた。目の前がぼやけて、まばたきするとほっぺたをつう、と小さなしずくがなぞる。
歌うだけじゃ足りなかった私の気持ちがかわりに流れ出るみたいな、そんな涙だなって、おとぎ話みたいなことを考えてしまった。
「なにが……できるだ、ろ、なんでもでき、る、って……ぐすっ……しんじて、みるの……わた、し」
やっぱり涙は止めようがなくて、胸の奥を締め付ける感情は痛いくらいで、ワンコーラスも歌いきれない。
私の曲は、思っていた以上に私自身になってしまっていて。
……だから、今いちばん言いたい気持ちが伝えられないみたいに、この歌も歌いきれないのかな。
すき。好き。好きなんです、プロデューサーさん……。言葉にできなくなってから、いっそう膨れ上がっていくみたいみたいだった。
今はせめて唇だけでも形をなぞって、心の中で繰り返していたい。もどかしいけど、それだけで心が浮き上がるから。
ゆっくりとプロデューサーさんとの思い出を反芻しながら、きっといつの日かやってくる時のために、胸の奥で育てていたいんだ。
いつか、この恋が。この歌をちゃんと歌いきれたら、今度こそ私の気持ちをあの人に伝えられるかな。
「…………あぅ。のぼせ、ちゃった……?」
体感時間では、そんなに時間がたっていたとも思えないけど、身体はすっかり火照っていた。
ぽかぽかと、あるいはじんじんと全身が熱をもってしまっている。
湯船から出て、足元も思考もおぼつかない中で、頑張ろうとだけぼんやりと考えていた。
*
「ぷ、プロデューサーさん……その、お話があるって、伺ったのですが……」
「ああ、可憐。よく来てくれたな。その件なんだけど……」
劇場の事務室でパソコンとにらめっこをしているところを話しかけた。
顔を上げたプロデューサーさんは明るい話題を持ち出そうとしている表情には見えなくて、ちょっとだけ怖くなる。
プロデューサーさんと話せるっていうだけで浮かれてしまいそうになっていた私は、もうここにはいないみたいだ。
「最近、レッスンの調子はどうだ? トレーナーさんから話は聞いてるけど、可憐からも直接聞いておきたくてさ」
「え、っと……順調、では、ないと思います。全体曲は問題ないし、だ、ダンスもだいたい頭に入ってきましたけど……ちいさな恋の足音、が」
予想通りの話題。公演の趣旨を考えるなら、ソロがうまくいっていないことがすごく大きな問題だってことは、なんとなくわかる。
私の言葉を注意深く聞いている様子のプロデューサーさんに、嬉しいような、やっぱり怖いような、そんな気持ちが積もっていくのを感じた。
「やっぱり、歌えないのか?」
このままだといやな方へ話が進んでしまいそうで、返事をためらった。だけど、プロデューサーさんには嘘をつきたくないから、ゆっくりと頷く。
「……そうか」
「で、でも……ちょっとずつ、歌い続けられるように、なってきてて……この前は、ちゃんとワンコーラス歌いきれたんです」
「可憐……無理、してないか?」
今度は、すぐに首を横に振った。
無理なんて、していない。無理なんてしているはずがないのに、それでも心配されてしまう。重荷になってしまっているみたいで苦しかった。
歌うたびに泣いているという事実は、きっと私がそれだけ傷ついているように見せているのだろう。
うまく返す言葉を見つけられずにいる私に、プロデューサーさんは言葉を続ける。それは、致命的な一言だった。
「そんなに焦らなくたっていいんだ。何なら、今回の公演は休んだって」
「それは、嫌ですっ……!」
気づいたら、私は言葉を遮ってしまっていた。
いつもは絶対にしない……というより、できない行為のせいか、辺りはしんと静まり返って、空気は少しずつ重たくなっていく。
普段なら自分のしでかした事を受け止められずに、おろおろとしていたかもしれない。でも今は、それ以上に私の意志をしっかりと伝えなきゃいけないって思うから。
「た、確かに、歌うたびに泣いちゃって、うまく歌えなくって、つらいって思うこともあります。もう、二度と歌えないんじゃないかって、不安になることもあります。でも……」
声が震えても、喉がからからになったように感じられても、それくらい言葉にできるようにならないと。
だって、言わなきゃ伝わらないんだ。
私はプロデューサーさんに手を引いてもらうだけの女の子でいたくなんてないって。
「歌いたくないって、もういやだって思ったことは、一度もありません……!」
「わ、私、必ず歌えるようになります。アイドルとして、プロデューサーさんに支えてもらってステージに立ってるんだ、って……誇れる私になりたいんです!」
アイドルでいたい。プロデューサーさんと並んで歩ける、アイドルでいたい。歌うことで、輝くことで、プロデューサーさんだって照らしたい。
貰うばかりじゃなくて、私からも届けられるようになって、笑いかけてほしいから。
プロデューサーさんに相応しい自分を、信じられるようになりたいから。
「頑張っていたいんです。頑張っちゃ、だめ……ですか……?」
「わかった。……信じるよ、可憐のこと」
その一言だけで、こわばっていた身体がほどけた。
それといっしょに心臓は今更ばくばくと大きく脈打つし、背筋のあたりがぞくぞくと喜んでいるような感覚に襲われるし、急に落ち着かなくなってしまう。
勢いで何を言ってるんだろう、しかも上目遣いで!
