あせる。
あせるあせる。
一秒でも早く。一歩でも先に。そう思い、焦る自分の心とは裏腹に、戦車は一定のスピードで前に進んでいく。
わかっている。操縦手も最高速度で走行してくれていることくらい。
でも、一秒でも早く、一歩でも先に。そうしないと、そうでないと。。。
パーンと、遠くで何かがはじけるような音。車内で音がうゎん、と反響する。
頭に音が響き、軽いめまいがする。間に合わなかった、という後悔で体がしびれる感覚。
『フラッグ車、走行不能!勝者、BC自由学園!』
ノイズ交じりのアナウンスが鳴り響き、高らかに私たちの敗北が宣言された。
***
大洗女子学園は規模が小さいことと、“ある一点”を除けば、ごくごく一般的な学校艦だ。
町には一通りのお店や設備がそろい、学校の成績は平均的なレベル。
生徒たちの一番の楽しみは、たぶん他の学園艦の生徒と同様、月に一度、母港に入港することで。
現にそれを明日に控えた今は、クラスの子たちはその話題で持ちきりである。
「私、新しい服買いたいんだー。大洗じゃないとかわいい服、そろってないし。」
「私はケーキ食べたいなぁ。艦内のお菓子屋さん、ずっとラインナップが一緒なんだもん。
そろそろ新しいもの、食べたいよぉ。」
「あー!やりたいことが多すぎて、お金が全然足りないよ。でも、楽しみだね。明日の寄港!ね、隊長!」
空白の時間が数秒流れて、ようやくそれが今の私のあだ名であり、私に向けられた言葉なのだと思い至る。
「え…。あ、うん。」
物思いに耽っていた頭はとっさのことにうまく動いてくれず、曖昧な返事しかできない。
「もー。何ぼーっとしてんのよ。たーいちょー!」
「そうそう。高校戦車道に名高い、大洗女子学園戦車道の隊長なんだから、しっかりしてよね。」
笑顔で話しかけてくる彼女らに、もちろん悪意などは無く、純粋に休み時間の会話を楽しんでいることが分かる。
ただ、その言葉に勝手に傷ついている私がいるだけで。
「ごめんごめん。ただ、今日はポカポカ暖かいから。なんだかウトウトしちゃって。」
「まったく。そういうところは前の隊長似だよね。あの人も、学校で見かけるときは、いつもぽやーっとしていて。」
「わかるわかる。私、あの人が電柱にぶつかるところ、何度か見たことあるもん。」
「私も見たことある!でも、試合の時は人が変わったようにきりっとして。かっこいいよね。」
「そりゃそうだよ。だって、私たちの学校の救世主だもん!」
「こうして、まだこの学校に通えているのも、彼女と戦車道の人たちのおかげだもんね。」
三人が一斉にこっちを見る。
「もちろん、あんたにも感謝してるよ!」
こんな、私を。尊敬のまなざしで。
「でも、だから頑張ってよね!隊長!」
あの人とはまるで違う、私を。期待の目で。
「今年もばーんと優勝しちゃってね。」
今すぐここから逃げ出したい。
「ね!澤隊長!」
***
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大洗女子学園、といえば今ではもう戦車道の強豪校というイメージが世間に広く定着している。
長年廃部となっていた学校が、新造チームで初参加初優勝。大学選抜を打ち破り、続く次年の全国大会でも
優勝して連覇を果たした。
強豪校、と言われるにふさわしい輝かしい実績。
他の強豪校とも交友が深く、先の対大学選抜戦での高校連合は、今でも語り草だ。
でも、これからはそのイメージもどんどん崩れていくのではないか、と自嘲ぎみに思う。
新チームとなってから公式戦の経験はないものの、練習試合は連戦連敗。イメージが悪くなるには、十分な”実績”だ。
連敗の理由はわかっている。
公式・練習含めて大洗女子学園が最後に試合に勝ったのは、昨年の全国大会決勝。
あの人、西住隊長が最後に指揮を取ったあの試合まで。
そう。敗戦の理由はわかっているのだ。はっきりと。
やめてしまおうか、他の人に隊長を譲ってしまおうか、と思ったことは数え切れないほどあった。
幸い去年、今年と戦車道経験者が複数人入部してくれたこともあり、層の厚さは2年前とは比べ物にならない。
今年は中学戦車道で名を馳せた有望株も入学し、1年生ながら車長として活躍している。
彼女は私なんかよりよっぽど、ずっとうまくみんなを指揮できるに違いない。
でも、それでも今まで隊長を続けていたのは、受け継いだからだ。
