安部菜々「もういいかい?」 (45)
「もういいかい?」
壁の方を向いた菜々さんの声が事務所に響く。
「まーだだよ!」
返すのは複数の声、それぞれ別の方向からだ。
プロデューサーである俺の声もその中に含まれる。
ちなみに出所は机の下からだ。
今、俺は事務所を使ってアイドル達と一緒にかくれんぼをしている。
大の大人である俺が何故こんなことをしているのかというと。
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回想
『もしもし、ごほっ、プロデューサーさんですか』
「もしもし、ちひろさん?その声、風邪ですか?」
『はい、ごめんなさい。体調を崩してしまったみたいで、今日はお休みします』
「わかりました。あ、スタドリ飲むといいですよ。俺はいつもアレ飲めば元気になりますから」
『いいえ、私は遠慮しておきます』
「え、なぜ?まあともかく今日はゆっくり休んでください。それでは」
『はい。事務所をお願いします』
「みんなー!今日は事務所で遊び放題だぞー!」
『……プロデューサーさーん、電話切るの忘れてますよー、ごほっ』
回想終了
それで事務所のみんなに何をやりたいか聞いたら、せっかくなら事務所全体を使える遊びということでかくれんぼに決まった。
さて、いつ以来かというぐらい懐かしいかくれんぼだが、いざやってみるとなかなか面白い。
いつもの見慣れた事務所をどこなら隠れられるかと普段と違う視点でまわっていると、まるで知らない場所にいる感覚がしてくる。
子供時代の感覚でいい隠れスポットと思って入ってみたら、今の大人の体には窮屈だったりするのも感慨深い。
今入った机の下もその一つだ。
頑張ってみたけど、成人男性が隠れるには狭すぎた。
いろいろと物を置いていてスペースが圧迫されてるのもあって、どうしても腕や足が出てしまう。
「いったん出るか……」
押し込んでいた体をもぞもぞと動かして、狭い空間から脱出しようとする。
が、動かない。服が何かに引っかかってしまったようだ。
上手く体をねじって見ることもできないので、仕方なく力任せに引っ張ることにした。
「ぐぐぐっ……あっ!?」
思っていたより引っ掛かりは簡単に外れ、すっぽ抜けた勢いで頭ががつんと机の下にぶつかった。
「がっ!?」
一瞬星が見えたかとおもうと、今度は目の前が真っ暗になって……。
「……くん!Pくん!」
……。
「起きてください。Pくんってば!」
誰だ?俺の名前を呼ぶのは?
「また授業中居眠りして。もう放課後ですよ」
放課後?いったい何の話だろう。いやそれよりもこの聞きなれた声は。
「菜々さん!?」
「きゃっ!?」
がばり、と体を起こすと目の前にウサミンこと安部菜々さんの驚き顔があった。
ああ、そうだ。俺は頭をぶつけて眠ってしまったんだった。
「き、急に起きないでくださいよ。びっくりしたぁ」
だから見つけた菜々さんが起こしてくれたのだろう、と思ったが。
その菜々さんの姿に違和感があった。
「……なんでセーラー服着てるんですか?」
菜々さんはその身をセーラー服に包んでいたのだ。
前に見せてもらったウサミン星の制服(自称)とは違い、まともというか一般的というか。
どこかの高校の制服だったような気がする。俺の知識が正しければこれは千
「学校なんだから制服なのは当たり前じゃないですか。まだ寝惚けてますね、まったく」
「学校?」
言われてあたりを見渡す。視界に入ってきたのは、黒板、並んだ机と椅子、窓の外に広がるグラウンド、『2-A』と書かれたプレート、菜々さんと同じセーラー服を着た女子達や、同年代と思われる制服を着た男子達。
そこは間違いなくアイドル事務所ではなく、学校の教室だった。
……どういうことだ。
俺は事務所で年甲斐もなくかくれんぼを楽しんでいたはずだ。
それなのにどうして見たこともない学校の教室で寝ている!?
見ると、どうやら俺も教室にいる男子達と同じ制服を着ているようだ。
俺もこのクラスの生徒なのだろうか。高校なんて何年も前に卒業しているんだが。
そういえばさっき菜々さんは「授業中居眠りして」と怒っていた。ということは菜々さんもクラスメイトなのか?
