【ミリマス】白石紬「あなたはエッチなのですか?」 (92)

===

「一つ、確認しておきます。あなたはエッチなのですか?」

 問われ、男は言葉を失った。

 今、目の前に立つ見目麗しい少女はその澄んだ瞳を真っ直ぐに向け、彼の返事を待っている。

 だがしかし、ここは何と答えることが正解なのか? 

「はい」か「いいえ」か、単純な二択のハズなのに、
 男にはそのどちらを選んだ場合でも、来るべき未来は同じ物に思えてならなかった。

 そしてまた、その予感と予想は至極正しい。

 どちらを選んでもバッドコミュ。

 彼にはとても気の毒だが、この質問に正解など、
 最初(ハナ)から用意されていない。

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「……プロデューサー?」

 故に、男が選んだのは「沈黙」……

 その整った眉を訝し気にしかめる少女に対し、
 彼は無言の回答でこの場を乗り切ろうとした。

 だが、少女はそれで納得しない。

 頭に被っていた麦わら帽子のつばを上げ、
 先ほどよりも強い口調で問いかける。


「プロデューサー? 声は届いておられましょう」

 その言葉遣いは丁寧だが、彼女の視線は返答無きならササニシキ。

 いや、返答次第ではあなたを指すのもやぶさかでないと、
 そのような鋭く厳しい視線であった。

 誰だってさされるのは嫌である。
 刃物だろうと、トドメだろうと、少女の場合は人差し指だが、

 あまつさえ呉服屋の娘が人様を指でさすなんて! 

 それも人差し指で遠慮なく、躊躇もせずに指すだなんて!

 それは少々行儀が悪いんじゃあないか? 
 などと些末な疑問を抱くのは、軽い現実逃避の表れである。


(だが俺は、これでも彼女のプロデューサー。
 アイドルの抱える悩みとは、真っ向から勝負しなくっちゃあ!)

 早くも白旗上げて敵前逃亡。
 折れかけていた自分自身の心を焚きつけ、男が無言で肯いた。

 古来より伝わる由緒正しいジェスチャーは、
「話を聞いている」という意思表示。

 ああしかし! 少女はそうは取らなかった。

 自身を見下ろす男の態度に、無言で応える彼の態度に、少女は驕りと不遜を見た。


「……なるほど。私の声は届いていると」

 一回、男が小さく頷いた。

「であれば、先ほどの私の質問も、当然聞いておられますね?」

 二回、男が強く頷いた。


「なのに、プロデューサーのその反応――」

 少女がお腹の辺りで両手を組み、考え込むように押し黙る。

 その美しく上品な佇まいは彼女の流れるような白髪と相まって、
 まるで名探偵のミス・マープル……っと失礼。

 少女、白石紬はまだ十七。老婦と呼ぶにはあまりに若い。

 今、二人の間にはしばしの静寂。

 審判を待つ男の喉がごくりと鳴り、紬が残念そうにかぶりを振ってこう言った。

「それはつまり……口もききたくない程に、私を嫌っていると言う事実」

 これには男も苦笑い。「えっ?」と間抜けに訊き返す、
 彼の胸をピンと伸ばした人差し指でさし示すと、紬はその眉を吊り上げて捲し立てる。


「ならば面と向かって『嫌いだ』と、キッパリ言ってしまえばどうですか! 
 それもせず、普段はニコニコと作り笑いでたばかって……。

 そんなあなたに声かける私を、内心嘲笑っては面白おかしく見ていたのでしょう? 
 バカな小娘だと私のことを、見下げていたのでないですかっ!?」

 ざわざわと、通行人の視線がこの奇妙な二人連れに――もちろん、ここで言う二人連れとはただの二人組のことであり、
 恋だの愛だの、そう言った類の組み合わせで無いことだけは明言したい――注がれる。

 ここに、他の劇場メンバーが居なかった事実を私は神に感謝しよう。

 なぜならば今この二人は、どこからどう見ても痴話喧嘩をしている恋人同士。

 例えるならば大学生と高校生の、
 歳の差カップルとしか捉えられなかったためである。


「待て待て待て! 別に俺はそんなこと――」

「それも分からんとあんな質問……。これでは私は笑い者、とんだ道化です!」

「だから一旦落ち着くんだ紬! 悩みがあるならちゃんと聞くから!」

「っ! またあなたはそうやって、すぐに人を気遣うフリをする!」

「フリだなんて! 俺はいつでも紬に本気だぞっ!?」

「嘘っ! 離してください! 離して――!!」

 踵を返し、その場から走り去ろうとした紬の腕を男が掴んだ。
 その繋がりを振りほどこうと、彼女も必死に身をよじる。

 だがしかし、華奢な体躯の少女が大人の男に勝てるものか。

 腕だけでなく肩も掴まれ、くるりと体の向きを変えられる紬。
 男は少女の顎を掴み、背けた顔を強引に自分の方へと向き直させると。

「俺はエッチな男だよ! って言うか、男はみんなスケベなんだっ!!」


 それは腹の底から放たれた、飾らない真実の叫びだった。

 彼の言葉は周囲にいた男性諸氏の胸も打ち、
(そうだお嬢ちゃん。残念ながらそれが男って生き物さ!)などと謎の団結を可能にするほどの真理である。

「正直紬みたいな可愛い子見て、欲じょ(ピー)しない奴なんているもんか!」

「か、可愛いなんてうち、そんな……」

 鬼気迫る表情で自分を見下ろす男から、
 思わぬ告白を受けた紬が真っ赤になった顔を伏せ……られないので目を逸らす。

 さらには今まで一度も見たことの無い本気の『男』を目の当たりにして、
 少女は肩を強張らせると、無意識のうちに叫んでいた。


「誰かっ! 来て! 誰かああぁぁーーっ!!!」

 ……時は白昼、ここは天下の大通り。

 いたいけな少女がそんな叫びをあげたなら、
 事情はともかく狼藉者などあっという間に取り押さえられる往来だ。

 案の定、数秒もせぬうちに男は紬から引き剥がされ、地面に倒され、殴られ蹴られ、
 ありとあらゆる制裁をもってしてその活動を沈黙させられることになるのだが……。

 素直に彼の自業自得だと、一旦締めにくいのは気のせいか?

>>6と差し替え


「ならば面と向かって『嫌いだ』と、キッパリ言ってしまえばどうですか!
 それもせず、普段はニコニコと作り笑いでたばかって……。

 そんなあなたに声かける私を、内心嘲笑っては面白おかしく見ていたのでしょう? 
 バカな小娘だと私のことを、見下げていたのでないですかっ!?」

 ざわざわと、通行人の視線がこの奇妙な二人連れに――もちろん、ここで言う二人連れとはただの二人組のことであり、
 恋だの愛だの、そう言った類の組み合わせで無いことだけは、彼らの尊厳の為に明記したい――注がれる。

 それでもここに、他の劇場メンバーが居なかった事実を私は神に感謝しよう。

 なぜなら事情を知らぬ者から見ればこの二人は、
 どこからどう見ても痴話喧嘩をしている恋人同士。

 例えるならば大学生と高校生の、
 歳の差カップルにしか捉えられなかったためである。

===

 安直な話だと思われてしまうかもしれないが、女の子とは基本的に、
 ほんの些細な言葉に傷ついても、次の瞬間には甘い物食べて幸せよ……そういうものだ、そのハズなのだ。

 少なくとも、男の周りにいる少女たちの大半はそうであった。

 だがそれは、決して彼女たちの思考回路が単純に出来ているからと言うワケではなく、
「それはそれ、これはこれ」のしたたかな精神から来る割り切りの良さに由来する。


 さて、白昼堂々路上で起きた、捕り物騒動からしばらく。

 瞬時に敵と化した通行人、束の間の心の友たちの誤解をなんとか解いたプロデューサーは、
 有無を言わせず紬を連れて、近くの甘味処へと駆け込んだ。

 流石は街の大通り。

 ちょっと首を左右に振れば、そう言った類の店は
 道路のあっち側にもこっち側にも沢山並んでいたのである。

 内装が和風で統一された中々に風情を感じる店内にて。

 テーブルに座る男の前には水の入ったグラスが置かれ、
 紬の前にはクリームあんみつ。

 そして同席する四条貴音の御前に今、
 店員が特盛のかき氷を持ってやって来た。


「お待たせしました。ラムネ色かき氷、チョコミントアイス添えです」

「これはこれは、とても絢爛豪華な一品で」

 大正時代を彷彿させる、袴姿の店員から
 山盛りのかき氷を受け取った貴音が、ペコリと丁寧にお辞儀する。

 礼で始まり礼で終わる。

 それが四条貴音の"みーるうぇい"、
 この食の道の先に待つのは果たして地獄か天国か……。

「それにしても、貴音が通りがかってくれて助かったよ」

 ちびりちびりと水を飲み、男がホッとしたように話し出す。

「あのまま俺一人だけだったらさ、今でも地面の上だったろうし。もしくは、お縄について交番か」

「真、運が良くありました。少々距離が離れていても、かような騒ぎは目につく故」

「ホント、貴音には感謝してるよ。あの人たちの誤解を解いてくれてありがとな」


 そう、そうなのだ。そのお詫びとしてのかき氷なのだ。

 だがしかし、通行人の誤解は解けたとて、頑なな紬の心は溶けぬまま。

 男が良かれと頼んだクリームあんみつにも手をつけず、
 彼女はジッとテーブルに視線を落としたきりである。

 まさか、木目を数える趣味もあるまい。

 二人だけならば確実に気まずくなっていたこの空気、
 貴音がこの場に居ることが、男にとってどれほど救いになったことか!

