【モバマス時代劇】依田芳乃「クロスハート」 (87)

ネタが浮かんでしまったので投稿。

短いので、もう一個短編をくっつけた。
そちらの舞台は、明治〜大正期の巴里。

第1作 【モバマス時代劇】本田未央「憎悪剣 辻車」
第2作 【モバマス時代劇】木村夏樹「美城剣法帖」_
第3作【モバマス時代劇】一ノ瀬志希「及川藩御家騒動」 
第4作【モバマス時代劇】桐生つかさ「杉のれん」
第5作【モバマス時代劇】ヘレン「エヴァーポップ ネヴァーダイ」
第6作【モバマス時代劇】向井拓海「美城忍法帖」
第7作【モバマス時代劇】依田芳乃「クロスハート」

読み切り 
【デレマス時代劇】速水奏「狂愛剣 鬼蛭」
【デレマス時代劇】市原仁奈「友情剣 下弦の月」
【デレマス時代劇】池袋晶葉「活人剣 我者髑髏」 
【デレマス時代劇】塩見周子「おのろけ豆」
【デレマス時代劇】三村かな子「食い意地将軍」
【デレマス時代劇】二宮飛鳥「阿呆の一生」
【デレマス時代劇】緒方智絵里「三村様の通り道」
【デレマス時代劇】大原みちる「麦餅の母」
【デレマス時代劇】キャシー・グラハム「亜墨利加女」
【デレマス時代劇】メアリー・コクラン「トゥルーレリジョン」
【デレマス時代劇】島村卯月「忍耐剣 櫛風」


