城ヶ崎莉嘉「Only this “P” is one for me!」 (24)


最近なんか、チョーシ悪いかも。
右と左がひっくり返って映るおっきな鏡の向こう側で、こっちを睨むその目を見ながらなんだかアタシはそう思う。

フキゲンそうな鏡のその子にイーーって歯を出して、おさらいでとんとん床を踏んでから、もっかいアタシは機材のとこ行って、サビのちょっと前からの音源を自分で流す。
ボーカル無しのその音に、息まじりの小声で歌いながら体を動かすと、足元できゅっ、きゅって、一人きりのレッスンルームに音が響く。
ちょっとずつ曲が盛り上がって、それに合わせて床からきゅむきゅむ音が鳴ると、だんだん頭がまっ白くなっていく。
この感じ、アタシ大好き。
打ち込みのドラムのリズムが速まって、変拍子はさんで、それでいよいよサビに入ってうんと高く跳び上がると、
黄色のサイリウムが目の前いっぱいにうねるのが見えるみたいでワーっ!ってなった。
わおー、今度はなんだかイイ感じ。このまま行けそう!
サビの終わりに近づいて、きゅきゅ、きゅでシューズ鳴らしてターンして、
最後にダダダン、ムズいステップ踏んでからのーー、ピタっ!
やったーバッチリぃ☆

……ってなるとこで、体が流れてよけいな足踏み。

「まーた同じとこぉ……」

あーもーこれ、何度目だろ。
何回やってもここんとこが、カッコよくビシッと止まって決まらない。
肩をがっくり落としながら、とぼとぼ歩いて次のAメロ流し始めてる音を途中で止めた。

んーー、ダメっ。
うまく行かないっ。
もうチョーシ悪い、決定っ。

八つ当たりっぽくふとももをばしばし叩いて、イスに置いてたバッグの横のペットボトルを持ち上げると、ひょいって軽い感触。
うわもうカラっぽじゃん。
目の前でなんにも入ってないペットボトルをゆらゆらやると、ぐにゃぐにゃに歪みながら透けて見える窓の向こうが、夕やけ色。
あーもうそんな時間かー。今日、ここまでにしよっかなあ。
うーんって一人で迷うけど、アタシはやっぱ、でもこんな時お姉ちゃんだったら、ってつい考えちゃう。

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アタシのお姉ちゃん。
元カリスマ読モで、346にアイドル部門できるときにスカウトされてから、もうちょー伝説つくりまくってるアタシのお姉ちゃん。
城ヶ崎、美嘉!
カッコよくって憧れで、いつだってお姉ちゃんと同じ名字なのが、ずっと昔からアタシの自慢で。
あ。でももうすぐ、そこんとこだけ変わっちゃうらしいんだけど……まー、それはともかく。
最近そんなお姉ちゃんって、やっぱりスゴイなーって思うことが多い。
それは前からずーっと思ってたことなんだけど、でも今はホントにちゃんと具体的、みたいな感じで、お姉ちゃんスゴイって思う。
体調管理とか、食べ物気にすんのとか、仕事の前準備とか、忙しい時のペース配分とか、
前まではぼんやりヤバーイ大変そ~って思って見てたそういうのの大事さが、このごろアタシにもどんどん分かってきちゃってて。
アタシはどっちかってとそういうの苦手で、目の前のことぜんぶただバーッ!ってやりたくなるから、それで失敗しちゃったこともけっこうあって。
だから最近、ちょっとアセってる。のかも。
それはだって、やっぱ……負けてらんない。
みたいのが、実はこっそり、アタシの中にちょびっとだけあるから。

うん。
やっぱり、もうすこしだけガンバろ。
いったん飲み物買って、ちょい休憩してからもうすこし。
せめてこのステップこなすまで。ようし。
アタシはいろいろ詰めこんだ大きなスポーツバッグからサイフとスマホを出して、ジャージのポケットにつっこむ。
それからパって立ち上がると、ポケットからはみ出たストラップが、夕日に照ってひかりながらゆれた。

それはちょっと前、うちから離れて一人暮らししてるお姉ちゃんちにお泊りしたとき、夜いろんな話をして、
そんときにアタシがちょっとマジメにねだってもらった、昔お姉ちゃんがケータイにつけてたやつ。
ずっとずっと、お姉ちゃんの机の引き出しにしまってあったのをアタシは知ってた、シルバーの、アルファベット一文字の形のストラップ。
アタシはそれを隠すみたく、はみ出たヒモごとポケットにつっこみ直して、レッスンルームのドアまで駆ける。
出てく前になんとなく、ちょっと振り返って鏡を見ると、子どもっぽく結った髪が汗で顔にはりついてる変な子がこっちを見てて。
パシパシほっぺたを手ではらってから、ぎゅーって両手ではさんでみると、その子もこっちに変顔してて、なんだかカッコ悪かった。

……いや。
いやいやいや。

ここはやっぱ、フツーにスポドリで。
自販機の前でアタシは、なんでか缶コーヒーのとこに向いてた指をくるくる回してからそこをギュって押した。
って、あれ?
なのになんにも出てこない。
しゃがんで下を覗いてもそこには何もなくて首ひねってたら、まだお金入れてなかったことに気づいて一人で照れる。
うわー。今のアタシ、ちょっと疲れすぎ?
ひねった首の後ろを髪ごとわしわしかいて、サイフからお金を出して、滑らせながら入れていく。

ちょりちょり、ちょりん。
ぴっ。
ごととん。

音を立てて転がってきたのを取って、きょろきょろしてその辺のイスに座ろうとしたけど、窓から見える色を見て、なんとなくあそこ行こうって思った。
あの屋上になってるとこの、花がたくさん咲いてて、噴水のあるとこ。
いま体ぽっかぽかだし、あそこで風あたったらきもちよさそう。
すずしい風とゆれる花が頭に浮かんで、アタシの足はすぐ動く。
来たばっかの時は迷路みたいでよく迷ったけど、いまのアタシはそこまでの行き方だってバッチリ分かる。
でもエレベーターは遠い階のとこが光ってて、そういうのただ待つのじれったくてあんまだから、アタシは階段をのぼる。
のぼってのぼって、ちょうどいいとこで来た上行くエレベーターに、乗ろうとしたら乗り過ごして、
よけいに遠回りしながらその階ついて、廊下すすんでその場所が見えて。
そこに、アタシのよく知ってる人がいた。
おっきな黒いスーツ姿で、遠く窓越しでもアタシには、それがすぐに誰だか分かった。