「紬は、ほら……貴音みたいに食べないのか?」

 とはいえ男よ、無茶苦茶を口にするものでない。
 ココだけの話、貴音のかき氷は二杯目なのだ。

 さらにはその二杯目も既に、付け合わせ(?)の
 チョコミントアイスを残すだけになっていた。

 真、侮りがたし食欲である。


「……白石紬? プロデューサーが尋ねております」

 すぅっと鼻に抜けるミントの香りを楽しみながら、貴音がさりげなく言葉を添えた。

 紬の視線が僅かに揺らぐ。

 自らの態度に非があったと、感じるからこその少女が示す頑ななのだ。

 十七歳、半端な年頃。

 大人になりかけているからこそ果たそうとする"責任"と、
 まだ子供でいたい心が求める"無責任"。

 それは定めか偶然か悪戯か? 運命的な出会いを果たしたアイドルと言う仕事に対し、
 紬は年不相応なほどに大きな責任感を負っていた。

 そんな大切な仕事のパートナーと呼べる男に向けて、
 紬が生真面目すぎるほどに生真面目に、

 時には思い込んだらデコでも、否、テコでも動かぬ姿勢を見せてしまうのは、

 彼女生来の頑固さと、商家の娘として育てられたことによる、
 "仕事"に対しての実直さの表れだったと言えるだろう。


 だからこそ、彼女は今の状況に戸惑っている。

 無論顔には出さないが、実のところ内心ドキドキし過ぎて落ち着かない。

 もちろん恋だの鯉でもない気持ち。

 説明するならばこれはそう、紬がまだまだ幼かった頃に起きた話とそっくり同じ状況だった。

===

 それは忘れられない大失敗。

 誰もが秘める憧れと、ほんの僅かな好奇心が引き起こしてしまった一大事。

 好奇心が猫を転がすその傍で、幼い紬は人形遊びに興じるような、
 ごく普通の可愛らしい少女だったとは彼女の母親談である。

 そしてまた、世の幼女たちが嗜むように。

 あえて一人名を上げるなら、あの如月千早も幼少期にはそうであったように。

 紬もアイドルの真似事を家族の前で披露する、
 やたらめったら愛らしい少女であったとは彼女の父親談である。


 そんな紬がある日のことだ。
 大事な商売道具でもある店の着物に手をつけた。

 無論、着物は生き物では無いのだから、手に手を取って愛の逃避行……などと事は進まない。

 両親の仕事を見様見真似で再現し、
 生まれて初めて姿見の前で着付けた女性は何を隠そう自分自身。

「これがうち? ……キレイ!」

 着ると言うよりも羽織るに近く、完璧には程遠い仕上がりでも紬は大満足だった。

 彼女が思うにはこれはアレンジ。
 我流自己流アイドル流の、革新的な着こなし方。

 煌びやかな柄の着物を纏い、気分はまさに小野小町か。

「幼女が知ってるわきゃ無いだろう!」と野暮なツッコミはおよしなさい。

 誰がなんと言おうとも、この日その時鏡の前には、
 間違いなく絶世の着物美人がしゃなりと佇んでいたのだから。

 ――そう! お気づきの通りこれもまた、紬の両親談である。

 衣装も小物も組み合わせも、曲も振りも口上も、全てを自分でプロデュース。

 それは小さな和室の姿見の前、観客は障子の隙間から覗き見をする両親二人だけという、
 非常に特別で、贅沢で、そして記憶に残る初舞台だった。


 親に内緒で持ち出した一枚。それを纏って歌い踊る。

 多大なリスクを払って得た、たった十数分の非日常が、
 紬の心を弾みに弾ませたはもはや説明するだけ野暮だろう。

 ……そしてまた当然のことながら、
 幼い彼女にも悪いことをしているという自覚はあった。

 それでも着物は畳み直して、店に戻せば万事解決。

 お咎めなしの無罪放免よ――なんて浅はかな
 計画を元に行動できるのは、子供だけが持つ特権だ。

 だがしかし、彼女のおイタはバレている。
 神様が見逃したとしても、地獄の閻魔は見過ごさない。

 いくら両親が優しくても、罰は受けねばならぬのだ。
 ……魔法が解けた、その時に。

「紬、全部見ていたよ」

 突然障子が開けられて、両親に気づいた時の彼女はと言えば
 ……ああ、なんともかわいそうに。

 これ以上ないほどに青ざめて、
 幼い紬はこれから自分に降りかかるであろう、雷の恐怖に怯えていた。


 ……けれども、両親は紬を叱らなかった。

 むしろ彼女の着物の着方を褒め、特別ライブの出来を褒め、
 褒めて褒めて褒め倒した後でたった一言こう訊いた。

「紬は、着物が好きか?」

 答えなどとうに決まっている。
 紬が全力で肯くと、両親はここで初めて彼女に説いたのだ。

 一つ、自分が着ているその着物が、既に売り物にならぬことを。
 二つ、人は自分の行動に、責任を持たねばならぬことを。

 この話を、幼い紬は苦戦しながらも理解した。

 元来賢い娘である。それが彼女にとって幸だったのか、不幸だったのかはまた別として……。


 話を終えた父親が、紬の肩に手をかけ言った。

「これからお前は、ウチの看板娘だぞ」

 頷くことに迷いは無かった。

 この日を境に白石紬は、「白石家の紬」だけでなく、
「呉服屋の紬」としても生きていくことになる。

 誰しも悪いことをしたら、「ごめんなさい」と謝るように。

 これから家業を手伝うことが、謝罪と同じ意味を持っていると
 ……そう、彼女は説明されたばかりだった。

===

「――あなたは、私を責めないのですか?」

 路上の一件それ以降、初めて紬が言葉を発した。

 相変わらず顔は伏せたまま、貴音が食事をする音だけが、辺りに響くテーブルだ。

 問われた男が視線を泳がせ、軽口を叩く調子でこう言った。

「責めるって……紬のドコを?」

 刹那。ピタリと食事の手を止めて、貴音が男を睨みつける。

「プロデューサー、真面目な話をしているのです」

「わ、分かってるよ貴音。そんな顔で俺を睨むな」


 男が僅かに残っていたグラスの水を飲み干して、仕切り直すように紬を見た。

「その言い方だと、俺に叱られるとでも思ってたのか? ……どうして?」

 今度は相談を受けた先生が、生徒に話しかけるように。
 安心感を与えるような、優しく、ゆったりとした口調である。

 助平でも男はアイドル相手のプロデューサー。

 多感で繊細な乙女を相手に、常々磨いてきたそのコミュニケーション能力は――。

「どうしてだなんて。その理由を、一々説明しなくては分かりませんか?」

「できることならそう願うよ。俺は物分かりが悪いって評判でね」

「……バカにしてます?」

「まさかまさかっ!」

 ――その能力は、時に要らぬ誤解と怒りを相手に与える。

 紬がようやく顔を上げた。

 彼女の見せた表情は、呆れが二割、怒りが七割、そして一割弱の僅かな不安。

 どことなく緊張している彼女の様子を、貴音がチラリと横目で一瞥する。


「プロデューサー? もう少し真摯にお相手を」

「俺、いつでも真面目がモットーなのに……ジェントルマンだぞ?」

「存じております。ですが、今の紬には逆効果かと」

 二人のやり取りを聞いた紬が、微かに口を歪ませた。

 不快に思ったワケでは無い、心を読まれたと思ったのだ。

 案の定、男は考えるように頭を掻くと。

「なら言っとこう。俺は紬を怒らない、怒る理由も見つからない。
 まっ、俺が責められる理由なら、いくらでも思いつくけどな」


 二カッと笑って言い切った、この男がなんと憎らしいことか! 

