「こんにちは!」
キノが声をかけても、入国審査官の男は椅子に座ったまま本を読みふけっていた。
「あのー、すみません!」
「おっちゃん! 職務放棄だよ! そんなんだとキノがおっちゃんを撃ち殺して不法入国して大暴れしちゃうよー」
エルメスが声を上げ、入国審査官はようやく顔を上げた。
「いやぁ、すみませんねぇ。我が国に入国される方は一か月ぶりなもので、つい油断しちゃってました」
男は読みかけのページに指を挟んだまま受付までやってくる。『アニアの冒険』というタイトルだった。
「いえ、こちらこそ読書の邪魔をしてしまったみたいで申し訳ありません。ボクはキノで、こっちは相棒のエルメス。給養と観光で3日間の入国を希望します」
「はいはい、承りました。パースエイダー(注・パースエイダーは銃器)の保有は認められていますので、そのままお持ちいただいて結構ですよ。では我が国の滞在をお楽しみください」
審査官は書類にちょこちょこと記入しただけで城門を開けると、すぐに読書に戻ってしまった。
「……行こうか、エルメス」
「相当読書に夢中になってるみたいだねぇ。これがお師匠さんだったら国が大変なことになっちゃうのに。普段外敵ってやつだよ」
「油断大敵?」
「そうそれ」
「まあ、師匠なら……」
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しばらく走ると、この国で一番大きな街に出た。そして街の中には、
『アニアの冒険シリーズ最新刊入荷』
『映画アニアの冒険、真昼の夜の夢―絶賛公開中』
『舞台アニアの冒険、残り席あとわずか』
『アニアの冒険 アニメ第5期放送決定』
『アニアの冒険』という作品にまつわる看板や垂れ幕が数多く掲げられていた。
「すごいね、キノ! この国の人は『アニアの冒険』ってお話が大好きみたいだよ! 入国の時のおっちゃんが読んでたのもこのシリーズだったし」
「だろうね、エルメス。相当に熱狂してるみたいだ。特に、この舞台なんか大人気みたいだね」
「おっと旅人さん、それは聞き捨てならないな」
近くにいた男が唐突に話しかけてきた。
「あれ? もしかしておにーさんは『アニアの冒険』読んでないの?」
エルメスが尋ねると、男はため息交じりに答えた。
「アニメ第一期以外の『アニアの冒険』は『アニアの冒険』とは認められねえよ。あんなのは名前が同じだけの別もんだ。今回の舞台なんか特にな」
「は?」
「は?」
キノとエルメスの困惑をよそに、男は話し続ける。
「『アニアの冒険』シリーズは確かに大人気で、何度もアニメやドラマ、映画に舞台、漫画になってる。だがな、俺に言われればそんなのは『アニアの冒険』人気に乗っかっただけの粗悪品なのさ。シリーズが爆発的にヒットするきっかけになったアニメ一期が最高ってわけよ」
すると、そばを通った若い女が立ち止まった。
「ちょっと聞き捨てならないわね、あなた」
「お、青コーナー参戦」
「エルメス」
エルメスが小さくつぶやいて、キノがタンクを軽くたたいた。
女はキノのことなど全く無視して男に食い掛かる。
「アニアの冒険のアニメ第一期はキャラクターデザインが全くなってなかったし、なにより原作小説を無視した展開が多すぎよ! それこそ『アニアの冒険』の名を借りた偽物ね! 最高なのはアニメ第二期じゃないかしら?」
「少し待ってもらえるかな? お嬢さんや」
少し離れたところで休憩をしていた老人がつかつかと近寄っていった。
「アニメはどれもテンポばかりを気にして、肝心の登場人物の心情が全く無視されておった。それに引き換え、ラジオドラマ第一作は人間の心の揺れ動きを現して追って我が国のドラマ史に残る傑作じゃったぞ?」
「おじいさん、それはおかしいのでは?」
別の男が口をはさんできた。
「ラジオドラマは役が全く合ってなかったではないですか。声も別ものですし。ありゃないですよ! やはり実写映画第二作こそが最高ですね」
「何言ってんのよ! あんなのこそ『アニアの冒険』最大の恥じゃない! それを言うならアニメ版の映画第3作こそが『アニアの冒険』の最高傑作よ!」
「キャスト総入れ替えのあれがか? 今までの『アニアの冒険』のイメージに全く合ってなかったぜ!」
「やはり原作小説こそが最高じゃ。特に『大陸編』こそ最も」
「ええ!? あれはだらだら引き延ばしが続いたシリーズきっての駄作じゃないですか!」
「なにをいう! 『アニアの冒険』最大の謎か解明された場面じゃぞ!」
「そうよ! 伏線もきれいに回収されてたわ! でも戦闘シーンはいまいち」
「何言ってんだ! 戦闘シーンこそ『大陸編』最大の目玉じゃねえか!」
いつの間にか、周囲に人だかりができていた。
「キノ、どうする? 参加してみたら?」
エルメスは少し楽しそうに言い、
「……いや、いい。それより今日はホテルに帰って寝よう」
キノはエルメスを押してそっとその場を抜け出した。
3日の滞在を終えたキノは、旅荷物をそろえて昼前に出国した。
「実はね、エルメス」
「どうしたのさ、キノ」
「あの国に滞在している間、『アニアの冒険』を読んでみたんだ。シリーズの最初の話だけ。一冊で完結していたからね」
