財前時子「短冊に込めた願い」 (16)
アイドルマスターシンデレラガールズです。財前時子さまのお話です。
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「39……。完全に夏風邪ね……」
体温計に表示された数字を理解する程度にはまだ頭は働く。でも、頭が働いても身体は思うように動いてくれない。
「とりあえずちひろには連絡したし、あの豚にも話は行ってるでしょう」
朝、目覚めてベッドから起き上がったら世界が一回転した。しばらくは何が起きたのか理解出来ず、床に転がってしばらく経ってからようやく自分が転んだ事に気が付いた。
何故こんなに自分の置かれた状況が理解出来なかったのかを不審に思いながらもう一度立ち上がってみると、原因がはっきりした。
床が歪んで見えたのだ。
床が歪んで見えたは正確ではない。世界そのものがぐにゃぐにゃと歪んで見えたのだ。
この状況に異常さと共にどこか懐かしさを感じた私は自分の額に手をあてがってみたのだが、額どころか自分の身体そのものがとてつもない熱を帯びていたため、おおよその体温すらはっきりとはわからなかった。
倒れないようになんとか家具や壁に手を当てながら、ゆっくりと体温計を取りに移動して、体温計を手にしたのがついさっき。
今はこうして、その場にへたり込んで体温計の表す数字を見ている。
「ベッドまで随分と遠いわね……」
普段なら狭いと感じるくらいの自分の部屋なのに今日ばかりはとても広く感じてしまった。
今、手元にあるのは、体温計と熱を測りながら事務所に連絡するために使用したスマートフォン。
スマホを使えば救急車はすぐに呼べる。そうすればベッドまで行かずともなんとかなるだろう。
だが、この財前時子ともあろう者が救急車に頼れるわけがない。
「チッ……」
舌打ちをしてから、再び立ち上がろうとしたものの、やはり思うように身体が動かない。
これならいっそ這って行った方がマシかもしれない。
そんな事を考えているうちに私の意識は途切れてしまった。
◆
『……大丈夫。私なら一人で平気。だから気にせずに行って』
『大丈夫? 本当に? すぐ戻ってくるから何かあったら連絡するのよ?』
『大丈夫って言ってるでしょ。早く行って』
『……ごめんね、時子』
◆
「……最悪の寝覚めね」
昔の夢を見たのだろう。いつかどこかで見たような光景が頭の中に広がる。熱に浮かされるとどうも精神が不安定になるらしい。
「チッ……。とりあえず汗を拭かないと長引きそうね……」
身体にかけられた布団をどかして、上半身を起こす。額に乗せられていただろう濡れタオルが布団の上に落ちてしまったが、それを拾い上げる元気もない。やはり身体が重い。タオルを取りに行けるだろうか。
「……は?」
少し眠った事で頭には若干の余裕が出来たのだろう。今の自分の違和感に気付いてしまった。
体温計を取りに行ってからベッドに戻る前に力尽きたのは覚えている。だけど、今の私は自分のベッドの上に寝かされ、自分で用意した覚えのない濡れタオルが額に乗せられていたようだ。
「あ! 時子さま! お目覚めですか!」
私が違和感の原因について回らない頭で考えているとキッチンの方からその原因がやってきた。
「何をしているのかしら」
「はっ! 時子さまがお風邪を召されたと聞いて、この豚、参上致しました!」
「チッ……!」
「あぁ! 時子さまのその冷たい視線……! ありがとうございます!」
普段ならこんなに喋らせずに鞭の一振りで黙らせるのだが、あいにくと鞭は手元にはない。
なので、視線で黙らせようとしたのだが、この豚はあろうことが喜んでいるらしい。
「どうやって私の部屋に入ったのか説明なさい」
「はい! この豚、時子さまのご母堂様より『娘に何かあった時はお願いします』と申し使っており、その時に大変恐縮ではありますが時子さまのお部屋の合鍵を頂戴しておりました!」
なるほど。どうやら母がこの豚に部屋の鍵を渡していたらしい。私のあずかり知らぬところでこんな不愉快なやりとりが成されていたとは。
「そして本日、ちひろさんより時子さまがお風邪を召されたと聞かされ、大慌てで時子さまのお部屋に参上しました所、時子さまが倒れていらっしゃったので僭越ながらベッドまでお運びさせて頂きました」
倒れている間の記憶が無いのは当然だが、不愉快ながらこの豚が私を運んだらしい。
しかし、あのままあそこで倒れて居たら悪化したであろう事は火を見るより明らかだ。
忌々しいながらも、この豚と母との間で成された約束は有効だったと言うわけだ。
