【ミリマス】ある休日 (23)

アイドルマスターミリオンライブ、最上静香のSSです。
地の文が多いです。御了承の方は、是非。

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こうして家族で出かけるのはいつぶりだろうか。最上静香は、窓から見える夏の海と、トンネルや木々の陰に入った時に覗く自分の顔とを、見るともなく見ながら、そんなことを思った。


ーーー「アイドルになりたい」
十年来の夢を掲げて踏み出そうとしたとき、足枷になったのは、いま目の前で、黙って車を走らせる父だった。
打ち明けたあの日、父は、私が父の日に買ってきた豆で挽いたコーヒーを啜りながら、新聞片手に、遊びたい年頃だろうと言って、高校受験まで、という制限付きで、アイドルになることを許可してくれた。子どものやりたいことは全て尊重されるもの、というのは、やはり幻想だと実際に確認して、少し落ち込んだ。鳥籠は、うちにもあったのだ。それでも、鳥籠に脚を挟めつつ、私は、念願のアイドルになった。

毎週日曜日は、家族で出かけていたが、それ以来、その習慣はなくなった。
私は嘘を吐いた。レッスンのない日も、今日は参加しなければならないレッスンがある。
そうやって嘘を吐いた。積極的にその習慣の遂行を回避した。
ただ何となく、私は家族との時間を犠牲にするほどアイドルに真剣である、
というのを表明したかったのだ。だから嘘を吐く。鳥籠へのささやかな抵抗のために嘘を吐く。
そして私は、そうやって家族から抜け出す日曜日、本当に劇場に行って、自主レッスンをする。
自分の嘘を幾分か真実にするためだ。たまたま会う仲間からは、努力家で、
夢にひたむきだと思われているかもしれないが、この日曜日の自主レッスンに関しては、ひたむきでもなんでもない。
嘘を吐いたことの贖罪に他ならない。
誰もいないレッスン室の扉を開けると、空調の音ばかりが響いている。
そんな中にカセットで音楽をかけて、踊る。
贖罪だと思う癖に、踊っている間は、嘘を吐いたことも、時間制限があることも、
自分が籠の中の鳥だということも、全て忘れられた。自分はただ、全身を使って踊っている。
そればかりが頭にあった。ーーー



 窓から見える景色は、海から緑へと変化していた。
木漏れ日が土と草花に模様を付けている。
車は、海沿いの国道を逸れて、白線のない森の小道をゆっくりと走る。
転がった小石に乗り上げて、小刻みに車が揺れる。
その度に、助手席で船を漕いでいた静香の母が、目を覚ます。
そうしてまた、船を漕いで、いよいよ首をシートに預けて、眠ってしまった。
 しばらくして、突然父が、静香、と声を掛けた。
静香は、その響きをぼんやり聞いて、自分の名前だのに、懐かしかった。
いつも劇場で呼ばれていることを思うと、尚更不思議な心持になった。
「なに?」
「母さんにタオルケットをかけてやってくれないか」
「うん」
 後部座席には、いつも三枚のタオルケットが畳んで置いてある。
顔に当てると、うちの匂いがした。
静香は、昨夜、母が突然外へ出たのは、車にあるこのタオルケットを取りに行って、
洗うためだったのだと気がついた。
薄いクリーム色のが母、薄い青色が父、薄いピンク色が私だ。
静香は、そういえば昔はピンク色が好きだったなと霧の中で思った。
そうしてその思いは、いろいろに遷移を繰り返して、一つの場所に落ち着いた。



―――父が私の将来を思うのだとしたら、母は、私のこころと身体を思ってくれる。
定期ライブとテストが重なってしまって、遅くに帰ってきて、
遅くまで勉強する私に、人肌のミルクを持ってきて
もう寝なさい、と眉をひそめて、呟いたりする。
そうでなくとも、いつもレッスンのある日は、
迎えに行こうか、今日は早く帰るのか、と仕切りに連絡をよこしてくれる。
正直鬱陶しいと思うこともある。けれど。―――

