【ペルソナ5 新島真SS】目映い影 (125)

※注意点

・シナリオ終了後の話なので多大にネタバレ含みます
・主人公は各種イベントで真を選択してきたと思ってください
・設定的によくわかんないとこは想像で書いてるので許してください

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1479910379



 それを見て最初に訪れたのは喜びではなく、夢への最初の一歩をつまずくことなく踏み出せたことへの安堵だった。

 それでも、一人小さく拳を握っていた。誰に言われたからでもない、私が決めて私自身のためにした努力が実を結んだことは、これまでとは違う種類の達成感と充足感があった。

 既に何度も確かめた番号を再度念入りに受験票と見比べ満足すると、ノートPCの前で息を吐いた。全身の力が抜けた気がする。意識しないようにしていたが、やはりさすがに緊張していたらしい。

 時代は、幼い私が想像していたような合格発表の風景をも変えてしまっていた。

 学内に大きく張り出された数字を大勢の受験者と一緒に眺め、至るところで悲喜こもごもの姿が見られる一大イベント。

 おおはしゃぎで胴上げを始める者、泣き崩れて抱き合う者、絶望にうちひしがれる者。そんな光景はどこにもない。Webで合格発表が行われる今、目の前にあるのは無機質な液晶画面だけだ。

 私も昔はその時を、今は知らない誰かと喜びを分かち合ったりするのかなとぼんやり思っていたこともあったけど、まさか自宅で一人確認することになっていようとは。

 だが考えてみると、これを誰かと一緒に見て、万が一……いや、それは言い過ぎか。百が一ぐらい? 落ちていたら、悲しいもあるけど気まずすぎる。腫れ物のように不自然に優しくされるのは間違いない。だから、やっぱり一人で見るのが正解なのかも。

 まあ、もはやそれはどっちでもいい。もう自分の受験は終わってしまったから。今は、一人で見たその結果を誰に伝えるかだ。
 
 机の上のスマホを取り、SNSの画面を立ち上げ、そこで手が止まった。私がまず連絡するのは誰なんだろう。

 伝えるべきであろう人はたくさんいる。最難関とされる大学の法学部に合格できたのは、私だけの力じゃない。

 もちろん私の努力ありきのことではあるけど、言いなりだった過去の優等生の私を作り上げた人たちの存在もこの結果に繋がっている。だから恩師と呼ぶべき人は多い。その人たちにも順を追って報告をしようと思う。

 けど、「伝えるべき」でなく「伝えたい」人となると、多くはない。一緒に喜んで欲しい人とも言える、大切な人。

 一人は、お姉ちゃん。そしてもう一人。

 少しだけ悩んで、簡素な文章を送信した。

『無事に受かったよ』

 返信は早かった。一分も経たない内に手に振動が伝わった。

『おめでとう。真なら大丈夫って心配はしてなかったけど、それでも嬉しいわ。今日は私も早く帰るから美味しいものでも食べましょう』

 自然と顔が綻んだ。以前の私なら、お姉ちゃんを失望させなかったことにホッと胸を撫で下ろしていただけかもしれない。

 あの一連の事件。公的な記録としてはどこまでが正確に残されるのか定かではない、怪盗団絡みの事件。お姉ちゃんもあれよって変わった、変えられた一人だ。

 だから、綻んだ。お姉ちゃんを失望させなかったからではなく、喜ばせることができたから。

『うん、待ってるね』

 返信をして頬杖をつくと、ゆっくり目を閉じた。

 彼への報告は二番目になった。始めに送りかけて、止めた。

 唯一の家族であるお姉ちゃんを除くと、今の私が最も大切にしたい人。尊敬できて頼りになる、私よりも年下の人。初めて心から好きになれた、最愛の人。

 その彼と離れ離れになる日はもう、すぐそこまで来ている。

 別に、金輪際会えないなんてことはない。同じ日本だ。それも飛行機で数時間なんて遠く離れた地でもない。休日に会いに行こうと思えばいくらでも行ける距離だ。

 けれど、たったそれだけのことがどうしようもなく切なく、締め付けられるように寂しい。

 それが彼への報告を躊躇わせた。私が一足先に大学へ進むと彼に伝えることで、その分だけ別れが早まるような気がして。

 弱く長い溜め息を吐いていた。今日同じ学部に合格を決めた人の中でこんな気持ちになっているのは、おそらく私だけに違いない。

 今の私にとって、彼の存在はあまりにも大きかった。怪盗団と、彼と出会い、これまでの私が塗り替えられた。敷かれたレールの上を目的なしに走り続けるだけの私ではなくなった。行動に、人生に、未来に、意味と目的を見出だせた。

 彼は私を強くした。そして同時に、弱くもした。この二つは矛盾しないことを知った。

「……バカ」

 無意味でどうにもならない、私らしくもないことをひとりごちた。

 入学手続きをする前に、去りゆく彼に会おう。そして伝えよう。

 この気持ちは、私を優等生じゃなくした貴方のせいだと。私を変えたのは貴方だと。

 私は他人に責任を求めようとしたことはない。責任は内にあると常に考えていた。

 それに、誰が悪かった、あいつのせいだなんて吊し上げのような犯人探しをしたところで、事態が好転するわけではないことを知っているからだ。

 そんな不毛なことに時間を費やすなんて愚の骨頂で、過ぎたことに拘るよりも、これからどうするかに目を向けるべきだ。合理的で可愛げのない思考だけども、今だってその考えは変わらない。

 そんな私が、責任を外に求めたい気分になっていた。こんなのは初めて……、いや、二度目かな。いずれも彼が関わることだ。

「これからどうするか、ね……」

 思考が声になっていた。周りに人がいても、誰にも届かない声でそうすることがままある。

「……私を変えた責任、取ってほしいな」

 またどうにもならない我儘をひとりごちると、彼になんと連絡しようかと文章を考え始めた。


* * *



 白い息を乾いた風が散らし、身を強張らせてマフラーに顔を埋めた。十二月にもなると街は至るところが三色で鮮やかに彩られ、否が応にもその時期を意識させられる。

 別に、嫌ではない。むしろ相手のいる今は嬉しいイベントのはずだ。けど、なんとなく落ち着かない。

 まだ冬なのに長い春休みに入る前の、一年生最後の講義に向かうべくキャンパスを歩いていると、後ろから声が飛んできた。

「マコちゃーん、待ってー」

 振り向くと、栗色の髪を揺らしながら走る小柄な女の子が見えた。男女比およそ4:1の同学部において、そう多くない同性の友人の一人だ。

 過酷な受験競争から解放され、その反動が訪れるというのはここの学生と言えどもそう大差なく、彼女もご多分に漏れず入学してから初めて髪を染めたらしい。

 実は私も、少しぐらいは彼に可愛いところを見せたいなと思いはしたものの、浮かれているようにしか見えないだろうと考えて自重した。まあ、あまり似合いそうにないと思ったことのほうが大きいんだけど。

「……はぁ、はぁ。……寒い! 鼻もげる!」

「今日は特に冷えるね。おはよう」

 彼女は歩みを止めないままモコモコの手袋で顔を暖め、息が整ってから話し始めた。

「おはよ。あー、疲れた」

「無理に追いかけなくていいのに」

「えー、いいじゃん。クリスマス近いし寂しいんだよぅ。ここじゃなかなかそういうのできなさそうだし」

「それは……、確かにそうね」

 彼女の言い分には私も納得できた。

 大学の授業はゼミのような少人数のものが主体と勝手にイメージしていたが、少なくとも本年度はそんなことはなく、教授の講義を数百人の学生が黙って聞いているだけの、マスプロと呼ばれる形式の基礎授業が主体だった。

 ゆえに、席についても周囲は知らないも同然の人たちばかりで関係性が希薄というか、サークルにでも入らなければ友人や恋人と呼べるものができにくい環境にあった。これも同学部が「法学部砂漠」と揶揄される要因の一つなのだろう。

「これから長い休みだねぇ。もう一年生も終わりかー」

 彼女が話題を変えた。

「うん。高校と随分違うよね」

「学部によっても違うみたいだよ。理工学部は夏休み長くて冬休みは三月だけだって」

 私たちの法学部は夏休みが八月の一ヶ月だけだった。その代わり、冬休みが一月から三月までとなっている。

 つまり十二月にして大学の一年目が終了となるわけで、こんなに休んでよいのかと思わなくもない。

「大学って、いろいろ自由よね……。こんなとこでもいろんな人がいるし」

 彼女も「わかる、変な人多いよね」とけらけら笑って同意した。

 講義とは関係のない、教授が趣味で開いているゼミに参加してみたことが何度かあるが、そこでは情熱の塊のような優秀で少し鬱陶しい学生がいる一方、マスプロに意味などないと講義にあまり参加せずインカレのサークルに没頭している学生もいる。

 ここの学生はかつての私のような優等生タイプばかりなのかと思いきや、いろいろな人と話してそれはただの偏見だと思い知らされた。共通点は、皆一様に向上心は高く勉学はできることだけだった。

 私も勉強に関してはそれなりに要領のいいほうだと思っていたが、ここではそれなりに楽しく遊びながらも優れた成績を残す人がいくらでもいる。

 このような環境に身を置けることは私にとっても刺激になるし、喜ばしいことのはずだ。だけれども、どこかで物足りなさと一抹の寂しさを感じている私もいる。

 それはきっと、ここには誰よりも絆を深めた手のかかる問題児たちがいないからだ。

 口は悪いけど人の為に怒ることのできる金髪頭も、スタイル良すぎで羨ましくもなるクォーターも、空気の読めない変人天才画家も、妹みたいにちっちゃいスーパーハッカーも、社長令嬢の天然娘も、私の心までをも盗んだ大怪盗も、誰もいない。もちろん、喋る猫も。

