【モバマスSS】 覆水盆に返らず 【SF】 (14)

「……それじゃあ、私、行ってくるから」


そう呟き事務所のドアノブを掴む凛に、俺は短く、

「……ああ」

とだけ、答えた。

凛はたったそれだけか、と言わんばかりの表情を一瞬だけ作り、
その後凍り付いたような、まるでゴミでも見るような冷たい、見下すような眼差しを俺に向けながら、
無言でドアを出て行った。

それを見送り、俺は深くため息をつきながら、呟く。


「……なんでこんな事になっちまったんだろうなぁ……」


俺は事務所の来客用の上等のソファーに身体を深く沈ませながら、スーツの胸ポケットから煙草を取り出した。


ソフトケースの煙草入れには、もう一本も中身が入ってない。
その事に気付いた俺は、苛立たしげにソレを握りつぶし、部屋の片隅の屑籠に叩きつけるように放り投げた。

ゴミと化した煙草入れは、屑籠に入らないどころかその淵に当たり、
その勢いで屑籠は倒れ、部屋の一角にゴミを盛大に撒き散らした。


何もかもが上手くいかない―― 


まるで今のこの事務所のようだ、と、俺は倒れた屑籠を虚ろな視線で眺めながら思っていた。




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全ての躓きの始まりは、まだ俺が346プロに所属していたプロデューサーだった頃、
アメリカ帰りの常務に俺の進めていたプロジェクトの白紙を告げられた時だった。


当然、俺は一方的な通告に憤慨した。

自分の進めていたプロジェクトが水泡に帰した事もそうだが、
何よりアイドル達の今後の活動が一切白紙にされた事に激しい怒りを覚えたのだった。

彼女たちのこれまでの頑張りを一切無駄にするのか。
俺はその事に何よりも許せない憤りを感じたのである。

結果、常務と激しく衝突した俺は勢いで辞表を会社に提出。
アイドル達を連れ、独立して事務所を立ち上げる事を決意した。

俺が担当していたアイドル達もほとんどが俺の考えに賛同してくれ、
少なくない数のアイドル達が俺に付いてきてくれた。

新しい事務所も決まり、今迄の人脈を生かし仕事も大量に舞い込み、門出は順風満帆、の、筈だった――


しかし、古巣の346プロは腐っても老舗の芸能プロ、業界における影響力は相当なものがあったのだ。

上司に逆らって会社を辞め、あまつさえアイドルを大量に引き抜いた男を見過ごす筈が無い。
その影響力を使い、俺に仕事を廻してくれた人達に徐々に圧力を掛けて来たのだ。

346プロだけではない。他の事務所も巻き込んで、だ。

大手の芸能プロの横の繋がりは強固な物が有る。
あっというまに包囲網が完成され、俺の事務所の仕事は減り続けた。


注目株のアイドル達を多数抱えているとはいえ、仕事が無くてはどうにもならない。

徐々に追い詰められて行く経営。

やがて焦った俺は、事務所を守る為にどんな仕事でも受け入れる様になっていた。


今まででは考えられないような際どい水着のグラビアや、卑猥なイメージビデオ等の出演等にもだ。

アイドル達には耐え難いものがあったのだろう。

仕事が無い事には耐えていたアイドル達も、やがて櫛の歯が欠けるように一人、
また一人と暗い顔で事務所から去って行った。


そんな中でも一番の売れっ子である俺が最初にプロデュースしたアイドル、
渋谷凛だけは俺に黙って付いて来てくれた。


凛はたとえ顔から火が出るような衣装を着せられようとも、どの様な際どい台詞を吐かされようとも、
俺を思い、信じて付いて来てくれた。

凛とは長い付き合いで公私ともに関係は深い。
どんな仕事にも弱音を吐かず、辛い目に合っても表情を変えず、俺を支えてくれた。

俺もそんな凛の思いに答えようと、ただひたすら努力した。したのだ。

しかし、努力だけで事態が好転するのならこの世に失敗者など存在しない。

事務所は尚も傾き続け、資金は底をつき、
俺の事務所は倒産寸前にまで追い込まれた。

絶望に頭を抱える俺。


そこに舞い込んできたのは、ある映画監督の最新作の話である。

この監督は寡作で数年に一度しか映画を撮らないが、完成した作品はどれも素晴らしく、
そのほとんどが大ヒットしていた。

その作品に選ばれたキャストも勿論、出世が約束される。
数年前に賞を取った映画のあるキャストなどは、その後大河ドラマのヒロインにまで抜擢され、
現在の活躍も相当なものがある。