あの人は前に、アタシのいた部署のプロデューサーだった人。
あだ名、Pくん。
命名アタシ。
昔お姉ちゃんに笑われたけど、オモシロくってキャッチーで、すっごい似合うとアタシは思ってる。

そのPくんはいま、廊下の窓の向こうで噴水のへりのとこに座ってて、その横に、ちっちゃな女の子も座っていた。
あの子は……いまのPくんの担当の子、だったっけ?
どっかのスタジオで撮影してるの見かけただけでちゃんと話したことまだないけど、確かそうだ。
2人は並んで空見上げながらなんかを話し合っていて、アタシはそこに、いつものノリで駆けてって、

「やっほー! Pくんと、初めましてちゃん☆ なに話してんのー?」

なんて、入ってくことができない。

そりゃ、マジメに話してるっぽいとこにワーイって入っていくほど空気読めなくないっていうのはあるけど、それ以上に、アタシの足は固まった。
なんでだろう。
もうPくんが、アタシの担当の人じゃない、からかな。
そうなんだ。
昔とちがってPくんは、アタシとは別の部署の人、なんだよね。
そんなこと考えてると、前にどっかで聞いた言葉が浮かんでなんか、すぐ向こうに見える景色がとても遠く感じる。
そうやってつっ立ったままぼーっと外を眺めてたら、女の子の方が立ち上がってペッコリおじぎをして、
遅れてPくんもピシっと立って、頭を下げておっきな体を曲げていた。

それから顔をあげて、その子といっしょにPくんは笑う。

口のはしっこをふんわり上げたそれは、前に見た指でほっぺたを押し上げた夕やけ色の笑顔より、ずっとずっとやわらかくって、自然な笑顔で。
アタシは窓越しにそれを見て。
なんだか胸が、苦しくなった。

そして女の子はまた急いでペコってやって、軽く走りながら屋上のとこからドアを開いてこっちの廊下にやってくる。
アタシはなんでかテンパってわ、わ、ってなったけど、駆け足のその子はすれ違いざまアタシに気づいて、
こっちよりもっとビックリ顔で、キラキラした目でアタシを見上げて、口だけパクパクさせるみたいになにかを言った。

それはハッキリは分かんなかったけど、

―――ホンモノだぁ。

って聞こえた気がしたのは、さすがにちょっと自意識過剰、とかそんなん?
一人ですこし照れてから、あ。って思って外の方を見ると、向こうでPくんもこっち見て、あ。って顔してた。
なんだかこのまま窓はさんでるのもヘンだし、アタシは根っこがはってた足を引き抜くみたいにして、廊下を歩いて屋上へのドアを開けた。

びゅわーって耳のすぐ横で、音をさせながらすずしい風が吹く。
それはほっぺたをさらさら撫でて、花壇に咲いたたくさんの色をゆらして、それからちょっとだけ甘い匂いを乗っけて鼻をくすぐる。
アタシはいつだっけかに人づてに聞いた、その匂いが好きっていう人のことを思い出す。
ひゅるひゅる吹いて香りをとどける、少し早い春風の向こうにその人がいた。

「おはようございます。城ヶ崎さん」
「おっはよー! Pくん☆」

ぺっこりおじぎするPくんに、ここ現場じゃないし、おはよーじゃなくてもよくない?ってちょっと思ったけど、アタシも合わせてそんな風に返した。
それで今度こそ噴水のとこまで、軽い足取りでタッタカ駆け寄る。
昔よりも近づいた高さを、軽く見上げてニーって笑うと、ちょっとフシギそうな顔してからふわって笑い返してくれて、そんなのいつものことなのに、アタシはすごく安心した。

「お疲れさまです。休憩時間ですか?」
「うんっ。そんな感じー! Pくんは?」
「自分も、そのような感じです」
「え~、ウソだー。アタシ見てたよ? さっきの子の相談乗ってあげてたんじゃないの?」

にんまり笑ってみせるアタシに、Pくんは大きな手で首の後ろをわしわしやる。
それ見てこっちまで首のまわりがくすぐったくなるのも、アタシにとってはいつものこと。

「それほど大層なものではありませんが……そうですね」
「で、お悩みバッチリ解決してあげたんだ?」
「だと、良いのですが」

そう言ってまだすこし心配そうなPくんだけど、きっともうあの子はだいじょうぶだと思う。
だってさっき廊下で見たとき、すっかり悩み晴ればれーって顔してたもん。
それをPくんにも教えてあげようとして、でもなんだか、アタシの口は思ったように動かなかった。

「あー……そだね。そーだと良いねっ」
「はい」

べつに隠すようなことでもないのに、そんなあやふやなこと言っちゃって、なんだか悪いことした気分。
ごまかすみたいに、背中にまわした手に持ったペットボトルをたぷたぷゆらした。
そのままちょっと黙ってると、Pくんはアタシをなんだかじっと見て、上から下まで見て、それから風に目を細めながら屋上にある時計を見る。
ごわごわ耳にあたる音の中で、低い声がとおって聞こえた。

「まだしばらくは、城ヶ崎さんも休憩時間でしょうか」
「え? あっ、うん。ちょっとだけここで、ダラってしよーかな~って」
「私も少し風に当たろうと思っていたところで……ご一緒しても?」
「そりゃ、もちろんもちろんっ」

アタシは「どーぞどーぞ」とか言ってべつに自分のじゃない噴水のへりんとこをべんべん叩いてから座る。
叩いたとこにPくんも姿勢よくピシッと座って、両ヒザの上にちょっとグーにしたコブシをちょこんとのせた。
Pくんって体おっきいのに、こういう仕草はちんまりしててなんかカワイイ。
アタシはなんだかすっかりなごんで、後ろについた両手をつっかえ棒みたくして、
前からあたる風を吸いこみながら背中と首をうんと反らした。

「ふぃ~、きもちー……」
「ダンスレッスンの途中でしたか?」
「あー、や、レッスンは終わったんだけど、どーしてもうまくいかないとこあったから、ちょっとおさらいしてて~……」
「……なるほど」