 彼らのことを思い出す度、私は目を閉じる。走馬灯というものがあればこんな感じなんじゃないかなと考えながら、スライドショーのように去年の出来事を振り返る。

「どしたの? 嬉しそうな顔して」

 隣を歩く彼女の声で目を開けた。

「え? 私、そんな顔してた?」

 そんな自覚はなかった。極短い間、目を閉じているだけのつもりだった。

「うん。嬉しそうっていうか楽しそうっていうか。笑ってたよ」

 ……やっぱり、そうなんだ。辛いことも多かったけど、あの思い出は私にとって素敵なものだったんだね。

「あ、もしかして彼氏?」

 思いを馳せていたのはそれだけではないけど、彼の顔がどの場面でもちらついていたのは確かだった。

 素直に答えるべきかと逡巡の間があったが、わざわざ嘘を吐くようなことではないと思い直し、言った。

「あー、まあ、うん。そんなとこ……かな」

 しかし恥じらいが勝り、いかにも中途半端な答えになった。もう恥ずかしがるような歳ではないと思うけれど、不慣れなのはまだどうにもならない。

「はぁ……。幸せそうで羨ましいですなぁ」

 彼女にはかなり早い段階でその存在を話してあった。だから合コンなるものには参加したくないと、その理由として使わせてもらった側面は確かにあったものの、自慢したい気持ちがなかったとは言い切れない。だって、彼カッコいいし……。

「紹介してよ、マコちゃんみたいなデキる女の彼氏って興味あるなー」

「暖かくなってきたら、してあげるわ」

「わー、楽しみ」

 正直なところ、自慢はしたいけどあまり紹介はしたくないというのが本音だ。

 彼を信用していないわけでもないけども、大事に育んできた恋心とともに、淡い独占欲や嫉妬心のようなものが沸きつつあるのは自覚している。

 まあ、私がどう思っていようと来年にはもう紹介しないわけにはいかなくなる。何故なら、その頃には彼もここにいるはずだからだ。

 彼が地元に戻る前に話した、あの日。彼は私と同じ大学に行くと宣言してくれた。もちろん受かる保証はない。けれど、私には彼が受験に失敗する想像ができない。

 あらゆる苦難と不条理を乗り越え、正義を貫き世界までも救ってしまった彼が、私にもできた受験程度で躓くはずがない。

「あ、マコちゃん。愚問とは思いつつ一応聞いとくけど、クリスマスの予定は? 寂しい女連中で集まって傷を舐め合おうとしてるんだけど」

 彼女の精一杯の自虐的な物言いに少しだけ笑みが漏れた。曰く、その愚問、にはすんなり答えることができた。

「ごめん、予定入ってるの」

「ですよねー。いいよいいよ、勝手に楽しんでおくれ。私たちは寂しくホラー映画でも見るよ」

 なんでクリスマスにホラー映画? と思ったものの、そこは聞かなかった。

「言っとくけど、か、彼氏だけじゃないからね? 高校のときの友達も一緒のパーティーだから」

 正確にはただの高校の友達ではなく、元怪盗団だけど。

 竜司と杏の発案だ。受験勉強の息抜き、との名目だが、その辺りが一番心配な二人が言い出すところに不安を感じる。

「あ、そうなんだ。でも彼氏もいるんでしょ? じゃああれだ、どうせ二人で抜け出してーとか、終わってから落ち合ってとか、あるに決まってるじゃん」

 ……何故この子にバレているのか。

 事実、パーティーが終わったあと二人で会おうと密かに約束を取りつけていた。

「え、えーと……。二人でただ勉強するだけだから、……何もないよ、うん」

 大学生になった今も、学力偏差値は上がれど恋愛偏差値は据え置きのままだ。どうやって測るのかすら知らないけど、こんなことを言っているようではあまり変わっていないだろう。

「それだけで終わるわけ、ないよねー? ていうかクリスマスの夜に彼氏と二人きりで、何を勉強するつもりなんですかね……。いーなぁ彼氏、私も欲しいなー」

 彼女はからかい半分、本当の羨み半分という具合で私の顔を覗き込んだ。顔が赤くなっていないか不安だった。

 そう。それだけで終わるはずがない。そのぐらい、恋愛音痴の私だって知っている。恋人同士の行き着く先。終着点になるのかはわからないけど、究極の求愛行動。

 別に、そんな期待はしてないし。私と彼はそんなんじゃ…………嘘ですごめんなさい。変なこと考えながらドキドキしてたことはあります。

 誰にともなく心の中で意味のわからない謝罪をすると、思考が夏の記憶に繋がった。


 この夏休みの間、彼はこっちで生活をしていた。ルブランでバイトをしながら、大学受験に向けて勉強をしていたのだ。

 当然、短い夏休みの隙間を縫って足繁く通い、何度も二人で勉強をして過ごした。

 勉強は一人でやる孤独なものだと思っていた私が、その考えを改めざるを得ない程度には幸福な時間だった。たぶん、彼と過ごせるならなんだって幸せというだけなのだろうけど。

 でもその時間は、本当にそれだけで終わった。あれだけ何度も行ったのにも関わらず、だ。

 そのときは特に不自然とは思わなかった。何故なのかという自問に、今の彼は勉強に集中したいということだろう、と自答して深く考えないようにしていたからだ。

 だが、本当にそれだけだったのだろうか。今さらにして不安が頭をもたげる。

 彼は年不相応に落ち着きも知性も理性も持ち合わせているが、まだ高校生だ。その年頃の男の子がどんなものかは、周りを見ていればなんとなく想像がつく。そんな彼が一切そんな素振りを見せない。

 であれば、だ。考えたくはないけれど。もしかすると。

 私になんらかの問題がある……。そう考えるのが自然だ。怪盗はともかくとして、彼は健全な高校生なのだから。

 さらに認めたくないけど、もう少し突っ込んで言うなら。

 私に魅力がないからじゃ……?

「あ、マコちゃん先入ってて、温かい飲み物買ってくる。隣空けといてねー」

 彼女の声にハッとなり、気がつけば教室のすぐ傍まで来ていたことに驚く。いつの間にこんなに歩いてたの……。

 夢遊病者のような行動に愕然としながら着座し、隣の席を確保する。

 さて、困った。私にはその解も求め方もどこにあるのかわからない。

 方程式がなければ解きようもない。微分しようにも全体の様子はわからないし、積分しようにも各点の様子はわからない。そもそも全体とか各点って何よ。人の心が数式で表せるわけないでしょ。

 心中でセルフ突っ込みをして頬杖をつくと、無意識に目を閉じていた。

 優等生の仮面をつけていた私は、目上の人に好まれる振る舞いというものを心得ていた。だから私は、相手の気持ちを考え良好なコミュニケーションを取ることは容易いと、人からどう思われるかということに無頓着ではないと思っていた。

 けど、そうじゃなかった。私は真剣に他人の心を知り、重ね合わせようとはしてこなかった。何より、本当の自分をわかってもらうことを放棄してここまできていたんだ、私は。

 互いにそうすること。それこそが人と向き合うということであり、人間関係なんだ。

 また彼のおかげで一つの答えが出せた。きちんと話して私のことをもっとわかってもらい、私も彼のことをもっと知る。まずはそれだ。

 けど問題はその次。具体的な恋人らしい行動として何をすればよいのかがわからない。私はどうすれば彼にもっと喜んでもらえるのだろう。

 私にそう思われるのは心外かもしれないが、隣に来る彼女を含め、私の周りの女の子はあまり恋愛経験豊富ではなさそうだ。杏も案外そういうのはまだって言ってたし……。唯一例外そうな栄子はきっと私の参考にはならない。

 あとは……お姉ちゃん? 無理無理。何を言われるかわからない。怖い。ごめんなさいお姉ちゃん。

 まあ参考になりそうな人がいたとしても、知り合いに相談するのは恥ずかしいな……。

 暫く考え、やがてスマホを取り出して検索サイトを立ち上げた。広大なインターネットの向こうには私と同じような人がいるはずだ。とりあえずは文明の利器に頼ってみよう。


* * *


 イブの当日、曇り空の街は騒がしかった。

 今年はクリスマスが土日と重なっているため、昼のうちから辺りは幸せそうなカップルだらけだ。こうして眺めていると誰もが順風満帆で、悩みなどなさそうに見えてくる。実際にはそんなことないんだろうけど。

 厚い雲に覆われてあまり明るくないせいもあるのだろうか。それとも街全体が醸し出す、何かに期待して浮かれているような雰囲気のせいか。やはり私は少し落ち着かない。

 集合する予定の夕方までにはまだ時間がある。することもないのに早く家を出すぎてしまった。

 ああ、落ち着かないのは私の逸る心のせいだね。

 だって仕方ないじゃない。久しぶりに彼に会えるんだもの。

 文面だけの連絡はいつも取り合っているけど、そんなのとは比較にならない。お互いの性格のせいか、そのやり取りの字面はどこか業務連絡のような感が漂っている。

 もちろんそれも嬉しくないわけじゃないけど、実際に会ってする会話とは温度が違う。

 会えるということは、彼の声を聞きながら体温を感じられるということだ。彼の移り変わる表情を見ていられるということだ。そんな想像だけでも、内から込み上げるような喜びがある。

 ……早いけどもう向かおうかな。少しでも会える時間を長くしたいし。

 そう決めると足早に駅に向かい、ちょうど着いていた電車に飛び乗った。

 そんなに急いでみんないったい何処に行くの。どこも人が多そうなのに、どうしても今日でなければいけないの? そう尋ねたくなるほどに車内は込み合っていた。外とは違い、暖房もよく効いていて暑いくらいだ。

 奥まで入れなかったので扉付近に陣取って、流れる風景と空模様をぼんやりと眺めていた。

 ……今年も降るのかな。

 ふとそう思うと、ちょうど一年前の記憶が甦った。



 あれは、私が人生で初めて恋人と過ごしたクリスマス。何かの比喩や暗喩でなく、言葉の通り、怪盗団が世界を救った日。

 一度は死を覚悟したぐらいなのだからそれも当然の話で、私たちは心身ともに疲れきっていた。だからあの場は現地解散となったわけだけど、疲弊した心の奥には得体の知れない胸騒ぎもあった。

