エレン「進撃の巨人オルタネイティヴ?」 (183)
※マブラヴオルタネイティヴについて、さわり程度のネタバレあり。重要なものはなし
エレン「うおおおおおぉぉぉッ!!」
雄叫びを上げながら立体機動装置のガスを全開で吹かし、飛ぶ。
人類の敵——巨人に向かって。
眼前には絶望的な状況。
無数の巨人の群れが見えたが、恐怖よりも怒りが勝った。
両手に持った二本の刃を振りかぶる。
その手を強く、強く握った。
闘志と、犠牲となった人類の魂を籠めるように。
エレン「人間を……」
エレン「無礼るなああああああッ!!」
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——start, "Unlimited".
エレン「……ん」
目覚めると、天井が見えた。
寝ぼけ眼で半身を起こし見渡すと、そこは見慣れた訓練兵の宿舎。
周りには同期の連中の姿。
まだ誰も起きていないようだった。
エレン(……訓練兵の、宿舎?)
状況を確認すると、虚ろだった意識が一気に覚醒した。
……ちょっと待て。
何故俺はここにいる?
エレン(何だこれ)
エレン(ここは……もうとっくに卒業したはずじゃないか)
エレン(俺は調査兵団を志望して、巨人と戦って……)
おかしい。記憶がぼやけている。
訓練兵団の卒業後、俺は何をしていたっけ?
さっきまで巨人と戦っていた気すらするのに。
……間違いないのは、俺はもう訓練兵などではないはずだということだった。
訳の分からないまま、朝食の時間となり食堂へ向かった。
道中、同じ部屋の人間と一緒に来たが、全て知っている顔だ。
……夢でも見ているのだろうか?
ふと、肩を叩かれた。
そちらを見やると、
ジャン「よう、エレン。おはようさん」
笑顔でそう言うジャンの姿があった。
……ジャン?
エレン「ん、ああ……。……ああ?」
思わず二度見する。
ジャン「なんだ、寝ぼけてんのか? きっちり顔洗ってこいよ」
そう言って、ジャンは手を振り配膳の卓に歩いて行った。
……俺とあいつは、こんなに気安く挨拶をする仲だっただろうか?
おかしな夢もあったものだ。
そう考えながら、俺も食事を取りに向かった。
食事の載ったトレーを手に適当な椅子に座ると、向かいに座りながら挨拶してくる男がいた。
アルミン「おはよう、エレン」
エレン「……アルミン」
思わずほっとした。
この状況に自分でも気づかないストレスを感じていたのだろう、
一番の親友と呼んで良いアルミンの顔は俺に安心を与えてくれた。
アルミン「……? どうしたの、エレン?」
何も言わず自分を見つめる俺に不審を抱いたのだろう、アルミンがそう問う。
それに答える前に、アルミンは更なる疑問を持ったようで、表情を変えた。
アルミン「あれ、エレン……なんだか急に、背、伸びた?」
アルミン「それに身体つきもちょっとがっしりしてるような……」
エレン「え?」
言われて考えるが、部屋に鏡などなかったので自分では分からない。
だが確かに、座って眺めるこの景色は、訓練兵時代の思い出よりも少し高みから見ているように感じられる。
身体つきも触って確かめるが、激しい訓練を乗り越えたそれだ。
昔はもっとひょろっとしていたように思う。
エレン「いや、どうだろう……成長期でも来たのかな?」
アルミン「気のせいじゃなかったら、随分急な成長期だね」
軽口で返すと、アルミンが笑ってその話題は終わった。
……自分はそのまま、状況だけ過去に戻るなんて、どうにも中途半端な夢だな。
未だ現実感を覚えず、ひとまず食事を進めると、更に近づく人影がいくつか。
アニ「……おはよう」
サシャ「おはようございまーす!」
クリスタ「おはよう、エレン、アルミン」
ユミル「うーす」
……何だ、これは。
アルミン「ああ、おはよう、皆」
何もおかしいことはないというように、アルミンが挨拶する。
彼女達も当然のように俺とアルミンの周りに座り、六人で食事を取る様子だ。
……こんな状況は間違っている、とまでは言わない。
だが不自然ではあった。
俺はいつも食事のときはミカサとアルミンと三人で固まっていた。
勿論その時々でそれに何人かの仲間が加わっていたが、この面子での食事というのは記憶にない。
特にアニなんか、誰かと連れ立って動くこともなく、いつも一人だったはずだ。
……そういえば、いつもうるさいミカサが来ないな。
寝坊でもしているのか。
サシャ「エレン、エレン」
エレン「あ?」
思考を左隣のサシャの呼びかけに遮られる。
サシャ「あーん」
そう言って彼女は大口を開けた。
意味が分からない。
エレン「……何考えてんだ? 芋女」
冷たい声でそう返すと、彼女はショックを受けたようだった。
サシャ「ひどっ!? そんな昔の呼び名を持ち出すことないでしょう!?」
ユミル「ははは! 今日はパンを分けてもらえなくて残念だったな、ええ? 芋女」
クリスタ「もう、ユミルったら。エレンもそんな冷たい言い方しちゃダメだよ」
二人が笑いながら言う。
……俺が、なんだって? サシャにパンを分けてやってたって?
二人も、言われたサシャも、それを眺めるアルミンも、邪気のない笑顔を浮かべていた。
どうやらこれは単なる冗談の一幕、らしい。
……それにしても、彼女達はこんな風だっただろうか?
サシャとはたまに馬鹿話をしてそれなりに仲良くしていたと思うが、
クリスタとユミルは俺にとって、仲が悪いわけではない、だが特に良くもない、言うなればただの同期だったはずだ。
特にユミルなどはいつもクリスタにべったりで、まともに雑談した覚えもない。
どうして彼女達はこのテーブルに来たのだろう。
右隣に目をやると、
アニ「……何?」
一人もそもそと食事を摂っていたアニがこちらを見る。
彼女も、おかしい。
いつも不機嫌そうに座った目をしていた彼女だが、今日はそうではなく、
……無邪気とでも言えばいいんだろうか?
こちらを不審がるでもなく、不機嫌さを見せるでもなく、ただ聞き返してきたという感じだ。
口数が少ないだけの、顔立ちの整った、ただの少女だった。
エレン「いや、今日のアニは、その、なんだ」
アニ「?」
エレン「別に大げさなことじゃないんだ。その、いつもより雰囲気が柔らかいというか、可愛いなって」
アニ「ッ!?」
……おお、珍しいものを見た。
頬を赤らめて恥ずかしがるアニなんて、天然記念物ものだ。
呑気にそんなことを考えていると、思わぬ方向から攻撃が来た。
クリスタ「……エレンって、平気でそういうこと言うよね」
ジト目でやや不機嫌そうなクリスタ。
これもまた珍しい顔だ。
彼女を崇めるライナーに見せたら気を失うかもしれない。
ユミル「スケコマシ」
サシャ「女泣かせ」
アルミン「あ、はは……」
クリスタ同様低い声でそう言うサシャとユミルに、苦笑するアルミン。
アニはまだ頬を赤くしたまま俯いていた。
……まったく、何だってんだ、この状況は。
困惑したまま、気まずい——それを感じているのは俺だけのようだったが——食事を終わらせる。
周りを見れば、宿舎に戻る者、そのまま食堂で雑談する者、外出する者に分かれていた。
なるほど、今日は休暇の日らしい。
ライナー「よう、楽しそうに食ってたな」
振り向けば、ライナーとベルトルトがいた。
……良かった、彼らの雰囲気は俺の知っているままのようだ。
安堵で笑顔になって返す。
エレン「馬鹿言え、人ごとだと思って。飯を食った気がしなかったぜ」
ライナー「何言ってんだ、いつものことじゃないか。さすが"恋愛原子核"」
ベルトルト「そうだね。少し羨ましくもあるよ」
二人が笑う。
……俺が、なんだって?
エレン「……なんだその、恋愛なんちゃら、ってのは」
ライナー「ん? ……ああ、まあそんなアダ名を認めたくない気持ちも分からんじゃないがな」
ライナー「周りにやたらと女が集まり、しかも全員に好かれる。アルミン先生曰く、恋愛原子核」
ライナー「お前にピッタリじゃないか。クリスタまで……俺の女神まで、チクショウてめえ表に出ろよ」
ベルトルト「ら、ライナー……何かちょっと漏れてるよ。冷静に、冷静に」
笑顔の中に殺意を滲ませるライナーと、それを宥めるベルトルト。
だが俺には返答する余裕がなかった。
恋愛、とこいつは言ったか。
アニ、サシャ、クリスタ、ユミル。
俺にとって友人、同期としての記憶しかない彼女達が皆俺のことを好いてるって?
質の悪い冗談にしか思えない。
だが、ライナーが言葉を翻すことはなかった。
俺はアルミンに声をかけていた。
エレン「なあ、ちょっと相談があるんだ。真面目な話だ」
アルミン「ん? いいけど……エレンが改まってそう言うなんて珍しいね」
今の状況は夢だと思いたいが、どうも目覚める気配はないようだ。
もし夢でないとしたら……現実逃避している暇はない。
だが何が起きているかなんて俺にはさっぱり分からなかった。
こういうときはアルミンに相談するに限る。
エレン「人が少ないほうがいいな。……そうだな、俺の部屋に行こう」
そう提案したが、アルミンの返答は意外なものだった。
アルミン「ええっ? 何言ってるの、僕が男子の宿舎に行けるわけがないだろ」
……ん?
エレン「……いや、お前が何言ってんだ? 同室じゃねえか」
だが思い出す。
今朝起きたとき、アルミンの姿は部屋になかった。
アルミンの表情が、これまた珍しく不機嫌そうなものに変わる。
アルミン「いくらエレンでもその冗談は怒るよ? 僕が気にしてるって知ってるくせに」
アルミン「そりゃ、この言葉遣いだし、身体つきも貧相だし、初対面の人には間違えられたりするけど……」
アルミン「僕だって、立派な女の子なんだから」
言っている意味が分からなかった。
いや、正確には、分かりたくなかった。
エレン「……アルミン、すまん、確認させてくれ。どうも朝から頭がぼうっとしてるんだ」
エレン「……お前は、男だよな?」
アルミン「だから怒るってば! もう、今日のエレンはどうしたのさ?」
……比喩ではなく、目の前が真っ白になった。
女の子。アルミンが女の子。
そうだ、女の子なら、男になくて女にあるものが付いているはずだ。
朦朧とした頭でそう考え、アルミンの胸に手を置いた。
アルミン「……え」
そのまま無造作に揉む。
その手触りには確かに、……本物を触ったことなどなかったが、男性のものとは違う膨らみと柔らかさがあった。
アルミン「……きゃあああああああっ!」
アルミンの平手が俺の頬を叩く。
これも人生初のことだ。
今日は初めてのことだらけだなあ。
痛みの中、ぼんやりとそんなくだらないことを考えた。
アルミン「……もう、ひどいよエレン」
エレン「悪かった、悪かったから話を聞いてくれ」
俺達は宿舎裏の芝生に腰掛けていた。
辺りに人影はない。
未だ怒っているアルミンを宥めながら、どう話を切り出すか考える。
だがどう話せば分かってもらえるだろう。
自分でも何が何だか分からないこの現状を。
……迷った末に、感じたこと、起きたことをそのまま言うことにした。
エレン「アルミン、俺……過去に戻ったかもしれない」
アルミン「……エレン?」
怪訝な顔をするアルミン。当然だろう。
エレン「おかしいんだ。俺は訓練兵を卒業して、確か志望どおり、調査兵団に配属されたはずだ」
エレン「そして巨人と戦って……いや、その辺りの記憶は曖昧なんだが、多分戦っていたと思う」
エレン「なのに今朝起きたら、ここにいた。俺はまた訓練兵になっていた」
エレン「……なあ、これってどういうことだ?」
出来の悪い冗談を聞いたようにアルミンが苦笑しかけるが、俺の真剣さが伝わってくれたのか表情を改めた。
慎重に言葉を選んでいる様子で確認してくる。
アルミン「えっと……気を悪くしないでほしいんだけど、夢とか妄想とか、って可能性は?」
エレン「俺もそうであってくれと思ってたが……一向に夢から醒める気配がない」
エレン「妄想ってのは正直否定できる証拠がないんだが、確かにこの手は巨人のうなじを斬った感触を覚えてるんだ」
アルミン「巨人を……斬った?」
見ると、アルミンは驚いた顔をしている。
……おかしいところがあっただろうか?
立体起動で近づき刃で巨人の弱点であるうなじを切り取る。
現状最も巨人への勝率が高い戦法だ。
アルミンは口に手を当て、考え込んでいる様子だった。
しばらくして再び口を開く。
アルミン「……他に気になる点はあるかい?」
アルミン「そうだな、エレンはさっき僕のことを男と言ってたよね? そんな風に、エレンの記憶と食い違うところは?」
エレン「ああ……そうだな、まず、俺の知っているアルミンは男だ。で、小さい頃からの親友だ」
エレン「アルミンが外の世界のことを教えてくれて、そのおかげで俺は外への憧れをずっと持ち続けている」
エレン「……そこは間違ってないよな?」
恐る恐る確認すると、
アルミン「うん。確かに僕らは幼い頃からずっと一緒だ。……性別は違うけども」
良かった。アルミンとの絆は残っている。
エレン「記憶と違うといえば……」
今朝の出来事を順番に思い出し、話す。
エレン「ジャンが普通に挨拶してきたんだが、俺ら仲悪かったよな? それとも違うか?」
アルミン「ジャン? ああ、そうだね、彼は成績上位になって憲兵団に入るって公言してる。エレンとは正反対の動機を持ってる」
アルミン「ただ二人とも、お互いの思想を否定するほど狭量でもないからね」
アルミン「僕が見てきた限り、それはそれとして、協力して訓練を乗り越えてきてる。仲は悪くはないと思うよ」
……そうなのか。
じゃあ俺の知ってるジャンがやたらと突っかかってきたのは何だったのだろう。
何か気に喰わないところでもあったんだろうか。
エレン「……次に、飯のときのことだ」
アルミン「ああ、大体いつもあのメンバーで食事してるよね」
エレン「俺の記憶じゃ違うんだ。サシャとはたまに同じテーブルで食うこともあったけど」
エレン「他の三人とはそれほど仲良くした覚えはない。いや、仲が悪かったわけでもないんだが」
エレン「第一性格が微妙に違う。俺の知ってるアニはもっと無愛想だし、クリスタはおとなしくて、ユミルは皮肉屋だ」
エレン「サシャは……まあ飯のことばかりだ。あんま変わらん」
アルミン「それは変だね。アニは口数が少ないだけでとても優しくて、よく他人を気にかけてる」
アルミン「クリスタは確かにそういうところもあるけど、気を許した人には人懐っこいよ。特にエレンには」
アルミン「ユミルの皮肉も冗談の域だ。エレンとはよく雑談しているよ」
……なんだろうな、この違いは。
これは彼女達の性格そのものが変わっているのか、それとも俺との距離によるものなのか。
そう考えて、ライナーの言葉を思い出す。
エレン「そうだ、アレはなんだよ、恋愛原子核って。お前が言い出したって?」
アルミン「うん、そうだよ。我ながら的確だと思うんだけど」
エレン「冗談言うな、何が恋愛だ。じゃああいつら皆俺が好きだってのか? 馬鹿馬鹿しい」
アルミン「……エレン、それこそ冗談? それとも、本気で鈍感なの?」
アルミンがジト目で睨んでくる。
アルミン「エレンはいつも何の気なしに女の子に的確な言葉をかけるからね、よく好かれる」
アルミン「……おかげで僕が苦労するんじゃないか」
最後の言葉は声が小さく聞こえなかったが、どうやら冗談ではないらしい。
恋愛。意識したこともないその言葉に呆然とする。
いつも周りに女が集まるだって? なんだそのチャラチャラした男は。
……女。
そうだ、一番気になることがあった。
恋愛対象じゃない。でも俺にとって、家族のように大事な女の顔を、まだ見ていない。
エレン「……もう一つ。今日はミカサはどうした? 食事にも来てなかったけど、病気でもしてんのか?」
アルミン「……え」
エレン「お前、さっきのメンバーでいつも食事してるって言ったよな」
エレン「俺にとっての"いつものメンバー"は、ミカサとお前だ。俺達はずっと一緒だったはずだ」
そう、ミカサはいつも俺と一緒に居たがった。
……少し鬱陶しくなるほどに。
アルミンの表情が変わった。
……驚き? それとも悲しみ? 正確なところは俺には分からなかったが、……嫌な予感を覚える。
アルミン「……エレン、正直僕は今まで、君の言葉を完全には信じていなかった」
アルミン「冗談……とは言わないけど、疲れか何かで記憶があやふやになってるんじゃないかと想像してた」
アルミン「でも、違うんだね。君の言葉は全て本当だったんだ」
エレン「……そうだよ。でも、何でそう思ったんだ」
アルミン「分かるよ。当たり前だ。他の何を忘れても、エレンがミカサのことを忘れるわけがない」
その表情は、悲壮感に満ちていた。
アルミン「エレン。ミカサはもういない。いないんだよ」
アルミン「十歳のときに死んだんだ。カルラおばさんと一緒に」
アルミン「巨人と遭遇して、生き残れたのは君だけだった」
用事がある、と言い残してアルミンが去った後も、俺は芝生に寝転んでいた。
……ミカサが死んだ世界、だって?
現実味がまったく沸かなかった。
あいつが俺の家に来てから今まで、顔を見ない日は一日もなかった。
あいつとはずっと一緒にいた。
それがいない世界。
アルミン『エレンに何が起こったのか、僕らには想像するしかないけど』
アルミン『僕ら二人の記憶が全て正しいのなら、可能性は二つほど考えられる』
アルミン『一つ。エレンは過去に戻った。その過去ではエレンの知っている歴史とは違う歴史になっている』
アルミン『二つ。エレンは今までいたところと似ている、けれど違う世界に来てしまった』
アルミン『……いや、歴史が違う時点でそれは違う世界と言ってもいい。どちらにしろ、世界の移動、ってことになるのかな』
あいつはそう言っていた。
……世界の移動?
それこそ質の悪い冗談と笑い飛ばしたかったが、現実にミカサはいなかった。
アニ「……どうしたの、こんなところで」
気づけば、アニが立っていた。
黙っていると彼女は寝そべっている俺の横に座った。
空虚な気分のまま、問う。
エレン「……ミカサって知ってるか? ミカサ・アッカーマンだ」
アニ「……? いや、知らない」
彼女はそう言った。何の含むところもない顔で。
エレン「だよな……」
思わず嘆息する。
彼女が言葉を継いだ。
アニ「知らないけど……もしかして、エレンとアルミンの幼馴染だった、って子のこと?」
エレン「……そうだ。俺はそいつのことを、どんな風に話したっけ?」
アニ「……シガンシナ区で、家族同然に暮らしてたけど、巨人に襲われたとき殺されたって」
アニ「自分はその敵を取るためにも巨人を駆逐するんだって。……いつか言ってたね」
"ここ"の俺にとって、巨人と戦う理由はもう一つあったわけだ。
それも、とんでもなく大きな理由が。
エレン「……あいつとは、いつも一緒だったんだ」
エレン「まるで母親か姉みたいなツラでいつも世話焼いてきやがって、俺はたまにそれが鬱陶しかった」
エレン「なのに何でだろうな、あいつがいなくなってそのことを思い出すと……」
まるで、半身が削られたようだ。
アニが、放り出していた俺の手に、自分の手を重ねてきた。
アニ「……」
アニ「……その子のこと、好きだった?」
エレン「……」
エレン「……さあ。分からないよ」
そうとしか言えなかった。
昨日まで一緒にいたはずの、そしてこれからも一緒にいることになるんだろうなと
思っていた人間が突然いなくなって、気持ちの整理などつかなかった。
エレン「悪い、一人にしてくれるか」
アニ「……分かった」
彼女は素直に立ち上がった。
去り際にこちらを振り返る。
アニ「エレン」
アニ「一人ぼっちになんてならないよ」
アニ「私達は、……少なくとも私は、あんたを一人ぼっちになんてしない」
そう言って彼女は去っていった。
エレン(……俺の世界でもあんな風に笑ってれば、もっと友達できてただろうにな)
そんな益体もないことを考えた。
アニと入れ替わるようにして、アルミンが戻ってきた。
あるいは、様子を見て気を利かせてくれていたのかもしれない。
その手には何冊かの本があった。
アルミン「今後のエレンのことだけど、さっきの仮説が正しいとして」
アルミン「元の世界に戻ることができれば一番いいんだろうけど、どうすればそんなことが可能なのか想像もつかない」
エレン「まあ、そりゃそうだ」
アルミン「となると、当面はこの世界で訓練兵として生きていくわけだ」
アルミン「だから教本を持ってきたよ。エレンの知識と違うところがあるなら今のうちに埋めておこう」
アルミン「特に明日からは大変な訓練が始まるしね」
大変な訓練……立体起動関連だろうか?