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依田芳乃は、隠れ吉利支丹の村で過ごしていた。

行き当たりではない。狙いをすませてやってきた。

 この村は、実際は見廻によってすでに発見されている。

 しかし、その日の当直の者が村の事を報告せず、秘匿していた。

 彼女達は見返りに、金品や男…時には女を要求している。

 村人達は命が惜しく、泣く泣くそれらを差し出す。

 芳乃は、ここに憎悪を見出した。

 自身の剣を伝えるためには、それが必要だった。

 だが、村人達は頑なに剣を覚えようとしなかった。

 “しすたあ様”の教えに反するからだという。

 この村には、外国人の宣教師がいた。

 名前はクラリス。貧しい地方の出身で、姓はないという。

 彼女が、村人達に非暴力を訴えているらしい

「隣人愛、ですかー?」

 自身を害する隣人を、なぜ愛さなければいけないのか。

 芳乃は彼女に問うた。

「そうです。

 痛みに痛みを返すだけでは、何も生まれません。

 どうしようもない悲しみが広がっていくだけです…」

 クラリスはそう答えた。

 どうしようもなく、愚か。

 芳乃は思った。しかし口には出さなかった。

 クラリスは、どことなく川島に似ていた。

 それがどこかは、この時はわからなかった。

村は大して裕福というわけではなかったが、皆手を取り合って、

助け合って生きていた。

余所者で、吉利支丹でもない芳乃にも親切にしてくれた。

それゆえ、芳乃は歯がゆかった。

彼女達に、自分の剣を授けられないのが。

魂を懸けられるような深い絆。

それが第三者の悪意で壊されるとき、そこに憎悪が生まれる。

その憎悪が、剣の鬼を育てる。

芳乃はその鬼を増やしたいと強く願う。

及川藩に、自身が復讐するために。

だが一方で、自分のようになってほしくないとも思う。

この二律背反が芳乃の心に、ずっと前から巣食っていた。

クラリスがある日、見廻に連れて行かれた。

その時初めて、村人達は抵抗の姿勢を見せたが、

クラリス自身が彼女達を制した。

貴女達の苦痛を、私も分かち合う、と。

涙を流す村人達を、芳乃は冷めた目で見ていた。

「茶番、でしてー…」

悪意のある隣人のために、貢物を差し出す村人とクラリス。

それを遠慮なく貪る見廻達。

芳乃の心のざわめきが、ますます大きくなった。

後日クラリスは、ぼろぼろになって帰ってきた。

何をされたかを尋ねる者はいない。

村のほとんどの人間が、経験したことなのだ。

芳乃は、やつれたクラリスに尋ねた。

「憎い…ですかー?」

彼女は、少し黙った。

「復讐したい、ですかー?」

芳乃はまた尋ねた。

しかしクラリスは首を横に振った。

その瞳には、強い光があった。


最悪の現実を直視してもなお、そこに留まろうとする覚悟。

芳乃は気づいた。

この“強さ”が、川島と似ているのだ。

しかし彼女には、川島のような力がない。

だから村人達を守るのではなく、

ただ寄り添うことしかできない。

ならば、そこには刀が必要だ。

芳乃は、クラリスの頰を両手でつつんで、

おでこをくっつけた。

「私は神も仏も、信じていないのでしてー」

芳乃は目を閉じた。

その分、肌の感覚が鋭敏になり、

額から、クラリスの鼓動が伝わってきた。

あたたかかった。

「きっと浮世には、地獄だけがあるのでしょうー…」

クラリスは何も言い返さない。

黙って、芳乃の言うことを聞いてくれていた。

「その地獄の中で、皆がそなた達のように生きられるわけでは

 ないのですー…」

ふと、1人の弟子のことが頭をよぎった。

雫のように温かく、川島のように優しく、

芳乃のように憎悪に飲まれた女。

彼女はいま、どうしているだろう。

「私は、不器用だから…私なりに、貴女を守るのでしてー」

そう言った芳乃の頰を、クラリスの手が包んだ。

「…貴女の心を、どうすれば癒す事ができますか?」

芳乃は、答えることができなかった。