ポケットの中に入れた隊長腕章をギュッと握りしめる。
『澤さんがどんなチームを作って、どんな戦車道を見つけてくれるのか、楽しみにしてるね。』
想いも、あの人から受け継いだと思っていたからだ。
でも、もうそんな形のないものだけを頼りに頑張り続けるのは限界なのかもしれない。
高校から戦車道を始めた私は、経験が圧倒的に足りなかった。
だから、西住隊長から隊長を引き継いだ当時は気づけていなかったのだろう。
座学に取り組み、練習試合を重ね、しかし自分のスキルが磨かれれば磨かれるほど、彼女の天才性が、
自分との埋めがたい差が、はっきりと見えてきてしまう。
まるで空から見ているかのような戦場把握能力。相手の出方をぴたりとあてる先読み。
虚を突き圧倒的不利を覆す、奇抜なアイデア力。
どれもが私には欠けており、どれだけ努力したところで到底追いつけるものではないと日々自覚させられている。
「梓ちゃん?」
声をかけられ、ハッと我に返る。
一瞬、自分がどこに立っているのか、分からずに焦る。
周囲を見渡し、ここが戦車車庫の前だということに思考が至り、目の前に整列する戦車道メンバーを見て、状況に頭が追いつく。
「大丈夫?」
横ではあゆみちゃんが心配そうにこちらの表情をのぞき込んでいる。
「大丈夫です。副隊長。」
こほん、と咳払い。
浅くなった呼吸を整え、メンバーを見渡す。
「それでは、今日の練習を始めます。みなさん、戦車に乗り込んでください。」
はいっ、という返事とともに、皆各々の戦車に向かってかけていく。
「梓ちゃ、隊長、本当に大丈夫?」
「ありがと。でも本当に大丈夫。ほら、みんな待ってるよ。車長が早く行ってあげないと!」
まだ心配そうにこちらを見るあゆみちゃんを送り出し、私も自分の戦車に向かっていく。
先輩たちが引退して、新チームになってから、部隊編成も大きく変わった。
戦車道経験者が入学してくれたとはいえ、半数以上は未経験者なのだ。
また、受講者の数が増えるにしたがって新しい戦車が増強され、ウサギさんチームのみんなも、
それぞれ新しいチームで車長として頑張っている。
「お待たせ。じゃ、乗り込もうか。」
チームメンバーに声をかけ、茶色の車体によじ登る。
マシンの名前はⅣ号戦車。エンブレムマークはあんこう。
これも、あの人から受け継いだ、私には不釣り合いなもののひとつだ。
***
全体練習後の自主練習も終え、くたくたになりながら帰宅したものの、また熟睡できないまま朝を迎える。
今日は幸い休日だ。布団の中で少しゴロゴロしていたが、ボォーと汽笛の音が鳴り響いたことで、入港が近いことに気づく。
正直、遊び歩く気分じゃない。でも、このまま家にいても同じことだ。気分転換をするにはぴったりの機会なのだと自分に言い聞かせ、
だらけたいと叫ぶ体を引きずって、何とか身だしなみを整えて家を出る。
特に行きたい場所も目的もない。
そういえば昨日、昔のウサギさんチームのみんなから一緒に遊びにいこうと誘われていたっけ。
戦車がケーキを運んできてくれる喫茶店に行くと言っていた気がする。
その場で断ってしまった手前もあり、逆に行きたくない場所はできてしまった、と苦笑する。
なんだか最近は、プライベートでみんなと顔を合わせたくないのだ。みんなが心配してくれているのはよくわかっている。
その気遣いは泣いてしまうほどうれしいし、甘えてしまいたくもなる。でも、いざその優しい空間に置かれたとき、
みんなの前でうまく笑える自信が、今の自分には無い。
考えがまとまらないまま、タラップを降りて、大洗港に立つ。
久しぶりの陸地なのに、なんだか足取りがふわふわしているような感覚。
「あ、あの。」
そこに。ふいにかけられた声に、ばっと前を見る。
「久しぶりだね。澤さん。」
髪をいじりながら、はにかんでいるその女性。
「その、えっと。なんだか会いたくなっちゃって。」
小柄な背丈に栗色の髪。柔和な表情と声。でも今日はそこに少し、張り詰めたものを感じる。
「ちょうど大洗に学園艦が帰港するって、聞いたから。」
今、世界で一番声が聞きたくて。話をしたくて。でも、絶対に会いたくない人が目の前に立っていた。
「西住、隊長。」
かすれて、ほとんど音にならない声が出る。
耳鳴りが始まり、喉がカラカラと乾いていく。
***
場所を港近く、海岸沿いにある公園に移し、ベンチに並んで腰かける。
