【トトリのアトリエ】ミミ「こんなことはこれっきりにしてよね」 (15)

 何も考えるな、何も考えるな、足場の悪い森の中を機械的にただ歩く。頭の中を無心で埋め、とにかく左足と右足を交互に前へ出す。私の背に負ぶさるトトリの熱を、軽さを感じながら。

「ほんと、いつまで経ってもドジなんだから」
「えへへ…いつもごめんね、ミミちゃん」

 囁かれるトトリの息は私の真っ赤な耳を擽り、体をぞくぞくと震わせる。生い茂る草木に遮られた夏の陽光よりも、露出の多い薄手のレオタードを着たトトリはどうしても温かい。

「街まであとちょっとだね。もう少しゆっくり歩いてもいいんだよ」
「自分の立場分かってるの?私はさっさと重ーいあんたを降ろして楽になりたいのよ」
「あー、ミミちゃんひどーい」

 わざとらしく拗ねたような口調でぼやくトトリを無視する。

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 毎度毎度、こんなことは二度としたくない、勘弁して欲しい。そう思っているのに。私を庇って右足を怪我した彼女を背負わないわけにはいかない。薬はとっくに底を尽きている。

 ただでさえトトリを背負っては歩みが遅くなるのだ。それなのにトトリの身体は私の心臓の鼓動を早め、呼吸を荒くさせる。彼女は私に余計な息を吐かせ、消耗させようとしているのだ。そうに決まっている。

 私がトトリを背負うとき彼女は決まって、私の髪に鼻を擦り付けてじゃれてくる。そんな甘えたな犬みたいなこと、よくも出来るものだ。そんなことをされると体が固まるのよ。

「それ、やめなさいって言ってるでしょ」
「えぇ~…やめないよ。ミミちゃんの髪、さらさらしていい匂いがするもん。勝手なこと言わないでよ」

 知っている。こうやって窘めるほどに、トトリはぐりぐりと強く頭を押し付ける。本当に、トトリは可愛らしい無垢な顔立ちをしているけれど、案外嫌な人間なのだ。思ったことをすぐ口にして、無自覚に口が悪く無神経で、意地が悪くて。私の恥を、弱みを忘れない。どころか、それを突いて楽しんでいる。

 これがトトリだ、こいつは、こんな奴だ。本当に憎たらしい。

「ミミちゃんはやらかいね。よ~しよ~し」
「はっ倒すわよ。あんた、後で覚えてなさい」
「うん、覚えておくね。ミミちゃんは優しいからそんなことしないもんね」

 トトリの声は心底楽しげだ。こいつは私をよく知っている。本当に、憎たらしい。

 もはや日は沈んでいた。生い茂った樹木は辺りをより暗く濃い闇に包む。何度過ごしても夜の森は慣れない。どこから獣が襲うかも知れない、これ以上進むのは危険だろう。

「そろそろテントを張りましょう」
「やった、今日も二人で野宿だね!」
「なーに喜んでのよ…私は清潔で柔らかいベッドで眠りたいわ」

 トトリをようやく背から降ろすと、彼女は鞄から小さな袋を取り出す。放り投げると、袋はたちまち広がりドーム型のテントが張られた。薪を積んで火を焚くと、薄暗い闇が明るく照らすされる。次にトトリは、どういう原理か温かいパイとお茶を取り出した。

「いただきまーす」
「いただきます」

 美味しそうに笑いながら、口いっぱいにパイを頬張るトトリはリスのようでバカ丸出しだ。そんな姿を見ていると心が和み、胸が暖かくなる。一つ一つ、どんな動作もいちいち可愛いんだから堪らない。わざわざお上品にパイを食べている私とは大違いだ。

「わたし、先に見張ってるから。ミミちゃんはゆっくり休んでてね」

 夕食を済ませると、トトリは見張りを買って出た。順番で言えば今晩は私が先なのだが、とにかく疲れている。今日は甘えさせてもらおう。

「そうさせて貰うわ。荷物が煩くってくたびれちゃった」
「大変だね、ミミちゃん」
「なんで他人事みたいに話してるのよ…」

 トトリはいつも通りの緩んだ笑顔で勝手な口を叩く。もう放っておこう。

 テントに入る前に、樹に背を預けるトトリをちらと見る。何やら木陰に生えた草を摘んで丁寧に土を払い、鞄に収めていた。錬金術の素材に使うのだろう、私には他の草との区別は付かないが。

 ちらちらと燃える焚き火の灯りはテントの中の闇を光で揺らしている。槍を傍に置き体を横にして毛布を被る。トトリを連れていれば、基本的に屋根の下で眠ることが出来るのはありがたい。体はすっかり疲労している、すぐに眠れるだろう。私は眠気を感じながら、光に揺れる天井を眺める。

 うつらうつらと曖昧な頭で、ついさっきトトリがなんだか知らない草を摘む姿を思い出していた。いつもの光景だ。

 トトリの眼にはなんでもない草木、花、土、どんなものも違って映るのだろう。目を凝らし、必要なものを浮き出して見つけることができる。砂利を捨てて宝石を拾うことができる。私には出来ない。
 私の眼は、動きを鋭く捉えることに長けている。瞬時に頭に流し込み、対応した動きを体に反映させる。トトリには出来ない。

 トトリの眼と私の眼はまるで違う。見えている景色も全く違っているのだろうな。同じじゃない。

 私は何が言いたいのだろう。ああ、もう眠い。

 重く落ちる瞼に逆らえない私には、その先は考えられなかった。

 次の日の朝には、視界の悪い森をようやく抜けることができた。ほとんど開けた小高い丘だ、森に比べればはるかに歩き易い。ここまで来てしまえば、明日中には街に着くだろう。森から出たところでトトリの重みは変わったりはしないが。直接注いでくる、強すぎる日光を遮断するために帽子と上着を着る。
 