「チッ……。今日の所は不問にするわ」
「ははぁっ! ありがたき幸せ!」
いつもと変わらない豚なのに、今日は何故だが違って見える。いつもよりウザい気がする。
「時子さま。お目覚めになられて早々に大変申し訳ないのですが、こちらをお飲みください」
そう言って豚が差し出してきたのは一本のペットボトルといくつかの錠剤だった。
「……頂くわ」
起きてから何も口にしていない私にはペットボトルに入った液体がとても美味しく感じられた。
「美味しい……」
「それはなによりです」
思わずに感想を口にしてしまった。やはり今日の私は少しおかしいのかもしれない。
「そちらの風邪薬は空腹状態で飲んでも問題が無い物になっております。安心してお飲みください」
私が錠剤を手にしたまま固まっていたのが気になったのだろう。私はただ単に動作を立て続けに行えるだけの体力がなかっただけなのだが、豚は私がそこを気にしていると勘違いしたらしい。
「そう……」
言ってやりたい事はたくさんある気がするのだが、如何せん頭がしっかりと回らない。余計な事を言わないように最低限だけ口を開いておくことにしよう。
「ささ。お飲みになられたならまたお眠りください」
「えぇ、そうするわ」
起きていても身体に負担がかかるし、風邪の特効薬は休養と聞く。
「大丈夫です。この豚はいつでも時子さまのお側におりますよ」
「……チッ」
生意気な豚に舌打ちを浴びせて、またベッドに横になる。すると額にひやっとした何かが乗せられた。……おそらく濡れタオルなのだろうが、横になった途端に私の目は開く事を拒否し始めたので確認は出来なかった。
「ゆっくりお休みください」
豚の声が遠くに聞こえた気がする。
◆
昔にも夏風邪を引いたことがある。
幼稚園に通っていた頃だったはずだ。七夕の日だったのをなんとなく覚えている。
あの日もこうして高熱が出てしまい、母に看病されながら横になっていた。
当時、母は幼稚園で何かの役員だか係になっていたため、七夕行事を取り仕切っていた。
立場上、母が行事から離れるわけにはいかない事を私は子供ながら理解していたので、本当は不安だったのだが、自分は一人でも大丈夫と強がって母を送り出したのだ。
母も行事の準備までが外せないだけで、始まってしまえば帰ってこられると言っていたのもある。父だってなるべく早く帰ると私に約束してくれていたし。
だから、私は一人で熱に耐えて寝ている事を選んだ。
熱で頭がぼーっとなり、うつらうつらとまどろんでは、せき込んだりして目が覚める。そんな繰り返しをしているうちに、薬が切れたのだろう。急に身体が辛くなった時があった。
しかし、父も母も居ないひとりぼっちの家では誰も助けてはくれない。誰も私の側に居てくれない。
自分の意思で『大丈夫』と言って母を送り出したにも関わらず、とても不安でとても寂しくて。
だからなのだろう。馬鹿らしいと思っていた『短冊』に願いを書いたのは。
今日の幼稚園での七夕行事では笹に園児が書いた短冊を吊るしている。もちろん私も書いてはある。馬鹿らしいと思っていたので適当に書いた短冊が。何を書いたかまでいちいち覚えていられなかったのだが。
高熱で思うように動かない身体をなんとか動かして、おぼつかない手つきでハサミを使って紙を長方形に切る。ここまでやるのに一体どれだけの時間がかかったのかはわからない。
なんとか作った歪な短冊に、これまた必死にマジックで願いを書く。
当時の私は彦星と織姫だとか言う訳の分からない妄想にすら頼りたくなるほど弱っていたのだ。
◆
「どこ……に行くのよ……」
「ど、どこにも行きませんが……」
目を開けるとプロデューサーの手が私の額の上のタオルに伸びており、反射的にその手を掴むと、プロデューサーが困惑したような表情になっていた。
「今度もそうやって……私の側から居なくなるんでしょ……私が行って良いって言ったから……」
「は、はい……?」
どうやら過去の記憶と色々ごっちゃになっているのだろう。私の口は勝手に言葉を話している。
「私が……どれだけ辛くて……不安で……。短冊を書かなきゃいけなかった気持ちがわかる……?」
……きっとこれはあの時の私が抱いていた不満なのだろう。強がって意地を張っていた小さな女の子の両親に対する不満。
「時子はしっかりものだからとか……そんな事言っていつもいつも……。どこに行くつもりなのよ……」
はっきりとしない視界が更に滲んでくる。きっと熱のせいで涙が出ている。
「時子さ──」
「どこに行くのよぉ……」
