アイドルマスターシンデレラガールズより、千川ちひろさんのお話です
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緑のドアをくぐったことがありますか?
私は一度だけくぐったことがあります。
そのドアはなんの変哲もない普通のドアでした。見た目だけは。
はい、見た目だけ、と言ったのには理由があります。
一見なんの変哲もない緑のドアですけど、そのドアをくぐると、それはそれは幸せな世界が広がっていたんです。
私は今でもその緑のドアを探しています。
◆
忙しい日々を送っていたある日の事です。仕事がひと段落して、退社するまでの休憩がてら事務所でプロデューサーさんと一緒にコーヒーを飲んでいた時の事でした。
「いやぁ……さすがに今月は忙しかったですね」
「ふふっ。そうですね。それもこれもアイドルのみんなとプロデューサーさんのおかげですよ」
私がそう言うとプロデューサーさんは少し照れくさそうに、でも誇らしげな顔をしてコーヒーに口をつけていました。
「ありがとうございます。でも、アイドルや俺が頑張れるのはちひろさんのおかげなんですよ」
「そうですか? それは嬉しいですね」
裏方とは言え自分でもかなりの仕事をこなしているとは思ういます。裏方に居るため、自分の頑張りを褒めてもらう機会と言うのはなかなかありませんし、やっぱり褒められると嬉しいものですね。頬がほころんでしまっているのが自分でもわかります。
もちろん、アイドルのみんなの方が私よりも頑張っているのは分かっているのですが、たまには素直に褒め言葉を受け取ってもいいですよね?
そんな風にしばらくお互いを褒め合う時間を過ごしていました。
コーヒーもすっかり飲み干して、そろそろ帰りましょうかと声をかけようとしていた時です。
「あの、ちひろさん……」
プロデューサーさんに名前を呼ばれたんです。
「はい? どうしましたか、プロデューサーさん」
空になったマグカップを両手で持っているので、おかわりが欲しいのかと思ったんですが、次にプロデューサーさんが口にした言葉はまったく別の物でした。
「えっと……あの……。えっと……す、好きです。俺と……付き合ってください」
「は、はい……?」
イマイチ理解が追い付かない言葉でした。思わず手にしていたマグカップを落としてしまいそうになっちゃうくらいには。
「え……えっと……?」
即座に言葉の意味が理解出来なかった私は、聞き間違いの可能性すら考慮しました。
「ちひろさん。あなたが好きです。俺と付き合ってください」
ですが、同じ言葉を繰り返されて、プロデューサーさんの口から出た言葉がどうやら間違いではないと気付きました。
「……ま、またまた。冗談はやめてくださいね」
動揺しているのを悟られないようにしながら、平静を保って言葉を返します。声が少し上ずっていたりしたのは気のせいだと思いたいです。
「冗談じゃないです。俺は本気でちひろさんが好きなんです」
プロデューサーさんは言いながら、自分のデスクに空のマグカップを置くと、一歩、また一歩と私に近づいてきました。
「プ、プロデューサーさん……?」
近づいてくるプロデューサーさんから逃げるようにじりじりと後ろに下がっていたのですが、ついに壁際まで追い詰められてしまいました。
前方にはいつになく真剣な表情のプロデューサーさん。後方には無機質で味気ない白い壁。
「返事を……もらっていいですか?」
「す、すみません!」
私は大声で叫ぶと、一目散に事務所から飛び出して更衣室に逃げ込んだのでした。
今思うと情けなくて涙が出てきますね。
◆
着替えを済ませ、プロデューサーさんと鉢合わないように慎重に慎重に更衣室から脱出した私は速足で駅まで向かいました。
その間、考えているのは先ほどのプロデューサーさんからの告白。
逃げてきてしまったのはあまりにもびっくりしたからで、本当はすごく嬉しかったんです。
本当ですよ? だって、電車の窓に映る、良く見知った私の顔のはずなのにあまりにもふにゃっとしたとろけ切った顔をしていて誰だか分からなかったくらいですから。
アパートに帰って来た私は、メイクも落とさず着替えもせずにベッドに倒れ込みました。
「ふふっ……♪」
時々笑い声を漏らしたり、プロデューサーさんの真剣な顔を思い出して足をバタバタさせたりと。
この時だけは一人暮らしをしていて本当によかったって思ったくらいです。
……ただ、お風呂に入って冷静になってみると、私はプロデューサーさんにお返事をしても良いのかが分からなくなりました。