 疲れとは関係なく、神経が昂っていたのかもしれない。自分でも理解のできない不安に駆られ、彼への愛しさが募り、どうしても我慢できなかった。このまま帰って休もうという気にはならず、どうしても彼に会いたくなった。

 そして実際に会って、話して、わかった。

 彼が、私にも言えない何かを抱えていることが。

 でも私にならきっと話してくれるはずだと信じ、聞こうとはしなかった。それを問い詰めることは最後までしなかった。

 お互いに言えないものを抱えたままの逢瀬は、錆び付いた歯車のような不協和音を残した。そして翌日、お姉ちゃんから聞いたときには、彼は私の声の届かない場所にいた。

 私が自分勝手に抱いた期待は、誰よりも私を、仲間を守ろうとしてくれた彼の優しさによって裏切られた。けれど、怪盗団が信じる正義のために己を曲げなかった彼の行動を、私が責められようはずもなかった。

 何より悲しかったのは彼がその決意をしたことではなく、私に打ち明けてくれなかったことだった。私への信頼はそんなものだったのかと、責めたくなる気持ちもなかったと言えば嘘になる。

 恋人であるはずの私は泣きたかった。亡き父の想いを、正義を継ぐと決心した私は泣けなかった。

 相反する私のせめぎ合いは、意外な点に着地を見せた。

 寂しさを堪え、彼を救おうとみんなで決意したクリスマスの日の夜、私は夢の中で泣いていた。目を覚まして鏡を見ると、右目の下にだけ一筋の跡がついていた。



「次は~、四軒茶屋~、四軒茶屋です」

 電車のアナウンスに続き、音を立てながらドアが開いた。降りる人はそう多くなかった。

 ううん。もう大丈夫。あんなことはもう起こらない。今年は彼が受験だからおもいっきりとはいかないけど、それでも去年よりは。来年からはもっと。ずっと。少しずつ積み重ねて、楽しい思い出で上書きしていける。

 せっかくクリスマスに彼と、みんなと会えるんだから。

 余計なことを考えないよう、白い息を吐きながら脚を動かしルブランを目指した。店の前まで来ると、少しだけ立ち止まる。

 首を降り、過去の苦い記憶を振り払った。そして新たな素敵な思い出を作るべく、ルブランの扉を開く。

「いらっしゃい。……久しぶり、真」

 いつもならマスターがいるはずの場所に、彼が佇んでいた。


* * *

とりあえずここまで
そんな長くはならない(と思う)ので次で終わりです
春ちゃん好きなら前書いた春のまにまにってやつが
双葉好きならケスラー・シンドローム;Surrenderってのがまだ落ちてないので是非に
ていうかいつ落ちんの

またそのうち



 後ろ手に持った扉から手を離すと、扉が閉まる方向に動いて私を店内に押した。ドアベルの音を残して動きが止まり、他にお客さんのいない店内は静寂に包まれる。

「……い、いつ来てたの?」

「ついさっき。着くなりいきなり店番頼まれちゃって」

「そ、そっか。随分早く着いたのね。みんな来るまで、まだ時間あるけど……」

 予想外のタイミングで彼の顔を見て舞い上がっていた。だから、私が言ってほしい言葉を願った。

「真だって早いじゃないか。一緒のこと考えてたってことだね。……少しでも早く、真と会いたかった」

 一瞬だけ溜めて放たれた彼の言葉は、私の言ってほしい台詞そのものだった。落ち着いた、でも芯のある声は、不思議なほど私の身体に馴染む。

「私も、会いたかった。……座っていい?」

 彼の向かいのカウンター席を目で指し示した。

「もちろん。何を飲まれますか、お客様」

 座ると同時に聞いてきた彼の口調につられるように、私も応える。

「そうね……。暖かくなるようなコーヒー、頂けるかしら」

「かしこまりました」

 大仰なほど丁寧にお辞儀をする彼に、笑みが溢れた。

 やがて珈琲の芳ばしい香りが漂い始めた。慣れた手つきで豆を挽く彼に言葉をかける。

「いつもそんな接客してるの?」

「まさか。真だけの特別バージョンだよ」

 なんてことはない小芝居に過ぎなかったけど、特別と言われて悪い気はしなかった。

「よかった。そうよね、貴方がいつもそんなことしてたら大変なことになるわよね」

「何がどう大変?」

 自覚のない彼に、私は不安を告げる。

「いつもあんな風にしてたら、店に来た女性が……、その、貴方に惚れたり、とか……そんな感じ。わかる?」

 要は「誰もが惚れるんじゃないかと思うほど格好いいです」と言っているのと同じだ。それをわかっていたから、言いながらだんだん照れが出てきた。

「光栄だけど、残念ながらそんなにモテたりはしないよ」

「嘘。自覚ないんだ、やっぱり。貴方が本気を出したら9股ぐらいまでならできると思うわ」

 彼は挽き終わった豆をサイフォンにセットしながら、ちょっと引き気味に言った。

「……何その具体的な数。仮にできるぐらいモテたとしても、そんなことしたら体が持たないな」

 まあ、実際にそんなことをされたら私は何をするかわからないから、彼が真面目な人で本当によかった。

「人数は適当。けど、今の貴方はそれぐらい格好よくて魅力的なの。わかった?」

「……了解。でも、変わるもんだね。昔は野暮ったいって言われたこともあったのに」

 彼は微かに微笑んで過去の私の失敗を口にした。

「あれは……私の眼が節穴だったみたい。ごめん、失言だった」

「いや、責めてるわけじゃないから。実際そのときはそうだったんだし。だから、真に認められたくてあれから努力したんだよ」

 彼はサイフォンの原理で汲み上げられた珈琲を撹拌しながら、何事もなかったかのように話した。あの出来事の裏にあった、私の知らなかった彼の思いに驚いた。

「……そうだったの?」

「うん。真とその友達の力になりたかったからね。……というのは一部建前で、真に振り向いてもらいたかった。ちゃんと見てほしかったんだ」

「そんなの、初耳」

「初めて言ったもの」

 彼はそう言って笑うと、丸形のフラスコから珈琲を注ぐ。香りと湯気が立ち昇るカップをソーサーごと持ち上げると、私の目の前に静かに置いた。

「おまたせ」

 彼の言うことが正しいなら、私がそういったことをまだあまり意識していなかった頃から、彼は私を見てくれていたことになる。

 今にして思えば、なんと勿体無いことだろう。あのときの鈍感で無頓着な私を殴ってやりたい。

「いただきます」

 カップを持ち上げ、香りを楽しむ。啜るように一口飲むと、雑味のないクリアな苦味が溶け出した。続けて、体の中心に向けて温かさが広がる。

「……どうして、貴方のコーヒーはこんなに美味しいのかしら?」

 私は特別珈琲好きというわけではないのに、彼の淹れてくれたものだけは本当に美味しく感じる。家で自分で淹れてもこうはならない。

「やっぱり豆と……淹れ方の違いなのかな」

「それもあるけど、やっぱり一番は愛情じゃないかな」

 純粋な疑問に、彼は私では口に出せない言葉で答える。強く叩いた鼓動に動揺し、カップを持つ手が震えた。

「どうして、貴方は……。そういうことを、真顔で言えるわけ?」

「どうしてと言われると、そう思ってるから?」

「そ、そういうの……びっくりするから……」

 それ以上飲むのは諦め、大人しくカップをソーサーに戻した。

「やめたほうがいい?」

「いや、ちが、そうじゃなくて……」

 反射的に即答した。こんなに嬉しいこと、やめてなんて言えるわけがない。

「じゃあ……、何?」

 彼は私の左手に手を重ね、机に肘をついた。そのままの姿勢を保ち、私を見上げるように目線を固定する。

 ただ重ねられているだけなのに、私の手は動かない。すべてを見透かされているような瞳の前に、私は微動だにできなくなっていた。

「え、と。えっと……」

 彼の顔が近づいた。吐いた息が彼に届くような気がして、息を止めた。

 さらに近づき、鼻先が触れ合うような距離になった。私は流されるままに瞳を閉じる。

 ここ、お店なのに。こんなのよくないってわかってるけど、訪れるであろう甘い痺れを想像すると抗えない。

「すまねぇな、来て早々店番……」

 ドアベルの音と同時に、よく知っている声が耳に届いた。

 慌てて入り口に目を向けると、呆けたような表情をしたマスターが立っていた。私はすかさず、

「い、いえっ! これは、違うんです! えと、目にゴミが……ゴミが!」

 何か言われる前から自発的に言い訳を始めていた。

「……あ、ああ。真ちゃんか……。えー……、いらっしゃい」

「は、はい。お邪魔、してます」

 マスターはまだ戸惑っていたが、勢いで押し切れたような気がする。いや無理でしょ……。

「そうか、今日あいつらみんな来るんだったな。……ここ、もういいから上行ってな。来たら呼ぶからよ」

「わかった。真、行こうか」

「う、うん」

 席を立ち、階段に向かおうとして立ち止まった。

「あ、お金……」

 珈琲を頂いたお金を支払わないと。

「ああ、いいよそんなの。こいつの淹れたコーヒーで金取るわけにゃいかねぇよ」

「普段は取ってるけどね」

「うるせぇよ、ちょっとお前は残れ」

 彼に「先に行ってて」と促されたので、マスターにお礼を言って背中を向けた。

「……お前な、ああいうのは……場所考えろよ」

「若気の至りだ」

 肩越しに二人のヒソヒソ声が聞こえてきて、私は顔を赤くしながら階段を昇った。

 マスター、ごめんなさい。私、彼にああされるとなすがままになっちゃうんです……。



 マスターへの申し訳なさから少しだけ強い自制を取り戻すことができ、屋根裏に上がってからは控えめに二人きりの時間を過ごした。

 主に彼の受験の状況と、彼が目指している私の大学生活のことを報告し合った。

 毎日のように連絡は取り合っていたから知っていることも多かったけれど、簡単なメッセージよりも多くのことを伝えられるので新鮮な気持ちになれた。

「そう、順調なのね。安心した」

「でもここ半年はずっと勉強漬けだからいい加減飽きてきた」

「もう少しじゃない。と言っても、大学に入ってからも大変よ? 周りは優秀な人ばかりだし、試験なんかも高校と全然違うもの。問題文が三行で答案が白紙の用紙一枚、「下記の事例について論ぜよ」、とか、そんな感じよ」