 静香は、薄いクリーム色のタオルケットを二つ折りにして、
母の背後からそっと掛けてやった。母にそうされるように、愛を以て掛けた。


 山頂に着くと、小さな雲は青い空を躍動して散りじりに消え、
遠くでは入道雲がのっそりと構えている。
それよりももっと遠い、地平線の向こう側から、
風鈴を僅かに揺らす冷えた風が、ゆらゆらと断続的に吹いた。
 静香の父が、4ドアのワゴン車の後部を開け放ち、クーラーボックスを取り出す音を聞いて、
静香の母が目を覚ました。
母は、タオルケットを畳んで、大きな真黒い日傘を差して、外へ出た。
既に大空を細目に仰いでいた静香に、日傘をかざす。
 二人は、せっせとレジャーの椅子や机を並べる汗ばんだ父を、四方の木々から聞こえる蝉の声を聞きながら、見ていた。


 暑そうね、という母の、侮蔑と優越、余裕の混じった言葉は、蝉の声に埋もれて、くぐもった。
静香は、そんな母の態度を見て、私にはない美しさだと思った。
かといって、欲しいとも、手に入るとも思わなかった。
その美しさは、父と母、前近代的な夫と妻の関係からくる。
家庭において、父は威厳を持ち、母はそれに黙って仕えるばかり。
しかし外においては、父は何も言うことなく、ただ無私愛を以て母に仕え、
母はそんな父を、余裕な眼で見つめている。
その美しさに、静香は嘆息を漏らすものの、手に入るとも、欲しいとも思わなかった。
なので、静香は、父を手伝いたくて仕方がなかった。
今すぐに、余裕の影の中から出て行って、私も手伝うわ、と言いたかった。
しかし、父母の描く、美しい古風芸術を汚す気には、毛頭なれなかった。


 巨大なパラソルの下で、家族は向き合うこともせず、各々の椅子に座って、
ただ遠くにある夏の山並みを眺望していた。
車の後部に吊るされた風鈴の音が、風と共にささやかな涼を誘う。
 静香は、何も考えていなかった。自分が何者であるか。
何を夢見て、何を愛し、何に愛されている存在であるのか、
それら全てに対して盲目になった。
その無我の静寂を、静かに打ち破ったのは、父だった。
「最近どうなんだ」
静香は、その一言に含意されている意味を、どうとでも捉えることができた。
学校のことか、友人のことか、
それとも、アイドルのことか。
どうとでも捉えることはできたが、そうとしか捉えることができなかった。


 父からアイドルのことを聞いてくるとは、意外だった。
母は何も言わない。静香は、自然に口を開いた。
飾った言葉は使えそうにない。時間制限を撤廃する方向に、
半ば誘導するような上手い文句を垂れる頭は、一切働かなかった。
純粋な、清廉な、打算の無い、正直な言葉を紡ぐ。
「頑張ってるよ」


 静香は、言ってから自らの言葉を反芻して、
「楽しい」と言えなくなった自分に自覚した。
勿論「楽しい」のだ。しかし今はそれ以上に、
「頑張っている」という意識の方が強いということに気がついた。
それも当然である。楽しいばかりのはずがない。
むしろ夢を目指すのはつらいことの連続である。
楽しいのは、それを超えて得られるものだ。静香は漠然とそう思った。
「そうか」と父は言う。母は何も言わない。静香は眼を閉じて、風鈴の音を遠くに感じた。


 気がつくと、香辛料の香りが鼻を通った。
父と母が、コンロを出してカレーライスを作っていた。
静香は、首をもたげて、その光景を見た。父が味見をしているところだった。
父の顔は、少し緩んで、すぐまた引き締まった。
 空は茜と青の水彩に染まり、蝉の声も穏やかに鳴っていた。
母が目を覚ました静香に気がついて、おはよう、と声を掛けてきた。
随分と疲れていたみたいだから、と言って微笑むので、静香もまた微笑み返した。
父は、黙って飯盒の白飯を紙の食器によそっていた。