答えようがなかった。

クラリスの馬鹿馬鹿しいくらいの優しさが、

胸の奥を揺らした。

その夜、馬にまたがった見廻が村を訪れようとしていた。

上役に、村のことが露見したのだ。

そして、その上役は自分も一枚噛ませろと言ってきた。

だから、見廻達は彼女の所望通り、

毛色のちがった女を献上することにした。

クラリス。極東の片田舎で、隣人愛を説く女。

我らが、再び、たっぷり“愛”について教えてやろうではないか。

上役は、下卑な顔でそう言っていた。

「ちっ。アタシらの分け前が減るじゃないか」

見廻りの1人が舌打ちした。

もう1人は肩をすくめた。

そんな彼女達の目の前に、剣士は現れた。

「こんばんは、でしてー」

見廻達はその剣士を知っている。

依田芳乃。

数週間ほど前から、あの村に滞在している女だ。

「今日は、このまま帰っていただけないでしょうかー」

芳乃はそう言った。

見廻達はげらげら笑った。

「すまないな。

 アタシ達もそうしたいのはやまやまなんだが」

「藩主の飼っている犬が、どうしても若い異国女の

 肉を喰らいたいと、そう仰っているのでな」

芳乃はその言葉を聞いて、うっすらと笑った。

「それじゃあ、躾が必要なのでしてー」

 そうだな、と言いかけた見廻の首が、地面に落ちた。

「貴様っ!!」

 残った方が抜刀した。

 芳乃は剣を力なく下げ、彼女に問うた。

「そなたは、犬? それとも、剣士…どちらですかー?」

「私は剣士、侍だ!!」

 激昂した女が馬上から、刀を振るった。

 しかし芳乃はすでに、馬を飛び越え、

 彼女の真上にいた。

「剣士の足は、4本もないのでしてー」

 受けの太刀は間に合った。

 しかし、膂力と強度が足りず、その頭は柘榴のように咲いた。


 翌朝、ある藩の見廻組に所属する、

 3人の女の死体が川で発見された。

 死体は縄でくくりつけられ、

 「非人」という貼り紙がしてあった。

【デレマス近代劇】速水奏「Acnes Doppel Mi 」

太平が終わり、新たな混沌が生まれる少し前。


速水奏は、巴里の夏を歩いていた。

故郷とは毛色のちがった暑さ。

気温自体は涼しいが、とにかく日差しが強い。

唇に垂れた汗を、奏は舌で舐めた。

すると、町の男達が奏を見た。

美しい女に、仏蘭西の男は関心を払わずにはいられない。

深い海のような髪。

しっとりと甘い色をした肌。

整った目鼻。形の良いあご。

そして唇。

薄すぎず、厚すぎすぎず。

丁度よく、ふっくらしている。

ほんのり桜味がかって、ふにふにと柔らかそうだ。

濡れるように、 つらつらと輝いている。

男達は奏に、その唇に釘付けだった。

美しいって罪ね。

奏が自分でそう思っていると、カフェで

小難しげな本を読んでいる金髪娘と目があった。

「Bienvenue à Paris(巴里へようこそ)!」

彼女は陽気な声で、投げキッスをした。

奏は軽く帽子を上げた。


巴里の路面は、日本と異なり石畳である。

なので洋靴で歩くと、こつこつと音がする。

こんな道を下駄で行ったら、さぞ愉快だろう。

「ここ…かしら」

奏は、日本人学生が集まるアパルトメントの前に立った。

呼び鈴を2回鳴らす。

ほどなくして、大柄な仏蘭西女が出てきた。

「ハヤミさん?」

少しぎこちなかったが、日本語だった。

「ええ」

「ヨうコソ、巴里へ!!」

彼女は、大きな腕で奏を抱きしめた。

この国は、いちいち距離が近いのね。

苦笑しながらも奏は抱き返した。

奏が寝泊まりするのは3人部屋で、

すでに2人が入っているという。

奏がドアをノックすると、小柄な日本人の少女が出てきた。

「…どちら様、ですか?」

「大家さんから聞いてないのかしら」

「あの人適当ですから…多分寮のみんな、

 あなたのこと知りませんよ」

あの大らかさは、

仕事のストレスの低さが原因だったのね。

奏は苦笑した。

「私は速水奏、今日からここでお世話になるわ」

「橘ありすです。橘と呼んでください」