とりあえずアルミンの言うことはもっともだった。
ありがたく思いながら教本をパラパラとめくる。
アルミン「想像だけど、巨人の生態に関して記憶と違ったりしないかい?」
言われて、それについてのページを開いた。
エレン「……な」
思わず絶句する。
そこには、確かに俺の知っている教本とは違うことが書いてあった。
手書きの図解が付いた巨人の生態についての解説。
だがその姿は……「巨人」という名からは想像し難い、化け物じみたもの。
それはおぞましく、図解だけでも人を不快にさせるグロテスクな姿だった。
エレン「……なんだこれは。俺の知ってる巨人は、文字通り、大きな人間型だ」
アルミン「……やっぱり。さっきエレンがうなじを斬るとか言ってたから、もしかしてと思った」
アルミン「こいつらには人間の斬撃なんかで対抗できない。人の手には余る化け物だ」
アルミン「どことなく人に似ている部分も多いから、昔から巨人と呼ばれているけどね」
唾を飲み込む。
エレン「……俺の世界では、立体起動で撹乱・移動して、刃で弱点のうなじを削ぐのが巨人の倒し方だった」
エレン「そうだ、立体起動装置は? この世界にもあるのか?」
アルミン「あるよ。でもそれは、歩兵の装備だ。用途は撹乱・逃走・補給なんかだね。攻撃に使うものじゃない」
エレン「歩兵って……他に兵種なんかあるのか」
アルミン「衛士。僕らが目指すのもそれだ」
聞きなれない言葉だ。
アルミン「それはあとにしよう。先に巨人について簡単に説明するよ。細かいところはあとで見なおしてくれ」
エレン「……ああ」
アルミン「これが要撃(グラップラー)級。約十数メートルのデカさだ。ダイヤより固い腕での攻撃力が特徴だね」
アルミン「戦車(タンク)級。約数メートルだけど、対人探知能力が高く、人くらい簡単に喰らう」
アルミン「闘士(ウォーリア)級。兵士(ソルジャー)級。共に大きさは二メートル少々だけど、歩兵での近接戦闘は無謀だ」
……どいつもこいつもおぞましく、しかも恐ろしい能力だ。
だが解説はここからが本番のようだった。
アルミン「そして光線(レーザー)級。ここ最近発見された新種だ。こいつの攻撃力がとんでもない」
エレン「……レーザー? なんだそりゃ」
アルミン「なんと言えばいいかな、文字通り光の早さで飛んでくる銃弾、とでも言えば分かりやすいか」
アルミン「しかも射程は十キロメートル以上、当たれば人どころか家だって一発で蒸発する」
エレン「な……なんだそりゃ! そんなもんどうしようもないじゃねえか!」
アルミン「一応弱点としては、数が少なく、またレーザーの発射間隔は結構長いんだ。だからその間に倒せる」
アルミン「……熟練の腕と、運が必要だけどね」
アルミン「そしてこれは巨人全体に言えることだけど、奴らは何故か壁に攻撃をしない」
アルミン「でなければとっくに人類は終わっていたよ」
更にアルミンがページをめくる。
……そこには。
アルミン「最後の二つは、"級"とは言っても、それぞれ一体ずつしか確認されていない便宜上の名称だけど」
アルミン「要塞(フォート)級。実に五十メートルを超す巨体だ」
アルミン「突撃(デストロイヤー)級。大きさは十五メートル程度だが、その名の通り突進力がすさまじい」
アルミン「何故かこいつらだけ、人と酷似した姿をしてる。シガンシナ区を襲ったのはこいつらだ」
エレン「……知ってる」
アルミン「え?」
エレン「俺の世界でも、母さんはこいつらのせいで死んだ……この、超大型巨人と、鎧の巨人によって……!」
ここにもいやがった。俺の倒すべき敵が。
アルミン「……エレンの世界でも、名称は違えど同じ個体がいた……? どういうことだろう」
アルミンが考えこむが、そんなことはどうでも良かった。
問題は別のことだ。
エレン「それよりも教えてくれ。衛士について、そしてこの巨人共の駆逐の仕方について」
アルミン「……分かった。衛士とは戦術機を操る者。そして戦術機こそが対巨人の切り札だ」
エレン「せんじゅつき?」
アルミン「ああ。内地で偶然発見された古代の遺産が解析され、それを利用しいくつかの兵器が開発されたんだ」
アルミン「その中の一つが戦術機。調査兵団の天才、ハンジ・ゾエが生み出した、巨人を倒すための巨人」
アルミン「僕らが明日から訓練をする兵器だよ」
とりあえず今日はここまでです。
明日にでも続きを投下したいと思います。
続きです。
ハンジ「あーもう、クッソ! クッソ!」
調査兵団の詰所の奥、限られた者しか入れない部屋で、一人の人間が悶えていた。
辺りは無数の書類の山で埋もれている。
一際目立つのは、横幅が一抱えほどあるだろう巨大なビーカーらしきもの。
中には、人間の脳髄と思わしき物体が浮いている。
いや、浮いているのではない。
脊髄はビーカーの底につながっていた。
二人の男が部屋に入ってきた。
エルヴィン「荒れているな、ハンジ」
ハンジ「……ああ、エルヴィン、リヴァイ」
言われてハンジはそちらを向いた。
その目には隈ができており、睡眠の不足が見て取れた。
エルヴィン「様子を見に来たんだが……捗っていないようだな」
エルヴィン「少し休んだほうがいい。むしろ効率が下がる」
ハンジ「分かってるけど、休んでられるかっつうの!」
ハンジ「何が何でも"オルタネイティヴ計画"を成功させなきゃいけないのに、まるで目処が立たない!」
ハンジ「それができなけりゃ……」
リヴァイ「G弾の集中運用、か。……ふざけた話だ。王都のクズ共が」
ここまで黙っていたリヴァイが言葉を継いだ。
吐き捨てるように。
エルヴィン「G弾……対巨人(Giant)用兵器、というのも今となっては皮肉なネーミングだな」
エルヴィン「あれで死んだ巨人より、死ぬ人間の方が多くなるかもしれん」
リヴァイ「それだけで済むか。シガンシナ方面がどうなったかは分かってるだろう」
リヴァイ「世界全てがそうなるかはてめぇに懸かってること、忘れるんじゃねえぞ」
後半はハンジに向けて。
ハンジも頷いた。
ハンジ「……まあ、正直なところ」
ハンジ「"この子"に懸かってるんだけどね、実際」
ハンジとエルヴィンがビーカーの方を向く。
リヴァイは、見なかった。
リヴァイ「……とっとと行くぞ、エルヴィン」
エルヴィン「ああ」
ハンジ「え、また出るの? そっちこそ休まないと続かないんじゃない?」
驚くハンジを振り返らず言う。
リヴァイ「例えあれがモノになっても"ハイヴ"の場所の見当が付かねえんじゃどうしようもねえだろうが」
リヴァイとエルヴィンが扉に向かう。
リヴァイ「……人類は、負けねえ」
彼は、独り言のようにそう言った。
エレン「……すげぇ」
思わず呟く。
俺達訓練兵が集められたのは、戦術機格納庫と呼ばれる、俺の知らない建物。
その中には十体の二十メートル近い、——まさに機械の巨人があった。
これが、戦術機か。
周りと違い、事前知識のない自分が動揺し過ぎて浮いてはいないかと辺りを見回したが、
どうやらこんな間近で戦術機を見るのは初めての人間も多いようで、それぞれ興奮や驚きの感情を表していた。
キース「いいか、これが訓練用戦術機、"吹雪"だ!」
吹雪。聞き慣れないその響きは、アルミンによると東洋の言葉らしい。
古代遺産のうち、戦術機を作り上げるにあたって
参考にされた文献に東洋の言語で書かれたものが多かったらしく、
制作陣が敬意を表し、戦術機の名称はそれに倣って統一されているとか。
キース「吹雪は調査兵団の最新鋭機"不知火"を武装解除、簡易化したものである!」
キース「知っての通り、戦術機一機のコストは非常に高価だ! 貴様らの今までの生涯の餌代よりも遥かにな!」
キース「そしてそう容易く量産できるものでもない! 練習機の吹雪を加えても、戦術機の総数は現在千に満たない!」
キース「つまり訓練で大破でもしようものなら貴様らの首を持ってしても責任を取ることはできんということだ!」
キース「それを肝に銘じ、細心の注意を払って訓練に当たれ! 分かったか!」
「「はっ!!」」
千弱、か。
戦術機の主要兵装は、120mm砲弾、36mm砲弾、それに長刀、短刀辺りを必要に応じて使い分けるとか。
……俺にもよく分からんのでアルミンに噛み砕いて教わったところ、
でかい銃に小さい銃、それにでかい剣にナイフ。そんなところらしい。
また銃の種類もたくさんあるようだったが、正直覚えきれん。
撃てるってことが分かりゃ十分だ。
ともあれ分かったのは、俺達はまるで巨人のような兵器に乗り込み、
そしてそれに見合うサイズの武器で攻撃できるということだ。
それが千もあるというのなら、わりと簡単に巨人にも勝てそうな気がしてくるが、
現状そうでない以上、そうならない理由があるんだろう。
その辺りはまた今度アルミンに聞くとしよう。
昨日は教本の戦術機についてのページを眠くなりながら予習するので精一杯だったんだ。
キース「なお、実機で訓練するのはまだ先の話だ」
キース「当分は向こうのシミュレータ……戦術機の動作を疑似体験できる機械によって訓練を行うことになる」
キース「本日はまず、それを使用し、それぞれの適性検査を行う!」
言われて教官の目線を追うと、大きな箱……らしき機械が何個か見える。
それには様々な管が付いており、中に入ることができるようだ。
その中では、教官の言葉通り戦術機に乗っているような感覚で訓練が行えるらしい。
どうにも俺の世界に比べて、技術の発展が凄すぎて驚く他ない。
もし元の世界に戻れるときが来たら、戦術機一つくらい持ち帰れないだろうか。
……意味ないな、整備ができねえ。
キース「何か質問はあるか!」
コニー「はい! はーい!」
キース「はいは一度だ! ……発言を許可する、スプリンガー訓練兵」
コニー「あの……」
言いながらコニーは、十体のうち、端の戦術機を指さす。
そう、それは俺も、おそらく皆も気になっていたことだった。
コニー「あれだけ色も形が違いますが、あれも吹雪なんでしょうか?」
あいつの指差す先にあるのは、淡青の吹雪と違い、黄色の機体。
形もなんだか全身ギザギザしていて、どうみても別物に見える。
キース「……あれは、武御雷だ」
一瞬の間が空いてから、教官が答えた。
俺は聞いたことのない名前だったが……その途端、皆がざわついた。
——マジかよ——貴族の——武御雷って——え、どうして——
エレン(なんだ、なんだ?)
皆の騒ぐ理由が分からない。
くそ、予習をもっときっちりやっとけば良かった。
キース「静まれ!」
途端、全員が静まり返った。
キース「あれがここにあるのは……」
……そのとき教官が、クリスタの方を見た気がしたのは、俺の気のせいだろうか?
キース「……運用上、ここに一機置いておく必要があったからだ。あれは訓練機としては使わん」
キース「理由については機密に当たるため説明は省く。以上だ」
コニー「はっ! 了解です!」
それで話は終わりのようだった。
……まあ上のほうで色々考えがあるんだろう、とそのときの俺は思っていた。
ふとクリスタの方を見る。
彼女は、唇を噛み締めて武御雷を睨んでいるように見えた。
キース「では順番に検査を行っていく! 五人ずつ前に出ろ!」
「「はっ!」」
先頭の五人が一歩進んだ。
お、ライナーがいる。
キース「待て」
早速機械の中に入ろうとした彼らを教官が止めた。
その手には紙袋。
キース「これを持っていけ。絶対に内部を汚すな」
ライナー「は……これはその、何でしょうか?」
皆を代表してライナーが聞くが、
キース「やれば分かる」
教官はそれだけ言った。
……なんかちょっと楽しそうに見えるぞ?
結局ライナー達は困惑しながら機械に入った。
教官が何やら外部から操作をする。
傍からはよく分からんが、適性検査とやらは始まったようだ。
……教官の考えが分かったのは、あいつらが出てきてからだった。
ライナー「ぐぼっ……おげええええええええええ」
出てきた五人それぞれが、紙袋に向かって吐瀉する。
……適性検査ってのは何をやらされるんだ?
その後も検査を受けたやつのほとんどが吐いて、やがて俺の番が回ってきた。
エレン「さて、網膜投影とやらは……お、出てきた。すげえなこれ」
中は殺風景だったが、コクピットに座り待つと、目の前に外……を再現した映像が映った。
俺の格好は普段と同じ制服だが、頭にはヘッドセットを付けている。
これのおかげで、間接思考制御……とやらによるによる機体制御の補佐が行えたり、
機体の外の様子や仮想の風景を目に直接映すことができるらしい。
……自分で考えてて混乱してくる。つくづく技術の進歩しまくった世界だ。
やがて、機体が縦横無尽に揺れ始めた。
かと思えば急に止まったり、浮遊感を覚えたり、と様々な感覚が走る。
エレン(……なるほど、実機で走ったり飛んだりしたときの動作を再現してるのかな?)
確かに、揺れとかに関しては向き不向きがある。
馬車に酔ったりする人もいる。
これで余りにも向かないようなら歩兵になる、ということなのだろう。
……しかしこれは、
エレン(なんだろう、超余裕だ)
皆の様子を見て、どれほどひどい扱いを受けるのだろうと戦々恐々としていたが、特に何も感じなかった。
立体起動で飛び回るときのほうが、よほど疲れる。
だが立体起動ならこの世界でも皆訓練してるはずなのだが……
エレン(いや、違うか)
アルミンの言によれば、この世界での立体起動はあくまで単なる移動用の手段だ。
巨人の攻撃を避け、うなじを目指して飛び回り、剣を振るう訓練をしている
元の世界の俺達とは鍛え方が違うのかもしれない。
しばらくするとシミュレータは停止し、俺の適性検査は終わった。
全員の検査が終わり、教官の前に並んで立つ。
教官は検査結果をモニタで見つつ言った。
キース「今から名前を呼ぶ者は、不適正とする」
そして一人ずつ名前を呼ぶ。
この世界では戦術機の訓練の点数が最も高く、上位に入るには適正が不可欠だ。
俺は勿論、憲兵団に入りたいジャン辺りもドキドキしながら聞いていることだろう。
次々と名前が呼ばれていくが、元の世界での上位十名の名前は出てこない。
この辺はさすが、と言うべきか。五位の俺が言うのもなんだが。
そう思っていると、
キース「マルコ・ボット」
マルコの名前が呼ばれた。本人を見ると、傍目にも明らかにがっくりしている。
あいつ確か憲兵団志望だったしな。
立体起動は上手かったはずだが、戦術機はまた違うのだろうか。
キース「……以上の者は、今後戦術機訓練の時間は立体起動の訓練を行ってもらう」
キース「歩兵とて補給や人命救助等の重要な任務を背負うことには変わりない。今後も変わらず励むように」
「「はっ!」」
不適正だったのは訓練兵の約半数。結構狭き門だったようだ。
そういえばアルミンの名が呼ばれなかった。
運動の苦手なあいつに適正があったのが、言っちゃ悪いが意外だ。
けど、並び立って戦える可能性があるのは嬉しかった。
これで午前は終わりか、と思っていると、教官が付け加えるように言った。
キース「なお、参考までに伝えておく」
そこで、教官が俺を見た。釣られるように、皆も。
キース「今回の検査で、飛び抜けて結果の良い者がいた。エレン・イェーガーだ」
キース「ここまでの適正を見せたのは、かの"人類最強"に続いて二人目だ」
周りにどよめきが走る。
エレン(……あのリヴァイ兵長と、か)
ん? 今すんなりリヴァイ兵長、なんて思ったけど、俺あの人と面識あったっけ?