一発逆転を掛け、俺はこの監督に事務所のアイドル達を全力で売り込んだ。

この監督クラスの大御所ならば346プロと言えどそう簡単には圧力はかけられない、そう踏んだからでもある。


しかし、交渉した結果その監督から突きつけられた条件に、俺は目の前が真っ暗になる程の絶望を覚えた。


お前の事務所の看板アイドル、渋谷凛を抱かせろ―― 

それが監督が事務所のアイドル達を自分の映画に起用する条件だった。


この監督は確かに作品は素晴らしい。

が、素晴らしい作品を作る人物が必ずしも人格者でない事は、往々にして悲しい事実である。


この監督もその例に漏れず、非常な好色で知られていた。
枕営業を露骨に求めてくる悪癖があったのだ。

俺は当然苦悩した。

事務所を守る為とはいえ、自分が初めてプロデュースした大事なアイドルである。
なにより自分を慕ってくれている子を、自分も好ましく思っている女性を、枕営業に差し出せるのか――


俺は、一晩中悩み、悩み、悩みぬいて、恥ずかしい事だが酒の勢いも借りて――



凛に監督に抱かれてくるように命令した。



その時の凛の表情は覚えていない。

泥酔していたし、正直、申し訳なさすぎて顔も碌に見れなかった。


凛はその時、一体どんな絶望の表情を浮かべていたのだろうか。

今こうして想像するだけで、胸が潰れそうな程、締め付けられそうになる。







そして翌日―― 

監督の滞在するホテルに向かう前の凜は、
二十歳を少し越えたとはいえ、まだ幼さの残る顔つきには痛々しい程濃い化粧を施し、
監督の好みに合う様に胸元は大きく開き、
スカートもかなり短い派手な服装をしていた。