止めどなく疑問が頭に浮かんでくる。
……落ち着け、そうじゃない!今はそんなことはどうでもいい!今考えるべきは他のこと。
夢なら早く覚めなくてはいけない。
もし不思議現象なら早く元の世界に戻らないと。
俺には現実で待ってくれているアイドルのみんながいるのだから!
「それに、さっきから何ですか『菜々さん』って。いつもみたいに『菜々』って呼んでくださいよ」
「え?」
「幼馴染なんですから」
「おさ、な?」
「幼馴染」
「誰と誰が?」
「Pくんとナナに決まってるじゃないですか」
「決まってるんですか」
「決まってるんですよ」
「そうか。決まっちゃってるのか……そうか……」
この世界で暮らしていこう。幼馴染の菜々と二人で。
俺はそう思った。
いやまあ、さすがにそれは冗談だけど。
でも夢ならいつか醒めるし、不思議現象なら焦ったところで俺には手段はないわけだから、ゆっくり考えていこうという気持ちになれた。
そんなわけで今は幼馴染の菜々さんに連れられて帰りながら、俺はこの世界について考えている。
「やっぱり夢オチかなあ。菜々さんが幼馴染とか、俺の願望ドンピシャすぎるし」
「何をぶつぶつ言ってるんですか?今日のPくんはちょっと変ですよ」
菜々さんは呆れて、でも笑って対応してくれる。
……今更だけど、こっちが『菜々さん』と呼ぶのはおかしくて、菜々さんが敬語なのはおかしくないのかな。
菜々さんの口調好きだからいいけども。
そのまま菜々さんに着いて歩くこと数分、まったく見憶えのない住宅街に、俺の実家が当たり前のように並んでいた。
すっげえ違和感。
そして隣家の表札に書かれている文字は『安部』。ということは菜々さんの実家だろうか。
幼馴染で家が隣同士って。ベタにも程がある。
幼馴染最高!
ともかく家に着いてしまったわけで、残念ながら帰宅デートは終わってしまった。
だが、そのまま帰ろうとした俺を菜々さんが呼び止めた。
「あれ?Pくんお昼食べていかないんですか?」
お昼?昼食のことだろうか。
食べるもなにも、今学校から帰ってきたところじゃなかったか?
「いやいや、今日は土曜日だから半ドンですよ。Pくんの家は共働きだから、土曜はいつもウチでお昼食べてるじゃないですか」
なんですと!?菜々さんの家で昼ご飯!!
半ドンとかいう、普段の事務所ならツッコミ所満載なワードがどうでもよくなってくるぐらい素敵なお誘い。
もちろん断る理由はなかった。
「まさかご両親への報告より先に菜々さんの実家に来ることになるとは」
「なにか言いましたか?」
「いや、なんでも」
初めての菜々さんの実家に感激しながら、俺は通された客間の椅子に座る。
菜々さんのお母さん、いわゆるママミンに会えるかと期待していたが、今日はママミンも外出中だった。
だがおかげで菜々さんの手作りチャーハンをいただくことができた。
神様ありがとう。
俺は感謝とともに泣きながらそれを食べた。菜々さんは流石に少し引いていた。
「Pくん、そんなにお腹空いてたんですか?やっぱり食べ盛りなんですね」
食器を洗いながら菜々さんが笑う。
「菜々さ、菜々の料理が美味しいからだ」
俺も手伝って、並んで食器を拭いている。
ああ、今の俺達、すごく新婚さんみたいだ。
もしかしてここは天国だったりするのだろうか。
「またそうやって調子良いこと言って」
と菜々さんははにかんでいたが、最後の食器を洗い終えたタイミングで、ふと表情が変わった。
「あ、あの……」
それは現実でも何度か見た表情。
菜々さんが何かとても大切なことを言おうとしている顔だ。
だから俺は黙って菜々さんの次の言葉を待つ。
菜々さんは一度深呼吸してから、俺の目を見つめて、言った。
「Pくんはナナの夢が何だか、憶えてますか?」
憶えてはいない。俺は菜々さんの幼馴染としての記憶はないから。
でも、菜々さんがの夢が何かはよく知っている。
「アイドルだろ。歌って踊れる声優アイドル」
「はい!憶えていてくれたんですね!そ、それでですね……」
菜々は少し顔を赤らめ。
「実は今日、アイドル事務所のオーディションに行く予定なんです」