 紬は思わず顔を伏せ、テーブルの下で組んでいたやり場のない両手に視線を落とす。

 男のスカした返事は気に入らないが、
 それ以上に自分自身に腹が立っていた。

 何を隠そうその一言で、ホッと安堵した自分が居たからだ。


「……納得できません」

 だからこそ、紬の口は掘り返す。

 話題が埋められたばかりの地面に向けて、
 「えいや!」とスコップを入れる少女の姿が頭に浮かぶ。

 少なくとも自分には、男を痴漢の現行犯に仕立て上げた過失があった。

 落ち度である、過ちである。

 それは彼女の心のわだかまりとなり、
 乙女の胸の内において、今もモヤモヤと大きくなっていた。

 そう、目の前にクリームあんみつを置かれても、紬が手を出さないのはそれが理由だ。

 こんな一方的に許される形で話を済まされてしまっては、気持ちの収まりもすこぶる悪い。


 こういう言い方をすると危ない人のように聞こえるが、紬は罰を欲していた。

 とはいえ彼女は責められることで興奮したり、
 喜びを感じるような特殊な嗜好を持ってはいない。

 悪いことをしたら叱られて、その後に慰められるのは道理である。
 もしくはその逆、先に窘められてから、罰を受ける形でも構わない。

 加えてさらにいうならば、ただ口汚く罵られ、非難され、
 徹底的にこき下ろされた方が今の気持ちより何倍もマシだ。

 失敗をしたら責任を取る。

 そんな簡単な社会のルールすらこの男は、私に守らせてくれないのかと。

 半ば逆恨み、八つ当たり気味な思考になってしまうほど、紬は今、
 目の前でヘラヘラと笑う男のことが憎かった。


「いいですか? 私はあなたを行き違いから、とんだ酷な目に合わせ――」

「行き違いっていうか、単に俺の配慮が足りなかった。紬は咄嗟に、自分を守ろうとしただけだろう?」

「それでも、あの反応は過剰過ぎました。……は、反省は、もちろんしていますけど」

「なら、それでいいじゃない。俺も今度から気をつけるからさ」

 ……紬が苦々し気に男を見る。違う、そうじゃない。

 台詞の合間にたった一言、「君にも悪いところはあったけど」なんて言ってくれれば、
 それで全てを受け入れることができるのに……。

 ついでに言うと、心置きなくあんみつに手だって伸ばせるのに。


(はっ、もしや……!)

 その時、紬の頭に一つの仮説が浮かび上がった。

 この男、ハナからあんみつなど食わせるつもりは無いのではないか? 

 さながら「待て」をかけられた犬の前に、高級ドッグフードが入ったエサ入れを差し出して、
 その反応を見る底意地の悪い飼い主のように。

 そう考えれば納得だ。
 確かに罰を受けている。

 それもこれ以上ないほどに効果的で、屈辱的な戒めを! 

 時折あんみつに向けられる、貴音の視線に戦々恐々。

 怯える私は鉢の中の金魚、彼女はさながら猫であろう。
 猫種はもちろん、ドロボー猫。

 この心の中に広がるモヤモヤ、実は罪悪感ではなく嫌悪感。

 不安でもなく怒りだと……そう無理やりにでも理由付け、
 置き換えなくてはならないほどに紬は切羽詰まっていた。

 でないと自分の中で何かしら、張りつめていた緊張が、
 積み重ねてきた大切な物が、切れたり折れたりしてしまいそうだったからだ。


 どうしてそこまで追い込まれるか? 理由は彼女の育ちにあった。

 呉服屋の看板娘として、親を手伝うこと数年。

 平時の業務はもちろんのこと、母が不在なら母の代わりを、
 父が不在なら父の代わりを、不足なくこなすまでになった紬である。

 そんな紬が初めに教えられたことは、謝罪と愛想の振り撒き方だ。

 特に謝罪と腰の低さは重要で、客商売は接客命。

 店を訪れたお得意様に不快な印象を与えぬよう、
 特別厳しく躾けられてきたとも自負していた。

 ……なのに、なのにこの男は!

===

「それとも……、あなたがバカなのですか?」

 そんな言葉が口をついて飛び出た時、紬は内心ビクビクだった。

 まさにひょんなきっかけとしか言えないような偶然から、それまで辿った道を逸れ、
 足を踏み入れることになった『アイドル』と言う名の脇道の先。

 待っていた男に思わず言い放ったこの言葉は、本当に自分が言ったのか? と。


 ある日ふらりと店に現れ、「アイドルになれる!」と興奮気味に名刺を渡して来たこの男。

 一方的に主張を押し付け、嵐のように去ったこの男。

 それでも紬は僅かな時間に、男の中の"本気"を見た。

 長年の接客業で培われた、彼女の人を見る目も言っている。
 ズバリ五分と五分との確率で、男の言葉はマジであると! 

 ……それを裏付けるかのように、彼の迫力は見事であった。

 まるで何かに追われているかの如き切迫したその表情が、
 社交辞令の世辞でも無いと女の勘にも告げていた。


 それからおよそひと月後、紬はこの時の誘いに乗る形で地元を離れることになる。

 誘われた先の芸能事務所が、父の知り合いの会社であるということも大変都合が宜しかった。

 大事な娘の預かり先、信頼と信用はいくらあっても困らない。

「驚いた、来てくれたんだね!」

 だがしかし、再会を果たした男の放った第一声に、紬は驚愕を隠せなかった。

 この日の為に練って来た完璧な自己紹介プランが崩壊し、一瞬思考まで停止する。

 そちらが来いと誘ったから、こちらもはるばる出向いたのだ。

 にもかかわらず、どうしてそうも意外な顔で、自分は迎えられなければならぬのか?


「……? どうして君が驚いてるんだい」

「驚かれたことに、驚いたのです」

 なんとか平静を装って、その一言を絞り出す。大丈夫だ、まだいける。
 この程度のアクシデントで自分は取り乱したりなどしない。

 ……この時紬は慌てながらも、やはり家業を手伝っていて良かったと、両親に深く感謝した。


 それから彼女は落ち着くためにも、これまでの道程について振り返った。

 迷路のような地下鉄を抜け、地上の喧騒にめまいを覚え、
 迷子になりかけながらもなんとかこの会場に辿り着いたことを。

 受付のお姉さんにワケを話し、案内された先で男のことを
 ――例え一度会ったきりの相手とはいえ――見つけた時に、思わず安堵したことも。


 ところがだ。気づけば彼女は指を突き出し、
 男を「バカ」呼ばわりしていたのである。

 商家の娘としてはやってはならない大失態。

 一体どうしてこうなったのか? 

 やり取りを続ける紬自身には分からなかったが、ただ一つだけ言えるのは、
 気の抜けるような男の顔を見た瞬間、言いようの無い苛立ちが突然湧き上がって来たことだ。

 ……つまりは只の八つ当たり。

 不安だらけの一人旅がようやく終わり、
 気が緩んだことから来る忌憚の無い言動だったのだが、

 困ったことに、紬にはその自覚が全くない。


 おまけに問題のこの男は、ことごとく彼女とズレていた。

 転居その他の手続きを済ませる前に、一度電話してくれれば良かったのにだとか、
 自分がスカウトしたのだから、面接の必要は無いだとか。

 とにもかくにも紬の心を、男は容易くかき乱す。

 彼女が冷静であろうとする度に、水面に石ころを
 投げ入れるように邪魔をしては、波紋を胸に広げたのだ。

 結果、紬の中でこの男は、最重要危険人物に認定された。

 プロデューサーであると彼が言うので、仕事上では付き合うが……
 それ以外の個人的な時間まで、彼に割り振る必要は一切無いと。

 あくまで関係はビジネスライク。
 馴れ合いの類はこちらから願い下げである。

===

 ――そう、心に固く決心していたというのにだ。
 今のこの状況は一体何なのか?