港からここに来るまで2、3言葉を交わしたが、内容がもう思い出せないから、当たり障りのない、なんてことのない会話だったと思う。
ベンチに座ってからは、お互い一言もしゃべってはいない。西住隊長は、何度か口を開きかけ、
何かを話そうと、切り出そうとしているみたいだけれど、上手く言葉にならないようだ。
でも、さっき顔を合わせたときに感じた、翳りのようなものがより表情に表れていて。
だから私も、なぜ西住隊長が会いに来たのか、すでに察しはついていた。
「あの…。えっと」
また。彼女は何かを話そうとして、口を閉じ、顔をうつむける。
(早くこの人と別れたい。)
正直、久しぶりに会った先輩にこんな感情を抱いてしまうのは、少し。いやかなり嫌なやつだとは思う。
しかし、早く話を切り上げて、今すぐにでもここから立ち去りたかった私は、自ら話を切り出した。
「あの。西住隊長すみません。最近の私たちの対戦成績を見て、心配してきてくれたんですよね?みっともなくて、本当に嫌になります。」
私が口を開いたことで、少しほっとした表情でこちらをみた西住隊長は、ネガティブな私の発言を聞いて、とても悲しそうな表情となった。
そんな顔は見たく、させたくなかったのに。
その悔しさからか、恥ずかしさからか、返答を待たずに私は話し続ける。
「大洗女子学園の輝かしい戦績に、泥をぬっちゃいました。せっかく西住隊長から隊長を受け継いだのに。
私を信頼して、任せてくれたのに。全然、期待にも沿えずに。むしろ裏切ってしまっ」
「そんなことない!」
私の話をさえぎった大きな声に驚いてで彼女の方を向き、そして、その目に涙がたまっていることに今更気が付いた。
「そんなこと、ないよ…。」
同じ言葉を、今度は消え入りそうな声で繰り返す。
「澤さん、頑張ってるよ…。分かるよ。」
頑張っている。そうだ。がんばっている。でも。
「私、忙しくて試合を見にいけない時でも、大洗の試合内容は必ず見ているの。」
やめて。
「いつも惜しいところで負けちゃうけど、だから、分かるよ。」
やめてやめて。
「みんなのことを大切にして。戦場の隅々まで気を配れていて。そんな澤さんらしさが試合会場にいなくても伝わってくるの。」
やめてやめてやめて。
「まだ結果は出せていないかもしれないけれど。でも、いつかはきっと。」
「やめて!」
ドロドロと頭に渦巻いていた、けして声に出すまいとしていた言葉が、口からこぼれていた。
「やめてください!いつかなんて!私は、今勝たないといけないんです!後を託してくれた先輩方に。私を信じてついてきてくれるチームメイトたちに!
私は勝って、証明しないといけないんです!間違ってなかったって。信じてくれてありがとうって!西住隊長は、天才だから。勝って結果を残しているから!
いつかなんてそんなことが言えるんです!そのあなたの、天才の後を継いだ凡人の気持ちなんて。わかるわけがないですよ!
大洗はもう、大会2連覇の学校なんですよ!あなたのせいで!」
一度開いた口は、止まらない。頭の中ではもうずっと耳鳴りが響いていて、思考がぐちゃぐちゃで何を話しているのか、自分でもわからない。
ただ。去年、隊長を引き継いでからずっと抱えていた不安や申し訳なさや怒りや自分への失望が、ない交ぜになって口からあふれ出ていた。
「澤、さん。」
私の喚き散らす大声に対して、か細い、とても小さい声だったにも関わらず、その声ははっきりと聞こえた。
でも、その声色から想像できる、西住隊長の今の表情を見るのが怖くて。申し訳なさ過ぎて。
「…すみませんっ!」
投げつけるように言葉を発して、返事を聞かずにその場から駆け出した。
***
走る。
走る走る。
つまづいても、とにかく走る。
いや、そうだ。逃げているのだ。西住隊長から。隊長の重責から。みんなの期待の目から。
逃げて逃げて。どこまで距離を開けても逃げられないことはわかっているくせに。
前を見ずにやみくもに足を動かして。だから、すぐ目の前に来るまで、前に人がいることに気が付かなかった。
(ぶつかる)
どろり、と時間が滞ったように、風景がスローモーションに動く。
でも思考はそのままの速度で。だから不思議と冷静に周囲を確認できた。
目の前にいるのは女性だ。右手にはスマホを持って耳に当てているから電話をしていたのだろう。
振り返ったことでたなびいた銀色の髪が、太陽の光を浴びてきらりと輝いた。
(よけて!お願い!)