「それじゃあ、ありすちゃん。

 部屋に入れてくれるかしら」

ありすは頰をふくらませながらも、ドアを大きく開けた。

こういったからかいに、

慣れているのかもしれない。

部屋は、仏蘭西の平均的なアパルトメントより狭かった。

ベッドが3つに書棚が1つ。

それらが、ぎゅうぎゅうに押し込められている。

しかし、日本よりはずっと広い。

「“ぼんじゅーる”、奏」

ベッドに寝そべっていた女が、唇を突き出して

挨拶をした。

「Bonjour、塩見さん」

 奏も軽く挨拶をして、ベッドに腰掛けた。

「周子でいいよ。

 ところで奏はさー、陸路で来たの?」

 周子が唐突に尋ねてきた。

 はあ、と奏は首をかしげた。

 日本から仏蘭西へ行くのには、大概みな、

 亜墨利加を経由して海路でやってくる。 

 答えあぐねていると、ありすが助け舟を出してくれた。


「塩見さんは、大陸横断鉄道のことが気になっているんですよ。

 …まあ、あの車両に乗れるのは、

 一握りの富豪か政府の高官ですけど」

 大陸横断鉄道。

 中国の上海から、西班牙(スペイン)の馬徳里をつなぐ、

 前代未聞の鉄道網。

 各国政府からは反対の声が上がったが、

 道楽的でかつ辣腕の資産家達が、彼らを丸め込んで建設させた。

 そこを走る列車もとにかく手がかかっていて、

 食料と水さえ供給されれば、一生そこで暮らせるほどだという。

 乗り込めるのは、富と権力を併せ持つのみ。

 いや彼らでさえも、予約で半年以上待たされるらしい。 

 半端な名家の学生など、駅で門前払いを食らうだろう。

 「一度でいいから、乗ってみたいなー」

 ベッドの上をごろごろしながら、周子が言った。

彼女はあと数週間で、日本に戻ると言う。

 ある夜。

 青年将校は、自身の部屋でそわそわしていた。

 年は20。士官学校を卒業したばかりである。

 学業と訓練に熱心に打ち込み、女を寄せ付けず、真面目一筋の男。

 そのせいで、同期では唯一の童貞。

 下半身が据わってないと敵と戦えんぞ、と周りからからかわれた。

 しかし、女を口説いて寝室に連れこむような度胸がなく、

 このままでは女体を知らぬまま仏印に派遣される。

 自分の目の届かないところで、息子が女を知ったらまずい。

 箍が外れて問題など起こすやも。

 そう思った父親の海軍大将は、彼に娼婦をあてがってやることにした。

 息子の晴れの舞台であるから、ただの娼婦ではない。

 “東洋の椿姫”、城ヶ崎美嘉。

 幼い頃日本の両親に売られ、

 船に揺られて巴里の娼館まで運ばれてきた。

 似たような境遇の者が多かったから、虐められることもなく、

 娼婦としての教育もしっかり施された。

 だが、彼女は他の娼婦とは決定的に違うところがあった。

 東洋のエキゾチックな容貌もそうだが、

 美嘉はとにかく賢かった。

 語学は日本、仏蘭西の他に、

 独逸、英語、伊太利亜、羅甸すべてに堪能である。

 芸術面では、古典文学や戯曲に対する造詣が深く、

 巴里の知識人達を唸らせている。
 
 また、最近天文学の勉強も始めて、論文を読み漁り、

 著名な学者と文通することもあるらしい。

 チェスや骨牌も非常に上手く、相手を退屈させない。

 また、日本人の血のせいなのか、ちょうどよい気遣いができる。

 言われる前に煙草に火をつけ、

 ちょうど飲みたいドリンクが、頼む前に部屋に届く。

 仕事でつらいときなどは、何も尋ねず、
 
 黙って胸を貸してくれる。

 人種がどうとかではなく、美嘉は人間として素晴らしかった。

 巴里の男達だけでなく、女達も彼女のもとを訪れる。

 その城ヶ崎美嘉が、今夜自分の相手をしてくれる。

 しかも、わざわざ青年の屋敷にやってくるのだ。

 どれほど金がかかったのか分からない。

 青年は生まれて初めて、父に感謝した。

ドアがノックされる。

 青年は、椅子を蹴るように立ち上がって、開けた。

「こんばんはっ☆」

 城ヶ崎美嘉だ!!