どうも元の世界での記憶が曖昧なのが困る。
しかし褒められたのは嬉しいが、言ってみればハンデ付きかもしれないと思うと微妙なところだな。
キース「今後、戦術機での起動について困ることがあればイェーガーに相談することも推奨する」
キース「以上だ。解散!」
クリスタ「すごいね、エレン!」
エレン「いや、まあ……まだ実機に乗ったわけでもないし、どうだろな。それよりアルミンに適正があって良かったよ」
アルミン「あはは、僕も正直、いつ名前を呼ばれるかドキドキしてたよ」
昼食を摂りながら雑談する。
ちなみに食事の面子は毎回、初日の朝と同じだった。
アニ「あの揺れは正直きつかったね……食欲がない」
ユミル「同感だ。今固形物を食ってもそのまま出そうだ……スープだけでいいわ」
サシャ「私は食欲全開ですよ? さっき吐きましたけど」
全員が黙ってサシャを見る。
俺以外の四人が、パンをサシャに差し出した。
サシャ「うぉぉぉぉ! やった! これから朝昼晩と戦術機訓練になりませんかね!?」
ユミル「勘弁しろ……」
心底うんざりした顔でユミルが言った。
サシャ「……けどあれ、もぐ、何だったんでしょうね、むぐ」
ユミル「何がだよ。……っていうか、口にモノ入れたまま喋んな」
サシャ「むぐ……ごくん。いやあの、武御雷」
何の気なしにサシャがそう言った瞬間。
クリスタの顔がわずかに曇ったのが横目で見えた。
そしてユミルの顔が険しくなったのも。
アニ「確かに変だね」
アルミン「うーん」
何が変なのか、俺には分からなかった。
そこを聞いてみたいところではあったが……それはあとでアルミンにでも聞けばいい。
それよりも優先することがある。
エレン「何だっていいだろ、俺達に言うべきことなら教官が言ってる」
エレン「むしろ教官は機密だ、って言ってたぞ。変に噂にでもして、飯抜きの罰でも受けたいのか? サシャ」
サシャ「げぇッ!?」
あえて冗談めかしてサシャに言うと、彼女はわりと本気でビビっていた。
……そんなに嫌か、飯抜き。
視界の端でクリスタがほっと息をつくのが見えた。
ライナー達(というか訓練兵の男ほぼ全員)がよくクリスタのことを、
女神だ天使だと言うのをアホらしいと思って見ていたのを覚えているが、
……なるほど確かに、見ただけで自分もほっとするようなその笑顔は、女神のものかもしれない。
食事も終わり、残り少ない昼休憩に外をぶらついていると、後ろから声をかけられた。
ユミル「エレン、さっきはありがとな」
エレン「……ユミル? なんのことだ」
彼女一人だった。辺りに人はいない。
ユミル「飯んとき、クリスタのことかばってくれたろ。珍しく察しよく」
エレン「……珍しくは余計だ」
だが、言われるとそうかもしれない。
卑下するわけじゃないが、俺は他人の気持ちに鈍感な方かも、という自覚はある。
……というか、実際ミカサやアルミンに散々言われまくってきた。
この世界に来て何か変わったのだろうか。
エレン「けど、何でお前が礼を言うんだ? ……あれか、クリスタはお前の嫁だからか」
そんな冗談を口にしているのを見たことがあったのでそう言うと、
ユミル「は? 嫁?」
怪訝な顔をされた。
しまった、この世界のユミルはそんなことを言わなかったのか。
内心慌てていると、ユミルが笑い出した。
ユミル「ははは、嫁か! そりゃあいい、クリスタが私の嫁になってくれるんなら安心だ!」
冗談と取ってもらえたか、と安心する。
ユミル「……けど、そうだなあ。そういう話なら」
彼女が近づいてきた。
同僚との雑談をする距離、と言うにはやや近い距離に。
ユミル「私が、嫁になるってのもいいな。それも、あんたの」
それこそ冗談だろう。
そう言おうとしたが、……彼女の顔はふざけていなかった。
何も言えず数秒は黙っていただろうか。
彼女がくすりと笑って背を向ける。
ユミル「まあ、それは置いといて……そうだな、私の一番の願いは——」
ユミル「クリスタがあんたの嫁に行くことかな。そして、幸せに過ごしてくれること」
ユミル「そっちはまだ、可能性がありそうだ」
振り返ってそう言った彼女は笑っていた。
それはいつもの皮肉げなものではなく、微笑みとでも形容すべきものだった。
ユミル「クリスタには他人に言いづらい秘密がある」
ユミル「それを受け止める度量のある男に愛されれば幸せだろうさ」
ユミル「あんたはそういう男になれるんじゃないかなと、私は思うんだけどね? エレン」
そう言って、彼女は再び背を向け、去ろうとする。
その背中に声をかけた。
エレン「……愛するだの嫁にするだのは保証しないが」
エレン「彼女が秘密を隠したいなら協力するし、話したくなったら黙って聞くさ」
ユミルは返事をせず、手をひらひらと振って歩いて行った。
アルミン「武御雷かあ」
午後の訓練を終え、夕食を食べたあと、俺とアルミンは再び宿舎裏を訪れていた。
色々と足りない知識があるのを補充したい。
どうもこの世界の歴史や巨人についての基礎知識の座学はとっくに終わってしまったらしく、
本を読むだけでは分からない部分を補足するには俺の事情を知るアルミンに聞くしかないのだ。
だが、それらを置いておき、まずはその質問を投げた。
エレン「皆気にしてるようだったからさ。なんか曰くつきの機体なのか?」
皆……特に、クリスタが。
アルミン「……んー、というか、単純に嫌われてるんだよね、あれ」
エレン「嫌われてる?」
アルミン「スペックは高いんだけどね。不知火より上だ。現状じゃ最強の戦術機と言っていい」
エレン「なら、対巨人の有力な武器ってことじゃないか。なんで嫌う必要があるんだ」
アルミン「使い手の問題さ。武御雷に乗る人は二種類に別れるんだけど、まず一つが憲兵団」
憲兵団……俺の世界じゃ、内地で適当に過ごしてる奴ら、ってイメージしかなかったが……
……ん、内地?
エレン「……憲兵団って巨人と戦うか?」
アルミン「まず戦わないね。基本、内地から出ないし、任務も戦術機のいらないものばかりだ」
エレン「それがなんで最強の戦術機に乗るんだよ!?」
アルミン「抑止力、って言われてる」
……どういうことだ。
アルミン「つまりね、戦術機ってのは見方を変えれば、非常に危険なものなんだ」
アルミン「その気になれば、王都までひとっ飛びで行けて、王宮の破壊だって可能なんだから」
アルミン「それを防ぐため、王の周りに最強の戦術機集団を置いてる……というのが、まあお題目」
アルミン「訓練兵上位十名までが憲兵団に行けるのもそのためみたいだね。戦術機に長けてないと上位入りはできないから」
エレン「んなことする馬鹿がいるか! 例えやったって推進剤が切れて逃げきれやしねえ!」
アルミン「そりゃしないけど、『できる』ってのが気になるんじゃないの。分からないでもないよ」
嘆息する。
元の世界でもそうだったが……やはり人類は、強敵に対して一丸となるなんてことは無理なんだろうか。
エレン「……で、二種類いるんだっけか、乗り手は? もう一つはなんだ」
アルミン「貴族、王族さ」
エレン「……あ?」
聞き間違いかと思ってアルミンを見たが、残念ながら聞いた通りのようだった。
エレン「……貴族や王族って戦うのか? つーか、乗るのに訓練が要るような兵器を使えるのか?」
アルミン「戦わないし、使えないよ。まあマニュアルを真面目に読んでて運が良ければ、ちょっと飛ぶのはできるかも」
エレン「……つまり逃げるために乗るのか?」
アルミン「実際はそのつもりだろうね。表向きは、いざというとき巨人と戦うためってなってるけど」
エレン「……仮に王都の方まで巨人が押し寄せるような事態になったとしたら、それもう人類絶滅確定だよな?」
アルミン「詰んでるね」
エレン「……馬鹿じゃねえの?」
アルミン「ついでに言えば、出自によって武御雷は専用色がある。憲兵団は黒、貴族や王族は白赤黄青紫……」
エレン「馬っ鹿じゃねえの!?」
その反応は分かってた、とばかりにアルミンがため息をついた。
アルミン「……さっき格納庫にあったのは、黄色だ。結構いい家柄の貴族のもの」
エレン「つまり、皆がなんか騒いでたのは……」
アルミン「今エレンが叫んだことと同じことを考えたからさ。それと……」
アルミン「多分いるんだろうね、訓練兵の中に貴族の血筋の人が」
それはおそらく、彼女なのだろう。
エレン「でもまあ……そう考えると悪いことでもなかったのかな」
エレン「だって、親馬鹿かなんかで、そいつに高性能機を与えたかったやつがいたってことだろ?」
エレン「万一卒業前にここが戦場になったらって。公私混同だが、生き残る確率は上がる」
それで彼女が死なずに済むなら、それは喜ばしいことのはずだ。
だが、アルミンの顔は冴えなかった。
アルミン「ありがた迷惑、ってこともあるよ」
エレン「ん?」
アルミン「僕らの知る限り同期に貴族を名乗る人はいない。ってことは、その人は身分を隠してるんだ」
アルミン「隠す理由次第じゃ、簡単にそれを明かして武御雷は私のだ、って言うわけにもいかない」
アルミン「下衆な想像をすれば、それを想定した嫌がらせってことも考えられる。随分金のかかる嫌がらせだけどね」
何も言えなかった。
巨人を駆逐したい……その思いは誰もが持っているはずなのに、
他のことで手一杯な人類に、世界に、少しうんざりしていた。
それ以上続ける気にはならず、話題を変える。
エレン「しかし、つくづく戦術機ってのはすごいな。今日は驚きっぱなしだったよ」
エレン「俺の世界じゃ考えもつかない無茶苦茶な技術が盛り沢山だ」
だがアルミンの答えは想定外のものだった。
アルミン「それは僕らにとっても同じだよ」
エレン「……ん? そうなのか?」
アルミン「実際にいつから開発されだしたのか定かじゃないけど」
アルミン「戦術機が実用化されてまだ十年も経たないんだ。具体的にどんな部品でどう作ってるのかは、末端は誰も知らない」
アルミン「あれに使われてる技術力は異常だよ、この世界にとっても」
アルミン「聞いた話じゃ、大半の整備兵も詳しい理屈は分からないままとりあえず整備してる状態らしい」
エレン「……大丈夫なのか、それ。いやまあ、立体機動装置もブラックボックスとかあったけど……」
アルミン「古代の遺産から出来上がったというだけあって、自然発生したというより……」
アルミン「そう、まるでこの世界に降って湧いたみたいな。そんな存在だよ」
どうにも頼りない話だ。
だが、この世界の巨人と戦うためには、あれを使うしかないのは分かる。
エレン「……まあ、使えるもんは使うしかないな」
アルミン「そうなるね。考えても仕方ない」
サシャ「何がですか?」
エレン「いや、戦術機……うお!?」
思わずアルミンと二人して腰を浮かした。
振り返ればそこにはサシャがいる。
俺達を驚かせて満足したのだろう、見ていてイラっとくる顔でむふーと鼻息を吹いている。
エレン「……なんでここに?」
サシャ「匂いがしましたので」
無駄に左手を腰に当て、無駄に右手でVサインを作ってくる。
こいつの人をイラっとさせる才能は異常だ。
サシャ「おーい! やっぱりここでしたよ!」
サシャが後ろに向かって手を降った。
すると現れる三つの影。
エレン「……お前ら」
クリスタにユミル、それにアニ。
……アニは「私は何も知らないよ」という顔でそっぽを向いている。
ユミル「何だアルミン、抜け駆けは感心しないなあ? あんたをそんな子に育てた覚えはないぞ?」
サシャ「何をしてたのか吐いてもらいますよ!」
アルミン「ちょっ……ち、違うよ! そういうんじゃないって!」
何だ、抜け駆けって。というか、男二人で話してただけで何故詰問されるのか。
……あ、男二人じゃねえや。
いかんいかん、服を着てると分からない程度の胸の膨らみなのですぐ忘れる。
クリスタ「勉強でもしてたの?」
その視線は持ってきていた教本に向いていた。
実際そうなのだが、わざわざこんなところで薄暗い中、密かにやっていた理由にならない。
違う世界から来て記憶が色々違うので学ぼうとしてましたなんて言えるか。
どう言い訳したらいいものか迷い、アルミンの顔を見やると、何か決意したような表情だった。
アルミン「……秘密にしておいて欲しいんだけど」
ん?
アルミン「実はエレンは、軽い記憶障害を起こしているんだ。生活に支障はないけど、ところどころ記憶が抜けてる」
アルミン「だからそれを周りに知られないように、こっそり補填してたんだよ」
クリスタ「ええっ!?」
クリスタが叫ぶ。他の三人も驚いた顔をした。
……アルミンの説明は、結果は現実と同じだが、原因は嘘八百だ。
こんな話をして教官にでも漏れたら開拓地行きになりかねない。
だがアルミンが話したのなら、彼女達はそれを漏らさない、という判断なのだろう。
俺はその判断をしたアルミンを信じる。
クリスタ「エレン! それって大丈夫なの!?」
エレン「あ、ああ……」
アルミン「大丈夫、訓練に実害があるのは座学の内容をぽつぽつ忘れてることだけだよ」
サシャ「なんと……」
アニ「……」
……皆納得してくれただろうか?
そのとき、ユミルが考えこむような仕草でこう言った。
ユミル「んー、そいつは許せんなあ」
エレン「え」
ちょっと待て、告げ口されちゃうのか?
こっちのユミルはさておき、元の世界のユミルはイマイチ信用の置けないところがあったように思い慌てると——
彼女は俺の肩に腕を回し、笑って言った。
ユミル「いっつも同じ釜の飯を食ってきた私達は除け者にして、アルミンだけに頼ってたことがさ」
……ユミル。
クリスタ「そうだよ。私達も手伝う。ううん、手伝わせて」
……クリスタ。
アニ「……座学は正直、苦手だけど。やれる範囲で良ければ」
……アニ。
サシャ「私も手伝うのでご飯分けて下さい」
……お前いい加減にしとけよ。
サシャ「嘘! 嘘ですって! じゃあ明日から空き時間に勉強会ですね。今日はもう消灯近いし」
……サシャ。
アルミンを見る。
大丈夫だったでしょ? その笑顔がそう言っていた。
エレン「……ああ。ありがとう、皆」
「「……」」
……おい、なんでここで黙る。
アニ「……なんか最近、気になってたんだけど」
ユミル「お前もか。どうも最近エレンのやつ……」
クリスタ「おとなしい……違うな、大人っぽくなった? のかな?」
サシャ「前はもうちょっとこう……キレやすい若者って感じでしたよね? 礼? 拳で払ってやんよ! ぐらいの」
アルミン「そ、そこまで?」
……褒められてんのか、貶されてんのか。
だが確かにそんな自覚はあった。
理由は……何だろう。
この世界に来て混乱してる?
……いや、それ自体はあんまり大したことと思っていない気がする。
武器と敵が変わっただけで、やることは変わらない。
どちらかと言うと、この世界でも巨人は駆逐してやるぜ! くらいに感じてる。
変わったことと言えば。
……そうか。
エレン「ミカサがいないから、……かな」
アニ「……」
クリスタ「ミカサ、って……」
エレン「話したことあるっけか? 死んだ幼馴染だ」
エレン「……最近記憶障害のせいで、よく思い出すんだよ。ちょっと前まで一緒だったように感じるんだ」
実際には、本当にちょっと前まで一緒だったんだが。
エレン「あいつは強くて、世話焼きで……そうだな、当時の俺は煙たがってたけど、本当はずっと助けられてきたんだ」
俺はあいつとアルミンに助けられて、今日まで生きてきたんだ。
兵士になる前も、多分なった後も。
俺が勢い任せに行動して、アルミンが作戦を考えて、ミカサが実力行使。
そうやって、何だって蹴散らしてきた。そんな気がする。
エレン「あいつがいないと、俺が馬鹿やっても力尽くで止めてくれるやつがいないからな……」
エレン「それで、モノをよく考えるようになったのかもな」
皆の表情が沈んだ。
……微妙な話をしてしまっただろうか。
そう思っていると、
アニ「……前にも言ったけど」
アニ「私があんたを一人にはしないよ」
そう言って、彼女は微笑んだ。
気づけば、服の裾をそっと掴まれている。
クリスタだ。
その目は、うっすらと涙ぐんでいた。
クリスタ「……私も」
少し掠れた声で言う。
潤んだ瞳で、上目遣いで見上げてくるその顔は——
エレン「結婚しよ」
クリスタ「え」
エレン「あ、いや、なんでもない。冗談だ」
いかん、ライナーが移った。
……なんで皆、微妙に座った目で睨んでるように見えるんですかねぇ?
戻り際、アルミンがひそひそと話しかけてきた。
アルミン「ねえエレン、さっき言ってた、ミカサは強いって……」
エレン「ああ。お前も知ってるだろ」
アルミン「そうだけど。兵士になってからもそうだったの?」
……そうか。
こいつは十歳までのミカサしか知らないんだ。
エレン「……とりあえず、訓練兵では主席だった。ぶっちぎりで」
アルミン「ええっ」
エレン「卒業してからも……なんか普通の兵士百人分のバケモン、とか言われてたような。確か」
アルミン「……」
アルミン「やっぱり、ミカサってすごいんだねぇ」
泣き笑いのような顔をして、アルミンはそう言った。
……訓練の日々は過ぎていく。
戦術機以外の訓練は、何しろ卒業済みで実戦経験もある俺だ。
それほど苦労することもなくこなした。
格闘訓練で、いつもボコボコにされてたアニに勝てたのは嬉しかったな。
まあ、その後やっぱりでんぐり返しにされたんだけど。
苦労したのは戦術機の扱いだ。
機体を動かすのは、いい。戦術機の動きの肝、三次元起動も、
立体起動に慣れた身には同じ事を機体にやらせるだけだ。
問題はやたらと多く細かい専門知識の習得と、見慣れない電子機器の操作。
アルミン先生がいなければ脳みそが溶けそうだった。
ちなみにサシャコニー辺りは本当に溶けていた。
初めて実機を動かしたときは興奮した。
まるで自分が巨人になったようなその視界と振動に。
……けど、何故かそれが初体験じゃないように思えたのは何でだろな。
そして空き時間には食堂でお勉強。
順位を上げようと予習復習する人間は少なくない。
おかげで俺達も特に目立ちはしなかった。
あ、いや、よく隣に座るクリスタに視線を注ぐライナーには気づいていたが、無視した。
アルミン「つまりね、門自体は大した意味はないんだ。要塞級や突撃級以外にも、要撃級や光線級、戦車級だって壊せるんだから」
アニ「……仮に門を破られ、街中での戦闘になったとしたら」
アニ「戦術機で巨人と戦えば辺りがどうなるかは分かるだろ? 例え巨人を撃退できても街は終わりだ」
なるほど、と頷く。
俺たちの世界じゃ要塞級と突撃級——超大型巨人と鎧の巨人以外に門を破れる巨人はいなかったから、
門の死守が最優先事項だった。だがこの世界の巨人は門を破れる個体が他にもいる。それも集団で。
……訓練の日々は過ぎていく。
戦術機以外の訓練は、何しろ卒業済みで実戦経験もある俺だ。
それほど苦労することもなくこなした。
格闘訓練で、いつもボコボコにされてたアニに勝てたのは嬉しかったな。
まあ、その後やっぱりでんぐり返しにされたんだけど。
苦労したのは戦術機の扱いだ。
機体を動かすのは、いい。戦術機の動きの肝、三次元起動も、
立体起動に慣れた身には同じ事を機体にやらせるだけだ。
問題はやたらと多く細かい専門知識の習得と、見慣れない電子機器の操作。
アルミン先生がいなければ脳みそが溶けそうだった。
ちなみにサシャコニー辺りは本当に溶けていた。
初めて実機を動かしたときは興奮した。
まるで自分が巨人になったようなその視界と振動に。
……けど、何故かそれが初体験じゃないように思えたのは何でだろな。
そして空き時間には食堂でお勉強。
順位を上げようと予習復習する人間は少なくない。
おかげで俺達も特に目立ちはしなかった。
あ、いや、よく隣に座るクリスタに視線を注ぐライナーには気づいていたが、無視した。
アルミン「つまりね、門自体は大した意味はないんだ。要塞級や突撃級以外にも、要撃級や光線級、戦車級だって壊せるんだから」
アニ「……仮に門を破られ、街中での戦闘になったとしたら」
アニ「戦術機で巨人と戦えば辺りがどうなるかは分かるだろ? 例え巨人を撃退できても街は終わりだ」
なるほど、と頷く。
俺たちの世界じゃ要塞級と突撃級——超大型巨人と鎧の巨人以外に門を破れる巨人はいなかったから、
門の死守が最優先事項だった。だがこの世界の巨人は門を破れる個体が他にもいる。それも集団で。
アルミン「それを踏まえて各兵団の仕事をまとめると、こうなる」
アルミン「調査兵団は、その名のとおり巨人の巣……南の方にあるらしいと言われているそれを探すことと」
アルミン「壁の外から定期的に侵攻してくる巨人達にこちらから攻撃して、それを討伐、もしくは減らすこと」
エレン「……定期的? おいちょっと待て、巨人はちょくちょく攻めてきてるってのか?」
アルミン「そうだよ。トロスト区目指して。数ヶ月に一度くらいらしい」
事も無げに言った。……門を簡単にぶち破れる奴らが、そんな頻繁に攻めてくるってことは……
ユミル「そのための駐屯兵団だろ。調査兵団が減らしといた巨人群を、今度は駐屯兵団が壁際で迎撃する」
クリスタ「壁際なら、壁上の固定砲での支援もできるしね。……光線級がいたら無意味だけど」
サシャ「最近は出てないみたいですねえ」
エレン「……じゃあ、たまに飛んでた陽炎や撃震の隊は、訓練とかをしてたんじゃなくて……」
アニ「壁の外で、巨人を迎え撃ちに行ってたんだよ。私達が訓練に明け暮れてる間もね」
絶句する。そんな身近に巨人が迫っていたなんて。
……にしても、聞いた限りこの世界じゃ、調査兵団と駐屯兵団は密な連携で巨人に対抗してるんだな。
少し嬉しくなる。
そういえば、気になることがあった。
エレン「なあ、巨人ってどれくらいいるんだ? 戦術機は千近くあるんだろ? 一気に全滅させたりできないのか」
アルミン「不明、としか。何しろ巣が見つからないし、どうやらそこから次々に湧いてくるようなんだ」
アルミン「ただ一度に攻めてくるのは数百から、多いときは千を超えるらしい」
千。門をぶち破れるやつらが。
……それって、今までウォール・ローゼで食い止められてたのが奇跡なんじゃないのか?