体はうまく動かず、ギュッと目を閉じる。
ぼふっと相手の胸に飛び込んだ衝撃はそこまで強くはなく、直後足がふわっと浮く感覚。
そのまま体がもつれて倒れこんでしまったが、相手がクッションとして衝撃を和らげてくれたおかげで、
こちらは大した衝撃ではなかった。
「いたた。なんなのよ。急に。」
頭の上から声がする。
その声に、なんとなく聞き覚えがあって上を向くと。
「でも、ちょうど会えてよかったわ。」
逸見エリカさんが私を抱きとめていた。
***
「えぇ、そう。あんたが何て言ってるか、ベソかきすぎて全然わからないけど、ようは後輩を探してほしいってことでしょ?」
逸見さんとぶつかった後、その場で倒れこんでいるわけにもいかず連れだってすぐそばのカフェに入った。
いや、茫然自失の私は手をにぎられ、引っ張って来られた、のほうが正しいかもしれない。
「そうよ。ついさっき、偶然会って今一緒なの。早く来なさい。近くのカフェにいるから。」
逸見さんはその間もずっとスマホで話を続けている。でも、おかげで無理に会話をする必要がないから、
私も居心地の悪さを感じずにここにいられているのかもしれない。
「もう!何をごにょごにょ言ってるのよ!今すぐ来る!いいわね!」
どうやら電話の相手は西住隊長らしい。時折、電話越しに漏れ聞こえる泣き声に、きりりと胸が痛む。
通話を終了し、ふぅ、と小さくため息。逸見さんの切れ長の目がすっと動き、私を正面にとらえた。
「…すみません。ご迷惑をおかけして。」
まっすぐに見つめられたその視線に耐え切れず、何とか口を開くが、上手く声が出ない。
逸見さんはいつもの表情、つまり怒ったような、あきれた顔を浮かべたが、何も言わずにメニューを差し出した。
困惑している私に、またふぅ、とため息をついて
「あれだけ走り回ったんだから、喉も乾くでしょ。おごったげるから何か頼みなさい。」
意外な言葉に驚いて顔を上げると、私の考えが顔に漏れてしまっていたのか、困ったような表情の逸見さんがいた。
その顔が、なんだか転んで泣きじゃくっている妹をあやすような、そんな表情に見えて。
タガが外れたように泣きじゃくってしまった。
***
「あの子がここに来た理由も知っているし、あなたの今の状況を見てなんとなく察しはつくけど、なにがあったのか教えてくれる?」
泣き止んだタイミングを見計らって掛けてくれた優しい言葉に、私は隊長就任からついさっき起こったことまで、全部話してしまった。
まとまりのない私の話を、相槌を打つだけで静かに聞いてくれた逸見さんは、私が話し終わったのを見ると、一呼吸おいて、ぼそっとこうつぶやいた。
「つらいわよね。」
また、意外な言葉。
会ったことは数えるほどしかなく、直接話したこともなかった私は、逸見さんは自分にも他人にも厳しい、冷たい人なのだと思っていた。
「また、意外だなって顔してるわよ。考えが顔に出すぎ。」
赤面して下を向くが、その通りのことを思っていたのだから仕様がない。
でも、苦笑交じりの言葉は、口調こそ強いが、そこに含まれる優しさが感じられた。
「私が何年、あの天才たちと付き合ってきたと思ってるのよ。その気持ちは分かりすぎるほどよくわかるわ。」
軽い口調で告げられたその重い言葉に、やっと私は思い至る。彼女がこれまで進んできた道に。
名門黒森峰女学園で、1年生時は西住隊長とチームメイトとしてともに歩み、彼女が黒森峰を去ってからは
西住まほさんと一緒に、大洗女子学園と激戦を繰り広げた。副隊長、隊長と歴任し、高校卒業後は大学で、また西住隊長とチームメイトとして頑張っている。
「あなたは上に越えられない壁があるだけだけど、私は横も上も壁で囲まれているのよ。逃げ道なんてどこにもなかったわよ。」
そうだ。私以上に過酷な環境に居て、何度も西住隊長に負けて。
なのになぜ、この人は西住隊長と同じ大学に進もうと思ったのだろう。いや、それ以前に逸見さんは
「なぜ、戦車道を続けようと思えたんですか?」
何度も圧倒的な才能を見せつけられて、何度も敗れて。その歩んできた道は決して楽なものではなかっただろう。
鼻の奥がツンとして、瞬間、去年の全国戦車道大会決勝戦を思いだす。