 食事が済むと、辺りはすっかり暮れ、暗い青で空が塗られていた。
西の空に星が見えた。月はない。今夜は新月である。

 静香と、その両親、すなわち他に代え難い一つの家族は、
コーヒーを飲みながら、夜の全天を横切る星々を、共に待った。


「あっ、いま流れた」
「ほんとう?」
「……見えなかったぞ。嘘を吐くな」
「ほんとうだってば!」

 静香は、星に願うことも忘れて、はしゃいだ。
自分だけが目にした流星を、大事な家族に何とか伝えようと努力した。
しかし、伝えようとすればするほど、嘘っぽかった。
その流星は一瞬で燃えて、既になくなった。
伝えようとすること自体が無意味だ。静香はそう思って、
はしゃいだ自分を子どもらしいと恥じながら、椅子に腰を落とした。


 その時である。
時間という一瞬の集積から、ほんの少しだけ、切り取って、
引き伸ばしたように、一際大きな光の粒が長いこと流れた。
「見えた」
「見えたな」


 その流星を皮切りに、夜空に、光の粒が数え切れないほど流れ出した。
しかし、静香の心は、あの一際大きな流星ばかりであった。
 静香は、あの流星に願い事をした。
かといって、なにを願ったのかは、本人にも判然としない。
しかし、確かに願った。それだけはやはり確かで、
こころには確固たる何かがある。それだけで十分だった。思い出す必要はない。


 夜通し空を見上げて、帰りは次の日の朝になる。
明け方に三時間ほどの仮眠を取り、行きと同じく、父の運転で自宅へ帰るのだ。
父は月曜日に有給を取っていた。父が有給を取るなど、あり得なかった。
 母はぐっすり眠っている。
父はひたすらに前を見つめてハンドルを握っている。
眠くないのだろうか、と静香は思う。大丈夫なのだろうか。
もし居眠りでもして事故になれば、などと思って、不安になった。
 別に、眠くないか、と話しかけるでもなく、
静香はただ、夜を越した重い瞼を持ち上げて、
万が一父が居眠ったら、すぐに後ろからハンドルを握って、それからブレーキを踏む、
という妄想を働かせて、仮初めの安心を得ながら、
ルームミラーに映る父をこまめに見た。
 すると、父とミラー越しに目が合った。
静香は、すぐに目を逸らす。対向車とすれ違う度に、風を切る音がした。
そればかりが車中に響いた。父が言う。
「眠くない。大丈夫だ。静香も寝なさい」
「でも」
「大丈夫だ。事故など起こさない。明日もレッスンなんだろう。今は寝て、疲れを残さないようにしなさい」
「……うん。ありがとう、お父さん」


 静香は、この言葉を後にしても、
父が、アイドルの活動を認めてくれたとは思わなかった。
時間制限は簡単には解けない。
これこそ仮初めである。父は頑固だ。
それも、私の将来を考えてくれている頑固だ。私のためにひたすらに頑固だ。


 確かに、父の思うようにアイドルは不安定だ。
専念して、失敗したら、遅れた分、通常の道への復帰は、
かなりの努力を有するかもしれない。
それに、成功したとしても、いつまでも成功し続けることができるわけではないし、
アイドルを引退した後どうする、という問題もある。


 それでも、私は走り続けたい。
たった一つの夢、初めて夢中になった。
この先の未来がよく見えなくても、一つだけ光が見える。
そればかりを指針に、殆ど盲目のままでも進む。
かけがえのない夢は動かない。ただ目指して走るだけだ。


 父の頑固と母の愛情、その居心地の良い「思い」を振り切って、
走る覚悟があるか。あるに決まっている。あるに決まっているのだ。
 静香は、目を閉じた。安心感があった。
先ほどまでの不安はない。父を信頼している。父は必ず約束を守る。

 でもせめて今くらい、居心地の良さに甘えたって、良いではないか。
静香は、そう思いながら、目を閉じたのだ。

<了>



投下に失敗してしまい、少し見にくいですね。
申し訳ありません……。

以上となります。ありがとうございました。

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