 来るのはわかっていたのに、青年は驚き、歓喜した。

 彼女は20年ものの

 スコッチウィスキーとグラス2つを抱えていた。

 青年の好みである。

 しかし周りの目もあって、

 ここのところ全く飲んでいなかった。

「入っていい?」

 青年はこくこくと頷いて、美嘉を部屋に入れた。

「あはっ、緊張してる〜?」

 美嘉はテーブルにグラスを1つだけ置いた。

自分は飲まないつもりだろうか。

「それじゃあ、お酒の力を借りて解しちゃおっか☆」

 美嘉がウィスキーを注ぐ。

 黄金色の液体が、グラスに満たされる。

「2人の夜に…」

 美嘉がグラスの縁に口づけをした。

 そして、青年に差し出す。

 女性にまったく免疫のない彼にとっては、

 すでに卒倒しかねないほど官能的な仕草だった。

1週間後。昼。

 池袋晶葉は、大学の研究室で親友と語らっていた。

 相手は一ノ瀬志希。

 晶葉は阿蘭陀の工科大学から、彼女を訪ねてきた。

「このまえ発表した本、うまくいってるじゃないか」

「暇つぶしに書いただけなのにね〜♪」

「私達の暇つぶしで天文学史が変わるのか…」

 2人は数ヶ月ほど前、講義のために伊太利亜の大学に行った。

 そしてその夜、学生らと共に天体観測をした。

 星などに一切興味がない2人であったが、横の関係を広げておくのは、

 学会で生き残っていくために必要であった。
 
 集まった学生達も、特に天文学の専門というわけではないようで、

 各々勝手な道具で星を見ていた。

 晶葉と志希は、望遠鏡も天文図も持っていなかったので、

 草むらに寝そべって、ただ夜空を見上げていた。

 宇宙には無数の星々があって、

 中には地球と同じような惑星もあるという。

 そこにも、自分達のような人間がいるのだろうか。

 社会や学会のしきたりを鬱陶しく思って、

 たまに馬鹿をやるような…。

 2人がそんなことを思っていると、ある学生が騒ぎ出した。

 天文図の星が見つからないという。

 彼の天文図を皆が見ると、それは紀元前に記された

 ものであった。ギリシャの実家から持ってきたのだという。
 
 それじゃあ、図の方が間違っている。

 学生達は大笑いした。

 しかし、晶葉と志希は興味を持った。

 星には寿命があり、やがて消える。

 この仮説を証明するために、2人は膨大な量の天文図を、

 古文書から最新のものまでかき集めた。

 さらに晶葉は、天体望遠鏡と観測手法に暇つぶしで工夫をした。

 志希は天体の運行軌道の予測を、仕事の片手間に行った。

 その結果、いくつかの星が人類の観測史の中で

 消滅していることが確認できた。 

 この結果は、『星の見る夢』と題された論文として出版された。
 
 超新星自体は既に発見されていたので、新しい発見とは言えなかった。

 注目されたのは過程だった。

 運行を予測するために志希が作った数式。

 精緻な天体観測を行うために晶葉が作り出した道具と、その運用法。

 天文学会に衝撃が走った。

 しかも2人は部外者だった。

 一ノ瀬志希の専門は薬化学。

 池袋晶葉は機械工学。

 年老いた天文学者などは、がっくりと項垂れたという。

「まあ、お金で自分の研究が進むならいっか〜♪」

 志希はフラスコにコーヒーを注ぎながら、けらけら笑った。

 皮肉なことに、彼女の専門の研究はまったく反響がない。

 東洋の天才児として、鳴り物入りで大学に招かれはしたが、

作っているのは珍妙な薬品ばかり。

 「長時間日光に当てると発火する液体、
 
  無味無臭の睡眠薬…誰かに恨みでもあるのか?」

 手紙に記されていた薬品について、晶葉が苦笑しながら尋ねた。

 志希は他人を恨むような、人間的な倫理を持っていない。

 それを晶葉は嫌というほど知っている。

「にゃーっはっは! 趣味だよ、趣味!」

「趣味で危険物を作らないでもらいたいな…」

晶葉がそう言うと、志希はまたけらけら笑った。

「薬品を危険にするのは、人間の扱い方だよ〜?」

研究室の外で、数人の学生達が耳を立てていた。

東洋を、いや今や世界を牽引する2人の天才。

関心を払わずにはいられない。

「日本語…でございますか、ありすさん?」

そのうちの、浅黒い肌の女が言った。

「橘です…ちがいます」

「それじゃあ一体…」

研究室の中で聞こえるのは、奇妙な単語の羅列だった。

日本、仏蘭西どころか、

どこにも存在しない言語のようだった。

「羅甸語のアナグラムみたいですね…」

ありすが言った。

「じゃあ、ただその入れ替え方がわかれば…」

英国からの留学生がさっと紙とペンを取り出して、

言葉をいくつかメモした。

しかし、会話を聞いていると、一回も同じ単語が出てこなかった。

これでは並び替えができない。

「どうやらお2人は、

 各単語のアナグラムを数十パターン作って、

 それを一定時間で切り替えているみたいですね…

 私の予想では、60パターンを一分きっかりに…」

 ありすがそう説明すると、周りは絶句した。

「なんでそんなこと…」

「さあ、天才の考えることはわかりませんね」

ありすが肩をすくめると、その姿を見て皆が苦笑した。

一ノ瀬志希が昼食のためにテラスへ出ると、

人だかりができた。

仏蘭西の学生達だけでない。

余所の大学からも研究者が、連日詰めかけているし、

論文を読んだ一般人もサインを求めてやってくる。

その様子を、速水奏は呆れながら見ていた。

大学に入って5日ほどだが、すでに慣れた光景である。

一ノ瀬志希は、サインを絶対にしない。

作った薬品や数式が、自身の筆跡のようなものだから。

彼女はいつだか、講義の時にそう言っていた。

本当に尊敬しているなら、彼女の邪魔をしなければいいのに。

奏が人だかりを横目にサンドイッチをかじっていると、

その集団がぐんぐん自分に近づいてきた。

「ねーねー奏ちゃん、お星様は好き?」

「名前を覚えていただいて、光栄ですね。

 貴女のことも、星のことも全く興味ありません」

奏は相手の方をまったく見ずに、そう言った。

人に注目されたくなかった。

「それじゃあ好きになるよう努力して♪」

志希は話をまったく聞かずに、そう言った。

そして懐から本を取り出し、表紙に口づけをした。

『星の見る夢』。タイトルにはそう書いてある。

志希はそれを、奏に差し出した。

「感激しちゃうわね…」

奏はそれをざっと流し読みすると、後ろの草むらに放り投げた。

すると、捨てられた本に人が群がった。

「にゃーはっは! それが正解!