「ご馳走様でした、プロデューサー」

 甘味屋の軒先で、貴音が男に頭を下げる。

 それに応える彼の隣に、紬は相変わらずの気難しい顔で立っていた。

 結局、問いかけははぐらかされ……いや、あしらわれてしまった彼女である。

「では、私はこれで」

「なんだ、一緒に来ないのか?」

「数軒先に、新しくできた食事処が。元はと言えば、本日はそこへ行く予定でありました」

 男の誘いを断ると、貴音は至極上品に微笑んだ。

 つい先ほど、かき氷三杯を平らげた女性の台詞ではないと紬が思う。

 ……ちなみに「頂くいわれがありませんから」と、
 強がりから彼女が手をつけなかったクリームあんみつも、貴音のお腹に消えていた。


「プロデューサーは、このまま家に戻られるのですか?」

「ああ。紬の荷物も届いてるだろうし」

 男が言うと、貴音がぱちくりと目を瞬かせた。
 それから紬と彼の顔を交互に見比べ、自分の頬に手をやると。

「道中、お気を付けを」

 軽く手を振り背中を向ける。

 遠ざかっていく貴音の姿を見送ると、男は紬に向き直った。

「じゃ、行こうか」

 さくさくと歩き始めた男の後を、紬が黙ってついて行く。

 二人の間に会話は無く、もくもくと大通りを通り抜け、
 商店街も足早に過ぎ去って、気づけば街の住宅街。

 家々に囲まれるようにして作られた公園からは、子供たちの遊ぶ楽し気な声と、
 植えてある木々にへばりついているのだろう蝉の声。


 何とはなしに、紬は被っていた麦わら帽子に手をやった。
 二人で出発する前に、男が彼女に渡した物だ。

「今日も暑いからな」と被せられ、断る理由は特になかった。

 例えばこれが静香なら、「子供扱いは止めてください」なんて彼の厚意を断るだろうが、
 ソレ自体が子供の反応だと心得ている程度には、紬は彼女より大人だった。

(では先ほどのあんみつは? と問われると、あれはプライドの問題ですと返すのが彼女である)

 それに何よりここ数日、途切れぬ蝉の声同様にテレビは猛暑猛暑と鳴いていた。

 頭上の空はカラリと晴れて、雲一つない天晴れさ。

 帽子を被り、涼し気な恰好をしていても、
 見上げる紬の首筋に美しい汗が筋を作るというものだ。


 汗で張り付く髪をかき上げ、吸い込むだけでウンザリしてしまうほどぬる~い空気に嘆息する。

 夏なのだ、暑いのだ。おまけにあのプロデューサーと一緒である。

 紬のイライラメーターがじわじわと、上昇するのも無理はない。

 ……そう、プロデューサーのことを考えると、どうにも余裕を失くしてしまう。

 今だってそうだ。ほんの僅かに空を見て、下ろした視界に彼の姿は見当たらず、
 どこに行ったのかとついつい姿を探してしまい……。

(……えっ?)

 待て、それはいささか恋ではないか? 否、変ではないか?

 散歩をしている老人だとか、自転車に乗った子供たちを視界の隅に捕らえながら、紬は思わず息を飲んだ。

 今の今まで自分の前を歩いていた、男の姿が消えてしまった。

 まさか、神隠しにあったとでも言うのだろうか。

 確かに、彼の精神年齢を考えれば攫いやすい子供と物の怪に誤解されても致し方なく
 ……違う違う! そうじゃ、そうじゃない!


「プロデューサー!?」

 心無し、呼びかける声が上擦っていたのは自分の気のせいだと思いたかった。

 反響するような蝉の声が、紬の思考の邪魔をする。

 落ち着け、落ち着け白石紬。お前はできる子やれる子だ。

 土地勘のないこんな場所に突然放りだされても、無様に狼狽えたりだけはしてはならぬ。

 だがしかし、辺りを震える羊のように見渡すも、手掛かりの一つも見つからない。

 動悸がする、めまいもする。

 息を吸っても吐いても楽にはならず、
 焦る紬の頭の中に、『迷子』の二文字が見え隠れ。


「……ひっく!」

 不意に、世界が白んで見えた。おまけのおまけにしゃっくりまで。

 暑さが原因ではない汗が、首にも背中にも流れ出す。

 思わず片手を胸に当て、紬は「ど、どこ行ったん……?」と不安の言葉を口にしていた。

 ……心細さが急速に、胸を満たしていくのが分かる。

 行く当ても無いのに足が勝手に動き出す。

 子供や主婦に老人の姿は目に入るのに、肝心要のあの人は何処に?


 まさか、置いて行かれたとでも言うのだろうか。
 それに気づかれぬままはぐれてしまったとでも言うのだろうか。

 張りつめていた糸がプツリと切れる。
 気丈に振る舞っていた心がポキリと折れる。

 すぐそこに見える電柱の影から、
 巨大な手持ち看板がおいでおいでをしている幻覚まで見てしまう。

 知り合いなんて誰もいない、勝手も分からない土地にたった一人で放り出される恐怖。


「紬」

 だからこそ、背後から掛けられた声に不必要なほど取り乱した。

 振り向き、その顔を見た瞬間に、どうにもこうにも冷静ではいられなくなってしまうのだ。

「プロデューサー! い、今までドコにいたんですっ!?」

「ドコって……そこの自販機だよ。人がジュースを買ってる間に、先々行っちゃうんだもんなぁ」

 両手に一つずつジュースを持って、男は彼女の問いに答える。

 その人畜無害な間抜け面に向けて、このままあらん限りの
 憤りを込めた言葉を叩きつけてやろうと口を開き――気づけば紬は腕の中。

 男に抱き留められたと理解するのと、
 すぅっと意識が遠のいたのは、殆ど同時のことだった。

===

 りんと涼し気な音色を聞いた。遠くで風鈴が鳴っている。
 紬は枕代わりの両腕から顔を上げると、しょぼしょぼする瞼を擦ってひと欠伸。

「ふ、あぅ」

 店の留守番を任されて、眠ってしまったらしかった。

 まだウトウトとしている頭のままで見回す店内に人はおらず、
 居眠りをしている最中に、誰かが訪ねた様子も無い。


 ……それはある意味、いつもの通り。

 現代人の着物離れとでも言うべきか、今ではどこでもスーツスーツ。

 それでなくても着物というのは、連日売れるような品ではないのである。

 それは紬の家とて例外でなく、このご時勢、需要の乏しい商品を売り込むのがいかに大変か……。

 ゆたりゆたりと沈み行く船に乗っている。
 そんな気持ちが少なからずある。


「うち、役に立っとるん?」

 閑古鳥が鳴くような店の中、そう疑問をこぼすのも無理からぬこと。

 初めは小さな償いだった「看板娘」としての手伝いも今では進んでやっている紬だが、
 だからこそ見えて来るモノというのがある。

 それは親の努力であるだとか、業界の不景気であるだとか。

 美しい仕上げの着物一枚に込められた、多くの人の夢と苦労というものに、
 幾多触れて来たからこそ出る言葉だった。

 "仕事"である、"家業"であるという以前に、着物が好きであるという事実。
 ひいてはこんな自分にも、何かできることはないだろうか? 