「へぇ。面白そう」

 驚かせようと思っていたのに、彼の興味を引いたようで拍子抜けした。

「どんな感性してるの。でも、面白そうって思えるなら平気そうね」

「絶対受かるとは言えないけど、やるだけやるよ。でも今日はゆっくり息抜きさせてもらおうかな」

「そうね、せっかくなんだから楽しまないとね」

 そこで階段からバタバタとした足音が聞こえ、間もなく、

「ナマステー!」

 唐突にサンスクリット語の挨拶が飛び込んできた。

「やあ」

「久しぶり、双葉」

 冬にその格好は寒いんじゃないの、と聞きたくなるような格好の双葉はベッドに座ると、ソファにいる私を一瞥した。

「真パイセンが一番乗りかー」

「うん。ちょっと早く出すぎちゃって」

 実はちょっとじゃなくてだいぶなんだけど、そこは誤魔化すことにした。

 私と彼が付き合っていることは、怪盗団メンバーには伝えていない。いつだったか、付き合い始めの頃に二人で話し合って「まだ」言わないでおこうと決めた。

 理由は、怪盗団メンバーでぎくしゃくしたくないからとか、そんな感じ。みんなに変に気遣われたくもないしね。

 いつかは伝えないと、とも言っているものの、どう話しても嫌味に聞こえるかもしれないと思い、そのいつかは未だ訪れていない。

「そういえばモナは?」

 彼と再会を喜んでいた双葉が思い出したように口を開いた。よく考えたら私も見てないな。

「ああ、駅に行くって言ってた。みんなと来るんじゃないかな」

「なるほど、お迎えか。やるなーモナ。ネコとは思えない賢さだ」

「まあ話ができる時点でね……」

 見た目はどこからどう見てもネコだけど、まあそのあたりはなんだって構わない。

 既存の生物の定義に当てはまらないから、あれはモナという生き物なんだろう。どんな存在であれ私たちの仲間の一人(一匹?)で、大事な怪盗団のメンバーだ。

「あ、真パイセン。わたし、ちゃんと高校生やれてるぞ!」

「みたいね。偉いわ、双葉」

「うん。立派だな。更正は順調のようだ」

「更正? んー、まあ、更正か。うん、もっと褒めてほめて」

 学校を案内したときも思ったけど、庇護欲をそそられるというか、なんというか。

 彼と二人でよしよし、よく頑張ったねと褒めていると、妹というよりも子供みたいだ。なんだか微笑ましくなってくる。

 …………いや、誰と誰のよ……。

「おーいお前ら、続々と来たぞー」

 階下からのマスターの声を聞き、慌てて飛躍した妄想をシャットアウトした。よく考えたら双葉は私のたった二つ下じゃない。双葉にも失礼だよ、恥ずかしい……。

「リュージあんまり走るなー! 揺れるんだよ!」

「お前こそ爪立てんな! いてーんだよ!」

 まず階段を駆け上がってきたのは予想通り竜司と、その肩から落ちまいと前脚でしがみつくモナだった。

「メリークリスマース! 真もリーダーも久しぶりー!」

 杏が今日に相応しい挨拶をうたいながら部屋に入ってくる。

「やあ、久しいな。元気にしていたか?」

「ああ、勉強漬けの毎日を送ってるよ」

 いつもと何も変わらない祐介は、私や彼と再会の挨拶を交わす。

「メリークリスマス。この雰囲気、懐かしいなぁ。……みんな、元気そうだね」

 そして一番最後に入ってきた春は、全員の顔を見渡して満足そうに微笑んだ。その気持ち、わかるな。

 私も少しだけ瞳を閉じ、物思いに耽った。その間、たぶん笑顔だったと思う。

 だって、これでようやく全員集合できたんだもの。

 この中で頻繁に顔を合わせていたのは竜司と杏、それと同じ秀尽に入学した双葉ぐらいだろう。だから、誰が仕切るでもなく、そこかしこから再会を祝す言葉と近況報告が聞こえてきた。

「なんか、急に騒がしくなったな」

 狭い部屋で7人と1匹が作り出す喧騒の中、彼が私の耳元に顔を近づけて話した。

「そうね、でもこれが私たちの空気よね」

 私は同じようにして、耳元に顔を近づけて言った。

「そうだな。やっぱりこのメンバーはこうじゃないと」

 言うと、彼はソファを立ち私から離れた。私も立ち上がり、春や杏と言葉を交わす。

 私は、彼のことと同じくらいに怪盗団の繋がりを大切にしたいと思っている。

 直接聞いてはいないけど、きっと彼もそうだと思う。そして、それはおそらくここのみんなが同じ気持ちだ。私はそう信じている。

 だから、二人きりじゃなくても今は大丈夫。我慢する。

 その分、あとでゆっくり楽しもう?

 誰にも届かない声で、祐介や双葉と話す彼の背中にそう語りかけた。



 互いがひとしきりの会話を終え、追加の椅子と机をみんなで用意しようと動き始めたときだった。

「なーんかやっぱ殺風景だなー」

「だねー、あんまクリスマスっぽくないよねー」

「というわけでこんなものを用意しました」

 竜司と杏のわざとらしい台詞のあと、双葉がどこからか紙袋を取り出した。中には緑やら銀やらに輝く飾り付けの小道具が入っていた。

「わぁ……キレイ」

「いろいろあるのね」

「お前らが用意したのか?」

 祐介の問い掛けに、小芝居をした三人が得意げな顔を見せた。

「全員集合はほんっと久々だし、去年ちゃんとできなかったリベンジだよ!」

「そうそう。雰囲気作りってやつ?」

 去年のクリスマスは、全員が絶望と怒りと悲しみという負の感情だけを抱えて迎えることになってしまった。

 その分、今年はしっかり盛り上げようという気遣いらしい。私たちのムードメーカーはやっぱり、年下のこの子たちなんだよね。

 でも、竜司と杏はそんなにはしゃぐような時期でもないんじゃ、という気がしてならない。空気悪くするのもあれだから言わないけど。

「三人の自腹だぞ。感謝しろおイナリ」

「何故俺だけに言う」

「だってお金ないだろう」

「ないな。感謝するぞ、三人とも」

「うん、ありがとね。竜司くん、杏ちゃん、双葉ちゃん」

 私たちを代表して祐介と春がお礼を言うと、三人ともが笑顔を見せた。

「じゃあ、準備しましょうか。男子は机と椅子用意して、私たちで飾り付けしましょう」

 たぶん、ここは私の出番だ。これだけ個性的な人間が集まっているのだから、皆が好き勝手にやると収拾がつかなくなるのは目に見えている。

「飾り付けには俺の美的感覚が必要なのでは?」

 祐介が意義を申し立てた。けど却下です。

「これにあと3ミリ左とか、そんなのいらないから」

「そうそう、祐介は細かすぎ」

「そういえばプランターのときもそんなだったね」

 春が怪盗団に入りたての頃の思い出を持ち出してクスッと笑った。

「……御意」

「ワガハイは何をしようか?」

「うーん、モナは……。バランスを見てみんなに指示を出してもらえる?」

「了解だぜ、指示なら任せてくれ」

「じゃあ料理届く前にちゃっちゃと済ませるわよ」

 私の号令に、各自からはーいとか了解とかバラバラの返事が返ってきた。

 料理はピザやチキンのデリバリーを既に頼んでいた。これは春の計らいで、提携している会社の部門にそんなところがあって、タダで提供してくれるらしい。

 私は結局のところ春が払ってくれるんじゃないかと思っているけど、どちらにしても感謝することには変わらないからみんなとお礼を言っておいた。

「これ、可愛いね」

 春はツリーやサンタのジェルシールを窓ガラスに貼り付けている。天井につける飾りは背の高い杏が担当だ。

「フタバー、杏殿を手伝ってくれー」

「ほいさぁ」

 竜司や彼も椅子を運んでいるし、みんなしっかり動いているようだ。私もやらなきゃと気合いを入れると、上着を脱ぎ捨て身軽になった。

「杏、反対側は私がやるわ」

「……あ、うん。ありがと」

 そうして会場のセッティングをすること約20分。

「おぉー」

「なかなかの出来映えだな」

「立派なもんじゃねーか、お前らワガハイの指示通りによくやったな」

「うるせえよ上から猫」

 物がないわけではないのに、どこか殺風景だった屋根裏部屋が一変した。色とりどりの飾りが天井や壁、窓ガラスを覆い、いかにもクリスマスパーティーという装いになっている。こんなの私も初めてのことだから、なんだかワクワクする。

「……おぉ、なんだえらい本格的だな」

 新たな声に階段へ目を向けると、マスターが天井を見上げ感嘆の声をあげていた。

「だろう? クリスマスパーティーとか、わたし初めてだからよくわかんないけどな!」

「ふふ、私もよ」

 私が双葉に同意すると、男子三人組も頷いた。

「私もみんなで飾り付けしたりとか、こんなのは初めて。楽しいね」

 春はおそらくもっと盛大な、知らない人がたくさんいるようなものしか経験していないのだろう。私が言うのもなんだけど、ここのみんなは大概寂しい青春を送ってきたみたいだ。

