男「俺が坦々麺を食うだけの話」 (22)
俺は坦々麺が好きだ。
といっても坦々麺にはちょっとうるさいとか、
有名な店は欠かさずチェックしているとか、そういうことはない。
「通」だとか「玄人」だとかでは全くなく、あくまでただの「好き」である。
好きなわりに、日常生活の上で坦々麺を食べる機会はなかなか巡ってこない。
自宅の近くには中華料理屋はないし、勤務先の近くには中華料理屋自体はあるのだが、
坦々麺はやっていないのだ。
また俺自身、一つの料理のためにどこかに出かけることをするタイプでもない。
なので、出かけた先で食事時になり、たまたま坦々麺をやっている店を見つけた時などは、
ほぼ必ず食べることにしている。
そういった意味では、やはり俺にとっては特別な料理の一つといえるかもしれない。
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この日、俺は免許証の更新を終えていた。
あとは家に帰るだけなのだが、この日訪れた地域はそれこそ免許の更新なんて用事でもない限り、
まず訪れることはないであろう場所だった。
すぐに帰るのもなんだかもったいないと思い、俺は駅の近くをぶらぶらと歩いていた。
歩いていると、お腹が空いてきた。そういえばまだ昼を食べていない。
そんな時、一軒の中華料理屋が目に入った。
店の前にある看板には、幸いにも「坦々麺」の文字。
俺はこの店に入ることにした。
ランチタイムから時間は外れていたので、店内には客が二人いるだけだった。
「いらっしゃいませー」
カタコトの日本語でしゃべる店員さんに案内され、席につく。
お冷やがテーブルに置かれる。
「お決まりになりましたら、お呼び下さい」
「はい」
とはいえ、頼むものはもう決まってるのだが。
俺はメニューをペラペラとめくり、悩むふりをしてから、店員さんを呼ぼうとした。
ここでふと、「ライス」が目に入る。
危険な誘惑。
坦々麺は800円であり、ライスは200円。坦々麺はセットメニューなどはないようで、
坦々麺ライスにしてしまうと1000円になってしまう。
たかが免許の更新程度のお出かけで、1000円ランチを食うというのは抵抗がある。
しかも、いわゆるラーメンライスなるものが、あまり体によろしくないということは
俺も重々承知している。
二つの意味で、ここでライスを頼むのはまずい。
財布のためにも、健康のためにも、ここは坦々麺だけで済ますべきだ。
その時、心の中からこんな声が聞こえていた。
「カイジ君……下手っぴさ……。欲望の解放の仕方が下手……。
本当は坦々麺ライスにしたいのに、坦々麺単品で頼むなんて……。
800円と1000円なんてたった200円の差……。
飲み物を二本も我慢すればお釣りがくるじゃないか……。
それに健康のためにというけど、もしここで下手に我慢してしまったら、
そのストレスでかえって健康を損なってしまうんじゃないのかい……?
なあにご飯一杯分のカロリーなんて、あとで腕立て伏せでもすればチャラ……。
贅沢は……小出しじゃ駄目っ……!」
俺はカイジでもなんでもない(ついでにいうと名字も伊藤じゃない)のだが、
なぜか漫画『カイジ』に登場する「班長」の声が完璧に脳内再生された。
俺は自分自身が生み出した「班長」に逆らうことができなかった。
店員さんを呼ぶ。
「坦々麺と……ライスを」
「ライスは無料で大盛りにできますが、どうしますかー?」
無料なら、もらっといた方がいい。
庶民の悲しきサガ。
「大盛りで」
注文を済ませると、俺は読みかけだった小説を読む。
エリート銀行員が殺されるという筋書きのためか、やたらと金融業界のウンチクが続く。
本筋にもあまり関係なさそうだし、つい飛ばし読みになってしまう。
「このウンチク、何ページ続くんだよ」
少々辟易してきた頃に、お待ちかねの坦々麺とライスがやってきた。
俺は本をカバンにしまった。
大きい器の中に、見るからに辛そうな赤くエネルギッシュなスープ。
ラーメンよりはやや太めの麺。
麺の上には、豚肉のそぼろ、ザーサイ、小松菜、ネギが乗せられている。
湯気とともに食欲をそそる香りがたちこめる。
うまそう、という感想しか出てこない。
「ごゆっくりどうぞー」
俺は会釈すると、箸を手に取った。
とりあえず、まずはスープを味わってみる。
辛い。が、うまい。
癖になる辛さというやつだ。
もう一口。
おお、うまい。
坦々麺の赤い汁が全身に染み渡り、俺の体まで赤く染まっていくかのようだ。
ほっと一息ついたところで、いよいよ麺に挑むことにした。
麺を勢いよくすする。
辛みを帯びたコシのある麺をある程度口に入れると、咀嚼する。
噛むたびに熱とうま味が広がる。
うまい。うますぎる。
俺は目をつぶり、今の感激を噛みしめた。
大げさでなく、生きててよかった。
さあ、次はそぼろやネギを絡めて、もう一度麺をいただく。
ずるるっ。
かぁ~、うまい。
豚肉のそぼろのボソボソ感とネギのシャキシャキ感が、麺のうまさを一層引き立てる。
これらを飲み込んだ後、余韻が残るうちにライスをかき込む。
辛みが残る口の中に、米の甘みが広がる。
坦々麺ライスにしてよかった、と俺は心から思った。
全身から汗が噴き出す。
鼻の下に汗の玉が出来ているのが分かる。
だが不快さはない。むしろ心地よい。
ザーサイをかじる。
汁がたっぷり染み込んだザーサイは、そのシャキッとした歯ごたえとともに、
まさに一種の清涼剤のような風格を漂わせていた。
小松菜もいい味だ。
そして、コップに入った水をゴキュッと飲む。
ぷはーっ。
ただの水なのに、ただの水のくせに、めちゃくちゃうまい。感動をありがとう、ただの水。
お冷やをおかわりして、上着を脱いで、さあ後半戦突入だ。
箸とレンゲが止まらない。
麺をすすり、スープを飲み、ご飯をかき込み、時々野菜をかじる。
ご飯と麺、どちらをフィニッシュにするか、少し迷ったが、ご飯を平らげてから麺を全部食べた。
さて、残るはスープ。
健康を考えるなら、スープは残すべきだが――
ここで再び班長のささやき。
俺はスープを飲み干した。
ごちそうさまでした。
財布から野口英世を一枚出し、店員さんの挨拶を背に、俺は店の外に出た。
まだ体に残る汗が風で冷やされ、俺は肌寒さを感じた。
だが、気持ちいい。
なんという充実感だろうか。
なんという達成感だろうか。
大げさでなく、生きててよかった。
「さ、帰るか」
次、坦々麺を食う機会はいつ訪れるのかな、などと考えつつ俺は家路についた。
― 完 ―
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