「やっと森を抜けられたね。もう少しだけ頑張って」
「言われなくてもそうするわ」

 暑い。

 足取り重く丘を進む。涼しい森の中を進んでいたこともあるだろう、堪え難い暑さだ。照らされる日光は全身を汗で濡らす。トトリを背負う腕が重く地面に落ちそうになる度、なんとか持ち上げる。

 暑い。トトリを背負っていることを差し引いても、今日はとくに暑すぎる。

 目に入る汗が鬱陶しい。人を一人背負うだけでこうも違うのか。トトリは急に静かになっているが、そんな気遣いは必要ない。

「ミミちゃん、一回休もっか」
「…そう、ね……」

 トトリは隠しきれない私の疲れを感じたのだろう、プライドが邪魔して足を止められない私の代わりに休憩を勧めてくれた。休むには少し早いが仕方が無い。いつものように虚勢を張る余裕も無い、確かにもう限界だ。なんとか林立する木の陰まで少しずつ、少しずつ、進んで。着いた。ああ、涼しい。足を止めた瞬間トトリは左足だけで急いで飛び降り、私も傍に倒れこんだ。荒い呼吸がようやく収まってくる。

「ミミちゃん、水飲んで!」
「……ありがと」

 水筒を受け取り口に付け、少しずつ水を喉に流し込む。水が全身に染み入り、乾いた細胞が水分を取り戻していく。


「今日はもう休も、急ぐでもないから」


 確かに過去二度、同じような状況になっては街の目は鼻の先であったから。トトリも私がここまで疲弊するとは予測していなかった。心底申し訳なさそうな顔をしている、そんな顔を見せるな。

「心配しなくてもいいわよ。私を誰だと思ってるの?」
「ミミちゃんは、ミミちゃんだよ。わたしこんなに…」
「あんまり舐めないでくれる?ミミ・ウリエ・フォン・シュヴァルツラングを。小娘一人背負うくらいで音を上げたりしないわ」

 こんな強がり、彼女は簡単に見破ってしまう。別にトトリを安心させたかったわけじゃない、口に出すことに意味がある。口に出せば責任を負うことができる。プライドが自分自身を鼓舞する。 

「……そうだよね。でも、今日はもう休もう」


 縋りつくような口調だ。私が承諾しない限り、こいつはこのおろおろとした顔を変えないだろう。思ったよりも進めなかったが、確かに2日が3日に増えてもそんなに変わりは無い。

「分かったわよ、分かったってば。私も休みたかった所だから」
「ゆっくり休んでね。なんでも言って。わたし、なんだってするから」
「なんでもなんて大げさね、軽々しくそんなこと言うんじゃないわよ。そのうち痛い目に会うわよ」
「大丈夫だよ、ミミちゃんにしかこんなこと言わないから」
「………」

 悲痛さすら感じる声。

 私はトトリの全てを知っているとは言えないが。人の信頼を利用するような嘘は絶対に吐かない、それは知っている。

 あの時、トトリは私を庇ってくれた。私のように鍛えてもいないくせに、体を張って死角から迫る攻撃を防いでくれた。自分の足の怪我よりも、最後の薬を私に使ってくれた。なぜ私なんかのためにここまで必死になれるのだろう。

 答えはとっくに分かっている。少しだけ自惚れではあるが。

 早めの夕食を済ませて木陰に二人並んで座り込むと、風がさっと吹き入りトトリの匂いを私へと届けてくれた。花のような甘い香りだ。なんて落ち着く香りだろう。汗も混じっているが、それすらも清々しい。風に全身の疲れが溶けていく。

 日は丘を、私達を橙に照らす。私達は夕闇に染まる空をなんとなく眺めていた。なんでもない時間も、トトリと一緒ならばこんなにも心地よい。どちらともなく肩を寄せ合い、ゆっくりと地平線に沈む夕日を時間も忘れて眺めていた。

 どれだけの時間そうしていたのだろう。すっかり日は沈み月が出ても、私達の目は空に張り付けられている。

 トトリは立ち上がって木の陰から出て、草の上に仰向けで寝転ぶ。私も彼女の隣に座って空を眺める。何一つ遮るものの無い開けた星空は、私達を明るく照らす。星が降ってくるような美しい夜空。

「綺麗ね」
「うん、すごく綺麗」

 指が触れ合った。遠慮がちな私の手を、トトリは簡単に捕まえる。細くて華奢な、滑らかな手。

 トトリに目を向ける。彼女の鳶色の瞳は、きらきらと無数の星を映して宝石のように輝いていた。

 昨夜眠る前に何か考えていた気がするが、もはやそんなことはどうでも良かった。私達は同じ場所で同じ星空を見ている。それが全てだ。

 そのまま眠っていたようだ、朝の日差しの眩しさに目を覚ます。眠るトトリの横顔は安らかで、何よりも尊い。トトリが私の横で安らかに眠ってくれるのが嬉しかった。

 この子を守り続けよう、私は勝手に心に誓った。

 再びトトリを背負い、歩き始める。

「トトリ」
「なあに?ミミちゃん」
「こんなことはこれっきりにしてよね」

 ここは、ここだけは素直に言わなければならない。

「あんたが怪我してる所なんて、見たくないから。怪我をしても治してあげられないなんて、嫌だから」
「…………」

 私に回された腕の力が、少しだけ強くなった気がした。トトリは今どんな表情をしているのだろう、彼女を背負っていては確かめることができない。

 なんでもいいか。私はトトリを背負うことができる、それで充分だ。

 トトリが何を思っていようと。 私がトトリを好きだということ、それはきっと、これからもずっと変わらないだろうから。

終わり

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