 ……ここ最近はそんなことばかりを考えてしまう紬である。

「……掃除でもしよ」

 とはいえ、考えることと解決策を見つけることは別物だ。

 果報は寝て待てなんて言葉もあるが、少なくとも余りの暇さに
 昼寝をしているような娘の前に、碌な果報はやって来まい。

 そう思っていた、そのハズだった。

「すみませーん」

 あの日、父が不在の間を突いて。
 貸衣装用の着物を返しに男がやって来るまでは。

===

 過去の記憶から目を覚まし、うだる暑さの中で目覚めた紬が取った選択。

 それは公園のベンチに寝かされた自分を心配そうに覗き込む、男の頬をつねることだった。

「い、いひゃい」

「……なら、これは夢で無いと」

 言って、ゆっくりと瞬きすること一度だけ。

 ほぅっとついたため息が怒りや呆れによるものか、
 それとも安心や安らぎによる物なのか……今なら分かる。

「私……倒れたんですね」

「あ、ああ……。あふはのへいはほほもうへほ」

「確かに、グラグラっと来たあの感覚は貧血にも似ていましたし。疑う余地はないでしょう」

「なっほふへひははら……ふへふほはめへふへはひはな?」


 そして自分の心以上に、この男のことも今なら確信を持って言い切れる。

「それともう一つ。皆さんが仰っていた通り、あなたは本当にエッチな人」

「へっ!?」

「私の心を、こうも容易く裸にして……ドン引きです」

 だが、そう言う紬の表情はどことなく嬉しそうであった。

 横たわっていたベンチに座りなおし、プロデューサーから
 冷えたジュースを受け取ると、やれやれと小さく頭を振る。

 その間ずっと、彼女の震える指先は男の頬をつねっていた。

 まるで迷子の子供が親を見つけ、その服にしがみつくように。

===

 公園の日陰に置かれた簡素なベンチ。

 そこに二人は並んで座り、それぞれが手にした飲み物を飲んでいる。
 ……ゆっくりゆっくり、ちびちびと。

 シャワシャワと蝉が鳴いている。

 小学生ぐらいの子供たちがサッカーに興じる姿を眺めつつ、紬がポツンと呟いた。

「プロデューサー」

「ん」

「……着物は、お好きでしょうか?」

 つい数時間前とは打って変わって、その口調はとても落ち着いた柔らかな物。

 まるで憑き物が落ちたと言うと大げさに聞こえるかもしれないが、
 街中で彼に噛みついていた紬の姿を思い出せば、今ココにいる彼女は別人のように穏やかだ。


「着物? ……まぁ、嫌いじゃあないよ」

「鼻の下」

「えっ」

「鼻の下が、伸びています」

 スッと伸ばされた人差し指が、確認するように男へ向けられる。

 その動きも、まったりゆるやか。
 刺々しさの欠片も無い。

「着物を着た女性ではなくて、あなた自身のお話です」

「あ、ああ! 俺のね、俺が着る着物のお話ね」

「全く、それ以外の何があると……」


 しかし、紬は小さく肩をすくめただけで男を責めたりはしなかった。

 それどころか少々納得したように眉根を寄せてはにかむと。

「ですがそれだけ女性好きだからこそ、このお仕事には適任なのかもしれませんね」

「お仕事ってのは……プロデューサーのこと?」

「ええ、もちろん」

 言って、紬が軽やかに笑う。だが、対する男の方は複雑だ。

 女好きだと思われているのを、否定するには材料が足らぬ。

 それに加えて、彼女の変化にも驚いていた。
 まさか、こんな風に笑う少女だったとは……。

 これまで自分に向けられていた警戒する柴犬のような視線が消えたかと思えば、
 今はマダムのようなお淑やかさを以てして、自分と会話を交わしている。


「それで、着物は?」

「……着る機会ってのがそんなに無いから。祭りだなんだって言う時に、浴衣になるのが精々かな」

 男の返事に、紬は寂しそうな顔で「そうですよね」と呟きながら頷いた。

 それは自分の中の考えと、彼の意見が一致していることを確認するための行動である。

 とはいえ、男にはそれが少女の見せる陰に見えた。

 普段は決して表に出さぬ、固く、厳重に胸に封じられた顔。

 だからこそ、彼も彼女に訊いてみる。


「紬は、好きじゃないのかい?」

「あなたのことなら、嫌いです」

「あ、う……いや、着物のことを訊いたんだけど……」

「ふふっ、冗談ですよ。……本気に取られると困ります」

 この時、男は妙なデジャブを感じ取った。

 自分はこんな風に話す女性を知っている。少なくとも、とても良く似た人物を。

 悪戯っぽく微笑んだ紬に、男は参ったなと頭を掻く。


「意外だな。もっとお堅い感じの子なんだと」

「私も、もっと真面目な方だと思っていました。……少なくとも、私を口説いた時がそうだったように」

「く、口説くだなんて人聞きの悪い」

「では、たぶらかしたの方が良かったですか?」

 紬と男が微笑み合う。けれども、それは楽し気よりも悲し気に。

 二人はしばし見つめ合っていたものの、そのうち紬が顔を伏せ、申し訳なさそうにこう言った。


「……すみません。こういう会話に、慣れていなくて」

 すると男も、「分かってる」とでもいうように小さく肩をすくめると。

「だろうね。今のはその……貴音の真似かな?」

「っ! そこまで、あなたは……」

「分かるさ。君にしては少々フレンドリー過ぎるもの」

 男の言葉に、紬がシュンとその顔を曇らせた。

 手にしたジュースに目を落とし、何か迷っているようだった。

 くるっぽーとハトが鳴きながら、二人の前を通り過ぎる。

 あれだけ騒がしかった蝉の声が、いつの間にか聞こえなくなっていた。


「……着物」

 小さく、消え入りそうな声で紬が言う。

「着物が、私を責めるんです」

 聞いた男が、思わず神妙な面持ちになる。
 少女は依然顔を上げず、男の方も何も言わない。

「小さい時には、気にしてなかった。でも、いつでも着物が、私の傍にいるんです」

「それはその……お化けみたいな?」

 紬が、ふるふると首を振って否定する。

 男の方も、「まっ、そんなワケが無いよなぁ」と心の中で呟き首を捻る。

 今の季節にピッタリな、幽霊話で無いとすると残るのは……。

「じゃあ、君のお家の話かい?」

 ピクリと、缶ジュースを握る紬の両手がひくついた。

 それからほんの僅かに迷った後、彼女は「はい」と呟いた。


 男が、顎を掻きながら問いかける。

「それはつまり、お家の仕事が……手伝いなんかが、嫌だったって話かな」

「……いいえ」

 紬が答え、プロデューサーの顔を見上げた。

 今にも泣き出しそうな気持ちを堪え、彼女は「そんなハズがありません」と否定する。

「家の仕事は、とても好きです。大切だとも思っていますし……けど」

 そうして、ふぅっと息を吐き出すと。

「……なんでこんなこと、うちは話してるんやろう」

 とはいえ、男も答える術など持っていない。

 だからこそ自分に出来るのは、彼女の話を……悩みの聞き役になってあげることぐらいである。

「それでも、俺に話してみたらどうだ? 少しは落ち着けるかもしれないぞ」

===

「私はプロデューサーというお仕事に、多少の敬意を抱いています」

 おずおずと語り始めた紬の言葉に、男が面食らったような顔になった。
 それから彼は、照れ隠しのように首を手を当てる。

「それはその……嬉しい初耳だね」

「勘違いしないでください。あなた個人の話ではなく、あくまでお仕事に対してです」

 とはいえ男の言葉をバッサリ切り捨て、紬は話を続けていく。

「極端なことを言いますと、アイドルというのは自社の商品……ですよね?」

「そこまでドライなつもりは無いけど、まぁ、そういう見方もできはするよ」

「それでは、商品を買うお客様はテレビ局の方だとか、レコード会社の方だとか……
 挙げればキリはありませんが、最終的にはファンであるかと」

 言って、紬が男を見た。

 彼を上目遣いで見上げる姿は、まるで答え合わせを求める生徒のソレだ。
 "先生役"である男もわざとらしく腕を組み、「そうだな。結局はソコに落ち着くんだ」と同意する。