今、目の前にいる女性が何時もの渋谷凛と同一人物とは、俺には到底思えなかった。

そんな格好をした凛が事務所を出ていく時に、俺に投げかけた視線――

ゴミを見るような冷たいあの眼差し――

あの視線が瞼に焼き付いて離れない。



最初に出会った時、凛はスカウトする俺に怪訝な眼差しを向けていた。

しかし、アイドルになってプロデュースを重ねるごとにその瞳は優しく、暖かく変化していった。


そして数年前からは思いの籠った眼差しで見つめてくれる様になり――

ここ最近は俺を気遣いながらも励ます様な柔らかい眼差しで――


そして今、彼女から向けられた視線には、
最早一片の愛情も残っては居なかった。


当然だろう。

自分の担当アイドルを枕営業に差し出すプロデューサー。 
自分の仕事のために想い人を差し出した彼氏。

何処から如何見ても最低の人種じゃないか。


天井をぼんやりと眺めながら、自嘲の乾いた笑いが喉から湧いてきた。



死のう。



ごく自然にそう思った。


もう事務所に残ったアイドル達はほとんど居ない。

守りたいと思ったアイドルからはゴミを見るような目で見られた。

必死に守ろうとした物はもう何も残っていない事に、今更気付いたのだった。


俺はソファから力無く立ち上がると、棚に置いていたビニール紐を取り出し、
むき出しになった天井の梁に何重にも巻き、椅子に上がり、そこに首を掛けた。

此処から飛び降りれば、楽になれる――


そう思ったその瞬間、そこに急激に光の玉が部屋の中央に出現した。

何事かと呆然として見つめていると、光の玉は急速に収束し、その場所から初老の女性が姿を現したのだった。

余りの驚きに言葉を失っていると、その女性は俺の方を一瞥し、

「間に合ったようだな、助けに来たぞ、助手」

と、ニッといたずらっぽい微笑みを浮かべた。

俺はその微笑みとその声、なにより俺を助手と呼ぶ物言いをする人物には一人だけ、心当たりがある。

ついこの間まで事務所に所属していたアイドル。
天才的な頭脳の持ち主で、個人では考えられない様なメカを何体も作り、何時も俺たちを驚かせていた一人の少女――


「まさか…晶葉 なのか…??」


この前までは確かに少女だった筈だ、だが今のこの齢を経た有様は…??
俺が恐る恐る尋ねると、彼女は

「他に誰が居るんだ??」

と、不敵に笑い、自分は40年先の未来から来たと告げた。

40年前、晶葉がアイドルを辞めてから程なくして俺は今しようとした様に首を吊り、自殺したらしい。

それを聞いて晶葉は深く後悔したそうだ。
自分の頭脳なら助ける事が出来たのではないか、少なくとも相談に乗るくらいは、と。

その想いは日々募り、彼女をある研究に没頭させた。

曰く、時を越える装置。
タイムマシンの研究に。

そして紆余曲折の末に装置は完成、そして俺が自[ピーーー]るのを助けるために、
今度こそ俺を救う為にタイムマシンを使い、この時代に助けに来た、と晶葉は俺に告げた。


40年もかかってしまったがね、と薄く笑いながら。


そして、俺にタイムマシンを手渡し、全てが狂った過去へと戻る様に告げた。


あの、皆が笑顔で日々を過ごしていたあの日に戻り、全てをやり直してくれ、と。

俺も、装置を受け取りながら、その提案を受け入れる事にした。


例え今死んだ所で、周りの人間に辛い想いをさせた事実は消えない。

何より凛にあんな思いを、あんな表情をさせるくらいなら――


それならば全てを無かった事にしたい。


そう思い、俺は全てを始めからやり直すことを選択したのだった。



装置を身につけボタンを押すと、周りの世界は急激に歪み始め、
晶葉が見守る中、俺の意識は溢れ出した光に飲み込まれたのだった…。





「プロデューサー、起きて…。携帯、鳴ってるよ…?」


優しく揺り動かされた肩の感触に目を覚ますと、其処は先程まで居た俺の事務所では無かった。

数年前まで所属していた346プロ、その机に突っ伏して眠っていたようだ。

俺を起こした声の方へと振り向くと、そこには先程までとは別人のように優しく微笑む凛の姿があった。

慌てて跳ね起きた俺は、吃驚している凛に今は西暦何年の何日だ、と大声で尋ねた。

凛は目を丸くしながら、

「急にどうしたの…??20XX年の×月×日だけど…」

と答えた。

俺は思わず心の中でガッツポーズを取った。

いや、実際にしていたかもしれない。

その日は、俺が常務と喧嘩をして346プロに辞表を叩きつけた日。

ここは紛れもなく俺が346プロをクビになる前の世界だった。

ここならやり直せる、人生をやり直せるんだ。

そう思った俺は歓喜の叫び声を挙げ、隣にキョトンとした顔で立つ凛に向かい、思いっきり抱きついた。

顔を赤くして、

「ぷ、プロデューサー!いきなり何するのッ!?」

と恥ずかしそうに身を捩る凛。

その様子に気づいた他のアイドル達が、俺達の周りに集まって来て、抱き合う俺達を口々に囃し立てる。

その顔は何れも笑顔であり、俺の前から去っていた時のあの暗い表情をしているアイドルは1人もいなかった。

俺はそれを見ると更に嬉しくなり、涙ぐみながら凛を抱きしめる腕に力を籠めた。

そんな俺の様子を見て、何やら感じ取るものがあったのか、
凛は諦めたようにため息を吐くと、俺に身を預けたままそっと俺の身体を抱きしめ返してくれた。

俺はそんな凛を改めて愛おしく思うと共に、二度と凛を、
そして周りのアイドル達を不幸な目に合わせる事はすまい、と心に強く誓ったのだった。

携帯の呼び出しは、数年前俺がクビになった原因である、あの常務の呼び出しだった。

俺は今度は常務の宣告を抵抗せず、全面的に受け入れた。

しかしその場でいくつかのアイドル達が活躍出来る代案を、すぐさま常務に提案した。
常務はそんな俺の反応に意外な顔をしながらも、提出された代案のいくつかに肯定的な反応を示してきた。