ユミル「それに機体総数千近く、ったって実際使えるのはそこまでないよ。まず私達の訓練機、吹雪と……」
そこでユミルが気分悪そうに顔を歪める。
ユミル「憲兵団保有の武御雷数十は除外だ。それに駐屯兵団も南区に戦術機を集めてるけど、他をゼロにするわけにもいかない」
ユミル「調査兵団も調査に機体を割かなきゃいけないし、更に故障した機体なんかを合わせれば——」
アニ「——南の防衛に割けるのは半分以下。トロスト区に限定すれば、百か、せいぜい二百ってとこじゃないか」
……人類側は戦術機開発と衛士育成を進めてるが、定期的な戦闘で被害も多いだろう。
そして総数も巣も分からず、いつ壁のこちら側に抜けられてもおかしくない敵の数、
更には出現しただけで戦況を大きく変化させる光線級の存在。
今のところ、こちらからできるのは、攻めてくる敵を撃退するのみ。
これって……
エレン「……まとめると、人類はいつ終わってもおかしくないジリ貧状態ってことか?」
全員が苦笑する。言っちゃった、って顔だ。
サシャ「身も蓋もないですけど……そうなりますねえ」
ユミル「あと数ヶ月で私達も卒業だが、正直、ここが墓場になるかもとは思ってたからな」
アニ「……思ったより持ってるね、トロスト区」
全くもって、先行きは暗いらしい。……勿論それで戦意が萎えることはないが。
エレン「……けどなあ。せめて巣が分かるとか、超すごい新兵器とか、そういうのがないと苦しいな」
クリスタ「あはは……前者はともかく、後者はちょっと都合良すぎじゃない?」
ユミル「……いや、そうでもないぜ」
全員の目がユミルに集まった。
ユミル「あー、まあうわさ話程度だが……調査兵団が極秘に何かを研究してる、って話は聞く」
ユミル「あいつらだってジリ貧ってのは分かってるはずだ。戦況をひっくり返す何かかもしれないぜ」
そう言う顔は、冗談を言っているようには見えなかった。
うわさ話ってことだが、もしそれが本当なら……希望が持てる。
アルミン「……戦況をひっくり返す何か、と言えば。気になってたことがあるんだ」
アルミンの顔は深刻な色をしていた。
アルミン「シガンシナ区が落とされた頃はまだ戦術機の配備も満足に済んでなくて、陥落は早かった」
アルミン「僕らはなんとか逃げられたけど、船から見た……街中にうごめく巨人の群れの姿は忘れないよ」
身を震わせて、アルミンは続ける。
アルミン「そして奴らがそのまま進軍したら、ウォール・シーナまで一気に抜かれて人類が終わってもおかしくなかった」
アニ「……今そうなってないってことは、何かあったってこと?」
アルミン「今のシガンシナ方面については何も情報がないし見にも行けない。想像するしかないけど」
アルミン「戦術機が少ない状況で、あの大群を撃退できる……何かがあったのかもしれない、と僕は思ってる」
その推測が当たっているかどうかは、俺には想像もつかなかったが。
二つの"何か"。それは片方だけでも実在するのか。それとも両方?
……考えても仕方ないことだ。
俺はただの、一兵士なのだから。
そして。
時は経ち、俺達、第104期訓練兵は、卒業の日を迎えた。
続きます。読んでくださっている方、ありがとうございます。
あと念のため言っておくと本編の武御雷は大好きです。
……本当はさらっとマブラヴ要素を入れた、気の利いた短編で終わらせようと思ってたんですが、
さらっと入れるだけでどんどん長くなっていくのは何でしょうね。
進みが遅く感じたらごめんなさい。
これはマジで期待
あと少し気になった事
物事の「さわり」って言うのは核心、肝の事を指す言葉なんで
「さわり程度」って日本語は正確でない
まぁそんな事関係なく楽しみにしてるんで、是非完走してくれなんだぜ
続きです。
>>72
ご指摘感謝です。知識不足でした
「心臓を捧げよ!!」
「「はっ!!」」
全員が左胸に拳を叩きつけた。
そして成績上位十名の名前が発表される。
主席、俺。
二番、ライナー。
三番、ベルトルト。
四番、アニ。
五番、ジャン。
六番、コニー。
七番、サシャ。
八番、クリスタ。
九番、ユミル。
そして十番、アルミン。
……俺が主席、か。
過去の経験を生かしたズルって気もするのと、何より——
ミカサがいたら、あいつは戦術機でもきっとトップだったんだろうな、という思いが素直に喜ばせてくれない。
どちらかと言うとアルミンが十番に入ったのが自分のことのように嬉しい。
あいつは戦術機の操作については長けていて、戦術・戦略にも明るかったのが良かったのだろう。
そういえば元の世界じゃユミルも十番以内にいなかったな。
一緒に実戦で戦った覚えはなかったが、元々訓練で見る限り入っても不思議はない実力者だ。
ともあれ、この世界で協力し訓練してきた仲間達が評価されたのは喜ばしいことだった。
そして場所を食堂に移し、訓練兵だけでのささやかな宴会が始まった。
今夜は多くの人と話そう。
数日後、皆がどの兵団を希望するかは知らないが……
心置きなく仲間と語らえる、最後の夜だろうから。
ジャンが周りと話していた。
十番内に入り、憲兵団を志望する権利を得たことを自慢しているようだ。
……だがその姿は、俺の知っているそれよりも、幾分か覇気がなさそうに見えた。
元の世界で同じとき、ジャンは声高に言った。人類は巨人に勝てない、と。
だからそれまで内地で平和に暮らす——そう言って憚らないあいつと何度もケンカをした。
周りの士気を下げるうざったい敗北主義者。それが昔の、俺のジャンへの印象だった。
エレン「よう、ジャン」
話しかけると、彼は酔いもあってか笑って対応してきた。
この世界では、……これについては俺もまったく心当たりがないのだが、
何故か元の世界と違い無闇にあちらから突っかかってくることがなかった。
おかげで主義主張は違いつつも、少なくとも表面的には仲良くやってこられた。
エレン「やっぱりジャンは憲兵団に入るのか?」
ジャン「そりゃあな。まあお前から見たら言いたいこともあるんだろうが……そいつは置いとこうや」
俺は調査兵団に入り巨人を駆逐する。ジャンは憲兵団に入り内地で暮らす。
相反する主張だが、それはこの世界では暗黙の了解でお互い触れないことにしていた。
……だが今夜ばかりは、それを覆すことにした。
エレン「お前がそれで良いなら何も言うことはないさ。……けど、それじゃ意味がないんじゃないか、と思ってよ」
ジャン「……どういうことだ、そりゃあ?」
エレン「お前だって分かってるはずだ。内地に約束された平和なんかない」
エレン「明日にだって、……もしかしたら今この瞬間にだって、地獄に変わるんだ」
ジャンは何も言わなかった。ただ、俺の目を見た。
周りは静まり、俺達の会話に聞き入っている。
曖昧な俺の記憶が言っている。
ジャンは決して臆病でも、愚かでもない。
現状を認識する力は飛び抜けて高い。……だからこそ、恐怖に負けてしまう。
それに抑えこまれた勇気を出す、ひと押しが俺にできれば。そう思った。
エレン「別に憲兵団に入るのをやめろって言うわけじゃない」
エレン「実際、よっぽど運が悪くなければ、調査兵団や駐屯兵団より長生きできるはずだ」
エレン「ただその余生は、楽しく気楽に過ごせるのか?」
エレン「前線で顔見知りが今にも死んでいるかもしれないという思いに耐えられるのか? ……俺は、そう思うだけだ」
ジャンも周りのテーブルの人間も、何も言わなかった。
……彼らに俺の気持ちは伝わっただろうか?
分からなかったが、これ以上の問答は無意味に思えた。
席を立って去ろうとすると、俯いてジャンが呟くように言う。
ジャン「……俺は、お前ほど強くなれない。俺だけじゃなく、大抵の人間はそうだ」
エレン「俺だって強いわけじゃない。怖くないわけでもない」
エレン「ただ、できることがあるのに、黙って死を待つほうがよっぽど怖いよ」
それだけ言って、今度こそその場を離れた。
こちらを視線を送っていた、ライナー、ベルトルト、そしてアニの元へ向かった。
そういえば、彼らは同郷だっけ。
ライナー「立派な演説だったな。さすが主席」
エレン「茶化すなよ」
この世界で志望兵科の話をした覚えはないが、確かベルトルトとアニは憲兵団志望だったか?
ベルトルト「僕らの志望も聞きに来たのかい? 僕は……」
アニ「私は」
ベルトルトの話を遮り、頬杖をついて宙を向いたままアニが言った。
アニ「調査兵団に入るよ」
瞬間、ライナーとベルトルトが目を剥いた……ように見えた。
構わずアニはこちらを振り向き、笑って言う。
アニ「あんたを一人にはしないって言ったろう?」
彼女の正確な心境は測れない。
だがその選択は、彼女の中の何かを曲げて選んだものなのだ、とはなんとなく感じた。
その情に素直に感謝する。
エレン「……ああ。心強いよ」
ライナーとベルトルトが顔を見合せている。
……再び、曖昧な記憶が俺に言う。
ここで話しておくべきことがあると。
以前から考えてはいたこと。
それを三人に向かって、冗談めかして話し始める。
エレン「ジャンには言わなかったがな、実は一つ勝算があるんだ」
アニ「へえ、何?」
エレン「要塞級と突撃級についてさ」
場が静まり返った気がした。が、構わず続ける。
エレン「前から気になっていたんだ。巨人の中で、あいつらだけやけに人間に近い形をしている」
そのことは、奴らが超大型巨人と鎧の巨人として存在している世界の俺には、特に強く感じられることだった。
エレン「それにシガンシナ区に現れたときもおかしい。急に現れ、急に消えた」
エレン「まるで、そう……突飛な考えだが、"人間が自在に変化してる"ように」
ライナーが、やや引きつったような顔で言う。
ライナー「……そりゃまた、本当に突飛だな」
アニ「それで、その推測がどう勝算に繋がるのさ?」
アニは二人と違い、むしろ楽しそうな雰囲気だ。
エレン「思うに、あの二種だけは、他の巨人と違う……別の種族、というか生き物なんじゃないかと思うんだ」
これは俺の中でほぼ確信している。
俺の知っている"巨人"とこの世界の"巨人"は、違いすぎるのだ。
シガンシナ区で"同時に現れた"せいで、同種として扱われているが。
エレン「仮説に仮説を重ねるが、シガンシナのときは何かの理由で"あいつら"と巨人が同時に現れた」
エレン「だがその後"あいつら"が出たという記録はない。巨人はしょっちゅう攻めてきてるのに」
エレン「案外、ビクビクして困ってるんじゃないかな、"あいつら"は?」
エレン「数が少ない上に、巨人側には光線級なんて化け物が出てきやがった」
アニ「……つまり?」
エレン「敵の敵は味方さ。"あいつら"も人類を敵と見なしているようだが、巨人を駆逐するまでの期間限定なら」
エレン「手を組めるんじゃないか、って」
三人とも、黙った。
……あの二体は俺にとって母さんの敵だ。そしてこの世界の俺にとっては、ミカサの。
手を組むなんて正直我慢ならないが、……この世界の人類は、それだけ逼迫した状況にある。
ミカサの顔を思い出せば、やりたいことよりもやるべきことをやろう、そう思えた。
最後に、笑って言う。
エレン「まあ、ほんの与太話だ。"あいつら"と意思疎通なんてもんができるなら、ってな」
すると突然、……アニが笑い出した。見たこともないほどおかしそうに。
アニ「ッ……ははは!」
腹を抱えている。
ライナーもベルトルトも俺も、呆然と見ていた。
アニ「ははッ……ああ、確かにそうだ。意思疎通ができるんならいい手だ。ねえ? ライナー」
ライナー「……あ、ああ」
未だ笑いを抑えられずに言うアニに、ライナーが何とか返す。
アニ以外と顔を見合わせ、肩を竦めてその場は離れた。
端のテーブルにアルミン、サシャ、コニーが固まっているのが見えた。
酒を手に取りながら、俺もその卓の席に座る。
エレン「よう」
アルミン「エレン。楽しくやっているかい?」
エレン「それなりに。……お前らは、そうは見えないな?」
そう言ったのは、彼らの浮かない表情が見て取れたからだ。
いつも気楽な様子のコニーは仏頂面を浮かべており、
あろうことかあのサシャが、ほとんど料理に手を付けず黙々と酒ばかり飲んでいる。
コニー「……お前とジャンの会話が聞こえたよ」
エレン「別に、皆に俺の考えを強要するわけじゃない」
エレン「ただ内地に行けば幸せになれるとは限らない。そう思ってお節介を焼いただけだ」
本心だった。
皆が命を賭けて巨人に立ち向かう意思を持てるのならそれがベストだ。
だがそれは一介の兵士である俺の言葉一つで成せることではない。
今後、俺の行動で示していくしかない。
今ではそう考えていた。
人に話したいのだろう、コニーは独り言のように、けれど聞こえるように呟きだす。
コニー「……憲兵団に入ろうと思ってたんだ。故郷じゃ馬鹿扱いされてて、見返してやりたかった」
コニー「だけど憲兵団に入って内地に行けば、自分の手の出せないところで」
コニー「いつ村の皆が……母ちゃんが死ぬか、ビクビクしながら暮らすことになるんだな」
コニー「……俺は本当に馬鹿なんだな。深く考えたこともなかった」
コニーが頭を抱えた。
そこまで気にすることはない、そうお茶を濁すこともできた。
だがこいつが欲しいのはそんなものではなく、俺の正直な心からの言葉なのではと感じた。
エレン「……それを気に病むなら、村を守れる立場になればいい。巨人を駆逐できる立場になればいい」
エレン「母さんが死んだときの俺に今の力があれば良かった、っていつも思ってるよ」
コニーが押し黙る。
こいつの中の悩みを、少しでもほぐすことができただろうか。
今まで何も言わなかったサシャが口を開いた。
サシャ「……怖いです」
既に意識が朦朧としているのだろうか。顔は赤く、その口調は頼りない。
サシャ「故郷は私の帰る場所です。絶対になくしたくない」
サシャ「けどそのために巨人に立ち向かうのが、たまらなく怖いです」
サシャの、普段の明るい様子に隠された内面に、初めて触れた気がした。
俺の記憶が正しければ、サシャに限らず元の世界での卒業前の皆はもっと、明るく振舞っていたはずだ。
元の世界と今の世界との違いがあるとすれば、……具体的な危機感だろうか。
巨人の恐怖を味わったことのない者がほとんどだった元の世界と違って、
この世界では壁のすぐ外で頻繁に戦闘が行われている。
直接巨人を見ずとも、その恐怖は否が応にも伝わってくる。そのせいか。
サシャの恐怖を和らげてやることはできないか、と考える。
……この世界のこいつは、俺のことをよく慕ってくれていたな。
俺のことを、信頼してくれているのなら。
エレン「なら、俺が守るよ」
三人がきょとんとした顔で俺を見る。
エレン「サシャは戦って故郷を守ればいい。俺がそんなサシャを守る」
エレン「それで全部解決だ。そうだろ?」
言いながら、誓うようにサシャの右手を取り、握手した。
我ながら明快で分かりやすい答えだ、と自画自賛する。
だがそんな俺をアルミンとコニーが苦々しそうな顔で見た。
アルミン「さすが……」
コニー「……恋愛原子核」
エレン「まだ言ってんのか、それ!」
とうとう卒業までにその忌々しいアダ名を返上することができなかった。
……まあ、いつも女四人……いや五人と飯食ってりゃ、無理な話だが。
右手に痛みが走る。
見れば、サシャが手を強く握り返し、潤んだ瞳でこちらを見ていた。
サシャ「……本当? 嘘やない?」
こいつ、こんな喋り方だったか?