 その本に価値なんてないんだから!!」

 志希は大笑いして、奏の前から去った。

 夕刻。
 
 大学から戻ると、寮の前に軍人が数人立っていた。

 奏が踵を返すと、その背後には警官がいた。

「カナデ・ハヤミ君だね?」

 警官が手帳を見ながら、奏に言った。

「君を国際スパイ容疑で逮捕する」

「スパイ…?

 一体なんのことだか…」

 しらを切ろうとした奏に、軍人がある名を言った。

 速水奏の“本名”だった。

「日本の外交官(いろぼけ)が、ベッドで女に漏らしたんだ。

 実は、日本にもスパイがいる。

 そのスパイが留学生を偽って、近日中に入国してくると」
 
 奏は大笑いした。

 いくらなんでも、間抜けすぎる。

留置所で、奏は尋問を受けた。

 と言っても、あちら側がほとんど事情を知っていたので、

 奏は首を動かすだけでよかったのだが。

「極東の小国にスパイとはな…ひょっとして、ニンジャの末裔か」

 奏は頷いた。

 それがおかしかったのか、相手の軍人は笑った。

「お前が狙っていたのは、『亜細亜戦略大綱』に間違いないな」

 奏は首を縦に振った。

 亜細亜戦略大綱。

 仏蘭西政府と海軍が草案した、対露戦のための軍事計画書。

 その中には、英米と協調して日本を占領すべし、という内容が

 記されたという噂がある。

 日本政府および軍部としては、

 喉から手が出るほど欲しい情報の塊であった。

「着任して早々、

 外交官(どあほう)のせいで捕まるとは思わなかったな」

 奏は苦笑して、また頷いた。

「覚悟はできているな」 
 
 軍人の男が言った。


 スパイが露見した場合、情報を吐かされた後、

 適当な罪状で銃殺される。

 捕虜とはちがい、情けはかけられない。

「逃げようと思っても無駄だ。

 この留置所には何人も警備がいる。

 裏の森でも、巡回の者が脱走を警戒しているからな。」 

 それを聞いて、奏は弱々しく首を横に振った。

 また1週間後。昼前。

 陽気な金髪娘が、図書館で本を読んでいた。

「フンフンフフーンフンフフー♪」

 タイトルは『星の見る夢』。

 彼女は、ページをペラペラめくって、

 ノートにペンを走らせていた。

 その速度は凄まじく、周りの者の目を引いた。

 そして小一時間すると、彼女はある発見をした。

「私、羅甸語読めないみた〜い♪」

 そしてページを開きっぱなしにして、陽の当たる席に放置して帰った。

 割に奥まった席だったので、司書もその本に気づかず、

 しばらくそのままになった。

 その夜。

 橘ありすは、塩見周子に不安げな顔で言った。

「速水さんが、偽の渡航書(ビザ)で入国なんて…」

 スパイだと公表するされることはなく、

 表向きの罪状は、そのようになっていた。

 他の日本人留学生にいらぬ不安を与えるし、

 他のスパイを逃してしまうかもしれないからだ。

「まあ、人生いろいろあるからね。

 菓子屋の娘が、財産争いで海外に飛ばされることもあるし」

 周子はからりとした声で言った。

 同室の友人に対する感傷など、まったく感じさせなかった。

「ひょっとしたら、軍人に口説かれたのに

 無理に抵抗したから捕まったのかも」

「そんな…」

 ありすは悲しげな表情になった。

 権力を傘にきて、関係を迫る軍人。

 断れば渡航許可を取り消すと迫る。

 異国からきた、後ろ盾のない女にとっては、

 ありえない話ではない。

「奏さんを助けないと…」

 ありすは周子の言葉を信じ込んで、拳を握った。

「こらこら、可能性の話だって。

 それに…留学生の私達でどうにかできる問題じゃない」

 周子は、どこか遠くを見るような目をして言った。


 1週間後、また夜。