 それから彼は、何かに気づいたようにほくそ笑むと。

「要するにあれかい? 君が商品、ファンがお客なら、さながら俺は店員だと」

「……その店員が、店の物に手をつけるような人では困りますけど」


 釘を刺すように言われた男が「むむむ」と唸る。
 彼はしばらく難しい顔で考え込むと、ポンと膝を叩いてこう言った。

「つまり紬が俺に言いたいのは、ファンと恋愛させてくれ?」

「っ! ど、どうしてそんな話になるのです!」

「だってさぁ、こんなに改まってされる相談だから――」

「断じて違いますっ! ……う、うちにはまだ、そんなん早いし……」

 真っ赤になった頬を押さえ、紬が彼から顔を逸らした。
 自分の予想が外れた男が「違うかぁ」と残念そうに口を曲げる。

「とにかく! 私はプロデューサーというお仕事に、親近感を感じたのです。
 私はその、アイドルになる前は実家で看板娘のようなことをしていましたから」

「ああ、そういうことか。……確かにアイドルを売り込むのは、着物を勧めるのと同じと言えば同じかな」

「……だからこそあなたのちゃらんぽらんな言動が、私の目につき余るのですが」

 ボソボソと、紬は男の言葉に付け加えたが……彼女の声は、彼の耳まで届かなかったようだった。

 もしくは、聞こえていたのに聞こえないフリをしていたか。


「おまけに人の言うことには調子良く、美人と見ればすぐ鼻を伸ばし、
 暇を見つけては率先して劇場の人たちと遊び出す」

「う、うん」

「さらには多くの異性に贈り物を送り、休みの度に誰かと出かけ、
 休み明けにはその内容を問い詰められてひと悶着」

「お、おう」

「担当するアイドル全員に、良い格好をしようとするのは構いませんが。
 あなたのしているその行動、単なるタラシ行為では?」

「オーケーストップ、ちょい待った」

 紬の言葉を遮るように、男が両手で壁を作った。

「悩み相談……なんだよな?」

「そのハズですが、なにか?」

 さらりと言ってのけられて、男は「なるほど」と一人納得した。

 この子はどうも自分に対して当たりがキツイと思っていたが、
 その原因の一端が、何となく理解できたような気がしたからである。


「それじゃ、あの……着物の話に戻ろうか」

「私はずっと、その話題について話しています」

「うん、うん、だろうな。そう思うぞ」

 何を言っているんだこの人は? なんて紬の視線を受けながら、男が再び喋り出す。

「とはいえ、紬が俺のことを店員のように思ってるっていうのは分かったよ。
 でもそれが、着物に責められてるって話とどういう風に繋がるんだ?」

 すると紬は答えにくいのか、視線を視線を逸らして躊躇すると。

「……もし、もしもの話ではありますが。どうにも売り用の無い商品が、そこにあったらどうします?」

 男が、真剣な面持ちで訊き返す。

「それは……アイドルのこと? 着物のこと?」

「どちらでも構いません。答えやすい方でお願いします」


 しばし二人の間には、ぽっぽっぽっと鳴くハトの声だけが響く時間が訪れた。

 男が飲み干した缶ジュースをベンチの上にトンと置き、紬に向けておもむろに訊いた。

「着物を売るのは、難しいかい?」

「そう……ですね。最近は、そもそもの需要が減っていますし」

「だろうね。さっきも言ったけど、人が着物を着る機会ってのは減ってるし……。
 着物は君たちと違ってさ、自分からアピールだってできないもんな」

「……当然です、生き物では無いのですから」

「だったらほら、答えはもう出てるじゃないか」


 言われた紬が、「意地の悪い人」と男のことを睨みつける。

 それは敵意や悪意を剥き出しにしたような厳しい視線ではなくて、
 あくまで拗ねた子供が向けるような、抗議の視線に近かった。

 そんな訴えるような反応に、いけずな男は困ったように返事する。

「確かにアイドル達を売り込んで、仕事を取って来るのは君の言う接客と似ているところもあるかもしれない。
 ごり押ししたり、低く出たり、誰かと抱き合わせで出演させてもらったりさ」

「やっぱり……そう、ですよね」

「ただ、それだけじゃ終わらないんだよな。売れたら売れた、それっきりになる着物と違って生き物だから。
 彼女たちにしてみれば、買われてからが勝負なんだ」


 男が、フッと紬から視線を逸らす。

「売り込むまでは俺の仕事。でも、そこから先に俺は行けない。
 ……だからこそ手がけることになった商品は、納得いくまで調べ上げる」

「調べる、ですか?」

「ああ! この子は一体何が得意で、代わりに何が苦手なのか。どんな舞台を用意してあげれば、一番綺麗に輝けるのか!」

「……そんなん言うたら、うちだって」

 活き活きと喋る男とは対照的に、話を聞く紬の顔は暗い。
 男の話は理解できるが、その程度のことは既に辿った道である。

 彼女はキュッと眉根を寄せて彼を見ると。

「ですがそれでは、不十分です」

「不十分?」

「ええ、不十分。商品を相手に勧めるからには、その価値に責任を負う必要があります。
 自分の見立てに誤りが無いと、言い切れる話でも無いですよね?」

「……それはまぁ、百パーセント正しい見立てなんてできないさ。
 でも紬、そういう時こそアイドル自身が持ってる魅力や愛嬌って言うものが――」


 その時だった。

 紬の顔が悲愴に歪み、「愛嬌だけじゃ、ダメなんですっ!」男の言葉を遮って、紬が大きく声を上げた。

 その声に驚いたハトがパタパタと遠くへ飛んで行く。
 辺りで遊んでいた子供たちも、一瞬二人に目を向ける。

「そんなこと……そんなことで、次のお仕事が入るなら……。芸能界って、とことん甘い」

 最後の方は消え入るように。項垂れた紬の肩が震えている。

「……着物が、私を責めるんです」

 静々と紬が口にした、その一言も震えている。

「店の、実家の、買い手がつかない着物たちが、私のことを責めるんです。
 ……見た目は、悪くありません。質だって、確かな……なのに、売れない」

 二人の周りから、紬の話し声以外の全ての音が消えたように思える静寂。

 そんな中、男はただ黙って話を聞いている。


「小さい頃は、気づかなかった。ただ店に立っているだけで、愛想を撒いているだけで、私は役に立っていると思ってた。
 でも、容姿が良いとか、愛嬌があるとか、そんなことだけで客足が伸びるワケが無い」

 途切れ途切れの告白は、次第に涙混じりの声に変わっていく。

「実際、ここ数年で新規のお得意様なんて、片手で数えるぐらいしか。
 古くからのご贔屓さんが居なくなれば、家の経営は尻すぼみ。
 消えゆく文化と言ってしまえば、それだけの話かもしれませんけど……」


 痛々しいまでの紬の姿を目の当たりにして、男はある一つのことにピンときた。

 彼女が事あるごとに見せていた、責任に対する強い執着。
 気丈な振る舞いの奥底に、しまい込まれていたそれは。


「……紬は、家業に誇りを持っているんだな」

 その一言が、どれほど彼女に響いたのかは分からない。

 しかし、「はい」と震える声で返事した、紬がそっと顔を上げる。

 その頬には、流れたばかりの一筋の涙。


「プロデューサー」

 ガラス玉のように澄んでいる、彼女の瞳が濡れている。

「うちは……トップアイドルになれる……?」

 問いかけは、無垢な幼子の心のように穢れやすく、かつ剥き出しで。

「こないとこ、うちよりきれいで凄い人ばっかし。意地張っても、結果が出んと。
 このままくすんで……埋もって……結局なんにもならないまま、地元に戻ることになれば……」

 男はただ、そんな彼女を見つめ続けるしかできなかった。

 強がりな仮面も既に剥がれ、くしゃくしゃに歪んだ顔は哀しさに満ち満ちていた。

 そっと自分の肩を抱き、顔を伏せた紬が彼に言う。


「…………怖い」


 そんな紬の唇が、たった一言を絞り出すのにどれだけの勇気を必要としたのかを、
 男は汲み取ることができたのだろうか? 