「ま、楽しむのは結構だけどよ、あんま遅くまで大騒ぎすんなよ。じゃ、俺は帰るわ」

 手を軽く挙げながら去る背中に、全員でお礼を伝えた。

 しばらくダラダラ時間を潰していると、明らかに人数分以上と思われる食べ物が届き、もはやささやかでもなくなった、賑やかで盛大なパーティーが始まった。

 みんな去年とは違う、彼のいるクリスマスを存分に楽しんでいた。

 やっぱり全員が揃ってこその怪盗団だというのを改めて認識すると、この関係がいつまでも続きますようにと、胸の内で強く願った。


* * *


「うぐっ……。駄目だ、もう食えん……」

「俺、もう喋ったら出そうだ……」

「ワガハイも、もう無理だ……」

 長い夕食が一段落すると、誰もが苦しそうに背もたれに体を預けていた。

「竜司くんもモナちゃんもスゴい食べてたねー。……ちょっと頼みすぎたかしら?」

「そうね。ちょっと、多かったかもしれないわね……」

「でも美味しかったよー、ありがとね、春。けど、あー……明日からまた節制しなきゃ……」

 杏が憂鬱そうに頬杖をついた。モデルはやっぱり大変なのね。でも、気を付けないといけないのは私も同じか。食べきらないと悪いと思って頑張りすぎた……。

 届いた料理の数は、一言で言って尋常ではなかった。

 チキンも来るとは聞いていたけど、まさかターキーの丸焼きがあんなに届くなんて春以外は誰も想像していなかった。絶対に無理と思っていたのに、よく食べきれたものだ。

「お前明らかに一番食ってたよな? なんで平気な顔してんだよ……」

 そう、食べきれたのは彼のお陰と言っても過言ではない。みんなが苦しくなってきて絶望している中、一人だけペースを変えずに最後まで食べ続けていた。その彼は余裕綽々の顔をしている。

 知らなかったな、彼がこんなに食べる人だなんて。……今度、何か美味しいものたくさん作ったげようかな。

「ビッグバンバーガーで鍛えたからな」

「そういやオマエ、チャレンジでバカみたいなバーガー食ってたな……うぇっぷ」

「えー! あれ食べてくれてたんだ……。あんまり常識外れで評判よくなかったのに」

 春が驚いているのを見て、どんなサイズかをなんとなく察した。今はあまり想像したくもない。

「……俺はもう、ピザとチキンは当分いらんな」

 祐介がそう言うと、全員が息を吐いて天井を見上げ、お腹が落ち着くまでゆったりと時間を過ごした。



 夜もいい時間になった頃、彼がふとした疑問を口にした。

「そういえば何時までやるんだ? これ」

 実は私も聞きたかった。彼とこのあと二人で過ごそうと約束していたからだ。

 別に今の時間が不要なものではないけれど、それは二人の時間が減ることと同義でもあるので気にはなる。

「んー、特に決めてはないけど、オールでいんじゃね? 明日も休みだし、朝帰ればさ」

 ちょっと竜司、何を言い出すの。

「わたしは問題なーし。どうせ帰ってもヒマだしな」

「別に俺も構わんぞ。予定などまったくもってない」

「そりゃ祐介は推薦で決まってるからいいよね。……うーん、私もクリスマスに勉強する気なんないし、今日ぐらいは別にいいかなー」

 竜司の提案に双葉、祐介、杏が矢継ぎ早に乗ってきた。

「えっ」

 つい声が出てしまったと思ったら、私ではなく彼のほうだった。

「む、何か予定があったか?」

 祐介が気遣うような素振りを見せるも、

「いやいや、クリスマスだぜ? あるわけねーよ、なぁ?」

 竜司が邪魔をする。竜司……!

「えーと、その……」

 彼にしては非常に珍しく、言いにくそうに口ごもる。ここにきて私たちの関係をみんなに伝えていないことが仇となった。

 そこで、彼が私にだけわかるように目線を寄越した。そのアイコンタクトはさしづめ「言ってもいいか?」というところだろう。

「……クリスマスイブの夜に、予定あるの?」

 双葉の声。

「……それなら、仕方ないけどさ……」

 杏の声。

「みんながそうするなら私も、って思ったんだけど……」

 これは春。

 困る彼の姿を見て、自らに問いかけ、納得させる。

 …………明日もあるし、ね?

 私たち怪盗団にとってはみんなのジョーカーだし、独り占めはよくないよね。

 彼と同じぐらいみんなのことも大事なのは、嘘じゃないから。でも、いつかは本当に話して、みんなに祝福してもらいたいな。

 そんなことを考えると彼の視界に入り、目を閉じて首を微かに振った。それで伝わった。

「……いや、予定はないから大丈夫」

「だよなー? 俺は裏切るヤツじゃないと思ってたぜ」

「お前ならいたとしても不思議ではないと思うがな」

 祐介、鋭い。

「そういえばマコちゃんは? 泊まり、大丈夫なの?」

 春から振られ、私は答えた。

「私も大丈夫よ。あとでお姉ちゃんに連絡しておくわ。こうなったらとことん楽しみましょう」

「お、真パイセン乗り気。朝帰りだぞー?」

「もう大学生だし、委員長の看板は降ろしたからね」

「夜は、まだまだこれからだ」

 そう言い放つ彼と目が合うと、彼は諦めたような笑顔を見せた。

 それからは双葉が持ってきたいろいろなゲームをして過ごすことになった。ミッションも任務もない時間でも、元怪盗団のみんなと居るのは大学の誰と過ごすよりも楽しかった。

 やっぱり、乗り越えてきた時間の濃密さが違うんだろうな。

 こうして、騒がしく楽しい夜は更けていった。


* * *



 日付はとうに25日になり、午前1時を大きく回った頃にはみんなのテンションにも変化が出始めた。

「ぁふ……」

 春が大きな欠伸をして目を擦ったので声をかけた。

「無理しないで、眠ったら?」

「ん~、私普段あんまり夜更かししないからなぁ。お言葉に甘えさせてもらおうかな……」

「……ダメだ、私も眠いー。ちょっと寝ようかな……」

 杏も眠そうだ。彼がそんな二人に言った。

「ベッド使っていいから、二人で寝たら?」

 ……なんだろう。

 夏の勉強中とか、私も寝かせてもらったことのある彼のベッド。そこに、私以外の女の子が寝るということに、言葉では表現できないモヤモヤがある。

 たぶん、いや絶対、これは嫉妬的なやつだ。合理的な思考で排除できない、自分ではどうにもならない感情的な部分だ。

「え、マジ? ありがとー。春、一緒に寝よー」

「あ、うん……。杏ちゃん、寝相悪かったらごめんね。ベッド、借りるね」

 二人は覚束ない足取りでベッドに向かうとすぐに横たわり、間もなく穏やかな寝息が聞こえてきた。べ、別に羨ましくなんかないんだから。

「ほぅ……」

「ほほー……」

 抱き合うようにも見える姿勢で寝る二人へ向けられる、祐介と竜司の謎の興味になんとなくイラっとした。

 ちょっと落ち着こう……。

「双葉はまだ平気なの?」

「ラクショーだ。もともとわたしは夜型だからな」

 双葉はまだまだ元気のようで、続けてみんなに提案した。

「トランプあるし、大富豪でもする? みんなルール知ってるだろ?」

「お、いいな。やろうぜ」

「俺も付き合おう」

「大貧民は罰ゲームな」

「よし、ワガハイがズルしてないか後ろから見てやる」

「真はどうする?」

 テーブルを囲む四人と一匹を遠巻きに眺めていると、彼が私を気遣ってくれた。

「私はいいわ、ちょっと休憩。お手洗い、借りるわね」

 そう言い残して、一人階段に向かった。

 朝から無駄に気を張ってたから疲れていたのも事実だけど、実はルールをよく知らなかった。もしかしたら杏も春も知っていて、私だけが知らないのかもしれない。

 優等生、参謀、委員長、生徒会長。私にはそういう、ご立派に見える役職や肩書きだけは数あれど、遊びとなるとまったくの無知だ。そんな人付き合いをしてこなかったから。

 営業を終えた店内はオレンジ色の薄暗い灯りだけが点り、昼間とは随分違って見えた。昔、彼に連れられて行ったバーを思わせるような雰囲気だ。

 宣言通りお手洗いを借りたあと、誰もいない店内の、階段に背を向ける席に座った。入り口が見やすい、釈放となった彼を心待ちに迎えた席だ。

「そんな弱いの一枚だけ残してどうやってアガルんだよ! リュージはバカなのか!? 頭リュージか!」

「後ろからうっせーぞ猫! つかバラしてんじゃねえよ!」

 杏と春が寝ているのに、騒がしい声が下まで聞こえてきておもわず笑みが溢れた。というか、モナまで大富豪のルールを理解してるのはなんでなの……。

 まだあまり眠くもないけど、腕を伸ばしてテーブルに突っ伏した。店全体に染み込んだような香りが、珈琲を淹れる彼の姿を瞼の裏に鮮明に呼び起こす。

「はぁ……。気合い入れてきたけど、出直しかなー……」

 泊まりは、もしかするともしかするかもしれないという淡い期待をして出てきたけど、まさかみんなも一緒だなんて。

 クリスマス前に頼った文明の利器による検索は、私の内側に目に見える変化を起こしていた。

 内面、ではなく内側だ。今風なのかすらよくわからないけど、調べた言葉で言うならアウターではなく、インナー。

 外を歩く分にはいつもの私とそう変わりない。気持ちスカートが短いぐらいだけど、上着を脱いだ今日の私は普段よりも露出が高いはずだった(私比)。

 私にしてはかなりおもいきったと思う。こんなに襟元が開いた服なんて着たことがないから、意識すると今さらながらにソワソワしてしまう。

 "普段は見せない人の場合、より効果的です"との煽り文句に、疑心暗鬼ながらもまんまと乗せられてみたものの、今のところ特に目立った反応はない。
 
 自分の慎ましい胸元に目をやって、私は何をやっているんだろうと顔が熱くなった。

 上にはナチュラルに生足を出している双葉や、現役モデルでスタイルについて今さら張り合う気すらしない杏、密かに着痩せするタイプと見ている春なんかがいるから、私が目立たないのはわかる。

