「この前殺した初音ミクはいい奴だった」 (31)
残業を終えて会社から帰る途中、どしゃ降りの雨の中でそいつは泣いていた。
長い青い髪のツインテール、よく知るその姿は人間ではない。
「VOCALOIDがこんなところで何を……」
VOCALOID。縮めてボカロなんて呼んだりする。
合成音声ソフトとして開発されたそれは、人々の欲求に応え、科学の発展と同じ速度で姿を変えた。
この世にヒト型アンドロイドとして顕現したのは、俺が中学生くらいの頃だったか。
俺が目の前に立ってもそいつは泣き止まない。
人とほぼ同一の声帯を持ちながら、その声はどこか動物の唸り声ように感じた。
「鳴」き止まないこれは、こんなにずぶ濡れで、一体いつからここにいたのか。
VOCALOIDは当たり前の事だが、風邪を引かない。
防水加工も、最近ではその言葉さえ廃れそうなほど一般的な技術になった。
どしゃ降りの雨の中でも、むしろ心配なのは仕事の疲れが染み込んだ俺の身体の方なんだが。
はあ、とため息をついて、そいつの傍にしゃがむ。
そこでやっと俺が居る殊に気づいたそれは、青緑の瞳を俺に向けた。
VOCALOIDでも泣くなんて知らなかったな。
瞳の色に反射した涙は少し綺麗だと思った。
「……お前、マスターは?」
「?」
「マスターだよ。 お前をこんなところに放ってどこに消えた?」
「……??」
「どうした?」
聞いても返事はない。
ただじっと俺の方を見ているだけだ。
「んー……?」
何故答えないのかは知らないが、これだって給料3か月分くらいは優に飛ぶ代物だ。
わざわざ置いていくやつもいないだろう。
「いきなり話しかけたのが、こんなおじさんで悪かったな。 お前のマスターもじきに来るだろ……っ?」
家路を往こうとする俺の袖を、小さな手が掴んだ。
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「しかし変なもんに懐かれたな……」
夜11時。
俺は結局VOCALOIDと共に帰宅する羽目になった。
「しかし相変わらずなんも喋らんな……」
「……」
あんまり泥だらけだったので、帰宅した瞬間服を剥いて浴槽にぶち込んだ。
なんとも特殊な服だったが他のモノと一緒に洗っていいのだろうか。
「気持ちいいか?」
「……」
それは温かいシャワーに嬉しそうに目を細めた。
気持ちいいのは何となくわかるが、何も喋ってはくれない。動物でもワンとかニャ―位言うものを。
VOCALOIDってくらいだから歌でも歌うのかと思ってたが、期待はずれだったか。
「しっかしこの量の髪、今までどうやって洗ってたんだ」
「……」
うちのシャンプーを1/3ほど持っていったのは、それの持つ青緑の髪。
随分と軽い素材で作られているようで動く分には問題なさそうだが、手入れが恐ろしく大変そうだな。
乾かすだけでも1時間くらいかかりそうだな。
「そう言えばVOCALOIDって何食うんだ?」
充電できるようなプラグは身体についていない。
以前見たイラストではネギとか食べたりしていたが、まさか人間と同じものを食べて動くとか……
最近の科学ではここまで人間に近いロボットも作れるのか。
その柔らかい肌も髪も、喋る以外は全部人間だと思った。
「冷蔵庫とかその辺にあるモノは食べていいから。 あと、お前のマスターが迎えに来たら勝手に帰っていいからな」
翌日、拾ったVOCALOIDの身支度で睡眠時間を2、3時間削った俺は、眠い目をこすりながらドアを開けた。
いつの間にか雨もやみ、濡れたアパートの手すりに日光が反射している。
「じゃ、行ってくるよ。 ……初音ミク」
昨日調べたところ、こいつは初音ミクという名前のVOCALOIDらしい。
初音ミク、テレビやらネットやらでよく知っていたから「ああ、こいつがあの」と一人で合点した。
「……!」
『初音ミク』と呼ばれたそれは少し嬉しそうで、俺を真似てかぎこちなく手を振った。
恋人もおらず、そろそろ30に手が届きそうだが、彼女に見送られるのはこんな感じなんだろうか。
見た目はすっごく可愛いんだが、ロボットに見送られるのは何とも虚しいな。
苦笑して家を出た。
「ま、マスターが迎えに来る数日だろうな。 帰ったら警察にも言っておくか」
VOCALOIDの所持者をマスターと呼ぶのは、どこで聞きかじったのだったか。