遅れてきた恥ずかしさと、それを受け入れてもらえた嬉しさがそのまま居心地の悪さに変換されて。
「あ、ありがとうございます。その、わ、私……頑張りますから、その……失礼しますっ…………!」
今度は必要なことだけ言って、大慌てで踵を返した。呼び止められたような気もしたけど、立ち止まる余裕なんてあるはずもない。
これ以上話を続けていたら、それこそ余計なことを言ってしまいそうで、ちょっとだけ怖かった。
急ぎ足を少しずつ緩めて、深呼吸してみる。まだまだ貰ってばかりだけど、信じるって言ってくれたから。
まずは応えて、返していこう。いつか、私からあげられるように。
*
公演へ向けたレッスンが二週間くらい続いて、あっという間に当日がやってきた。本当にぎりぎりだったけど、私は泣かずに最後まで歌いきれるようになった。
公演は順調そのものだった。私はソロ曲披露のトリを務めることになって、みんなのパフォーマンスを舞台裏で見ながら、少しずつ気力が高まっていくのを感じていた。
明るく盛り上げることはできないけど、MCでも繋ぎを支えたり、言葉選びをサポートしたり、私にできそうなことを見つけては挑戦してみた。
そうして私が歌う直前、照明が落ちる。
みんな、舞台からはける途中で肩や背中をたたいたり手を握ったり、あるいは小さく声をかけてくれたり、それぞれに私を激励してくれた。
レッスン中の私の姿は、劇場のみんなが知っていた。
明転……少しだけまぶしくも感じるライトを浴びて、ピアノのイントロを聞き取りながらゆるやかに踊り始める。
もう、何度聞いただろう。私だけの、大切なこの曲を。
どうしてか、いちばん言いたいことが上手に言えない私は、せめて歌うことでひとつでも伝えてみようと思う。
フレーズのひとつひとつをなぞるたびに胸はちくりと痛むけど、それさえも届けたい気持ちを彩ってくれるから。
溢れ出る気持ちは、押さえつけるんじゃなくて、涙になる分が残らないくらい、余すことなく歌にする。
もどかしくて、せつなくて、時に苦しく、時に嬉しく。私だけのちいさな恋を全部ぜんぶメロディに乗せて……それが、私が見つけた泣かない方法だった。
いつか、この恋が。しあわせな世界へ踏み出すその前に。
心から歌えるようになりました。
何でもできる、とはいかないけど、ただ臆病なだけの私からは、すこしずつ変わっていけてるのかな。
それもあなたが見つけてくれたおかげです。あなたがアイドルにしてくれたおかげです。
これからも、あなたに支えてもらいながら、ちょっとでもお返しができるように頑張ります。
たくさんの言葉を浮かべながら、私は歌っていた。涙は一筋だってこぼれない。
歌うことに夢中だった。歓声でやっと我に返る、なんてちょっと格好がつかない終わり方だけど、きっと期待には応えられたって信じてみる。
次はちゃんとファンのみんなの顔を見て、覚えていられるようにならなくちゃ。
……次はこうしよう、って考えられることも、成長なのかな。そう思うと、少しうれしかった。
公演は無事に終わって、舞台裏で衣装のままぼうっと佇んでいる。
みんなには先に着替えに戻ってもらった。そうすれば、きっと一人きりの私を、あの人が見つけてくれるから。
「好き。……! す、き……? ……うん」
ずっと言えなかった言葉は、あっさりとこぼれ出た。まるでそれが当然であるかのように……事実、言えないことの方が不思議だったのだけど。
口に出せたことへの感動は、どうしてか思ったより味気なかった。
「可憐、まだここにいたのか」
後ろから声が届く。それだけで落ち着いて、安らいでしまう声。私は自然と振り返っていた。
「プロデューサーさん……私、ちゃんと歌えました。……どう、でしたか?」
「今までで一番だった! 通しで歌えるようになってから殆ど時間を取れなかったのに、可憐はすごいな!」
「……そ、そう、ですか。よかったぁ……!」
ほっと息をつく。プロデューサーさんが嬉しそうに笑ってくれるから、私もゆるやかに笑顔を返した。
…………あれ。
「プロデューサーさん、その、えっと……。あれ……?」
私は、プロデューサーさんと二人だけの時間を作って、やろうとしていたことがあったはずなのに。
ほっぺたを、つう、となにかが伝った。