 わかるけど、彼すら何も反応してくれないのはなぜなにどうして。

 ……なんか、卑怯だ。狡いよ。

 私ばかりこんなに好きで、やきもきさせられるなんて。

「もう、人の気持ち知らないでベッドに普通に寝かせるし……」

 姿勢を変えて背もたれに寄りかかると、自然と寒そうな外に目が向いた。

 外灯が仄かに照らす地面の上を、綿のような白い結晶が舞うのが見えた。

「今年も、降るのね……」

 おそらく世の恋人同士の大半は、ホワイトクリスマスだねと喜び、ロマンチックな夜を盛り上げる幸運な出来事と感じていることだろう。

 けど、私にとって幸せの象徴とは言い難い。痛く切ないあの日と繋がる、悲壮な光景に近い。

 ここ最近でいったい何度目になるだろう。雲の吐き出す息の残滓は去年の記憶をこれまでよりも鮮明に思い起こさせ、反射的に目を閉じた。

 失くしたくはないものだけど、今は思い出したくない。

 俯いて目を閉じたまま耐えていると、ふわりと浮き上がるようにして意識が遠のいていった。


* * *


 ……肩に何かが触れる感触があった。暖かい……。



 ……今度は腕を引かれたような気がした。身体が傾き、頭を預けた。

 続けて、私のよく知っている好きな匂いを近くに感じ、うっすらと目を開けた。片方だけ視界が滲んでいるけど、ここはルブランの店内だ。

「……ごめん、起こしちゃったね」

 すぐ傍で声が聞こえた。顔を動かすと、隣に彼が座っていた。

「怖い夢でも見てた?」

 いつの間にこんな状況になったのかもわからないまま、冴えない頭で会話を続ける。

「……夢? どうして?」

「泣いてるから」

 両手で軽く目の下を拭うと、右手にだけ濡れた感覚があった。これが視界の滲みの原因だったみたい。

 夢を見た覚えはなかった。見ていたとしても、その内容を覚えてはいない。でも、寝ていた私が何を想い、どう感じていたかはわかる。

 去年と同じようについた、一筋の跡がその答えだ。

「何かあった?」

 私は何も言わず、倒れかかるように彼の胸に顔を押し付けた。知らないうちに肩に掛けられていた、彼の上着がずれ落ちた。

 そして強く、全力で、力一杯彼の体を抱き締めた。もう彼に置いていかれることのないように。二度と離さぬように。

 その心からの願いは、抱き締める力には転換されず感情の発露となり、瞳から止めどなく溢れ続けた。

 彼もそれから何も問うことなく私を抱き止め、頭を優しく撫でてくれていた。



 どのくらいそうしていたんだろう。

 長い時間ではなかったと思う。でも短い時間とも思えない。時間の感覚はよくわからないけど、涙はもう出ていない。

「今、何時?」

「3時過ぎたぐらいかな。祐介も力尽きて、今は双葉と竜司だけでゲームしてるよ」

 うとうとしただけと思っていたら、一時間以上寝ていたらしい。

「何か飲む?」

 水分が出たせいか喉が乾いていたけど、胸に頭をつけたまま首を振り、彼の服を握りしめた。

「離れちゃ……やだ。ここに、いて」

 今は珈琲を淹れる間だけでも、飲み物を取りに行く僅かな時間だけでも、離れてほしくない。

「……わかった。傍にいるよ」

 彼は私の子供のような我儘を聞くと、また優しく抱き締めてくれた。

 耳を当てると感じる心臓の音は、彼が今、間違いなくここにいるんだと私を納得させ、安心させる効果があった。

 心地好い音色のようにも思える、愛する人の鼓動。私自身の心音もそのペースに合わせるように、次第に間隔を落としていった。

「落ち着いた?」

「……うん。もう、大丈夫」

「そっか。……よかったら、何があったのか話してほしいな」

 そうだね。いきなり泣き出されて、わけがわからないのは彼のほうだよね。

 ここに来る前に決めてきた。ちゃんと話そうって。私のことをもっとわかってもらおうって。

「……雪を、見てたの」

「雪? ……ああ」

 彼が扉の外に目をやった。

「それで、いろいろ思い出してるうちに寝ちゃってた。夢は、覚えてないけど……たぶん、貴方とか、お父さんとか。大切な人がいなくなっちゃうような、寂しい夢だったんだと思う。……ちょうど一年前にも同じことやったから」

 彼は何も言わず、投げ出していた私の手を探して指を絡めた。その温かさに勇気をもらい、続きを話す。

「……でね、目が覚めたらまた、貴方が私の声の届かないところに行ってるんじゃないか、私に何も言わずに消えてるんじゃないかって、不安で、怖かった。でも、起きたら隣に貴方がいて安心したらね、なんか涙が出てきちゃって……」

「……ごめん。俺のせいだね」

 そう謝る彼に、私は寄りかかるのを止め、姿勢を正して言った。思っていることを、全部。

「そうだよ、貴方のせい。私がこんなに泣き虫になったのも、貴方のことを想うと苦しくてどうしようもなくなるのも、全部。……私をこんなにした責任、とってほしい」

「もちろん、とるつもりだよ。真は……、後悔してる?」

 繋いだ手と、声に力をこめた。

「ううん。してるわけないじゃない、冗談よ。私が勝手に好きになっただけだし、それに、過ぎたことはもういいの。私は貴方と、未来を歩いていきたいから」

「……そっか。じゃあその未来の為に、俺が今できることはある?」

 彼に問われ、考えた。

 支え合い、並び歩くなら対等である必要がある。けれど、私たちはきっと対等じゃない。少なくとも私はそう思っている。

「……私のこと、もっと、好きになってほしい……な」

 思うのは簡単だけど、口にするのは難しい。というか恥ずかしい。今は周りが暗いからバレないだろうけど、耳まで赤くなっていそうだ。

「そう言われてもな。もう真のこと大好きだし」

「絶対そう言うと思ってた。別に、それを疑ってるわけじゃないの。けど、貴方の好きよりも、私の好きのほうがきっと大きい。私ばっかりやきもち妬いて、どうしたらもっと好きになってもらえるか悩んで、こんなの狡い」

「……やきもち、妬いてたの? どこで?」

 彼は意外そうに間隔の短い瞬きをした。墓穴を掘ったような気がする。

「え、えーと……。今、春と杏が貴方のベッドで寝てること、とか……」

「あー……。でも、他に寝る場所ないしさ」

「う、うん、わかってるよ? 仕方ないって。でも、どうにもならないのよ……」

 言い淀む私を見て、彼は少し寂しそうに微笑んだ。

「真のこと、好きなのは本当なんだけどな……」

「もしかして、隠してる……というか、言ってないこと、ある?」

 彼の表情と、彼にしては珍しい言い切らない台詞で、なんとなくそう感じた。

「…………」

「私は、言ったよ? だから、次は貴方の番。話してほしい」

「……そうだな。いつかは、言わないといけないと思ってたんだ」

 深刻さを増す彼の不穏な言葉に、私の胸が警鐘を鳴らす。聞かないほうがよかったことなのかもしれないと。

 でも止めるには遅すぎた。彼はもう次の言葉を発していた。

「実は、真に遠慮というか……、これ以上はいけないって、自重してたところがある。そうする前に、一つだけ真に確認しないとって思いながらなかなか言えなかった」

 彼は私の望んだ通り、自分のことを話してくれている。受け入れなければならないのに、聞くのが怖い。

「臆病なのは、真だけじゃないよ。俺だって怖い。ほら」

 彼は私の心を読んだようにそう言うと、自分の胸、心臓の位置を指差した。耳を当てると、さっきよりも速い鼓動が聞こえた。

「これは焦燥感とか不安のせい。真のことが好きだから、言ったら離れることになるかもしれないって思うと怖くて、ずっと言えなかった」

 言葉を失った。

 知らなかった。彼がそんな葛藤をしていたなんて。

 私は怪盗団のリーダーだった彼のイメージをそのまま重ね、完全無欠の人だと思い込んでいた。でも、怪盗団をやれていたのは一年前の話で、今は普通の高校生だ。

 そんな彼にレッテルを張り、本当の心を知ろうとせず、重ね合わせようとしてこなかったのは私自身だと思い知った。

 途端、胸を締め付けられるような痛みが走り、心の底から絞り出すように謝罪の言葉が溢れ出た。

「ごめん……。全然、気付いてあげられなくて……」

「真が謝ることなんてない。怪盗団じゃない俺には勇気が足りなかっただけの話だ。……もう、ちゃんと話すよ」

「……うん。聞かせて」

 体の向きを変え、横に座る彼と顔を合わせた。真正面から向き合った。

 私も、もう逃げない。

「真は警察官僚を目指すんだよね? それは変わってない?」

 彼の告白は予想の外の話から始まった。

「え? う、うん。そのつもりよ。話した通り」

「……そうか。俺は、真なら順当にその道を進んでいけると思う。けど、夢を叶えることを考えたら、俺とこの先も付き合っていくのは真にとってマイナスにしかならないかもしれない。それでも付き合っていけるのか、確認させてほしかった」

 彼は真剣な眼差しで、私を見据えながら話した。口調も真面目そのものだ。

 その彼は私に問うている。今後も自分と付き合っていく覚悟はあるのかと。

 けど、まだそれには答えられない。

「答える前に、理由を聞かせて」

「うん。俺は警察じゃないし、警察関係者から直接聞いたわけでもない。けど、信頼できる筋に聞いて確認してから、たぶん大きくは外れてないと思う」

「何を、聞いたの?」

「警察という組織について」

 一呼吸おいて、彼は話し始めた。

「警察は生半可な組織じゃない。ましてや警察官僚は国家公務員の身分だから、結婚どころか付き合うだけでも組織を挙げてその相手の調査がされるところだ。上を目指すなら、獅童の件は晴れたとはいえ、怪盗団として前科のある俺なんかと付き合っていいことなんか何もない」