あ。アタシ自主練だれにもヒミツにしようと思ってたのに、さらっと言っちゃった自分に遅れて気づく。
Pくんは、なんだかすこし可笑しそうにしてからなにかを差し出した。

「ん、なあにー?」
「体が冷えるといけません。今日はまだ使用していないものなので、よろしければ」
「えっ、と……あっ、うん。ありがとー」

なんのことかなって最初分かんなかったけど、手を伸ばしてそれを受けとる。
サラサラしてるのに分厚い生地で、Pくんっぽいシックなオシャレ柄のそのハンカチは、首にあてるとしっかり汗を吸ってくれた。
うわ~アタシまだこんな汗かいてたんだ。
ダンスルーム出るときちゃんとタオルで拭いた気がしてたけど。
なんかちょっと恥ずかしーって思いながら、仕上げでぐるんって首まわりをぬぐうと、最後にチクっとした感触。
あいて。なんだろって見ると、ハンカチのはしっこのとこになにか刺繍がしてあった。
まったりムードのぼんやりした頭でながめる、イイ感じにぬいついたその『M★J』って文字にアタシは、あの人のイニシャルがうろ覚えのまま浮かぶ。

あの人。
あー、なんだっけあの人。
ダンスめっちゃヤバくて、前にお姉ちゃんといっしょに映画で見たあの、ちょースゴイ外国のスターの人。
名前がたぶん、マイケル~……じぇいそん? みたいな人。
わ~Pくんってあの人のファンだったりすんのー?なんてフワフワ思ってハンカチ広げてながめてたら、隣でPくんがもぞもぞし出す。

「あの、もう問題なければ、こちらにお渡し頂けると……」
「へ? いやいや、洗って返すよーもちろん。めっちゃ汗ふいちゃったし」
「あ、いえ。ご負担になるので、大丈夫です」
「そ、そんなん、こっちこそだいじょーぶだよ」

しばらく言い合ったけどPくんは困り顔でそれでもゆずらないから、アタシはけっきょくそのハンカチを返してしまう。
アタシの汗ついたのがPくんのポケットにしまわれるのは、よく分かんないけどなんかハズい。
落ち着かないから視線をくるくるまわして、話題変えちゃう何かをアタシは探す。

「えと~……あっ、ほら、Pくんアレ、一番星かな?キレイだねっ」

夕方のオレンジとうすい夜の色が混じった雲のすき間の空に、ちょびっと光る粒を見つけて、ちょうどいいの掴まえたみたいにアタシはビシビシそこを指さす。
Pくんは少し上を見回してから、ゆっくりひとつうなづいた。

「そうですね。今日の空模様ですと、あれが一番星と言えるかも知れません」
「あー、だよね。今日の感じ、それっぽいよね?」

めっちゃテキトー言いながらうんうんうなづいてると、少し笑いながらPくんも空を指さす。

「あれは恐らく、デネボラですね。城ヶ崎さんの星座の、尻尾の部分の星ですよ」
「へぇ~……」

そんなマメ知識もらいながら、でも、あれ?ってアタシは引っかかるとこがあって、さっきから聞き流しちゃってたことに気づいた。
だから、ちょっとジト目を向けながら訊いてみる。

「……それって、さそりのしっぽ?」
「いえ。獅子座の尻尾ですが……」

なるほどねー、アタシの方だったか。
ちなみにお姉ちゃんさそり座で、アタシがしし座。

「Pくん、また約束やぶったね?」
「いえ、その……」

それは、アタシたちが2人いっしょのときと、あとお仕事じゃないときは、「城ヶ崎さん」じゃなくて名前で呼ぶっていう、
前にお姉ちゃんとアタシで決めたPくんへの約束のこと。

「……一応ここは、社内なのですが」
「アタシ休憩中。Pくんも、休憩中。今って、プライベートじゃない?」
「そうとも言えますが……」
「言えるんだ~?」

下から覗きこむみたいにジトーっと見つめると、Pくんは困ったふうに口をぐにぐに曲げてから、そこを指さした。

「あれは恐らく……莉嘉さんの星座の、尻尾部分の星です」

わざわざ言い直すのがおかしくって、アタシは声出して笑った。
それからPくんはひとつ咳払いしてから、照れかくしなのかな、いつもよりちょっぴり早口に星の話をしてくれる。
あの星と、ナンチャラとカンチャラっていうのをむすぶと、春のダイサンカクになりますとかって話を、
アタシはスポーツドリンク飲みながら空じゃなく、Pくんの横顔を見ながらぼんやり聞く。

「今は雲であいにく見えませんが、大三角のもう二つは、揃いで夫婦星とも呼ばれていますね」
「へぇ~、お姉ちゃんとPくんみたく?」
「……いえ、あの。私たちはまだ、籍は入れておりませんので……」

にんまりしながらアタシが茶々いれると、ノリノリで話すPくんの口はとたんにもにょもにょするから面白い。
最近のPくんはからかいやすくて、昔よりもっと話しやすいのがアタシはうれしい。

「いつなんだっけ。その~、セキ? いれるの」
「……こちらの都合でいくらか引き延ばしてしまいましたが、近々に、この春にと思っています」
「あ、そっか。お姉ちゃんスカウトした日を結婚記念日にするんだよね」

言い終わるくらいで、Pくんは風より速くバッとアタシに顔を向けた。
お、Pくんそれ、あんまり見ないレア顔だね。

「……あの、どうしてそれを」
「ん? フツーにお姉ちゃんから聞いただけだよ」
「い、いえ城ヶ……美嘉さんも、ご存知ない筈なのですが」
「うん。お姉ちゃんもそう言ってた。なんだか知んないけど隠してるみたいって。バレバレなのにね~って、うれしそーに笑ってたよ」

あははーってアタシも笑うと、Pくんはガクってうなだれて首のうしろに手を当てた。
ありゃ。アタシもしかして、よけいなこと言っちゃったかな。

「……そう、ですか」

でもボソッとそう言って、首の後ろをまたわしわしやるPくんの顔は、なんだか少しうれしそうだから、たぶんよけいなことってワケでもなさそう。
う~ん。そんなPくんが、もうすぐアタシのお姉ちゃんの旦那さんかーって、今さらちょっとフシギな気持ち。