だって、プロデューサーさんに好意を抱いているアイドルはたくさん居ます。もしかしたらアイドル全員と言っても良いかもしれません。
……もちろん、私もその……好き……なんですけど。
「もし……私がプロデューサーさんと付き合ったら……」
あまり考えたくはないですが、ショックでアイドルを辞めちゃいそうな娘も何人か。
やっとみんなアイドルとして輝けるようになったのに、彼女達の今を壊してしまっていいのでしょうか。
こんな輝く舞台の裏側でほこりまみれでせかせか働いている自分よりも、アイドルのみんなには一緒に光り輝く舞台を作ってくれるプロデューサーさんの方がずっと大事なはずです。
「……そう、よね。うん……ちょっと舞い上がっちゃっただけ、だから……うん……」
翌日の朝は目の腫れをどうにかするのに手間取りすぎたおかげで、危うく遅刻しそうになっちゃいました。
◆
「おはようございまーす……」
私が目の腫れをなんとかして、そっと事務所に入った時です。居ないといいなぁ、なんて思っていたのがいけなかったのでしょう。
今、一番会いたくなかった人と会ってしまいました。
「あ……お、おはようございます……」
いつものようにしゃきっとした様子はどこにいったのやら、風が吹いたら倒れてしまいそうな程に弱々しくなったプロデューサーさんがそこには居ました。
「お、おはようございます!? は、はやいんですね!」
「え……? いや、いつも通りですが……」
それもそうです。むしろ、今日は私が遅い位なんですから。
「えっ!? あ、あははー……そ、そうですよね!」
なんとか平静をよそいつつ自分のデスクに腰を降ろします。まったく平静なんてよそおえてないですね。仕方がないです。気が動転してましたから……。
その後はしばらく会話と言う会話もなく、キーボードを叩く無機質な音だけが響いていました。
あの時は本当に時間の進みが遅くて、たかだか10分くらいが1時間にも感じられました。
「あ、そろそろ時間なんで行ってきますね」
「は、はい! 行ってらっしゃい!」
そう言って送り出したプロデューサーさんの背中は、昨日に比べると随分と疲れ切っているようにも見えました。
◆
「はぁ……つ、疲れた……」
その日はほんとうに散々でした。いつもならしないようなミスばっかりして、アイドルの娘達からも「ちひろさん……大丈夫?」って何度聞かれた事やら。
「不幸中の幸い……ではないけど、プロデューサーさんがずっと外回りでよかった……」
そうなんです。今日はたまたまプロデューサーさんがずっと外回りだったので、私とは朝に顔を合わせたきりだったんです。
「……気まずいなぁ。転職……いえ、転属考えようかな……」
すっかり定時も過ぎて絶賛残業中だと言うのにまったく進んでいない事務処理を前にして、身の振り方を考えている時でした。
「でも……まだ、緑のドアは見つかってないし……」
「……お疲れ様です」
急にかけられた声にビクッとして後ろを振り返ると、そこには朝見たきりのプロデューサーさんが気まずそうに立っていたのでした。
「お、お疲れ様です……。遅くまで大変でしたね」
朝よりは平静さを取り戻せているようで、なんとか見苦しくはない受け答えが出来たと思います。
「えっと……その……」
「は、はい?」
「昨日の、あれ……忘れてください」
「はい……?」
どこか落ち込んだようにう見えるプロデューサーさんは、デスクに腰掛けるとパソコンの電源を入れながら続けます。
「昨日はすみませんでした」
「い、いえ……私の方こそ……」
朝と同じようにキーボードの無機質な音がします。朝と違うのはプロデューサーさんとの会話が、途切れ途切れながらもあることでしょうか。
「だから……転属はやめてください」
その言葉に思わず手が止まります。どうやら私の独り言はばっちり聞かれていたみたいです。
「ちひろさんが居ないと、アイドルが困りますし、何より……その俺が困ります」
パソコンのモニター越しにちらちらと見えるプロデューサーさんの顔は相変わらずどこか沈んだようでしたけど、何やらすっきりしたようにも見えました。
「なので、昨日の事は無かったことにして、お互いいつも通りに戻りましょう」
「あ……はい……」
無かったことに、という言葉をプロデューサーさんの口から聞いて、ものすごく身勝手ですけど悲しい気持ちになりました。本当に身勝手な女ですよね。
「ところで、さっきの緑のドアってなんですか?」