エレン「ああ、約束する」
サシャ「……良かった……」
その言葉を最後に、サシャはテーブルに突っ伏した。
エレン「サシャ?」
数秒ほどすると、ずごごごご、と大きな寝息が聞こえてきた。
アルミン「……寝ちゃったね」
コニー「いや、腹が減って気絶したのかもしれねえぞ」
こいつの場合あながち冗談とも取れないのが恐ろしい。
左手の酒を飲み干し、席を立った。
アルミン「行くの?」
エレン「ああ、他にも話したいやつがいるしな」
アルミンとは、今更改めて話し合うこともなかった。
誰よりも俺が信頼している親友なのだから。
アルミン「……ねえ、僕のことも守ってくれるかな?」
エレン「……? 当然だろ、俺達は親友だ。俺の背中もお前に預ける」
アルミン「はは、主席にそう言われると光栄だね」
アルミンの肩をぽんと叩いて、歩き出す。
アルミン「……そうだね。僕らは親友だ」
あいつは何か呟いていたようだったが、その声はごく小さなもので、内容は分からなかった。
ひと通り見て回ったが、探していたクリスタとユミルの姿はなかった。
あいつらにも世話になったし、礼の一つも言いたいんだが……
外にでも出たのだろうか? そう考え扉のほうに向かうと、
「——まだそんなこと言ってんのかよ!?」
建物の中にはほとんど聞こえない音量で、皆は気づかなかったようだが、話し声がした。
聞き覚えのある声だ。
外に出て、少し離れた建物の影に向かう。
「この、死にたがりが!」
……物騒な単語が聞こえる。
声をかけるべきか戻ったほうがいいか悩んでいるうちに、向こうがこちらに気づいた。
ユミル「……エレン」
はっとしたようにユミルがこちらを見る。
会話していたはずのクリスタは反応を示さず、暗い顔で俯いていた。
若干の気まずさを感じながら近づいて、言う。
エレン「あー、なんか内緒話とかだったら邪魔して悪かった」
エレン「お前らとも飲みたいと思って探してたんだ。……今来たところだ」
少し考えた様子を見せてから、ユミルが唐突に言った。
ユミル「エレン、クリスタは任せた」
エレン「あ?」
何を言いたいのか分からない。
が、その表情はかつてないほどに真剣だった。
クリスタは未だ顔を上げない。
それを見てから、ユミルは俺の肩に手を置き、クリスタにも聞こえる声で言った。
ユミル「エレン、今がチャンスだぞ」
エレン「……何のだ」
ユミル「酒も入って良い気分だろう。辺りは暗くて人もいない。おあつらえ向きに隠れられる程度の茂みもある」
ユミル「扉は私が死守する。初めてが野外ってのは微妙かもしれないが、何、それも良い思い出に……」
クリスタ「ユミルゥゥゥ!?」
押し黙っていたクリスタが顔を上げ、涙目で叫んだ。
……ユミルが何を言いたいのか分からん。
ユミル「ハッハハハ!」
面白おかしそうに笑ってから、ユミルはクリスタを振り返った。
ユミル「なあ、もう忘れちまったかもしれないから、もう一度言っとくよ」
ユミル「私はユミルだ。その名前を変える気はない。その名のまま、楽しい人生を送ってやるって決めてる」
彼女の顔と言葉はクリスタに向けられていたが、……意識は俺にも向いているのが分かる。
口を挟めずそのまま見守った。
ユミル「私は私、お前はお前だ。だから強要する権利はないが——」
ユミル「胸張って生きたほうが絶対に楽しいぞ。……お前が私を友達と思うなら、忠告と受け取ってくれ」
そう言って、彼女は宴会の続く食堂に戻っていった。
俺とクリスタを残して。
俺達は建物の裏に二人で腰掛けていた。
クリスタはユミルの言葉をどう受け止めたのか、思いつめた顔で何も言わない。
……俺が何か言うべきか。言ってもいいものか。
言うなら何をどう言えばいいのか。
ユミル『エレン、クリスタは任せた』
……任されたんなら、仕方ない。
他の皆と同じく、今まで表には出さなかった面があるだろうクリスタの、
その内側に切り込む決意を決める。
それによってクリスタがどう思うかは……野となれ山となれだ。
最初に問いかけたのは、元々自分の中にあった疑問だった。
エレン「……あの武御雷、お前のか?」
クリスタ「……どうして?」
その"どうして"は、どうしてそんなことを聞くのか、ではなく
どうして気づいたのか、であると分かった。
エレン「最初にあれを見たとき、お前の様子が変だったから、かな」
クリスタ「……私のこと、見てくれてたんだ?」
そういうことになるのだろうか。
ぽつりぽつりと、クリスタが語り出した。
クリスタ「……貴族の、妾の子なの、私」
クリスタ「そんな生まれだから、色々な人に疎ましがられて……最終的には名前を変えてここに来た」
クリスタ「武御雷が送られた正確な理由は私にも分からない。でも、今でも家のほうじゃ、私の問題は片付いてないみたいで」
クリスタ「私の味方側……ううん、私の家の敵側の人が、多分当てつけのようにして送ってきたんじゃないかな」
クリスタ「私があれで、前線に出て巨人と戦うように」
貴族の家の事情なんて、俺には遠い世界の話だ。
だが、クリスタはくだらないことに巻き込まれているんだな、ということは理解できた。
エレン「……悪いが、さっき少し話が聞こえたんだ」
エレン「死にたがりって、何だ?」
彼女は再び押し黙ったあと、絞りだすような声で言った。
クリスタ「……はっきりと言葉にして意識してるわけじゃない。でも」
クリスタ「いらない人間の、捨てられた人間の私が」
クリスタ「品行方正に生きて、人類のために英雄的に戦って」
クリスタ「そうして華々しく散っていったら……ちょっと面白い、かもね」
まったく面白そうには見えない、乾いた笑みを浮かべながら彼女は続ける。
クリスタ「皆、私のこと、親切で優しいとか、冗談で女神とか言ってくれるけど」
クリスタ「本当はそんなことないんだ。……そんな風に思われてる私が死んだらどうなるだろうって」
クリスタ「そんなことを考えてる、最低の人間だよ」
……皆の女神という呼称は、まったくの本気だぞ、という軽口は場に相応しくないので置いておく。
代わりに、さっきも思った素直な感想を述べた。
エレン「くっだらねえ」
クリスタ「……え?」
ユミルの事情は知らんが、なるほどあいつも怒るわけだ。
エレン「そんなこと考えてて何が楽しいんだ、お前」
エレン「俺は毎日楽しいぞ。訓練が辛くたって、巨人が怖くたって」
エレン「いつか外の世界を探検する夢を思えば何だってできる。他人に馬鹿にされたってその夢は変わらない」
エレン「お前も他人のことなんか忘れてそうしろよ」
そんな権利が自分などにあるのか、と。
そういう顔でクリスタは呆然としている。
幼い頃からの経験が、彼女にそんな強迫観念を植えつけてしまったのだろう。
仕方ない。
自分で自分の価値をすぐに認めることができないのなら。
他人がそれを認めることから始めるしかあるまい。
エレン「……もしそれがすぐには難しいってんなら、そうだな」
エレン「お前は俺のために生きろ」
クリスタ「……へぁ?」
彼女がぽかんとして、間の抜けた声を出した。
……うん? なんか言葉が足りなかったな。
言い直し、言い直し。
エレン「ええとだな、俺はお前に感謝してるんだ」
エレン「いつも優しく接してくれた。一緒に飯を食ってるときは楽しかった」
エレン「俺の記憶のことを知っても誰にも言わず協力してくれた」
クリスタ「……言ったでしょ、それは私の……」
エレン「お前の意見なんか聞いてねえんだよ。自信のないやつの自己評価なんか当てにならねえ」
彼女の言葉を遮り、断言する。
エレン「ユミルも言ってたろ、友達って」
エレン「少なくともこの世で二人、俺らはお前のことを必要としてる。きっと他の皆も」
エレン「お前がお前を信じられないなら、まずは俺の信じるお前を信じろ」
エレン「俺を、信じろ。俺の信頼に応えるために生きろ」
口が上手いほうではないと自覚している。
俺の言いたいことは伝わっただろうか。
不安を感じながら反応を待つ。
俯いていた彼女は突然、俺の胸に身体を預けてきた。
両腕が俺の背中に回される。
小柄な身体に秘められた熱が、体温として伝わってきた。
クリスタ「……エレンは、本当、そういうことを平気で言うよね」
彼女の身体は収まりが良く、自然と俺の両手が彼女を包んだ。
そのまま安心させるように背中を撫でる。嫌がる様子はなかった。
クリスタ「……すぐに自信は持てないかもしれない。けど」
クリスタ「私はエレンを、ユミルを信じてる。そのあなた達の言葉を信じる」
クリスタ「信じても、いいんだよね?」
エレン「ああ」
大きく頷いて断言した。
クリスタ「……じゃあ」
彼女は顔を上げ、目を瞑りながら囁いた。
クリスタ「信頼の証を、ちょうだい」
目を閉じて動かない彼女の顔を見つめる。
少しして、俺は言った。
エレン「ああ、じゃあ……握手でもするか?」
何故だろう、時が止まったような気がした。
身体を震わせたかと思ったら、突然クリスタが腕を振り回して叫んだ。
クリスタ「……本当に、エレンは! エレンは、もう!」
エレン「な、なんだよ!? 落ち着けよ!」
クリスタ「もういいよ! もういいよ!」
見たこともない怒りようの彼女に少々ビビりながら宥めると、
彼女は不意に顔を近づけてきて——
俺の唇に、自分のそれを重ねた。
触れていた時間はやけに長く感じたが、実際にはほんの少しだったかもしれない。
やがて彼女のほうから顔を離し、そっぽを向いた。
エレン「……あー」
クリスタ「……」
さすがに俺も、いい年した男女のこの行為が何を意味するかは知っている。
何と言っていいのか分からず、戸惑いながら言葉を紡いだ。
エレン「えーと、悪かったな、かさかさしてたろ? 乾燥肌なんだ」
クリスタ「……馬鹿。本当、馬鹿」
二人とも立ち上がる。
彼女から手を繋いできた。拒む理由も思いつかないのでそのまま歩き出す。
未だ賑わう食堂に戻るまでのわずかな時間だったが、その手の温もりはとても暖かかった。
クリスタ「ねえ、エレン」
エレン「ん?」
クリスタ「あのね、私の本当の名前は——」
キッツ「……それは、確かか」
「は……間違いありません」
まだ陽が登り切っていない早朝。
突然の報告で叩き起こされた、トロスト区防衛の現責任者である
駐屯兵団員キッツ・ヴェールマンは、掠れた声で確認した。
その身体はまるで生まれたての子鹿のように震えている。
だがそれも無理からぬことだった。
キッツ「出撃中の調査兵団から連絡はなかったはずだ」
キッツ「真南に向かう彼らと、真南から来る奴らが出くわさないわけがない」
「斥候によれば、その巨人の大群は、南西の方角から現れたとのことです」
「その、私見ですが、巣は……一つではないのかもしれません」
「なお群れの中には、光線級らしき個体も確認されたようです」
最悪に近い事態だった。
前回の襲撃からわずか一ヶ月足らず。
今までの間隔どおりなら次の襲撃までは間がある。
そのため調査兵団の主力は、巨人の巣の調査のためほとんどが出払っており、
戦力は再編成の済んでいない駐屯兵団の機体のみ。その実働数は百に満たない。
目測で推定七百を超え、光線級まで保有する巨人郡を防ぎきれるかどうか。
キッツ「……ピクシス司令に早馬を送り、状況の報告を」
キッツ「トロスト区の駐屯兵団の戦闘配置を急がせろ。他の区へも増援を要請しろ」
キッツ「……それと、訓練兵団に連絡だ」
「は? しかし、それは……」
キッツ「形振り構っていられる場合ではない!」
エレンも、多くの市民も眠りの中にあるこの時間。
人類の存亡を賭けた戦いは、始まりつつあった。
もうちょっと続きます。読んでくださっている方、ありがとうございます。
武ちゃんのハーレム状態を再現しようとしたらクソ長くなりました。
オルタプレイ済みの方には分かると思うのですが、「オルタのエンディング」には向かっていません。
そのためややタイトル詐欺になってしまいます。すいません。
続きです。
エレン「こいつは、どういうことだろうな」
アルミン「さあ。……良い事態じゃない、ってことだけは確かだけど」
アニ「……だろうね」
早朝に突然叩き起こされた俺達が拾集をかけられたのは、戦術機格納庫。
集まっているのは成績上位十名だけだ。
戦闘服にヘッドセット、そして立体機動装置の完全装備指定。
さらに横目で見れば、十機の戦術機の周りで、整備兵が出撃準備をしている。
……察しの悪い者でも、ろくなことが起きていないことは丸わかりだ。
同じく立体機動装置を装備した教官が現れ、おもむろに説明を始めた。
キース「状況を説明する」
キース「夜間哨戒に出ていた駐屯兵団員が、南西の方角からトロスト区を目指していると思しき巨人の群れを発見」
キース「数は推定七百以上、光線級の存在も確認された」
全員に動揺が走る。
……今までの巨人共とは、襲撃間隔も向かってくる方角も違う。
何が起きてるってんだ?
キース「それを受け駐屯兵団は戦術機部隊を壁外に展開。間もなく戦闘が開始される頃だろう」
キース「問題は調査兵団が調査のため出払っていること、前回の戦闘の被害がまだ残っていることによる戦力不足だ」
キース「そのため訓練兵団に出撃要請が来た。既に貴様ら以外の者は、現地で市民の避難や砲兵としての任務についている」
キース「……既に想像がついている者も多いだろうが、貴様らには、戦術機での出撃を命ずる」
そういう、ことか。
コニー「あ、あの! 吹雪は訓練用の機体でしたよね!?」
キース「実弾で武装すれば十分実戦に耐え得る。既に準備は済んでいる。他に質問は」
アルミン「……我々十名が出撃、ということは、武御雷も使用するのでしょうか?」
ここにあるのは九機の吹雪、そして一機の武御雷だ。
当然の疑問だった。
キース「そうなる。……主席のイェーガーを搭乗させる予定だ」
キース「吹雪と勝手は違うが、基本は変わらん。やれるな」
俺の顔を見て教官が言った。
確かに、俺が言うのも何だが、性能の高い機体を主席に任せるのは理に適っているだろう。
十分に理解できる。……ただ、心のどこかで納得がいかないだけで。
横目で、彼女……クリスタの顔を覗き見る。
昨夜の頼りない表情ではなかった。
そこに感じられるのは、闘志と覚悟。
怒られるかな、と少し心配しながら、教官に返答した。
エレン「お言葉ですが教官、あれに乗るべき人間は自分以外に居ります」
キース「……」
教官も事情を知っているのだろう、俺の発言にわずかな戸惑いを見せる。
言葉を重ねる前に、彼女自身が言った。
クリスタ「……教官、私を武御雷に乗せてください」
クリスタ「あれは、私の機体です」
その言葉と瞳には、普段の彼女からは想像しづらい強い意思が込められていた。
俺以外の顔が驚きに染まり、クリスタに向く。
……いや、ユミルだけは、楽しそうな顔でこちらを見ていた。口笛でも吹きそうだ。
昨夜は上手くやったなとでも言いたいのだろう。
教官は黙っている。
援護のつもりで、軽い口調で言った。
エレン「自分としても、慣れた機体のほうがやりやすいので……そうして頂けると助かります」
ため息を一つついたあと、教官はクリスタに向き直った。
キース「……許可する。上手くやれ、クリスタ・レンズ」
クリスタ「はっ!」
了解、とばかりに左胸を拳で叩いた。
その動作に迷いの類は微塵も感じられない。
キース「……では、この十名を五名ずつに分け、臨時の班を二つ作る」
キース「その後、すぐに出撃だ。いいな!」
「「はっ!!」」
コクピットに乗り込む。
この世界の立体機動装置は刃を収納する部位がないので元の世界のものより嵩張らないのと、
座席の形状が工夫されているため邪魔にはならなかった。
アルミン「よろしくね、班長」
エレン「ああ。フォロー頼むぜ。正直言って、俺には指揮なんて向いてないんだ」
アルミンの苦笑する声と顔が確認できる。
このヘッドセットには通信機能が付いており、離れた相手と網膜投影で顔を合わせて話せるのだ。
初めて使ったときには、これが元の世界にあったらさぞ便利だろうと驚いたことを思い出す。
A班が俺、アルミン、クリスタ、ユミル、コニー。
B班がライナー、ベルトルト、アニ、サシャ、ジャンというメンバーだ。
エレン「クリスタ、機体の方はどうだ。やれそうか」
クリスタ「うん、なんとか」
武御雷は吹雪とは出力そのものが違う上、全身に刃を仕込んでおり近接戦闘に特化している。
敵の集団に高速で突っ込んでメッタ斬りにするのがコンセプトという、ある意味馬鹿げた機体だ。
……いや、まあ、元の世界の俺らの戦い方も似たようなもんではあるのだが。
慣れないうちは自在に戦えるものでもないだろう。
いざというときはフォローする、そう言おうとすると、
クリスタ「でも最初は大変かもしれないから、エレンがリードしてね?」
彼女は珍しく冗談めいた声で、悪戯っぽく微笑んでそう言った。
……大変だぞライナー、お前の女神がとうとう人に甘える術を覚えちまった。
俺は今、女神の進化を目の当たりにしているのか。
なんとなく感じた気恥ずかしさからくだらないことを考えていると、その当人の震えた声が聞こえた。
ライナー「……お前ら、聞こえてんだよ……戦闘前に何を話してんだエレン、コラァ!」
エレン「俺かよ!?」
ベルトルト「駄目だライナー、クールに! クールになれ! 僕らは戦士だろ!?」
他の皆は大なり小なり笑っていた。
武御雷にクリスタが乗ったことについて何も聞かない彼らに、心中で感謝する。
クリスタの映像を見やれば、テンションが高かったことを恥じたのか、少し頬を赤らめていた。
……まあ、初陣前に緊張がないのはいいことだ。
エレン「ああもう、行くぞ! A班、出撃だ! 高度に気をつけろよ!」
ライナー「てめえ、逃げんな! ……くそ、B班も出るぞ!」
転送されたマップを確認しながら発進する。
……ようやくこのときが来た。
世界が変わろうとも、俺のやることは変わらない。
奴ら巨人を、一匹残らず……駆逐してやる。
ジャン「おい……どうなってんだよ、こりゃあ」
コニー「前衛の先輩方は何やってんだ!」
ユミル「何ってそりゃ、……見たまんまだろ」
彼らの声が震えている。無理もなかった。
随時更新される戦況マップを見れば、現状は一目瞭然だった。
ウォール・ローゼから数キロメートル以上離れた地点で戦端が開かれたはずだ。
だが味方と敵の反応を示す点は、どんどん壁に近づいてきて——
俺達がトロスト区の壁上に着いたときには、既に門のすぐ側に来ていた。
簡単な答。押されているのだ。
俺達への通信が入る。
駐屯兵団の、見たところ壮年の男性だった。
「……訓練兵団の衛士か!?」
エレン「はっ! 訓練兵A班班長、エレン・イェーガーです!」
ライナー「同B班班長、ライナー・ブラウンです!」
「状況は見ての通りだ。貴様らは——」
その言葉が終わる前に。
視界に一条の光が走った。
エレン「……光線級……!」
トロスト区を守っていた開閉扉。
それが蒸発し、大きく穴が空いている。
息をつく間もなく、そこから巨人の群れが入り込むのが見えた。
あっという間に街に奴らの姿が広がっていく。
追いかけるようにして、戦術機部隊も。
「……くそ、こうなれば仕方ない!」
「街中で奴らを食い止める! 訓練兵A班は東側、B班は西側に回れ!」
大雑把に過ぎる指示。
が、それは苦い顔をした彼も分かっているのだろう。
それしか言えないのだ。
幸い市民は内門の中に避難済みだ。
事ここに至っては、街を犠牲にしてでも内門を死守し、入り込んだ巨人を掃討する。
他に手はなかった。
「できるだけ光線級以外を相手にしろ! 無駄死にはするな!」
それだけを言い残して、通信は切れた。
皆の動揺が伝わってくる。
どこかで、戦闘と言っても遠くから援護射撃をする程度だ、とでも認識していたのだろう。
何しろ今まで、駐屯兵団は何度も襲撃してきた巨人を撃退していたのだから。
あるいは初めて見る本物の巨人に怯える者もいたかもしれない。
だが、俺は。
エレン「……全員聞いたな。これはチャンスだ」
サシャ「……エレン?」
恐怖を隠しきれていない彼らに、笑って言う。
エレン「ここで活躍しとけば、俺達は新兵にして——スピード昇格間違いなしだ」
コニー「おま……」
エレン「ジャン! お前も憲兵団に自慢話の一つも持っていきたいだろう!」
ジャン「……てめえに、言われるまでもねえよ」
その顔は未だ引きつっていたが、それでも不敵に笑みを作っていた。
アルミン「小型種と、言われたとおり光線級は無視しよう。要は門を壊せる要撃級と戦車級さえ排除すればいい」
よし、頭は回っているようだ。
エレン「A班、行くぞ! 気をつけろよ、B班!」
サシャ「はい!」
アニ「……そっちこそ。気をつけて」
跳躍ユニットを吹かし、壁を降りる。
街の西側に向かうB班を横目で見送ると、……通信が入った。
秘匿回線だと? 勝手に使ったことがバレたら懲罰モノなんだが……
ライナー「……エレン」
エレン「なんだライナー。わざわざ」
秘匿回線を使ってきた時点で想像はできたが、その顔と声色は真剣そのものだった。
ライナー「一つ教えろ。クリスタのことをどう思っている?」
エレン「……どうって」
急な問いに、何と答えれば良いのか分からなかった。
彼女は、大切な仲間で……
本人は否定していたが、優しく、親切で、見ているだけで幸せになれるような笑顔を浮かべる。
そしてその身体は小柄で頼りなく、抱きしめたくなる衝動を覚える。
唇は薄く、触れた感触が心地良くて——
——何を考えてるんだ、俺は。
俺の一瞬の沈黙をどう取ったのか、ライナーが口を開く。
ライナー「……いや、答えなくていい。代わりに一つ誓え」
ライナー「彼女を守ってくれ。頼む」
それは……
エレン「言われるまでもない」
ライナー「そうか。なら、安心だ」
あいつはそう笑って、通信を切った。
エレン「全機、匍匐飛行!」
地を這うようにして、低く飛ぶ。
光線級の攻撃は長い射程と威力、何よりも文字通り"絶対に外さない"命中精度が脅威だ。
遮蔽物ばかりの街中は移動がしづらいが、それを嫌い建物の上に出ればいつ落とされてもおかしくはない。
だが奴らにも弱点——と呼べるかは分からないが、習性がある。
射線上に巨人がいれば、奴らは光線を撃たないのだ。
だから飛ぶ。低く、低く。
地上を蠢く巨人共の影に隠れるように。
クリスタ「……いた!」
アルミン「もうこんなところまで……!」
街の東側、中央辺りまで進むと、ぱらぱらと点在する巨人が見えた。
その更に向こうでは必死で巨人を食い止めんとする駐屯兵団が奮戦していたが、撃ち漏らした個体が抜けてきている。
エレン「先輩方が手柄を残しといてくれたんだ! 全部頂くぞ!」
コニー「おうよ!」
ユミル「はっ! ありがたいね!」
見えるのは何体かの要撃級、十数体の戦車級。
生で拝むのは初めてだが、どいつもこいつも気色悪い面構えだ。
しかし、恐怖はない。
こちとら、奴らと同じくらいデカい人型の化け物と、生身でやり合ってきたんだ。
この戦術機の力があれば、恐れる必要など感じなかった。
エレン「おおおおおおおお!」
叫びながら吶喊し、長刀を振りかぶる。
そのまま高速ですれ違いざま、要撃級の頭——実際には頭に見える部位——を切り落とした。
そいつはまだ生きており、その大きな腕を振り回す。
速度を落とさなかったおかげで当たりはしなかった。
エレン(いけね、うなじを狙う癖が抜けてねえ!)