口軽いついでに、アタシはマジメっぽい声をつくって言う。

「Pくん。これからお姉ちゃんのこと、よろしくね」

それ聞いてPくんは、座りながらアタシに体を向けて、こっくり深くうなづいてくれた。

「はい。出来得る全てで、彼女の笑顔を守ります。お約束します」

おー。カッコイー。
心の中で口笛吹いて、じゃあアタシも、お姉ちゃんのカッコイイエピソード教えてあげよーってなる。

「お姉ちゃんはね、ずーっとずーっと昔から、Pくんのこと大好きだったんだよ。だから、どうかよろしくね」
「はい。お任せください」
「ホントにずっと昔から、Pくんにメールもらうたびにニヤケまくって、ベッドの上でドタバタやってたくらいなんだから」
「そうですか。自分もメールを頂いた際、似たことをした覚えがあるのでよく分かりま、す……」

ちょこっとお姉ちゃんいじりつつカワイイエピソード話してたら、いろいろ斜め上からの返事がふってきた。
アタシがええーーってなりながら顔をのぞくと、Pくんはいかにも口滑ったーーって表情で固まってる。
うわ。マジっぽい。
ってことは、え?
Pくんが、お姉ちゃんからメールもらってニヤけてドタバタ、みたいなことしてたの?

「……すごい。ぜんっぜん想像できない」
「できれば……想像は、しないで頂けると……」

そう言ってPくんは、滑った口をおさえるみたく手をあてて、そっぽ向いてしまう。
横から見えるその耳が先っぽまで真っ赤なのは、夕やけのせいじゃないらしくって。
すごい。
Pくんがめっちゃ照れてる。
なんかめっちゃ悶えてる。
なんていうかスーパーレアって感じで、アタシは思わずそんなPくんの写メ撮っちゃいたくなるのをなんとかガマンしようとしたけど、
やっぱりムリで、風がびゅーって吹いた音にまぎれてこっそり一枚だけ撮った。
うわーヤバイ。耳まっかっか。
あとでお姉ちゃんに送ったげよ。
アタシはちょっとワクワクしながら、ポケットにケータイしまう。
それから横でまだ照れてるPくんを、じっと見つめながら思う。

ずっと前、あの頃。
シンデレラプロジェクトにいたはじめの時は、いつもムツカシイことばっか言って、顔コワイし、何考えてるかとかちっとも分かんなかったその人が、今はこんなに近くに感じる。
あーアタシ、たぶんずっと、こんな気持ちでPくんと話してみたかった。
だから今、すっごくうれしい。
でもそれと同じぐらいずっと、胸の奥につかえてるみたいなものも、実はアタシの中にはあって。
今ならそれを、ちょこっと出してみてもいいのかなって、丸めた背中をむっくり起こして、まだほんのり耳赤いPくんを見てるとそう思えた。

「……あのね、Pくん。アタシちょっとだけ、ほんとにちょっとだけ、前から気になってたんだけど」

アタシの中のそれを、なんでもなさそうに、軽く言うのはむずかしくって、だから風に消されそうなくらいの細い声になって口から出て、
でもPくんはうつむくアタシの顔をのぞきながら、「なんでしょう?」って、ハッキリ返事して受け止めてくれる。
それでもう言っちゃおう、とアタシは決めた。

「あのね、あの……アタシがさ、シンデレラプロジェクトのオーディション受けたときあったでしょ? そこに、Pくんもいたじゃん」
「ええ。審査に加わらせて頂きました」
「ずっと前に部長さんから、その時の大人のひとの話し合いみたいので、Pくんがすごく一生懸命アタシを推してくれたっていうの、聞いたことあってね?」
「……。はい」
「それって、アタシの名字が城ヶ崎で……お姉ちゃんの妹だったからっていうの、実はちょっと、関係あったり、した?」

ずっとずっと、アタシはそれが言いたくて、答えを聞いてみたかった。
なのにどうしてだろう。
チラッと横目で見たPくんは首に手を当てて、なんだかコワイ顔をしていて。
アタシの胸は締めつけられて、どんどん苦しくなっていく。

「……大変、失礼な話かと思うのですが」

重くて低い声が、風に流されずにアタシの耳に当たる。それでアタシは、情けないくらいいっぺんにぜんぶを後悔した。
わー言わなきゃよかった!
ヤダヤダ時間もどれもどれ!
心の中でムリ言いながらぎゅーっとズボンを強くつかむ。
そしてPくんは声の重たさを変えずに、頭を下げてアタシに言った。

「その頃のことは自分でも朧気で、正確に覚えてはおらず……本当に、申し訳ありません」

うつむきながらとなりを見ると、Pくんはホントに心の底からメンボクないって感じの顔で、だからそれが、ウソじゃないのは分かった。
というかPくんは、そんなウソつくような人じゃない。
握りしめた手の力が、ゆるゆる抜けていく。

「正直に申し上げますと、当時の自分はあまりにも、視野が狭まっていたと言いますか……以前と同じ轍は踏まぬようにと、頭の中がそればかりで」

アタシもそれは、ちょっとだけ知ってる。
あの頃のPくんが、抱え込んだ色んなことでたくさん悩んでいたこと。
それより前のある夜に、すこし遅く家に帰ってきたお姉ちゃんが、夕ご飯いらないってだけ言ってすぐ部屋入って、ひとりで泣いてたのもアタシは知ってる。
でもあの頃のアタシは、その日からお姉ちゃんが大事につけてたストラップを外しちゃった理由も、そのストラップの形の理由も、ちっとも分かっていなかった。
もしもアタシが、時々お姉ちゃんを送り迎えしてくれてた車の窓越しのその人がPくんだったって、もっと早くに気づけてたら、アタシにもなにか伝えられることがあったのかも知れない。
それだけは今も、ちょっと悔しい。

「プロフィールの城ヶ崎姓に、引っかかりが……無かったとは思えないのですが、選考の際に影響を受けたのかどうか……すみません、ハッキリとは」

そんなアタシの気持ちなんてまるで知らずに、めっちゃ険しい顔でまだガンバって思い出そうとしてくれてるPくんが、アタシはなんだかおかしくて、
よくわかんないけど目の前がほんのちょっとだけうるんでぼやける。