私が自己嫌悪に陥っていると、プロデューサーさんは「緑のドア」について尋ねてきました。
「えー……と……」
なんて説明していいのかまったくわかりません。だって、本当にあった事なのかもわからないんです。ただ、私は確かにその緑のドアを見つけて、その先に行ったんです。
「私の……探している幸せ……ですかね」
「幸せ?」
どう説明したものか悩んだ末、出てきた言葉は「幸せ」でした。
「子供の頃の話なんですけど、私は緑のドアをくぐった事があるんです」
プロデューサーさんはぽかんとした顔をしていますが、構わず続けます。だって、一から十まで説明しても多分理解してもらないでしょうし。
「今となってはそれが現実だったのか、夢だったのかはわかりません」
あの「緑のドア」をくぐった時のことを思い出す。もうずっと昔の子供の頃の記憶です。
◆
子供の頃の話です。外で遊んでいた私は、家への帰り道で「緑のドア」を見つけたんです。
早く帰らないと怒られてしまうので、近道するために空き地を通り抜けたんです。そこに「緑のドア」はあったんです。
他には何もなく、その「緑のドア」だけがぽつんと。
早く帰らなきゃいけなかったんですが、私は無性にそのドアが気になってしまったんです。
好奇心に負けた私はその「緑のドア」を開けてみたんです。
ドアノブに手をかけ、力を入れたらあっさりと開きました。鍵なんてかかっていなかったんです。
……そして、そのドアの先で見た光景なんですが、今ははっきりと思い出せません
ただ、その先に広がっていた光景に私は今まで感じた事の無いほどの幸福感を感じました。
それはもう幸せな世界だったんです。
その幸せをもっと感じたかった私は、緑のドアの先に一歩足を踏み入れてしまいました。
実際にどんな光景だったかは、さっきも言った通り思い出せません。
ですが、そこで感じた幸せは今でもはっきり覚えているんです。
心があったかくなって、充実感に溢れ、本当に幸せでした。
◆
「その後、私の帰りが遅いのを心配した両親に、空き地で倒れているところを発見されて、こっぴどく叱られたんです」
一気に話し終えてからプロデューサーさんの方を向くと、案の定顔中に疑問符が浮いていました。
「私は今でもあの時の幸せが忘れられなくて、『緑のドア』を探しているんですよ」
こんな荒唐無稽な話、どう考えても子供が見た白昼夢に過ぎないと思います。
でも、私は確かに「緑のドア」の先に行ったんです。
「えっと……だから、事務服が緑なんですか?」
「はい?」
言われて自分の服に目を落とす。確かに言われてみれば緑色ですね。
「ふふっ……違いますよ。これは偶然です」
言われてみるまで意識したことは無かったですが、確かにこの事務服も緑色でした。どうやら私は緑色につくづく縁があるみたいです。
「うーん」
私の話を聞いて何やらプロデューサーさんは考え込んでしまいました。
まだお仕事も終わらないみたいですし、コーヒーでも淹れてあげましょう。
給湯室でお湯を沸かしながら、子供の頃に見た「緑のドア」の事を考えます。
やはりあれはただの夢で、私は見たと思い込んでいる。そう考えるのが自然なんですけど、私の心は、あの時に感じた幸せを求めているんです。
……最近のケトルは凄いですね。あっという間にお湯が沸いていしまうので考え事をする余裕すらありません。
マグカップにコーヒーを淹れて、デスクに戻ると先ほどと同じ姿勢のままでプロデューサーさんは考え込んでいました。
「はい、コーヒーです」
「あ、ありがとうございます」
コーヒーを手渡して、プロデューサーさんが受け取った時です。私の中に既視感が生まれました。
「……あれ?」
「どうしました?」
「い、いえ……ちょっと……」
どこか懐かしい、それでいて得も言われぬこの感じ。まるで……。
「まるで……あの時みたいな……」
「はい?」
プロデューサーさんの顔を改めて見ます。
「……」
「ど、どうしました?」
マグカップ片手にじっと目をすがめながらプロデューサーさんの顔を見ていたのですが、この既視感の謎がようやく解けました。
「私とプロデューサーさんって昔に会ってますよね?」
今更ながら気づいたんですが、この事務所で会う以前にプロデューサーさんと私は会った事があります。それも、多分この容姿に見覚えがあるのでここ数年くらいに。
「え……? んん……?」
しかし、当のプロデューサーさんにはそんな記憶は無いようです。
でも、私は確信を持って言えます。だって、その証拠にその鞄の中には指輪が……あれ?