それはそうだろう。この人も無能ではないのだ。

しっかりとしたビジョンを示すなら無理無体を言う人では無い。

そして俺のこの代案は、数年先の芸能界の流行を完全に把握した、いわば正解をカンニングしたようなモノである。

確実に成功する。

常務もそれを長年の経験で敏感に感じ取ったのだろう。

俺の意見を優先的に取り上げてくれ、結果、アイドルたちは以前にも増して成功するようになったのだ。


そして、今度こそ順風満帆の儘、数年が経過した。

俺はあの過去に戻った日に合わせてトップアイドルとなった凛にプロポーズをする事にした。

もう二度と凛を悲しませたりしない。

一生を掛けて彼女を幸せにする、そんな俺の覚悟の表れでもあった。

凛は涙を浮かべて俺のプロポーズを了承してくれ、俺達はめでたく式を挙げる運びとなった。

式の当日、美しいウェディングドレスに身を包み、周りのアイドル達の祝福に喜びの涙を流す凛。

俺はそれを横で眺めながら、本当に人生をやり直して良かった、とつくづく思っていた。

晶葉には本当に感謝してもし足りない。

涙で崩れた化粧を直しに凛が控室に戻った時に、俺はそんな事を考えていた。

そして戻ってきた凛と腕を組みながらバージンロードを歩く。

神父の前までたどり着き、生涯凛を幸せにするという誓いを告げながら、口付けをしようと凛のベールをまくり上げた。

その瞬間、違和感を感じた。

凛の顔に浮かんだ歪んだ微笑み。

先程までの表情とは打って変わった俺を見つめる憎しみの眼差し。

そして、ウェディングドレスの下から走り出て来た、鈍い金属の輝き――

それらが視界に入って来た瞬間、同時に教会の扉が外から乱暴に開け放たれた。

そこには俺にタイムマシンを託したあの初老の晶葉がいた。
頭から血を流し、扉に靠れながら俺に警告の叫び声をあげる。



「逃げろ!助手!!その凛は…前の世界の凛だ!!」

一瞬、言葉の意味が解らず、頭の中が真っ白になった。

その瞬間、俺の下腹部に鋭い痛みが走る。

見ると、凛がドレスの下に隠した出刃包丁を取り出し、俺の脇腹に深々と突き刺していた。

俺が余りの激痛に呻きながら凛の方によろけると、凛は憎々しげに顔を歪めながら、突き刺した包丁に空気を入れる様に、俺の脇腹を抉り続ける。

新たに送り込まれた激烈な痛みに、遂に俺は絶叫を挙げた。

その叫び声にも凛は眉ひとつ動かさず、

「アンタだけが幸せになるっていうの…?? 人に枕営業までさせといて…??
アンタは綺麗な体のアタシと一緒になるっていうの?? 
そんなの……そんなの、許せる訳がないでしょッ!?」

床に崩れ落ちた俺の身体を見下ろしながら、鬼の様な形相で凛が叫んだ。

周りのアイドルが挙げる恐怖の叫び声、逃げ惑う参列者。
その混乱の中、血だまりの海の中で苦しみにもがく俺の有様を見て、狂った様に笑い声をあげる凛。


俺はその狂気の光景を見上げながら、全てを悟った。


前の世界で枕営業の事が終わり、ホテルから出た凛は事務所に戻ってきたのだろう。

俺に恨み言の一つでも言うつもりだったのかもしれない。
そこで、俺にタイムマシンを手渡した晶葉と出会ったに違いない。

そして今回の計画を聞き、激情。
激しい怒りに駆られたのだろう。

暴力で晶葉からタイムマシンを強奪し、俺をこの世界まで追ってきたのだ。

そして、化粧を直しに行った此方の世界の凛を捕まえ、自分が入れ替わり、何気ない顔で式場の俺の横に並び、機会を待ったのだ。


そして俺の幸せの絶頂、誓いの言葉のこの時に、復讐の刃を突き刺さしたのだ――


そして、計画は成就した。



もとより俺には、凛を責める資格などない。

こう言う末路を迎えても、寧ろ当然と言える。
恨みなど一片も無い。


ただ、一つだけ後悔している事がある。
その事だけが、只々、辛かった。


俺はついに彼女に許されなかった――
凛を幸せに出来なかった――


その事だけをひたすらに悔やみながら、
俺はその哀れな短い生涯を終えたのだった――


【終】

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年12月02日 (金) 17:41:32   ID: 0GF2iRVb

おいいいいいいいいいいいいいい!
タイトルの時点で嫌な予感しかなかったけど…

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