「ただよく覚えているのは、貴女は憧れの人がいると仰っていました。その人のようなアイドルになりたい、と」

うん。そんなん言ったね。
すっごい緊張してたけど、お姉ちゃんのことだけはスラスラ言えたんだ。

「目を輝かせ、誇らしげに語るその時の貴女の笑顔が、何より強く自分の中に残ったことは確かだと記憶しています」

うつむくアタシが顔を上げると、Pくんは夕やけ色に照らされながら、口のはしっこをふんわり上げて、ちょっと恥ずかしそうに笑ってた。

「しかし本当に、あの頃の自分はどうにも……。まさか話されていたのが彼女のことだとは、全く思い至りませんでした。妹さんがいらっしゃると、聞いてはいたのですが」

あーもう、Pくんのバカ。
ホントはアタシは、それだけ聞ければよかったんだよ。

「審査会議後、当時の部長との会話でようやくご姉妹であることに気づきました。その事は今でもよく話題に出され、笑われます。……あの方はこの話を、とても気に入っていらっしゃるようなので」
「……だから部長さん、アタシにもなんか楽しそーに教えてくれたんだね」
「そのようですね……」

いろんなものをため息にして、そろってはぁーって吐き出すと、また音を鳴らして風が吹く。
横から上に、びゅーって飛ばされたそれを目で追っかけて、しばらくぽかんと空を見て。
アタシとPくんは、ぜんぜん似てないけど、でもなんか同じような声でいっしょに笑った。

「しかし、感慨深いです」

まだくすくす笑いを転がしながら、懐かしそうにPくんは言う。

「莉嘉さんはあの頃の憧れを、本当に叶えられたのですね。そして今や、多くの方に憧れられるアイドルになられました。……本当に、感慨深いです」

遠くを見上げながらやさしい声で話すPくんに、アタシも見てる空まで飛んできたいぐらいうれしいけど、
でもそれといっしょにちょっとだけ、拗ねるような気持ちが心の底をこすってすべる。
それは、あーやっぱりPくん、最近のアタシの迷走っぷり知らないんだなーっていう、
今のPくん部署違うし、そんなの当たり前じゃんって感じの子どもみたいなイジけた気持ち。

「……まー。ホントにそうだったら、いーんだろうけどさー」
「事実、今の貴女はそういうお立場だと思いますが」

すこしのお世辞みたいな濁りもなくそう言ってくれるPくんの言葉を、そのまま真に受けられるほど子どもでもない中途半端さが、すごくフクザツ。

「そりゃ昔よりお仕事は、いろんなの貰えるようになったけど……」

こんなのPくんに言うことじゃないよなあなんて思いながら、今ならそんなのも許されるような気がしちゃって、
アタシの口は栓が抜けたみたいにポトポト言葉を落っことしていく。

「でも、それのなんかがたまたま上手くいっても、自分のことみたいな気がしないっていうか……ここんとこずっと、そんな感じで」

ひざの上で半分のこった中身がゆれるペットボトルをちゃぷちゃぷさせながら、アタシの声は止まらずこぼれる。

「なんかアタシね、ずっと上見て、憧ればっかでやってきたから、自分だけのコレ!みたいの、ぜんぜん無いの。
だったらアタシがやってることなんて、他の子でもできるじゃんって……お姉ちゃんとかならもっと、って。そんなん、今さら気づいちゃって」

ああアタシ、ホントはこんなこと思ってたんだって、自分から出た言葉を聞いて初めて知っていくようなフシギな感じ。
そしてそれを聞くPくんも、アタシのことをじっと、フシギな目で見つめていた。

「……本当に、よく似ていらっしゃるのですね」
「え?」

独り言みたく何かをぼそっと言ってから、Pくんは真っ直ぐ深い瞳を向けてアタシの名前を呼んだ。

「莉嘉さん。貴女は貴女にしかできないことを、昔も今もされていますよ。自分はそれを見てきました」
「……でもPくん、」

もうアタシの担当じゃ、ないじゃん。
胸の奥から言葉が出かかって、ノドのギリギリのとこで止める。
そんなPくんを悲しませそうな、自分もヘコんじゃいそうなこと、とても言えない。
開きかけの口が止まって、なんだかうまい表情もつくれないままのアタシを、Pくんはやさしく笑った。

「確かに、今の自分では貴女の現状全てを把握しきれてはいないかも知れません。業務上で貴女の為に出来ることも、もう多くありません」

見透かされたようなことを言われて、アタシの胸はドキリと跳ねる。

「しかしそれは、莉嘉さんがシンデレラプロジェクトに所属されていた頃からもそうでした。私は貴女に、多くをして差し上げることが出来なかった」
「そ、そんなことないよっ! アタシPくんに、いっぱい、イロイロ、してもらったよ?」
「……ありがとうございます。今もそう言って頂けることが、自分にとって何よりの誇りです」

慌ててぶんぶん首ふるアタシを見て、Pくんは本当にうれしそうにそう言った。
アタシはとたんに、Pくんが分からなくなる。
だって、なんでこんなさびしいこと、Pくんはそんな風に笑って話すんだろう。
アタシはPくんに、ホントに色んなことをしてきてもらったのに。
だからアタシは今も、こうしてアイドルやれてるのに。

「ですがやはり凸レーションは、莉嘉さんは、私に出来たプロデュース以上のことをされていたのだと、今思い返しても感じます。
貴女はいつもその時々で、目の前のことに体いっぱいでぶつかり、悩み、考え、そうして見つけた自分なりの答えを、胸を張って見せてこられました」

アタシそんなことしてない、ってすぐ思う。
アタシはPくんが、大事に大事に作ってくれたキラキラの道を、夢中で走っていただけだ。
ただふっと、アタシは昔、お姉ちゃんに言われたことを思い出す。
ユニットデビューしたてぐらいのときにアタシが、Pくんってなんでも丸投げしすぎとか、はっきりアドバイスとかしてくんないってぶーたれて家で話してたら、
お姉ちゃんはやさしく笑いながら「それはあの人がアンタたちのこと、すごく信頼してるからだよ」って教えてくれた。
アタシはそれを思いっきり真に受けて、だからすごく、うれしかったの覚えてる。
Pくんがなんにも言わず信じてくれる分を、いっぱい返せるようにガンバろうって、あの時アタシは思ったんだ。