思いながら反転し、返す刀で胴体を真っ二つに切り裂き、今度こそそいつを沈黙させる。
アルミン「エレン、射撃! 射撃しようよ! なんでいきなり刀で突っ込むのさ!? しかも班長が!」
見れば、追いついてきた他の四機が、36mm突撃砲で弾幕を張っている。
近づく戦車級が次々と吹っ飛んでいく。
奴らの脅威は戦術機すら喰らう歯と、集団で襲い掛かってくる故の強さだ。
まばらに点在している戦車級など物の数ではない。
エレン「分かってるよ! でもなんか、ぶった切らないと倒した感覚なくないか!?」
アルミン「知らないよ!」
コニー「切り裂き魔みてえなこと言うな、おい!」
実際のところ、訓練中からあまり射撃は好きではなかったのだ。
軽口を叩きながら要撃級を二体、三体と叩き斬る。
奴らの攻撃手段は大きく硬い腕での殴打と分かりやすく、囲まれさえしなければ当たる気はしなかった。
エレン「よし、次だ!」
付近の個体の掃討を確認し、駐屯兵団が戦っている多数の群れに突っ込んだ。
アルミン「だから何で班長が突撃前衛やってるのさあああ!?」
エレン「とっとと片付けないといけないだろうが! 時間がねえんだぞ!」
クリスタ「わ、私達も行こう!」
ユミル「そうだな。……門よりアルミンの胃が早く壊れそうだ」
イアン(……すごいな)
イアン・ディートリッヒ——
エレン達訓練兵に指示を出した男は、彼らの戦いぶりに感心していた。
精鋭にも見劣りしない操縦技術もさることながら、真に見るべきはその精神面だ。
巨人……巨大で醜悪なその姿と、人を喰らうその習性と能力は、人に強い恐怖を与える。
そのため厳しい訓練を乗り越えながら、恐怖に慣れるより先に初陣で死んでいく者も多い。
その平均生存時間は平均八分——"死の八分"とまで呼ばれている。
だが彼らは、恐怖も気負いも感じさせず、悠然と戦っていた。
それはあの班長——エレン・イェーガーと言ったか——彼がそうさせるのだろう、と察した。
班長自らの吶喊など本当なら褒められたものではなかったが、
彼はそれを行い、勇気と戦果を周りに見せつけ、鼓舞している。
おかげで班員達は恐れるどころか、冗談すら言い合いつつも戦えているのだ。
彼がそれを自覚して行なっているのかどうかは分からなかったが、イアンはそれを頼もしく感じた。
イアン(若者が育つことほど嬉しいことはない。彼らは人類の希望の光なのだから)
考えてから、自嘲するように笑う。
何を老人のようなことを、と。
イアン自身もまた駐屯兵団の精鋭であり、人類の未来に貢献する一人の兵士だった。
エレン「訓練兵A班、そちらに合流します! ええと……」
イアン「イアン・ディートリッヒだ! 感謝する!」
イアン「班員に告ぐ! 貴様ら、新兵以前の訓練兵共に遅れを取るような醜態は晒すなよ!」
「「はっ!」」
二つの班で辺りの巨人を蹴散らす。
このペースならば、内門まで押される前に敵を殲滅できるだろう。
そのとき、光が奔った。
ジャン「どういうことだ、オイ……」
ジャン「光線級は任せろっつってなかったか、先輩よぉ!」
言いながらコンソールを叩く。
だが彼自身にもそれが理不尽な怒りであることは分かっていた。
巨人の正確な索敵などこの状況下でできようはずもない。
そして巨人がどの道を進んでくるかなど誰にも分からない。
自覚していた。自分は焦っているのだと。
ライナー「……とにかく、奴らを何とかしないといかん」
彼ら訓練兵B班が発見したのは、A班と同じく要撃級と戦車級の群れ。
違うのは、そこに数体の光線級が混じっていることだった。
サシャ「ど、どうしましょう……」
咄嗟に、倒れていた瀕死の要撃級の影に身を潜めたため光線は飛んできていないが、
このままでは数十秒で迫り来る巨人と相対するだろう。
飛んで逃げれば光線で狙い撃ちだが、動かなければ座して死を待つだけだった。
ライナー「落ち着けサシャ。射撃はお前が一番得意だったはずだ」
アニ「……考えがあるっての?」
ライナーは冷や汗をかきつつも指示を続けた。
ライナー「単純だ。光線級の発射間隔は約十二秒あるから、その間に倒せばいい」
ライナー「俺とベルトルトが奴らに突撃する。当然光線が飛んでくるが、乱数(ランダム)回避で何とか避ける」
ライナー「そうしたら、俺達は光線級を、お前らは射撃で他を片付ける。どうだ、分かりやすくていいだろう」
笑うライナーに、しかしジャンは叫ぶように言った。
ジャン「馬鹿言え! 要するに運任せじゃねえか!」
乱数回避とは、戦術機の機能の一つ。光線級に対抗する手段——いや、苦肉の策だった。
文字通りランダムな回避パターンを発生させることで光線を避けられる"ことがある"、そんな機能。
当然当たるときは当たるし、大きく揺れることで起こるGで搭乗者が気絶することもある。
どちらにしろ完全な形で避けられなければ、そのあと戦車級の餌となることは火を見るより明らかだった。
ライナー「代案があるなら出せ。なければこれで行く」
誰も、何も言えなかった。
少しの沈黙のあと、口を開いたのはアニだった。
アニ「……私も突撃側にいく」
ライナー「お前は残れ」
その返事は素早かった。
ライナー「いいな、ベルトルト」
ベルトルト「……ああ」
ベルトルトが怯えたような表情で、しかしはっきりと返答した。
ライナー「よし……行くぞ!」
瞬間、二機の吹雪がスラスターを吹かす。
そのまま最高速で巨人の群れに突撃した。
ジャン「ライナー! ベルトルト!」
彼の悲痛な叫びに反応したように、光線級の瞳が光りだす。
ライナー達のコンソールに、初期照射——照準を合わせられたことを示すメッセージが表示された。
ライナー「今だ! 乱数回避!」
吹雪が不規則な起動を起こす。
光線級が、死の光を放った。
数本の光が、二体の吹雪に降り注いだ。
轟音が鳴り響く。
サシャ「……当たった……!」
撃破は、されていない。
しかし二機は跳躍ユニットを含め、所々を破損していた。
最早跳ぶことはできないことは明らかだった。
そのまま勢いを失い、墜落するかと思われた二機はしかし、
ライナー「……おおおおおおおお!」
最後の力とばかりに、わずかに跳躍ユニットを吹かし、そのまま巨人の群れ——光線級のところに辿り着いた。
その勢いのまま、長刀を振り回す。突撃砲をばら撒く。
それは彼らに止めをささんと近づいていた要撃級と、光線級の数体を切り裂き、貫いた。
——やがて、二機は動きを止め、倒れ伏した。
着地によって起きた粉塵の向こうには、未だ健在の光線級が、二体。
その光景を言葉もなく見つめるアニとサシャだったが、ジャンの脳裏にはとある考えが浮かんでいた。
——今だ。
ジャン「——突撃だ! 光線級を優先、他も全部片付けるぞ!」
アニ「……!」
サシャ「……え」
ジャン「急げ! 次の光線が来る前にだ!」
サシャ「は、はい!」
言いながら既に飛び出していたジャンの吹雪を追い、一瞬遅れアニとサシャも跳ぶ。
ジャンの目には、動きを止めたライナーとベルトルトの吹雪を食い散らかす戦車級の群れが映っていた。
ジャン「……っざけんな、化け物どもがあああああ!」
三機の同時斉射で、防御力は高くない光線級が呆気無く肉片と化す。
そのまま他の個体も片づけ、吹雪に引っ付いていた戦車級も全て引き剥がした頃には、二体の吹雪はその原型を留めていなかった。
ジャンは機体をその場に片膝立ちにし、コクピットのハッチを開けて飛び出した。
ジャン「ライナー! ベルトルト!」
立体起動装置で二機の残骸のコクピットがあった位置に降り立つ。
コクピットは形を留めないほどに食い荒らされており、二人の姿も、肉片すらも、何もなかった。
ジャン「う……」
ジャン「うああああああ!」
絶叫が、辺りに響いた。
爆発が起こった。
……そう気づいたのは一瞬してからだ。
イアン班長の部下の機体が、突然撃破されたのだ。
エレン「ぐうっ……なんだ!?」
爆風の中、辺りを見回した。
遥か遠く。いくつもの家屋を貫通してなお、戦術機を撃破した光のもと。
不気味な瞳の化け物の影が複数あった。
アルミン「……れ、光線級だ!」
その叫びに弾かれるように、イアン班長達が飛び出した。
イアン「訓練兵! 下がれ!」
そのまま彼らは光線級に突撃し、36mmの斉射を行った。
アルミン「……退こう、エレン!」
エレン「あ……ああ!」
半ば混乱したまま、指示通りに跳んで下がることにする。
それは班員の皆も同じのようで、網膜投影に映る彼らの顔は呆然としていた。
——ふと、気づいた。
一際目立つ機体。
武御雷が高く、飛んでいる。
エレン「……クリスタ! 高度下げろ!」
クリスタ「……え、……ッ!」
声にならない悲鳴が聞こえる。
……初期照射されたんだ!
エレン「クリスタあああああ!」
的確な指示も、行動も思いつかず、ただ反射的にクリスタの盾になろうと高く飛ぶ。
だが、俺よりも速く彼女のもとに辿り着いた機体があった。
それは一瞬の後、光を浴びたかと思うと、爆発し四散した。
クリスタ「……あ、あ」
クリスタ「ユミル————!!」
光の軌跡を辿る。
そこには一体いつの間に近づいていたのか、憎らしい瞳の巨人。
エレン「てめええええええ!」
衝動に任せて突撃砲を連射する。
それは巨人をあっさりと沈黙させた。
辺りが静まる。敵はおらず、誰も発言しなかった。
クリスタは目を見開いて、呆然としたままだった。
イアン班長から通信が入った。
その声は疲れきっていた。
イアン「各班と連絡を取り合った。小型種以外は殲滅できたようだ」
イアン「そちらの掃討は任せて、貴様らは一足先に補給と休憩を取れ」
イアン「よくやってくれた。……ゆっくり休め」
内門の中、仮設された休憩所に座った。
吹雪は推進剤と弾薬の補給を済ませ、離れた場所に置いてある。
辺りでは念のため長銃で武装した歩兵達が見回りをしている。
アルミンも、コニーも、沈んだ顔で何も言わなかった。
そして隣に座るクリスタは——膝を抱え、突っ伏している。
その表情は見えない。
慰めたかった。
だがおこがましくてできなかった。
調子に乗り、班長としての責任も果たさず、班員を殺したのは俺なのだから。
何を言うこともできず、ただ押し黙っていると、
同じく補給を受けたのだろうB班の連中が歩いてきた。
……数が、足りない。
先頭を歩くジャンに尋ねる。
エレン「……ライナーとベルトルトはどうした」
ジャン「……死んだよ。遺体も残らねえ」
どこかで、その答えは予感できていた。
ジャンも、アニも、サシャも、表情がなかった。
ジャンが独白する。
ジャン「……俺のせいで死んだようなもんだ。犠牲が必要な状況になって、あいつらが率先してその役割を引き受けて」
ジャン「案の定あいつらはやられちまって、……でもそのとき俺は思ったんだ。"今がチャンスだ"って」
ジャン「俺はあいつらを囮にして巨人共をぶち殺して、助かったんだ」
それきり、押し黙る。
アニが呟くように言った。
アニ「……あの場でもっと良い案が思いついたやつはいなかったし、あんたの判断は的確だった」
アニ「あいつらが死んだのは、運命か、でなけりゃ自業自得ってやつだよ」
それだけ言って壁に寄りかかる。
ジャンは答えなかった。
ジャンは断罪して欲しいのだろう、と思った。
けれどそれは俺の役目ではない。
……俺も同じことを考えているからだ。
しばし、場を沈黙が支配した。
……足音が近づいてくる。
力なくそちらを振り向けば、見慣れた教官の姿があった。
エレン「……教官。どうしてここに?」
キース「現在、貴様らの臨時編成の直属の上官は私ということになっている。これも臨時の処置だがな」
教官は辺りを見回した。
……人数を数えたのだろう。
キース「エレン・イェーガー。並びに他六名」
エレン「……はい」
手塩にかけて育てた教え子を一日で三人亡くした教官はどう思ったのだろうか。
罵倒されるだろうか。
むしろ、それを望んだ。
キース「よくやった。駐屯兵団からも報告を受けている。訓練兵が望外の戦果を上げ、勝利の一端を担ったと」
教官はそう言った。
それしか言わなかった。
ありがとうございます、とでも言うべきだろう。
だが口をついて出たのは違う言葉だった。
エレン「……よくなんてできていません。自分の指揮能力のなさで、班員を失いました」
思えばこの世界に来てから、障害などなかった。
訓練は順調だった。巨人は怖くなかった。戦術機には胸を躍らせた。
要するに俺は、浮ついていたのだ。
だが、教官の言葉は俺の予想の外だった。
キース「私が部下を殺して背負ったものに比べれば、貴様が気にするようなことなどない」
エレン「……え?」
何を言っているのか分からなかった。
キース「私はかつて調査兵団を率いていた。まだウォール・マリアが健在で、戦術機が高価な玩具と思われていた頃だ」
キース「貴様はシガンシナ区の出身だったな。ならば覚えていなくとも、私の顔を見たことがあるだろう」
キース「無為に部下を殺し、何の成果も果たせず無駄飯を喰らう、無能な男の姿を」
……初耳だった。
元の世界で、ミカサを連れて調査兵団の姿を見に行ったことを思い出す。
他の皆も知らなかったのだろう、呆気にとられた顔をしている。
キース「貴様らは私と違うはずだ。貴様の班員は無駄死にだったか」
エレン「……いえ。……いいえ」
彼女はクリスタを守った。
それが無駄などと、口が裂けても言えるものか。
キース「貴様の班員は無駄死にだったか」
同じことを、立ち尽くしていたジャンに聞いた。
ジャン「……いいえ。彼らは命を賭して巨人を仕留めました。我々の命を救いました」
キース「ならば良い。残った命を大事に使え」
キース「私もそう思い、せめてもの人類への貢献として、貴様らを育てた」
それで話は終わりだ、とばかりに教官は背を向け、去っていった。
……皆の顔を見る。明るくはなっていない。笑えてはいない。
けれどその瞳に光は戻っていた。
クリスタは未だ涙を潤ませていたが、零してはいなかった。
唇を固く結んで耐えているようだった。
俺の残された命。
その使い道は——
そのとき、轟音が響いた。
音の方角を振り返る。
高さ五十メートルを誇るウォール・ローゼ。
……その天辺から、姿を見せるものがあった。
それはまるで、子供の描いた出来の悪いクモの絵のようで。
そいつは、よっこらせとでも言わんばかりに、壁を"乗り越えて"こようとしていた。
……ああ、ミカサ。忘れていたよ。
この世界は——残酷なんだと。
キッツ「どういうことだ! 何故第二波の接近が察知できなかった!?」
「そ、それが……目視で確認した限り、壁のすぐ外に大穴が空き、奴らはそこから現れているのです!」
「穴を掘り、地中を進んできたとしか……」
キッツ「馬鹿な!」
彼は思わず絶叫した。
キッツ「……そうだ、他の区からの増援はどうした! とっくに来てもおかしくはないはずだ!」
「……これは未確認ですが、先ほどの緒戦で撃破した敵の数が、どうも索敵時の数より少なかったようです」
「もしかすると、壁を回って他の区に行った可能性も……」
ありえない。
ありえないことだ。
それではまるで……奴ら知性のない化け物が、人類の不意をつき足止めをする……"作戦"を取ったようではないか。
ありえないことは、一つだけではなかった。
第二波の中に確認できる姿には、新種と思わしき個体が確認されたのだ。
緒戦で戦術機部隊は勝利しつつも、相応の被害を受けた。
この状態で、この巨人の群れに勝利できる確率など——
ピクシス「落ち着け。相変わらず図体の割には小鹿のように繊細な男じゃな」
キッツ「……ピクシス、司令……!」
彼の背後にはいつの間に近づいたのか、駐屯兵団南区の最高責任者、ピクシスの姿があった。
ピクシス「それで、新種とは? どのような姿だった」
「はっ! 動きは鈍いようですが、ウォール・ローゼから頭を出すほどの巨体です!」
ピクシス「……こちらの攻撃は効くのかのう、それ」
「その、壁上固定砲での牽制は、あまり効いた様子が……」
ピクシス「ふうむ」
キッツは戦慄した。
だとしたら、戦術機の最大火力である120mm砲弾すらも、大した打撃にならない可能性が高い。
ピクシス「まあ、効くまで撃つしかあるまい。ひょっとすると弱い部位もあるかもしれん」
キッツ「そんな……!」
青ざめるキッツを諭すようにピクシスが言った。
ピクシス「やるしかないことをやるだけじゃ。お主もいい加減覚悟を決めろ」
ピクシス「ウォール・ローゼだけは死守しなければならん。例え——」
ピクシス「この街の全員が死ぬことになろうとも」
次かその次くらいで終わりです。読んでくださっている方、ありがとうございます。
やっぱり一段落したと思ったら増援が来てこそマブラヴだと思います。
続きです。今回でやっと終わりです
作戦司令室……この場でそう呼ばれているのは仮設テントに機器類を持ち込んだ粗末なものだったが、
そこへ入ると、一人の男が待ち受けていた。
エレン「エレン・イェーガー訓練兵です」
言いながら、左手に拳を当てる。
ピクシス「うむ、よく来た。楽にして良い」
その人は老人と呼んで良い風貌ではあったが、高い身長と衰えを見せない体躯、
何よりも数々の修羅場を生き残ってきたのだろうことが窺える威圧感を持っていた。
これが、ピクシス司令か。
ピクシス「お主を呼んだのは他でもない。現在、新たな巨人の群れが攻めてきているのは知っているな」
エレン「は……その、非常に大きな個体が、まさに壁を乗り越えようとしているのを見ました」
ピクシス「うむ。敵の布陣はあの"デカブツ"と、更に数十の光線級を含んでおる」
ピクシス「突然のことで総数は分からんが、すでに奴らはトロスト区に入り込んでいる」
ピクシス「現在遅滞戦闘を行い食い止めてはいるが、そう長くは持つまい」
……想像以上に悪い事態だ。
さっきの戦闘で駐屯兵団もかなり消耗したはず。
そこに突然の第二波とくれば、果たして防ぎきれるのか。
ピクシス「ありがたいのは、壁を乗り越えられる"デカブツ"が直接ウォール・ローゼ内に入り込まず」
ピクシス「わざわざトロスト区に入ってくれたことじゃ。まだ内門を守りきれば、壁内への巨人の拡散は防げる」
巨人の行動原理はこの世界でもよく分かっていない。
分かっているのは、王都の方角へ向かうこと。
道中、人や兵器を破壊し、喰らうこと。
特に戦術機は狙われやすいらしい。……ここに集まっているそれに惹かれてきたとしたら、皮肉な話だ。
ピクシス「ここからが本題になる。最優先で片付けなければならないのは、"デカブツ"と光線級じゃ」