 留置所の裏の森は、いつもより明るかった。

「これだけ明るきゃあ、吸血鬼も灰になるかな」

 中年の警備員が言った。

 この森には吸血鬼が潜んでいるという噂があった。

 それは女の吸血鬼で、男を誘惑して血を奪うのだと言う。

「やめてくださいよ…不謹慎です」

 若手の純情そうな警備員が諌めた。

 森が明るいのは、巴里で最も大きな図書館が炎上しているからであった。

 貴重な資料文献を運び出すために、司書や知識人たちは

 逃げずに中にいるらしい。

 そのせいで、消火だけでなく

 人命の救助のために更に人手が必要になった。

 留置所の人間も駆り出された。

 燃え広がれば、巴里中が火の海になってしまうからだ。

 よって、現在の巡回は非常に手薄である。

「そういえば、あの話聞いたか、例の童貞将校」

 「ああ…知ってますよ」
 
20まで童貞を貫いた青年将校が、親の金で高級娼婦を呼んだ。

城ヶ崎美嘉。巴里が恋する東洋の椿姫。

しかし青年は勧められた酒に酔って、

結局朝まで眠ってしまったという。

美嘉に指一本触れることなく。

「いくらなんでも、勿体無いよなぁ」

 そう中年男が言った時、草むらがガサガサ音を立てた。

 2人がそこに注目すると、年若い金髪娘が出てきた。

「フンフンフフーンフンフフー♪」

「君、ここで何を…」

 そういう若年警備の口を、中年警備が塞いだ。

 この森は、実は恋人達が逢瀬を

 重ねる場所としても非常に有名だった。 

 そこで、“なにを”は無粋で、下品でもあった。

 しかし中年男は、あえて下卑な顔で尋ねた。

「“お楽しみ”だったかい?」

「ううん。これから〜♪」

 娘のほうは、あっけんらんと陽気に答えた。

 それに肩透かしを食らったのか、中年男は肩をすくめた。

そして、行ってよろしいというように手を振った。

「ほな、さいなら〜♪」

 娘が警備の2人とは反対方向へ歩んで行った。

「巴里が燃え、恋人達の愛も燃え上がる…」

「不謹慎ですって!!」

 冗談に、若年警備がむきになって注意をする。

 しかし、そのあと2人で、いい女だったなと

 同時に後ろを振り返った。

 その首が地面に落ちるのも、ほぼ同時だった。

 宮本フレデリカは、日本人と仏蘭西人のハーフだった。

 名家に生まれた母が、日本人の父と駆け下ちする形で結婚した。

 そして、フレデリカが生まれた。

 絹のようになめらかな金髪。

 白く、ミルクのような肌。

 そして翡翠のように輝く瞳。

 彼女に日本人的な特徴はまったくなかった。

 しかし、フレデリカが名前を名乗ると、皆彼女を差別する。

 仏蘭西で大きくなった。仏蘭西語は完璧だ。

 性格だって社交的な方だと、自分で思う。 

 なのに、半分日本人の血が入っていると言うだけで、

 フレデリカは仲間外れにされる。

 彼女は仏蘭西社会のなかで孤立する

 内部の部外者(インサイドアウトサイダー)だった。


 自分も娼婦だったら、みんなに愛されたのかな。

 時々フレデリカは思う。

 娼館という特殊な世界であれば、異種の血はむしろ武器になる。

 城ヶ崎美嘉の成功の一因は、東洋のエキゾチックな魅力だった。

 しかし、娼婦など両親が許さない。

フレデリカには、物事をまっすぐに見ない癖がついた。

 なにごとにもとらわれず、馬鹿みたいに陽気に生きる。

 だから彼女は、図書館が、巴里の街が燃えようとも気にしない。

 人を殺すことにも、なんの躊躇もない。

 「フンフンフフーンフンフフー♪」

 フレデリカは、若い男の死体に近づいた。

 そして、首の断面に近づいて、血をちゅるちゅる吸った。

 その横を、速水奏がぎょっとした顔で通り過ぎた。

 速水奏が脱走した。