決勝の相手は私が一年生の時と同じく黒森峰女学園で、隊長は逸見さんだった。
練度高く、乱れのない進軍で前半は大洗女子学園が圧倒されたが、西住隊長の機転で形勢が逆転。
しかし、そこから逸見さんはあきらめずに反撃に転じ、最後は双方フラッグ車のみを残しての壮絶な一騎打ち。
正直どちらのチームが勝っても不思議ではない試合だった。
だから、あの決着の瞬間の、モニタ越しに見た逸見さんの表情は、どんなだっただろう。なんて、そんなことをふいに考えてしまった。
「戦車道が好きだから。」
「え?」
そうやって、考え込んでいたから、一瞬反応が遅れてしまった。
「自分で質問しておいて、ボーっとしちゃって。そんなところまで同じなのは、大洗の伝統なのかしらね。」
苦笑してそうつぶやいた逸見さんは、スッと姿勢を正して私にまっすぐ向き合うと
「戦車道が、好きだからよ。」
そう、もう一度、私の質問に答えてくれた。
「好き、だから?それだけですか?」
もっと、自分を高めるためだとか、自分の能力を証明するためだとか、そんな回答を予想していた私はまた意表を突かれてしまった。
「納得してないって感じね。でも、私もあなたと同じように長いことぐるぐる悩んで、出た結論がそうだったんだから。私もどうしようもないわね。」
肩をすくめて答える逸見さんの、でもその表情は穏やかで、強い意志がそのまなざしからは感じられた。
「戦車道なんて熱いし寒いし、体はいつも火薬とオイルまみれだし。歯を食いしばって頑張っても結果はついてきてくれないし。
何度もやめようと思ったけど、でもやめられなかった。やめたくなかった。」
そう話す彼女の表情は、言葉とは裏腹に本当に楽しそうで。
「車長をやっていると、戦車がまるで自分の体のように動く瞬間がない?戦場の隅々にまで自分の神経がつながってるって感じたときは?
自分の体はそこにあるのに、他のチームメンバーの意思もはっきり感じられて。あの感覚を味わってしまったら、もう辞めるなんてできないわ。
あなたも、そうなんじゃないの?」
いたずらな顔でそう、問いかけられた。
「みほに付き合わされて、何度も大洗の試合を見に行ったけど、試合中のあなた、自分が思っているよりもずっとイキイキとしているわよ。
怖がって、あせっているけど次に何が起こるのか楽しみにしている。まるでお化け屋敷に入った子供みたい。」
問いかけられて。私は改めて考える。なぜ自分は今も戦車道を続けているのだろう。隊長を継いだ義務感だけだった?
本当に戦車道はつらいことだけだった?試合中に思わず握った手に、にじむ汗は緊張のためだけ?
「わ、私は…。」
ぐるぐると、考えがまとまらない頭で何とか答えようと努力する。でも、その悩みはさっきまでよりもつらくなく、何かがもう少しでつかめるような、
あとは言葉にできればいいような、そんな。
「遅いわよ。」
そう言った逸見さんの視線は私ではなく、私の後ろに向けられていた。
「後は、二人でちゃんと話しなさい。同じようなしかめ面しちゃって。」
そう笑って、立ち上がる逸見さん。私は後ろを振り返る。
そこには目を真っ赤にした西住隊長がいた。
***
「あの、澤さん。私…。」
涙声な西住隊長を前にして、ようやく私はちゃんと彼女を見ることができた。
少し気弱で優しくて、でも戦場では心まで見透かされるようにきりっとするその目。
心をなでるように響く、でも指揮するときにはどんな作戦でも信じさせてしまうその声。
ずっとあこがれていて。ずっと追いつきたくて。ずっと好きで、今でも大好きな先輩がそこにいた。
「すみませんでした。」
思いが、自然と声になる。
「全部上手くいかなくて、焦っていて。さっきは子供みたいな八つ当たりをしてしまいました。本当にごめんなさい。」
ほほに何か流れる感触があって、自分が今泣いているのだと気づいた。
「そんな。私こそ、澤さんがつらいこと、分かっていたのに何もしてあげられなくて。さっきも無神経なことを言って傷つけてしまって…。」
せっかく泣き止んでいたのに、また彼女も泣き出してしまう。
「すみません。」
「ごめんなさい。」
本当は言いたいことが他にたくさんあって。話をしたいのに。
お互いに繰り返し謝ってしまう。