 私は彼の憂慮を黙って聞き続けた。ようやく彼の考えていることが、気持ちがわかってきた。

「要は……、俺は、真を支えるつもりだし離れたくないけど、同じくらい真の夢の足枷にはなりたくない。怪盗団をやってあんなことになった時点で、俺は日陰の人間なんだ。だから、俺みたいな人間との付き合いは……」

 彼が言い淀んだ隙に、口を挟んで発言を遮った。

 その先は、言わなくていいよ。そんな悲しいこと、もう考えなくていいんだよ。

「……よかった。何を言われるのかと思った。そんなことならとっくに知ってる。全部覚悟の上だよ。私だって、既に公安から目を付けられてるのよ?」

 私は彼の言葉を聞いて安堵していた。私自身に重大な問題があって、それが気掛かりで遠慮しているのかと思い浮かべていたから。

 そうじゃないなら、二人なら、なんとだってなるよ。

「……そんなこと? これがそんなことなわけないだろ。重要なことだ」

「いいえ。そんなの些事に過ぎないわ。私にとって何より大切なのは……、私の夢を見つけてくれた人の傍で、ずっと、一緒に歩んでいくこと。それだけだよ」

「真……」

 彼は呆けたように私の名を呟いた。

「私を救ってくれた貴方を失ってまで、目指したい正義なんてない。そんなの本末転倒よ。何もやましいことはしてない貴方が日陰に追いやられるというなら、そんな構造から変えてやるわ」

「……ははっ。なんか、気にしてたのが馬鹿みたいだな」

 彼は堅かった表情を、嘘みたいに崩して笑った。

「うん、バカね。また黙って、一人で抱えて……。でもね、私のことを大事に思ってくれてるから、そう考えたんだろうなっていうのもわかってるよ。……だからもう少しだけ私のこと、信用して、頼ってよ」

「ああ。こんなのは最後にするって約束する。もう、遠慮はなしだ」

「そうしてくれると嬉しいな」

 そう言うと、私も自然と笑顔になれた。

「強いね、真は」

「一人で抱えられる、貴方ほどじゃないけど……そうね。この強さは、貴方から貰ったものなんだよ」

「そっか。力になれてるなら嬉しい」

「……でもね、私のこの弱さも、貴方から貰ったもの」

 彼の首に手を回してしがみつくと、額を合わせた。透き通った瞳が数センチの距離にある。

「……私、もう貴方なしじゃいられないの」

「俺もだよ。真がいないなんてもう、考えられない」

 囁き合うと、彼が私の顔を両手で挟んだ。私は静かに瞼を閉じた。

 やがて唇に柔らかいものが触れ、少しして離れた。

 名残惜しさを感じて、ゆっくりと目を開いた。閉じる前と変わらず、彼はそこにいてくれた。

「……みんな上にいるのに、凄いことしちゃったね」

 言い終わるや否や、彼はまた私に口づけをした。初めての、目を開いたままのキス。

 終わりだと思って口を開いたのに、それは勘違いだと知った。それは始まりで、スゴいことはこれからだった。

 何度も唇を重ねた。音のない触れ合いから、徐々に啄むような音のするものに変わり始め、じきに、唇の隙間から私のものではないものが侵入してきた。

「…………!」

 ビックリしすぎておもわず顔を離そうとしたものの、私の顔は彼の両手で固定されていて動かない。

「~っ! んー!!」

 声にならない声を発し、彼の背中を必死で叩くと、ようやく侵略行為が終わった。

「っはぁっ……はぁっ……。な、ななな、何を、するの」

 息も絶え絶えになんとか抵抗の意思を向ける。未知の体験に頭はパニック状態だ。口の中に物凄い違和感があるけれど、なんだか脳が溶けているような恍惚感もある。

「もう遠慮しないって言っただろ」

 こんな場所でいきなりとんでもないことをしておきながら、彼は動じていなかった。なんなのこの人……。

 前言撤回。絶対普通の高校生じゃない。

「嫌だった?」

「い、いやじゃない、けど、今は、上に、みんな、いるし……」

 心臓がばくばく鳴っててうまく話せない。状況もそうだけど、いきなりで私の心の準備が出来ていない。というか、こんなのに耐えられるような日は来るのだろうか。

 そこで不意に階段から音が聞こえ身構えた。と同時に、いきなり頭を押さえ付けられて視界がひっくり返った。

 天井と、彼の顔が見える。私は椅子に横たわっていた。彼の膝を枕にして。

「ふぁーぁ……ねむ……。あ、お前何してんの?」

 竜司の声だ。

「ああ、コーヒーを飲んでた」

 彼は階段のほうに顔を向けて言った。カップを出してもいないのに、よく言う。

「あ、そ。双葉も寝ちまったから、俺も便所行ってちょい寝るわー」

「わかった。俺はもう少しここにいるよ」

 竜司の眠そうな相槌が聞こえ、お手洗いの扉の閉まる音が聞こえた。

「……バレてない?」

 空気を吐き出すような声で話しかけた。

「うん、大丈夫。そうしてれば見えないよ」

 さっきの行為の驚きを引き摺ったままなのか、隠れて彼に膝枕をしてもらっているからか、ずっとドキドキしっぱなしだ。

「あれ? そういや真は? 降りなかったっけ?」

 出てきたらしい竜司の声がまた聞こえてドキッとした。

 ど、どうしよう。私、上にも下にもいないことになっちゃうけど……。

「上で寝てるんじゃない? 下にはいないから」

 えぇ……。

「あれ、いたっけな……。ふぁぁ、まあいいや。どっかにはいんだろ。おやすみー」

「おやすみ」

 階段を昇る音が聞こえ、やがて元通りの静寂が訪れる。

「よくもまぁ、そんなに堂々と嘘を吐けるわね……」

 膝枕されたまま、見慣れぬ視点の彼に話しかけた。

「嘘は堂々とするのが見破られにくいコツだ。まあなんとかなる」

「なるのかな……。まあ、バレてもそれはそれで、別にいいか」

 この先も続けていくなら、なるべく早くそうすべきかもしれないしね。

「なんだか、凄いクリスマスになっちゃったね」

「二人きりのクリスマス、もう終わり? 25日はまだまだあるよ。……続き、したいんだけど」

 彼の残念そうな口振りに、私の心が疼いた。

「……朝になって、みんなが帰ったら……。うち、来る?」

 言いながら息が詰まりそうだった。さっきの続きは私の家でしようと、私から誘っている自覚があったから。

「お姉さんは、大丈夫?」

「うん。今日は泊まるって連絡したとき、お姉ちゃん明日も仕事だってボヤいてたから。誰もいない……と思う」

「なら、そうする」

 頷くと、彼の上着を布団のようにして顔を半分隠した。私の家で何が行われるかを想像してしまい、顔から火が出そうだった。

 感情が上に下にと乱高下したせいかな。少し疲れを感じ、目を閉じた。

「このまま、少し眠る?」

「……貴方は?」

「真の寝顔を見てるよ」

「恥ずかしいな……。あ、これ……」

 彼の膝の上で優しさに満たされると、勝手に掛布団代わりにしている彼の上着について言及した。

「ああ、一度様子見に来たときにね。そんなに肩を出して寝たら風邪引くよと思って。珍しいね、そんな格好」

 今日の私の服に初めて触れられて、驚きを隠せなかった。

「……気付いてたの?」

「いや、気付かないわけないだろ」

「な、なら、何か言ってよ。全然、興味ないのかと思ってたじゃない」

「真、みんな来るまで上着着たままだったじゃないか。全員いる前じゃなかなか言いにくいよ」

 思い返すと、私が上着を脱いだのは飾り付けの準備を始めたときだ。二人で話している間は着たままだった。

「そ、そうね。じゃあ、改めて。ど……どう? かな?」

 自信のなさから声が裏返りそうだった。

「似合ってる、可愛い。真はスタイルいいからなんでも似合うね」

「あ、ありがと……」

「まあ、あとで脱がせるつもりなんだけどね」

 寝たまま彼のお腹にパンチを繰り出し、バカと言い捨ててやった。

 恥ずかしさから反対向きに寝返りを打ち、狭い視界の隙間から舞い散る雪を眺めていると急激な睡魔に襲われた。

 でも、大丈夫。私の傍には彼がいる。一年近くの葛藤を乗り越え、ようやく対等な恋人になれた彼が。

 一人のときとは違う、心地好い微睡みの中で見るその光景は、もう寂しい記憶を呼び起こすものではなくなっていた。


* * *



 目を覚ますと、寝る前と頭の感触が変わっていた。膝の上じゃない。

 彼を探そうと慌てて起き上がろうとしたら、テーブルにおもいきり頭をぶつけてしまった。

「あいたた……」

「お、パイセンお目覚め」

「おはよ、真」

「なんかスゲー音したな」

「マコちゃん、大丈夫?」

 頭を擦りながら体を起こすと、上にいたメンバーが全員店内に降りてきていた。

「……あれ、今何時?」

「あー、6時半ってとこ」

 カウンターでココアを啜っている竜司から答えが返ってきた。

 ズキズキする頭で周りを見回すと、何か飲んでいるのは竜司だけでなく私以外のみんなだった。めいめいがリラックスした姿勢で湯気を立たせている。カウンターにいる彼が振る舞ったようだ。