「そんな貴女だからこそ、他の誰にも無い、貴女だけの輝きがあるのだと私は思います。……代わる方など、どこにもいませんよ」

アタシにそんなのがあるなんて、ホントはよく分からない。
でも今は、あの頃と同じに笑うPくんの言葉を、どんなことよりも強く信じようって思った。

イントロ。
最初は静かな音からはじまる。
ピアノだけの伴奏に、目が覚めていくみたいに息を吐きながらゆっくりと顔をあげてまぶたもあげる。
まだほとんど体は動かさない。
ちょっとずつ音が増えていって、小さく手が動く。
そこから伝うように腕を持ち上げる。
ゆっくり胸をおさえると小刻みな低音が聴こえて、それに合わせて両手で鼓動が弾む動き。
いろんな音が集まって、風が吹き上がるみたいな電子音が鳴ってから、ドラムの入りと同時につま先を弾いて床を蹴ると、
レッスンルームにさっきよりも高く音が響いた。
リズムに合わせてステップしながら、時々裏拍で床蹴ってダンダンっ。ここめっちゃ楽しい。
腕の振り付けは指の先っぽまで意識するとキレイに見えるって、教えてくれたのお姉ちゃんだっけトレーナーさんだっけ、あーそれかもしかして……。
とか関係ないことで頭をぼんやりさせながら、でもアタシの体は今までの反復通り勝手に動く。
ドラムのリズムが速まって、昔のソロ曲からすっかり得意な変拍子。
流れを崩さずそのままめいっぱいに跳び上がると、広がって見えるいつものイメージと、それと小さく、違うもの。
ちょっとの動揺、でも靴底が床に着いてコケないように膝で逃がしながらステップ。
あぶないあぶない。
ごまかして顔の前にピース作るけど、そんなの振り付けにはないアドリブで、でもたぶんこれ本番でもやっちゃいそう。
いつの間にかサビの終わりに近づいて、シューズ鳴らしてターンして、ムズイステップあっさり踏んで、足元からまた高い音がして体が流れずピタッと止まる。

うわ!
マジでできた。
ホントにPくんの言ったとおり。
すごい、すごい、魔法みたい!

なんて次のステップ踏みながら子どもみたいに思うけど、急にうまくいったその理由が、さっき別れ際に言われたPくんからのアドバイスで、
バッグに入れたままにしてた新しいシューズに履き替えたからってだけなのは、アタシにだって分かってる。
でもそんなホントのことなんか、置いてくみたいにアタシの足は止まらない。
2度目のサビ前の変拍子、それから次の着地のこととかを、ぜんぜん考えないで力いっぱい跳ぶと、
イメージで見えたのは目の前いっぱいに広がる客席のサイリウム―――だけじゃ、やっぱりなくって。
……あー。
こーいうのって、やっぱ良くないんだよね。
だってこれ、前にお姉ちゃんに言われたことある。
「チラチラ見すぎ!」って。
でもどうしてもその時アタシは、数えきれないほどいっぱいにうねる黄色の波といっしょに、
舞台袖からアタシを見てくれている、ただ一個のペンライトのちっちゃな光を、チラっとだけ見ちゃった気がした。
なんだか甘いような、苦いような気持ちを、かき混ぜるみたくシューズを鳴らしてターンする。
そうしてサビおわり、何度も失敗したステップをビシッと止めて、カッコよく決める鏡の中のその子の顔は、
あの人もきっと褒めてくれる、とびっきりの良い笑顔。

笑うその子は、城ヶ崎莉嘉。

何度言ってもまず呼ばれるその名字と、ちょっと照れながら呼ばれるその名前の両方ともが自分のことなのが、
今のその子の一番の自慢なのをアタシは誰よりも知ってる。
足元でゆれるレモンイエローの靴ひものシューズが誰からのプレゼントで、どうして履かないまま取っておいていたのかも。
鏡のその子と一人で踊る歌詞の聴こえない恋の歌に、なんだか胸がきゅっとして。
しめつけられるみたく切なくて。
でもそれよりもっとワクワク、ドキドキして、高鳴る胸のリズムのまま、頭をまっ白けにしてアタシは踊る。
そしてアウトロ。
少しずつ音数が減っていって、真っ直ぐ前に伸ばした指を、星を指すみたいに持ち上げて、フェードアウトしていく音に合わせてそーっと下ろす。
それからだんだん透明になって、溶けてくみたいに音が鳴り止んだ。
アタシは顔とまぶたを下ろしたままゆっくり息を吐いて、胸が、じわじわ熱くなっていく。

……え、ヤバイ。
今アタシ、フツーに通しで、最後まで踊れちゃった……?

遅れて体の熱が下から上にぶわって来て、そして一人きりのはずだった部屋のすみっこから、パチパチパチって一人分の拍手。
顔を上げて音のする方、ドアの近くにその人を見つけて、いろんなうれしさが一気にぜんぶバーッ!って弾けた。

「お姉ちゃん!」
「ん、おっつかれー★」

そこでにっこりしながらヒラヒラ手をふるお姉ちゃんにアタシは、えーなんでなんでお姉ちゃんいんの!?ってか聞いてよお姉ちゃんやったよー!
アタシ今つっかえてた振り付けカンペキにできたよー!!って浮き上がった気持ちのまま突っ走る。

「……え、え、なになに?」

急にミサイルみたく突っ込んでくるアタシに困り顔で、でも小さく腕を広げるお姉ちゃんにアタシは飛び込んで思いっきりハグ―――しようとして、きゅーって床を鳴らして足を止める。
……あ。ヤバ、今のアタシ汗ぐっしょりだった。
自分の体を見下ろして変なポーズのまま固まるアタシに、お姉ちゃんはぜんぶ分かったみたいにくすくす笑って、肩に提げたバッグから出したのをアタシに向かってふわっと投げる。

「体冷えるよ、早く拭きな」
「……んー」

アタシは照れて笑いながら、うちで洗ったやつとちょっと違う香りのそのタオルに顔を押し当てた。

いっしょにレッスンルームのイスに座って、貸してもらったタオルで首元ごしごししながら「お姉ちゃんどーしたの? 今日なんか約束してたっけ?」って聞いたら、
お姉ちゃんは「いや、それがさー」ってなんかを思い出して笑いながら、楽しそうにアタシに言った。