恥ずかしそうに言った。
可愛い。
「合格」
「な、なんですか急に?」
しまった。いつもオーディションをする側だったから、思わず合格を出してしまった。
くっ、今の俺がプロデューサーだったら今すぐ合格出すというのに。初めてこの世界に文句を言いたくなる。
でも、そうか。いつもオーディションを受けにきてくれる子達は、こうやって大きな挑戦を前にした気持ちで来てくれてるんだな。
今の菜々さんの告白も、きっととても勇気を振り絞って教えてくれたことなのだろう。
一緒に学校から帰る幼馴染にさえ、当日になってようやく伝えるぐらいなのだ。
普段のプロデューサーな俺では絶対に知ることができない、まるで大事にしまっていた宝物を見せるような想いだったろう。
なんと美しいことか。
ようし、元の世界に戻ったら前以上にたくさん合格出すぞ。すでに100をとうに超えた人数のアイドルがいるけど。
新たな決意を胸にした俺に、菜々さんは少し小さな声で言った。
「応援、してくれますか?」
「当然だ!」
言われるまでもないことだ。
菜々さんのアイドルへの想いの強さを誰よりも知っている俺が、応援しないわけがない。
「あ、ありがとうございます。その、実はまだ自信がなかったんです。ナナはアイドルになれるのかなって」
「なれるさ。菜々ならきっと最高のアイドルになれる」
俺は知っている。菜々さんが素晴らしいアイドルになることを。
菜々さんが魅力的なアイドルになるところを、他の誰よりも近くで見てきた。
だから、心配することはないと、俺は笑って菜々さんの背中を押す。
「応援してる、菜々」
「ありがとうございます。ナナ、頑張りますね」
菜々さんの表情は夢見る少女の輝きを纏っていた。
さて、昼ご飯に菜々さんの手料理を食べて安部家を出た俺は、せっかくだから外をぶらついていた。
この状況は、たぶん夢か何かの不思議現象だと結論付けてそれ以上考えるのはやめた。
考えてもわからないからだ。
だから今考えているのは、ここがどういう設定なのかということ。
まず菜々さんは本物の高校生だ。学年からして、まだ永遠じゃない普通の17歳。
そして俺は菜々さんの幼馴染。年齢も一緒。
町を歩いて地名などを調べたところ、どうやらここは菜々さんの実家がある、正式名称は伏せるけどつまりウサミン星だ。
ならやはりここは『もしも俺が菜々さんの幼馴染だったら』という普段の願望が叶った夢か。
「でも俺、こんな場所まったく来たことないんだよな」
不自然に差し込まれた俺の実家を除けば、一つとして俺の知る建物はない。
はたしてこれは俺の記憶が適当に作った光景なのか、それとも実在するウサミン星の街並みなのか。
もしかしたら、菜々さんに実際にあった過去の再現だったりするのかもしれない。
不思議ファンタジーならそういうのもあるだろう。
「あれ、となると今の俺の幼馴染ポジションに他の誰かがいたってことか?」
知らない誰かが小さい頃から菜々さんの隣に住んで、菜々さんの夢を聞かされたり、放課後一緒に帰ったり、土曜は一緒にご飯を食べたり……。
「許せん!許せんぞ!!」
叫んだら道行く人に奇異の目で見られた。
大丈夫、変人扱いは慣れてる。なんたってプロデューサーだから。
時々奇行を繰り返しながらも、散歩は夕方まで続いた。
知らない町とはいえ、お店の品ぞろえが軒並み懐かしくてテンション上がってしまったからだ。
特に本屋に並んだアイドル雑誌は、今では伝説と呼ばれるようなアイドルが現役で表紙を飾っていたりとかなり興味深い。
「時間があったら、この時代のアイドルライブにも行ってみたいな」
元の世界への帰還は後回しに、未知の世界に満喫してしまった。
そして帰り道、少し先に歩いている後ろ姿があった。
それは俺の幼馴染の、俺の幼馴染の、俺の幼馴染の、安部菜々の後ろ姿に間違いなかった。
幼馴染っていい響きだなあ。こう、元気が出てくるっていうか。
だから元気なままに、声をかける。
「おーい、菜々。今帰りか」
帰り道、偶然の出会い。素晴らしい。
幼馴染って最高だ!
