望月杏奈「キスの練習……?」 (22)
「ねえねえ杏奈ちゃん。しようよぉ」
杏奈ちゃぁん、と口にしながら杏奈のほっぺに、自分のほっぺを押し付けてくる。すごいむにむに……する…………。なにより、暑い……。
ここは事務所なのに……百合子さん、大胆……。
助けを求めるように周りに目線を向けた。
紬さん……目をそらす。
エレナさん……『ファイトだヨっ』と言わんばかりのサムズアップ。
未来……急に自分の瞳を手で覆った。だけど、指の隙間から顔を真っ赤にしてこっちを見てる。未来、ばーか。
どうやら……助けはないみたい、だね…………。
「だめぇ? 杏奈ちゃん」
「駄目。百合子さん…………しつこい……」
そう言っても一向に離れてくれない百合子さんを、杏奈は強引に押しのけて立ち上がった。あぁん、と百合子さんが気持ち悪い声をあげる。
らちが明かない、帰ってしまおう。
背中に追いかけてくる百合子さんの声を受けながら、杏奈はこの騒動の発端を思い出していた。
始まりの一言。百合子さんの一言。
『杏奈ちゃん。キスの練習、しよう?』
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『――――え?』
それはいつも通りの、夏の暑い日のこと。
直前まで、一緒にゲームをしてて……、休憩しようかって話になって一呼吸置いた時のこと…………。
最初、杏奈は何を言ってるのかわからなくて…………。だけど、落ち着いて、百合子さんの少し紅のさした頬を見て、やっと飲み込めたんだ……。
汗が噴き出して、暑さにも増して混乱して。
百合子さんも頭を暑さにやられたのかなって…………。
だから、聞き返そうとしたんだけど、
『百合子さん……何言って――』
『キス、ちゅーの練習っ。しよう?』
ずいっ、と顔を近づけてくる百合子さん。
目と目が合って、いつもの何倍もドキドキ……。
あんなこと言われたから、百合子さんの唇から目が離せない。光が跳ねて、艶めかしいツヤをまとうその唇。いつも見つめていたそれを、百合子さんが差し出している。
それも、しようと思えば一秒も待たずに触れるような距離。
だけど……杏奈の体は、後ずさっていた。
理由は、分からない……。だけど、これが正しいと思ったから…………。
『杏奈ちゃん、嫌?』
すると、百合子さんの表情が少し残念そうなものに変わっていた。それを見ると、少し後悔しそうになる…………だけど、絶対に後悔しないから……。
百合子さんのその質問には答えないで、一方的に聞き返した。
『なんで、急にそんなこと……言うの…………?』
百合子さんは、控えめに言って猪突猛進。率直に言って、馬鹿…………そういうところに、救われるときもあるんだけどね……。
そんな百合子さんだけど、何も考えずに、自分のその、キスをしちゃう人じゃない……。だから、聞いてみたかった…………。
その必要が、あるって思うから。
『だ、だって!』
『だって……?』
少し、緊張する。百合子さんがもしかして、杏奈のことを好きだとしたら……なんてことも考えてしまう。
だから、百合子さんの言葉を一期一句聞き逃さないように、百合子さんの赤い顔を見つめる。
口が、開いた。
『ファーストキスを済ませないと、魅力的な女性になれないって言うんだもん!』
百合子さんが両手を突き出した。その両手に握られているのは、一冊の本だった。
…………え。
『この本、すっごい面白いの! 女性同士がどろどろした闘争の果てに一人の男性を取り合うの! その登場人物の一人が、「キスもしたことのない生娘に、振り向く男なんていないんだ」って言うんだけどね――』
『…………はあ』
百合子さんは、また本に影響されて行動したんだね……。
それに、その本の内容的に考えると、魅力的な女性になった百合子さんはきっと、プロデューサーさんに……。
………………うん。
『それでね! ここからが面白いところなんだけど――って、杏奈ちゃん! 帰っちゃうの? 練習は!?』
『絶対、しないから……!』