「どっかの言い出したら聞かないプロデューサーが、今日どーーしても、アンタを家まで送ってあげたいんだって」
「……って、Pくん?」
「そ。で、どーせだしアタシもいっしょに行こうかってことになってウチ連絡したら……なんかパパもママも盛り上がっちゃってさあ」

苦笑いで話すお姉ちゃんに、アタシはお姉ちゃんとPくんがウチ来るって聞いてウキウキしてるパパとママの画がめっちゃ鮮明に浮かぶ。

「遅くなるかもって言ったのに、夕飯用意しとくからとか、どうせなら泊まってけばいいとか言われちゃって……だから今日、あの人といっしょにそっち泊まってくから」
「え、ホントっ!?」

それ聞いてアタシまでテンション上がる。
わーやった、お姉ちゃんたち泊まりにくんの久しぶり!
とかって浮かれながら、でもその気持ちの裏側で、ちいさなモヤモヤもすこしある。

「……Pくん、アタシのことなんか言ってた?」

なんとなく手元のペットボトルのフタをいじりながらそう聞くと、お姉ちゃんは「んー」ってすこし口ごもる。

「ちょっと心配してたかな。今日は遅くまで自主練やっていきそうだから、帰りが心配だって」
「えぇ~……べつに、そんなんへーきなのに」

うあ。お姉ちゃんにまで自主練バレてる~とか思って、なんか胸がむずむずしてついそんなこと言うアタシをお姉ちゃんはじっと見て、
それから床に置きっぱなしの夕方まで履いてたアタシのボロいシューズの方に視線を落とした。

「最近のアンタちょっと仕事詰めすぎだから、それで心配っていうのもあるみたい」
「え? でも……」

なんでPくんがアタシのスケジュール知ってんの?ってアタシが訊く前に、お姉ちゃんは真っ直ぐアタシの目を見て言った。

「これ、アタシが言っていいのか分かんないけどさ……。あの人、今でもアンタたちの……今まで担当してきた子たちの仕事、出来る限りチェックしてるみたいだよ。
特に最初のシンデレラプロジェクトの子たちは、色々負担をかけて、責任があるからって」

しょうがなさそうにほほ笑みながら、「負担だとか莉嘉もみんなも絶対思ってないよって、何度言っても聞かないんだよね。そーいうとこホンっト頑固」って話すお姉ちゃんに、アタシは笑って返せない。
だってさっき、アタシPくんに変なこと言おうとしちゃった。
もう担当じゃないからなんて、Pくんにはちっとも関係なかったんだ。
なんで忘れてたんだろう。
Pくんはいつだって、そういう人だった。

「そんな話してると、よくアンタのこと褒めだすんだ。どんな小さな仕事でも全力で、心から楽しんで笑って、見てるといつも元気を貰えるって。
それをアタシにさ、自分だけが知ってることみたいに自慢気に言うんだよ? そんなのアタシの方が昔から、ずっとよく知ってるっての」

大げさなくらい胸を張って得意そうに話すお姉ちゃんに、アタシはどんな顔したらいいか分からない。
うれしいのかなんなのか、今の気持ちもよく分からない。
ただ胸が、きゅーってしめつけられて、ふわふわ広がって、そのくり返しでドキドキ動くのを感じてる。

「最近のステージでの表現力にも凄く引き込まれるって、口癖みたいによく言ってる。アタシもさっきちょっと練習見ちゃってたけど……ホントに、凄いね莉嘉。今アンタって、あんな振り付け任されてんだ」
「……うん。でもさっき、やっと初めてできたんだけど」
「へぇー、じゃあ本番もっとヤバそうだね。ぜったい見に行くから。……あのさ、身内びいきとか抜きに、ライブの盛り上がりだとアンタが今ウチで一番だと思うよ」

するする出てくる褒め言葉にアタシは照れる暇もなく当てられて、ニーって歯を見せて笑いながら「さっすがアタシの、自慢の妹★」ってポンポン頭を撫でられるからアタシも、
胸の奥から言葉が、何にもぶつからず滑るみたいにノドを通って外に出る。

「そんなこと、ないよ。アタシよか、お姉ちゃんの方がずっとスゴイ」

いじってたペットボトルのフタは知らないうちに外れてて、アタシの手の中にあった。
もうほとんど中身は飲んじゃったけど、下のほうで少し残ってるのがゆれて小さな音を立てる。

「お姉ちゃんの方が、ずっとずっと、アタシの自慢だよ。ホントのホントに、そうだよ。だってさ、だって……」

出てきたのはたぶん、アタシにもよく分からない、でもアタシがずっと心の底で思ってた言葉。

「どんなたくさんの誰かの中で一番になるより……自分で決めた、誰か一人にとっての一番になる方が、ずっと、ずっとスゴイよ」

言いながら、アタシをやさしく見つめるお姉ちゃんの顔がなんだかぼやけてく。
あー、お姉ちゃん。
こういうとき、姉妹って困るね。
だってお姉ちゃんはきっと、アタシから出たあやふやな言葉を、アタシ以上に汲みとって受けとってくれる。
まわりがぼやけて見えなくなって、それから目の前がふんわり何かにつつまれた。
いつの間にか、となりにいたお姉ちゃんはアタシの前に立って、アタシを胸に抱きしめている。

「莉嘉」

いつものように、そうやって名前が呼ばれる。

「あの人の中ではさ……たぶん、一番とか二番とか、そういうの無いんだと思うよ。きっと色んな形の一番があって……その中にはもちろん、莉嘉だけの形もある。アイツって、そういう人だよ」

アタシの拭ききれてない汗がついちゃうのも気にせず、お姉ちゃんはアタシの頭をかかえるみたいにぎゅーって強く抱きしめてくれる。
アタシも少し顔を押し付けると、目からじんわりこぼれたのをやわらかいカーディガンが吸ってくれた。
そうやって包まれたお姉ちゃんの胸の中は、さっき屋上で吹いた風といっしょに感じた、花の匂いが少しだけして。
だからアタシはやっぱり、敵わないなあって思う。
でもそれが、アタシはすごく誇らしくってうれしい。
この人が、アタシのお姉ちゃん。