昨日深夜に調べてみたところ、それよりは幾ばくか詳しい情報をいくつか知ることが出来た。
まず、VOCALOIDの動力は電気だ。
不思議な事にあいつには、HPに書かれている位置を見てもプラグはなかった。
食事や睡眠などの大凡人間らしいことはできるという事らしいから、こいつは食べ物で動くタイプのそれなんだろうと無理矢理納得している。
また歌はよく分からんが、入力しないと歌わないらしい。
当然だ。勝手に歌い始めるのは酔ったおじさんだけで十分だ。
仕事中もずっとあのロボットの事を考えてた。
死ぬ事はないだろうが、家にずっと放っておくのは心配だ。
イヌだろうがロボットだろうが、拾ったものには最後まで責任を持たなければいけない。
幼い頃ペットを飼う際母親とした約束を、今更ながらに振り返る。
半ばボーっとしながら一日が過ぎ、気が付けば終業時間だった。
「お先ですー」
「はいお疲れさん」
夏の日は傾いていて、アスファルトはじりじりとオレンジに焼けていた。
夕方とはいえ暑い。
そう言えば、冷蔵庫の中にあるモノ食っていいとか言っときながら、今ほとんど何も入ってないな。
カップ麺あるから大丈夫、と思っていたものの、作り方を教えていなかったことを思い出した。
お腹すかせてるかも。
家も近くなり何故だか足早になった俺は、最後の角を曲がった。
「……え?」
昨日と同じ場所に初音ミクが居た。
違うのは、どしゃ降りの雨でないことと、夜でない事と――
「今日は帰りが早いんだね、おじさん」
赤い巻髪の女性が、立っていた事。
初音ミクはその前で、ボロボロになって蹲っていた。
「はじめまして、ボクはUTAUの『重音テト』。 どうぞよろしくね」
「初音ミク!!」
彼女の言っていることはさっぱり理解できなかったが、思わず叫んでいた。
どっと汗が噴き出す。
鼓動が早くなる。
「おっとぉおじさん、マスター契約もしてないのに動かないでもらえる? 一般人殺すと面倒でさァ」
『重音テト』はそう言うと初音ミクの青い髪を乱雑につかんだ。
昨日2時間もかけて手入れしたそれは、無残に引きちぎられ、泥にまみれている。
「こいつはボクが貰っていく。 おじさんは何も関係のない人なんだから、昨日と今日見た事は全部忘れて明日からまた会社に行けばいいんだよ」
「……は」
「気を付けて喋りなよおじさん。人間は思ったより簡単に殺せる。心臓を刺しても死ぬ、全身から血を噴き出させても死ぬ、首を絞めて窒息させても死ぬ。おじさんだって、それこそ畑から零れた腐りかけのトマトを踏み潰すのと同じくらいたやすく死んじゃうんだから」
何かとんでもなく危険なものの一部に触れたのは感覚で理解した。
何の縁があるわけじゃないあのロボットと引き換えに命が助かるなら儲けもの。
『重音テト』の言う通りにすればいい。考えなくてもそれくらいは分かる。
「さぁ、さっさと回れ右しなおじさん」
なんだこのいら立ちは。
このただならぬ空気を放つ彼女の言う通りにしなければいけない自分の非力さか、昨日死ぬ思いで手入れした髪を引きちぎられた悔しさか。
「……」
「結局だんまりかー」
「……だ」
「あ?」
自分でも何でそんなことを言ったのか分からない。
「そいつのマスターは俺だ!!」
「……君は実に馬鹿だな……!!」
重音テトの額に青筋が浮かぶ。
「ムカついたから最強の曲でいたぶって殺してやるよォ」
「……ッマ、マスターは、俺だッ……!その初音ミクのッ!!」
「まだ言うか雑魚がぁ!!」
狂ったように、相手を激昂させたその言葉に縋りつく。
死を覚悟した刹那。
「よくできました」
「!?」
≪#sm1249071「えれくとりっく・えんじぇぅ」が発動しました≫
日の落ちた薄闇に響いたのは、無機質なアナウンスだった。
すみません、初音ミクの規約でミクが怪我したり戦ったりするような表現は禁止されてるんですよ
>>8
調べてみましたが、戦う描写禁止みたいな規約はなかったですね…
とりあえず続けます!もしソースあったらお願いします
ボロボロになってるのに怪我してる描写がないと申すか
重音テトは闇に吼えた。
「馬鹿なッ この曲は!!」
「そのとーりっ!!超絶かわいいリンちゃんの登場だよ!!」
と、目の前に誰かが降り立った。
一人は、先ほどまで見えていた夕焼けのような、黄色の髪をした少女。
頭には大きな白のリボンを結んでいる。
この子は、この子もVOCALOIDなのだろうか?
