【モバマス】喜多見柚「特別なアタシ」 (12)
「起立、礼!」
「「ありがとうございましたー」」
最後のチャイムが鳴り、教室がにわかに騒がしくなる。今日の学校はもうおしまい。手早く荷物をまとめて、足早に教室を後にする。
教室を出ると、隣のクラスの友達に出くわした。
「あ、柚ちゃん。今日もアイドルのレッスン?」
「ううん、今日は何か話があるんだって」
「へえ。お仕事の話だといいね」
「うんっ。なるべく早くって言われてるから、もう行くね」
「ばいばい。また明日」
軽く挨拶を交わし、そのまま早足で歩きだす。本当は走りたいけど、先生に怒られちゃうから仕方ない。ぱたぱたと階段を駆け下り、そのまま昇降口に向かう。
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スリッパをスニーカーに履き替えながら、腕時計で時間を確認する。うん、これだったら次の電車に間に合う。
急いで靴紐を結んで、そのまま校舎の外へと飛び出した。
腕時計は、アイドルを始めてからつけるようになった。
ベージュの制服に合う、赤色のベルトのついた時計。そんなに高いものじゃないけど、アタシは結構気に入ってる。
芸能界にいるなら、たとえ学生であろうと社会人と同じ。社会人なら、時間の約束は絶対守らないといけない。ちょっと時間にルーズだった駆け出しの時に、Pサンから口を酸っぱくして言われた言葉だ。
スマホでも時間は見れるけどいちいちカバンから出さないといけないし、スマホが見れない時もある。腕に時計があった方が、何かと便利だし確実だ。
実際、腕時計をつけるようになってから、時間はちゃんと守れるようになった。もちろんマメに時間を確認するようになったのもあると思うけど、多分それだけじゃない。
腕に時計をつけるっていう事が、きっとアタシの意識を変えるきっかけになったんだと思う。
体育館横の通路を抜ける時に、ちょっと中の様子に目を向ける。
バドミントン部は、今日もちゃんと練習するみたいだ。後輩たちがネットを立てる準備をしてる。みんな頑張ってるな。
でもゴメン、副部長は今日もお休みなんだ。許してね。
心の中で後輩たちに謝りながら、そそくさとその場を後にする。
校門を飛び出して、そのまま駅の方面へ。同じ制服を着た人たちの間をすり抜けて、次の電車に間に合わせるべく、慌ただしく地面を蹴る。
本当は、バドミントンの練習だってしたい。
別に副部長だからってわけじゃなくて、単純に楽しいから。単純に部活は楽しいし、シャトルを叩いてるだけでイイ気分になれる。
アイドルのお仕事やレッスンがなければ、今日だって練習に行ってたと思う。
でも、こうして悩めるのは良いことだと思う。アイドルになる前のアタシは、部活に行きたいけど行けないなんて悩みは無かったから。
こうして悩めるのは、アイドルとしてやる事があるから。
そう考えれば、バドミントンできないのも仕方ないって思える。後輩の皆には、やっぱりちょっと申し訳ないけどね。
街中を駆け抜けて、駅にたどり着く。どうやら電車には間に合いそうだ。
カバンから定期券を取り出し、改札を通る。家とは逆方向のホームに着くと、ちょうど電車の来るアナウンス。
ほどなくして、目的の電車がやってきた。
上がった息を整えながら、電車に乗る。この時間とはいえ、流石に座れるほどは空いていない。仕方なくドアの横の手すりにつかまり、カバンを床に置く。
ゆっくりとドアが閉まり、景色が横に流れ出す。景色と一緒に、体も横に流れる。慌てて腕に力を入れ、姿勢を元に戻した。
走り去る景色をぼんやり眺めながら、ふと考える。
アイドルを始めてから変わったこと、いっぱいあるなあ。
腕時計や、部活のことだけじゃない。この電車だってそう。家と逆方向の電車に乗ることなんて、皆と遊びに行くぐらいだったのに。
今はアイドル活動のためにこの電車によく乗るようになったから、こっち向きの電車のダイヤも覚えてしまってる。それだけ慣れっこになったって、結構すごい事だと思うんだ。
きっと、他にも探せばいっぱいあると思う。アイドルをするようになってから、変わったこと。
あの日から。
寒い街中を、あてもなくぶらついていたあの日から。
何か面白いことないかなって、ぼんやりと考えてただけの、あの日から。
……Pサンにスカウトされたあの日から、アタシの周りのいろんな事が変わった。
Pサンが、変えてくれたんだ。
電車が停まり、ドアが開く。電車に乗る人が、さっきより少し増える。
……アタシはスカウトされて、いろいろ変わったことがあったけど……Pサンは、どうなんだろう。アタシをスカウトして、何か変わったんだろうか。
あの日、アタシはただの女の子からアイドルになったけど、Pサンにとっては、担当するアイドルが一人増えただけかもしれない。
アタシにとってPサンとの出会いはとても特別なものだったけど、Pサンからすればアタシは、これまでやこれから先たくさん担当するアイドルの、そのうちの一人でしかないのかもしれない。
もしそうだったら……それは、ちょっとイヤかな。
再び電車が停まる。少しずつ、降りる駅が近づいてくる。
手元を見る。腕時計が刻む時の速さが、いつもより少し遅く感じられた。
Pサンに、アタシをスカウトしてよかったって思っていてほしい。
アタシと出会えてよかったって、思っていて欲しい。
……Pさんにとってのアタシが、特別な人であってほしい。
アタシにとってのPサンが、そうであるように。
ちょっと傲慢かな。でも、これは紛れもない、アタシの心からの気持ち。
電車が停まる。ふと外を見て、そこで初めて事務所の最寄り駅であることに気が付いた。
慌ててカバンを拾い上げ、ホームへと降りる。乗った時より、少し日が傾いていた。
改札を出たところで、もう一度腕の時計で時間を確認する。
アイドルを頑張ったら、特別になれるかな。
アイドルとして結果を出せば、アタシをスカウトしてよかったって、思ってもらえるかな。
アイドルとして輝けたら、他の誰でもない、Pサンにとっての特別なアタシになれるかな。
降ろした腕を、今度は強く振り出す。
夕暮れの雑踏の中を、事務所に向かって駆け出した。
「こんにちはっ!」
「おう、柚」
「ねえPサン、お話しってなに?」
「ああ。実は、今度大きなライブの話が来てて――」
おわり
短いですが以上です。お読みいただきありがとうございました。
遅くなったけど柚、SSR登場おめでとう!
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