「へぇ、キノが読書だなんて珍しい。いつ買ったの?」
「買ってない。ホテルの部屋に備え付けられてた」
「びんぼーしょー。で、どうだった?」
「すごく面白かった。思わず買ってしまおうかって思ったぐらいにね」
「へー。キノがそう言うってことはすごく面白かったんだろうねぇ」
「ああ。あの国の人たちが熱狂するのもわかるよ。ただね、少しわからないことがあって」
「なにが?」
「『アニアの冒険』の作者さんはとても熱心な人で、アニメやドラマ、漫画や映画といった関連著作にもしっかり関わってるらしい」
「大変だろうねぇ。すっごい数あるんだから」
「つまりアニメも映画も、みな作者がかかわった『本物のアニアの冒険』なわけなのに、あの国の人たちは『こっちが本物』だとか、『これは駄作だー』とか言いあってた。作者さんとしてはどうなのかなって」
「じゃあ聞いてみたら?」
「それができれば苦労はない。それに、そこまで気になってるわけじゃないしね」
しばらく走っていると、道沿いに一台の大型モトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が止まっていた。
その傍で、ライフル・パースエイダーを構えて目立つ蛍光色のジャケットを着た壮年の男が手を振っていた。
「やぁ、旅人さん。この先の国から出国してきたのかい?」
「はい。あなたも旅を?」
「いや、僕はあの国の住人でね。狩猟が趣味だからこうやって時々国外に来ているんだ」
キノはエルメスを止めると、ゴーグルを上げた。そして小さく声を上げた。
「あ」
「どうかしたかい? 旅人さん」
「……あなた、あの国で『アニアの冒険』という小説を書いた」
「ああ! 読んでくれたんだね! そうさ、僕があの本の作者だよ」
男は嬉しそうに笑った。
「すごいねキノ! 話題の人にこんなところで出会うなんて! ウナギを釣れば雨ってやつ?」
「……噂をすれば影?」
「そうそれ! そうだキノ! せっかくだからさっきのあれ、聞いちゃいなよ!」
キノは一瞬考え込んだが、すぐに首を横に振った。
「……いや、別にいいよ」
「もったいない。タンスを銅にふっちゃなんて」
「チャンスを棒に振る? 今日は嫌にペースが速くないかい、エルメス?」
「そうそれ。……そう?」
「ははは。面白いモトラドさんだね」
男はキノとエルメスのやり取りを見て笑った。
「ありがと。ところでおっちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
「モトラドさんからの質問か。答えられるかどうか不安だな?」
どこかわくわくしたような男に、エルメスは聞いた。
「おっちゃんの小説、いろんな人に好き勝手批評されてたけど作者としてはどうなの?」
「ああ。『〇〇編』は『アニアの冒険』らしくない。とか、アニメ第何期の声優さんはイメージと違う、とかだろう?」
「お、せいかーい」
男はにやりと笑った。
「まあ、そんなところだとは思ったよ」
キノはエルメスのスタンドを上げて、男を見た。
「あなたはそれをどう思っているんですか?」
「読者たちが作者の僕を差し置いて勝手な『アニアの冒険』像を作り上げていることかい?」
「ええ、まあ」
「そうだね、作者としてひとこと言わせてもらうなら……」
男は一度言葉を切って、そして言った。
「どうでもいい、かな?」
「はぁ……」
「よくわからないって顔だね、旅人さん」
男は子供に教える教師のように言う。
「答え、教えてもらってもよろしいですか?」
「いいよ、旅人さん」
そして男は続ける。
「つまり……、誰がどんな『アニアの冒険』を思い描いたって、それは読者の自由だ。僕が好き勝手言えるものじゃないのさ」
「作者なのに?」
エルメスが尋ねると、男はうなずく。
「たかが作者だからね」
「はて?」
「僕はあくまで、『僕』の持っていた『アニアの冒険』という物語を文章にしただけ、という事だよ。それを読んだ人が感じる『アニアの冒険』とは全く別物だ。それは当たり前のことなんだよ」
「なるほど……」
キノは頷いた。男はそれを見て、また満足そうにほほ笑む。
「旅人さんに旅の話を聞いて、ある人は『かっこいい』と言うかもしれないし、またある人は『ひどい』って言うかもしれない。でもそれは旅人さんには関係ない話だろう? それと同じなんだ、作家も。むしろ僕の作品でみんながみんなの想像をしてくれる方が、よっぽど作家冥利に尽きるって話だよ」
「おっちゃんの書いた話なのに『これはおっちゃんらしくない!』とか言われても?」
エルメスが茶化すように言う。すると男もまた茶化すように返した。
「その時はこういうさ。『お口に合わなかったようで残念です。ではまた今度』ってね。なんたって、僕の書いた『アニアの冒険』は僕だけのものなんだから。君は読んだ『アニアの冒険』が君だけのようにね」
以上です。お付き合いありがとうございました!
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