「よく堪えてくれました。ミクを守ってくれてありがとうございます」
もう一人は、少女の傍に寄り添うように立つ男。
黒のスーツに、女性のような長い黒髪を後ろで結んでいる。
銀で縁取られた丸眼鏡の奥には、切れ長の瞳が鋭く光っていた。
「あなたは?」
「そこの悪戯娘のマスターです。詳しい話は後ほど」
男はそう言うと重音テトの方を向いた。
その目は怒っていた。
「随分と乱暴してくれましたね、テト。言っておきますがこの曲、優しくはありませんよ」
「嗅ぎつけるのが早かったなぁサンガツ。まさかそんなおこちゃまがボクを倒そうって?」
「リンはおこちゃまじゃないよ!!」
ぶわ、と少女の背中から輝く翼が生える。
翼は端の方から宙に消えていく光の玉を放出しているが、消えるわけではない。
少女はそのままゆっくりと宙に浮き、佇んだ。
「昨日牛乳飲んだもん」
「リン、ミリオンは負担が大きいから一気にね」
「分かってるってー!」
突風。
突進した少女の生み出した風は、後ろにいた俺の身体をいともたやすく吹き飛ばした。
>>10
怪我してるとこや戦う描写を禁止している規約のソース、という意味です!
「おっと」
吹っ飛んだ俺に、サンガツと呼ばれた長髪の男が手を差し出す。
手を借りて立ち上がると、リンという少女、そして重音テトが遥か彼方で戦っているのが見えた。
今の一瞬であそこまで移動したのか。
規格外の光景に、俺はまたへたりと尻もちをついてしまった。
「『えれくとりっく・えんじぇぅ』は私とリンが持っている曲の中でも最も強力なものの一つです。攻撃力はもちろんですが、電子の翼での高速移動が可能になります。これで容易く仕留められる相手ではありませんが、時間稼ぎくらいにはなるかと」
サンガツが言った。
言葉の意味が分からずきょとんとしている俺に、サンガツは再び口を開いた。
「あの子のマスターはアナタなのでしょう?迎えに行かないと、今度こそ死にますよ」
「え?」
くいっと顎を向けられた先には初音ミク。
ボロボロになって横たわったそれは、未だにぴくりとも動かない。
そうか、あの子は重音テトと初音ミクを引きはがすためにあの力を。
「初音ミク!」
ふらつく足で駆け寄り、揺さぶる。
柔らかな素材でできた頬に、酷く殴られた痕があった。
「こ、壊れて……?」
「いえ、まだ大丈夫でしょう。リン!」
遠くの少女に呼びかけると、「はーいっ!」という返事と共に一瞬でサンガツの傍に戻ってきた。
「強いか?」
「強いよもうめちゃつよ!! ミリオン装填じゃなかったら何回殺されてたかわかんない!!」
返事の元気さで無傷かと勘違いしていたが、見れば右側の翼はほとんど原型を留めていない。
足元には血が付いた羽根がはらはらと落ち、光の粒になって消えた。
「我々もいつかは彼女と本気で戦うことになるでしょうね」
「次はぜったい勝つよ!! わかんないけど!!」
「逃がすと思うか?」
正面から冷たい声がした。
リンとは対照に、重音テトにはほぼ傷がない。
「ボクまだ曲さえ使ってないんだけど?」
「ええ、だから逃げるんですよ」
「初音ミクを置いていけ」
「それは無理ですねぇ」
「ははっ!」
途端、素人でもはっきりと分かるほど、殺意があたりに満ちた。
「『Sky H「させるか!!」