ピクシス「まず光線級は、駐屯兵団の精鋭を選び、光線級吶喊(レーザーヤークト)を仕掛ける」
光線級吶喊……戦域を支配する光線級を真っ先に排除するため、他を無視してでも光線級に攻撃を仕掛ける戦術だ。
相応の技術、そして運が必要なそれが果たせるのは、なるほど精鋭だけだろう。
ピクシス「問題の"デカブツ"じゃが、120mmの長距離斉射を行ったところ、大して効いた様子がない」
ピクシス「……まあ、弾の大半が光線級に撃ち落とされたのもあるんじゃがな」
光線級は飛行物体を最優先で落とす。
それは高く飛ぶ戦術機に留まらず、弾頭すらも正確に撃ち抜くのだ。
……それにしたって、120mm砲弾を受けて生きていられる巨人など例がない。
一体そんな化け物を、どうやって倒すつもりなのか。
ピクシス「賭けになるが……現状では奴の触手をかい潜っての、近接戦闘が最も有効ではないかという推測に達した」
そのとき、司令の瞳が鋭く光ったように見えた。
ピクシス「お主の班におるらしいな。……近接戦闘最強の戦術機、武御雷が」
どくん、と心臓が跳ねた気がした。
思わず唾を飲み込む。
ピクシス「理由はどうでも良い。あるものは使うだけだ。……そして」
ピクシス「精鋭のイアンからも聞いているぞ。訓練兵にして、見事な近接戦闘で何体もの巨人を屠った者がいたと」
ピクシス「そして適性検査では、あの"人類最強"に並ぶ結果を出したという男……エレン・イェーガーの名を」
……それが、俺の呼ばれた理由か。
ピクシス「話に出たが、"人類最強"……リヴァイがもしこの場にいれば、あの"デカブツ"も容易く斬り殺すかもしれん」
ピクシス「お主らには荷が重いかもしれんが、その役目を任せたい。……できるか?」
……この爺さんは。
心中で苦笑した。
この人はこんな窮地で、ただ勝つだけでなく……"人類最強"に並ぶ、新たな希望を創りだそうとしているのだ。
……やってやろうじゃないか。
エレン「……できるできない以前に、やるしかないでしょう。それに」
エレン「自分よりも立体起動……三次元起動に長けた者は、この世界にいないと自負しています」
司令が一瞬目を剥いたあと、大声で笑い出した。
ピクシス「……ハッハハハハ! よう言った、お主は男じゃ!」
向こうで機器を操り指示を出していたオペレータ達が、何事かとこちらを振り向く。
"この世界に"、という言葉に嘘はないつもりだぞ。
……そう心中で、何だか睨んでいるような気がするミカサやリヴァイ兵長の影に言い訳をした。
小走りで吹雪のもとへ向かう。
辿り着くと、既にエンジンには火が付いているようだった。
乗り込もうとする俺を呼ぶ声があった。
マルコ「エレン!」
エレン「……マルコ!」
そちらを見れば、マルコを初め、複数の同期の姿があった。
そういえば皆も歩兵として招集されていたんだったな。
マルコ「忙しいところすまない。これからまた出撃するんだろう?」
エレン「ああ」
マルコ「僕らにはこれしか言えないけど……頑張ってくれ」
マルコ「君の実力は誰よりも僕らが知ってる。君なら、って思えるんだ」
自分は成績上位になれなかったのにこんなことを言えるこいつは、本当に"良い奴"なのだろう。
……これが主席の気分か。
面映いような、少々重荷のような……ミカサはいつもこんな気分だったのだろうか。
だが今は、彼の言葉は俺に力を与えてくれた。
エレン「任せとけ。内門のこっち側は守り切るさ。楽をさせてやるよ」
マルコ「ハハ、頼もしいね」
親指を立てて言い切ってやった。
ふと彼の姿を見る。警戒用の長銃に、腰からぶら下げた物。
……近接戦闘、か。
エレン「……なあ、マルコと……お前。それ、貸してもらえないか?」
マルコ「え? ……一体こんなもの、何に使うんだい?」
エレン「ん、まあ……役に立つか知らんが、いざってときの備え、ってやつさ」
吹雪を起動させ、訓練兵の皆と合流した。
この生き残った七人で一つの班だ。
壁を乗り越え、トロスト区に入る。
まだ内門の近くまでは巨人は侵攻していなかった。
エレン「作戦を預かってきた。説明するぞ」
皆の顔は浮かないものだった。
まあ、当然だ。どう見ても笑える現状ではない。
エレン「俺らの目標はあの"デカブツ"だ。他は無視していい」
ジャン「……アレかよ!?」
貧乏くじを引かされたような顔でジャンが叫ぶ。
エレン「まず駐屯兵団の精鋭が光線級吶喊を仕掛ける。光線級の危険はないってことだ」
精鋭が上手くやれれば、だが。
しかしそれは口にせず続ける。
エレン「街中を侵攻してきてる要撃級、戦車級、他小型種も無視だ。それも駐屯兵団に任せる」
エレン「俺達の役目は、奴らが内門に辿り着く前に、"デカブツ"を撃破することだ」
アニ「……方法は?」
エレン「単純明快さ。高速で突撃しての近接戦闘。たたっ斬ればいいってことだ」
眉を潜める者、手で顔を覆う者、あからさまに顔を歪める者。
共通する思いは見て取れた。……マジかよ、ってとこだろう。
分からんでもないが、他に方法はなかった。
と、そのときアルミンが発言した。
アルミン「エレン、砲撃は使わないのかい?」
エレン「ん? ああ、なんかあんまり効かなかったらしいんだ」
エレン「光線級が大体撃ち落としちまったせいもあるかもしれないけどな」
アルミン「なら、光線級吶喊後は砲撃は通るってことか」
エレン「まあ、そうなるな」
アルミンは少し考えたあと、言葉を続けた。
アルミン「あいつも生物だ。硬い部分、柔らかい部分があるはず。でなけりゃ曲がらないし動けない」
アルミン「遠目には間接の繋ぎ目、特にあの胴体の曲部辺りはそれほど硬くなさそうに見える」
アルミン「例え全員で吶喊しても、あの触手の一振りで全滅しかねない。なら近接戦闘と砲撃で役割を分けないか?」
……なるほど。
どっちみち、三次元起動でまとわりつくには、いくら奴がデカくても七機は多い。
エレン「よし、アルミン作戦参謀の意見を採用する」
ジャン「いつそんな役職ができた、オイ! この脳みそスカスカの馬鹿班長が!」
エレン「うるっせえな、昔から頭使うのはアルミンの仕事なんだよ!」
コニー「てめえ、普段俺に馬鹿馬鹿言っといて何だそりゃ!」
サシャ「私も! 馬鹿はエレンじゃないですか!」
クリスタ「あ、あの、エレンは馬鹿じゃなくてね、ほら、身体を動かすほうが得意なタイプなんだよ」
アニ「……フォローじゃないね、それ」
言い合いが始まった。
皆、笑っている。
狙ったわけではないのだが……まあ、結果オーライだ。
エレン「ああもう、とにかく!」
場を締めて、それぞれの役割を告げた。
エレン「サシャ、それにジャン! 120mmでの砲撃担当だ! 間違って味方誤射すんなよ!」
サシャ「了解です!」
ジャン「背中撃たれたくなきゃ仕事しろよ、てめえ!」
エレン「アルミン、コニーは二人の周辺警戒と敵の掃討。砲撃の邪魔をさせるな!」
アルミン「分かった!」
コニー「おうよ!」
エレン「クリスタ、アニ! 俺と一緒に突撃だ!」
クリスタ「う、うん!」
アニ「オッケー」
アニは近接戦闘に限れば俺より上、そしてクリスタの武御雷は飛び抜けた突進力を持ち、
例え武器がなくとも全身に仕込まれたブレードで戦闘継続可能な機体だ。
おそらくこの布陣がベストだろう。
全員の顔を見渡す。
迷いの残っている顔はなかった。
エレン「よし……行くぞ!」
「「了解!」」
リコ「……正直、納得いかないね。訓練兵にそんな重要な役割を任せるなんて」
ミタビ「まあ、な」
イアン「言っただろう? 司令の作戦だ。俺達はそれを信じて戦うだけだ」
リコ・プレツェンスカとミタビ・ヤルナッハ。
自分と同じく精鋭班の班長である二人をイアンは諌めた。
彼らとその班員は、タイミングを合わせ光線級吶喊を仕掛けるため、
極力消耗を避けながら遅滞戦闘を行なっていた。
光線級はそのほとんどが"デカブツ"の近くに固まっているようで、
注意すればその脅威に晒されることはなく、今のところ作戦は上手くいっていた。
イアン(二人が信用出来ないのも無理はない)
何しろ、まだ正式な任官も済んでいない訓練兵だ。
だが、彼は見た。何故ここにあるのかは知らないが、武御雷の姿を。
恐れを知らないかのように敵を斬り裂いていく若き兵士の姿を。
もとより何かを賭ける以外に勝機を見出だせない戦場だ。
賭けるチップが一つ増えるだけのこと。
そう彼は覚悟を決めていた。
通信が入る。
エレン「エレン・イェーガー以下訓練兵団、間もなく戦域に到着します!」
イアン「了解した! これから我々が光線級吶喊を仕掛ける! 一呼吸置いて突撃しろ!」
エレン「はっ!」
彼との通信を切り、同僚二人に呼びかけた。
イアン「……リコ、ミタビ」
リコ「分かっているよ。……やるしかないってことは。ならせめてこれ以上なく上手くやってやる」
ミタビ「俺達のせいで失敗でもしようものなら、それこそ笑いものだからな。訓練兵に精鋭の力を見せつけてやるさ」
イアン「……よし」
頷いて、気を引き締める。
班員に指示を出し、あらかじめ瀕死に留めて鹵獲しておいた要撃級の身体を保持させる。
巨人を撃たない光線級に相対する際に、盾となる存在だ。
イアン「……光線級吶喊、開始! 行くぞ!」
「「了解!」」
後衛の機体が"デカブツ"に対し、120mm榴弾による砲撃を行う。
それを当たり前のように撃墜する、十を超える光の束。
その光を確認した瞬間、彼らは光線級の前に姿を現し、全速力で突撃した。
光線照射間隔のその僅かな時間。
先頭を飛んだリコの機体が宙を舞い、光線級の頭上を取った。
リコ「私のケツを舐めてみろぉぉぉぉっ!」
連射される36mm突撃砲が、光線級を次々に蹴散らしていった。
コニー「すげえ……」
ジャン「さすが精鋭、ってか」
彼らの呟いた感想は全員の代弁だったろう。
離れた場所で見守る俺達には、鮮やかに光線級を処理していく精鋭班の姿が見えた。
アルミン「……! あいつが!」
今までゆっくりと歩を進めていた"デカブツ"が、周りの戦況に反応したのか、立ち止まった。
エレン「やるぞ……! あれの攻撃力は分からんが、光線級吶喊の邪魔はさせられない!」
エレン「クリスタ、アニ、行くぞ! 皆ここは任せた!」
「「了解!」」
応答を聞くやいなや、跳躍ユニットを吹かし全速力で"デカブツ"に突っ込む。
後ろには二機の僚機が付いてきているのを確認する。
高度の警戒はしない。
駐屯兵団が光線級を排除しているはずだ。排除しきれていない個体は照射できなくしているはずだ。
綱渡りだが、それを信じる他、今できることはなかった。
近づいてみれば"デカブツ"の大きさが如実に感じられた。
全高は……七十メートル近いだろうか。
超大型巨人を超えるその威容に僅かな恐れを感じる。
だがそれを抑えこみ、長刀を取り出した。
と、
エレン「……! 散開!」
咄嗟に指示を出し、三機が散らばる。
その一瞬後、今までいた空間を奴の触手が貫いていた。
触手は大きく、先は鋭角に尖っている。
攻撃も速く、あれを受ければどうなるかは容易に想像がついた。
エレン「この……舐めんなぁぁぁ!」
振り切った触手をかい潜るようにして、奴の胴体に潜り込む。
そのまま、胴の繋ぎ目と思しき箇所を横薙ぎに切り払った。
刃が通る。血が吹き出した。
切っ先は浅くそれほどのダメージには見えなかったが、
エレン「……斬れるぞ! 倒せる! 続け!」
クリスタ「うん!」
アニ「……了解!」
勝利への光明が見えた。
二人も長刀で、脚の繋ぎ目に斬りかかる。
更には胴体に120mmの砲撃が着弾した。
サシャとジャンだ。
その狙いは的確に胴の繋ぎ目に的中しており、吹き出す血の量は増した。
「……攻撃が効いているようです! いけます!」
戦況報告に沸く司令室にあって、ピクシスだけが苦い顔をしていた。
ピクシス(……まずいな。間に合うか)
兵士達は皆よくやっている。
だが、問題は"デカブツ"と光線級だけではなかった。
街中を侵攻する他の個体の速度が速い。
元々戦術機の絶対数が足りていない上に、精鋭を光線級吶喊に回したため、阻止するには戦力不足のようだった。
仮に"デカブツ"を仕留めたところで、そのとき内門が破られ、
ウォール・ローゼ内に巨人が蔓延していたら意味がない——
そう思案していると、オペレータの戸惑ったような声。
「これは……! どうして……」
ピクシス「どうした! 明瞭に報告せんか!」
「……要塞級と突撃級です! 突然、トロスト区内に出現しました! それも内門の近くに!」
ピクシス「……何だと……!」
さしもの彼も、驚きを隠すことができなかった。
その姿を、見間違えることはなかった。
アルミン「……エレン! あれは……あいつらは!」
エレン「……ああ、分かってる……言われなくてもな」
要塞級と突撃級——いや、超大型巨人と鎧の巨人が立っている。
あまりにも突然の出来事に、近くで戦闘を行なっている戦術機部隊も対応できていないようだ。
この上新たな敵が出現したのか。
戦場の全ての者が抱いただろうその絶望感はしかし、奴らの行動に裏切られた。
「「オオオオオオオオ!!」」
二体の巨人が雄叫びを上げた。
鎧の巨人が走りだす。——その先には、駐屯兵団と交戦していた要撃級の群れ。
鎧の巨人は、それを体当たりでまとめて弾き飛ばした。
エレン「な……!?」
超大型巨人が足を振り上げ、そして蹴りを放った。
有象無象の巨人共が——辺りの家屋ごと——吹き飛び、肉片と化す。
巨人の群れは、奴らを敵と認識したようだった。
要撃級が殴りかかる。戦車級が食らいつく。
奴らの攻撃はさしもの二体にも痛手のようで、二体は身体を削り取られていく。
だがそれに構うことなく、二体の巨人は襲いかかるそれらを、次々と砕いていった。
直感的に言葉が出る。
エレン「——イアン班長!」
イアン「……な、何だ!」
呆然としていたのであろう、間が空いて返事が来る。
構わず言葉を続けた。この戦場の責任者である彼に。
エレン「全戦術機に号令を! あの二体は味方です! 少なくとも今、この場だけは!」
リコ「馬鹿を言うな! 巨人が味方などと……」
エレン「現実に奴らは巨人と戦っています! 何なら、奴らは最後に倒せ、と言うだけでもいい!」
リコ班長が食って掛かるが、この提案は飲まざるを得ないはずだ。
何しろ俺達も、今まさに死線を潜っている。
こうしている間にも"デカブツ"の触手は機体をかすめようとしているのだから。
イアン「……やむを得んな」
イアン「この戦場の全衛士に告ぐ! 先ほど出現した要塞級と突撃級は無視して良い!」
イアン「奴らは仲間割れを起こしている! 先に他の個体を殲滅しろ!」
全員が飲み込みやすいように噛み砕いたのだろう号令が響き渡る。
さすがに実戦を繰り返してきた駐屯兵団の指揮力は大したもので、
動揺を残しながらも彼らは目の前の敵に集中しだした。
エレン(よし!)
"デカブツ"に向き合い、攻撃を加える。
クリスタとアニも同様に。
斬撃と砲撃の交差は、確実に奴の巨体にダメージを蓄積しているようだ。
心なしか動きが鈍い。
エレン(……いける!)
表情は変わらず声も出さない巨人だが、その血の吹き出す様に、まるで奴が悶え苦しんでいるような感覚を受ける。
一瞬でも気を抜けば即撃墜される攻撃力を持っているが、当たらなければどうということはない。
エレン「おおおおおお!」
雄叫びを上げ、スラスターを吹かす。
広がった切り傷から完全に分断してやろうと、長刀を握りしめた。
瞬間、機体が大きく揺れた。
リコ「何だこいつら、まるで……」
ミタビ「言っても始まらん! 慎重に回り込め!」
精鋭班は焦燥に駆られていた。
順調に仕留めてきた光線級だったが、ここに来て異変が起きていた。
要撃級の腕に匹敵する硬さを持つであろう"デカブツ"の十本の脚。
それが光線級を巧みに彼らから隠していた。
……まるで、防御するように。
イアン(馬鹿な、それは……"戦術"ではないか!)
知性のないはずの巨人が行った奇妙な行動に驚きを禁じ得ない。
イアン(いや、落ち着け……。単なる習性かも知れん)
どちらにしろ、そこに拘る意味は今はなかった。
問題は、おかげで光線級に攻撃が届かないということだ。
回りこんで射撃で倒そうにも、うかつに動けば"デカブツ"の脚に刺し貫かれる。
間違いなく無事では済むまい。
細かく動きながら決定打を取ることのできない精鋭班を尻目に、
……光線級の一体が頭上を見上げた。
イアン「……!」
その視線の先には。
"デカブツ"を相手に優勢に戦いを進めていたはずの、エレン機。
イアンが警告の叫びを上げるよりも前に、光線級は無慈悲な攻撃を加えた。
イアン「……エレン!」
エレンの機体は、瞬時に爆発することはなかったが——
跳躍ユニットを含めた半身が蒸発し、ゆっくりと墜落していった。
クリスタ「……エレン! エレン! いやあああ!」
アニ「落ち着け! 私達もいつ照射されるか分からない!」
二人の声が聞こえる。
……一瞬、揺れで意識を失っていたようだ。
身体に……よし、異常はない。
だが視界は赤色の警告で埋め尽くされており、浮遊感がある。
機体が推進力を失い、落ちようとしていることは明白だった。
エレン(……よく働いてくれたな、吹雪)
一年近い訓練と激しい実戦を共に乗り越えてくれた愛機に、感謝を。
そして別れを告げるようにハッチを開けた。
幸いコクピットブロックに損傷はなかったようで、あっさりと開き外の景色が見える。
そこには、表情のない化け物。"デカブツ"の姿。
エレン(まさか本当に使うハメになるとは思わなかったが)
マルコ達から借り受けた物を手に、立ち上がった。
エレン(これが、俺の——武器だ)
辺りの誰もが目を疑った。
彼と最も近しい存在であるアルミンすらも。
撃墜されたとはっきりと分かる吹雪のコクピットハッチが開く。
そこから無造作に、空中に身を投げ出す男が一人。
飛ぶことのできない人間の身体である彼はしかし、重力に反抗するように宙に留まり、
一瞬の間の後に、敵に向かって高速で飛んでいった。
その腰から伸びるワイヤーは敵に突き刺さっており、
伸びきったワイヤーと繋がった彼はぐるりと円形を描いて回っていく。
そして敵のうなじに辿り着いた彼は、おもむろに両手を振りかぶった。
その手には、二本の刃。
イアン「……馬鹿な」
彼は思わず呟いた。
無理もない。
それは、この世界の人間の常識を超えた戦法だった。
イアン「立体起動で巨人と戦う、だと——!」
エレン(よし、接合部になら何とかワイヤーが刺さる!)