「あれ……?」
「どうしました?」
「い、いえ……。あ、あの、もし違ったら申し訳ないんですけど……」
そんな事ありえないのですけども、一応確認しておきましょう。
「もしかして、鞄の中にですね、指輪とか……入ってたりなんて……?」
私の言葉を聞いたプロデューサーさんはまるで鳩が豆鉄砲食らったような顔で固まってしまいました。
「あ、あはは……じょ、冗談です! 気にしないでください!」
「えーっと……」
しかし、プロデューサーさんが鞄をごそごそと探ると、中から小さな箱が出てきました。ものすごく見覚えのある、まるで指輪が入ってそうな紺色の箱です。
「無かったことにしてくれって言ったのにあれなんですけど……、実は告白を受け入れてもらえたら渡すつもりでした」
箱の蓋を開けると、そこにはどこかで見た事のある指輪が入っていました。
「っ……」
その指輪を見た瞬間、私はあの「緑のドア」の先で見た光景を思い出しました。
私は、「緑のドア」の先でプロデューサーさんと一緒になる光景を見ていたのです。
「ち、ちひろさん!?」
泣き出してしまった私に近寄りながらおろおろとティッシュを差し出すプロデューサーさん。
「ご、ごめんなさい……でも、でも……」
止まらない涙をティッシュに染み込ませながら、なんとか言葉に出そうと努力します。
「わ、私が……探していた『緑のドア』が……でも……ううっ……」
私があの時から探していた「緑のドア」やっと見つけた嬉しさと、もうくぐるこの出来ない悲しみで心の中がぐちゃぐちゃになってしまう。
「落ち着いてください。大丈夫ですから」
そう言うプロデューサーさんの声は優しく、握ってくれた手はとても暖かくて……。手が届く位置にある幸せを捨てなくちゃいけなくて……。
私が泣き止むまで、プロデューサーさんは優しく声をかけながら、ずっと手を握っていてくれました。
◆
私が泣き明かしたあの夜、私はプロデューサーさんの告白を受け入れました。
アイドルのみんなには悪いと思ったのですが、ずっと探していた幸せを見つけてしまった私はその幸せから目を背ける事は出来なかったのです。
でも……そんな私の考えは杞憂に終わりました。
後から聞いたのですが、どうやらプロデューサーさんが私に気があると言うのは事務所のみんな知っていたそうです。私以外は。
「もう……あんなに悩んだのが馬鹿みたいじゃないですか!」
「あはは。良いじゃないですか。今こうして一緒に居られるんですから。
「まぁ、そうですけど……」
せっかく綺麗にお化粧してもらったのに、口をとがらせていては勿体ない。ですけど、文句の一つでも言いたくなるもんです。
「じゃあ、行きましょうか」
真っ白なタキシードに身を包んだプロデューサーさんが手を伸ばします。
「はい」
プロデューサーさんと同じ真っ白なドレスを着た私はその手をとり、椅子から立ち上がります。
これから、事務所のみんなが手作りしてくれた結婚式です。
事務所のドアは緑で塗られ、私と彼はこれからその「緑のドア」をくぐります。
幸せな光景を目に焼き付けに。
End
以上です。
タイトルはH.G.ウェルズの短編小説集「タイムマシン」の中の「塀についたドア」より拝借しました。
私はこの「Where is my green door ?」を知ったのは「スパイラル・アライヴ」と言う漫画でした。
元々スパイラルが大好きだったのもあって、ずっと頭のどこかに残っていたので、なんか形に出来ないかなーとログインボーナス画面のちひろさんを眺めていたら緑の事務服が目に入ったんです。
えぇ、ちひろさんになったのはその程度の理由です。
何はともあれ、ちひろさんには幸せになってもらいたいですね。前に書いた時はちひろさんを幸せにしてあげられなかったので、これでなんとか許してもらえると思います。
では、お読み頂ければ幸いです。依頼出してきます。
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