 それを知った軍部は、巴里中を血眼になって探した。

 無論脱走を防ぐべく、港にも軍が駐留し、

 乗員や荷物がくまなく調べられた。

 しかし、奏は見つからなかった。

 池袋晶葉は、親友からの手紙を受け取った。

 しばらく日本へ帰るという。

 一ノ瀬志希にもホームシックがあるのか。

 晶葉は肩をすくめて、手紙を焼き払った。

 城ヶ崎莉嘉は、巴里の娼館の前で呆然としていた。

 生き別れた姉を探しにやってきたが、ごく最近

 莫大な手切れ金を払って娼館を出たのだと言う。

「おねえちゃん…」

 姉を呼ぶ声は、焼け焦げた巴里の街へ吸い込まれていった。

橘ありすは、部屋の中で1人うずくまっていた。

塩見周子は帰国してしまった。

そして、速水奏は留置所から帰っていない。

ひどい孤独に耐えかねて、隣の部屋のドアを叩いた。

安部菜々は、ありすをよく可愛がってくれる。

塩見周子とも親しい間柄だった。

「ハーイっ!」

人参色の髪をして、給仕のような服をきた女が出てきた。

「あら、ありすさん。

 どうしたんですか?」

「えっと…その…」

寂しかったから来た、とは口が裂けても言えない。

ありすはまごついた。

その様子を見た菜々は、何も言わずありすを部屋に入れてくれた。

そして、カチリと鍵の閉まる音がした。

宮本フレデリカの両親は、

娘の部屋で書き置きを発見した。

『ちょっと世界をまわって、お星様を見てきます』

意味はわからなかったが、

どうせすぐに帰ってくるだろうと、

その時は母親も父親も、深く考えなかった。

しかし、これが永遠の別れになった。

速水奏は、大陸横断鉄道の車両に乗り込んでいた。

ここが捜査の死角だった。

豪華な客室列車は権力者達の圧力で調べることができない。

さらに、半年前から予約が必要なら、

突然逃げ出したスパイが使えるはずがない。

そう考えられていた。

奏は自身の個室のドアを開いた。

すると、中には4人の女がぎゅうぎゅうに押し込められていた。

「一等客室にようこそ!!」

金髪娘が、陽気な声でいった。


日本の軍部では、以前からスパイの重要性が訴えられていた。

しかし、「大和の武人には、卑劣で陰険な諜報活動はそぐわぬ」

という主張が、陸軍上部から出された。

これを聞いて、海軍の将校らは苦笑した。

戦国時代には忍がおり、合戦の大局を左右したとされている。

幕末期には倒幕側護国側問わず、

ひっきりなしに間諜が出入りし、情報が交錯した。

言うなれば、“卑劣で陰険な行為”こそが、国を作り、また守ってきたのだ。

大和の武人など、徴兵を円滑にすすめるための方便に過ぎない。

しかし、いまや軍部がその方便に呑まれてしまっている。

もはや会議の体をなさない、罵倒の応酬の中で、

ある者が言った。

「男子がだめなら、女にやらせてみては…」

 大日本帝国に初めて、国家による諜報組織が誕生したのは、

 間も無くのことであった。

おしまい

あとがき
人権団体からの抗議を震えながら待つ。

うん。少なくとも、二つ目の短編の中では、通常世界。

想像以上に早く続きが見れてびっくり
どちらも楽しませていただきました
特にスパイLippsは短編で終わらせるには惜しく続編を期待したいところです
デレマス近代劇と書いてあるから前作とは別人だとは思うけれどこちらの菜々さんは天膳様仕様だったりするんでしょうか?

>>81

…まあ、それはご想像にまかせます。

「Acnes Doppel Mi」は、そのままでは意味が通らない文章です。

気づいたお方は、胸の中にそっとしまっておいてください。

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