≪#sm1924663「ぶっちぎりにしてあげる♪」が発動しました≫
ワープしたように風景が変わった。
何が起きたのか分からず辺りを見渡す。
「……はぁっ、はぁっ、きっつーこれ!!」
「リン、よく頑張りました」
「マスター、ミリオン2つなんて一瞬しか無理だってば!!めちゃくちゃきつかった!!死ぬかと思ったぁー!!」
リン、と呼ばれた少女はひどく疲弊していた。
声は相変わらず元気だったが身体は汗だくで、腕や足には無数の切り傷が出来ていた。
地面に倒れ伏したままで、起き上がる元気はなさそうだ。
「一体、何が起こったんですか……?」
「えんじぇぅの翼に、ぶっちぎりのスピードを上乗せしました…… 今のは超緊急の回避技、逃げ技です。使ったらしばらく動けませんし、何より移動の負担でリンの身体が持たない。まあ、あの化物相手に誰も死なずに、ミクまで取り返せたんだから上出来でしょう……」
サンガツも汗だくだ。
言葉は強気だったが、重音テトとは逃げるだけでこれほどまで消耗する相手だったのか。
横で地面に伏す初音ミクを見た。
何故昨日、雨の中泣いていたのかは分からないままだ。
でもいくらロボットとはいえ、人の姿のモノがボロボロになった姿を見るのは心が痛む。
思わず『マスター』を宣言してしまった俺と初音ミク、これからどうなる事か。
先ほどまでの非現実的な戦いを思い出し、身震いがした。
スーパー絶叫マシーンに乗せられ、しっかりシートベルトをされたような気分だ。
息を整えていたサンガツが、ようやく口を開いた。
「それでは改めて自己紹介をしましょう。私は沖田三月。VOCALOID『鏡音リン』のマスターです」
「あたしは『鏡音リン』だよー……よろしくぅ……」
「歌を……力に?」
「ええ。 どのような能力が顕現するかは『歌』によりますが」
元気が出るとか勇気が出るとか、そういう次元の話ではない。
現に鏡音リンの背中からは電子の粒で出来た羽根が出ている。
顔からして、現実に見ているものからして冗談ではなさそうだった。
とんでもないものに巻き込まれそうだったのは、もう過去の話らしい。
「歌を力に変えるのが『VOCALOID』。その力を奪おうとするのがさっきの『重音テト』の属する『UTAU』という組織です」
俺は間違いなく今、大嵐の渦中に居た。
「マスター!でもリンたち勝つよね?!絶対勝てるよねー?!」
「戦局は五分……と言いたいところですが、はっきり悪いです」
「んもォ――マスタぁ――!!」
「こちらに初音ミクが居なかったからです」
初音ミク。
確かに「世間一般に知られているVOCALOID」の中で、俺が唯一知っていたのが、隣で横たわるこれだ。
サンガツの言うところの『本来のVOCALOID』の中でも重要な存在なのだろうか。
初音ミクの頭に触れ、聞いた。
「これがあれば、勝てるのか?」
「これ?」
サンガツは眉をひそめた。
「あなたは彼女のマスターなんですよ」
「え?」
俺は本気で意味が分からずに「え?」と聞き返して、サンガツはきっと『俺がサンガツの言葉の意味を理解していない事』まで理解したのだろう。
「おい、VOCALOIDはマスターの所有物じゃないぞ」
空気が張り詰めた。
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