北沢志保「あなたと黒猫、あるいは私」 (13)
「ただいま」
「お帰りなさい、プロデュー……何ですか? それ」
「いやー……ちょっと、拾っちゃって」
拾っちゃって、って……呆れながら、彼の腕にいる黒いモップのようなものを見る。そのモップはにゃあと鳴き、プロデューサーさんのスーツに泥を擦り付ける。
「……もう」
私は棚からタオルを一枚……いや、二枚取り出して、プロデューサーさんに渡す。
「お、ありがとう、志保」
「どういたしまして。あと、その子も」
「ん? こいつか?」
プロデューサーさんは言いながら、タオルで猫の身体をわしわしと拭いている。猫はくすぐったそうに身をよじらせて、その拍子に水があたりに飛び散っていた。
「……その子は私が拭きますから、プロデューサーさんはまず自分の身体を拭いて下さい」
「でも、汚れるぞ? こいつ、結構汚いからな」
「そんな気遣いをする前に、自分の身を気遣って下さい。……シャワーでも、浴びてきたらどうですか?」
外は土砂降りだったはずだ。タオルで拭いたところでどうにかなるものではない。このままだと風邪をひいてしまうかもしれない。
「ん、そうだな。ついでにこいつも――」
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そうやってプロデューサーさんが手を伸ばすと、「にゃっ!」と猫はプロデューサーさんから離れようとしているのか、私の腕の中で身をよじらせる。
「……シャワー、嫌いなんですかね」
「そうかもな。こいつ、野良じゃないのか?」
「首輪は付けていませんが……」
どうなのだろうか。しかし、考えても仕方がないように思える。
「そう言えば、その猫、どうするんですか?」
「どうするって?」
「飼うのか、飼わないのか」
無責任な優しさで連れてきただけなのか、どうなのか。私が尋ねると、プロデューサーさんはうーんと考え込み、
「こいつが飼い猫だった可能性を考えて一応飼い主を探しておくとして……見つからなかった場合は、俺が飼うよ」
「……そんな簡単に決めていいことなんですか?」
「簡単ってわけでもないが……まあ、連れてきちゃったからには、な」
そう言って、プロデューサーさんは私の腕にいる猫を撫でる。猫はくすぐったそうにして、「みゃあ」と鳴いている……というか。
「……プロデューサーさん。当たりそうなんですが」
「当たりそう、って――あ」
プロデューサーさんが固まって、慌てて腕を引っ込める。……もう。そんなプロデューサーさんを見て、私はくすくすと笑ってしまう。
「当たっていたら、セクハラでしたね」
「……志保。お前、そういうこと言うタイプだったっけ」
「さあ?」
言うタイプでは……なかったような気がする。しかし、今のはプロデューサーさんを困らせたかっただけ――って、この発想自体、昔ならしなかったかも。
そんなことを思っていると、「くしゅんっ」とプロデューサーさんがくしゃみをした。そうだ、そう言えばそうだった。
「プロデューサーさん、シャワーを浴びてきて下さい。この子は……まあ、私が見ておくので」
「ん。頼む」
プロデューサーさんを見送ると、私と黒猫の二人きりになる。「にゃあ」と鳴いて、猫は私に身体を擦り付ける。……この子、ずいぶんと人懐っこいな。
「……君は、どこから来たのかにゃ」
尋ねると、にゃあ、と答えられる。しかし、私には猫語がわからない。
ずっと部屋のすみっこにいるのも何なので、私は猫を連れて先程まで座っていた場所へと向かう。猫を膝の上で撫でながら、台本を読む。
「シャワー、浴びてきたぞー」
そうしていると、プロデューサーさんが髪を拭きながら帰ってきた。スーツではない彼を見るのは新鮮で、少しの間見つめてしまう。
「? なんだ、志保」
「スーツじゃないんですね」
「用意してなくてな。さっきのスーツを着て戻ったら志保に怒られそうだし」
「そのスーツは、今」
「自然乾燥中。あそこまで濡れたら、一回クリーニングに出した方がいいかな」
「そうですか」
でも……やっぱり、プロデューサーさんはスーツの方がいいかも。私は台本を置いて、猫をプロデューサーさんに預ける。
「プロデューサーさん、この後の予定は」
「ちょっと書類仕事をしたら帰るだけだな。志保は?」
「小鳥さんが帰ってきたら、それで」
「……そう言えば、小鳥さんはこの雨の中、いったいどこに」
「何か、忘れ物? だとか」
「忘れ物……まあ、帰ってきてから聞けばいいか」
「そうですね」
話しながら、私はプロデューサーさんにコーヒーを入れて渡す。
「ん、ありがとう、志保」
「インスタントですけど」
「それでも嬉しいよ。ありがとう」
「……どういたしまして」
プロデューサーさんはコーヒーに口を付け、「あちっ」と離す。プロデューサーさんの膝に寝転ぶ猫は「にゃあ」と鳴いて、私の方に跳んでくる。
「そうだ、俺がいるから、志保はもう帰っていいぞ」
「いえ、頼まれたのは私なので。小鳥さんが帰ってくるまではいますよ。今日は早く帰っても、あまり意味がないので」
「そうか……うん。なら、もうちょっと付き合ってもらおうかな」
「はい」
それから小鳥さんが帰ってくるまでの間、私たちは黒猫と一緒に穏やかな時間を過ごした。普段よりも会話をしていたのは、たぶん、猫のせいで、猫のおかげだと思う。
後日、あの猫は飼い猫だったということが判明して、無事に飼い主のもとへと帰された。
プロデューサーさんには「さびしいか?」と尋ねられたが、さびしさはあまりなかった。そもそも私は一日しか会っていないし……むしろ、安心の気持ちの方が大きかったかもしれない。
あの子は捨てられたわけではなく、きちんと探している人がいたんだ……って、そう思えたから。
しかし、プロデューサーさんは「俺はさびしい……」と言っていた。まったく、これだからプロデューサーさんは。
「私たちが、いるじゃないですか」
「それはそうだけど……人間と猫じゃ、やっぱり違うだろ?」
「……にゃあ」
「ん?」
「なんでもありません」
「な、志保。今のもう一回してくれないか? 録音して部屋で聞いたら、さびしくないと思うんだが」
「やりません。こんなの録音してひとり部屋で聞いている方がさびしいでしょう」
それでもプロデューサーさんは「頼むから~」としつこかったが、私は無視した。
その後、それを見ていた可奈に何があったのか聞かれた。
私はなんでもないと答えた。
終
終わりです。ありがとうございました。
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