「もう。無限ループに入ってるわよ。」
横にいて、私たちを見ていた逸見さんから、そうあきれたような突っ込みが入る。
「ふふっ。」
その言葉で、今の私たちの状況を客観視できて、思わず笑ってしまった。
西住隊長はそんな私を見て、驚いているけれど。
すー、と息を深く吸い込んで。呼吸を落ち着けて目の前の人を見る。
「西住たいちょ…西住先輩。」
今の私は、どんな表情をしているのだろう。
「先輩、心配してもらってありがとうございました。でも、もうきっと大丈夫です。」
西住先輩も、その言葉に涙をぬぐってこちらをまっすぐ見る。
「でも、もしもまだ悪いな、って思っていたら、ひとつだけかわいい後輩のお願いを聞いてもらえませんか。」
***
強い日差しに、歩きながら手をかざして上を見る。
空には雲一つなく、絶好の戦車道日和だ、と思った自分に、戦車道日和ってなによ。と突っ込みを入れる。
審判の人達がいる戦場の中央に到着して足を止める。前を向くと黒いパンツァージャケットを身にまとった西住先輩がいた。
お互い歩み寄り、握手を交わす。
「今日は、練習試合を受けていただいて、ありがとうございます。」
間近で見て、やっぱり戦場でのこの人はかっこいいな、何て思ってしまう。
「かわいい後輩のお願いだもん。それに私も、ずっとこうやって大洗と試合をしてみたいって思っていたの。」
つないだ手から伝わってくるその力強さに、思わず背中に震えが走る。
彼女の向こう、ずらりと並ぶ西住先輩の大学のチームは、そのままのメンバーで大学選抜といって遜色がない練度だと、
そう何かの記事で読んだことを思い出す。
実力差は歴然。何もできずに連敗記録が一つ増えてしまうのかもしれない。
でも。
「今日は、ただやられるつもりはありませんから。」
今は楽しみでどうしようもない。どんな隊列で、どんな作戦で西住先輩は来るのだろう。
そして、私たちはどうやってそれに立ち向かおうか。上手くいくだろうか。失敗してしまうだろうか。
怖くて、緊張して、でもわくわくして仕方がない。
「…! 私も。楽しみだよ。」
少し面食らったような顔をしたが、すぐに笑みを浮かべる西住先輩。
手を放してまた距離を開けると、主審から今日の練習試合の開始が宣言された。
そのまま自分のチームの隊列に戻ると、すでに戦車のエンジン音が鳴り響いており、試合の準備は万全のようだ。
私のⅣ号戦車は、とあたりを見渡すと、すぐ目の前をそのⅣ号戦車が通り過ぎる。
「え!?え!?」
困惑して、キューポラから出ている顔を見ると、例の期待の一年生。
彼女は、にやっといたずらな笑みを浮かべるとそのまま走り去ってしまう。
訳が分からずおろおろしていると、後ろから戦車が近づいてくる音がする。
(あ。)
振り返って見なくても。そのキャタピラ音で。そのエンジン音で。何の機体なのかすぐにわかる。
だって、初めて乗った戦車で、ずっと乗っていた戦車で、大切な仲間と乗っていた戦車だから。
M3中戦車リー。
振り向いた私の前に停車すると、顔を出したみんなが声をかけてくる。
「遅いよ。梓ちゃん。」
「重戦車キラー、復活!」
「早く早く。」
「今日もやったるぞー!」
「ちょうちょ。」
何も変わらないみんなに、思わず吹き出してしまう。
戦車のふちに足をかけると、するするとよじ登る。この機体に乗り込むのは久しぶりなのに、登り方を体が覚えている。それがなんだかうれしかった。
ヘッドセットをつけると、感触を確かめるようにおずおずと車長席に座る。
そんな私を見る、みんなの笑顔を見渡して。
「それでは、行動を開始します。パンツァーフォー!」
動き出した戦車の振動を感じて。あぁ、今日は戦車道日和だな、と私はまた思ってしまった。
<了>
以上です。
SS初投稿だったので、何か不手際ありましたらすみません!
IDが変わらないうちに、HTML化依頼をしてきます。
ありがとうございます!
普段は自分で書いたものを自分で読むだけで完結させていたので。
今回はなんとなく投稿してみましたが、感想を聞けるのはやっぱりうれしいですね。
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