なんとなく、不機嫌。
だから杏奈はどこか遠い世界に思考が飛んで行っている百合子さんを置いて帰ってしまった。
一晩寝れば、百合子さんも冷静になれる…………そう思っていた杏奈は、百合子さんを舐めていたかも……。
次の日、気まずい空気を覚悟して百合子さんに話しかけた杏奈を待っていたのは、意外な言葉だった。
『百合子さん、おはよ……』
『あ、杏奈ちゃん! 今日こそは、キスの練習しよう!』
もちろん断ったけれど、それからも百合子さんはしつこく迫ってきた。
時には『ゲームしよう? でも、私が勝ったらキスしてもらうからっ』とか言われるようになってしまった。
そういう時は柄にもなく本気を出して、百合子さんを叩き潰す……だって、その賭けに乗らないと百合子さんが一緒にゲームしてくれないんだもん……。
そんな百合子さんと、杏奈の歪な関係。
初めの方は静香とか歌織さんが止めに入ってくれたけど……懲りない百合子さんに根負けしちゃったみたい…………。
さっきのエレナさんもそうだけど、杏奈たちがイチャイチャしているみらいに勘違いしている人も出てくる始末……。誤解なのにね…………。
百合子さんはプロデューサーさんしか、見てないもん……。
そう、杏奈は百合子さんに聞いてみた。
なんで、杏奈に頼むのかって、そうしたら。
『だ、だって杏奈ちゃんが一番仲が良いから。引き受けてくれそう、って思って』
『……そっか』
言いたいことは色々あって、それは怒りとかも含んでいたと思うけれど百合子さんにそれを伝える気にはなれなかった。ともかく、伝えるのはあきらめて。
期待外れ、そう思った。
「杏奈ちゃーん。待ってよ」
「嫌」
夕暮れ時の大通り、人並みの中を杏奈は帰り道として歩んでいく。
杏奈は後ろを振り向かずに進んでいた。だけど、百合子さんが駆け足で杏奈を追いついてしまった。
はあはあ、と息を切らす百合子さん。パッと見、不審者だね……。
「ねえ、駄目かな? 杏奈ちゃん」
「絶対に、駄目だから……。百合子さんの馬鹿…………」
「馬鹿、って」
ちらりと百合子さんの表情をうかがうと、心外だ、と言わんばかりの表情を浮かべていた。えぇ……そこは同意してほしいな……。
そんな百合子さんの表情が、一転して明るいものになった。
なにか、思いついたんだね……百合子さん…………。
嫌な予感が、した。
「じゃ、じゃあ。キスしてくれたら、なんでも好きなゲーム買ってあげるよ」
…………。
本当に、百合子さんは、馬鹿だ。それを知ってる……つもりだったけれど…………。
今回だけは、杏奈も……。
「あ、杏奈ちゃん!?」
杏奈は百合子さんの手を取って駆け出した。帰り道の、大通りを掻き分けて、人気の少ない裏路地を目指す。
少し走って、目的地にたどり着いて手足を止めた。目的通り、薄暗い路地。空は両側を覆う建物によって妨げられて、夕暮れも相成ってひっそりとした黒色をしていた。
手を、離す。
「こ、こんな所に連れてきて……何の用事があるの? 杏奈ちゃ……うわわ、えっ、な、何!?」
「………………」
百合子さんは及び腰で、後ずさるけど……、背後には建物の壁があるだけ…………。逃げられないよ……。
一歩一歩、近づいて一歩一歩後退する百合子さんを、だんだんと追い詰めていく。
捕食者の気分……。ゲームのボスキャラクターもこんな気持ちなのかも…………。
百合子さんはもう逃げられない。だから、杏奈は百合子さんをさらに追い詰めるために、顔のすぐ横の壁に自分の腕を押し付けた。
いわゆる、『壁ドン』ってやつだね……。
杏奈のほうが背が低いから普通はあんんまり上手くいかないけど……、今回は百合子さんは怖がって姿勢を崩しているからうまくいったね…………。
「あ、杏奈ちゃん。これってまさか」
「………………」
百合子さんの瞳が、困惑と、少しの恐怖心で染まっているみたい。少し、ドキドキ…………。杏奈は手を緩めずに開いている左手で百合子さんの顎に触れる。まるで、狙いをつけるみたいに。
そして、顔を近づけていく。それも、百合子さんが杏奈とキスの練習をしようとした時くらいに。