などと俺は浮かれていたわけだが、そのせいで、俺は気付いていなかった。
それは今だけの話ではなく、もっと前のこと。
菜々さんがアイドルのオーディションを受けにいくと言っていた時に、俺は気付くべきだったのだ。
今この世界で俺だけは、17歳の安部菜々が受けるオーディションの結果を知っていたはずなのだから。
「あっ……Pくん……」
振り向いた菜々さんは、泣いていた。
目から流れ落ちる涙の線が、今日のオーディションの結果を、そして菜々さんの心情を表していた。
その日の夜。
久しぶりにお袋の料理を食べた。
実家の風呂に入り、現実では俺が実家を出てから物置になった俺の部屋で横になった。
どれも懐かしい体験で、二度とはなかったはずの高校時代の一日だった。
それでも頭に浮かぶのは別のこと。
ノスタルジックな感傷でもなく、元の世界へ帰る算段でもない。
今日見た安部菜々の涙が、いつまでも頭から離れなかった。
彼女はこれからあと何回、あの涙を流すのだろう。
1回、2回の話ではないはずだ。
1年、2年の話でもない。
もっとたくさん、もっと長い間、安部菜々は今日と同じ涙を流すことになる。
あの人のことだ。きっと毎回本気でオーディションを受けて、そのたびに本気で泣いていただろう。
想いが強いとは、そういうことだ。
それはまるで呪いのような……。
天井を見上げながら、俺は昼に菜々さんに言われたことを思い出す。
「応援してくれますか、か」
呟いたのは昼に聞いた一つの問い。
「……」
それに対する返答を口に出すことなく、俺は眠りについた。
「……くん!Pくん!」
……。
「起きてください。Pくんってば!」
誰だ?我が名を呼ぶのは?
「そういうボケはいいですから起きてください!」
ああ、菜々さんの声だ。
ということはまだ不思議現象は続いているのか。
寝て起きて終わり、とはいかなかったらしい。
あれ?でも俺は実家の自室で寝ていたはずだよな?
もしかしてこれはいわゆる、毎朝起こしに来てくれる幼馴染という奴なのか!
「まったく。高校最後の一日だっていうのにPくんったら」
……高校最後?
疑問とともにむくりと起き上がると、目の前にはやはりセーラー服の菜々さんが立っていた。だが、その胸元には花が飾られている。
そして周囲は見知らぬ、昨日見たのとは少し雰囲気の違う高校の教室。プレートには『3-B』とあり、黒板には『卒業おめでとう!』とでかでかと書かれている。
あれ?昨日は2年生だったはず。時間が飛んだ?
「また寝ぼけてるんですか。しっかりしてください」
菜々さんはぷりぷりと怒りながら、俺の手を取って引っ張る。
「……こうやって一緒に帰るのも、今日で最後なんですから」
さっきまで泣いていたらしく、菜々さんの目元は少し赤かった。
昨日と同様に、菜々さんに連れられながら帰り道を歩く。
どうやら高校2年生だった昨日から場面が変わって、今日は高校3年生の卒業式になったらしい。
つまり1年以上の月日が流れていたことになる。
この1年、菜々さんはどう過ごしていたんだろうか。
なりたかったアイドルにはなれたのだろうか。
「……」
何を考えているんだか。
答えは、俺がよく知っているというのに。
高校最後の一日、帰り道を菜々さんはどんな気持ちで歩いているんだろうか。
何故か、菜々さんは何も話しかけてこない。
お互いに無言で歩き続け、そして。
「あれ?」
前を歩く菜々さんが立ち止まったのは、家ではなく公園だった。
「えっと、菜々?」
戸惑う俺に何も言わず菜々さんはブランコに座り、ようやく口を開いた。
「結局、高校生のうちにアイドルにはなれませんでした」
「……っ!」
顔を伏せていて、どんな顔で言っているのかわからない。
溢れる感情を必死に押し殺しているような、不自然なほどに落ち着いた口調で、菜々の告白は続く。
「本当は、17歳のうちにアイドルになりたいって思ってました。ナナの憧れたのは、17歳の女の子でしたから。でもなれませんでした」
「そして高校のうちに目標が変わりました。それでもダメでした」
「次はどうなるんでしょうね。成人するまで?大学を卒業するまで?その先は?」
大丈夫だ、と言いたかった。
その前にアイドルになってしまえばそんな心配する必要はない、と諭したかった。
でも何も言えなかった。
「アイドルになるのはナナの小さな頃からの夢で、長年抱き続けてきた願いで、だから」
「きっとナナはいつまでも捨てることなく、この夢を持ち続けてしまうでしょう」
知っている。
そんな菜々さんを俺は素敵だと思ったし、担当プロデューサーとして誇らしいと思っている。
でもそれは本人にとっては誇らしいことだろうか。
長年夢を持ち続けるよりも、はやく夢を叶えたかったはずじゃないのか。
「昨日、夢を見たんです」
夢?