 ただ一点、嘘偽りなく言えるのは――。


「紬。君をスカウトした理由、俺はまだ話してなかったな」

 男の言葉は、ただ流れる。受け止めるべき少女はいまだ、涙を流して座っている。

「一目君を見て、ピンと来た。見た目が良い、声がカワイイ、歳の割には物腰だって丁寧で、
 そんな紬に……一目惚れしちゃったんだな、要は」

 そうして男が、恥ずかしそうに頬を掻く。

「だから俺は、名刺を渡した。アイドルになってみないかと、君をこっちに誘ったんだ」

 すると紬が、顔を伏せたままで反論する。

「それは……呉服屋の白石紬を、あなたは見初めたということでしょう」

「そうだ。今の話を聞いてると、俺はそういうことになる」

「なら、あなたのその目は節穴ですね。本当の私は――」

「分かってる。ただの女の子なんだろう?」


 男の言葉に、泣いていた紬が顔を上げた。
 ガラス玉は赤く充血し、涙を拭うこともせず、キッと男を睨んでいる。

「またあなたは……軽々しくしたり顔をする」

 だが男は、そんな紬を落ち着かせるように手を上げると。

「初めは誰だってそうだとも。中身を知るには、きっかけがなくちゃ」

「……きっかけ?」

「そうさ! こんな風に……本当の君を見せてくれるような機会がね」

===

 泣き出してしまった紬だが、癇癪を起したワケでは無いのは男にとって都合が良かった。

 ヒステリックとまでは言わないが、感情を爆発させるようにぶつけて来る
 少女の相手をするのがどれほど大変な作業かを、彼は何度も味わい知っていたからだ。

 だからこそ自分の話を聞く準備をしてこちらを見上げる紬に対し、
 「はぁ、いい子だ」と胸を撫で下ろさずにはいられない。

 無論、彼女に悟られてしまっては意味が無いのだが。

「さっき紬は言ったよな? どうにも売れない商品を、どうやって売り物に仕立てるか」

 恋も慰めも先手必勝。男は優しい声でそう言うと、ピッと人差し指を立てて説明しだす。

「これは着物じゃなくて、アイドルの話になるけども……。まずは、何でも第一印象。
 例えばだな、如月千早は気難しい、最上静香は生意気だし、北沢志保はそっけない」

「……どうして、その三人を?」

「フィーリング。まっ、パッと見似た者四姉妹ってところから選んだだけさ」

 訝し気な紬に答えると、
 男は「ちなみに、紬が長女だぞ」と可笑し気に笑う。


「とはいえ、そんなことはちょっと会話すればすぐ分かる。
 他にも好きなことに嫌いなこと、家族構成に友人関係。
 将来はどんなアイドルになりたいか……

 そう言った細々とした情報も、量は多いがキチンと調べる」

「……まるで探偵のようなことをするんですね」

「お仕事ですから手は抜かないさ。
 紬だって自分の店に来た着物の確認はするだろう?」

 男の言葉に、紬が小さく頷いた。

「それが終わって、ようやくプロデュースの下準備にかかるんだ。
 ……紬なら、三人にどんな仕事を任せようと思う?」

「わ、私が答えるんですか!?」

「できない?」

「まさかっ!」


 売り言葉に買い言葉。男がにやけ笑いを浮かべたので、
 紬はまんまと乗せられたことに気がついた。

 とはいえ、今さら撤回するのも自分のプライドが許さない。
 それに先ほどの自分の質問に、答えてもらうチャンスでもある。

 ……彼女は右手で涙を拭くと、男によって義姉妹に指定された三人の得意なことを思い出す。

「千早さんは歌が得意。静香さんにはアイドルに対する強い熱意が。
 志保さんは……台本を覚えるのが得意で、お芝居に興味がありますよね」

「うん、それでそれで?」

「……ですので、千早さんには歌のお仕事。静香さんにはライブのお仕事。
 志保さんにはドラマや舞台のお仕事を回します」

 紬は静々答えると、男による採点を待った。
 面白味の無い回答ではあるが、自信を持ってないワケではない。


 ……ところがだ、男は大きく両手でバツを作ると。

「残念ながら三十点。赤点合格ギリギリだな~」

「なっ!?」

 茶化したような男の態度に、思わず大声で反論しそうになる。

 だがしかし、紬はグッと堪えて我慢した。

 なぜなら目の前の男がニヤニヤと、
 そんな自分の反応を楽し気に待っていたからだ。


 紬は軽く瞼を閉じると、大きく息を吸って吐いた。
 落ち着くための深呼吸。再び男の顔を見上げ、彼女は静かに訊き返す。

「……なぜです? 理には適っていると思いますが」

「確かに千早は歌が上手いし、静香の情熱は本物だ。志保の記憶力の良さってのも、彼女の武器の一つだけど」

「でしたら、先ほどの回答に問題は――」

「……理に適い過ぎてるんだなぁ。俺はちゃんと言ったハズだよ? "下準備にかかるんだ"って」

 言われて紬も気がついた。

 子供のような屁理屈だが、男は千早たち三人がデビューしているなんて言ってない。
 まして人気や実力が今と同じであるともだ。

 男が昔を懐かしむように目を細め、一羽、また一羽と戻って来た鳩に顔を向ける。

「……千早は始め、歌以外の仕事に全然興味を持ってなかった。
 握手会とか、グラビアだとか、そういう仕事をさせるとたちまち機嫌が悪くなってね」

「機嫌が悪くなる……ですか」

「本番中はずっと渋い顔しっぱなし。おまけに愛想の無さに拍車がかかって、先方を何度怒らせたことか」


 男の言葉に、紬は少々驚いた。

 新人である紬はまだ、先輩である千早とはそう親しい間柄であるとは言えない。

 それでも顔を合わせば快く挨拶ぐらいしてくれるし、
 手が空いている時はレッスンだって見てくれる。

 なにより普段の彼女は物静かではあるものの、
 いつも柔和な微笑みをたたえて後輩たちを見守っている人なのだ。

 ……そんな彼女が、仕事を回されて不機嫌に? 想像もつかないことである。

「静香も困ったもんだったよ……君が入る前の話だけどね。
 アイドルとしての明確なビジョンが固まり過ぎていたもんで、現場での融通が効かない効かない」

「静香さんが?」

「おまけにすぐに緊張する。当然本番じゃパフォーマンスも硬くなって、練習の成果を発揮するどころの話じゃない」

「も、もう一度伺いますが、本当に静香さんが?」

「そうだよぉ。未来や星梨花が居なかったら、今頃どうなってたことか」

 まるで昔話を聞かせる老人のような語り口だが、内容は洒落になっていない。

 それはつまり、紬の知っている最上静香が――今では先輩たちにも負けず劣らず、
 堂々としたステージをこなす彼女がだ――アイドル生命の危機に瀕していたという話だったのだから。


「それから志保ね、志保はまぁ……そっけないけどいい子だった。うん」

「志保さんは、問題児では無かったと」

「いや、滅茶苦茶面倒な問題児。とにかく仕事に対してストイック。『プロなんですから』
『遊びじゃない』が口癖でね。連日誰かが泣かされては、仲を取り持つのに一苦労さ」