百合子さんの吐息から逃げられないくらい近くて、視界のほとんどが百合子さんで占められている。でも、不便というより、ほかの何もいらない風に思えてくる。
頬が真っ赤で、呼吸も走った後だからか、いつもよりも早いみたい…………。だけど、きっと杏奈も百合子さんに……そう見えてるのかも…………。
唇に、目が行く。
熟れた果実みたいに、瑞々しい。奪ったら、きっと甘酸っぱい。
「百合子さん、目をつぶって……?」
「あ、ああ杏奈ちゃん。本気なの?」
そんな百合子さんの質問には答えない。代わりに、左で触れている百合子さんの顎を撫でる。ひゃっ、と百合子さんは言って、それっきり黙ってしまう。
少しして、百合子さんは目をつぶった。
さっきよりも赤い顔で、目の前で目をつぶって。
そんな全てを杏奈にゆだねている百合子さん。
「いくよっ…………」
「うっ、うん」
杏奈は百合子さんの唇を見つめて、そして。
杏奈の、が………………触れた。
百合子さんの熱が杏奈にダイレクトに伝わってきて、すごいドキドキする。体の中から百合子さんに燃やされるようで、おかしくなりそう。
でも、これは……。
「百合子さん…………。これで、終わりっ」
そう一方的に言い切って、杏奈は百合子さんから離れる。名残惜しい熱を感じるけど、今は違うから……。
百合子さんも少しのラグを伴って、ようやく気を取り戻したみたい。
「…………あ、杏奈ちゃん。今の」
「うん……。そうだね…………」
「キスじゃ、ないじゃん――ない、じゃんっ」
…………うん。
杏奈が百合子さんにしたのは、右手の人差し指で百合子さんの唇をついっとなぞっただけ。
全然違うって、目をつぶっている百合子さんにも分かったよね…………。
「キスの練習なんて、嫌だから…………。百合子さんも、少し怖がってもらおうかなって……」
「あ、う……。うん、少し、怖かったかも」
良かった。杏奈のこと、百合子さんは怖がってくれたんだね……。何の意識もされてなかったら、怖がらせられないと思うから……成功して良かった…………。
「だから、百合子さんも反省して……? キスって、ドキドキして、怖くもあって……。気軽に出来ることじゃないの…………」
「…………うん。ごめんね、杏奈ちゃん」
しゅん、と萎れる百合子さん。気づくと百合子さんの表情から赤みも取れてきていて、さっきほどドキドキもしてなさそう。
なんか、つまらないよね……。
杏奈は何日も、そうやって思わせぶりなことを言われていたのに…………ずるい、よ……。
だから、
「百合子さん」
「な、何かな」
百合子さんに向き合って、杏奈は少し悪いことを、そしてドキドキしてもらうことにする…………。
「杏奈とのキスは練習じゃなくて……。本番しか、許さないから、ね…………?」
そういって、いたずらっぽく、百合子さんの唇を撫でた指を唇に添える。ほんのりと、甘酸っぱい気がした。
百合子さんも、一瞬遅れて頬を真っ赤に染めた。口をぱくぱく開いてるけど、言葉が見つからないみたい……。……可愛い、ね。
それを見れたから、満足です……。踵を返して、人気の多い大通りへ足を向ける。
「あ、杏奈ちゃん。それって……!」
「杏奈……待ってるから…………」
それだけ言い残して、歩いていく。
プロデューサーさんのことばかり考えているのは、ずるいし、悔しいもん。
百合子さんに、杏奈のことを考えてドキドキしてもらうから…………。
そんな、二人だけしか知らない秘密の時間。
夏の暑さも塗り替えるくらい、ドキドキする時間…………。
百合子さん、いつか、今日よりも杏奈をドキドキさせてね……?
おしり
百合子はヘタレ攻めかな?
乙です
>>1
望月杏奈(14)Vo/An
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七尾百合子(15)Vi/Pr
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