鷺沢文香の元いた古書堂の常連の話 (17)

彼女はいつも、古書堂の奥で、静かに本を読んでいた。
本に囲まれて、橙色の暖かいライトに照らされながら、分厚い本の印字が詰まった薄い一ページを捲る。
心配するくらいに無愛想で、それでも許される程に美しいその子は、明確に自分の世界を作り上げていた。
僕にはその中に入っていく勇気は無かったし、多分それは正しかったんだと思う。
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僕は彼女の名前を知らない。
?
眺めるだけの好きの形でも、いいじゃないか。


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文章を読むのが好きなわけではない、本という媒体が好きなだけだった。
その本が、古ぼけていれば古ぼけているほどよかった。前の持ち主の痕跡が見える程度に「使い込まれて」いれば尚よい。
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なんか変な?マーク付いてますね、申し訳無いんですが抜かして読んでください、ごめんなさい。

ただ汚い本を探すのなら、チェーンの古本屋に行けば良い。ただそれじゃあダメなのだ。
そうやって好みの本を探すうちに、あの古書堂に辿り着いた。まさか同じ街にあるなんて、思ってもなかった。
「いらっしゃいませ」の一言もない店、なぜ潰れないのかもわからないような、そんな店に彼女は居たんだ。
?

ホコリとインクと煤けた本の独特の匂いが漂っていた。壁のように積み上げられた本はバラバラのようで理路整然としていて。ズボラなどではなく「成る可くしてこうして置かれた」ことを表していた。
一つ一つの本がしっかりとしていて、店の雰囲気も素晴らしくて、何もかも理想的だった。
僕がこの店に通い始めたのは、言うまでもない。

最初は、綺麗な人だな、としか思わなかった。
いらっしゃいませ、ありがとうございました、は勿論のこと、値段すら言わない、いや、正確には言ってはいるけど声が小さいのだ。店内が静まり返っているから聞こえはするけども、1mも離れれば殆ど聞こえないほどに。
店にまだ慣れないうちは、その愛想の無さに困惑したけれど、慣れればそれがこの場所じゃあ正しいことに気づく。それでも彼女の印象は「綺麗」で止まっていたけれど。

認識が変わる日は突然訪れるものである。

店にも慣れてきた、よく晴れた日、恐らくは換気の為にレジ横の窓が空いていた、彼女は、いつも通りに本を読んでいた。
不意に、風が吹いて、カーテンが靡いた。

たなびくカーテンの隙間から差し込む光が、全ての始まりのように思えた。
ふわりと流れる黒い髪が、割れそうな程に白い肌が、何もかもが輝いて見えて。誇張でもなんでもなく、素直に女神の存在を信じるほどに美しかった。

その日から、彼女が本を読み終えるのを待つことにした。
この店の隅には、椅子と机があった。買った本、ないし買うか迷っている本を読むスペースだと勝手に解釈し、そこで本を読んで待つことにした。
何より、この位置ならば彼女が良く見えるのだ。気持ち悪いなんて言わないで欲しいが、僕は彼女に触れるなんておごましいと、本気で思っていたのだ。

待つと言っても、精々2時間程度で彼女は1度顔を上げる、そのタイミングで会計を済ませて店を出る。
暇な学生身分がここで役立つとは思わなかった。稀に数時間待つことになるが。僕以外の客はまったく来ないので安心して待つことが出来た。
また、時間帯によってはお爺さんが店番をしているが、その時は本来の目的を果たせばいいだけなので問題は無かった。

店の隅で本を読むのは、本当にいい時間だった。同じ空間で本を読んでいる、そう思うとそれだけでも、とても嬉しくなった
まったくの気のせいではあるのだろうけど、少しだけ近づけた気分になれたんだ。

そうやって日々を過ごしていくなか、1度だけ会話があった。
いつも通りに顔を上げる瞬間を見て、会計へ進む、本を受け取って、僕の顔を見た。
「もしかして……待っててくれたのですか…?
? ? もしそうなら、ごめんなさい。」
そう言って、また視点を下に向けた。
僕はと言えば唐突な彼女の声に心臓が止まりかけて、顔は真っ赤になっていたと思う、よくは無いのだろうけど、下を向いてくれて助かった。
ドキドキしながら、咄嗟に言い訳をする。
「この本を買おうか、凄く悩んでいただけですよ。」
ぶっきらぼうに聞こえてしまうかもしれないと、優しいように言ったつもりではある、それがよかったのかは分からないけれど、聞いた彼女は少しだけ柔らかい表情で
「それなら、よかったです。この本、おもしろいですよ。」
この本は宝物にしようと決めた。

それ以降、会計の時の表情が少しだけ柔らかくなった。会話はないけれど、柔らかい表情になった彼女はよりいっそう美しかった。

ただ、終わりも突然訪れるのである。

少しずつ、少しずつ、変わらないまま、彼女は進んでいった。
僕はそれに気付かず、阿呆のように止まっていた。
見ている人と、見られる人は、知らずのうちにスケールが大きくなっていたのだ。

ある日を境に、彼女が店番に出なくなった。
来る日も来る日も来ないので、お爺さんにそれとなく尋ねたいが、何故か聞くのが怖かった。
聞くことで、何かが終わってしまう気がしたのだ。
今思うと、早いか遅いかの違いでしかなかったのに。

街のテレビで彼女を見た。
前髪を上げて、見たことのない笑顔で歌っている彼女がいた。
相も変わらず美しくて、眩しくて。
そこで初めて彼女の名前を知った。

鷺沢文香、僕が、僕だけが「見ていた」人は
今、アイドルをしている。
アイドルとしてたくさんの人に「見られて」いる眺めるだけの好きの形は、多分、これからも。

短いですが終わりです。ありがとうございました。
ふみふみのキャラ違くね?っていうのがあったらごめんなさい。

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