「成人しても、大学を卒業しても、その後もアイドルオーディションを受けて……落ち続ける夢」
胸が締め付けられる思いがした。
それは夢でも、夢じゃない。
実際に、菜々さんが経験してきた……。
「アイドルになりたくて頑張って頑張って、それでも届かなくて。でも夢の中でナナは言うんです」
「『今さら退けない』って。……それで少し怖くなったんです」
夢を追い続けることが怖くなったんです、と菜々さんは言った。
やはり俺は何も言えなかった。
何か言うことで、目の前の少女の心境に変化を与えてしまうことが怖かった。
だが、そんな臆病な俺の逃避は許されなかった。
「……ねえ」
菜々さんが小さな、聞き逃してしまいそうなくらい小さな声で言う。
「もう、いいかな……?」
俺にしか聞こえない囁き。
それは救いを求める声に思えた。
俺は知っている。
やがて安部菜々の夢が叶うことを。
いつかは安部菜々が念願のアイドルとなり幸せになれることを。
だがそのためには、今からさらに何年も挫折と涙に満ちた時間を過ごさなくてはならないことも。
「……っ」
何か言おうとして、詰まる。
伝えるべき言葉が、定まらない。
俺はなんと言うべきなのだろうか。
わかっている。
俺は菜々さんのプロデューサーで、今は菜々さんの幼馴染だ。
菜々さんが夢を願う気持ちは知っているし、それが願い続ければ叶うことも知っている。
だったら応援してあげるべきだ。
夢は必ず叶うと。諦めるなと。
辛い時こそ、心が弱っている時こそ、支えてあげる存在であるべきだ。
それがきっと俺が取るべき行動なのだろう。
正しい選択で、美しい選択なんだろう。
もしこれがゲームなら、こちらの選択肢が正解に違いない。
……でも。
それがなんだと言うんだ。
これはゲームじゃなくて、人生の選択だ。
正しい選択なんてないし、美しい選択が最高の結果になるとは限らない。
夢を叶えることは幸せだろう。
現に、アイドルになった菜々さんは毎日が楽しいと、幸せだと言ってくれていた。
でも、幼い頃の夢を叶えるだけが幸せじゃないはずだ。
もしかしたら、今ここでアイドルを諦めても、すぐにまた新しい夢を見つけて幸せになれるかもしれない。
新しく抱いた夢が叶った幸福が、長年抱いた夢が叶う幸福に劣る道理もない。
あんなに長い時間苦しまなくても、この人は幸せになれる可能性だって十分にある。
何より、すでに高校生の貴重な時間を夢を叶えるために使って夢破れた少女に言えるのか?