「……っ。ぁ……っ、ぇう、うぁ…………?」
「か、可憐!? 急に泣き出して、どうしたんだ!?」
どうして、私の心臓はこんなにも穏やかに脈打っているんだろう。
どうして、私はこんなにもまっすぐプロデューサーさんと笑いあっていられるんだろう。
どうして、私はプロデューサーさんにかける言葉を迷わなかったんだろう。
……どうして、私の身体は、熱を帯びてくれないんだろう。
考えれば考えるほど答えがはっきりしてしまいそうで、これ以上考えちゃダメだって確信する。
だけど、身体はとっくにわかってるんだ。だってこんなに胸が痛くて、涙を流しているんだから。
恋とよく似た切なさが作る痛みの正体なんて、きっと一つくらいしかない。
私の恋はもう、どこかへ踏み出して、行ってしまったのだ。私はそれを失くしてしまったのだ。
何よりも言いたいことだったはずなのに、いつまでも伝えられずにいたから。
あんなにも大きくて、大切だったはずの好きが、もう思い出にしか残っていない。実感なんてどこにもないのだ。だって、何も始まらないまま終わってしまった。
私は恋を歌うことで、恋に整理をつけてしまった。
恋と、プロデューサーさんと歩む道。選べなくて、整理できない気持ちが涙になっていたのなら、ちゃんと歌えたのは、つまりそういうことで。
私は自覚しないままに、その気持ちを過去にしてしまっていた。好きだ、って。ずっと、すごく、すごく伝えたかったはずなのに。
「ちが、ちがうん、ですっ、プロデューサーさん……! ぐす、しんぱい、いりません……から……」
「いや、そんなこと言ったって……」
プロデューサーさんは優しいけれど、気が利くようでちょっとだけ気が利かないから。掛け値なしに私を心配してしまうんだ。
……それがどんなにひどいことかなんて、知りようがないってわかってるけど。
…………やっぱり、おしまいにしなきゃ。形になることすらできなかったちいさな恋を、失恋にするためにはじめよう。
恋を失くして泣いているこの気持ちすら、思い出になってしまったら……本当に、恋なんてなかったことになっちゃいそうで。
そんなのいやだって思えるうちに、早く。はやく。
涙をぬぐって、私を支えようと歩み寄ってくれていたプロデューサーさんから、大きく距離を取った。
身体の半分は舞台に入ってしまっている。そのまま、もう一歩。一つだってライトが点いていない舞台の上から、プロデューサーさんへ。
にじむ視界を振り切るみたいに、目元をほころばせて瞼を閉じる。
……だって、プロデューサーさんの隣に立つアイドルには、笑顔を浮かべていてほしいから。
「プロデューサーさん……私は、あなたが大好きでした」
いつか、この恋は私に勇気だけを残してどこかへ行ってしまいました。
だから、アイドルとしてで十分です。ずっとあなたの傍で頑張らせてください。
*
「なあなあ、この前の765プロLIVE劇場の公演、最高だったな!」
「それな……! 今回は可憐ちゃんが神だったわ……。なんか、今までと全然違った。やばかった……」
「語彙力! いやでもわかるわ。正直、ちょっとファンになりそうだし……なんつーの? 雰囲気変わったような気がするんだよね」
「そう! そうなんだよ……心境の変化でもあったんじゃないかって俺は思うんだけど」
「心境の変化かー……んー、なんかさ。アイドル的にはあんまり考えたくないんだけど」
「恋……それも失恋とか、そういう感じの変わり方じゃね? あの感じ」
「いやいや……流石に考えすぎじゃないか? あの可憐ちゃんだぞ?」
「そかね。ま、それもそうか。何にせよ、次の可憐ちゃんが出る公演も絶対チケ取ろうぜ」
「当然だろ。次も絶対良い歌聞かせてくれるだろうし、今から楽しみだな!」
おしまい
以上、ここまでお読みいただきありがとうございました。少しでもお楽しみいただけていれば幸いです。
過去作:『松田亜利沙「大好きを繋ぐレスポンス」』『北上麗花「寂しがり屋のLacrima」』『周防桃子「Brand New Start Line!」』など。
よろしければ、こちらもお願いいたします。
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