一度決壊してしまうとあとはもう流れきるまで止められないようだ。ずいぶんと久しぶりに私はボロボロと涙を零してプロデューサーの手をしっかりと握っている。
「俺は何処にも行かないよ。ずっと時子の側に居るから。時子がどんなに嫌がっても俺はずっと側に居る。だから、俺を時子の側に置いてくれないか?」
握られている方とは別の手で私の頭を撫でながらプロデューサーはそう言った。とてもとても優しい声で。
「うん……」
溢れてくる涙は止まらないけど、こうして優しく撫でられているととても安心できる。
あぁ……また眠れそうね……。今度はきっと安心して……。
◆
「起きなさい、この豚!」
「は、はひぃ!?」
翌朝、目が覚めると私の熱はすっかり下がっていた。
念のため体温を測ろうとベッドから起き上がって最初に目にしたのが、よだれを垂らしながらアホ面で床に横たわる豚の姿だった。
「朝からなんて不愉快なものを私に見せているのかしら。さっさと起き上がりなさい!」
「はい! 直ちに!」
まだ寝ぼけているのか顔がどうにもしゃっきりしていないが、私の命令にすぐに従ったから不問にしておきましょう。
「今日の私のスケジュールはどうなっているのかしら。昨日一日休んだ分の補てんは?」
「しょ、少々お待ちください!」
立て続けに質問をすると豚は若干フラフラしながらジャケットに入っていた手帳を取り出して今日のスケジュールを読み上げ始めた。
「……となっております。昨日のお休みになられた分に関してはすでに補てんもされており、何ら問題ありません」
「そう。なら良かったわ」
「ところで時子さま……」
「何かしら」
「お身体の具合はいかがでしょうか……?」
手帳を片手に不安そうな顔で豚は私の体調を尋ねてくる。
「万全、とは言い難いけど問題ないわ」
「それは何よりでございます!」
豚が満面の笑顔でそう答え、手帳を閉じてジャケットのポケットに仕舞おうとした時だった。一枚の紙きれが手帳から滑り落ちて来た。
「これはなに?」
「あ、そちらは時子さま用の短冊です。今日は七夕なので短冊を事務所に飾りたいと法子ちゃんが言っておられまして」
そう。法子が。まぁ、あの娘もまだ13歳だものね。七夕とかにも一喜一憂出来るのでしょう。
「もし、よろしければ時子さまも短冊を書いていただけますと、この豚、至上の喜びにございます!」
「チッ……。寄越しなさい」
「ははぁ!」
この歳になって短冊なんてものを書く羽目になるとは思わなかった。
短冊を恭しく掲げる豚の手から受け取って何を書こうか悩み始めると豚がこんな事を言い始めた。
「そう言えば時子さまは七夕の願いが叶うのは早くとも16年後と言う話をご存知ですか?」
「アァン? 16年後? はっ、ずいぶんと気長に待たなければいけないのね」
「彦星と呼ばれる星のアルタイルまでは16光年離れておりまして、16年経たないと彦星まで願いが届かないのです」
「それじゃあ今書いている願いは16年後にしか叶わないのね。馬鹿らしいわ」
……そういえば、あの夏風邪を引いたのは丁度そのくらい前になるんじゃないだろうか。
「時子さまとならば16年でもあっという間に過ぎてしまいますよ。楽しい時間程早く過ぎてしまいますから」
「チッ……」
いつも穏やかな表情を浮かべて私の側に居るプロデューサー。
16年前の時に書いた短冊の願いは……。
「『いつも側に居てくれる人が欲しい』だったわね……」
「はい? 何かおっしゃいましたか?」
「うるさいわね! 事務所に行く準備をするから豚は外で待っていなさい!」
「畏まりました!」
豚が部屋の外に出て行ったのを確認してから、貰った短冊に願い事を書く。
「どうやら本当に叶うらしいわね。……次も頼むわよ」
新しい願いを書いた短冊は誰にも見られないように高い位置に吊るすとしよう。
万が一にでもプロデューサーや法子に見せるわけには行かない。
「ククッ……。16年後が楽しみね」
仲間とずっと一緒に、なんて願わなくても叶いそうな気はするけども。
End
以上です。
彦星たるアルタイルは16光年先、織姫たるベガは25光年先にあります。ハルヒで学んだ。
だから願いが届くのは早くても16年先だとかどうとか。
16年前にした願い何て覚えてるわけねぇだろと思いつつも、きっと無邪気な子供だったはずだし何か素敵な事をお願いしているはずなので叶うのを気長に待つとしましょう。
さて、お読み頂ければ幸いです。依頼出してきます。
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