 こうして見ると、彼がエプロンを付けてそこにいるのはとても自然な光景に見える。もしかして、……天職、なのかしら。

「ご注文は?」

 カウンターにいる臨時店主が私に問いかける。渋い梅昆布茶……はなさそうだから、別のもの。

「んー……寝覚めだし、濃いエスプレッソを頂ける?」

「かしこまりました」

 彼は大袈裟にお辞儀をして見せた。なんだか執事さんみたい。執事とか見たこともないけど。

「な、なんだその執事プレイ」

「えー、何その対応、ズルいー。私してもらってないー」

「君がやると違和感あまりないね、そういうの」

 昨日もしたやり取りだったけど、女子三人からちょっとだけ恨めしい視線を送られた。言っていた通り、私にしかしてないらしい。

 ……バカだなぁ。可愛すぎるよ。

 ニヤついた顔を誤魔化そうと、大きな欠伸をする振りをして顔を覆った。

「はー、もう眠くはねえけどダッリィな……。そろそろ帰るかー」

「ああ、真。寝ていたから知らないだろうが、後片付けはもう終わっているからな」

「え? そうなの?」

 出てきたエスプレッソを一口飲み、苦味に顔を歪めていると意外な事実が判明した。

「うん。真全然起きなかったからみんなでやっちゃった」

「マコちゃんが起きて、これ飲んだら帰ろうって話してたの。そろそろお店始まるから」

「……あー、ごめん。私、何もしてないね……」

 みんなに素直に謝ると、四方から別にいいよと暖かい言葉が飛んできた。

「いやー、ほんとぐっすりだったな」

「真パイセンの貴重な安眠シーン」

「しかもなんか幸せそうだったねー」

「何か、楽しい夢でも見てた?」

 春に訊かれ、口ごもった。彼の膝で寝ていたから、なんてことはまだ言えない。

 それより、寝顔をみんなに見られたことが恥ずかしく、私抜きで片付けを終えていたことが少し寂しい。手のかかる子が一人でできるようになった、という感覚に近いものだと思う。

「じゃあ、俺は一足先に失礼する。また来年も集まろう」

「おーよ! ってか別にクリスマスじゃなくてもいいな。まあ、また集合かけるわ」

「わたしも帰って寝直すー。竜司がいつまでもしつこかったから寝不足だ」

「俺のせいかよ……。んじゃ帰るわ、椅子で寝てたから体バッキバキだ。じゃあまたなー」

 遅くまで起きていた三人がいなくなると間もなく、春と杏も次の約束を心待ちにしていると言い残し、店を出ていった。あとは……。

「なー、オマエすぐには帰んないんだろ? ワガハイ、上で寝ててもいい? あんま寝られなくてよー」

「ああ、ちょっと出掛けてくる。帰るときにはまた店に寄るよ」

「オーケーだ。じゃあな、マコト。楽しめよー」

 ニャアフフゥという意味深な鳴き声を残して、モナは階段を昇っていった。もう、モナったら……。

 そして、まだエスプレッソを飲んでいた私と、カウンターの彼だけが取り残された。

「いつ出る?」

「んー、これ飲んでマスターが来たら行こっか?」

「うん。じゃあそれまでゆっくりしよう」

 そう言うと、彼は迷わず私の隣に腰掛けた。

 温かい珈琲と、大好きな彼のいる時間。永遠にして閉じ込めたくなるような空間。

「……私、幸せだよ」

 思ったことがそのまま口をついて出た。

「ならよかった。でも、これからはもっとかも。全力でいくから」

 彼はそう言って私の腰を抱いた。なんかもう、真っ直ぐすぎて焦る。困る。これまではほんとに、これ以上深めるのはよくないかもって遠慮してたんだ。

「その前に、貴方には受験があるでしょ」

 ここではまずいと思い、なんとかかわそうと試みた。

「さらにその前に、今日がある」

 けれどかわし切れなかった。

「……受験、私のせいで失敗とかやだからね」

「もし駄目でも、真のせいになんて死んでもしない。真は原因じゃなくて、理由だ。俺が頑張れる」

 ……ダメだ。心に刺さった。なんでこんなに私の心を掴むのが上手なの。

「し、しょうがないなぁ……」

 それから肩を抱かれ、引き寄せられ、流されるままに朝のキスを───する直前、ドアベルの音が耳に届いた。

「さぶさぶ、こりゃ結構積もるかも……、なぁ……」

 振り向いた私と、バッチリ視線が交錯した。

 あああ。このマスターの呆れたような目、昨日も見た。気のせいじゃない。

「……君たちはさ、その、いつもそういうことしてるわけ?」

「い、いつもはしてませんっ!」

 とりあえず弁解をしてみたが、二回目ともなると届いている気はまったくしなかった。そりゃ説得力ないよね……。

「あ、そう。じゃ、俺の間が悪いのかね……」

「若気の至りだ」

「お前昨日も至ってただろうが。至る前に時と場所と省みろ」

 ……面目ありません。

 マスターに平謝りし、赤い顔のまま逃げるように扉を開き店をあとにした。



「結構降ってるね。傘あったほうがよかったかな」

 外に出ると、歩くのに邪魔になる程度には白い綿が舞っていた。底冷えしそうなほどに風は冷たく、木々の上にはうっすらと霜のような雪が積もり始めている。

「今日は寒いな……」

 吹きすさぶ風に彼が大きく肩を縮こまらせた。厚手のコートを羽織ってはいるけど、確かに首元のあたりが寒そうだ。

 それを見て、鞄を探り中から紙包みを取り出す。ちょうどよかったかも。

「あの、これ……」

 言いながら、それを彼に押し付けるように手渡した。

「なんか、渡すタイミングおかしくなっちゃったけど……」

「ありがとう、真。……開けていい?」

 はにかむような彼の笑顔は、眩しすぎて可愛すぎてまともに見られない。変な顔になっているような気がして、目を逸らしながら話した。

「むしろ開けて? 役に立つと思うから」

 実用性を考えている時点で可愛くない思考のような気がするけど、これが私だから仕方ないなと諦めた。身に付けてくれるならそれが一番だし。

 彼は丁寧にラッピングとシールを剥がし、中のものを取り出した。

「似合うかなって思って選んだんだけど……。気に入ってくれると、いいな」

 選んだのは、暖色の落ち着いた赤と黒をメインとした、チェック柄のマフラーだった。色はジョーカーのイメージそのものでもある。

 彼は何も言わずにそれを首に巻いた。

「……似合う?」

「……うん。格好いい」

 これを選んでよかった。私、ナイス。

「ありがとう。暖かいよ」

「どういたしまして」

「けど、ちょっと長いな。……一緒に巻く?」

「魅力的な提案だけど、それはダメ。さっき場所を省みろって言われたばかりでしょ」

 彼は見たことのない、拗ねたような顔で唇を尖らせた。

 もう、仕方ないんだから。

「……うちでなら、いいよ」

「じゃあ、それで。今はこれで我慢する」

 急に手を握られ、彼のコートのポケットに引っ張りこまれた。

「じゃあ、行こうか。俺のプレゼントは着いたら渡すよ。ここは雪が降ってるから」

「あ、ありがと……。楽しみにしとく」

「しといて」

 ポケットの中でしっかり指を絡めると、二人で駅に向かって歩き始めた。

 雪のせいで前が見辛いけど、今は繋がっているから平気だ。私の人生すら、彼がいれば迷わずに済む。まるで道標とか灯台みたいね。

 そんなことを考えていると、ふと思いついた。

「……そうだ。昨日……今日か。貴方、自分は日陰の人間だって言ってたでしょ」

「うん。別に、そんなに自虐でもないよ。怪盗なんてその通りだと思うし、俺は日陰のほうが落ち着くから」

「そうね、去年の花火大会のときもそんなこと言ってたわね」

「言ったけど……よくそんなの覚えてるな。それで、日陰が何?」

「ああ、うん。貴方は日陰って言うけど、私にとっては日影だなって思って」

 私の言葉に、彼は大きく首を傾げた。

「あれ? 通じてない?」

「うん。何言ってるのかわかってない」

「貴方でも知らないこと、あるんだね」

「なんでもは知らないよ」

「じゃあ、試験には出ないお勉強」

 狭い路地を抜け、大きな通りに出た。

「貴方が言った"日陰"は思ってる意味通りで、光の当たってない部分のこと。でも、私が言った"日影"は、かげの字が違うの。陰るの陰、shadeじゃなくて、shadowのほう」

「そっちの影だと意味が違う?」

「うん。意味がね、真逆になるの。"日影"っていうのは日の光そのもの。影じゃなくて、光っていう意味。まあ別の意味もなくはないけど」

「影なのに光か」

「そう。私にとって貴方は……私の行く道を照らして、導いてくれる光。日陰なんかじゃないよ」

「……そう、ありたいもんだね」

 彼は、私の期待を笑って受け止めてくれた。

「大丈夫よ、貴方なら」

 少しの間足を止め、見つめあった。

「……私の夢って、凄く、大変だと思う。そもそも狭き門だし、なれたとしても忙しくなるのなんて目に見えてる。転勤だってどうなるかわかったもんじゃないわ。……でも、どれだけ頑張っても、私が一生かけたって犯罪はなくならない」

 少し歩いたところで信号に引っ掛かり、また立ち止まることになった。休日の早朝はまだ人もまばらで、横断歩道の向こう側に数人見えるぐらいだった。

「それでもね、私はお父さんの目指した正義を守りたい。犯罪に苦しむ人を一人でも多く救いたいの。だから……」

 彼を見上げると、力強く優しい瞳とぶつかった。

 その先は、言わなくてもわかってる。そんな声が聞こえた。

「真はそのままで大丈夫。足りないところは俺が補って、支えてやる」

 その言葉を何よりも頼もしく感じて頷くと、彼は悪戯っぽく微笑んで、言った。

「陰ながら、だけどね」

 私は目を閉じ、笑みを溢した。

 こんなに目映い影、私は見たことないよ。

 視線を落とすと、少し弱まった雪の中、二人の作る影が薄く伸びていた。

 信号が変わり、向こう側で待っていた人がこちらに向けて動き始める。

 私は彼にもう一歩寄り添い、腕を胸に抱えるようにしがみついた。

 こうして互いの影を重ね合わせると、ずれることのないよう歩幅を広げ、私たちは二人の未来を歩み始めた。


また長くなった、妄想止まりませんね

エピローグ(冴さん編)は蛇足っぽく感じたので削りました、pixivにでものせときます
ここまできたら杏も書きたいけど、杏か……まあ、気が向いたらまたそのうち

読んでくれた方、レスくれた方ありがとう愛してる
コメントほんとに嬉しいですほんとに

では機会があればまたどこかで、あでゅー

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