「アイツにとってアンタは今でもたった一人の一番で……アイツだって今でもちゃんと、アンタだけの『Pくん』だよ」

ずっとアタシの憧れの、やさしくってカッコイイ、アタシの自慢のお姉ちゃん。

レッスンルームのドア窓の向こう、おっきな影がのしのし近づいてきたのにアタシとお姉ちゃんはすぐ気づく。
だからアタシたちは見せっこしてたおもしろレアショットをササっとしまって、ガチャリと開いたドアに向かっていっしょにピースした。

「おっつー★」
「おっつおっつー☆」
「おっ……疲れ、さま、です」

つっかえながらそう言って、カクカク頭下げてくるPくんにアタシたちはめっちゃ吹いた。
しばらく二人で転がりながらウケてから、アタシたちはドアのとこで立ったまま首こすってるPくんの背中を押して、レッスンルームの電気を消して事務所の廊下に出る。
もう外はすっかり暗くなってて、黒い窓に映る一人だけぴょこんと背が突き出たアタシたち三人は、なんか見たことあるシルエットに似てておもしろい。
その凸ってるてっぺんの人が、背の順2番目のアタシの横で腕時計を見てから言った。

「すみません。ご自宅までお送りするはずが、こちらのせいで遅くなってしまいましたね」
「んーん、めっちゃ助かるー。ってかPくんたち今日うち泊まってくんだよね?」
「ええ、そういうことに……」

語尾をうっすら伸ばしながら、Pくんは首を向こうに回してお姉ちゃんと目を合わせてから、またくるんとこっちを見てうなづいた。

「……なりました」
「夕ご飯もうちなんでしょ? 食べるのちょっと遅くなっちゃうかもだね」
「はい。……やはり急な訪問は、ご迷惑だったのでは」
「いやいや、だから向こうから誘ってきたんだってば。だいだいそういうの気にする人たちじゃないって、アンタだって知ってるでしょ?」

お姉ちゃんにそう言われて、「……そうでしたね」って苦笑いのPくんが、すっかりウチの感じに馴染んでるのはなんかフシギで楽しい。
たぶんいつもの感じだと、この後の夕ご飯はママがめっちゃ気合い入れたの作ってくれてるんだろうなあ。楽しみ。またハンバーグかな。
けっこうお腹すいてるアタシは、今日の夕ご飯のことをもわもわ頭の中でふくらましながら、あ、そうだ。アタシPくん来たら言いたいことあったんだ。って思い出した。

「PくんPくん」

ちょいちょい手を振りながら小声で呼ぶと、歩きながらちょっと屈んで顔を寄せて、「なんでしょう?」って小声で訊いてくるPくん。こういう時ちゃんとノってくれる。

「今日、この後うちで夕ご飯食べるじゃん?」
「はい」
「そんときさ、あんまお姉ちゃんの前で、ママの料理褒めすぎない方がいいと思うよ」
「何故でしょうか?」

ホントに分かってないような顔できょとんと聞いてくるPくんに、思わず息混じりの声がちょっと強まる。

「もー……! Pくんオトメゴコロ分かってなさすぎっ」
「そう言われましても……」
「Pくんがママの料理おいしいおいしいって褒めまくってるとき、お姉ちゃんいっつもとなりでめっちゃ拗ねてるんだからっ……!」
「莉嘉。言っとくけど全部聞こえてるからね」

重たい声が横から聞こえて、アタシとPくんの肩はいっしょにビクーン!って跳ねた。
その後もつづく「別に全然拗ねないし」「そんなのいちいち気にしてないし」「ってかあの時のレシピあの後聞いたからアタシにも作れるし」
っていう負けず嫌いなお姉ちゃんの早口攻撃を、アタシはするっと抜け出してPくんに任せて、ちょっと離れながら後ろ歩きで二人を見てみる。

「だいたいアンタさあ……」
「しかしそれは貴女も……」

軽い言葉でつっつきながら、ホントはちょっと楽しんでるっぽい二人を見てると、アタシはなんだかおもしろい。
だってアタシから見たらずっと大人だなって思ってたお姉ちゃんもPくんも、こういうときはアタシよりずっと年下の、じゃれ合う子どもみたいに見えるから。
ただ……1個だけ困るのは、

「……もーっ、二人ともおっそいよー!」

ふだんは二人ともツカツカ早足なくせに、こうなるととたんにじれったいぐらいのろのろ歩きになっちゃうこと。
後ろでハッとしてこっち見て、ごめんごめんって顔してるお姉ちゃんにアタシは言う。

「お姉ちゃん、先行っちゃうよー!」

それからとなりで首の後ろかいてる人にも、アタシはそうやって言ってみる。

「置いてっちゃうよーっ、……お兄ちゃん!」

言われたその人がそのときどんな顔してたかは、撮っとくまでもなくずっとアタシの心に残ってて、だからアタシたちだけのヒミツだ。
そしてこれからアタシは、今まで見たことのなかったその人の色んな顔を、きっとたくさん見ることができる。

そんな予感がふくらんで、たちまちアタシの胸は高鳴った。

うれしくて、ワクワクして、浮かれるアタシは踊るみたいに廊下の床をきゅきゅっと鳴らしてターンする。
そうしてくるんと前を向いて、後ろの二人を置いてっちゃわないように気をつけながら、でもさっきからドキドキ鳴ってるリズムのまま、アタシの足音は響いてすすむ。

「莉嘉ーっ、そんな走るとあぶないったらー!」
「莉嘉さん、エレベーターはそちらではありませんっ……!」

後ろからハモって呼ばれる声にアタシは笑って、お姉ちゃんとPくんと、アタシを結ぶ三角の先っぽを伸ばしながら、夜の真ん中をまっすぐ照らす廊下を駆ける。
そうやって足を跳ねさせてると、ポケットからこぼれたストラップが二つ、ぶんぶん揺れてふとももに当たった。
いけないいけない。
アタシは失くすと大変な宝物のマスコットと、シルバーのストラップを順番にポケットに入れ直す。
そして後から入れたほうをなんとなく、ポケットの中でぎゅって握ってみると、とがった形の先っぽが、手の中で少し痛くて。
でもそんなのアタシは、ちっとも構わない。
だってこれは、アタシだけの形。

昔はお姉ちゃんのだったけど、あの夜ちゃんと気持ちを伝えて、そうしてお姉ちゃんから貰ったこれは、今はアタシだけのもの。
だれがなんて言ったって、これだけは。


この『P』だけはアタシのもの!





おしまい

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