 次々と飛び出す、顔見知りの少女たちが持つ裏の顔。
 いや、ここは黒歴史と呼んだ方が相応しかったかもしれない。

 初めて聞く話ばかりを披露され、ポカンとしている紬を置いたまま男は先へ先へと話し進める。


「で、話を元に戻すけど。そんな彼女たちをだよ、紬が言ったプランで回すとどうなると思う?」

「……事が上手く運ばないのは、難なく想像できますね」

「天性の素質を持ってても、人付き合いの悪い歌手に旨い話はやって来ない。
 いくらオーディションを突破できても、肝心のステージの出来がお粗末じゃ意味が無い」

「それに舞台で一番大切なのは……チームワーク」

「そう! 紬も分かってきたじゃないか」

 一つ、二つ、三つと指折り数えて行きながら、
 説明していたプロデューサーの話が止まる。

 四本目の指を折り畳もうかどうかという顔をして、男は紬と目を合わせた。


「そして紬みたいな怖がりさんには、道を照らす為の
 サーチライトと一緒に居てくれる仲間がいるな」

「こっ、怖がりさん!?」

「だろう? 地元から単身飛び出て来て、不安からあっちやこっちに
 噛みつかずにはいられない。……十分立派な怖がりさんさ」

 言って、男がニカリと笑う。それは甘味屋で見た笑顔と同じ物。

 だが、今度は男の言い放ったその言葉を紬は侮辱だとは感じなかった。
 むしろ図星を突かれたことに対し、ある種の安心さえも覚えてた。

「問題点を把握すれば、解決するのは難しくない。紬も考えたこと無いかい? 
 例えば……着物の帯やら何やらの組み合わせとか、斬新な着こなし方だったりを」

 問われ、紬は過去の記憶を思い出す。
 姿見の前で踊る少女。あの時、自分のしたことを。

「……あります」

「だったら君も、立派なプロデューサー見習いだ。さっきの質問の答えも中々だったし、
 後は経験さえ積めば、案外律子よりもやり手になるかもしれないぞ?」

「まさか、転職を勧めているのですか? 私はアイドルに向いてないと」

「いやいや、そういう意味じゃなくってさ」


 目の前の少女は至って真面目。

 ある意味素直な紬の言葉に、男は優しく微笑みながらどうしたものかと頭を掻いた。

「俺もまだまだ分かっちゃないけど、一度は君も、自分と向き合ってみないとな」

「向き合う、ですか」

「そっ。さっきの千早たちの話みたいに、自分の弱点を見つけるって言うか」

 紬が、顎に手をあて考え出す。

 餌も無いのに足元に集まって来た鳩の群れをあしらいつつ、男が彼女の返事を待つ。

「……あの」

「なんだい?」

「私は……多分、人より頑固なところがあります」

「ふんふん」

「それから、意地っ張りで……心配性やし、ついついあれやこれや気になって」

「つまり紬は信念があって、根性もあって、責任感も強いリーダー気質と。
 なんだ、センターやるのにうってつけだな!」


 男の言葉に、紬が訴えるように眉をひそめた。

「またそんな、心にも無いこと……。言い方を変えただけですよね?」

「だからさ、これが売れない商品の売り方だよ。一人ひとりの抱える短所を、
 逆にセールスポイントとして売り込むのがプロデュース業の醍醐味ってね」

「それでは、まるで詐欺です!」

「おっと、口が上手いと言って欲しいな」

 そうして、二人は自然と笑い出した。
 今度こそ本当に、心の底から出る笑い。

 鳩の群れからの好奇の視線を受けながら、控えめにはにかむ紬が言う。


「……少し、楽になった気がします」

「それはなにより。嬉しい報せだ」

「それからその、は、話を聞いてくださって、ありが――」

 だが、男は紬の名前を呼ぶことで彼女の言葉を遮った。

「礼を言うのは俺の方さ。ありがとうな、色々話を聞かせてくれて」

「……ずるい人です。感謝の一つ、させてください」

「だったら俺は、その二倍も三倍も感謝するぞ。これから君のステージを見るたびにね」

 言って、男がニヤリと笑う。

 本人としては最高にカッコ良く決めたつもりだが、
 鳩の間抜けな鳴き声が響く中ではどんな台詞も台無しだった。

 そんな彼の姿に、紬が思わずクスリと吹き出してしまったとしても彼女のことは責められまい。


 ……ようやく緊張も解けた紬に向けて、男が言う。

「それとな紬。知ってて欲しいことが後一つ」

「知っておくべきこと……なんでしょうか?」

「舞台に上げるのは俺の仕事。そこから先はアイドル次第……さっき、俺は言ったよな」

「は、はい。確かにそう、仰いました」

 途端、自分がそれを真っ向から否定したことを思い出し、紬の顔が暗くなる。
 だが、男はそんな反応すら予想済みだと微笑むと。

「でもな、今度の舞台には君だけじゃない……頼れる仲間がいつも一緒だ」

「仲間……劇場の?」

「そう! だからステージの上で困ったら、みんなを思い切り頼るといい。
 何てったって紬はもう、765プロの一員なんだからな!」

「……はいっ!」

 紬が、力一杯頷いた。さらにはそれからしばらくの間、鳩が群がるベンチの周りに、
 少女の屈託のない笑い声が響き続けることになったのだ。

===『エピローグ』

 本来予定されていた到着時間はとっくの昔に過ぎていた。

 水瀬伊織は玄関先、わざわざ食堂から持ち出して来た椅子に腰かけて、
 今か今かと待ち人が現れるのを待っていた。

 その後ろでは伊織の座る椅子の背もたれに肘をつき、
 北上麗花が退屈から来る欠伸をかみ殺している。

「……遅いっ!」

 愛用のスマホを睨みつけ、伊織は不機嫌さを隠さない。
 そんな彼女とは対照的に、のほほんとした顔の(単に眠たいだけかもしれないが)麗花が言う。

「カンカンだね、伊織ちゃん」

「当然でしょ! あのバカ、どこで道草食ってるのか知らないけど――」

「伊織ちゃん伊織ちゃん」

「なによ?」

「いくらプロデューサーさんだって、その辺の草は食べないと思うけど」

「んなワケないでしょ!? 話の腰を折るんじゃなーいっ!」

 今や苛立ちは最高潮。

 普段よりも遥かに喰い気味のツッコミを披露して、
 伊織が苦々し気に口を曲げる。


「ご丁寧に携帯の電源まで切っちゃって! そんなに連絡つけられるのが嫌だっての!?」

「充電が切れてるだけじゃないかな? 私もよくそれで怒られるし」

「とにかく! 紬のことが心配だわ……。一応事前注意はしておいたけど、
 アイツ、手の速さだけはいっちょ前――きゃあ!?」

 その時、背後から麗花にのしかかられた伊織が悲鳴を上げた。

 怒り爆発、勢いよく椅子から立ち上がると彼女は麗花に振り返る。

「ちょっと! まだ人が喋ってる途中でしょーが!?」

「あっ、ごめんね」

 言いながら、麗花がそんな伊織の首を無理やり前へ向け直した。「ふみゃ!?」と響く伊織の悲鳴。

 そうして捻った首をさする彼女が見つけたのは、もはや見飽きた間抜け面。

 紬と二人、並んでやって来たプロデューサーが伊織を見下ろして口を開く。

「お前らはホント仲良いな」

「そうなんです♪ 相性バッチリ、抱き心地だって抜群で――」

「これの、ドコが、仲良しかーっ!」

 麗花に羽交い絞めにされた伊織が手足をジタバタ抗議する。
 その様子を見守っていた紬が、遠慮がちに声かけた。

「すみません。約束の時間に遅れてしまい」

「紬、アンタそのことだけど……。大丈夫? このバカに変なことされなかった?」


 すると麗花に捕まったままで腕を組む伊織に、
 プロデューサーが心外だとばかりに反論する。

「おい伊織、失礼だぞ。まるで俺が歩く変態みたいな言い方は――」

「あれ? 紬ちゃんってば目が赤いよ?」

 しかし、紬の目が充血していることに気がついた麗花が
 男の言葉を遮ると、彼女を指さし問いかけた。

 伊織が男を険しく睨み、すぐさま紬との間に割って入る。

「もしかしてアンタ、プロデューサーに泣かされたんじゃ……!」

「……泣かされたと言えば、否定はできませんが」

「ご、誤解があるぞ! 大きな誤解がっ!」

「でも大丈夫です。少々欲(ピー)されただけですから」

「紬ぃっ!!?」

 朗らかに宣言する紬の隣で、男が伊織から「だと思った! この変態! ド変態!」と罵られる。

 数分後、彼女によるキツイお仕置きによってボロ雑巾のようになった男のことを、
 甲斐甲斐しく介抱する麗花の姿がそこにはあった。

「それじゃ、前の家から荷物は運んで来てるから」

 伊織が汚れを払うように手をはたき、ゴミを見る目で彼を見下ろす。


 そんな彼女に「この度は、本当に何から何までお世話になって」
 と紬が恭しい態度で頭を下げると、伊織はヒラヒラと片手を振って。

「いいのいいの。あんなボロ家に家賃をぼったくられる前に、こっちに移って来れたんだし」

「今日から紬ちゃんも、ウチの子だよ♪」

 満面の笑みを浮かべる麗花に、息も絶え絶え男が言う。

「麗花……正確には、寮の子だ……」

「伊織ちゃん大変、プロデューサーさんにまだ息が!」

「あっちゃダメかな!?」

「うるっさいわねぇ……。それだけ元気があるんなら、アンタも荷解き手伝いなさい」

 そうしてワイワイと始まる言い合いを、紬は一歩引いた位置から眺めていた。

 地元を出てここに来てからは、常に保っていた周りとの距離。

 だがしかし今は、今なら自分も……。

「あ、あの!」

 勇気を出して声をかけた。伊織たちの視線が自分に集まり、紬が思わず息を飲む。

 それでも彼女は落ち着くために一呼吸すると顎を引き、真っ直ぐに前を向いて言ったのだ。

「いくらプロデューサーとはいえ、女子寮に男の人が入っても?」


 ……しばしの沈黙。

 三人分の「何を言ってるんだ?」と言う視線を受けて、
 紬の顔が徐々に赤く染まって行く。

 ――もうダメだ、この静寂と視線には耐えられない! 

 そう彼女が叫び出しそうになった時、伊織が歯切れも悪く言ったのだ。

「あ~……何か勘違いしてるみたいだけど」

「えっ?」

「紬ちゃん。事務所の寮は女子寮じゃないよ?」

「はい?」

「うん、まぁ……男女共用と言うべきか。男が俺だけって言うべきか」

 紬の視線が目の前に並ぶ三人から、背後に建っている建物の方へと移動する。

 まさか、そんな、冗談でしょう? と、
 疑問符と冷や汗を大量に顔に浮かべた彼女に向けて、伊織が気の毒そうに首を振った。

「だからメールも送ったでしょ? コイツはエッチでスケベで変態だから、警戒しなきゃダメよって」

===
 以上おしまい。
 この話は個人的な白石紬考察録になります。

 コミュや台詞を見ていると、紬は気難しいワケじゃなく、
 単に怖がり(臆病)なんじゃないかと思って書いた話です。
 昔書いた落ちこぼれ杏の話と同じノリですね。

 伊織と麗花の下りは、同じ世界線となる前作より
 
 麗花の一日誕生券
 http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1494932137

 では、お読みいただきありがとうございました。

なるほど、臆病もはいってたか
乙です

>>82
水瀬伊織(15) Vo/Fa
http://i.imgur.com/SrnAP8B.jpg
http://i.imgur.com/ryy0RgG.jpg

北上麗花(20) Da/An
http://i.imgur.com/FVZicNJ.jpg
http://i.imgur.com/s5rv5wf.jpg

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