もっと頑張れと。今より何倍もの時間、苦しむことになるが耐えろと。
今目の前に広がる可能性を閉ざしながら、茨の道を進めと。
俺にはもうわからなかった。
プロデューサーとして、幼馴染として、安部菜々の幸福を願う者として。
伝えるべき言葉が、わからない。だから。
「まだだ」
「え……」
「まだ、諦めないでくれ……」
夢は叶う、なんて無責任なことは言えない。
夢を諦めるな、なんて勝手なことは言えない。
だから、俺の口から零れたのはもっと無責任で自分勝手な、願いの言葉。
「アイドルの安部菜々を見たいんだ……!」
「菜々さんが歌って踊って、綺麗な衣装を着て、ファンに囲まれて笑う姿を見たいんだ」
「幼い頃からの夢を叶えて、幸せだって微笑む菜々さんを見たいんだよ」
歌って踊れる声優アイドル、安部菜々の一人目のファンとしての願望だった。
「ライブでファンの掛け声と一緒になって歌う菜々さんを見たい」
「イベントで子供たちに夢を語る菜々さんを見たいんだ」
言葉を発するたびに、感極まって涙が溢れて、菜々さんの顔もよく見えていない。
きっと唖然としているだろう。
今度こそ、取り返しがつかないくらい引いてるかもしれない。
それでも、全部伝えたかった。
プロデューサーでも、幼馴染でもなく、それ以前に安部菜々のファンである俺の言葉を。
アイドルではない安部菜々に、アイドルになってほしいと願うファンがここにいるんだと、どれだけ願っているかをすべて伝えたかった。
今の俺に残された時間をすべて使って。
ぐにゃり、と涙で歪んだ視界が反転した。
直感的にこの夢が終わる時がきたのだと理解した。
待ってくれ。まだ、まだ足りない。
まだ。
世界はどんどん暗くなり。
「ありがとう、Pくん」
遠くから、声が聞こえた気がした。
「まだ、まだだ……」
「いやいや、もう見つかってますから。どんだけかくれんぼで意地はる気ですかプロデューサーさん」
「……へ?」
気が付けば俺は事務所の机の下にいて。
菜々さんが呆れ顔で俺のことを見つめていた。
……そういえばかくれんぼなんてしてましたね。
「ふーん、変な夢見たんですね」
他のアイドルが帰ったあと、菜々さんに夢の内容を説明してみたが、反応は思っていたより淡泊だった。
「え、それだけ?」
「それだけ、と言われても。夢の話なんですよね?」
「それは、そうだけど」
うーん、他人の夢の話なんてそんなものか。
俺だって愛海に「昨日見た夢にプロデューサーでてきたよ!意外とよかったよ!」と言われた時は「そ、そうか」ぐらいのリアクションしかとれなかったけども。
でもなあ、けっこう俺としてはかなり精神的に疲れつつ、かなり考えさせられる夢だったんだけどなあ。
「そうなんですか?」
菜々さんはそんな俺の苦労もあっさり流した。
「いやいや、もう少し気にしてくださいよ。別の世界の菜々さんがアイドルを諦めるところだったんですよ」
俺が構ってほしがると、菜々さんはひどく面倒くさそうな顔(菜々さんにしては珍しい表情だ)をして「そうでもないと思いますよ」とあっさり言った。
「もういいかな、っていうのもきっとプロデューサーさんがいたから出てきた言葉だと思いますし」
「それは……俺がそばにいたから自信を喪失したと?」
だとしたら、俺なんていない方があの菜々さんは悩まなくて済んだということか。
「そうじゃなくて。きっとそっちのナナは、プロデューサーさんなら否定してくれると思ったんですよ」
ずずず、とお茶を啜りながら菜々さんは俺を見つめた。
「ナナには幼馴染はいませんでしたけど、もしいたらきっと色々相談したと思います。そして、もしそこで幼馴染に夢を諦めるよう言われたところで従わなかったと思います」
「え、けっこう菜々さん頑固?」
「当たり前じゃないですか!だいたい幼馴染どころか両親から『いつまで続ける気だ』って言われながら何年も続けたんですよ。高校のうちにアイドルなれなかったぐらいで、諦めたりするもんですか」
え、つまり。
「俺の苦悩の末の選択は無意味だったのか……」
「そっちのナナのモチベーションは上がったかもしれませんね。ま、夢の話なんで無意味といえば無意味かもですけど」
んー、なんだか菜々さんがいつもより辛辣だ。
そんなに退屈な話だったろうか。
「べつに。ただ、ちょっと、そっちのナナが羨ましいだけです」
「羨ましい、ですか?」
「ナナには幼馴染のPくんはいなかったのに、そっちのナナはズルいなあって」
そう言うと菜々さんはぷいと顔を背けてしまった。
「そうですよね。菜々さんも応援してくれる幼馴染欲しかったですよね」
そうじゃなくて、と菜々さんのため息まじりの声が聞こえた。
どうやら選択を間違えたらしい。
おしまい!
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