"デカブツ"に向けて発射したワイヤーに確かな手応えを感じ、ほっとする。
落下する吹雪を見届けながら、奴のうなじに移動した。
両手にはマルコ達から借りた剣。
元の世界のものと違い、ほとんど儀礼用の飾り物と言って良い、
およそ実戦には向かなさそうな造りだったが、ないよりはいい。
囮の役目を果たすためには。
両手の刃を振りかぶった。
エレン「人間を……無礼るなああああああッ!!」
叫びながら、渾身の力で斬りつける。
エレン「っつう!」
傷つけるどころかこちらの手と剣が痛むほどで、ダメージの足しにはならないようだったが……
奴がこちらを向いた。
巨人は基本的に、高度な技術の兵器に惹かれやすい性質がある。
そのため戦術機が戦場では最も狙われやすいのだが、
付きまとう小蝿を邪魔にでも思ったのか、俺に向かって触手が振り上げられた。
生身ではかすっただけで致命傷になるだろうそれを、
エレン「当たるかよ! ノロマが!」
ガスを噴射し、回避する。
光線級の攻撃はない。"デカブツ"に付きまとう限り射線に奴が入るのだから当然だ。
エレン「クリスタ! アニ!」
装着したままのヘッドセットで通信する。
クリスタ「……エレン! 無事なの!?」
エレン「大丈夫だ! それより奴を倒せ!」
エレン「傷は深いはずなんだ! あと少し、俺が持つ間に!」
喋りながらも再び別の箇所にワイヤーを突き刺し、ガスの全開噴射で攻撃をかわす。
……いくらなんでも無茶が過ぎたか、と少し反省する。
この調子ではガスもあまり持ちはしない。
アニ「……了解! もう少し飛んでな!」
いち早く現状を把握したアニが、奴の脚の付け根に飛んだ。
アニ「いい加減……止まれ!」
その斬撃は深かった。
左右に五本ずつ付いている奴の脚。
その左側を支える接合部が真っ二つになり、片側のバランスを崩した"デカブツ"が左に倒れこむ。
その巨体は守っていたはずの光線級を潰しながらも、未だ動きを止めない。
エレン「クリスタ!」
クリスタ「うん!」
触手をあがくように動かしていた"デカブツ"が、追撃の砲弾の直撃を受けて仰け反る。
サシャとジャンだ。
その隙に、武御雷の出力を最大限に使い切ったクリスタが、目にも止まらない速度で飛び込んでいった。
エレン「ぶった斬れ、クリスタぁぁぁぁぁ!!」
クリスタ「でああああぁぁぁあああ!!」
彼女らしからぬ、だが勇ましい雄叫び。
それと共に振り下ろされた長刀は蓄積された切り傷を違わず直撃し、"デカブツ"の胴体を二つに分けた。
クリスタ「エレン!」
エレン「クリスタ……うおっと!」
ガスも体力も使い果たし、地面にへたり込んでいた俺の前に武御雷が降りてくる。
ハッチが開いたかと思ったら、彼女が飛ぶようにして俺の元へ降りてきた。
慌てて受け止める。
クリスタ「あんな無茶しないでよ……本当に心配したんだから!」
エレン「……ああ。悪かったよ」
皆やってたことなんだがな、と思いつつも、素直に返事をする。
彼女の目には涙が浮かんでいたからだ。
落ち着けるように頭を撫でた。
イアン「よくやった、イェーガー訓練兵」
ヘッドセットからイアン班長の声が聞こえる。
エレン「はっ。ありがとうございます」
イアン「班員の機体で戻って休め。残党の掃討は我々でしておく」
言われて街を眺めてみれば、戦闘はほぼ終了し、わずかに残った個体を処理しているようだ。
……超大型巨人と鎧の巨人の姿はない。
食われて尽くして死んだのか、消えたのか。
俺に分かることではなかった。
リコ「そんなことしてる体力があるなら、まだ戦えると思うけど」
イアン「リコ」
からかいの声と、それを諌める声。
……言われて、クリスタと抱き合っていることに気づいた。
どちらともなく身体を離す。
班長達が去ったのと入れ替わりに、仲間の機体が近づいてくるのが見えた。
アルミン「エレン! 無事かい!?」
サシャ「何生身で戦闘なんかしてるんですか! 馬鹿ですか!?」
ジャン「俺らの同期の馬鹿ナンバーワンはコニーかサシャかと思ってたが、その上がいたな。大馬鹿が」
コニー「そうだぞこの馬鹿! ……っておいジャァァァン!? なんか今悪口言ってなかったか!?」
アニ「……まあ、何にせよ……無事で良かったよ」
心配の言葉から悪口まで様々だったが、その表情に共通しているのは安堵の色。
……心配かけて悪いことしたな。別にしたくてした無茶ではなかったが。
クリスタが手を差し出して微笑んだ。
クリスタ「乗って。戻って休もう?」
エレン「……そうだな。こいつらの死体の臭いで、鼻が曲がりそうだ」
手を取りながらふと"デカブツ"の死骸を眺めると、……動くものがあった。
俺の次には、そちらを見ていたクリスタが。そして次の瞬間には全員が気づいた。
いかなる体構造をしているのか。
真っ二つになり、息絶えた"デカブツ"の体内から、六体の巨人が現れた。
……光線級だ。
アルミン「……逃げろ、エレェェェン!!」
アルミンの必死の叫びが届くより先に、光線級の目が光りだす。
反射的にクリスタをかばうように抱き寄せながら、しかし死を確信した。
……予想していた痛みや熱、光はなかった。
代わりに耳に届いたのは、跳躍ユニットの噴射音と斬撃の音。
「……通信で聞こえてはいたが。立体起動で巨人と戦った馬鹿はお前か」
閉じていた瞳を開く。
振り返れば、そこには斬り倒された六体の光線級と、不知火——調査兵団の機体の姿。
「俺と同じ発想をした奴は初めて見たな。……本当にやる馬鹿も初めて見たが」
エレン「……リヴァイ、兵長」
見れば、彼の後ろには数十の不知火。
……調査兵団が戻ってきたのだ。
思わず、再びへたり込んだ。
それは安堵からだった。
今日の長い戦闘は終わった。人類は、巨人に勝利したのだ。
調査兵団の詰所にて、今回の調査結果について話し合う二人の姿があった。
ハンジ「"ハイヴ"を見つけられたってのは本当かい!?」
リヴァイ「言ったとおりだ。……辺りの巨人の数が多すぎて、場所を特定するだけで終わったがな」
リヴァイ「また補給路の整備と、人員を補充して、それからじっくり内部の調査だな」
ハンジ「それならほら、例のエレン・イェーガーなんて適任じゃない?」
リヴァイ「立体起動の馬鹿か。主席らしいからな、憲兵団に行くんじゃねえか」
ハンジ「そこはそれ、勧誘の仕方でなんとでも……」
そこで会話は止まった。
部屋に入る者があったからだ。
ハンジ「エルヴィン。会議は終わったの?」
入ってきたのは調査兵団団長、エルヴィン・スミス。
兵団の合同会議に出席してきた彼にハンジが話しかけるが、返事はなかった。
その表情に乱れはなかったが、付き合いの長い二人には、僅かな落胆が見て取れた。
リヴァイ「……いい結果じゃなさそうだな?」
エルヴィン「……"4"の凍結と、"5"の発動が決まった」
二人が思わず腰を浮かした。
あってはならないことだった。
"それ"を防ぐために、彼ら調査兵団は様々な苦労をしてきたのだ。
ハンジ「そんな馬鹿な! "ハイヴ"を見つけて、あとは"00ユニット"の問題だけじゃないか!」
エルヴィン「それが決め手だ。"5"の実行にも"ハイヴ"の位置特定は必須だった」
エルヴィン「そして後者の目処が立たない以上、"4"の成功をこれ以上待てないというのが決定だ」
ハンジ「何故!」
取り乱すハンジに対して、エルヴィンは表情を変えなかった。
少なくとも、表情は。
エルヴィン「悪い材料が多すぎた。今回の襲撃で、壁を乗り越える新種や、敵の地中侵攻が可能ということ」
エルヴィン「何より"ハイヴ"は増殖する可能性があるという事実。それらが判明し」
エルヴィン「結論として、今後もウォール・ローゼを守りきることは不可能……それが王都の判断だ」
エルヴィン「我々にも駐屯兵団にも、それを覆すだけの材料がなかった」
ハンジ「……ってことは」
エルヴィン「今後は、もう一つ、もしくはそれ以上存在するであろう"ハイヴ"の捜索に当たる」
エルヴィン「そしてG弾の量産が済み次第、決行だ」
リヴァイ「……つまり、こういうことか」
押し黙っていたリヴァイが口を開いた。
いかなるときも鉄の意志を崩さないその表情に、僅かな諦観の色を表して。
リヴァイ「人類は、敗北した」
俺達、第104期訓練兵が待ちに待った志望兵団の決定は、一言で言えば、半分ほど無意味なものになった。
俺達下っ端に、一体どんな決定が上で為されたのかは分からない。
分かるのは、憲兵団への新規入団が認められなくなったことだった。
選択肢は駐屯兵団か、調査兵団のみ。
成績上位十名……いや、残った七名は、全員調査兵団を志望した。
ジャン「勘違いするなよ。俺はこんなことにならなくたって、自分の意思で調査兵団を選んだんだ」
彼が満更嘘でもなさそうな笑顔でそう言っていたことに、少し救われた。
その後は一年近く、調査兵団で働いた。
任務は、南西から巨人が現れたことから、そちらにもあるかもしれない巣の捜索。
そして街の防衛。
初陣以来、三度ほど巨人の侵攻があったが、どれも撃退した。
超大型巨人と鎧の巨人があれから出現したことがなかった。
奴らが、……彼らが今どうしているのか、生きているのかは、俺の知ったことではない。
俺はと言えば、生身で巨人と戦ったという馬鹿という話が広がり、入団時から有名なようだった。
……業腹なことに。
正当な評価を受けたくて、文字通り死ぬほど頑張った。
やがて個室が与えられた。
少し浮かれたが、その頃にはもう、部屋が……
建物や土地が余ってきているんだな、ということに誰もが薄々気づいていた。
クリスタ「……ん、ん」
声が聞こえて、ベッドを振り向く。
美しい裸体にシーツだけを羽織った姿で横たわる彼女。
どうやら目を覚ましたらしく、ぼんやりとこちらを見ている。
昔よりもやや背が伸び(結構気にしていたらしく喜んでいた)、
その身体つきはより女性らしいものになっていた。
……こうして部屋に人を入れるのも、今では特に制限されることもなかった。
エレン「悪い、起こしたか」
クリスタ「ううん、大丈夫。何をしてたの?」
エレン「手紙……そう、手紙を書いてた」
机に目をやる。
封をした手紙。
宛先は、届くはずもない人間だった。
何せ相手はこの世界にいない。
クリスタ「……まさか、遺書とかじゃないよね」
不安な顔で言われる。
確かに、今の俺は遺書を書いてもおかしくはない立場にあった。
が、違う。
エレン「そういうんじゃねえよ。っていうか、人に見られたら困る、こんなもん」
クリスタ「?」
不思議そうな顔をするが、説明は難しかった。
もう長いこと会っていないミカサに対して、なんとなく書いた手紙だった。
今になると、あいつとは話したいことが色々あった。
それを書きなぐった。
……おそらく面と向かったら言えないような恥ずかしいことを。
これは郷愁とでも言うのだろうか。
代わりに、彼女が起きたら見せるつもりだったものを取り出した。
薄っぺらい証明書。
これ一枚手に入れるのにどれだけ苦労したことか。
クリスタ「……これって」
彼女の表情が喜色に染まる。
エレン「ああ。これで、壁の中に行ける」
明日……いや、もう日付は今日か。
人類は、ウォール・シーナの外を放棄する。
今では誰もが知っていた。
最早ウォール・ローゼの防衛は不可能と王都が判断したこと。
王族、貴族、それに憲兵団と選ばれた市民だけが、ウォール・シーナで生活できること。
巨人と、どれだけ増えているかも知れない巣を撃滅するため、
外の世界を新兵器で、人間の手で滅ぼすこと。
ウォール・シーナの外で暮らす人間の安否も生死も保証しないこと。
ウォール・シーナは、まさに最後の楽園になる、というわけだ。
暴動が起きてもおかしくない……実際小規模なものは起きたのだが、
そんなときだけ憲兵団と武御雷は活躍し、鎮圧された。
俺は動かなかった。
あれだけ憧れた外の世界を破壊しに行くことになろうとは
皮肉にも程があるが、それよりも、何よりも守りたいものがあった。
俺の命を捧げる対象。
クリスタ「……良かった。エレンは、壁の中で生きていけるんだね」
涙を浮かべて彼女が言う。
この手にあるのは、ウォール・シーナで生活できる権利だ。
自分がその対象ではないというのに、俺がその権利を得たことに、嬉し涙すら浮かべる。
だが、それを否定する。
エレン「違う。これはお前の分だ」
クリスタ「……え」
理由は分からないが、俺にはその権利が与えられた。
だが、俺はそれを使う気はなかった。
俺よりも、生きていて欲しい人がいた。
エレン「兵長や教官や……世話になった人たちに随分無茶をしてもらって、改ざんしてもらった」
エレン「ここに書いてあるのはお前の名だ。お前は今日の作戦に参加しない。兵長にも話は通してある」
エレン「お前が今日行くのは、壁の中だ」
彼女の反応は予測しきれなかった。泣くだろうか。怒るだろうか。
……彼女は、呆然としたまま話しだした。
クリスタ「……違う。それは、違うの」
エレン「違わない。よく見ろ、名前もちゃんと……」
クリスタ「違うよ!」
両方だった。
彼女は激昂し、再び泣き始めた。
……初めて会った頃に比べて随分感情を出すようになったな、と場違いなことを考える。
クリスタ「……それは、私が用意したの」
クリスタ「少しだけ残ってた私の……コネを使って手に入れた汚いものだけど」
クリスタ「どうしてもエレンに生き残って欲しかった。だから……」
……少し、そんな気はしていた。
でなきゃ、俺にこんな権利が与えられる理由が思いつかない。
エレン「……やっぱり、これはお前のものだ」
エレン「俺はお前が生きていてくれないと、生きていけない」
クリスタ「私だってそうだよ! もう、ユミルもいないのに」
クリスタ「残った仲間とエレンをなくして、これから」
クリスタ「一人でどうやって生きていけばいいの……」
そのままさめざめと泣く。
エレン「一人じゃない。別に俺は死ににいくわけじゃない。巨人を滅ぼしたら帰ってくる」
クリスタ「そんなこと……!」
おためごかしだ、とばかりに彼女が叫んだ。
……実際、詳しいことは知らないが、新兵器は巨人を滅ぼせるという代物だ。
そんなものを使ったらどうなるやら、帰っても生きる場所はあるのやら、何も約束できることはなかった。
だから、ただ宥める。懇願するように。
エレン「頼むよ、分かってくれ。お前が無事だって思ってないと戦えないんだ」
エレン「この世界で浮いてる存在だった俺に、お前は好きだと言ってくれた。嬉しかった」
エレン「俺も昔、言ったろ。今度はそのままの意味だけど……」
エレン「俺のために、生きててくれよ」
彼女は少し落ち着いた様子だった。
隣に座る。
クリスタ「……好きだって言うのは私ばっかりだった」
エレン「……そうだったか?」
どうにも俺はその手の言葉が上手くない。
女性が喜びそうな言い方が思いつかないし、何より恥ずかしいのだ。
あまりこちらからそういうことを言ったことは、確かにないかもしれない。
なら、今のうちに言っておこう。
エレン「好きだよ、クリスタ」
クリスタ「……違うでしょ。二人のときは……」
エレン「ああ。……好きだよ」
エレン「——」
彼女の本当の名前を呼んで、強く抱きしめた。
クリスタ「……うん。行ってらっしゃい、エレン。……またね」
エレン「ああ。……またな」
エレン「……そういやお前ら、クリスタと挨拶はできたのか?」
サシャ「しましたよー。女の子だけで秘密の話を」
アニ「……秘密」
アルミン「いや、まあ……うん」
ジャン「……何でだろうな、こいつらに女の子の秘密、とか言われると、微笑ましさよりも恐怖を感じるのは」
コニー「同じく」
戦術機・撃震に乗り込んで、出撃を待つ。
結局腐れ縁で、俺達はずっと一つの班だった。
初陣の戦いぶりが評価されたおかげなんて嬉しい噂や、エレンにはアルミンをつけとかないと
勝手に無茶苦茶するなんて心外な噂も聞いたが、実際のところは分からん。
リヴァイ「お前ら、無駄口はその辺にしとけよ」
エレン「はっ、申し訳ありません」
オープンチャンネルで兵長からの叱責が飛ぶ。
と言っても、別に怒ってるわけじゃない。
一年にも満たない付き合いだが、この人は神経質な反面、
自分にとってどうでもいいことには結構鷹揚なことは知っていた。
……ふと、思いついた。
エレン「兵長、質問よろしいでしょうか」
リヴァイ「何だ」
エレン「真南の巨人の巣へ行くということは、シガンシナ区も通りますか?」
リヴァイ「……通るぞ。お前の故郷だったか」
エレン「ええ、まあ。そうですね、やっぱり……」
エレン「……どうなっていても故郷は故郷ですから。一度見てみたかったので」
アルミン「……」
リヴァイ「……そうか」
ウォール・マリアを突破した巨人を撃退したのが、テストを兼ねていた今回の新兵器らしいという話は耳にしていた。
ならばろくなことになっていない気はするが……言ったとおり、やはり見てみたいのだ。
なあ、ミカサ。この世界は残酷だ。
けれど、やっぱり美しいと、俺は思う。
母親と、その子供らしき少女が、景色を見ていた。
母は美しい金髪。
少女は父に似たのか、黒髪だった。
夫の面影を残すその髪を撫でながら、母が語る。
「……だからね、お父さんは頑張って壁の向こうで働いているの」
「あなたを……私達を守ってくれるために」
「おとうさん?」
「そう、お父さん」
少女はまだ会話は覚束ないようで、母の言葉を繰り返す。
彼女達に見える景色は、壁だけだった。
その外に出ることは許されず、外がどうなっているかは誰も知らなかった。
それでも母は、夫が向かったはずの方角をいつも見つめる。
「ほら、お父さんに頑張って、って」
「おとうさーん! がんばってー!」
「……」
「おとうさーん! ばいばーい!」
それは少女が友人と別れるときに言う言葉で、遠くに別れた父に無邪気に言ったのだろう。
それを母は訂正した。
「違うよ、ばいばいじゃなくて、またね、だよ」
「またね?」
「そう。また会いたい人には、またね、って言うの」
「……おとうさーん! またねー!」
少女は手を振り。
母はいつまでも、少女を抱きしめていた。
その黒髪を撫でながら。
——to be continued, "Alternative".
おしまいです。読んで下さった方に感謝を。
これを書いた理由は「なんか進撃流行っとる! よっしゃ、オマージュ先のマブラヴを混ぜるチャンスや!」
だったので、進撃は知ってるけどマブラヴは(結構前の作品ですが)よく知らん、という人を意識しました。
そのため、基本的な味付けは「進撃のマブラヴ和え、オルタ風味、ネタバレ薄め」であり、
「進撃キャラのマブラヴ・マブラヴオルタ再現」ではありません。
後者をタイトルで期待した方がいればすみません。というか、それだと何十スレあっても終わりません。
また両者に詳しい方には結構なつっこみどころが見えたと思いますが、流して頂けると助かります。
進撃のみ知っていてマブラヴに詳しくない方、かつ進撃の
「未知の敵の恐怖」「侵略され滅びに向かう世界」「世界の謎」
「死んでいく仲間達」「その中で誇りと矜持を持って立ち向かう人類」
この辺りのエッセンスに心惹かれている方は、ぜひ
マブラヴ→マブラヴオルタネイティヴとプレイしてみてもらうと面白いと思います。
SSや文章が好きな方なら外伝の「シュヴァルツェスマーケン」もお勧めします。
本編より過去なので独立して楽しめて、戦力も少ないため絶望感や悲壮感が心地良いです。(ただしまだ未完結)
以上です。少しでもこれがきっかけでマブラヴに興味を持ったという方、
またマブラヴ好きでニヤリとできたという方がいれば幸いです。
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